曖昧トルマリン

graytourmaline

■ 時間軸:退院後、墓参り前

■ 倉庫内に放置してある旧Harry Potterの補完話

■ やる気が続いていればこんなストーリーになる予定だった

■ 情緒不安定な呑兵衛お爺ちゃんが管巻いてるだけ

残滓語り

 何でまた急にボックスで大量に買ったのかと思ったら、こういう事でしたか。生憎現物を作った事はありませんが知っていますよ、ハリボーの洋酒漬け。メルヴィッドもエイゼルも随分楽しそうに昼間から呑んだくれているようで何よりです。
 まだ大丈夫でしょう、本格的に拙い人は呼吸からして違いますし、顔色も、もっと青白くなりますから。貴方達は普通に会話も呼吸も出来ています、顔も綺麗に赤く染まっているので平気だと思いますよ、多分。
 今日のところは取り敢えずウイスキーって、他に何で作ったんです。
 ブラック家の白ワインと市販のウォッカ、それにマラスキーノ、マリブ、シャルトリューズ・ジョーヌ。最後だけ判りませんが、確かジョーヌはフランス語で黄色でしたよね、なら並び順からするとフランス産の黄色いリキュール、マリブがナッツ系でマラスキーノが果実系ですから消去法で薬草系でしょうか。匂いを嗅いでいないので、大きく外してリキュールではなくテキーラの可能性もありますが。はあ、薬草系のリキュールで正解ですか。
 いえ、味の想像なんて到底付きませんよ、薬草系のリキュールは特に複雑ですから。料理やお菓子にもそれ程頻繁に使いませんし、精々カンパリかアマレットかミント、あとはコーヒーや紅茶やチョコレート、緑茶や桜でしょうか。全て黄色とは程遠い色でしょう。ええ、生憎洋酒は全般的に知識も経験もないもので。私が持ち合わせているのはウイスキーならウイスキー、ブランデーならブランデー、ラムならラム、程度の認識です。
 お昼食べたばかりですが、何か軽くおつまみ作りましょうか。無難にナッツとチーズとクラッカーと、野菜スティックかベリー系なら行けますかね。おや、今日は宜しいのですか。では炭酸水でも持って来ましょうかね、はあ、ええ判りました。3人分ですね。
 お待たせしました。炭酸が冷えていないので一応アイスペールも持って来ましたよ、あと私が欲しかったので簡単なつまみとクラッカーも。
 コンビーフと玉ねぎとチャイブを黒胡椒とマヨネーズで和えただけのお手軽なディップですよ、野菜スティックかクラッカーに付けて、ええ勿論、好きなだけ食べて下さい。そのつもりで作ってきましたから。はい、そちらのアルコールでぶよぶよに膨らんだクマも頂きますよ、いえ、まずは1つで。
 これ、匂いで予想していましたけれど結構、胃袋と血液を直撃しますね。
 そんな簡単に追加出来ません、エイゼルこの世の摂理に従っているような顔で何してるんですか何で私の炭酸水に酔っ払いクマ大量投下しているんですか、中身は爺ですが摂取しているのはアルコールに慣れていない子供の体だって考えて下さい。そうですね綺麗ですね、観賞用としては最適かと。もうこのままお部屋の洒落たインテリアにしましょう、だってこれ全部胃に収めたら肝臓と血管から逐次死にますよ。
 食べさせてあげるからじゃありません。その笑顔だけで結構ですから台詞の方は可憐なお嬢さんに言って差し上げなさいと再三、メルヴィッドまで悪乗りしないで下さい。
 何ですか貴方達揃いも揃って、私が想像している以上に酔っているんですか。判りましたよ後で食べますからグラスの中に入れておいて下さい、唯でさえ1匹目のクマで思考が混濁しかけているのに。ああ、透明な炭酸の中に浮かぶグミがカラフルで女性受けしそうな見た目ですね。中身のアルコール度数が割と凶悪ですが。
 それで、態々を招いた理由を伺っても。はあ、爺の昔話が聞きたいと。でも素面だと互いに聞くに耐えられない内容になるだろうだから酔う事にしたと。気遣いは大変有難いのですが、それ以前にメルヴィッドにもエイゼルにもお話した事ありますよね。
 確かに私の抱え込んでいる秘密の大半はリドル関係ですし、恋人だと白状してしまいましたから今更隠す事もなくなった訳ですが。そう、ですね。ホグズミードの件で、お2人には本当に心配かけましたからね、判りました。お話しましょう。
