曖昧トルマリン

graytourmaline

ミンス・アンド・タティーズ

 アークタルス・ブラックから放たれたのは穏やかながらも鉄錆の匂いがする言葉であったが、バーベキューグリルから漂ってくる強烈で芳ばしい香りには打ち勝てず、結果としてはただの、しかし絶対に達成されるであろう口約束に留まった。
 隣で血抜きと神経締めされた魚のような目をしていたオルフォード・クラックネルは、噂通り溺愛されているねと笑い掛けながら皿の上に転がるデザートに手を伸ばす。その評価は彼独自の情報網に引っ掛かったものであるのか、それとも世間一般で既に回っているものなのか、去年からも諸々を考慮する必要すらない。考えるまでもなく後者だろう。
 深く入れ込むと弱みになる、と忠告したい所であるが、寧ろここがアークタルス・ブラックの狙いに違いない。
 彼にとって、この世に存在する明確な弱点は孫のレギュラス・ブラックしか存在しない、という状況は非常に厄介だ。
 間違いなく24時間体制で護衛を付けているとはいえ、襲撃なんてものはないに越した事はない、更に、只でさえブラック家の当主として日夜活動しているレギュラス・ブラックにこれ以上の負担は喜ばしい事でもない。
 ならば何処か別の場所に、敢えて判りやすく軟弱な獲物を作り敵の意識をそちらに集中させよう、くらいは初期の内から考えるし、顔色一つ変えずに実行する。私が預かり知らない場所で襲撃未遂犯達が炙り出され私刑という名の死刑扱いされていても納得こそすれ、驚きはしない。
 まあ、それならばそれで結構なのだが、多分微妙に違うだろう。昨夜の会食を考慮すると可愛がりたい甘やかしたいという意識も、恐らくは本心だ。
 ブラック家前当主に対して演技力がどうこう言えるような観察眼は全く持ち合わせていないがそれでも、孫やそれ以上に年齢が離れた子供を可愛がるという点で同じ立ち位置として居る老人の勘がそう告げている。
 というか傍から見なくとも、アークタルス・ブラックと私の交流方法は、私とメルヴィッド達のじゃれ合いに酷似しているのでそう考えざるを得ない。
「成程ね。話に聞いた通り、きちんと考えられる子だ。それに弱点の方もね、今の沈黙の中で、社交術や腹芸が不得手だと浮かび上がっているよ」
「そちらは可能な限り避けたいくらいに取り繕うのが苦手で……特に首から上が」
「代わりに、首から下はとんでもなく豪胆だ。こんなに小さな手なのにな」
 太い指に触れられた皮膚からどのように汗が滲み血が流れているのか私自身知る由もないが、この場に居るパーティ参加者を騙し通せないのは理解出来た、否、この世界に飛ばされたと気付いた瞬間から出来ていた。
 どれだけ嫌だ苦手だと喚き押し付けて避けたとしても、弱点など治りはしないというのも判った上で、それでも未だ逃げられると往生際悪く考えている辺り、全くどうしようもなく偏屈で無能な年寄だと呆れてしまう。
「ポーカーフェイスは、難しいものですね」
「難しい。そう、その程度なんだよ。君にとっては、その程度の言葉で片付けられるような問題に過ぎない。能力的、性格的に向いているようには見えないけれど、精神的、肉体的には素質がある」
 崖でも山でもなく壁と認識可能ならば一段ずつ階段を作るなりしてよじ登れと言われ、どちらかと言えば発破して穴を開けたいと心の中で返答し、皿に視線を落とした。
 松葉というよりは真冬の窓ガラスに張り付いた氷の結晶のように見える模様を纏った皮蛋を摘んだオルフォード・クラックネルから、残りは意欲だけだよと手軽に告げられるが、彼の言うそれが私にとって最大の問題なのだという事は理解していても無視をしてくれるらしい。外部との交流量が跳ね上がっている以上、この流れにはいい加減乗るべきだろう。
 今まで散々愚痴ばかり溢している事からも判るように、本当は微塵もやりたくないし、目を逸らし続けていたいのだが、幾ら土壌が枯れ死んでいるとはいえ出会う人間に悉く苦言を呈されている為、そろそろ対策を取らないと立場が危うくなる。
 5年近く猶予があり、こうなる事を理解していたにも関わらず、尻に火が付いてから動くのは馬鹿だ。そのように脳が警告を発しても、やりたくないものはやりたくないと駄々を捏ねるから始末に負えない。
