曖昧トルマリン

graytourmaline

ストヴィーズ

 ファブスター校長の会話が途切れた瞬間を見計らったように、粘膜を刺激するスパイスの香りを纏った肉類が、そう広くもないテーブルの上に現れた。少し遅れて巨大な人影が私達4人を飲み込み、横から差し込まれた丸太のような腕が数種類の肉が取り分けられた皿を手渡して来る。
 誰が来たのか振り返る動作も、義眼を利用する必要もなかった。ムッシュ・ダイダラボッチこと、ガスパード・シングルトンしか当て嵌まる人物が居ないのだから。
「やあ、ガスパール。流石察しがいいね、焼き役を代わるから食事をしなよ。君の紹介は軽くしておいたから、それじゃあ、。ロシア語の習得頑張って」
「また後で、ダニエル」
 全く減る事がなかったグラスの中身を流れるように押し付けたオルフォード・クラックネルは、勢いよく席を立つとそのままグリルの方まで駆けて行き、マリウス・ブラックの隣で背中からでも判るくらい大袈裟に肩を撫で下ろしていた。
 蒸留酒を押し付けられたガスパード・シングルトンはというと、酒席に手慣れた様子で空いたに魔法で椅子を出現させてから、何気ない仕草でグラスの中身を空にする。一見するとショットグラスのように思えてしまう勢いで嚥下したものの、テーブルの上に置かれたロックグラスがそれは紛れもない錯覚だと語っていた。
 グラスを戻した左腕がそのままこちらへ伸ばされ、鬼の皮膚とキャッチャーミットを掛け合わせたような手が頭を撫でる。厚い皮が張った太い指が慣れた仕草で額や耳の後ろまで躊躇いなく伸びて来たので、もしかしたら彼は魔法道具と同じくらい子供の扱いが得意なのかもしれない。あやし加減とでも呼べばいいのだろうか、兎に角手付きが心地良かった。
「坊やは人懐っこいな。クアッカワラビーみたいだ」
「彼等よりは厳つい顔をしていますし、警戒心も強いですよ」
「なら、ウォンバットと呼ぼう」
「余り変わっていないような気が」
 この手の大柄な男性は大抵の場合、気は優しくて力持ちが通説だから気が緩む、というお花畑な思考回路は持ち合わせておらず、審美眼という能力に於いて絶大な信頼を寄せているブラック家経由の正式な招待客だから警戒していないだけだ。
 しかし、幾ら馬鹿の私でも正直に言えるはずもなく、クアッカワラビーにしても、ウォンバットにしても、ポメラニアンにしても、サングラスが付属したハリーの外見や私の性格からは掛け離れているのにと思考を逸らす。成人男性のメルヴィッドやエイゼルを元気な仔猫扱いしている私の価値基準と全く同一であるという理屈からは、当然のように目を背けた。つい先程、アークタルス・ブラックと私のそれは酷似していると至った何度目かの結論も放棄しておこう。
 子供や小動物を扱い慣れた手付きから開放されると、次は食欲だと軽い荷物のように抱えられ、アークタルス・ブラックから離されて切り刻まれた謎肉が大量に乗った皿の前に座らされたが、周囲の空気を読んで素直に好意を受け取った。
 皿の上に鎮座する剥き身のエビにしか見えない肉はザリガニで、巨大な手羽先は間違いなく天馬の肉だという所までは判った。ワニ肉と牛の睾丸も色と形状から判別が付いたので、残りはどちらかが犬ことクラップで、もう片方が猫ことニーズルだろう。
 その辺りは多分、食べれば判る。イヌ肉は初めて口にするがイヌ科のタヌキならば毎年食べている経験者だ、そしてネコはウサギに近い味らしい。
「ムッシュは今、アメリカにお住まいなんですか」
 この肉は良心に反するので食べられない、あの肉はゲテモノ過ぎて駄目だと、盛り付けられた肉の選り好みしているアークタルス・ブラックとファブスター校長に軽めのビールを注ぎながら話題を振ると、ワニとザリガニは出張についでに買って来ただけだからと笑われる。