 ただ、そうなると30年分くらい恋愛感情を凝縮した盛大な惚気と失恋と愚行が盛り込まれた面倒臭い話になるんですが。100年近く初恋を拗らせ続けている爺に、愛情アレルギー持ちの貴方達がアルコールの力だけで太刀打ち出来るんですか。
 出来るかどうかじゃなくやるんだって、それ私的見解で死亡フラグですよメルヴィッド。立ち向かわなくていいので耐えられなかったら素直に無理だって言って下さい、続きは後日に持ち越しますから。エイゼル貴方、苦痛は長引かせたくないってそんな爽やかな笑顔で我慢大会宣言しないで下さい。
 判りました。聞くに耐えられなくなったらトイレ行く振りして戻って来ないで下さいね。私が知る一番安全な退避方法がそれですから。
 ええと、それでは何処から話し始めましょうか。ああ、そうでした。大まかな説明を終えているので時系列を気にする必要はないんですよね。
 そうなると、真っ先に思い出すのは、矢張り新しい記憶なんですかね、1998年にリドルがハリーに殺された時から語りましょうか。
 当時の私はもう彼の心を裏切って、傍から離れていて、死喰い人デス・イーターにも蔑まれていましたから、遠くから見守っているだけでした。身も蓋も無く言ってしまえばストーカーですね。だから言っているじゃありませんか、愛なんてものは頭を悪くさせる思い込みですって。
 けれど頭が可怪しいなりにちゃんと、手出しせずに見守るだけだと決めていましたから。だから、セブルス・スネイプの裏切りも、ナルシッサ・マルフォイの虚言も、ハリーの生存も伝えませんでした。仮にそれらを伝えていたとしても、私を見限った彼に届かなかったでしょうね、きっと。
 可愛さ余って、という感情はありません、私は今でもリドルを愛しています。
 レスポンスが欲しいから愛したのではなく、私自身が愛したいから愛しているんです、別離した相手を愛する事は道理に背きませんよ。愛もまた、信頼と同じでしょう。自分自身にのみ属し、それによる対価など求めない、一方的且つ利己的な感情。
 だから、誰かの愛と他の誰か愛の間で衝突や闘争が生じるのは、まあ、当然と言えば当然なのかもしれません。個人の感情から生じるものはどれも、厳密にはその個人自身にのみ帰属するものですから。人間が自己認識出来るうちに他者との完全な融和は不可能ですよ、けれど、だからこそ、個の感情を抑え他の集合体である群の感情を伺う知性が重要になってくるんでしょうね。
 長くて面倒ですね、私もそう思います。
 あれですよ、知性が高い方は協調性や空気を読む力も高いんですよ、だって貴方達、周囲に合わせながらさり気なく自分の意見捻じ込むとか得意でしょう。私はほら、頭が悪いのでご覧の有様ですが。因みにサイコパスは共感能力が低い訳じゃなくてオンオフ機能が付属している説もあるのですが、ですね、だとしたら私は常にオフ状態ですね、メルヴィッドもエイゼルもご愁傷様です。
 何でこんな事話しているんでしたっけ、もっと違う話を始めていた筈なんですが。ええ、酔っていますよ。酔っていなくても私の頭の中は年中こんな感じですがね。そうです、リドルの最期です。
 あの日、ホグワーツ城で行われた下らない同族の殺し合いを、どちらにも加勢せずずっと見ていました。このまま事が進むとリドルが自死する事になると判っていてもずっと傍観していて、結局ハリーとの馬鹿みたいな一騎打ちに彼が敗れるまで、ずっと。貴方達に話したのは、ここで終わりでしたね。
 別に大した続きではありません。その後に、私はやっと重い腰を上げて、リドルの死体に会いに行っただけです。危険ではありませんでしたよ、城内はお祭り騒ぎで、殺した敵の死骸は夜の闇の中に山積みで放置されていましたから。
 そうですね、まだ死後硬直は起こっていなかったので、全体的に生暖かくて重くて柔らかかったです。服を着た肉の山に腕突っ込んで、リドルを探し出して、抱き締めて、お別れのキスをしただけで。ええ、メルヴィッドやエイゼルと違って美しいとは言い難い顔立ちでしたが、でもたかが醜い姿になった、それだけです、彼は私のリドルなんです。愛したまま裏切った、最初で最後の恋を捧げた人なんです。
