曖昧トルマリン

graytourmaline

ボード・ブリー

 一頻り過去の学生生活を思い出し終わったのか、ロザリンド・バングズは肩の力を抜き、うちの社員が護衛している以上はトラップとして使う機会など絶対に訪れる可能性はほぼなく、書籍本来の用途として私の指先で背表紙を擽られるだけだろうとススピロ・ア・ラ・リメーニャを片手に微笑んだ。
 実力に裏打ちされた自信は大変結構だが、レイブンクロー生の手癖の悪さに関してが全く否定されない辺りが筋金入りである。
 幼いハリーを騙して殺し所有する全てを奪った私にはある意味お似合いの寮なのかもしれないが、窃盗ではなく強殺なので普通にどの寮からも拒否されアズカバン送りが妥当だ。
 しかし、確かな記憶によると、ハッフルパフは創設者の意向でどのような生徒でも受け入れる、つまり、ホグワーツに入学した時点で全生徒に入寮する権利が与えられると解釈可能なので、その点から踏まえると組分け帽子にはこの5年間の全てを正直に話せる、はずがないだろう。
 卒業生から集めた見解を比較した結果だと提示出来るようハッフルパフの負の面を様々な人間に語って貰うのが手堅い手段だが、それは後回しだ。今でなくとも問題ない。
 私には先にやるべき行動があった。
「ローザの仰る通りですね。本は本として、カードはカードとして楽しみます」
「カード?」
「レジーから魔法界製の爆発するカードゲームもプレゼントしていただいたんです。ありがとうございます、お時間が出来たら遊び方を教えて下さいね」
「勿論、最初からそのつもりだよ」
 魔法界では広く知られている玩具、爆発スナップの事だとサングィニが理解する傍らで、クリーチャーが酷く複雑そうな表情を浮かべている。魔法使いの子供ならば誰でも知っているカードゲームを初めて手にした私を哀れんで、という顔ではない。
 サングィニ、そして私が浮かない顔をするクリーチャーの心配をし始めた事に気付いたのか、レギュラス・ブラックは幼い頃に不注意で前髪を焦がした記憶からだろうと何でもない日常、ハウスエルフ的には血の気が引くような過去をさらりと告白した。
「威力も一番弱い製品だったから怪我もなかったんだ。それよりもクリーチャーが責任を感じて火掻き棒で自傷行為を始めたショックで泣き喚いたよ」
「何故に貴兄はその身を蔑ろにするのだ」
「昔の所業に御座います。今は、そのような罰を謹んでおります故」
「それは主人が悲しむからではないのかね。そうではなく、自身の為に」
「クリーチャー達ハウスエルフは、吸血鬼とは異なる種族なのです」
 何だかんだ文句を言いつつも友人同士にしか思えない遣り取りをしている2人が微笑ましく、少し浮ついた気持ちで手元のケーキを切り分ける。それを口へ運ぶ前にレギュラス・ブラックと目が合ったので差出してみると、メルヴィッドが焼いたケーキだからか笑顔で食べてくれた。
 餌付けする番がようやく回って来たと歓喜しつつ再度ケーキを差し出せば、また素直に口を開けてくれる。しかし、三度目には無言で満足気な笑顔のままフォークを奪われ、結局また食べさせられる事になった。ロザリンド・バングズは私達の間にのみ起こる理解を超えた現象は次元の彼方のものか、存在しないものとして扱っているのか、黙々と甘いデザートを消費している。
 さて、それではと気持ちを切り替えようとした所で、当の彼女が爆発スナップはシンプルな性能だから場が盛り上がりやすいと話題に乗って来た。そうだ、忘れかけていたがこの女性は立派なアドレナリンジャンキーだった。
「爆発スナップでポーカーやブラックジャックに興じるのは、娯楽やストレス解消よりも確執と火種の温床になりそうで怖いんだけど」
「プレイヤー側はそうなるな。だが、観客は楽しめる。親睦会のインディアン・ポーカー爆発バージョンは社内レクリエーションでも盛り上がる競技の1つだ」
