曖昧トルマリン

graytourmaline

クラップピット・ヘイド

 目に見えて覇気を失ったレギュラス・ブラックの心の内を唯一推察出来なかったサングィニは判り易く首を傾げ、一体何があったのだと湧き出た疑問を顔に出した。それが言葉として放たれる前に、彼と最も付き合いの長いクリーチャーが吸血鬼社会のような教育が未だに上手く浸透していないのだと渋い顔で回答する。
「だが代償は高い。こちらの社会は個体数管理と秘匿性維持故に強権統治と監視体制で成り立っている。居住地と移動区間は制限され、厳しい産児制限が設けられている。工作員として生きるのならば移動の自由の代わりに個人情報を全て政府に譲渡し社会の為に生きる事になり、個人的な希望による人間社会への参加を希望する場合は複数の試験に合格した後に記憶改竄の義務も生じる」
 隣の芝生は青く、花は赤く見えるものだと困ったように顎を撫で、己の腰より下にある友人を軽く見下ろす姿には迷いが見られた。
 情けをかけ甘い追放処分を下した所為で数百年前から現在進行系で魔法界やマグル界に多大な迷惑をかけている連中が存在すると口にすると、追放内容を知っているらしいレギュラス・ブラックは苦笑したが、その隣で魔法使い達はそれを自覚する事すら出来ないのだと老いた瞳が更に嘆く。
「そのような過去から思想犯の監視と取締を可能にする治安維持法が多数から支持されているだけでも大きな違いに御座います。魔法界でこのような法案を可決しようにも、いいえ、そうです坊ちゃんならば」
 白羽の矢と呼べばいいのか、流れ弾と言えばいいのか、将来を見据え期待に満ちた視線を送ってくれるクリーチャーは愛らしいが、ただそれだけの理由で無茶な法案を可決するなど一体誰が出来るのだろうか。否、そうなる前にこの世界から逃亡するつもりなので、私の中では起草案すらなく手を付ける気もないのだが。
「戦争の勃発や感染症の大流行のような緊急事態時に専門家監修の元で強権が発動出来るような法案とシステムは必要かもしれませんが、流石に恒常では出来ませんよ。万が一通せたとしても、現状の魔法界では親マグル反純血主義が多数を占めているようなので施行した途端捕まるのはレジーや私達になってしまいます」
「……クリーチャーにも、ハウスエルフにも政治に参加する力さえあれば」
 零れ落ちた彼の言葉に僅かにでも表情を曇らせたのは私だけのようだ。
 衆愚政治との言葉が脳裏に過ぎった事を悟られるのは少しまずいかもしれないので、方向を少しだけ変えよう。
「ハウスエルフの参政権を含めた人権意識の向上については論じるべきだと思いますが、今回は目的を見失っていますよ、クリーチャー」
 必要なのは反純血主義者達の検挙ではなくニュートン・スキャマンダーのような価値観を持つ魔法使いを減らす事だと続けると、それはそうなのだが私は理知的で優し過ぎると目が曇りすぎたのか随分面白い反論をされた。クリーチャー自身の都合が大きいが、それでもそのような評価をしてくれるのは、この世界はもとより元の世界を含めても彼だけだろう。
 レギュラス・ブラックの手で拘束という名のハグを受けていなければ今すぐにでも膝を付き、老いて小さな体を両手でそっと抱き締められるのに。その思いを乗せて灰色の瞳を見上げてみても、返って来たのは断固として拒否すると意思が込められながらも柔らかい眼光だけだった。視線を下ろすと何故かクリーチャーまでもが私を離さないよう無言のまま主人に訴えている。潔く諦めよう。
 私達が本筋と全く関係のない所でアイコンタクトをしている間にロザリンド・バングズは馬乳酒を飲み干し、次の酒で盃が満たされる前に杖を手に取りながら、ニュートン・スキャマンダーの本を読んでいるはずなのに何故レギュラス・ブラックの反応を不思議がるのだろうかとサングィニに話し掛けていた。
「君の趣味は誤植探しなのだろう」
「文字や文法そのものを追う行為が好きなのだ、内容を精査し報告するのは吸血鬼に関連する事象だけで」
 読む事よりも見る事に重点を置いているとの説明に私達2人は納得し、その内、私ではない方が吸血鬼に言及していた箇所が序論にあったなと小さく呟く。