 本音を吐いてしまうとね、攫ってしまいたかったんですよ。彼の死体を。
 でも、無理でしょう。
 勿論、他人の倫理なんてどうでもいいのですが、死体の山の中から闇の帝王の死体だけが消失したら、どんな愚か者に彼の名が悪用されるか判ったものではないでしょう。彼の最後の名誉を守る為には、自分の欲望を優先して死体を欠片でも連れて行く事は叶わなかった。ええ、私は当時からリドル関係以外だと大概気の向くまま、自分勝手に生きていますよ。判断基準は全て自分です、他人なんて知った事ではありません。
 だから山積みになっていた死喰い人デス・イーター達の遺体も一緒にちゃんと横たえさせて、死者らしい格好をさせて来ました。誰にも弄られずちゃんとその姿で死後硬直したみたいで現場が俄に混乱したらしいですよ。
 屋敷から一歩も出ない生活を始めた私の元にハリーから手紙が届きましてね、私がやったのだろうと指摘されました。ついでに、イギリスへ帰って来ないか、と変な事も書かれましたがね。帰るって何でしょうね。
 私の帰るべき故郷は日本で、イギリスにいたのはリドルの為なのに。それにハリーはリドルの延命装置である分霊箱ホークラックスではなくなったのだから、私が関わる必要性もなくなりましたし。いえ、流石にそんな返信してませんよ。無視しただけで。だから、彼との縁はそれっきりです、まあ、彼は有名なので少し調べれば変な事をしようとしても一方的に判りますからね。
 ええ、ハリーの両親とは知り合いでしたよ。仲も良好だったようです。
 どうにも、上手く言葉が繕えませんね。そうですね、その辺りは全く触れていませんでしたから。あの辺りの記憶は未だ混乱していて余り思い出したくないんですが、少し待って下さい、今以上にアルコールの力を借りなければ私も辛いので。
 エイゼル、男ならラムだろと言いながらキッチンからラム酒呼び寄せないで下さい。此処はロアナプラでもイエローフラッグでもありませんし、それは製菓用のホワイト・ラムだから格好付かないしょうって、ちょっと待って本当何してくれているんですか、酔いも当時の心情も一気に醒めました。
 止めて下さいって、それにはちゃんと使う予定があって態々、炭酸と氷を継ぎ足しながらやっと半分まで減らしたグラスにそんな。メルヴィッド珍しく上機嫌で笑っていますがそんなにこの状況が楽しいですか。そうですか楽しいですか、酔ってますね。私は自身が泣き上戸じゃなくて良かったと慰めています。
 折角パンナコッタの風味付けの為に買ってきたのに、ええ、いいですよもう。ダーク・ラムで妥協しますから。味と色合いは保証しませんが同じラム酒ですから大丈夫でしょう、万が一不味かったらエイゼルを開腹して胃袋へ直送りにします、魔法と腕力とその他持てる全ての技術と知識を駆使して胃の表面に口腔を発生させてやりますよ。そうですね、精々美味しく作れるように祈っておいて下さいね。
 それで、1994年度の話でしたっけ。記録ではクィディッチワールドカップとか三大魔法学校対抗試合が開催されていましたから。ああ、いえ細々と繋がっているから前年度からにしましょう。1993年、シリウス・ブラックが脱獄した年です。
 当時私は国外の魔法省から依頼された暗殺みたいな事をしていてですね、日本に逃げ込んだ外国人を殺していました。いえ、暗殺って言葉は派手ですが内容は凄く地味ですよ。そこにいるけれど書類上はいない事になってる人間、要は不法入国者なら夜道で背後から一撃。闇討ちじゃなくて咀嚼です。人肉好きの妖怪が率先して処理してくれていましたから。
 不慮の事故に見せかける方法もありましたが、やったとしても精々器物相手の単独事後ですよ、無実の加害者を作り出すような真似はしません。リチャードですか、だって彼は死んでいるので、死人が生者を物理的に殺す事は出来ませんよ。飲酒運転させたテレビ局の、ああ、そんなのもいましたね。善良な市民やか弱い子供達が誰一人犠牲にならなくてとても良かったと今でも思っています。
