ハラペーニョのオムレツ
まずい、選択肢を誤った。
今回は嘘偽りなく内緒話であり追試験ではなかったのだ。ならば今迄の情報に看過出来ない大きさの齟齬が発生している理由が見当も付けられず混乱する一方なのだが、兎に角、まずはこの場を誤魔化さなければならなくなった。処理不能に陥った手元の問題は未来の私経由でメルヴィッドに託そう、私の萎びた脳味噌ではこれ以上考えなど浮かばない。
さて、ではどうするか。
この状況を明かされて尚、ブラック家に記憶を渡せない罪悪感と自己嫌悪を再度口にするのは流石にくどいだろう。メルヴィッドやエイゼルは年寄りである前提条件を知っているので苦言で済ませてくれるが彼等は違うのだ。重い疑問ならまだしも軽い質問となると咄嗟には思い付かない、となると、消去法で嘆願が最適か。
与えられた情報から相応の言葉は一応用意出来る。ただ、レギュラス・ブラックの反応が面倒になる未来が見え、パーティの最中に聞いたアークタルス・ブラックの発言を否定するものになってしまう事が少々手痛い。
しかし背に腹は代えられないだろう。ごめんなさい矢っ張り足りない考えはありませんでした、などと顔色を伺った言葉を口にした場合とどちらが評価に影響するかなど、どれだけ底抜けの馬鹿でも想像出来る。私に対するアークタルス・ブラックの評価は何処までも甘いが、限度は当然存在するのだから。
そろそろ制限時間を超過する。意味もなく唇を数度開閉させ、困ったような、後ろめたいような表情を隠さず、願ってもいない嘘を舌に乗せた。
「……お願いが2つ、あります」
「聞こう」
「1つは、プライマリを制圧後、偽のハッフルパフのカップの確保に入る前に、プライマリ経由でレジーの周囲に守護魔法を構築させてください。もう1つは、グリンゴッツにある盗人落としの滝の設置方法を教えてください」
件の分散処理有機コンピュータはハウスエルフを基盤に用いているのだから所持する能力は多岐に渡るだろう。特にプライマリがホグワーツを運営する礎となっているのならば守護や防御に関する魔法は得意分野だ、そして今の話を整理するとスティング・ワンはプライマリの内部には侵入出来ない、ならば同じような魔法をプライマリに受け持って貰う、と無言で続け相手が返答をする前に正しい答えを理由と共に口にする。
「分かってはいます。アークタルス様はレジーの身の安全を約束してくださいました、そして私のこれがレジーを護衛する方々に対する侮辱であるとも。私のような存在に警護の内容を知られてしまう危険性も、全部承知しています」
「そうだね。だから、残念だが、君の願いは受け入れられない。特に1つ目の願いは絶対に叶えられない」
「そう、ですよね」
当然だろう。私がアークタルス・ブラックの立場であったとしても即却下する内容だ。
ホグワーツ入学まで残り1ヶ月、今になって警護やら護衛やら突貫で作り変えるのは明らかに問題である。ほぼ完璧に運用出来る態勢をプロ中のプロが金銭と時間をかけて作り上げたのに、こんなド素人が思い付きで作った案など採用するはずもないだろう。寧ろこの所為で余計な不安要素や明確な弱点が出現する可能性の方が遥かに高い。
運用1ヶ月を前にして右も左も分からない子供からの依頼で仕様変更など絶対にしてなるものかとアークタルス・ブラックが明確に否定してくれて助かった。代わりに、私に対する信頼度は減ってしまったので詳細を見ると実は全く助かっていないのだが、利き手の突き指と上腕骨近位端部骨折のどちらかを必ず選ばなければならない状況に陥った場合、大抵の人間は前者を希望するだろう。私もその1人というだけだ。
「先に説明した通り、プライマリはホグワーツ所属でダンブルドアも利用可能な装置だ。ブラック家やグリンゴッツに関わる情報は可能な限り隠匿したい」
「……そう、でしたね」
腹の底からの謝罪を経た割腹自殺の許可が下りないのならば、せめて今すぐ魔法省に忍び込んでタイムターナーを強奪して時間を巻き戻したい。タイムターナーは既に起こった事は変えられない魔法道具だと理解していても、それでもだ。