 これでは何の為にメルヴィッドと手を組んだのか判らないと子供のように喚く感情を押し潰し、さてどのように鍛えるべきなのかと考えると、猛者が集結するこのような場ではなく可能な限り私を知らない、無関係の人間に相対する辺りから始めるべきだと結論に至った。その人材すら出会おうとしなかったお前は5年の歳月をどれだけ無駄にしてきたのだと正論を述べる理性を暴力で黙らせ、更に思考を続ける。
 親ブラック家派且つ反ダンブルドア派で、ルビウス・ハグリッドとタイマンを張り、生徒達の法廷送りを容赦なく推奨し、魔法大臣の一声で認定魔法使いとなった子供に対して、公平無私で挑んでくれる無関係な人間が、果たして居るのだろうか。
 無理にでも候補を上げるのならば、ロザリンド・バングズ経由で警護に当たってくれる護衛辺りがそうであって欲しいと祈ろう。ボスである彼女を観察する限り、Pen.G.S.は理知や合理性を持ち合わせていると予測する方が自然だ。彼女の部下でもこんな爺では力不足に陥るのは明白だが、この場に集結している人間を相手取るよりは遥かに優しい部類なので文句は言えない。
 これ以外に他の選択肢もない訳ではないが、どうであろう。
「アークタルス様、折り入ってお願いしたい事が」
「社交術を学ぶ為の人材派遣要請かな。だとしたら、可愛いの頼みだとしても聞き届けられないよ。残念ながらね」
「然様ですか」
 今まで散々忠告を受けていたにも関わらず、今になって何処かから適当な魔法使いを引っ張って来て欲しい、などという無茶な我儘は通るはずもなく、と考えが過ぎった所に、表情を読んだアークタルス・ブラックが被せて来た。
「先程話したミス・アンブリッジ以外に、魔法省からミスター・クレスウェルという男もホグワーツの監査として派遣される事が決まっている。ゴブリン連絡室から法執行部に配置転換させられる予定の逸材だが、訓練相手には丁度いいだろう」
 それは、言葉通りに受け取るべきか。
 大臣室と法執行部から各1人ずつ、との意味合いではなく、訓練相手には丁度いいとされるレベルと、ゴブリン連絡室という一見今回の件とは関わり合いがなさそうに見える情報を出した事を含めて。
 何故今なのか。何故、ゴブリンが、或いはゴブリン連絡室に所属する魔法使いが出て来るのか、現時点では何処とも結び付かない。
 こちらに流れて来る予定のレストレンジ家の金庫から何かが今更引っ掛かった訳でもないだろう、幾らお役人様でも関わっている人間関係からしてタイミングが遅過ぎる、動くのであればジョン・スミスと同じか直後くらいでなければならない。私の訓練相手ならば、それくらいノロマでなければならないとも思うのだが。
 無能な味方代表格の部署から人の形をした肉が派遣された所で、まともな魔法使い0.1人分の仕事も期待出来ない。だから年度変更を見計らい他部署から使える人材を無理矢理引っ張って来た。これは考え難い。
 魔法界の元ホグワーツ生、特に法執行部に所属して胸を張れる輩は無能の極地に居る。口ばかりの矜持だけで中身の伴わない権威主義が横行し、闇祓いやウィゼンガモットに対して正しい評価すら付けられない人間が、正しい行動を取れるとは思えない。
 関連部署に一言も通さず護衛を確約した腹いせならば、派遣される人員は身内を使う。ゴブリン連絡室から来たばかりの、言ってみれば赤の他人を割り振る理由にはならない。要請を受けたが面倒に思い、右も左も判らない新人に割り振りした、ならば何故アークタルス・ブラックはゴブリン連絡室の話題にまで触れた。
 確実に、何かを見落としている。私は今迄得た情報の中の内、何を幾つ、組み込み忘れているのだ。
「私の言葉の意味をきちんと受け取り、考えているね。けれど、そのような表情も出来る限り隠しなさい。は何よりも先に、はったりを覚えるべきだ」
「はったりも、難しいです」
「ポーカーフェイスの名で何もかもを隠してしまう必要はない。君は笑顔で居られる子だから思案する際は普段と変わらない笑顔でいるよう意識しなさい」
「はい、アークタルス様」
「では私から。君の掛けているそれ、サングラスは相手に不信感を与えるが、不幸にして医療器具として正当に利用出来る立場に居る。マスキングには便利な道具だ、存分に駆使し、尚且つ頼り過ぎないよう心掛けなさい」
「判りました、ファブスター大佐……この場合は、校長先生の方がいいのでしょうか」
