ポリッジ・アンド・スキリー
安堵とも取れるような感情の理由が判らず見上げ続けていると、視線が私へと移され、意図を汲み取ったかのように笑う。
「若いながら細やかな気配りの出来る当主だと感心していたのだ。こちらが求める支援の、更に先まで提供してくれる」
「それは同意致します」
この場で最も手厚い庇護を受けている身としてと続けようとした台詞を先読みしたのか、サングィニは軽く頷く仕草を停止させ首を横方向へと緩く振った。
「貴兄はブラック家の係累であり、また恩人でもあるのだろう。利害関係でのみ繋がる我々とは著しく立場が異なる」
「サングィニ様には、ブラック家の方々に個人的な思い入れがないと仰るのですか」
「貴兄の言う通り、存在しない」
思い入れ所か一瞬の躊躇すらない。まさか即否定されるとは思わなかった、彼を呼んだのはマリウス・ブラックのはずなのだが。
目を白黒させているとクリーチャーが控え目に前に出て来て、彼は吸血鬼社会に属する吸血鬼なのだと弁護のような事実を述べる。関係に差異は多いが立ち位置としてはアルマン・メルフワと同類なのか。
しかしクリーチャーとは種族の垣根を越えた長く続く深い仲だとサングィニから続けられた言葉は、名指しされた親友当人から悪縁の顔馴染みに過ぎないと被せるように訂正が入った。物は言いようであるが予想通りの反応だったのか、どうだこの気が置けない関係はとでも自慢気な表情をされる。これには出来るだけ爽やかに見える同意の笑みを返しておこう、あの子達と同様、矢張り気兼ねなく悪態を吐けてこそ親しい仲と呼べるのだ。
あの時のユーリアンとよく似た、腑に落ちない感情を顕にしたクリーチャーに敢えて何か言う必要もあるまい。仲良し判定の説明に納得をしてもあの子達の態度が変化しなかったからといって、クリーチャーとサングィニもまた同一の関係を構築出来るとは限らないのだから。サングィニ自身も敢えて説明を回避しているようなので、知られたら他人行儀な対応を取られると考えているのだろう。
「では、何故パーティにお越しいただけたのですか」
包み隠さず文句を言い合える仲良しさんを掘り下げないのならば、話題は自然とそちらに流れる。オルフォード・クラックネルへの質問と重複するがロザリンド・バングズはまだ打ち合わせの最中なのだから仕方がない、と言葉に出さず言い訳をしていると、予想外の回答が投下された。
「マリウス君から招待を受けたからなのだが」
言い終わった直後にクリーチャーが動き、細いが硬い足に向こう脛を思い切り蹴り上げられサングィニが箪笥の角に小指をぶつけた時に上げるような声と共に身を屈める。弁慶の泣き所は吸血鬼のそれでもあるらしく、中々死なない体を持つ彼等も痛覚とそれに対する反応は並の人間と変わらないと知れる。ならば、彼等と敵対する日が来たとしても一方的に追い詰められる事はまずない、少し安心出来た。
私には見せた事がない鋭い眼光で腐れ縁の友人を睨め付けるクリーチャーはすぐに我に返ると、誰の前で何をしたのか自覚したのか頭を抱え蹲ってしまった。大小並ぶ肉団子というのも中々可愛らしいではないか。
それらしい言い訳をするように取り決め、積み上げていたであろう事前準備を一撃で崩壊させたコントに軽く吹き出したが、もしかしたらサングィニの迂闊さまでが全部アークタルスによって図られた便宜なのかもしれない。これだけ隙の多い人材でも何かしら秀でた部分があるのなら協力者として認められるという、流石にそれは見当違いの擁護だろうか。
呼ばれたから来ただけだと大変判り易い理由を述べた吸血鬼は肉体的な痛みから回復すると何事もなかったかのように立ち上がり、未だ自己嫌悪から回復出来ない旧友を背後に隠しつつ咳払いする。
「数十年振りにクリーチャー殿に会いたかった。次いで貴兄への好奇心、最後にロックハート家の人間と接点を持つ為だ」
直前の行動の闇への葬り方も私と似ている。
成程、他人からの視点だとこのように見えるのか。全くの想像通りなのでこれからもTPOを弁えながら戯れて行くとして、提示された話題に乗っていこう。
「1つ、確認をしても宜しいですか」
「構わない」
「ジョイは……ジョイス・ロックハートは、魔法使いであるギルデロイ・ロックハートの血縁者なのですね」
「そうだ、本人には尋ねなかったのか」