洒落にならないミスをした。
多分これは、ブラック家関連で最大のやらかし、否、最大級はレギュラス・ブラックを混沌とした方向へ歪ませた事だろうが、それに次ぐ失言を放ってしまった。
1番大切な部分に至らなかった動揺が思い切り顔と態度に出る。言い訳などしていられない。謝罪の為に開いた口を、しかし皺だらけの乾いた手が宙に上がり柔らかく制した。
「。君の発言がたとえこれ以上に見当違いなものであっても誰も怒らないし、叱らないよ。意見の表明は推奨すべき行為だ、何故ならばそうする事によって私達が君の理解度を把握出来るからね。そして、通常このような場合、端から批判される事はまずない。今回否定せざるを得なかったのは、Pen.G.S.を含めた各分析官からも同様の意見が初期段階で既に出て、検討の末に排除されていたからだ」
常の彼よりも少し長く語り、ここまでいいかなと言って申し訳なさそうに頷き返すと、些細な悪戯で萎縮した幼い子供を諭すような口調で更に続けられた。
「賢者になる必要はない、間違えながら学びなさい。人は誰しも間違える、君も、君を取り巻く大人も分かり易いミスは滅多に起こさないから想像すら難しいかもしれないが、決してゼロではない。大切なのは同じミスを繰り返さない環境を整える事、そしてミスを事故に繋げない態勢を構築する事だ」
君は今、ミスを指摘され、何故却下されたのかを理解しただろうと問われ、再度頷く。それで十分だとアークタルス・ブラックから老人の笑みが溢れた。
「ただし、萎縮はすべきではない。萎縮した人間は表面上ミスを減らす。実際に起こったミスを報告しないという最悪の形でね。それはいずれ事故に繋がり、凄惨な結果を齎すのは目に見えている。今回は事故になる前に私が防ぎ、は同じミスを起こさないよう学習した。だからそれで、この話は終わりだ」
現実では絶滅を疑う程に少なく、紙面で頻繁に見る理想の話をアークタルス・ブラックは口にして、ほんの一瞬だけ孫の様子を見る。それに釣られた訳ではないが私もレギュラス・ブラックに視線を向け、すぐに逸らした。
湿度と殺意を緩く孕んだ視線、白と赤の斑模様になるまで強く組まれた指、噛み締められた奥歯、首筋を伝う汗、全身の筋肉が強張っている。予想通りの御当主様を前に元当主様へ視線の救難信号を送ると、明らかに危うい孫を放置して2番目の願いも叶えられないが近似魔法で既に対策をしてあるから安心するといいと告げられた。そんな事よりもあの子は放置のままでいいのだろうか。
「君はパーティの最中にPen.G.S.の真の目的に気付いた、だからこそ、あらゆる隠蔽魔法を無効化にする装置を欲したのだろう?」
「……はい」
放置されたレギュラス・ブラックを瞬きながら何度も見て本当に良いのかと空気で問いかけてもアークタルス・ブラックは凪のように一切の反応をしない。よく見るとメルヴィッドもレギュラス・ブラックに意識を向け警戒している。
それでも、保護者が手を出すなと正面から無言で語っているのだ。ならば今の私に出来る事はない、これから更に踏み込むので全てが終わった後で荒れに荒れた彼を丸投げされる可能性もあるが、その時はその時だ。
私も割り切ったと読み取ったのか、灰色の瞳が何故そう考えるに至ったかを問うた。
「Pen.G.S.の真の目的は私の監視と制圧です。私がブラック家に恨みを持つ方々から洗脳されないように、そして、万が一洗脳されても排除出来るように。魔法ですら危険なのに、ホグワーツに通う頃には私は銃の扱いが出来るようになっていますから普通の魔法使いでは対処出来ません。何よりも、恐らく私はスティング・ワンに排除対象から除外されています、ルビウス・ハグリッドから庇う為に突き飛ばしたように、何の抵抗もなくレジーに、アークタルス様に強い力で接触出来てしまう。この立場はあまりにも危うい」