「確かに、今のは先生のような物言いだったかな。誕生日を祝いに来た、唯の園芸好きのおじさんの意見として気負わず受け取ってくれた方が君には効果的かもしれないが」
 唯の園芸好きのおじさんは、真っ昼間から濃い飴色をしたウイスキー・ソーダをジンジャエールの如く喉から胃までの直通で飲み干したりしない。還暦を超えたとは到底信じられない白い肌が青白くも赤くもなろうとしないファブスター校長の体は、一体どのような構造になっているのだろうか。
 こちらはこちらで、新たに茶色の砂糖水を作っていたオルフォード・クラックネルが甘味と甘味飲料の合せ技に舌鼓を打ちながら、親しげに口を開く。
「貴方は髪を染色する若作りですけど、何年生まれでしたっけ。11歳相手にオジさんと呼んで貰える年齢じゃなかったような」
「鋭い指摘をありがとう、正論だね。では以後、彼のお爺さんになるとして、君もこれから私を父親のように敬ってくれるのだろうね」
「実の父親以上に。今度住所教えてください。瓶ビールをダースで手土産にしてもファブスターなら顔色一つ変えずに耐えられそうですから」
「私には耐える必要すらないよ。けれどきっと、君は耐えられないだろうから、頭蓋骨の予備を11個分、準備しておいてくれ」
「大佐殿は意外と算数が苦手ですよね」
「警部殿の文章問題に対する理解力程ではないよ」
 子猫よりも成犬に例えられるような外見を除けば、何処か懐かしさを感じる仲の良い会話を聞き流し、ワインから立ち上る小さな泡の線を眺める。すると、グラスの先で灰色の視線と目が合ったような気がした。
 悪意のない冗談もTPOによっては褒められたものではないと僅かな表情の変化で内心を告げたアークタルス・ブラックの機嫌を取るべく傍に寄ると椅子が二人掛けに姿を変えたので遠慮なく座り、ルドルフ君よろしく甘ったれた仕草で凭れ掛かる。久し振りに頬を揉まれたのでついでに視線を合わせてみたが、今は他に懸念材料があるのか、開心術を行う気分ではないらしい。
「ミス・アンブリッジ、彼女はより強い権力に追従する気質なので私達や大臣が後ろに控えている以上、そちらに不安材料はないのだが」
「はい」
「今現在、大臣室と法執行部は君の処遇を巡って意見が対立している。大臣室は闇祓いを護衛にと打診していたが、法執行部が難色を示した」
 法執行部はこれだから、と吐きそうになった溜息を飲み込み、これだから私が好き勝手しても犯罪行為が全く露見しないのだと、やんわりした笑顔を保つ為に相手の無能さを蔑み前向きな考えへ訂正する。
「ウィゼンガモットの機能を酷評し、分不相応にも改革と言う名の解体を目論む人間は保護するに値しない。それとも、権力と人脈という姑息な手段を用いて死喰い人デス・イーターの嫌疑から逃げ果せたレギュラス・ブラックを慕う子供など到底許せるものか、辺りですか」
「それでも随分幼稚な理由だが、真実はより矮小だ。彼等は自分達が手塩にかけて育て失敗したネビル・ロングボトムよりも、君が目立つ事が許せないらしい」
「そちらですか」
 闇祓い達の自己評価と能力の乖離は兎も角、どれ程実力がアレであろうとも職務に命を掛けている分、殉職した身内の遺児を気に掛け甘くなるのは人情と、仲間意識と、職員への士気という点で理解出来るので責めはしない。
 私自身、身内贔屓は大好きであるし、ブラック家にしても間違いなくそうだろう。今日この場に居る他の面子にしても、元軍人達、元警察官、現犯罪者と、部下や同僚を庇わなければ立ち行かない組織に関わり合っているので、この辺りは誰も責めない。
「大体は理解出来るのですが、目立つという意味がよく判りません」
「何の捻りもない、言葉通りそのままの意味だよ。我が子が一番と喚く、迷惑極まりないモンスターさ」
 流石闇祓い、予想に違わぬ無能集団。
 隣で談笑していた2人も、噂程度で知ってはいたけれど肯定して欲しくなかったと個性豊かな表情で語っている。私にしても、きっと同じような顔をしているだろう。
 そして調教失敗の原因がこんな所で判明したが、心の底から納得する回答を得た。
 あんな連中に幼少期から教育を受けるくらいなら、イースト・エンドで殴り合い罵詈雑言をぶつけ合う大人達を観察して育つ方がまだマシだ。メルヴィッドに引き取られる前にあの界隈で一時的に世話になった事があるが、世話を焼いてくれた男性が人格者だったので、治安以外にそう悪い印象はないという経験という名の主観もある。