「マイナスイメージの強い、胡散臭い著者だと感じたので」
ギルデロイ・ロックハートの著作は全巻入院中にプレゼントされ箪笥ならぬ棚の肥やしとなっている、アークタルス・ブラックは何を思ってこんな物をと思ったが、本日開催されるはずだった簡易試験を思っての事だったようだ。
見事に仕組まれ、嵌められ、踊らされている、とは言うまい。私とサングィニでは踊れてはいるが、テンポは狂っておりステップは乱雑、ホールドもリードもあったものではない。今迄はパートナー役が手慣れていたので初心者でも辛うじて社交ダンスの体裁を保っていたのに、現状だけは見様見真似で盆踊りのようになっている。
それでもレギュラス・ブラックの助け舟が見込めない以上は踊り続けるしかない為、敵対する相手への言動や価値観が毎巻大幅に異なっており、自己愛と自己主張が激しい文章の割に戦闘行為に関する思考と過程が省かれているのは疑わしいと、本だけで取得可能な情報からそれらしい文章を作り出す。
普段通りの脳筋理論だと片付けたい所であるが、新聞等の書評欄を見る限り、著者の顔の良さと筆の速さで売れているようなタレント本との位置付けらしいので一部の信者以外は皆それぞれ違和感を持っているようだ。
要するに複数の場所から美味しい所だけを持って来た継ぎ接ぎだと暗に指摘すると、既にその辺りは押さえているのかサングィニは黙って頷いた。こちらも続けよう。
「それでなくとも、狼男を人間へ戻す呪文が存在するかのような誤解を与える書籍を世に出す方と血縁者なのかと尋ねる行為は不躾です。ジョイにも、不肖ながら弟子を名乗る事を許してくださっているお師匠様にも」
しかし、間違いは誰にでもある。きちんと訂正なり何なりするのであれば顔で売るただの未熟なタレント本ならば別にそれでいいのだ。ただ、私の場合は忘却術を使った点が、サングィニの場合は将来的に火種となる点が問題になるので、全くよくなかった。
一般的には他人の功績を掠め取ったクズが最大の問題点になるのだろうが、忘却術もアイデアの盗用もそれ自体に違法性はない。映画館の上映中に携帯電話を取り出し会話するのもただのお気持ちルールで、用を足したまま手を洗わず作ったサンドイッチを友人に提供するのはルール違反ですらないと豪語するような迷惑で不潔な理論だが。
もっと判り易く言えば、嘘を吐くのは止めましょう、人の物を盗んではいけません、それだけだ。
「作中ではイギリス船籍の船内で吸血鬼への暴力行為を正当化していたので吸血鬼に関しても同様だと思っていたのですが、こちらはもう少し先に問題があるのですね。サングィニ様との会話で考えを改めました」
「そうだ、我々が真に危惧しているのは魔法界に差別意識が蔓延した後、善意の活動家達が吸血鬼の権利を正しく知るべきだと人権を持ち出し声を上げ、運動と称して一方的で過激な干渉を開始する事なのだ」
「サングィニ様、そこは一応、私に答えさせた方が宜しかったのでは」
「……では君、貴兄の意見を聞かせてくれ」
私達のコントが耳に入っているのか、クリーチャーはゆっくりと顔を上げながら具現化された絶望を見てしまったような表情を浮かべ、レギュラス・ブラックは視線はこちらに向けないまま笑顔を引き攣らせながら言葉を淀ませ、遠くのマリウス・ブラックが酒瓶を片手に腹を抱えて笑い出している。アークタルス・ブラックだけは微笑んでいた。
これらの現実からは、目を逸らそう。長い脚の後ろでよろめきながらも何とか立ち上がったクリーチャーの姿だけを正面から受け止めるべきだ。本当に受動的に受け止めるだけで、話し掛けたりはしないが。
「意見、と問われても、サングィニ様に割と全部回答されてしまったので」
「……そうか。そうだな」
「え、ええと、では判らない部分を質問しても宜しいですか。公海上にあるイギリス船籍の内部では当然イギリスの法律が適応されますよね、なので吸血鬼がレタスしか食べられないよう呪いをかけるのはかなり悪質で逮捕される事件だと思われるのですがロックハートは寧ろ称賛されています、なので、あのシリーズはエッセイと称したファンタジーなのでしょうか、いいえ、まさか違いますよね?」
早口かつ全力で主題を逸らし、酒の所為に出来るよう高そうな蜂蜜酒を1瓶丸ごと呼び寄せて勢いで押し付けると、それに乗ってくれたのか口が開かれる。
