曖昧トルマリン

graytourmaline

ランブルディサンプス

 サングィニの視線が南東を向き、グラスを持った腕がゆっくりと真っすぐ上がる。濃い緑色の芝生に覆われた緩い起伏の丘と背の低い木、牛か羊かも判別出来ない小さな白い影、その先の青空を指し示すような仕草に慌てて脳内の地図を広げた。
 スコットランドから脱出し、イングランドを掠め、北海を越えた先、オランダ、ドイツ、オーストリア、更に向こうの東欧諸国の何処だろうかと世界地図に描かれた一本の線を、彼は即座に否定する。
「私は12世紀末イングランド、ニューバラの生まれだ」
 地方版で十分だと告げて来たサングィニに隣州ではないかと言いかけた舌が急停止した。
 12世紀のノーサンバーランド州に現れたニューバラの吸血鬼、この単語と話の流れであの話を連想しない方が可怪しい。
「1196年の、アニック・カースルの妖鬼?」
 ニューバラのウィリアム修道士が書き残した英国事件史ならば流石に多方面で取り零しの多い私でも既読済みである。
 妻の密会現場を押さえようとした夫が梁から墜落死して疫病を振り撒く歩く死体となり、最後には棲家である墓を暴かれ、体を鋤で突かれた際に鮮血を迸らせたので吸血鬼だと判断され焼却処分されるという粗筋だ。誰もが知る程に有名な伝承ではないが、昭和初期の時点で明治生まれの詩人の手で訳されるくらいには知られている伝承である。
 遠く東に離れた島国でそれならば、今この姿の私が知っていても、少なくとも身近な人間達ならば不自然に思わないだろう。現に、サングィニは身の上話をする際にこの辺りを知って貰えていると話が早くて助かると頷いていた。
「当時の私はこのような姿ではなく、ありふれた背格好の人間を真似ていた。両親も兄弟達も共に動物の血肉を主食とし、植物はほぼ食べられない吸血鬼だ」
「質問をしても宜しいですか」
 初手から湧き出た疑問にグラスを持たない手を軽く挙げ、昔語りへの介入を求める。
 本来ならば全てを話し終えた後での質疑応答が理想なのだが、彼は私の8倍もの年月を生きた存在であるが故に生じた疑問を最後まで取り零しなく覚えていられる自信がなかった。しかも駆け抜けて来た時代が時代である、アークタルス・ブラックやファブスター校長以上の濃度の高い人生ならぬ吸血鬼生を送っているに違いない。
 サングィニ自身も長年の経験からこの形式に慣れているのか、慣れない講義をしなければならなくなった大人のような振る舞いをしながら私の挙動を受け入れてくれた。未だ生徒役が、お人形さんよろしくレギュラス・ブラックにハグされたままの状態で、である。
 これに関しては誰もが諦め、事態を黙認する選択をしたようだ。このまま進めよう。
「当時のニューバラでは、パンをどのように焼いておられましたか」
 レギュラス・ブラックとロザリンド・バングズは私の質問の意図を全く掴めなかったようだが、当時を生きていたサングィニとハウスエルフであるクリーチャーは理解出来たのか納得したような表情を浮かべた。
 肉食一辺倒の肉体でどのように共同体の目を誤魔化していたのかという遠回しな指摘は、各家庭に備わっていた暖炉かパン屋という言葉で解決された。
 パン屋が存在しない地域の当時の農民は領主が所有する共同のパン窯を利用しており、燃料の消費や火事が起こる可能性を抑える為に一度火を入れた後は村の全家庭が順番にパン生地を持ち込み焼き続けていた。このような場合、何故あの家だけはパンを焼かない、或いは毎回焼く量が少ないのかと間違いなく女性の間で噂になる。家の炉で麦粥ばかり食べている、パンは偶に焼いていると答えるにしても、匂いがしないと指摘されるだろう。