「正解だ」
「だからこそお願い申し上げたのですが、熟慮せずホグワーツ内での隠蔽魔法の強制解除は駄目ですね。あそこにはピーター・ペティグリューが隠れているので」
ユーリアンに語ったように、ブラック家が立て直しを行っている今の状態でピーター・ペティグリューを捕獲してシリウス・ブラックの無罪を証明しアズカバンから出獄させるシナリオは推奨出来ない。最短でもあと2年、レギュラス・ブラックがホグワーツを卒業し、社会で基盤を固めるまでは手を付けない方が無難だ。
ホグワーツに盗人落としの滝を設置し、ピーター・ペティグリューが引っ掛かる可能性がある故に、この願いも聞き届けられなかった。
「11月1日の動向を探るだけではなく、既に発見していたんだね」
「本当はこのような事も自力で時間を掛けるのではなく、何処にいるのか教えてくださいとアークタルス様に頭を下げるべきだったのでしょうね」
「そうだね。では、今から手伝える事はあるかな?」
「ピーター・ペティグリューの潜伏方法について教えていただきたいです。潜伏場所については2ヶ所、オッタリー・セント・キャッチポールのウィーズリー家とホグワーツを往復しているとまでは捕捉出来ました。タイミングからして就学児の誰かに憑いているとまでは予測出来たのですが、どのような状態で潜んでいるのか皆目見当が付きません。どうかお力添えをお願いします」
「彼はドブネズミの未登録アニメーガスだ」
読みと詰みが早過ぎる。
意見と情報を求めた一言目から完膚なきまでの正答である。イカサマじみた未来の知識を所持しない状態でこれとは泣きたくなる、私がピーター・ペティグリューの立場だったら投了後、涙目のまま即自殺するだろう。
「魔法省の魔法反応記録はインカンタート系を用いた既存呪文照会魔法の出力結果だ、つまり、呪文を介在しない魔法は検知されないか、検知したとしても極度に反応が鈍る。全く呪文に頼らない魔法、彼の過去を知る者から得た記憶、この2つの要素を擦り合わせた結果、最も可能性が高いのはアニメーガスとの結論に至った」
記憶、というのはリーマス・ルーピンか。
いや、違う、リーマス・ルーピンはブラック家と関わり合いが薄くダンブルドアに近いため接触が難しい、逆の立場にいるシリウス・ブラックだ。ロザリンド・バングズはアズカバンの警護指導経験があるとメルヴィッドが言っていた、またハリーの弟の件を調査しているブラック家傘下の人間ならばアズカバンを訪れる機会が幾らでもある。
私が経緯を正しく想像出来ていると分かっているのだろう、アークタルス・ブラックは淀みなく解説を続けた。
「現在ウィーズリー家が飼育しており、且つ、ホグワーツへ携えているのはエロールというフクロウとスキャバーズというネズミだ。この内、ピーター・ペティグリューはフクロウの軌道を取った事はない、そしてウィーズリー家のネズミは小指が欠けている。故に彼はネズミの未登録アニメーガスとして潜伏している、これが現状の結論だ。アニメーガスは知っているね?」
「はい、知識としてならば」
「宜しい。君の事だから私の名が記入された閲覧履歴も調べているだろう、ならば意図も掴めたはずだ。このままブラック家が動くまで捕獲は留まってくれ。時期を見て、追って指示を出そう。ああ、だが、そうだな。こちらを頼もうか」
今に軽く言い淀んだアークタルス・ブラックは、私を正面から観察してから次まで待つ必要もないなと呟いた。
「、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは生きている」
「……え?」
「過去のポッター家とアズカバンの魔法反応記録、現在のクラウチ家を調査した結果、彼は幽閉の身ではあるが確実に生きていると判明した。ピーター・ペティグリューを捕らえ、当時の一連の流れが再捜査されれば彼の無罪が確定する」
「あの人が生きて、いえ、今、無罪? 無実ではなく、無罪と仰いましたか?」