 いえ、自分の手を汚す事もありましたよ。妖怪や神様相手に効力のある技術を持った方には、ただの人間だった私が出張して物理的に排除しました。じゃあダンブルドアもそうやって殺しておけばったって、本当にそれが出来たら良かったんですがね。情報掴まれていたので物理防御は常時展開でしたから、貴方達だってその程度はしているでしょう。
 何考えてるんですか、何でしていないんですか、私が裏切るとか思わないんですか、そうですね裏切りませんけど警戒して下さい。ほら、ハグリッドのような突発的な事件がまた起きるかもしれないじゃないですか。せめて盾の呪文を施したアイテムをですね。そう、ですね、この話題は素面の時でも出来ますね。
 寝首を掻く手段もあるにはあったんですがねえ、どの道、国際問題になるから無理だったんですよ。一般人程度なら偽装出来たんですが、ダンブルドアは有名人で権力がありますから。ダンブルドアを殺しても、それ以外が失敗したら駄目でしょう。いえ、だから70年くらい前の私はそれなりに貴方達の基準での常識を持っていたんですって。
 それで今度の相手は同窓の脱獄犯、でしょう。屋敷の誰かが呪い殺そうにも距離が遠いので、結局私がイギリスに呼び戻されて、デッド・オア・アライブで行けと命令されれば従うしかありませんよ。こっちは人質取られていますから。
 でもまあ、私も当時は頭が足りなくて馬鹿で向こう見ず若かったですからねえ。頭が足りなくて馬鹿で向こう見ずなのは今もですけれど。シリウス・ブラックを追い詰めてみたものの、無実だと判ったら逃走を援助してしまったんです。
 あまつさえ夏季休暇中のハリー、リーマス・ルーピン、セブルス・スネイプと一緒にイギリスの屋敷に匿ったんですよ。ねえ、底抜けの馬鹿ですよねえ。二度とこのような愚行を犯さないようにどうぞ罵って下さい思い切り。
 ダンブルドアはハリーの言葉を鵜呑みにして黙っていましたけれど、魔法省に漏れていたら私の大切な存在は粉微塵に破壊されていたかもしれないのに。ええ、そうですね、当時まだ魔法省はダンブルドアにベッタリでしたが、でも今思うと心配でしょう。
 当時の私は家族よりもたった数年共に過ごしただけの友情を取った大馬鹿者なんですよ、なのに、リドルが死んだ後にやっと罪の自覚をして、一生どころか死後も責め続けられるような事をした私を、屋敷の彼等は何事も起きなかったのだからと許してくれたんですよ。申し訳ない事をしたと、そのたった一言の謝罪で、こんな私を。
 もしも何事か起こっていたら、殺されていたかという問いならば、恐らくは、否でしょうね。過保護なんですよ、皆、貴方達に狂っていると言われる私から見ても異常な程。ああ、私から見てそうなら逆に正常な可能性もありますね。でも異常だと思うんですよねえ。
 彼等の過保護振りは後で話すとして、大分話が逸れたので戻しましょうか。
 以前お話した時には一切語りませんでしたが、1994年の夏にですね、私は一度リドルの助けを借りてダンブルドアの元から逃げたんです。
 残念ながら、リドルが思い出させてくれた訳ではなく自分で自分を追い詰めた結果です。消された記憶を思い出したその先があって、思い出した瞬間自分自身の変貌振りを拒絶し過ぎて都合の良いように自力で記憶を改竄しただけです。ホグワーツでの過去は全部ばかった事にして、ずっとリドルと一緒にいたという記憶を上書きして、手に手を取り合ったとても幸せな逃避行をね、ほんの数日だけ。
 幸せでしたよ、言葉では言い尽くせないくらいに。傷付くだけの抱え込んでいたものを全部捨てて、整合性を粉砕して、都合の良いように脳味噌を掻き回したんですから。あの数日間の私は、壊れていたからこそ世界で誰よりも幸せな人間でした。
 幸せだったんです。なのに、折角壊したのにダンブルドアが直したんですよ。高位魔法使いとのタイマンイベントに敗北して、リドルと強制的に別れさせられて、頭の中が大変でした。辿って来た道を力尽くで再構築されて、瞼を抉られて、さあ正しい過去を目を逸らさずに見ろと。それが、苦しくて仕方がなくてですね。