「そうだ、自己紹介を終えていなかったな。ダニエルが俺の紹介をしてくれたと言っていたけれど。ムッシュなんて他人行儀でなくてもいいんだ、ガスパールと呼んでくれ。別にガスパードでも、シングルトンでも構わない」
「では、ガスパールとお呼びします。私の事は気軽にと」
「じゃあ、よろしく。。ああ、それワニ肉だけど、味はどうだった」
「歯応えがあって美味しいです」
 複雑に調合されたスパイスが効き過ぎていたが、それでも遅れて口いっぱいに広がる肉の旨味を十分噛み締めていると、新聞に載る程の大きさはなかったけれど食べるには丁度いいサイズだと豪快な笑顔を向けられた。
 まさかとは思うが、念の為尋ねておこう。
「ルイジアナでのアリゲーターハンティングは、毎年8月末の10日間だけだったような」
「詳しいね、でも大丈夫だ。そちらじゃないから安心してくれ。取引先の敷地内で暴れ回っていたから駆除しただけだ」
「ああ、そうでしたか、失礼な想像をしてしまい大変申し訳ありませんでした。魔法道具の制作に販売と、お忙しい中いらしてくださったんですね」
「それは違うよ。そうか、ダニエルはそこまで言わなかったんだな。確かに俺は魔法道具の工房持ちだけど、あー……いや、表の顔もある意味裏みたいなものかな」
 スキンヘッドのマッチョが髭を撫で、掴んだワニ肉を豪快に骨ごと砕いて咀嚼してから私に視線を向ける。オルフォード・クラックネルは彼をインテリだと評したが、ここまでの言動不一致も珍しい。
「魔法道具の製作者というのは、一面では正しい。自動撹拌鍋のような無害な魔法道具も開発していて魔法界では一応注目されている。俺個人としては、魔法で動作する化学剤検知器や生物剤検知器を評価して貰いたいけれど」
「そんな便利な物を」
「いや。しかし、魔法道具の技術者は儲からない。特許権なんてないようなものだ。撹拌なんて単純な作業はモビリス系の制御呪文で事足りる、検知器だって使用者の知識さえあればスカーピンの暴露呪文の応用でどうにかなる。それはそれでいいのだが、それだけで終わってしまう魔法使いが多い事が問題だ。魔法を道具化する事で呪文を覚える必要がなくなり、あらゆる魔法使が平等に、そして常に、同時に、更に一定の技術を所持出来る事こそが目的だと言っても、魔法界では理解を拒まれる。君の義眼も、ラジオや箒も道具なのに、魔法使い達はそこから目を背ける。どこの国でも、これは一緒だ」
 当然というべきか、魔法という個に帰属する技術の弱点は魔法道具の開発者から見た場合でも、改善しなければならないものらしい。
 しかし、ガスパード・シングルトンは、現状に怒りを抱いている訳でもなければ嘆いている訳でもなく淡々としている。という事は、今までの流れからして、こうだろうか。
「アメリカから、物騒な密輸をしているような口振りですね」
「銃火器と弾薬を物騒な品物だと思うなら、そうだろうな。名目上は美術品として輸入しているから、表向きは唯のビジネスとも言える。現代美術の名画と称して5歳児の落書きを高額で売り捌いても、文句を言う奴がおかしいとされる時代だ」
「まるで裸の王様に出て来る仕立て屋さんですね」
「お伽噺とは違い、民衆達が真実に耳を貸さない点を除けば、正しくそうだ」
「では、チューリップバブルと訂正しましょう」
「そちらの方が近いかもしれないな」
 魔法界で前衛的な芸術が流行する気配もなく、絵画の先物取引まで行く事もないだろうから空景気に陥る事もないだろう。所詮は言葉遊びの範疇である。