 非常に楽しそうではあるものの親睦会という名を冠した人間関係破壊系レジャーの間違いではないだろうか、という疑問に至ったのは私だけではないらしい。レギュラス・ブラックは優しげな笑顔のまま、爆発スナップはジョークグッズとして贈った物だから玩具箱の一角を占領したままで構わないと即行で手の平を返した。自分で選んだにも関わらず、というよりは、自分で選んだからこその翻意なのだろう。
 一連の遣り取りを何時の間にか聞いていたらしいサングィニが、人間とは数奇な存在だと人外感溢れる感想を述べたので早速訂正が入った。
「可怪しいのは彼女だから人間で一括にしないで。はちょっと体験してみたいなって顔をするのを止めよう、メルヴィッドもエイゼルも絶対に付き合わないから興味を持っても意味がないよ」
「キャップならば、きっとこのスリリングな遊戯にも」
「口に出してくれた事を感謝するよ。絶対乗らないよう厳しく言っておく」
「サングィニ様も一緒に如何ですか」
「手近な所から仲間を作ろうとしない」
「私は嘘が苦手なのだが、楽しめるのだろうか」
「大丈夫ですよ。私も駆け引きが苦手ですから」
坊ちゃん、サングィニ様、マチェドニアは如何でしょうか」
 主人の話を無視する態度を看過出来なくなったのか、私は手当り次第声を掛けるのを止め酔い潰れて寝ていろ、サングィニは腹でも下して黙っていろとクリーチャーが援護に回る。そんな彼から視線を上げると、正直者同士のインディアン・ポーカーは白けるだろうと内心を全身に滲ませるロザリンド・バングズと、会話対象が変更された事で笑顔の種類も変えたレギュラス・ブラックが確認出来た。
「サングィニ、この子が怪我をしたらトランシルバニアへの援助内容を再考するから」
「それは困る」
「申し訳ありません、レジー、サングィニ様。お遊びが過ぎました」
 際限なく構ってくれるので調子に乗った、クリーチャーが苦言を呈す前に私が止めるべきだったと反省すると、流石に今のは冗談だとレギュラス・ブラックも許しを与えてくれる。
 本当に冗談だったのかを問いかける程、私は馬鹿ではない。
「僕も保管したまま忘れ去っていいと言ったけど、少し言い過ぎたかな。爆発の威力もそんなに強くないから神経衰弱やクロンダイクみたいに全部のカードを床に置いて遊ぶのなら止めないよ、でもインディアン・ポーカーは絶対に駄目、万が一破片が目に入ったらと考えるだけで不安になる」
 何時破裂するか判らない爆竹を手に持ち続けていたり、況してや額に当てて遊ぶのは止めてくれと保護者の顔で説明するレギュラス・ブラックの心配を無碍に出来ようか。髪の1本でも焦がそうものなら、幼い頃の彼とクリーチャーの悲劇が確実に再現される。
「では、レジーの言う通り普通に遊びます。下水のマンホールに突っ込んだり、このカードで敵の気を引いてAKS74Uで突撃すればいいんですよね」
「それは遊びじゃないから違うよ。違わないのかな、違って欲しいけど」
 狼狽えるレギュラス・ブラックの言葉を捻じ曲げて要約すると、アサルトライフルが問題ではなくカードの使用方法に問題があるらしい。
 ならば素直に礼を言おうとロザリンド・バングズにコーヒーを手渡しながら物騒なプレゼント内容に感謝の言葉を述べると、軽く手を上げて受け答えされた。その間に、目線と言葉はレギュラス・ブラックへ向かう。
「そのような使う方もあるにはある、ただし、仕事中の我々がそのような状況に陥る事はまずない。護衛対象のに行わせる事は更にありえない。あの銃はと我々が分断された時に用いる護身用だ。それと君にも言いたい。マンホールは止めなさい、メタンガスに引火して爆発する危険がある」