 しかし、ニューバラは農村ではなくアニックは彼が生まれる更に100年以上前から防衛拠点として開発された城下だ。しかも、フランスやドイツで聞かれるバナリテのように個人でパンを焼く行為を領主に禁じられていた訳でもないらしい。
 互いの生活が筒抜けの村民が決められた日取りで使う共同のパン窯ではなく、顔見知り程度の仲が小銭を片手に生地を持ち込んで焼く事の出来るパン屋のパン窯を借りるという点で村よりは噂が広まり難い。また、そのパン屋も複数軒存在していたのならば、より誤魔化しは容易となる。彼の両親、というよりも代々の先祖達はその点も踏まえて人口が多い都市に目を付け居を構えていたらしい。先人の知恵を蔑ろにしてはならない好例だろう。
 以上の事をもっと判りやすく簡潔に纏めたクリーチャーから説明を受けた2名は、抱いた感情を隠そうともせず私を見下ろす。
 内1名は、遠慮なく声にも出した。
「君の着眼点はそこなのか」
「それが坊ちゃんでございますが故」
 ロザリンド・バングズへ向けたクリーチャーのフォローなのかよく判らない台詞を聞き流していると、指摘のついでにとサングィニが説明を続け、疑われない程度には人間らしい食事を作り、それはレッドキャップのような魔法生物との物々交換に使っていたと告げられる。彼等は人間を襲う習性を持つが、それはただの本能で食べる為に殺す訳ではない。雑食性ならば携帯性に優れ保存が利く固く焼き締めたパンは取引材料になるとの事だ。それらを渡す代わりに一体何を受け取っていたのかは、今更尋ねる必要もないだろう。
 他にも、城下に居住する人間は餓死寸前の緊急事態にならない限り襲わないよう決めていたり、街全体が賑わう感謝祭のような日には疑われないよう穀物類も腹を下さぬ程度に食べていたりと、人間社会に溶け込み隠れ住む為の努力を怠らなかったと説明され彼等の我慢強さに深く感心する。
 同じ立場に私が立たされたら、彼等のよう辛抱強くは振る舞えないだろう。そんなものは面倒臭いと姿が似ているだけの食料と共生を捨て、町や村からそこそこ離れた道沿いに拠点を築き、野党となって生きて行く。思考と行動が完全に通り魔のそれだ、安達ケ原の鬼婆よりも始末に負えない。
「余りにも謙虚な姿勢に涙が出ます、それでよく家族の形態が保てましたね」
「人間を食べなかったという意味ではない、代わりに、可能な限り新鮮な血肉を得る為に一家総出で墓荒らしを行っていた。君達が呼ぶ変身術や、死亡の偽装方法と共に両親から学んだ生きる術だ」
「生きた人間を襲撃しないだけで十分過ぎる譲歩だと個人的には感じます。それよりも、吸血鬼が十字架が苦手な理由はフィクションではなく事実で、理由はそれでしょうか」
「その想像通りだ。生まれながらにして苦手な吸血鬼は居ないが、私のような過去を持つ者だけはトラウマを呼び起こされ挙動が不審になる」
 墓荒らしの技術が未熟であった頃に現場を目撃され、神父や墓守、猟犬から果ては村の男達を総出させてしまい山狩り規模で追われた吸血鬼は、教会や十字架を前にすると過去の思い出から顔色を悪くするらしい。サングィニ自身は目の悪い老いた修道士に声を掛けられただけで追われた事は一度もないと言い張っているが、隣のクリーチャーが胡乱な目で彼を見上げていた。そのように思えてしまうのは判らないでもない。
 ちょっとではなく、かなり抜けた所のある吸血鬼は私やクリーチャーの内心など知った事ではないのか、その辺りの苦労をしていない最近生まれた年若い吸血鬼は十字架をモチーフとしたアクセサリー等をファッションとして平然と身に着けており、老いた吸血鬼も魔法を使用出来た利点を十分に生かしていた者達の方が多いので十字架恐怖症は有効な判断基準にはならないと若干胸を張りながら言葉にする。