 絵画の売買は銃火器受け渡しの隠れ蓑に過ぎないので、本題へ戻そうとガスパード・シングルトンが舵を切る。
「極彩色のマントの下に隠されている玩具が法に触れたとしても俺はこの仕事を辞めるつもりはない、一部の人間にはなくてはならない物だ」
「そのように態と煽る必要はないでしょう。輸送手段が魔法界産の船舶やB.I.C.ならば法に抵触していませんし、私自身も現時点での法改正は必要ないと思っていますから」
 非魔法界の道具を見縊っているが故に所持の規制がされておらず、空間拡張という魔法使い特有の反則じみた収容能力があるからこその密輸入であるが、その穴を突き利益を上げようと企める人間は恐ろしく少ない。銃社会であるアメリカと違い、日本並みに規制されているイギリスでは買い手の数が限られている以上、新たな需要を見込めない産業に参入しようとする魔法使いは早々存在しないし、したとしても秘密裏に潰されるだろう。
 ガスパード・シングルトンとPen.G.S.は双方共にブラック家の影響下に入っており、ある種のお墨付きを得ている。国内で手に入る猟銃ならば兎も角、大量のハンドガンやアサルトライフルを使用するともなれば、どのような魔法使いや組織であろうと、必ずブラック家が突き止めるに違いない。
 物の流れ、人の流れ、金の流れを全て隠蔽し行動出来る人材が居ないのは、この世界と向こうの世界でヴォルデモートが台頭した事で証明出来ている。
 持ち込まれた銃火器は必要としている者へ必要な分だけ渡り、非魔法界へ流入する可能性はない。その懸念が僅かでもあろうものなら、ファブスター校長やオルフォード・クラックネルが黙っていないだろう。
 規制する法案が無くとも上手く回っているのならばそれに越した事はない。もしも不穏な気配を感じ取ったとしても、その次の瞬間にはあらかじめ準備してあった対策が発動して一気に規制が始まる未来しか見えなかった。
「君は清廉潔白な子ではないんだね」
「どのような噂を耳にしたのかは伺いませんが、私はエゴの塊ですよ。自分自身の為にアークタルス様を、レジーを、そしてブラック家の力を利用している悪童です」
「そう言う割には、利用されている気がするけれど」
「そんな事はありません」
「ついさっき、将来の為にPen.G.S.の護衛からロシア語を習うように押し付けられていたのは、俺の聞き間違いだったのかな」
「き、聞き間違い、です」
は嘘を吐けない呪いにでも掛かっているのかなあ」
 この手の会話を取り繕う技術が下限突破している姿が面白いのか、サングラスの奥で目を泳がせ吃る私に、ガスパード・シングルトンは小動物を前にした人間の表情でスライスされた牛の睾丸を食べさせ、黙らせた。
「アークタルス様、この子にフランス語は」
「習得させるつもりだ。既に講師は決まっているが、君も手伝ってくれるのかな」
「選択肢を増やすだけで、手伝う訳ではありません」
 黒い目がアークタルス・ブラック、ファブスター校長、そして周囲の人間を確認して、最後に私に注がれる。言葉の割に、表情には慈愛が滲んでいた。
「ただ、歳の近い友人を作る環境を整えてはどうかと思っただけです。たとえ手紙でも」
 つまり、彼は自分の知り合いの子供と文通した方がいいと提言しているのか。
 10歳前後の子供とお手紙を送り合う自分の姿が全く想像出来ないが、相手がその位の年齢ならば複雑な語彙は必要とされないので読み書きを習うには最適なのかもしれない。
 相手の素性をメモした紙をアークタルス・ブラックに手渡したガスパード・シングルトンは、今は自分と絵葉書で文通ごっこをしていると告げてから、綺麗に拭っても取れないスパイスが香る手で再び私の頭を撫でた。