 ロザリンド・バングズの場合は仕事柄目を通す必要があったから購入しただけかもしれないが、同率でアルマン・メルフワが愚痴を零した件が彼女が学生の頃から発生していた可能性が浮上した。後者の場合、何十年単位の癒着と利権なのか想像も付かないが、出版当時既にダンブルドアがホグワーツの教員だった事は念頭に入れておくべきだろう、結論ありきである事に目を瞑れば年数的な意味合いに於いて日本の教科書謝礼問題の比ではなくなる。
 私が余所事を考えている最中にも2人の間で会話は進み、仕事に関わる部分だからなのかサングィニは該当箇所を即答していた。
「吸血鬼や鬼婆と同等の存在となる事への拒絶から、ケンタウルスとマーピープルがヒトたる存在に分類される事に異議を申し立てた脚注の記述だろう」
「彼等の肉体は人間社会の標準に適合出来ない、身体的特徴を無視して魔法使いの文化を強制されたくはないからと異説を見た事がある」
「当時の会議に通訳として出席した身として答えよう、双方の説は共に正しい。ケンタウルスもマーピープルも差別主義者ではない。四足と水中という生活を考慮しない魔法使い文化の強要を拒否し、我々の捕食対象であったが故の真っ当な選択だ。特に後者は多様性の名の下に食人鬼とテーブルを囲むくらいならば動物として縄張りに侵入した吸血鬼を先制排除すると、そのような布告も受けた。だからこそスキャマンダーも敢えて脚注として書き起こしたのだろう」
 魔法を使える、その一点のみの共通項で相対する異種族を自分達の文化の元を統合しようとする自由主義の魔法使い達にこそ問題があるのだ、そこまで語った後にサングィニは失言をしてしまったとでもいうように口元を手で覆い、辺りを見渡して緊張を解く。どうやら、以前リベラルに対して何かやらかしたらしい。
 普段出席するパーティは出来る限り口を噤めるよう陰気に振る舞っているのだが今日はブラック家に招待された保守派ばかりで気が緩み云々と必死に自己弁護する先に居たのは、レギュラス・ブラックではなくクリーチャーだった。
 中々面白い構図ではあるものの、事ある毎にうっかりを発動してメルヴィッドやエイゼルに迷惑を掛けている私からしてみると割と笑えないというか、非常に身につまされる状況なので助け舟を出そう。情けは人の為ならず、と言うではないか。
「魔法使い全体から軽蔑され、取るに足らない存在として認識される。そちらの方が吸血鬼の方々からしても都合がいいからこそ、スキャマンダーの本に訂正や追記を求めなかったのですね」
「ああ、そうだ。積極的排除の動きが出ない限りは、という条件付きではあるがね」
「その辺りの調整は僕等の仕事だから」
 発言者が私という事もあり、どれだけ下手な擁護でもクリーチャーは一旦状況を落ち着かせる為にサングィニの釈明を額面通りに受け取った。
 このまま別方面に話を流れを変えてしまおうかと思い至り、何の話題もないのに口を開きかけた直後、茶色の瞳が灰色の瞳を覗き込む。
「とはいえ、スキャマンダーは元魔法省職員だ、ホグワーツの副校長もな。そのような連中まで一般的な魔法使いと同じ思考では困るだろう、なあ、レギュラス・ブラック」
「耳は痛くないけれどフルネーム呼びと笑顔が普通に怖いな。この間、のお陰で大臣が耳を傾けてくれるようになったから魔法省には何人か捩じ込んで、ホグワーツにもお祖父様を通じて理事会側から手を打ったのは貴女だって読めているだろう。それよりも、効果が現れるのは数年かかるだろうから、この子がまた辛い目に遭うかもしれないと思うと」
「飼い主の心配を他所に、飼い犬当人は物怖じしていないようだが」
「舌禍を擬人化したらきっとサングィニのような姿を取るに違いないだろうね」
 特別揶揄するつもりはなく、明らかに一切の裏もなく本心から放たれたサングィニの言葉を受けてレギュラス・ブラックが一転、声を低くして呟いた。
 話題を逸らした苦労が水の泡となる瞬間を目撃し、成程普段メルヴィッドとエイゼルはこのような立場にいるのかと心底同情する。今後は、爺なりにもう少し考えてから物事に対して発言しよう。