 今日のパーティの出席者の中で桁違いの最年長者の割に、彼の言動は一々可愛らしい。
「父母は我々兄弟が十分に成長した後、流行病に罹ったと死を偽装して別の土地へ移った。疫病を原因にした場合、公に火葬を望んだとしても周囲から反対される事もない」
 きちんとしたご両親だったのだなと同意する裏で、私と、そしてロザリンド・バングズとの視線が交わる。お互い何が言いたいのかは瞬時に把握出来たが、口には出さない。
 現代日本で普及している火葬炉のような設備が存在するならまだしも、野焼きのような方法で伝染病の死体を火葬した場合は逆に汚染区域が広まるのが既に常識となっている世の中だ。特に麦藁を使用した蒸し焼き火葬の場合は水分の蒸発と共に病原菌が周辺に撒き散らされたり、上昇気流に乗って遠くへと飛散する。衛生面の問題から疫病が広まる土葬とは別の懸念が存在するのだが、既に過ぎ去った過去の話とは全く関係のない知識なので双方共に指摘を飲み込みサングィニの過去に耳を傾けた。
「しかし、恥ずべき事にその頃から私は、周囲と比較すると要領が悪い吸血鬼だった。父母や兄弟達のように巧みに世を去る事も出来ずに生き延びてしまっていた」
「自殺、は流石に当時は拙いですよね。12世紀ですから」
 どの程度遵守されていたのかは知らないが、イングランドでは10世紀から19世紀初頭、記憶に齟齬がなければ1823年までは自殺者の心臓に杭を打ち込んで埋葬するよう法で定められていた。
 流石に心臓を破壊されれば死ぬだろうとサングィニを見上げると、何故か明確に肯定されず、それどころか狼狽されて視線まで逸らされた。そうか、死なないのか。
 万が一の場合、彼を殺さなければならない状況に陥った際にはドラム缶に沸かした熱湯に沈めて一晩煮込むか、骨が灰になるまで高温でじっくり焼くか、脳味噌を電子レンジにかけて丁寧に破壊しよう。それでも死なない可能性もあるが。
 それはそれとして、心臓破壊程度では死なないとなると、相当する臓器を持たず血管が蠕動する事により血液を全身に運んでいるのか、恒常魔法の変身術で補助器官を作り出しているのか、肺や腎臓のように生まれながらにして複数個所持しているのか、そもそも活動に酸素を必要としない生物なのか。別にどれだろうと構いはしないが、取り敢えずメルヴィッド達も杭で心臓を刺されたくらいでは死なないよう対策をすればいいのに、とは思う。もしも私が彼等並のスタミナを持ち合わせていたら、間違いなく恒常魔法で内臓を複製し赤血球を強化するのに実に勿体ない事だ。
 驚かないのかとサングィニから疑問が飛んで来たので、想定した中から最も魔法界的な、疑似器官ならば魔法使いでも変身術を駆使すれば間に合うと返しておく。
「私も今月の初旬にタコ足になる実験を成功させましたから、技術的には可能です」
「またタコの話題……は何でそんなに軟体動物が好きなの」
「また? いや、タコ足とはどのような意味なのかね」
 荒っぽく頭を撫でるレギュラス・ブラックは無視して、サングィニに対してタコは全身に指令を出す為の脳の他に、足を動かす為だけの脳が8個、心臓も3個あるのだと雑に生態を紹介する。エイといい、タコといい、魔法生物にも引けを取らない不可思議生態の生物が、海中には実に多い。
「ふむ、つまり貴兄は首から下がタコになる魔法を扱えるのか」
「腰から下のアースラ式です、今の所は」