「俺はイギリス人だけれど、学生時代は治安の関係で母の出身校のボーバトンへ通っていたんだ。その時に世話になった上級生の娘さんでね。引っ込み思案な子だから外の世界に興味を持って欲しかったんだ、確か、君よりも5歳くらい年下だったかな」
「君は、その顔と体格で、内気な子に泣かれたりしないのかな」
「面白い着眼点だね、大佐。軍人気質が隠し切れない貴方と違い、俺はこう見えて10代未満の少年少女に人気なんだ。喋る厳ついテディベアとか、あまり大きくない自走型超合金ロボもどきとしてね」
「そう言えば、先程もグレムリンがガスパールの事を目を輝かせて教えてくださいました。ジョイは紳士と戦士の鏡だったと仰っていましたし」
「そうだろう、そうだろう。な、ほら見ろ。も俺の事は怖くないよな」
 彼の質問に答えよう。体格的に憧れる要素こそあれ、怖がる部分などない。
 ハリーが彼のような血縁関係を持っていたら、ルビウス・ハグリッドの奇襲など難なく耐え切り一撃で屠ってやったのに。そのような嫉妬と諦観が混ざりあった感情を隠しつつ、胸を張る。
「お膝に座ってみたいです」
「何という事だ、がこれ程までに酷い子だとは思わなかった。私にはそんな可愛らしい我儘を、一度だって強請ってはくれなかったのに」
「ええ。アークタルス様、そこで反応なさるのですか。私は今日でもう11才ですよ。こんなのがアークタルス様のか弱いお膝に乗ったら骨が砕けるような怪我をさせてしまいます」
「レギュラスにも、メルヴィッドやエイゼルにも強請る姿を見た事がない」
「ムッシュ、高い高いしてください」
「都合の悪い言葉を聞こえなかったふりはやめなさい」
 ガスパード・シングルトンは案外穏やかな空間で生きて来たようで、私とアークタルス・ブラックが繰り広げる、互いに互いの会話を完全に無視するコミュニケーション放棄の空間に引き摺り込まれ、まずい状況に巻き込まれたと思い切り顔に出す。可哀想に。解放する気はないが。
「いいかね。私を無視すると、後でプレゼントが贈られる事になるよ」
「チーズグレーターが欲しいです。ニンジン一杯擦り下ろして、ローザにレシピを教えていただいて、キャロットラペを作ります」
「別荘とクルーザー付きの無人島というのはどうかな。この手のものはいつの時代も若者が憧れるのだろう?」
「いや、その、俺この話題に関係ありませんよね。年齢不詳に見えるかもしれませんが、こう見えて30代なので」
「ほら、。彼もこう言っている」
「アークタルス様おすすめのチーズはなんですか」
 この時空だけ位相がずれて歪んでいないかと、巨体に反して澄んだ瞳が隣のファブスター校長に救援を求めるも、孫と戯れさせてあげなさいと表情だけで返事をされ、嫌だ無理だと高い高いを強制終了して彼専用の巨大椅子まで避難する。
 仕方がないので、このままアークタルス・ブラックにハグをしよう。でないと本当に島を1つ贈られかねない。
「ああ、勿論海外ではなくイギリス領内だ。ケイマン諸島辺りならB.I.C.の関係で顔見知りが何人か居る。管理人と別荘付きのチーズグレーターというのも悪くないかな」
 チーズグレーターのおまけで付いて来る物が常軌を逸している。否、別荘にチーズグレーターがおまけで付いて来ても、それはそれでシュールなのだが。
 ひとまず、アークタルス・ブラックのお遊びという名の暴走を止める為にハグをすると、老いた舌がぴたりと止まる。この辺りは、孫とよく似た傾向だ。
「別荘にアークタルス様が遊びに来て下さるのならば、謹んで頂戴いたします。来てくださらないのなら必要ありません」
 サングラスをしたまま、犬のように上目遣いをしてから、胸元に頬を擦り付ける。肉とスパイスの香りが移ってしまうが、背に腹は代えられない。心の中でクリーチャーに謝罪をしておこう。