「私が強気になれるのはレジーや皆様から気に掛けていただいているからですよ」
「しかし貴兄は、孤独と中傷の中で何年も命の恩人を慕い続けたと聞いている」
「ええと、全員というか特にレジーとクリーチャーから溢れ出ている感情の方向性を変える為にこの場に居ないニュートン・スキャマンダーの著作を生贄に捧げたいと思うのですが反対意見はありますかローザは勿論賛成してくださいますよねありがとうございます」
 次に失言を重ねたら攻撃魔法が飛び交いそうな雰囲気を変える為に一気に捲し立て、寸劇を楽しむような目で私達を観察しながら口元に笑みを浮かべているロザリンド・バングズを巻き込む。
 彼女は私の側に立ってくれたのか、褐色の手の平が二度打ち鳴らされ男性陣の視線を集めると、頑張るホストの悪態を聞いてあげるようにと母親のような表情で全員を尻に敷いた。口調は完全に弟と一緒に遊んであげなさいと兄に告げる母親のそれである、私は一人っ子なので実際に見た事はないが。
 レギュラス・ブラックも、そしてクリーチャーも、リチャードの話題を引っ張り出す事には特に強い忌避感を覚えているのか、指摘を受けるとすぐに表情を作り変え、に嫌われるなんてどれだけ酷い本を書いたんだろうねと甘ったるい口調で空気を塗り替えた。
 弟と呼ぶより寧ろ、幼児への接し方であるとは言うまい。幼児も老人も青少年の手を煩わせるという点で見ればさして変わらないといえば変わらないのだし。
「例として『幻の動物とその生息地』序論を挙げますが、大部分からマグルを一段下等な生物として見ている感情が滲み出ています。たとえば、魔法使いが上手く隠蔽を成し遂げてきたと喜んでいい、マグルは他愛ない説明で満足していると語った脚注で、マグルのおめでたい傾向に関するものとしてモルディカス・エッグの『俗なるものの哲学―なぜマグルは知ろうとしないのか』を推薦しています」
 彼の何が凄いかといえば、ニュートン・スキャマンダーは先達の功績を知識として所有しているにも関わらず、理解の放棄をしている事だ。
 魔法生物の隠蔽と保護が目的ならば、非魔法使いが無知である程に効果の確認が出来るのだから、吸血鬼達のように寧ろ積極的に推奨し、魔法界の外で溢れ年を追う毎に創造される美しい勘違いを慎重に精査しつつも称賛すべきだろう。その上で学者としての矜持があるのならば、正しい知識で学問が確立されているにも関わらず、国際的な情報統制からくる必然故の無知にジレンマや諦めや嘆きが発生するだろうが、これも見受けられない。
 何故隠蔽と嘲笑が両立するのかといえば、差別の正当化が目的だからだろう。知識の有無はその目隠しに過ぎない。
 先達が試行錯誤と努力の上に成した情報操作故に非魔法使い達が無関心となり、結果、無知になった経緯を無視し、マグルは語源通りの愚か者だから無知なのだとレッテルを貼る事で、だから見下す自分は悪くないと思っている。
「先程触れた不死鳥と音楽と鳳凰の関係と少し似ていますね、先にあったのは隠蔽と秘匿であり、その後で意図的に無知を発生させたんです」
 自分の望む結果を得る為に前提条件の順序を歪めていると結ぶと、思っていたよりもずっと真面目な話だったと少し見当違いな方向でサングィニが感心していた。
 イギリス国内を担当する吸血鬼工作員がこんなので大丈夫かと不安になったが、多分別の吸血鬼も居るだろうし、本当に急を要する事態ともなればブラック家が何とかしているのだろう。今は軽く冗談のように考えたが、もしかしたら本当にブラック家が何とかしているのかもしれない。レギュラス・ブラックが窶れるのも当然だ、そして私は給与と賞与と社会保障は破格だがこんなハードワークが当たり前の家系の傘下になど絶対に入りたくない。体力は持っても精神が死に能力は一瞬で枯れ果てる。
 ブラック家は是非利用し、利用されるだけの関係にしたいとの下衆な考えが表面に出る前に、ロザリンド・バングズが私の言葉を引き継いだ。
