𩹉とパニールのフリット
「君にはホグワーツの魔法計算装置、プライマリ制圧の糸口となって貰う」
どうやら、私に付与された校長に次ぐ異常に高い権限と手引役としての本命はこれだったようだ。白状などせず隠し通し、私だけの為にブラック家が尽力したと印象付ければいいものを、と一瞬でも考えてしまうのは吝嗇で阿呆な小者だからだろう。
不測の事態に陥った場合、最終的な責任を負うのは私である。
無知の子供を嵌めて諸々を擦り付ける行為に抵抗や罪悪感を覚える大人も中にはいるだろう、まあ、大多数は後ろめたさよりも、何も知らないこんなのを頼って大丈夫かという不安の方が大きいからだろうが。
また、権限を持つ者として敵対勢力相手にはったりをかまさなければならない事もあるだろうし、何より、沈黙と隠蔽は保護者であるメルヴィッドからの心証を損ねる。内容を吟味し同意を示したという経緯は、どれだけ芝居じみていたとしてもあった方が断然良い。
「具体的には、何をすればよろしいのでしょうか」
「まずは責任者としての仕事を。次に、盗まれた偽のハッフルパフのカップの確保かな」
「確保、ですか」
「不満かな?」
「いいえ。ただ、偽のカップの場所が判明しているにも関わらず、私が駆り出される理由が分からなくて。正面からプライマリを制圧出来ない理由はハウスエルフの数が負けているからだと予測出来ますが、城の警備強化を理由に既にホグワーツ内部まで技術者を送り込める状況なので、私の出番はないものだと思っていました」
戸惑いを隠さずに言いながら、昨日の昼間に目を通した書類をもう一度振り返る。
偽のカップはグリンゴッツから消失しホグワーツで発見された、としか書かれていなかった。経緯は全て省かれ、その先のアクションについても継続調査中としか触れていない。
捜査手順を濁し今現在ホグワーツ内の何処にあるのかを明記せず回収も行わないのは罠として設置を継続させているからだとばかり思っていたが、アークタルス・ブラックの口振りからすると何らかの理由で手が出せないでいるのだろうか。
ブラック家の面々やPen.G.S.が私の張った雑な罠に引っ掛かるとは到底思えない。また何かを試されているのだろうか。
「ああ、そうか。エイゼル対策で詳細は省略してたから。その偽物のカップ、今はまた行方不明になってるんだ」
また行方不明、という単語に軽く首を傾げると、ティーカップから杖に持ち替えたレギュラス・ブラックが分かりやすく視覚化しようと杖先を振り、私が一番見やすい位置に淡く光る文字を出現させる。
「グリンゴッツから偽物のカップが盗み出された時、犯人はかなり高度な魔法を使ったみたいでスティング・ワンでは捕捉も追跡も出来なかった。当初は発信魔法に気付かれて解除されたと考えられていたんだけど、土曜日の朝に1時間だけ、スコットランド方面から微弱な反応を拾えたんだ。それも毎週ね」
「盗み出すまではスティング・ワンですら対応出来なかったのに、ですか」
「うん、僕等も罠だと考えている。だからプライマリの権限を持つに後方支援を依頼しているんだ」
柔和な笑みを浮かべつつ、間違っても前線に出るのは許さないと言外に釘を差してきたレギュラス・ブラックには少し固い笑顔で了承しておこう。表情がぎこちないのはこの子の所為ではなく、特異な能力がなければ詰んでいた間抜けな自分を恥じてだ。
ルドルフ君を抱え込んでシーツおばけになりたい願望を抑えつつ紅茶で口の中を潤し、7割方溜息で構成された吐息をついてから内心の羞恥と混乱とを背に回して、支援の為の情報が要ると表情を作り上げ顎を上げた。気持ちは全く切り替わっていないが、そうしなければならない。
「スコットランド方面という情報だけでホグワーツに隠されていると断定出来た理由を教えていただいても?」
「周期的にホグワーツから受信出来たんだ。順を追って話そう。マグル避けばかりが話題に上がるけど、姿現しや姿くらましの防止呪文がかけられているようにホグワーツはこの手の魔法からも強固に守られている。プライマリは敷地の境界に探査阻害魔法を恒常発動していて、正規ルートから打診しないと返信が貰えない仕様になっているんだ」
「応答手段そのものはあるんですか?」
「でないとイレブン、僕達が勝手に付けた魔法省側の名称だけど……そこと繋がっている梟が手紙を届けられずに困ってしまうからね」
「ああ、確かに。それは困ってしまいますね」
話しながら無理矢理脳内を落ち着かせ、思考を現在に寄せながら過去の諸々から全力で目を逸らす。過去を顧みず現在を直視していると文字に起こすと幾分か格好良く聞こえない事もない、実際にやっている事は酷いものだが。
「毎週土曜朝の1時間がヒントなのでしょか」
私が格好の付かない爺なのは今更だ、馬鹿な考えで多少落ち着いたのだから舌に脳を追い付かせて本格的に気持ちを切り替えよう。