 その爆発風景を知っているからこそ自分の手で再現してみたい、毎年の風物詩、中国の春節名物のそれを期待しているのだという表情は、本気ではないと悟られたのか無視された。確かに今は、爆竹程度の威力しか持たないカードよりも、殺傷能力が標準装備されているアサルトライフルの方が大切な話題だろう。
 もっと慌てふためくと思ったが冷静だと濃いコーヒーを片手に言われたので、驚きよりも感謝の方が大きかったとケーキを完食してから返答した。
「包装紙を開けた瞬間はパニックに陥りましたよ、キャップの度を超えたプレゼントがなければローザの元へ突撃するくらいには。実銃でしたし」
「何故モデルガンではないと判ったのかね」
「私も男の子ですから」
 不思議そうに顎へ手をやったサングィニが即座に納得したので慌てて訂正をする。彼と私は似ているが、より生真面目だというクリーチャーの発言を忘れていた。
「才能に左右されない一定化された威力、CQBに優れている、子供でも扱える重量、兎にも角にも頑丈で壊れ難い、この辺りの総合的な実用性から判断しました。ローザはマグルの社会も経験していますから、男の子受けする銃ならばDL-44 ヘビーブラスターピストルのような有名で格好いい架空銃を選ぶでしょう? 実在する銃ならば、そうですね、ソードオフ型のM1887か、M36 チーフ・スペシャル辺りを」
「所々で構わないので、至急通訳を頼まれてくれないか。彼は私と同じ言語を話していると思えなくなってしまったのだが」
「クリーチャーにも判りかねます」
「僕も詳細な説明は無理だからローザに」
「因みに好きな銃は?」
「デザインならMP5Kコッファー。気になっているのはブローニングM2重機関銃です」
「理解出来る所だけ理解して潔く諦めよう、サングィニ。大して重要な意味はない」
 この世界でも元の世界でも銃に関わりが猟銃以上にはない国民ではないので、好きと呼ぶより手元にあったら嬉しい程度の知識で挙げてみると、私以外の男性3名は早々に離脱を表明した。
 銃に体が合わないクリーチャーと、そもそも銃を必要としない人外のサングィニは置いておくとしても、レギュラス・ブラック辺りは最悪の事態を避ける為にハンドガンの一挺でも持っていればいいのにとは思う。いや、早まった。よく考えてみると彼の周囲を固める護衛が持っているはずなので不必要といえば不必要か。
「重機関銃は訓練を眺めるだけにしてくれ。鞄持ちに関しては、やりたがる社員がいるか探してみよう」
 眺めるだけという辺り、彼女の会社は重機関銃を所有していて、しかも隠していないようだ。流石と感心する前に恐ろしさがやって来る。正面衝突しないよう立ち回らなければ全ての防御呪文を貫通して肉体が消し飛ぶ。
 鞄持ちというのは、こちらは文字通りの意味ではなく私が口にした珍銃的な意味だろう。アークタルス・ブラックなら理解出来るが私の鞄持ちなど何の意味もない上に、アドレナリンジャンキー企業にそのような行動を積極的にしたがる人材が居るとも思えない。
 そこまで考えていると、クリーチャーから異議に似た言葉が上がって来た。
坊ちゃんの仰るコッファーとはハンドガンの事ですか?」
「いや、短機関銃だ」
「というか、ブリーフケースです」
 実物を知らないと謎の単語の組み合わせにレギュラス・ブラックとサングィニは揃って首を傾げ、同じく理解出来ないままであってもハンドガンではないと知ったクリーチャーが今からでもプレゼントをハンドガンに交換出来ないかと進言する。
 11歳児にアサルトライフルを所持させる行為は問題だという感覚と意識は、可哀想なくらい真っ当だ。同時に、彼が権力を持った人間でなくてよかったと思う。
「バングス社長はハンドガンを携帯しておられます」
「より正しく訂正するとハンドガンも、だ。ハンドガンだけでは射程や威力が杖と被る、彼の右目の能力も考慮した場合、アサルトライフルが最適だと事前に説明しただろう」