「今の所はって、それどういう意味なの、ねえ。どんなでも愛せるはずなのに今この瞬間に気が変わりかけたよ、頭の下から触手を生やしてるなんて僕は絶対見たくないからね。サングィニはこの子に変な事を吹き込まないでくれ」
「アースラ式なる物は残念ながら存じ上げないが、両腕が健在ならばイカではなかろうか」
「吹き込まないでって言ってるよね」
 軟体動物嫌いのレギュラス・ブラックが強制介入し、これ以上の会話は駄目だとグラスを置いた両手が私の耳を塞ぐ。
 何故この子は聴覚を選択したのだろうか。普通は自身の耳か、私の舌の2択になるはずなのだが。もしかして、会話を続けろという彼なりの密かな意思表示なのかもしれない、と都合よく曲解して捉えよう。
「吸盤の形がタコなので、タコに分類しておいてください」
 実はタコの足は2本だけで残る6本は腕であり、内1本は交尾の際に使用する交接器の役割を持ち、しかも怪我をした際は分裂をして増殖するという特性もあるのだが、これ以上続けると既に悲痛な表情を浮かべているレギュラス・ブラックが声を上げて泣きそうな予感がしたので切り上げよう。
 イカとタコの吸盤は異なるのかと新たな知識を脳内の辞書に収めたサングィニも幼い当主の痛ましい雰囲気に心を動かされたようで、魔法界の分類学のいい加減さに吸血鬼達は助けられていると風向きを変えた。
 元気でお馬鹿な会話に夢中の男の子達を保護者の目で眺めていたロザリンド・バングズも組んでいた腕を解き、それに乗って来る。
「こちらとしては、もう少し努力して貰いたい。西欧の魔法使いはドラゴンや不死鳥を過剰に持ち上げているが、定義があまりにも曖昧過ぎる」
「四-六足類問題と同名異種問題の事ですか?」
「詳しいな」
「つい最近知りました。がメルヴィッドへ残した書籍を読んで違和感を覚えた事と、何よりも、フランス人のアルマンおじ様に教授していただいたんです」
「そうか……すまない、軽率な発言だった。私もイギリス人の端くれだ、幾ら腹立たしくても人種や地域で不勉強だと括るべきではなかったな」
 私の頭を優しく撫でながら話題をサングィニの過去に戻そうと口にしたロザリンド・バングズに、話を振られた当人が興味が湧いたので今後の参考にと続きを促した。勉強熱心な吸血鬼である、だからこそ彼は今もこの世界、この場に居るのだろう。
 どちらが話すべきかと茶色の瞳とアイコンタクトを試みると、先にドラゴンを任せると口頭で譲られた。確かに不死鳥に関しては彼女に譲るべきだろう、祖母から中華系の血を引き社名の略語に鵬を使うくらいだ。毛唐の価値観でチャイニーズ・フェニックスなる魔法生物を勝手に捏造し鳳凰と同一視するなと主張したい気持ちは理解出来る。
 まずはドラゴンからとサングィニに求められたので、ニュートン・スキャマンダーの幻の動物とその生息地を読んだ事はあるかと尋ねる。当然のように首は縦に振られた。
「その書籍や他の図鑑等にも記載されているドラゴンの項目なのですけれど、両腕が翼状の四足類と肩甲骨付近から翼を生やした六足類が同一種として分類されているのです」
 他にも以前アルマン・メルフワと出会った際に脳内で指摘したようにニュートン・スキャマンダーを始めとする西欧人のドラゴン観は他の地域と大きく乖離しているのだが、今は関係のない話なので横に置いておくとしよう。
 私が発した問題に、魔法生物に対して関心が薄いと思われるレギュラス・ブラックが言われてみればと呟き脳裏に各ドラゴンの姿形を描いたようだ。
「あれが全てドラゴンと呼ばれるのなら、天馬と馬は同一種じゃないと変だ」