 そうなんですよね。学生の時分は都合が悪いからと思い出す度に記憶を消されていたんですよね。だから、それだけリドルを愛していたんですって。以前も言いましたが、愛とは怖ろしい力なんですよ。自己から生じて自己に働き、強い暗示を掛ける病気です。思い出したい、忘れたくないと強く自己を持てば、それがそのまま力になるんです。
 でも、それが駄目だったんでしょうねえ。
 何十度も記憶を書き換えられて、脳味噌を掻き回されて、最後には作った逃げ場すら失って、自覚は無かったんですが折れて、脳にも物理的な限界が来てしまったんでしょうね。まだ若かったですから、失望も大きかったでしょうし。
 その日を境に、記憶に穴が空くようになってしまって。告げていませんでしたね、まあ、私の身の上に起きた事なんて以前話した分だけでお腹一杯でしょう。追加案件が発生して胸焼けしていませんか、そうですか、大丈夫ですか。
 まあ、幸いな事に取るに足らない記憶から抜け落ちて、しかも相当早い段階で自覚出来ましたからね。嫌ですねえ、何十回も失った経験を一時的にとはいえ全て思い出したんです、だから、自分の頭の中で起こった奇妙な感覚がそれだと判りましたよ。
 あの時の事を何と表現すればいいのか、例えば、今日のお昼のメインは海老とホウレンソウを使ったトマトクリームソースのオムライスでしたよね。ええ、酔っていても料理の記憶だけは常に明瞭です。パンナコッタの恨みも忘れません。
 それで、今日のお昼は昨日の夕食の海老とホウレンソウのトマト煮を生クリームで伸ばしたソースを使ったんですが、頭の中の記憶がこうなるんです。
 昨日の夕食は■■とホウレンソウのトマト煮、今日のお昼はそれを■■■■■で伸ばしたソースで海老と■■■■■■のトマトクリームソースのオムライスにした。まあ、こんな感じで特定の記憶が無くなる訳ではなくて、前後の記憶と照合すれば埋め合わせが出来るランダムな喪失だったんですね。そうですね、ここまで判り易いと経験なんてしなくとも記憶喪失確定ですね。
 脳が摩耗したのか、復元ミスか、魔法同士が干渉し合って悪さを仕出かしたのか、結局原因はよく判りませんが、流石に当時はそんな事を悠長に考えている暇なんてありませんでしたよ。今も記憶改竄関係は嫌悪していますが、あの時は嫌悪も憎悪も通り越して重度の恐慌状態に陥りましたから。それからしばらくは部屋に篭って、寝る間も惜しんで急いで覚えている分の記憶を全て書き起こしましたから。
 ええ、時系列は無視して思い付いたものは全て。穴の空いた部分は黒塗りにして。紙媒体って偉大ですよね、どれだけ記憶が無くなっても筆跡で本人の記述だって判るんですから。改竄される可能性も少ないですし。
 本当に、手続き記憶が無傷だったのが不幸中の幸いでしたよ。筆記具の名前は覚えているのに使い方が判らなくなった、から始まったらどうにもなりませんからね。日常生活も感情面を押し殺せば普通に過ごせたので同居人達に勘付かれた様子もありませんでしたから。そうですよ、この私が騙し通せたんですよ。偉いでしょう、褒めて下さい。
 ごめんなさい、調子に乗りました。酔いも少し醒めました、はい、アルコールの所為にしておいて下さい。ありがとうございますメルヴィッド、セロリ美味しいです。そうですね、酔うと思考と口が緩んで陽気になるタイプです。未だ大丈夫です、使用言語が英語から日本語になったら本格的に暴走している証拠なので放置して解散しておいて下さい、壁にでも向かって延々喋ってますから。謝罪は後日行いますので。エイゼルもありがとうございます、人参美味しいです。はい、落ち着きました。
 演技がどうとかではなく、あの時は普通に考えて、同居人達は些細な変化に興味が無かっただけなんでしょうね。70年前とはいっても可愛げの欠片も感じさせない三十路を過ぎた男でしたから、興味を持てと言う方が無理な話です。
 そんな中でひとまず思い出せる記憶は全て書き起こしたので、じゃあ次は逃げようと思って日本に帰りまして。ついでに永遠に引き篭もる準備をしてました。イギリスに相談出来る相手なんている訳ないでしょう、当時の私に対人運の低さはリドルに匹敵しますよ。面子思い出して下さいよ。全員ダンブルドア派の魔法使いですよ、誰かに知られたら情報が漏れてまた脳味噌弄られるじゃないですか。あれ結構辛いんですよ。