「寂しいのは嫌です」
 彼がブラック家の本邸へ移り住むきっかけを与えた身として、譲り受けた今の屋敷から足が遠のくのは仕方がない。けれど、別荘までそうなるのは嫌だと意味を含ませて子供じみた我儘を言うと、そこまで言うのならば仕方がないと絆されてくれた。
 これで大丈夫なのかブラック家という不安と、取り敢えず不動産所持を回避した安堵から小さく息を吐く。
「けれど、案外いい思い出が作られるかもしれないよ。文通相手を招待したりとかね」
 ああ、此処で元の話題に戻るのかと脱力するガスパード・シングルトンの肩を、ファブスター校長が労るように叩く。
 も遠縁ながらブラック家なのだから諦めろと実際は全くの見当違いの慰めを受け入れたのか、いつの間にか現れていたテーブル上の羊皮紙を拾い上げ、早速後で相手に連絡してみると疲れの滲んだ表情で笑った。
「慣れない内は絵葉書からがいいかもしれない。お互い、言葉も少なくて済むから。丁度いいからエジンバラで買うか、それとも自分の写真付きの方が……」
「いえ、それは……私はこの顔なので」
 アークタルス・ブラックの胸から顔を離して中々攻撃的な顔を見せると、サングラスさえ変えれば怖くなくなると正論が飛んで来た。なので、こちらは感情論で返そう。
「エイゼルがくれた、サングラスなので」
「ああ、それは駄目だ。じゃあ、いっその事、大佐のように両目を義眼にしようか? 左目だっていずれ見えなくなるのなら」
「シングルトン、無事な目まで取り除こうと軽々しく言うべきではない。私自身は姪が目を患ったからこそ義眼になる覚悟を持って」
「魔法界製の義眼なんですか、両目が」
 彼の両目に収まる、美しく青い双眸が義眼。
 だからか。だから彼は昨夜、パブの入り口が判り、ホテルで起こった一連の事件の中で魔法の掛かった書類を一目見て理解したのか。
 彼はそこまで覚悟しているのだ。肉親の為に体を削り、人生を捧げて、自分の世界を魔法界の馬鹿共から守ろうとしているのだ。
「……
「はい」
「私は、得られるかも判らない誰かの角膜を待つよりはと思い、尚且つ、誰もが利益を得られるよう行動した。姪は視力を取り戻し、私は便利な能力を手に入れた」
 それが一体何なのだろうか。ファブスター校長が尊敬に値する人間である事に変わりはない。肉親と言えど他者を助け、そして自身の利益を得て、その力を世界の為に使う人間には敬意を捧げるべきだろう。
「君のそれは、本心なのだろうな。此処で間違えないからこそ、好かれるんだ」
「仰っている意味が判りません」
「哀れみなど要らない、という事だ」
 慈悲深い人間に見られたいが為に、彼が自分の意志で決断した行動を可哀想な境遇だと勘違いして慰めようとする人間は多いとアークタルス・ブラックが続きを引き受ける。
 そういうもの、なのだろうか。私と違う言動や思想を持つ人間がそこら中に居ると言われても実感出来ない。今のファブスター校長の境遇にしても、メルヴィッドもエイゼルも感心こそすれ哀れみの感情など一切持たないだろう。
 彼等の言葉が納得出来ないと表情で語ると、澄んだ青い目が真っすぐ私を見下ろして、綺麗に笑った。
「他人を哀れな生き物だと決めつけて聖女ぶりたい身勝手なストーカーなら、近所にも居たな。君のおかげで関わりはなくなったから、感謝している」
「ええと、どういたしまして? で正しいのでしょうか」
 全く身に覚えのない礼に疑問で答えるが、ファブスター校長はそれ以上何も言おうとはしなかった。代わりに、ガスパード・シングルトンが左目をどうするかと再度問い掛けて来たので、今は周囲が殺気立つから辞退すると断る。