「そうだ。いや、鑑定結果は出ていないが彼は君の弟の父親ではない。君も調べたから知っているかと思うが、彼はそもそもポッター家を訪れていなかったんだ、ただ、幾つか別の事件に関わった可能性が高いので無実と断定出来ないだけで。だがそれは些細な問題だ、彼の無罪はブラック家が約束する」
過去に何度か仄めかしたのでいつかは訪れると思っていたが、ここでか。展開が激流と化し脳が混乱する。
それでも、以前より備えていた心構えと未来の知識故に、辛うじて思考が追い付けた。よく考えてみれば当然の繋がりなのだ。
シリウス・ブラックの無実が確定すれば、即ち司法が下したポッター家襲撃事件の全容を疑う声は当然世間から出てくる。アークタルス・ブラックはそこを起点に全てを連鎖させ、家の力を用いた正攻法でバーテミウス・クラウチ・ジュニアを解放するつもりだ。
リリー・ポッターへの強姦の件は裁判になっていないが、既に判決が下されてしまった襲撃事件に対しての一事不再理の解決策は、今ならばある。
魔法界といえど裁判所から下された判決は覆らないが、個別恩赦を可能とする魔法大臣をダンブルドアから離反させ抱き込んだ。仮にコーネリウス・ファッジが何らかの不祥事で職を辞したとしても次の大臣をこう唆せばいい。前の大臣との違いをいち早く世間に知らしめたくはないか、と。
そうしてバーテミウス・クラウチ・ジュニアが司法の被害者として大手を振って歩けるようになる前に、と灰色の目が前置きをした。
「、我々が切っ掛けを作る。バーテミウス・クラウチ・ジュニアの隣に寄り添いなさい、彼には君が必要だ」
「私、ですか? ブラック家ではなく」
「後ろ盾としてはそうだね、けれど、人として必要になるのは君だ。こればかりは他の誰にも真似出来ない、私達を救ったにしか出来ない事だ。今の彼は過去の私であり、将来の彼は過去のレギュラスなのだから」
成程、と口を開きかけて、思考も感情も全く納得していない事に気付き言葉を止める。
幽閉と虐待は違うから、ではない。前触れもなく現れたレギュラス・ブラックとお膳立てして世間に戻るバーテミウス・クラウチ・ジュニアは違うから、でもない。
口元を覆いながら渋面を浮かべて頷かない私に灰と紅の視線が注がれているのが分かる。疑問に思っているだけで急かされている訳ではないので少し待たせてから、整理出来たものを声にする為に閉じていた口を再度開いた。
「道具として振る舞えとの命令であれば、そのように努めます。けれど、心からそう接するかまではお約束出来ません。私は司法に対する嫌悪感からバーテミウス・クラウチ・ジュニアの立場に同情しているだけで、直接本人とお話した事がないのでアークタルス様やレジーのように慕えるか分からないんです」
私は根の腐った司法に拾い上げて貰えず、虐待や中傷という傷付けられるばかりの境遇に同情したから傍にいたのではない、会話を交わし彼等が彼等であるからこそ隣に立ち続けると決めたのだ。
一見、相手の個を重視した綺麗で無私の理由に見えるが、彼等を指す部分は権力を持つブラック家の人間と言い換えられるので割と一般的な欲に塗れている。もっとも、流石にその辺りを外には出す程の間抜けではない、目はサングラスで覆っているので流石にアークタルス・ブラックでもこの腹の底までは読めないだろう。レギュラス・ブラックとは違い、彼の場合は読めたところで微笑みながら受け入れてくれそうではあるが。
柔らかさも温かさも欠けた好意を音にしてアークタルス・ブラック反応を伺うと、どうにも君の誠意は読み辛いので間違えると若干楽しげな声で零された。
「では、まずは君個人の判断に委ねよう。慕えないと感じたならば、道具に徹しなさい」
そこで私を外すのではなく続投させるのは信頼されている、からではないだろう。