 無事帰国する事も出来て、数日家でゆっくり過ごして、で、ふと思ったんですよね。このまま引き篭もり生活始めるのなら、もう生きてても死んでいても一緒だなあ、と。死んだら多分家憑きの地縛霊やってたと思います。そうそう、入水自殺しようとしていた最中にリドルとかその他大勢が立て続けにやってきて未遂に終わったんですよ。ですねえ、今は相当図太くなりましたけれど、当時は本当にか弱い人間だったんですねえ。
 自殺を止めた理由ですか。置いて行かないでとリドルが泣いてくれたからですよ。恋しい人にそんなお願いをされたら、死ぬ訳にはいかなくなるでしょう。ダンブルドアのいるイギリスにだって喜んで身を置きますよ。
 凄く嫌そうな顔してますね。リドルの口から直接聞いた訳ではありませんよ、当時はまだ分霊箱ホークラックスであったハリーの口を通じてリドルの言葉が届いただけです。そうですね、意味合いとしてはほぼ同じですね。良いんですよ、その程度の理由で。
 まあ、しかし、愛の力にも限度というものがありますからね。恋人の言葉一つでは奇跡には到底足りなかったようで、記憶の喪失に歯止めがかからない訳ですよ。手探りで魔法薬を作ると材料からセブルス・スネイプかシリウス・ブラック辺りに勘繰られそうだったので、手製のハーブティーやハーブシガレットで誤魔化したんですが、正直全く効きませんでしたねえ。おや、意外ですか、昔は嗜んでいたんですよ、煙草。
 そうです、そうです。それで1995年の話に繋がるんですよ。崩壊を続ける脳を捨てて新鮮な息子の体を乗っ取った話。まあ私が勝手に息子と認識していただけで、本人は欠片もそんな気は無かったようですが。
 ああ、そうか。その辺りも伏せていましたねえ、私どうやって誤魔化したんでしたっけ。日本に一時帰国して叔母の家から子供を引き取った。間違ってはいませんよ、事実と比較するとちょっと遠いかな、とは思いますが。
 あの子は鵺と呼ばれる魔法生物で、ボガートと同じシェイプシフターの一種でした。
 そうですね、メルヴィッドは和漢三才図会や今昔画図続百鬼も目を通したのでご存知ですよね。何ですか、挿絵を間違えていたと思ったって、それ隣頁の以津真天でしょう。和漢三才図会は鳥の姿、今昔画図続百鬼は獣の姿で合っていますよ。見る者によって姿が異なるので、いつまで、と鳴く鵺がいてもおかしくはありませんが。姿が鳥だったり、虎だったり、猿だったり、蛇だったり、狸だったりするように、鵺の声だって虎鶫のものですし。
 鵺が人間の姿を取っていた理由ですか。まあ、何と言うか、の名を名乗る一族は業が深いんですかねえ。叔母は父に焦がれていたようで鵺に在りし日の父の姿を模写させて、いえ、連れ子同士なので血は繋がっていませんが。旧家は大概が人間の嫌な所を凝縮した面倒臭い一族ばかりですよ、ええ勿論、偏見です。
 私は私で、自分が自分であった証拠が欲しくてですね、なので鵺に息子を名乗らせたんです。ただ、イギリスへ行く前に屋敷に寄ったのが拙かったんでしょうねえ。世間一般では通用しない屋敷の常識を刷り込まれたらしくて、内容ですか、私に過保護であれ、ですよ。あの屋敷がそういう場所だと失念していまして、ええ、馬鹿ですね。懐いてくれて可愛いなと思っていたんですが、相手にもそう思われていた訳でして。あれですね、私とレギュラス・ブラックの関係が凄く近い気がします。
 それで最初は子育てに不慣れな父親で通せたみたいなんですが、半年もすると記憶もボロボロ取毀しているのが露見して、最終的に顔会わせる度に貴方は誰、ですよ。毎日じゃなくて毎回です、こうして一緒に食事しながら会話しているでしょう、それでふとした瞬間に、所で貴方、誰ですか。一日に何度も、こんな具合で繰り返してました。
 同居人達はそんな環境に耐えられなかったんでしょうねえ。私宛の手紙にはそう書かれていましたし、あの子、鵺もそう言っていましたから。家族やリドルの事に関してだけ、1割か2割程度、記憶は残っていましたが。これが私の愛の力ですよ。その程度の中途半端なものと言われれば反論出来ませんが、それでも友人の記憶は綺麗さっぱり消えたのに僅かでも残っていたんですよ。