正規ルートがあるのなら梟に偽装して、とするのはあまり勧められない手段だ。私の存在を理由に好きなだけホグワーツに人員を投入出来るのならば態々違法な道を選択する必要はない。阻害魔法が敷地内全体ではなく境界上ならば、内部に踏み入れてしまえば後はどうにでもなる。
だからこそ問題として浮上するのが、何故スコットランド方面という曖昧な位置からホグワーツを割り出せたのかだ。レギュラス・ブラックの話では勘ではなく確信を得て踏み込んだようなのだが、ヒントが手掛かりになっていない。
心当たりを欠片も思い付かないまま眉間に皺を寄せる寸前の私を見て、レギュラス・ブラックは初めに言ったように追試験のつもりはないから答えを教えると笑った。
「ホグワーツでは毎年2月初旬から12週間、6年生が土曜日の朝に1時間だけ姿現しの訓練を行うんだ。その為に、防止呪文が一部だけ解除される」
「では、偽のカップはその解除された一部にあると考えても」
「いや、国内にある限り受信出来るよう発信魔法はグリンゴッツの敷地外に出た瞬間から広範囲出力になるよう調整した、だからホグワーツ城内としか言えない。最後の反応は5月中旬で、場所は8階のとある部屋の前までだ。ダンブルドアがその部屋への立ち入りを禁じている事もあって、の後押しがない限りその先へ進めない」
「正確には、私の権限は校長の下なので制限自体の解除出来ませんから、プライマリを通して部屋の内部の情報収集ですか。となると、盗んだのはダンブルドア陣営と疑った方がいいですね」
「残念ながら今回に限っては、5割くらいの確率かな。あの部屋はホグワーツの中でも特殊な場所らしくて、内部に望む環境を強く意識しない限り出現しない条件付きの部屋なんだ。だからカップの有無は関係なく、の護衛の為にPen.G.S.が城内を自由に出歩くと判明した時点で立入禁止にした可能性も考えられる」
誤った結論に誘導しようとしても真正面から否定され続け、ダンブルドアから貰った最悪のファインプレーに苦虫を噛み潰したくなる気持ちを堪えながら情報を纏める。
ブラック家は現在分かる限りの範囲で正解を当てている。
偽のカップを盗み出したのはダンブルドアではなく私であるし、5月の中頃は丁度、諸々の道具が揃い愉快な宝探しの仕込みを終えた時期だ。そして私が入室制限を設けていない以上、その件に関してはほぼ間違いなくダンブルドア側の行動だろう。
せめて入室制限と信号の消失が同時だったら罪を擦り付けられたのに、しかし、発信魔法にすら気付かなかった間抜けの爺がそんな所にまで対処出来るはずがない。大体、生物の内部に隠されると魔法が阻害される事すら今知ったのだ。
タイミングから逆算すると、必要の部屋に入れられた後も捕捉出来ていた発信魔法が途切れた原因は、偽のカップが川トロールの体内に入ってしまったからだろう。何処かで聞いた設定だ。世界に散らばる7つの玉を集めて呼び掛けると願いを叶える龍の神が登場しそうな気配がある、実際それはただの気配に過ぎず、合致しているのは数字くらいで登場するのは闇の帝王且つ願いを叶えてもくれないのだが。
そんな事はどうでもいい。
今は偽のカップをどうすべきか考えなければ。
「」
脳が沈み込む前にメルヴィッドに名を呼ばれ顔を上げると、よく分からない感情を帯びた目で見られた。虚無ではない、むしろ複雑で大きな感情を押し殺したようなそれを不思議に思い口を開きかけるが、彼の白い手はアークタルス・ブラックを示した。
「、あまり真剣に悩む必要はない。君は部屋を開ける事だけを考えなさい、以後の捜査はPen.G.S.やスティング・ワンが片付ける」
「そう、ではありますが、今までの状況から推察すると偽のカップを盗んだのは」
「を通じて情報を得た・達だろう。更に別の勢力の介入も考えられるが、こちらは可能性が低い」
言いながら、アークタルス・ブラックの目が何も見えないはずの外へ向く。あちら側に残されているエイゼルの事を言っているのだろう。
「しかし、誰が犯人だとしても部屋を開けない事には次へ進めない。そうだろう?」
「ええ、仰る通りです。アークタルス様」
固まり続けている笑みをどうにか柔らかくしようとして失敗する。糸のように絡まる思考を止める事が出来ない。
このまま私がブラック家の監視下でホグワーツを掌握するのは非常にまずい。下手な動きを見せたらダンブルドアに向かっていた刃先が私の喉元へ向けられる、最悪の場合、それが私ではなくメルヴィッドになる可能性も考えられる。
最善の愚策は放置だ。ただ、場所がまずい。必要の部屋だからではない、私が何も考えずに模倣した外観だ。あれが首都圏外郭放水路と判明した場合、将来的に最悪の自体に陥る可能性がある。
私ではない私が日本人である事は既に確定している、そもそも名前が露骨に日本人のものなので最初から隠してすらいない。しかし、未来人であったと知られてはならないだろう、特に、ブラック家には。