「スキャマンダーと現在の間に私の世代があるが、マグルは根本的に無知なので魔法を使用しても気付けないと決め込み下に見る輩は存在した。親兄弟がマグルなのに平然とお馬鹿さん呼ばわりする自称リベラルの差別主義者の存在に今も昔もない」
「彼等が真に愚鈍な集団ならば忘却術や目眩まし呪文、それ以前に魔法省そのものすらも必要とされない。僕等以上に社会性が高く感覚も鋭敏な存在だからこそ、あらゆる手段を講じ隠蔽工作をしなければならない。にも関わらず、それを念頭にすら置く事の出来ない政府職員が多過ぎるという、今の所は愚痴だね」
 私がだらだらと語っている間に噴出寸前の怒りは収まったのか、穏やかな声色で、だからもう少しだけ時間が欲しいとレギュラス・ブラックが告げる。その言葉の先に居るのは、ロザリンド・バングズ、サングィニ、クリーチャー、そして私だった。
 取り敢えず抱き締めたくなったのでグラスを手放し、服に染み込んだアルコールを再度徹底的に除外しつつ振り向きながら両手を上げると、何故か高い高いをされた後に抱っこへと移行される。メルヴィッド達から突っ込まれている私が指摘するのも何であるが、レギュラス・ブラックは時折、とてつもなく変な行動を実行に移す子だ。
 背後を見渡してみると、クリーチャーは物凄く笑顔なのだが、ロザリンド・バングズは私の状態を脳に入れないようにしている様子が見て取れる。平然としているのはサングィニだけだ、やはり彼には少しばかり天然要素が入っているらしい。
「我々吸血鬼の食人文化を正確に理解しろ、その上で全て見逃せと魔法界で発表した場合、勝手な言い分だと戦争になるのは想像に難くない。もしも魔法使い達が魔女狩り最盛期でもこの精神性を持ち活動していたのならば、迫害理由は魔法使いという要素以前に人間性の問題となってくるな。自己の能力を社会に還元せず常に共同体へ害を与えながら所属する存在と判断された事も、今考えてみれば理由の一端にはあったのかもしれない。種を撒かずに実だけを得ようとする者はどの社会でも歓迎されない、特に貧困と飢餓と疫病が常に隣で手を拱いている時代では」
「魔法使いは吸血鬼と違ってマグルを食べないから、それは考えられるかもしれないね。社会形成される初期の時代から魔法という特殊な能力を群れの一員として還元していた地域では、マグルと魔法使いが共存する社会が形成されていたから」
 レギュラス・ブラックの台詞が何故過去形かといえば、大体がヨーロッパに侵略されその文化は破壊されてしまったからなのだが、その辺りまで触れないのは自虐史観の拒絶や上手い言い回しが思い付かないのではなく、ヨーロッパ以外の地域の文化など大して興味がないからだろう。私も虐殺と反乱と裏切りばかりのイギリスを筆頭とした陰鬱な欧州の歴史になど大して興味が沸かない。
 それはそうとして、サングィニには未だレギュラス・ブラックに抱っこされ続けている私が見えていないのだろうか。それともこの様子は、吸血鬼的には何も可怪しい絵面ではないのだろうか、その疑問は解決しないままレギュラス・ブラックが会話に参加しているので私も右に習おう。多分その内、降ろしてくれると信じて。
「魔女狩りについて詳細を知りたいなら、狭く深いバチルダ・バグショットの著作と、浅く広いフローリアン・フォーテスキューの著作の両方を読んでみると面白いかもしれません。ただ、フォーテスキューさんはその本の所為で干されて、アイスクリーム屋さんに転職しましたけれど」
 アマチュア魔法史家でもあるフローリアン・フォーテスキューは、魔女狩りの火刑と絞首刑について微妙に間違っていた私の知識を聞いた直後、絞首刑は自らを魔女と認めた者への慈悲、火刑は認めなかった者への懲罰と訂正してくれた上で、テストで良い点を取りたいのなら彼女と自分どちらの本を参考にすべきか判るねと言ってくれるくらいには子供を気遣ってくれる人でもある。他にも別の著作でホグワーツの歴史についてやや突飛とも表現出来そうな独創に満ちた掘り下げをしているが、今は関係ない話なので横に置こう。
 ちなみに何故干されたのかに関して彼は語らなかったが、魔女狩りの存在そのものを否定したとか、大それた嘘を大真面目に書いた訳ではない事だけは知っている。