 いえ、痴呆とは違って手続き記憶は全くの無事だったようで普通の生活は出来ていたんです、なので病院送りにはなりませんでした。送られた所で治療法も判りませんから、忘却呪文に対する脳の負荷耐性に関しての研究モデルくらいにはなったかもしれませんが。そうですね、それと比較してしまうと愛の力って何なんだって話になりますね。
 1人じゃありません、2人暮らしです。鵺だけはずっと私の傍にいてくれました。悠久の時の生きる妖怪、魔法生物の精神力の強さは人間を遥かに凌ぎますから。受け皿がとてつもなく大きいんでしょうね、この生物はそういう個体なのだ、で納得してくれますから。
 そう、それで三大魔法学校対抗試合の最終日に鵺が書類一式用意してくれたんですよ、ついでに怪しげな飲み物も。中身は生ける屍の水薬でした、書類は私が死んだら財産を彼に全て与えるという感じの物で、ええ、完全に詐欺に類するやり取りですね。ミステリーやサスペンスなら毒を盛られて即殺ルートです。
 まあでも、屋敷の皆を自由にするのならそれでいいかなと。私の名を継いだ自分が自分である証拠が、目の前に出来上がっていましたし。リドルにだけは申し訳ないなあと思いましたが、幽霊になったら謝罪しに行こうかなと考えていましたから。
 それで潔く服薬したはいいんですが、目が覚めると死んだように眠る自分の体が目の前にある訳ですよ。隣には何故か父と母様の幽霊がいましたし、ちゃんと混ざったようで良かったとか言っていますし、訳が判らないまま理解出来たのは鵺の記憶と自分の記憶が混ざった事くらいですよ。それ以降は記憶の喪失は無くなりましたから、忘却呪文って肉体を通じて作用するんだなあとは判りましたけれど、そうですね、今はどうでも良い話ですね。
 唐突に現れた両親は何処から来たのかって、私の不在時に鵺が普通に連絡を取り合っていたというか、イギリスの自宅近くにまで母様が足を運んでいた事実が混成された記憶により判明しまして。因みに鵺はぬいぐるみを所持していたんですが、あれは祖父母に直結した監視装置でした。いえ、多分その時は勘付いていたと思いますよ、でもお話した通り、記憶の維持が困難な状況で。
 一応、書き残された日記には危険はないから放置しておけと記述がありましたし。そうですね、当時から私は本当にリスク管理が甘くてそういう事を察する能力やタイミングがマイナス方向に振り切れていましたよ。
 はい、それで私はリドルの元へ。元の体ですか、言っていませんでしたっけ。日本まで輸送しなければいけないので凍死させました、ええ、真夏ですがその辺りは魔法の力を都合良く使った手の込んだ自殺として。
 イギリスでの葬儀をどうしたかは知りませんが、日本ではちゃんとお葬式を上げて屋敷の皆に振る舞いましたよ。
 何って、肉ですけれど。
 そうです、私の肉です。人肉です。喫煙していたから内臓はあまり美味しくなかったみたいでそれが少々申し訳無く、お酒や香草で臭み消しをしても良かったのですが圧倒的に生肉派が多くて。だから先程も告げたように、屋敷には人肉嗜好の妖怪もいてですね、今迄良くしてくれたお礼も兼ねて、馬鹿とは酷い言い草ですね。確かに自分の生首が齧られている光景は少々複雑な気分になりましたが。
 リドルにですか。言っていませんよ、訊かれませんでしたから。そうです、離別の原因には関係ありません。じゃあ何で別れたのかって、ああ、ちょっと待って下さい。
 申し訳ありませんが、半世紀以上前の思い出話で吐き気と頭痛がして来たので席離れても良いですか。楽しい事を考えろってピーターパンみたいな台詞言いながら、ちょっと、今度は何を継ぎ足してるんですかエイゼル。レモンジュース入れてインペリアル・フィズを作って上げたって、正体は知りませんが、その作り方が正当なカクテルではない事くらいは私にも判りますよ。不味くはない、ですけれどラムとレモンジュースの強力な味がします。じゃあダイキリですか、バーテンダーに怒られそうな悪い意味での適当さですね。