「彼の著作はこの国の魔法生物学会で神格化されているとアルマンおじ様から伺いました。ですからレジーのように興味の薄い方は生態が明確に違うにも関わらず指摘を受けない限り疑問に思わない、のですが、吸血鬼の皆様は既にブラム・ストーカー等で採用しておられる情報操作方法ですから参考にはならないかもしれません」
「確かに君の言う通りかもしれない。しかし、現状が等しいとしても誤った情報が拡散した経緯は異なるだろう。ならば考察の余地は大いに残されている。そこで早速質問なのだが、著者のミスター・スキャマンダーは我々と同様の思惑で、魔法生物を救う為に誤った混同を意識的に行っている可能性はないだろうか」
「ありません。断言出来ます」
 サングィニから発せられた疑問は、即座に、そして明確に否定出来る。
 同著の序論を読み返せば私が即答した理由も判るだろうとロザリンド・バングズも説明を引き受け、ニュートン・スキャマンダーは魔法生物に興味があるだけで種族の区別を付ける気などないのだと怒りを含んだ美しい笑顔で続けた。
 どうやら彼女は、私の想像以上に鳳凰に対する処遇を腹に据えかねているらしい。本来母国では貞淑と認知されている女性が淫売と表記されるくらいに乖離した説明が常識としてイギリス魔法界全体に広まっているので、仕方がないとも言える。
 ホークランプを愛するアルマン・メルフワと話が合いそうだが、私が独断で両者を仲立ちするのは恋愛方面であらぬ誤解を招きかねないので控えよう。必要ならばレギュラス・ブラック辺りが正式な場を設け何とかしてくれるだろうと願望と共に全行動を丸投げした。
 ドラゴンの問題に関しては以上だと簡単に区切りを付け、次にとロザリンド・バングズへ視線を送る。サングィニの視線も、隣の女性へと移って行った。
「不死鳥は同名異種問題だったか」
「そうだ。現在の不死鳥はエジプトのベンヌ神の神話を元にギリシャの魔法使いの手で創り出された種の末裔達になる。人類の妄想が先であり、それを元に人工的に再現した産物という意味でなら吸血鬼達と似ているな。そして、そもそもの話になるが、エジプシャン・フェニックスとされたベンヌ神と、インディアン・フェニックスに混ぜ込まれたガルーダ神は、共に一柱の神の呼び名だ。個体名であり種族名ではない。各々の性質も全く異なる」
 不死鳥との共通点は、美しい羽毛を持つ長寿の鳥類と火の属性くらいだと続けるロザリンド・バングズに軽く首肯する。更に細かく、しかし雑に訂正すると、ベンヌの属性は火よりも太陽に近く、生死のサイクルも日の出と共に生まれ日没と共に死ぬ24時間制だ。ガルーダの場合は生死のサイクルがなく、文字通り不死の鳥であり神である。
 今の面子はそのような相違まで知りたい訳ではないようで、第2回魔法生物談義に付いて行く気はないレギュラス・ブラックは内容を耳に入れるだけ入れて私の頬を揉みながら暇を潰し始めた。この流れなら不自然ではないかもしれないと思い、クリーチャーを呼んでみたが矢張り拒否される。中々上手くいかないものだ。
 仕方がないので私も不死鳥の会話に耳を傾けよう、本音と言えば混ざりたいのだが頬を弄られているので発言が難しい。
「インディアン・フェニックスは複数種からなる総称と捉えても問題ないだろうか」
「問題ない。例えば、ガルーダ神とは別の、シムルグと呼ばれる魔法生物もこちらではインディアン・フェニックスとして扱われる。象さえも運べる巨鳥で、美しい羽毛に治癒の力を秘め、卵から孵った雛が成長すると親鳥は火に飛び込んで死ぬ。世代交代に1700年程度の周期を要するので実際に目撃されたのは数度という珍種だ。現在ではイランのギラン州にのみ生息が確認されているが、過去にはカシミールにも生息していた記録がある」