 民衆の妄想と正義中毒や教会の利権と暴走で魔女扱いされた者達が酷い迫害を受けていた事は寧ろ資料を提示して証明し、積極的に認めていた。利益を社会に還元したにも関わらず次から次へと催促されるのが嫌になり隠遁した者、スクイブの子供を殺され復讐に走った魔法使い夫妻、魔法力を持たない両親から生まれ家族を人質に取られ奴隷扱いされた子供、逆に持ち上げられて宗教の道具にされた魔法使い、魔女狩りはマグルがマグルを殺しただけの集団ヒステリー、そのような結論を彼は決して書かなかった。
 更に、実在していたならば私以上のサイコパスに違いない変わり者のウェンデリンについては著書の中で一切触れられていなかったので、もしかしたらその辺り、そしてその更に先なのかもしれない。
「マイノリティがどのように立ち回れば上手く治まるのか、魔女狩りについての本はその為の資料に過ぎないと著書の中で彼は仰っていました」
「それが他の魔法史家の癇に障り干されたのではないか?」
「私もそう思っています」
「一部の連中にとっては気に食わない話だろうが、狭い業界だからな。それよりも著者の名前は確か、フローリアン・フォーテスキューか、覚えておこう」
「ダイアゴン横丁でアイスクリーム屋さんをしていますよ、私の場合はですけれど、本も店頭で購入出来ました。そして、今日の3種類のアイスクリームもこのお店から買って来たんです。朝一番に、メルヴィッドが」
 折角だから皆で食べよう、とはならないので、レギュラス・ブラックに離して貰いミルクアイスは食べられるかとサングィニへ差し出してみる。
「甘い物はお好きですか。ミードが大丈夫なら、蜂蜜と牛乳だけで作ったこのアイスも食べられると思うのですが」
「勿論だ、吸血鬼も嗜好品を取る。態々用意してくれるとは、君は優しい子だな」
 優しくはない、作るのが好きなだけだと本心から告げるが、子供の戯言として扱われ頭を撫でられた。力強く雑な撫で方ではあったが本物の笑顔だ、子供の頭を撫でる事など滅多にないのだろう。
 ヘアスタイルを乱されながらこちらも笑っていると、レギュラス・ブラックがすかさず口を挟んで来た。判り易い、この子は本当に振れない子で思わず構ってあげたくなる。
「今まで気付かなかったけど、吸血鬼なのに花の蜜が大丈夫なのは何故なんだろう」
「蜂蜜は厳密にいうと花の蜜そのものではありません。ミツバチの唾液に含まれる酵素が花の蜜に混入して、という事は、サングィニ様はショ糖が駄目なだけでブドウ糖と果糖は問題ないのですね」
「人畜無害な可愛い笑顔で人体実験に着手しそうな事を言うのは止めようね。それ以上に、虫の唾液についてを言及するくらいなら、はぐらかして欲しかったけどね」
「カンパリの」
、もう止めなさい」
 この時代のカンパリの色付けには虫の体液が原料のコチニールが使用されていたので教えてあげようとしたのだが、それは嫌がらせだとロザリンド・バングズがやんわりとした笑顔で止めに来て、そのまま話題を戻して行った。
「本の内容にも依るが、レギュラス、後で紹介状を書いて貰えないだろうか」
「ローザ個人ではなく大佐、というよりリバーサイドとしてだよね。今年は無理だろうから来年度からとして、なら顔見知りのメルヴィッドにも口添えを頼んだ方がいいかな」
 大人の顔で仕事の話を始めた2人から少し距離を置き、リバーサイドの魔法史はホグワーツと異なるアプローチをしているとしみじみ考える。優劣があるという意味のではない、テストの形式と将来どのようになりたいのかと前提とした学校教育のカリキュラムに過ぎないのは判っていた。しかしその上で、テストが楽なのはホグワーツだけれど、授業が楽しいのはリバーサイドだろうなと感想が浮かぶ。
 胸の内に留めていたと思っていたその呟きは知らず声に出ていたようで、右上からは真っ赤な天馬のモモ肉と赤ワイン、左下からは青と白の斑模様のチーズと琥珀色のワインを無言の笑顔で差し出された。どちらを選ぶかは、手にしているストロベリー・アンド・ピーナツバターのアイスクリームを食べ終えてからにしよう。