この一族に並行世界が存在すると確信された場合、物資を廻る異世界への侵略戦争が起きかねない。理論を技術にする力が今の彼等にはある。スティング・ワンだけでは対処は難しくとも、ホグワーツのプライマリ、魔法省のイレブン、そしてメルヴィッドという天才が揃えば複数人を一挙に送り込む事だって不可能ではなくなる。
風と桶屋程度の僅かな可能性かもしれない。けれど、ブラック家ならばやると私の内なる本能が警告しているのだ。私はそれを否定も、無下にも出来ない。
今の内に、可能性の芽を潰さなければ。私は何を、どうすればいい。
この後、必要の部屋に手を加える行為は推奨出来ない。恐らくプライマリに履歴が残る、私はその消去法を知らない。イレブンと同じ仕様の可能性も高いが、ブラック家が監視している中で危険は犯せない。プライマリ掌握後も同様の理由で無理だ。
日本まで飛び首都圏外郭放水路の設計図を無き物にするくらいなら、必要の部屋そのものを消失させた方がまだ楽で確実だろう。いっそホグワーツ城全てを跡形もなく破壊して、駄目だ、プライマリがハウスエルフ基盤である以上、情報がどうしても残ってしまう。やるならばハウスエルフの殲滅だ。
殲滅も虐殺も構いはしない、問題はどのような手段を用いるかである。
ハウスエルフの食事に毒を混ぜ、疫病を装う方法が最適か。だがそれには時間がかかる、薬剤の入手も困難だ。事故を装うにも彼等を纏めて相手にするのは不可能だろう、数人殺したところで危険を察知した残りが逃げてしまう。就寝中に殺して回るにしても、勤務形態から考えて彼等はシフト態勢を組んでいるだろうから誰かが必ず起きている、それではどれだけ上手く捌いても3分の2は生き残る。
私1人に対して1000人は多過ぎる。しかも、短時間で1人も取りこぼしてはならないという条件があまりにも厳しい。
ああ、違う。今回は殺しても何も解決しない、このタイミングで問題を起こす行為そのものがへの疑惑をより強固なものにしてしまう。
視点を変えるべきか。いっそブラック家の方を潰すか、こんな下らない事でそこまでするか。ブラック家から偽のカップへの関心を失わせる、あんな怪しい動きをした物に対して、それこそどうやってするのだ。空想に過ぎる、出来るはずがない。
ジョン・スミスから本物のハッフルパフのカップを盗み出し、ユーリアンを作り出したと偽装したタイミングで外観を変更、これも使えない。レギュラス・ブラックを蘇らせた際の言葉に矛盾が生じてしまう。更に、ハッフルパフのカップとスリザリンのロケットは同一時期に盗まれた物だとブラック家は知っている。年上ならまだ苦しいながらも誤魔化せる、しかし明らかに10代のユーリアンでは時系列の辻褄が合わなくなってしまう。
ほんの僅かな幸運、偽のカップ捜索を担当として割り当てられた状況を利用しなければ。
否、本当にこれは幸運なのだろうか。他に思惑はないのだろうか。
そもそも、何故偽のカップの捜索なのか。偽物を使用したプライマリのチュートリアルとも考えられるが、私ではない私が持ち去った可能性の高い代物を敢えて最も親しい人物に捜索させる理由は何だ。
ブラック家は、何を考えている。
少なくとも、スティング・ワンは私の魂がハリーの肉体に馴染んでいない事までは突き止めた。そもそも、それがおかしい。何故、スティング・ワンは私の輪郭を認知出来るのだ。
本来の私は、生死の境界が曖昧な存在にしか認識されないはずなのに。
実際、スリザリンのロケットをすり替える為にブラック家へ浸入した際、クリーチャーは私を認識出来なかった。メルヴィッドの言うハウスエルフ基盤の分散処理有機コンピュータが正しいとされるなら、おかしいではないか。
死を司る部位は何処にある。まさか、ブラック家の屋敷内で晒し首にされているハウスエルフと、魔法省の神秘部に設置されている水槽。あれは共に、演算装置として使用するハウスエルフの脳を収める容器と考えるべきだろうか。
しかし神秘部のそれが装置に繋がれたハウスエルフの脳だとしたら何故魔法省側のシステムであるイレブンは私を捉えられない、それとも神秘部の脳は演算処理の為の部品ではなくブラック家の晒し首だけがスティング・ワンに接続されているのだろうか、だとしても、このタイミングで装置の存在を開示する意味が分からない。プライマリは兎も角スティング・ワンは告げる必要がない、普通は。
ここまでの証拠があるのに、私ではない私が偽のカップを持ち去ったと頑なに断言しない理由は何だ。
証言が噛み合わない。絶対におかしい、けれど、原因は何だ。
間違っているのはどちらだ。或いは、誰が嘘を吐いている。私が思い違いをしているだけなのか、試されているのか、甚振って面白がっているのか、そうとは思えない。
思考がから回る。メルヴィッドからの援護が欲しい、しかしこのタイミングで縋るような目で彼を見るのは拙い事くらい分かる。せめて、空気を変える為の何かがあれば。
「眉間に皺が寄っているね、まだ考え足りないのかな」
ごく普通に笑っているはずのアークタルス・ブラックが、外の闇よりも底知れない表情を浮かべているように見えた。