「ああ、あれはフランドルの」
「サングィニ様、そこは回答を述べるのではなく、どう違うのかと私に質問を」
「そういう事か。どう違うのか説明してくれるかな」
「少々お待ちを。クリーチャー、そんな顔をして私を見ないでください」
「坊ちゃんは鈍い方と御一緒になると逞しくなられるのですね」
「そんな結論にも到達しないでください」
「貴兄は極限状態に近付く程、身を挺する思考に寄るのが本質のようだな」
「理解しました、これは無視が最適解なのですね」
彼がパーティに来た当初の対応が最も適切で賢かったと今更ながらに納得し、目の前の2名と数歩離れた場所で同情じみた視線を送って来る他の2名の視線を全てなかった事にして口を開いた。
吸血鬼の人権が認められていない地域の船上、本来ならばフランドル船籍内で起こった事件であり、ギルデロイ・ロックハートはそれを借用して何も考えずただイギリス船籍に書き換えた。全巻から漂う違和感から読み取ると、恐らく吸血鬼を餓死に追い遣った主人公もまた彼ではないのだろうと。
まあ、流石にこの辺りは既知だからといって得意気に話すような内容でもない、ギルデロイ・ロックハート教の熱烈な信者でもない限り、10代前半の子供だってちょっと考えれば判るような事だ。
「概ね正しい。けれど、幾つか訂正と追記を」
「どうぞ」
「レタスしか食べられなくなった我等が同朋は、飢えと腹痛に苦しみながらも最期は自らの手で命を絶った。そして、同意の上での殺し合いの結果であり、不屈の精神と優れた知略で吸血鬼を打ち負かした魔法使いに敬意を表すると遺言を残している。これが訂正だ」
「はい」
「そして我等の敬意と死者の尊厳を踏み躙り、勇者を騙り利益と称賛のみを醜く貪る愚者を看過出来る程、我々は穏やかな種族ではない」
他者が育てた花の蜜だけを奪い、花弁を踏み躙りながら肥え太る乞食はトランシルバニアに招き入れて念入りに殺すと言外に告げ、握力のみで透明な瓶にヒビを入れたサングィニの肩を、私以外の白い手が叩く。
「念の為に釘を刺しておくけど、くれぐれも吸血鬼単独で暴走だけはしないでね。今ブラック家が上手く纏まるように調整しているから」
「む。忠告をさせてしまい申し訳ない、レギュラス君。つい興奮してしまった」
「吸血鬼は理性的だな。アルメリア出身の社員達はあの詐欺師の名前が耳に入る度に破裂寸前の圧力鍋のようになるから、いや、彼はあの国では名の知れた魔法戦士だったから感情そのものは理解出来るが」
ギルデロイ・ロックハートが小賢しい自己愛の為だけに割と全世界規模で被害を出しているのは知っていたが、アルメリアのような小国でもやらかしていたのか。否、寧ろ、アルメリアのように普段イギリス人の目に入らない場所だからこそ、なのかもしれない。それはそれで十分な糞なのだが。
どう転んでも人糞か馬糞程度の違いにしかならないと静かに納得していると、褐色の手がグラスに入った蜂蜜酒を差し出して来た。もったりとした甘さが強いので余り得意ではないのだが、瓶が割れた以上は空けなければならないだろう。
「あ、美味しい」
「辛口タイプだからね。は若くて軽いワインが好みだからって、お祖父様が」
「お礼、は、後にします。レジーとローザのお話は終わりましたか?」
「大体の目処が立ったから。今は、ギルデロイ・ロックハートの話? 丁度いい判断になるだろうから付け加えると、彼はレイブンクロー出身だよ。それで、知っているかもしれないけどニュートン・スキャマンダーがハッフルパフ出身」
「……行くのなら、ハッフルパフ、ですかね」
「そうか。会社としてもセキュリティの都合上、そちらの方が有り難い」
「セキュリティも問題だらけなんですか」
「あくまで2寮を比較した場合は、だな。防犯だけならばグリフィンドールやスリザリンの方が優れている、大きく離れてハッフルパフ、最下位にレイブンクローだ」
「お師匠様、そんな事は仰ってなかった」
正直な話、レイブンクロー系の情報はもう吐く程手に入れたので必要ない。何処まで下限を突破出来るのかも知りたくないくらいには既にお腹いっぱいなのだ。
それが思い切り表情に出ていたらしく、クリーチャーが気遣うような声でダモクレス・ベルビィと何かあったのかと尋ねて来た。これは即否定しなければ、彼はレイブンクロー出身者だが何も悪くない。