状況的には私でなくとも務まる仕事だ。ブラック家が所持する演技力の優れた他の誰かでも同じように絡め取れる、寧ろ、これからホグワーツに通い時間的拘束が発生する私に割り振るのは良手といえない。エイゼルがこの場にいたら喜々として噛み付きそうな隙だが、幸いあの子はここにいない。
アークタルス・ブラックが言い間違えなかったようにバーテミウス・クラウチ・ジュニアは無実ではない、別件には目を瞑りブラック家の力で無罪を勝ち取るのだ。
何らかの問題が生じてその部分をマスコミや世論から突き上げられた場合、利用と操作が容易いのは無機質な代理人よりも司法に裏切られた子供という立場を持つ私だ。彼を切り捨てるのならば騙された幼い被害者として、支配するのならばブラック家との直通交渉窓口として、庇護するのならば悲劇に見舞われた付添人として機能する道具はそこそこ使い勝手がいいだろう。ブラック家の代理人が出張っては世間からの反発を招きかねない。
また、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは死喰い人だ。ヴォルデモートの身柄が確保されていないうちは、闇の陣営から離反したレギュラス・ブラックにはあまり関わらせたくないのだろう。最悪の場合、ブラック家が直接襲撃を受ける可能性も考えられる。
レギュラス・ブラックのように私に入れ込めば御の字、最悪でも緩衝材か時間稼ぎの代わりにはなる、というところだろうか。
しかし、私にはヴォルデモートのようなカリスマ性がなく、彼には主人以外に縋る相手が存在しない為、どれだけ上手く寄り添っても最終的にバーテミウス・クラウチ・ジュニアは闇の陣営に属するだろう。
だからこそやる価値は十分ある。現状、ダンブルドア側の動きはブラック家経由でそこそこ分かるのだが、闇の陣営側の情報は殆ど手に入っていないのだ。ユーリアンの予測をより正確にする為に、端書程度であろうと情報が欲しい。
隣のメルヴィッドが保護者の顔であまり深入りし欲しくないと口を噤んだまま語っているが、声に出して静止しないのであれは演技だ。明らかな悪手ならばこの時点で彼がアークタルス・ブラックへ静かに反論しているだろうから。
「承知いたしました、アークタルス様」
「期待しているよ」
そこで軽く膝を叩いたアークタルス・ブラックは一呼吸入れ、だから嘘吐きだと言っただろうと幼い少年のように悪戯っぽく呟いた。ならば私は構わないと母親のような態度で示すべきだろう。
サングラス越しでも明確に分かる笑みを浮かべ、今後も喜んで騙されますと無言のまま返答を紡ぎ一連の会話を終える、事が出来れば良かったのだがレギュラス・ブラックがまだ奈落の底で引き伸ばされた真綿のような笑顔を浮かべている最中なので続行だ。
流石に祖父と兄が同席する部屋で弟に窘められるのは視線を気にするだろうからと腰を浮かせる前にメルヴィッドの手が肩を押さえ、このままでいいと囁くように語りかけながらソファに戻してからアピールの為に額へ親愛のキスを落とす。見ると、彼等の方から場所を変えてくれるつもりなのか、軽く細い音を立てながら独りでに開いた扉の向こうにはこの部屋と全く同じ構造の部屋が出現していた。つくづく魔法とは何でもありだと思う。
祖父から言葉を掛けられたのか顔を上げたレギュラス・ブラックは普段の表情を取り戻すが、纏う雰囲気はまだ粘度の高い泥のように渦巻いていた。直前までパーティで見せていた若葉のように輝かんばかりの表情は全て薄暗い感情に隠されている。
聖マンゴの二の舞いにならないように、そう気持ちを改め立ち上がりレギュラス・ブラックの傍らに膝を付いて手を握ろうとする直前、温かく乾いた手が通りすがりに私の額をゆるりと撫でた。
「また後で。レギュラスを頼んだよ」
あの時と同じ言葉を口にして、今度はアークタルス・ブラックがメルヴィッドと共に部屋を出ていく。
柱時計が時を刻む音を聞きながら吐息を零した私は片膝を絨毯に付けたまま死体のように冷たい手をやんわりと握り、子供の持つ熱を手の平から分け与えながら微熱を帯びたような灰色の瞳を見上げた。