 要は不死鳥も、不死鳥を構成させられているインディアン・フェニックスも、柳田国男の定義した所のウブメ型に当て嵌まるという事だ。
 赤子を抱いた産婦の霊、海難事故で水死した亡霊、船幽霊、子供を盗む半人半鳥、衣類に印を付け幼児を襲う怪鳥。和漢三才図会の姑獲鳥は木に止まる鳥として描かれ、そこから僅か25年後に刊行された百怪図巻、更に40年後の画図百鬼夜行では赤子を抱く女性が描かれているそれは、姿形こそ大きく異なっているものの全てが姑獲鳥と名称付けられている。
 一応私の実家では、地域柄なのか女性型の方が訪問が多いが鳥型の来訪もあり、皆人間にどう見られようと構わないと言っていた。一部の妖怪の間では本来の名称に戻そうとする運動もあるようだが、半分程度でも未だ人間である私には秘密らしく詳細は知らない。
 ウブメ型、カッパ型、柳田国男と、メルヴィッドやエイゼルならば3つの単語を挙げるだけで通じる内容を口に出せず、レギュラス・ブラックの手から逃れながらぼんやりとした知識のまま鳥型と魚型が混同されているセイレーンと似ているとサングィニの考えを纏める手助けをしておく。
「そうか、成程。感謝する、大変有意義な時間になった」
「サングィニ様はそのようですがローザの本題はこの先なので、もう少しだけお話を続けて宜しいですか」
 ここまで来て寸止めは流石に可哀想だ。アルマン・メルフワの姿を記憶から呼び出してみると、彼女が抱える鳳凰と不死鳥に関する愚痴は私が受け止められる分だけでも吐き出させてあげるべきだろう。
 子供に気を遣われたからか複雑そうな感情を表に出しているロザリンド・バングズの前でグラスの中身を飲み干し、初めて知った馬乳酒の味と底から迫り上がるように自動で注がれた次の杯に表情を崩すと、ニュートン・スキャマンダーの唱える不死鳥との相違点だけだと妥協された。無論、それでも紙面が朱に染まる程かなり大量の違いがあるのだが、パーティの場に相応しくない話題と感情なので渋く思っているのかもしれない。大変今更である。
「鳳凰は種族名で、炎による再生は一部認められるが今日の不死鳥のように自然発火はしない。『廣雅』に拠れば香木で炎の祭壇を作り身を躍らせる方法を取っているから、『地誌』や『フィシオロゴス』に記述された不死鳥の再生方法とは酷似している。体色は五色絢爛で赤味が強い種は鳳と呼ばれている。体色が赤いので属性は火であり朱雀と同一とする場合もあるが、鳳だけを取り上げ共通項を探すべきではないだろう、朱雀にしても南という概念を実体化させた存在で鳳凰に南方の属性はない。鵜やカイツブリのような潜水する鳥は総てペンギンだと結論付ける行為が暴論ならば、鳳凰もそうだと告白したい」
 その辺りは両世界共に暴論が割と罷り通っている雰囲気があるが、今は拝聴に徹した方がいい。沈黙する私の前で、ロザリンド・バングズは饒舌に振る舞った。
 今まで伏せて来ていた鳳凰への誤解や風評被害に対しての苛立ちが同志を発見した事で爆発したらしい。矢張り彼女はアルマン・メルフワと友人になるべきだろう、我慢ばかりでは体によくない、私とメルヴィッドのように共通の悪口を適度に言い合える相手は必要だ。
「甲骨文字の時代には鳳と風は同義であったのだから火以外にも風の属性もあると言えるだろう、尤も、『本草綱目』によれば当時の風とは空気の流れではなく総てという意味合いと注釈されていて、ついでに、鳳凰が天では朱雀となると記しているのもこの書物だが、ここは大地なので地上で生息している限り鳳凰は鳳凰だろう。さて、ここで質問しよう。、鳳凰はどのように生まれると思う」