「お師匠様は他人の物を盗むくらいなら薬品で利き腕を融解させる方を選ぶような誇り高い方です。そんな方が、自分の出身寮を、その、全く好きではない理由を、かなり力強く語ってくださいまして」
その内容に寮のセキュリティは含まれておらず、既に語られた部分はギルデロイ・ロックハートの問題点と高確率で一致するのだと告げると、レギュラス・ブラックとロザリンド・バングズは微塵も懐かしさを覚えない諦めの目線で青空の向こうを眺めた。彼等の時代にも色々あったらしい。
「師匠というと、メルヴィッドが出てくるまではイギリス最高峰の調合師の名を独占していたベルビィか?」
「はい、ローザもお師匠様とお知り合いなのですか」
「知り合い未満だ、スラグホーン教授が主催するパーティで握手を交わした程度だからな。研究者肌の彼は私の事など覚えていないだろう」
「それは、有り得ます」
日常生活を送る能力を犠牲にし性欲すらかなぐり捨てているような一芸を極めた人間が、自身の特技と関わりが薄い魔法戦士を覚えているとは思えない。そんなロザリンド・バングズの傍らには、ダモクレス・ベルビィの名を呟きながら数秒考える素振りを見せた後で納得した顔のサングィニ。
母数の少なさから呼ばれる著名人が限られている魔法界の世間というのは、想像通り随分狭いようだ。この場合、ブラック家とホラス・スラグホーンの顔が異常に広いだけの可能性もあるが、どちらでも私には関係のない事だろう。
さて、では自分が知っている人物を相手も知っていて嬉しいと感じる少年のように振る舞い、そろそろプレゼントの話に話題を戻して行こう。
「けれど、代わりに魔法薬関係なら何でも、出来の悪い弟子の私にも大変良くしてくれる方なんですよ。スラグホーン様は勿論ですが、お師匠様も、態々楽しみにしていろと仰ってプレゼントを贈ってくださったんです」
「嬉しそうなは可愛いね。何を貰ったのか、僕にも教えて?」
ダモクレス・ベルビィ自身には全く興味がない様子を隠す事もなく、何度目かになる融けた兄の顔で宣いながら腰に手を回して来たレギュラス・ブラックは、当然ながらプレゼント内容を全て検閲しているのだろう。
それでもどうか日々の仕事で摩耗した主の神経を癒やしてくださいと、心優しいハウスエルフも願っているようなので、酒を摂取しつつこのテンションのまま続けよう。
「スラグホーン様からいただいたプレゼントは魔法界のお菓子の詰め合わせでした。レジーとクリーチャーも一緒に食べましょう」
「そうだなあ、僕は、僕のあげた食器が以外の人に使われていたら、ショックだな」
食べ物を分け合う行為は立派だがタイミングと物を考えろと即座に返され、これは私が悪いと合点して慌てて謝罪した。すると悪いと自覚したらすぐに謝罪出来るなんて偉いねとハグと頬擦りを決められたのだが、これは私を子供扱いや馬鹿にしているのではなく直前にレイブンクローが話題に上がっていたからなのだろう。
代わりに私がお菓子を頬張る姿が見たいなと、何が代わりなのか毛の先程も理解出来ないレギュラス・ブラックの希望に応え、生き生きとしたクリーチャーが瞬く間に甘味を用意した。陽の光を浴びて美しく輝くデザートの中で、私はメルヴィッドが焼いたチェリーとアプリコットのアップサイドダウンケーキを選ぶ。
因みに誰も手に付けなかったのはエイゼル作のマチェドニアであった。仕方がないだろう、昨日登場した例の恐怖の数字が印刷されたラム酒を使っているのか、魔法で冷えているはずなのにそれでも強烈に酒臭いのだから。これで蜂蜜酒を呷ろうものなら肝臓の機能が低下する前に喉が焼け死ぬ。
「それで、ベルビィからは何を貰ったんだ」
「怪物的な怪物の本です」
鞄か引き出しに仕込み手癖の悪い連中の指の何本かを毟り取ってやれとメッセージカードが添えられていたと続けると、ロザリンド・バングズは一拍置いてからそれは趣味のいいプレゼントだと若干疲れを滲ませた笑顔を浮かべ、レギュラス・ブラックとクリーチャーは顔を見合わせながら危険物に対する怒りよりも先に同情が湧くと頷き合う。
唯一寮の特性を知らないサングィニだけが蜂蜜酒を飲み干しながら人間達や親友の醸す空気を感じ取り、隣の芝と花の色を知った気分だと呟いたのだった。