 オーガスタ・ロングボトムや周囲の大人達は、ダンブルドアに対して立派に立ち振る舞ったが、もう少しだけ努力が必要だったのかもしれない。
 亡き息子夫婦の同僚はきっと優しかっただろう、両親の居ないネビル・ロングボトムに寄り添い安らぎを与えた事もあっただろう、しかし、だからといって教育を任せるべきではなかった。彼等に教育を与える力はない。
 そして、分別を教える力もまた、持ち合わせてはいない。
「何の意味も持たない護衛が、ただ自分の子供が優れていると喧伝したいがためにネビル・ロングボトムに張り付くのですね。学校内という狭い世界ですから、本当に優れているのならば意図せずとも突出してしまうものですが」
「辛辣だね、少年」
「ダニエル、彼は護衛を望まざるを得ない状況に嵌められたから否定的にもなるさ」
「いえ、大佐。その辺りは嵌められたなりに楽しんでいるので別にいいのですが」
「気にしてないんだ? 僕、少年の価値観をちょっと読み違えてたかな。ああ、いいや、話を続けて」
「ええと、大人の軋轢というか皮肉や嫌味の応酬が面倒だなという事と、向こう側の護衛にマッドアイと二つ名が付けられている方が居ないといいなと思っていまして」
「ああ、アラスター・ムーディなら魔法界から離れていた僕でも知っている。テロリストに素性と居場所を知られる行為がどんな意味を持つのか理解も予測も想像もしていなかった戦中魔法界特大級の馬鹿だ。いや、居場所は本部の位置を知られている以上、闇祓い全員が馬鹿だと言える」
「辛辣ですね、ダニエル」
「元警察官からしてみると、どうしてもね。軍人視点でも同じ意見だと思うけど」
「正当な評価を下すのに役職は関係ない、普通の教育を受けた、普通の人間は君の意見を支持するよ。少なくとも、マグル界では」
 アラスター・ムーディの低能さは以前に脳内で少しだけ触れたが、目の前の2人も私と同意見のようだ。
 しかし、ファブスター校長の言葉、警察や軍関係者だからではなく、ごく普通に生きている人々でも名の知れた闇祓いは危険だと判断出来る、そう断言出来てしまう環境が心底羨ましい。魔法界では私のような馬鹿で愚鈍な老爺でさえ頭が良いと言われてしまうような、馬鹿の楽園とも呼べる最低最悪の環境だというのに。
 あの時は差し迫った状況だった為、脳に余裕がなく思考も言語化もしなかったが、アラスター・ムーディを筆頭に闇祓い達は自分を天才だと思っている馬鹿だとしか形容出来ない。
 古い話になるが、その昔、今で言う未来の時間軸で、複数人の人間をハリーに化けさせてリドルの監視を掻い潜り、ダーズリー家から脱出させる作戦を盗撮し、一部始終を見た事がある。
 あれは本当に、本当に酷いものだった。
 5年10年にも及ぶ監視ではなく、たかが数ヶ月の期間ならば1分1秒すら逃さない人員配置を敵は行っているだろうと予想に入れるべきなのに、ごく普通に訪問し、日程を数日ずらすというごく単純な偽情報を1つ流しただけで満足する情報戦の浅さにも驚いたが、開いた口が塞がらなかったのはその前後、確か前だったような気がする。
 アラスター・ムーディはこう言った。
 リリー・ポッターの保護呪文を破る方法は2つ、1つはハリーの成人を待つ場合、もう1つはダーズリー家を家庭と呼べなくなった場合。
 これを見聞きした時は流石に堪えきれず、声に出して相手に届かない思いをぶちまけた。大抵の物事は笑って済ます父ですら、物言いだと叫びクッションを投げた。
 アラスター・ムーディは記憶力もなければ、単純な論理思考すら出来ない馬鹿だ、この男は駄目だと。そして此処に居る連中は全員、人の上に立つべきじゃないと。
 ハリーが未成年、年に1度は必ず帰宅、親族の庇護下、この条件が揃っている限り保護される強力な呪文は、リリー・ポッターの物ではなくダンブルドアが手掛けた魔法だ。これはリドルが確信し、そしてダンブルドア自身も間違いなくそう言ってるので確約出来る。
 リリー・ポッターの保護呪文はそれとは全く別条件、別効果の、リドルがハリーに触れられない類のものだ。母と子という血の間で交わされた、強力な古の呪文だ。
 だからこそあの時、リドルはハリーの血を己に求めたのだ。
 だからこそ、骨と血と肉を元に作り上げた新たな肉体を得てからやっと、彼はハリーに触れられるようになったのだ。