「速射性と連射性ならば魔法よりもハンドガンの方が有利なので、フラッシュライトのように杖を構える事を前提に現装備プラスアルファというお話であれば私も諸手を挙げて賛成出来るのですが。アサルトライフルとの交換は心許ないです」
「その杖でサポートを?」
「予備の杖はオークで出来た普通の長さです」
 一点物で長さも重さも規格外のリグナムバイタではなく、特徴のない量産品の杖をちらりと見せるとならば問題ないと飲みかけのコーヒーを空にした。
「君はそちらの能力も高そうだが、判断を下すのは実地訓練を経た後だな」
「訓練してくださるんですね、よかった」
「当然だろう。素人にいきなり発砲しろと指示は出せない、次の機会までアサルトライフルは私が一時預かりする。訓練の日程は追って知らせよう」
 実銃だけ譲り弾は独自調達して使用方法は自分の頭で考えなさいと言われる事はないだろうと思っていたが、ようやく此処で確証が得られた。
 アサルトライフルの正しい取り扱い方法などほとんど知らないから安心したと告げれば、詳しく知っている方が問題だと苦笑される。尚もクリーチャーは納得出来ない態度を示していたが、レギュラス・ブラックがホグワーツにはルビウス・ハグリッドが居るのだからハンドガンでは運勝負になると引き下がらせた。
 私としても、半巨人相手に杖とハンドガンでどうにかしろとは注文して欲しくない。魔法を駆使して罠を張っていいのなら勝機は十分にある、しかし日頃から仕掛けていた場合、生徒の誰かがうっかり発動させてしまい死ぬかもしれない。
 エイゼルとレギュラス・ブラックとグリーングラス姉妹以外ならば誰がどれだけ死んでもどうでもいい、とはこの場合残念ながら言い辛い、無関係の魔法使いの挽き肉を作り出しても笑顔で居てくれるアークタルス・ブラックではないだろうから。
「それでは、お願い致します。私は何時でも空いて、いえ、毎週水曜日と、来月の23日以外ならば何時でも空いていますので」
「水曜日はこちらも知っている。8月23日だな、判った。尤も、こちらも入学前日ぎりぎりに詰め込むつもりはないから、遅くとも来週には始める事になる。銃の扱い方の他に、弾の購入方法の説明、制服やマントの調達も同時に行うとメルヴィッドとも相談済みだ」
「ああ、先程の内緒話はそれですか。服装も同時となると、魔法界には防刃仕様の繊維があるのですか? それともケブラーでしょうか」
「ケブラーだ。その上に防弾と盾の呪文を重ね掛けだな」
「武器に鎧に盾とは、まるで戦場にでも行くような勇ましさだ」
 銃よりも謎の単語が出て来なかったので話に付いてこれたらしいサングィニがよく通る声で呟くと、男女混合、上下左右との視線がバラバラのタイミングながら全て揃った。
 ほぼ似たようなものだとは誰も言わず、サングィニもそれを何となく肌で悟ると、ロザリンド・バングズがリーダーの顔で口を開く。
「幸い、アークタルスが理事になり、この子も校長と同権限、正確には校長が拒否権を発動しない限り全てを認められる、校長より1段下の立場を得た。残り1ヶ月、出来る限りの準備を行おう。その後は逐次対応だ、決して現状に満足せず向上心を持ち続けるように」
「判りました。所でレジー、あの過剰条件を飲ませたんですか」
「協調路線ではないけれど、対闇の陣営という点だけは目標が同じだから。放置すれば勝手にホグワーツの警備機能を最新式に刷新して行くのは向こうも有り難いんだろう」
「全部が全部、ダンブルドアにとって悪い話ではないという事ですか」
「利益と感情論の半々で動くから既に何度も拒否権は発動されているけどね。色々文句や条件も付けてくるし、そうだ、認定魔法使いを特定の寮に在籍させると寮杯に影響するから君がどれだけ優秀な生徒として振る舞っても寮点に全く関われないとか後付ルールも追加されていたんだよ。代わりにはならないだろうけど、自身が誰かに加点や減点は出来るように譲歩させたから」