「『春秋元命苞』や『山海経』の『大荒西経』に書かれている内容を総合すると、アッシュワインダーのように炎生の無性生殖と卵生の有性生殖との複数手段になると予測出来ますが、実証は今の所不可能です。確か、不死鳥も一応はどのように子を成すのか確定していないんですよね。アルマンおじ様はクラップ同士の交配ではなくジャックラッセルテリアを改造して作り出すブリーダーのように、魔法使いが今も作り出していると仰っていましたが」
「ダンブルドア家か?」
「私が思っているよりも有名な噂なんですね。おじ様曰く、アルバス・ダンブルドアの不死鳥は確認されているが、家系全体の能力かは不確実。作り出しているのなら多分無意識だが追求する程自分は暇ではない、だそうです」
 不死鳥は焼身蘇生を繰り返しながら生き延びている生物だが、どのような過程を経て種を増やしているのか未だ不明、と表向きはそうなっている。マグルの描写は滑稽なほど不正確と言われ続けて来た魔法生物が、実は非魔法界の夢物語に触発されて動物を魔法的に改造しましたと知られるのは、その後の行く末を想像すると胸が痛むらしい。
 別に不死鳥に関わった魔法使い達がどうなろうが自業自得だが、ただ、都合のいいように改造されただけの不死鳥達に非難の目が行くのは避けたいそうだ。アルマン・メルフワは、魔法使い達の知性や理性など一切信用も期待もしていない。これに関しては私も、私自身を含んだ上で同感である。
「スパイク、でしたっけ。ニュージーランドの、クィディッチチームの」
「モウトホーラ・マカウズのマスコットの、不死鳥のスパーキー?」
「そうです。ありがとうございます、レジー。そうした不死鳥達がリストラされるだけならまだしも、無責任に捨てられ、悪質な魔法使い達の手で八つ裂きにされる可能性を考えると現状維持が望ましいと」
「お陰で鳳凰はこの地で惨めな噂で脚色される事になったが、魔法生物に関わる者としての判断は適切だな。既に人前に姿を現す事がなくなった魔法生物よりも、実在する生物の方が大切だ。私でも同じ立場に立たされればそう判断する」
 感情的には反対だが理性の面で賛成するロザリンド・バングズに、サングィニが鳳凰は実在しない生物なのかと疑問を呈した。
「貴姉等の口ぶりから察すると、絶滅してしまったのか」
「いや、鳳凰は瑞獣だから姿を見せなくなっただけだろう。沃民国や崑崙で平和に暮らしていると思いたい」
「ルイショウとは何かね」
「吉祥が起きると姿を見せて人間にお知らせしてくれる動物の総称ですよ。鳳凰は天下泰平の世か、徳と叡智に溢れる支配者が誕生すると来てくださるそうです。その溢れ方は、黄帝や舜のような神話レベルでないとお気に召さないようですけれど」
「光武帝ですらお眼鏡に敵わなかったから、彼等の基準はかなり厳しいな」
「あの方はほら、ほぼ完全無欠の超人ですけれど2度程自分のお城から締め出しを食らいましたから。暗殺の危険を家臣に窘められても夜遊びをして、門限を過ぎて帰れなくなったから仕方なく野宿したなんて、割と庶民の男の子っぽい感じで」
「君がレギュラスに何を求めているのか判らなくなって来たよ」
「何で急に僕の話題になったの?」
「鳳凰に関してはほぼ全てが文献頼りになってしまいますから、上流階級のみが書き残した物だと意識して注意しないといけませんよね」
 お前ついさっき光武帝こと劉秀を引き合いに出してレギュラス・ブラックがどうとか自分勝手な事を抜かしていなかったかとロザリンド・バングズから飛んで来た無言の疑問と圧を夏風の如く受け流し、鳳凰の話題へと戻す。
 中国史の知識と興味がない男の子達は全力で振り回しながら置いておこう、意味が判るメルヴィッドやエイゼルがこの場に居なくてよかった。