 大分世界が回って来ましたが、未だ英語で話せていますか。そうですか残念です、これで日本語だったら逃げる事が出来たんですが。仕方ありません、続けます。
 私の肉体、シェイプシフターとなったでしょう。ですから周囲の人間の影響を受けて変化するんですが、リドルが原因を廃してですね。まあ、そうです、監禁です。いえ、監禁や軟禁や幽閉は昔から慣れていたのでそれ自体に問題はありません。隠していませんリドルにもちゃんと話しました、鵺になりましたって。
 1年程経ってからでしょうかね、私を見て不安そうな顔をするようになったのは。エイゼル違います。貴方態と間違えてるでしょう、ここでスワンプマンの問題取り上げたら姿現ししている魔法使い全員アウトですよ。あれ一度自分の体を分解してから移動先で再構築していますから。はい、メルヴィッド正解です。容姿だけではなく心も相手に望まれるがまま変化しているんじゃないかと疑い始めたんですね。貴方達そんな、異世界に向けて究極の馬鹿を見るような目をしないて下さい。
 それで外に出されたんですが、観察者が増えれば容姿も変化しますよね。程なくシェイプシフターだと露見しまして、死喰い人デス・イーターに色々弄ばれましてね、いえ、心境の変化が見られなかったので落ち着いたリドルがお灸を据えてくれたので別にその辺りは。内部粛清で戦力減らす訳にも行きませんし。
 でも心配だからってまた隔離されて、ええ、そうですね。堂々巡りです。
 タイミングが悪いというか、手を打つのが遅過ぎたんですね。あまりに不安がるので事が終わるまで日本に戻ろうかと提案したら刺されまして。そうですね失言ですね。いえ、釘を刺されたのではなく、ナイフで物理的に。
 リドルにとっては離れ離れになるのがトラウマだったんでしょうねえ、私はほら、自分の身に起きていても忘れているので所詮他人事でしょう。体を手に入れる以前に喪失した記憶は戻っていませんよ、まあ、そういったものが積もりに積もって。
 面と向かって、お前は鵺だ、じゃないと否定されたのは、流石に堪えました。
 ちゃんと思い出すからと告げて、縋って、失った記憶も何も彼ももう一度手に入れる事が出来ていればまた、話は変わっていたんでしょうけれど。出来ませんでしたよ、怖くて。記憶を失っていても、脳味噌を弄るのが相当トラウマになっていて、とても、そんな事は出来そうにありませんでした。
 だから私も彼の心を裏切って、全面ではありませんがその言葉を肯定したんです。私はだけれど、貴方の愛しているは死んだと。
 そうですね、落ちとしては弱くて非常に下らない話ですよ。貴方達の言う通り、そんなつまらない理由で私はリドルの元から離反したんです。逆ですよ、今も当時も愛しているから離れたんです。欠片しか過去の記憶を持っていない私がいると、リドルが苦しむでしょう。構うものか苦しませておけとは、また酷い言い草ですね。
 その後は父と共に、先程言ったように、リドルの一生が終わるまでただひたすら見る側に回りました。父はあれですね、私が自殺しないようにお目付け役で。
 リドルですか。譫言のように名前を呼んで探していましたよ、許しを請う言葉も耳にしました。けれど、彼が求めているのは全ての記憶を完全に持ち合わせたでしょう。そんなものは、もう何処にもいないんですよ。中途半端な、私みたいな存在を残して、ほとんど全部消えてしまったんです。
 さて、ごちそうさまでした。大分酔っているのでこれ以上は勘弁して下さい。
 爺の下らない昔の恋話に蕁麻疹浮かんだりしませんでしたか。それは何よりです、はあ、何ですか。メルヴィッドやエイゼルが私の存在を否定したら、ですか。別に何ともありませんよ、警戒心を緩めていないようで寧ろ安心出来ます。
 面白い事を仰いますね。頼りになると言っているじゃありませんか、傷付いたり悲しんだりなんてしませんよ、何でそうなると思っているんですか。以前言った通り、貴方達は皆、同じ遺伝子を持っているだけの他人だと思って接しています。
 だから、私のリドルは死んでしまった彼だけなんです。死んでしまった彼が求めて止まなかったのが、過不足無く綺麗に記憶が揃えられた私だったように。