 もしも前述の保護呪文までリリー・ポッターの魔法であったのならば、肉体を手に入れた時点でそれらの呪文も効果が消失するだろう。態々、2年以上も潜む必要はないのだ。好機などそこら中に転がっているのだから。
 何故あの時、ハリーは黙認したのか。何故あの時、周りで聞いていた魔法使い達は誰1人として異議を唱えなかったのか。何故アラスター・ムーディは、自分の言葉に一切の疑問を持たなかったのか。
 まあ、馬鹿だから、なのだろう。
 あの中には闇祓いを始め、首席卒、監督生、学校対抗試合の代表等、私のような何の肩書も持とうとしない凡夫からしたら頭が良さそうに見える肩書を持った魔法使いや魔女が複数居た。しかし、結果はこれである。
 そういう場所なのだ、魔法界は。
 否、彼を欠いた、私の世界の魔法界は。
、ポーカーフェイスが崩れて笑顔が強張っているよ。大丈夫だ、一部の魔法使いもまた、闇祓いの危険性を認識している。そうですね、アークタルス」
「ああ。しかし、あの部署を切り崩すのはもっと後だ。面倒事を押し付けてしまうが、耐えてくれるね」
「レジーの身は安全ですか? 彼さえ大丈夫ならば、私は幾らでも耐えられます」
 自分で頬を揉み表情を戻す中でアークタルス・ブラックに柔らかく命令され、一も二もなく首を縦に振る。お兄ちゃん達が血相変えて心配する訳だとオルフォード・クラックネルが小声で呟いたが、先に念の為の確認事項があったので無視をした。
 私は私の身よりもレギュラス・ブラックの方が大切なのだ、メルヴィッド的な意味で。
「レギュラスは勿論、最優先で安全を確保する。書類が必要なら用意してあげよう」
「いいえ。アークタルス様がそう仰るのならば過不足なく、そうなのでしょう」
 この点に於いては、私だけでなくメルヴィッドもエイゼルも、全面的にアークタルス・ブラックを信用するだろう。本来ならば問う必要すらない疑問だが、レギュラス・ブラックを心配していますという演技は今後も常に行うべきだ。
「レギュラスの安全が確保されている以上、次点は君だ。護衛候補の選定は全てPen.G.S.に任せているが、今どのようになっているかな」
「亡命した元ソ連兵の魔法使い達を中心に編成しています」
「なんだよ、それ。よくそんな人間が居たな」
「居るさ。ローザやPen.G.S.の前線に立つ社員達も、魔法使いで元軍人だ」
「ああ。そう、だな。こっちが思い付くんだ、あっちが思い付かないはずがない。どの国にだって一定数は存在する。悪かった」
「侮辱した訳じゃないだろう。謝罪の必要はないよ」
「ああ、うん、じゃあさ。何で君の両手にアルコールが」
「一気は体に悪いから気を付けてくれ、急性アルコール中毒にでもなったらこの子に泣かれてしまう。そうだ、アークタルスからはロシア語を学ぶ予定だと聞いたから、彼等にも色々宜しくと伝えておいたけれど」
「そ、れは大変有り難いのですが、でも、傭兵とは関係のないお仕事では」
 ちょっとした失言の所為で泣き言を言いながら暴力的なアルコール度数を誇るであろう酒を飲むオルフォード・クラックネルを心配しつつ、明らかに業務外と思えるような命令を出したファブスター校長に狼狽し、意味もなくアークタルス・ブラックを見上げる。
 言葉の教師は多い方がいいと、子犬を可愛がる飼い主の顔で頭を撫でられたが、そうではない。この状況、果たして大丈夫なのだろうか。
「子供好きを集めたのだけど、皆して顔がこう、厳つくてね。話しかけるきっかけを与えてやって欲しいんだ」
「そのような理由ならば」
 彼がそこまで言うのなら、多分大丈夫なのだろう。護衛に問題が生じないのであれば、生のロシア語を学びたい。テキストでは決して知る事が出来ないような表現が、対人から生じる言葉の中にはある。
 やる気に関しては、正直に言うとフランス語程はない。面倒だ、嫌だという気持ちがないと言えば嘘だ。けれども、アークタルス・ブラックが付けてくれる家庭教師よりも気軽に楽しめる学びの場になるだろうと思える。
「心配する必要はない。彼等は絶対に、君を好きになるから」
 左手に残っていた透明な蒸留酒を一気に飲み干したファブスター校長の言葉と笑顔に引っかかりを覚えたが、恐らくそれは、悪い意味ではないだろう。
 ただきっと、今隣に座る傷付いた人間のように、誰かの寄り添いを必要とする兵隊達が沢山居る、それだけだ。