「ただ、その文献の全てが嘘と断定するのはよくありませんし、何よりも、面白くもありません。『呂氏春秋』の『古楽篇』に書かれた特徴を比較すると両者の因果関係が逆だと知り得ますから、そもそも鳳凰と不死鳥は根本的な性質それ自体が真逆の別種ですけれど」
「貴兄は並の子供以上に知識を持っているようだが、話の運び方はぎこちないな」
「ローザ、話題に出してしまったので折角だから因果関係と性質まで吐き出してから終わりにしても宜しいですよね」
「好きにすればいい、最初からそこを言及して終えるつもりだったからな」
「最後までお話しますか?」
「君に任せる。私は満足した」
 今まで口を付けようとしなかったグラスを唇に触れた分だけ飲み下し、奇妙な顔をしてからチーズに手を伸ばしていた。馬乳酒は彼女の口に合わなかったようだ、微発泡乳酸飲料に余り抵抗がない日本人のように、舌には合うが腹に合わない故に待ち受ける悲劇よりも少しだけマシかもしれない。
 ブラック家の監視もあると高を括りこの体にも摂取させてみたが、一応腸内洗浄魔法は習得済みなので何とかなるだろう。何も起きないに越した事はないが。トイレの住人になるにしても、メルヴィッドとエイゼルは馬乳酒を飲んでいないので最悪の事態は避けられると駄目な方の前に向き、脳内に保存してあった数千年前の物語を紡ぐ。
 古代中国で楽官を司っていた伶倫という神様が、黄帝から黄鐘の音を決めるよう拝命した際に鳳凰の雄と雌が各々六声鳴いたのでその声に合わせて十二律を作った。最小限必要な点だけを抑えると凡そこのような短い話である。
「そうか。不死鳥は歌うように鳴くと人間の基準で評されているが、鳳凰は先に彼等の鳴き声があり後から神を介した人間側が音を合わせ歌を作ったのか」
「結果的に、鳴き声が歌のように聞こえるのはどちらも変わりありませんけれどね」
「いや、諸外国の魔法生物に対する非唯一神的認識は非常に興味深い。不死鳥と鳳凰が別種である事も十分に理解した事も喜ばしい発見だ。根本的に逆の性質というのは、貴兄が先程説明してくれた通りの意味なのだろう?」
「はい、その通りです」
 臆病なのか騒乱が嫌いなのか面倒臭いだけなのか、それともただ悠長なだけかもしれないが、兎に角、鳳凰は文字通りの超人的な存在の下で争い事のない穏やかな治世の時分にしか姿を現さない。
 つまり、鳳凰の歌声に不死鳥と同じ能力が認められる場合、彼等が出現する時には歌を介して心正しき者が必要のない勇気を与えられるのは観測可能だが、悪しき心の持ち主は基本的に存在しないので恐怖に陥るのかすらどうかも判らない。辺境も限界突破したような最果ての地に悪人を連れて行き鳳凰と対面させれば判明するだろうが、どこそこの奇人がそのような検証実験を行ったとはフェイクニュース内ですら聞かない。
 会いに行かないのなら待てばいいと普通ならばなる所かもしれないが、これも妙案とは言い難い。鳳凰は人の世に顔を見せるにしても太鼓判を押したら帰るので人間に対して何もしない、逆に、積極的に争乱へ出向き主観で善悪を決めバフとデバフをばら撒きそれが記録されているのが不死鳥だ。今日を生きていけるのかすら心配なおっとりした子と、陽気さ故にトラブルメーカー気質の子くらいの高い隔たりがある。
「そうだ、不死鳥は涙に癒やしの力がありますが、鳳凰の卵は不老長寿の霊薬だと伝えられています。サングィニ様の長寿の秘訣を伺っても宜しいですか、多分結婚ではないと思っているのですけれども」
 まあ、しかし、愚痴も吐き切った事だ。
 いい加減どうでもいい話は止めて、本題へ戻ろう。