 メルヴィッドとエイゼルは少し不安が残る程度で済むが、レギュラス・ブラックが確実に暴走する。そうなれば確実にメルヴィッドと負担となってしまう。私1人で彼を止められる術を持っていないのならば、避けるべきだ。
 この空間の中でのみ沈黙が下り、ほんの僅かな間、私達の間に不穏な空気を漂ったのを察したのか、ルドルフ君が全速力で走り込んで来る。と思ったが、何故か私の腰に飛び付き持つ安い方の杖を咥えて走って来た方向へ反転し走りだそうとした。
「ルドルフ、これは玩具ではないから駄目ですよ」
 巻かれていたパラコードを強く引っ張ると、杖は口元から外れ手元に戻る。よく見ると、ルドルフ君の進行方向に杖によく似た木の棒が転がっていた。更にその先には仁王立ちした白髪頭の男性が居た、マリウス・ブラックがこの子を構ってくれていたらしい。こちらへの突撃は唯の偶然だったようだ。
 落ちていた棒を呼び寄せて、マリウス・ブラックの方向へ投げると白と黒の塊が足元から飛び出して行き、そのまま棒きれを拾い上げて元の投げ主へ真っすぐ突っ込んで行く。その隣では、フィリッパさんが芝生に寝そべり欠伸をしていた。
 平和な光景である。
、その杖は?」
「ビリー・クラブです」
「ああ、NYの全身赤タイツ君か」
 その表現は蜘蛛の坊やと被ると言いたかったが、使用している素材がパラコードなら絞殺にも使えそうだとリアルハルク一歩手前の人物から素敵な追加の評価を得たので黙る事にした。決してファブスター校長の表情が強張ったから生徒らしく空気を読んだ訳ではない。
「杖を2本所持しているのならば、繋がない方が賢明だ。今のように不意打ちで1本奪われた時に取り戻せる利点よりも、相手の力が勝り両方を失う欠点となりかねない。グリップとして使う事に支障がないのならそれだけにして、残りは、そうだな、あの犬のリードにでもすればいい」
 紛れもない正論である。オーク材やリグナムバイタを振り回して人体破壊するつもりだったのに、と言える訳がないので素直に頷く。
 せめて誰か1人でも愉快な鈍器の犠牲になってくれればよかったのにと内心愚痴を零しつつ、そう言えば折角遠回りをして手に入れたメイスも1度だけ活躍した後、ブラック家へ提出する流れになってしまった事を思い出した。
 私の武器達は、持ち主が馬鹿である為に不遇である。
「質問いいかな」
「はい。ガスパール」
が持っている武器は、その2本の杖だけなのか」
「そうです。メイスはもう手元にないので」
「本来、護衛が付く相手に武器の斡旋をするべきではないけれど、この子は敵地の真っ只中に行くのだろう。今からでも何か与えるべきじゃないか」
「その必要はない」
「俺が持ち込んだ武器を使っているんだ、貴方の会社の評判は知っているよ、大佐。けれど物事には絶対も完璧も万全もない、彼は備えるべきだ。判ってる、素人の俺が口を挟むべきじゃないという事くらいは、でも言わせてくれ」
 ガスパード・シングルトンの言葉は、元よりファブスター校長の脳内に存在するだろう。それは、この場に居る誰もが理解している。
 強力な武器が常に手元にあると、意識がその武器に依存してしまい結果として行動の選択肢を狭め最良の選択肢から遠ざかるから反対、という理由でもなさそうだ。
 少ない脳味噌で残りの可能性を考え、最も可能性が高い物はあれかとプレゼントの山に視線を移すと、アークタルス・ブラックが口を開いた。
「これ以上プレゼントが増えないようだから、開けてもいい頃かもしれないね」
 どうやら、正解のようだ。
 この場に居る招待客の中の誰かが、子供への誕生プレゼントと呼ぶには物騒な品をラッピングしてくれたらしい。