 それでもプラスマイナスで考えるとマイナスだと言うレギュラス・ブラックに、どうしようもない生徒達に絡まれるよりは腫物扱いの方が遥かにマシだとフォローする。
「大学受験の為に普通の勉強が出来て、エイゼルが側に居てくれるのであれば、私はそれだけで十分です」
「その辺は通したけど、本当に十分だと思ってる?」
「……正直に吐露していいのなら、出来るならば、件の3名は解雇して欲しいです」
 ミネルバ・マクゴナガルは副校長で寮監で変身術担当教員、セブルス・スネイプはレギュラス・ブラックが所属し私の本心では第一希望寮の寮監で魔法薬学担当教員、ルビウス・ハグリッドは地位こそ森番だが後遺症の点から考えると最も悪質。
 その誰もがダンブルドアの組織した騎士団に所属しているのだから、こちらが何度要望を出しても結果は決まっていた。
「ごめんね。ごめん、。あんなに、怖くて辛い思いをしたのに」
「レジーは何も悪くありませんよ。だから、謝る必要なんてないんです」
「それでも、その3人とダンブルドアさえホグワーツに居なければ。せめて、役職だけでも降ろす事が出来れば」
 頬が触れ合い背中に腕が回されるような溢れ出した愛情から来るハグとは異なる、肩や頭部を外部から遮断し守るように包み込むハグを受けている横で、ロザリンド・バングズが穏やかに聞こえる声で更に続ける。
 血の繋がりが遠く薄い兄弟の絆の再確認も大事だが、他にも気を回さなければならない事は山程あるのは皆判っているようで、彼女を非難するような人物はこの場に居なかった。
「寮への所属は必須だが、セキュリティ上の理由から個室は通った。私の部下だけでは不安だろうから、特にプライベートな空間はエイゼルに重ねがけを頼むつもりだ」
「ローザには、何から何まで」
「礼には及ばない。これが仕事で、十分な報酬も貰っている。トラブルを引き寄せる君の隣ならば、スリルも期待出来るだろう」
 レギュラス・ブラックに密着したまま、あの純金を彼等への支払いへ回してもと小声で意見を求めてみたが、不穏に聞こえる穏やさという矛盾を孕んだ声色で、その辺りは魔法省持ちだから全額出させろと反対される。
「この10年、1クヌートたりとも支援せず社会的援助の負担をマグルに全て押し付けて来たのに、君が使えると判った途端ダンブルドアの甘言に踊らされて魔法界の道具になるよう人権を奪ったんだ。それなら、対価を払う機会を与えてあげないと駄目だよ」
 ブラック家がそうであるように、利用するのならば相応の報酬をと告げるレギュラス・ブラックには同意を示そう。
 ついでに、今まで非魔法界側には事ある毎に世話になっていたので、後日寄付なり奉仕活動なりで礼をするべきだ。働き出せば税金という名の義務が自動で付属するので今までの支援分を還元出来るのだが、生憎私はそこまで長くこの世界に留まるつもりはない。今現在の時点で、魔法省からの金銭的援助をそのまま非魔法界へ流す事も、出来ない。
 とはいえ、時間が解決する事なので取り敢えずは焦らずじっくり、肉体が成熟するまでの数年間は放置しておこう。
 非魔法界関係は将来に回すとして、残ったこちらは解消しておくべきだ。
「魔法省以上に、ブラック家には人生が変わるくらいお世話になっています。動く為の機会を明確に提示していただけるのは有り難い事なので、鈍い私にも是非同じように働きかけて欲しいのですが、我儘でしょうか」
がそうして欲しいと言うのなら請求してあげるけど、僕とお祖父様の命を救い、ブラック家の道具扱いした分を僕達が完済してからになるよ」
「レジーにもアークタルス様にも、十分良くしていただきました」
「……もしかして、本気で言ってる? 僕達の命はそんなに安いものなの?」
 何となく予想していたが、金銭感覚に大きな隔たりがあり過ぎて話にならない。
 後半に差し掛かるにつれ低く平坦な声になりながら表情を消し、温度を感じさせない灰色の瞳を向けて来たレギュラス・ブラックは、割と本気で私の価値観を非難している。私は自分の為にブラック家の権力を利用する宣言は彼の中ではすっかり忘却の彼方へ投げ捨てられたようだ。
 そもそも私はブラック家を小指の先程も支えておらず、ただ寄り添っているだけに過ぎない。しかも、その理由は不純に塗れ、私とメルヴィッドの為だけなのに。
「ねえ、。黙っていないで、答えて」
「私の器は標準仕様なんです。ドッペルシュトゥックの大樽の中身全てを普通のワイングラスに注ごうとしないでください」
 多くても150mlしか注がれないグラスが2400ℓもの容量を受け止められるかと常識的な答えを返したにも関わらず、レギュラス・ブラックは雰囲気を一変させ、面白い比喩が気に入ったから真に受けてあげると肩の力を抜きながら私の頬を撫でた。
 一体何に安心したのだろう。間違いなく、私にとって宜しくない方向の結論に達したのは見て判るが。
「聞けば、たった1万と数千倍の誤差じゃないか。君も僕も魔法使い同士だから幾ら注いでも溢れる心配はない、呪文1つでどうにでもなるよね」
 駄目だ。うっかりしていた。
 魔法界側の常識を持ち出された。
 そんな便利な魔法など持ち合わせておらず呪文も知らないと反論したい、しかし、多分、出来る。拡張呪文も当然知っている。知らなければマリウス・ブラックのプレゼントに抗議を行えない。嘘を吐いても十中八九バレる、バレるのはいいが追撃で粉微塵にされる。
 こちらの世界で魔法を使い続けて早5年、メルヴィッドに愚鈍で馬鹿で間抜けだと突っ込まれた日から半歩も成長していない。この際だ、真っ当な論など踏み躙り揚げ足取りでもいい、次の言葉を見付けられないと丸め込まれる。ブラック家特有の世間から外れた基準ならばどうにか混ぜっ返すくらいは可能なのに。
 通常よりも長い時間をかけて、それでも次の言葉を考え付かず周囲に助けを求めてみたが真っ先に目が合ったロザリンド・バングズは大変あからさまに視線を逸した。彼女を責めるべきではない、私でも同じ立場ならそうする。
 クリーチャーは既に勝負ありと判断を下していて、サングィニ相手に私はこの手の交渉や言葉遊びが大の苦手なのだと冷静に説明していた。判っている、レギュラス・ブラックに仕える彼が私に助け舟を出すはずがない。
 起死回生の一手など、早々現れる訳がない。
 悪足掻きを止め緩々と首肯し、折れた事を伝えると、上機嫌のまま愛溢れる抱擁と共に頬や額に唇が降ってくる。
 この子も残り1ヶ月で共にホグワーツへ行く身なのだから、今の内に味方以外にはとてもではないが晒せない過剰なスキンシップを取っているのだろうと勝手に決め付けて受け流そうとする前に、それは突然終わりを告げた。
 それでも若干ぐったりとしている私を見下ろしたサングィニが血でも吸われたのかと冗談を言った幻聴が聞こえたので無視をする。
「呼ばれているね」
 代わりにレギュラス・ブラックの言葉に反応し、背中に腕を回されたまま何とか振り返るとアークタルス・ブラックが別荘の側で手招きをしている姿が見えた。助かった。
「ではレジー、アークタルス様に呼ばれているのならば、また後で」
「違うよ」
 その背中に回っていた腕を離さないまま、レギュラス・ブラックは退席の挨拶をして芝生の上を悠々と歩き出した。足元には追従するクリーチャー、残された2名は武運を祈るように私を送り出している。
「今度はも一緒に、内緒の話をしよう」
 まさか、追試験か。全く心構えが出来ていないにも関わらず。
 同じく遠くからアークタルス・ブラックの元へ向かうメルヴィッドと、私に向かって来るルドルフ君を確認し終えた後、呼び出された面子から話されるであろう内容に頭痛と目眩を覚えるのだった。