曖昧トルマリン

graytourmaline

クラップショット

 硬化した頭皮が揺れ、血管が透けて見える大きくて薄い耳が、辺りを探る訳でもないのに忙しなく動く。目を瞬かせつつ身振り手振りを交えて会話を試みるのはグレムリンの習性なのか、それとも単なる個性なのかは判らないが、どちらにしても大変可愛らしい。
 個人的には是非とも前者であって欲しいという欲を隠しつつ、幼い声に耳を傾けた。内容はというと上司の趣味を暴露している訳だが。
「それでね、実は内緒の話だけどね。ジョイスはアメコミオタクでギークなだけじゃなくてライダーだから、バイクにも乗るんだ。格好いいよね。大切なマシンだから勝手に触ったりしないよ、無断でメンテナンスもしないんだ。本当はやりたいんだけどね」
「本能として好きなのに我慢が出来る忍耐は尊敬に値します。グレムリンは理性的な方々なんですね」
「だって、ジョイスは僕達の上司で、友達で、大好きな人間だから。好きな人が駄目だって言った事はやっちゃ駄目なんだよ。えっと、知らない人や嫌いな人でも一緒だけどね。それにね、嫌だって言われてるのに無視して自分勝手にするのは迷惑で、悪い事なんだ」
 少年にも少女にも聞こえる声で囀り、小さな体を目一杯使って目の前の上司を語るグレムリンに相槌を打つと、ウサギの耳が感情を顕すように前後した。
 指先で触れて、撫でくり回すように弄り、摘んで左右に引っ張りたい衝動を抑えつつ相槌を打ち、忍耐力を褒めると少しだけ誇らしげに笑い返された。
 愛嬌が詰まった笑みなのだが、口端が吊り上がると隙間から歯が見えているので、彼等を知らない人間にとっては威嚇されているようにも見えるのかもしれない。事実、エイゼルは反射的に腰の辺りに手が伸びて杖の存在を確かめていた。
 そのような反応自体は珍しくないのか、ジョイス・ロックハートは余裕ある素振りでチェリー風味の炭酸飲料を飲みながら表情を緩めておりグレムリン当人も全く気に留めた様子がない。因みに見た目が大人である彼女は、会話に参加する気はないらしい。
 彼女が会話に入って来たら、あの妙なタコはバイクのグリップを握り過ぎた為なのかと話題を振っていたのだが、アンバーの瞳は異種族の小動物がファーストコンタクトを取る光景を眺める人間のものだったのでしばらくは観察を続けるつもりなのだろう。
「私も、貴方と友人となりたいのですが、宜しいですか」
「それって凄く今更だ。プレゼント壊しちゃって、招待されてないのにパーティに来ても怒らなくて、フォーテスキューのアイスクリームまで食べさせてくれたんだよ。君と僕はもうとっくに友達だし、友達になりましょうって確認するのはナンセンスだと思うな」
 二つ返事どころか既に決定事項だと返され、余りにも純真無垢な目と言葉に胸の辺りがなんともむず痒くなった。
 友人となる垣根が低いのは、きっと精神年齢が子供だからなのだろう。
 肉体的にも精神的にも十分に成人しているメルヴィッドやエイゼルは未だに友人と呼べる間柄ですらない。餌付けは容易ではあったがしばらくの時間を要したし、第一、気に入られているのは料理の腕だけで、関係性はというと精々しがらみのない協力者だ。勿論、嫌な訳ではなく、大変貴重で最優先で守り通さなければならない関係なのは、今更言うまでもない。
 会話の合間にストロベリー・アンド・ピーナツバターのアイスクリームを頬張り完食したグレムリンは、私とは全く異なる思考をしていたらしく、名案でも思い付いたのか私の手を握り瞳を輝かせた。
「今度の10月に僕達もパーティやるんだ、毎年皆でやってるんだけどね。招待するからおいでよ、ハロウィンのパーティで、君は子供だからたっぷりお菓子が貰えるよ。お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞって言うと、貰えるんだ。だってアメリカ式だもん」
「お菓子は大変魅力的なのですが、その日は……申し訳ありません、恐らく参加出来ないと思います。9月からホグワーツに通う予定になっているので、外出許可を取らないと」
「あ。そうだった。僕も知ってるよ、忘れてただけで。じゃあ、お家に帰って来るクリスマスにしようよ。皆でクラッカー鳴らして、ターキーやケーキ食べて、プレゼント交換して、ゲームするんだよ。コスチューム・プレイ有りのパーティなんだ、去年はね、参加した人達全員でグリーンランタンに変身したよ。それで粉マスタードを投げあったんだ。気が付いたら、何人かケチャップにも塗れてたけどね」
「失礼、自己紹介が未だでしたね。と申します、好きな色は黄色です」
「あれえ、もしかしてグリーンランタン嫌い?」
「恐怖と臆病者を司る色が好きなだけですよ」
 正直な話、ちょっと楽しそうなイベントだなとは思ったのだが、隣のエイゼルが表情と視線で、冗談も軽口も許さない首を縦に振る行為や参加など以ての外だと訴えていたので諦める。当然の事ながら私の身を案じている訳ではなく、保護者として彼が同伴という条件が容易に想像付くからだろう。確かに、私としてもこの子が錆味のトマトソースに塗れるのはいただけない。
 炭酸飲料を飲み干したジョイス・ロックハートは彼の味方をするようで、王子様が発狂するかもだから誘うのは止めなさいと肩を竦めてからフォークを手に取り、聞き覚えのある格言を歌うように口ずさむ。
「運が全てだ……私の人生における幸運は臆病者だった事だ。恐怖に対してとても臆病だったのは運が良かった」
「なぜならヒーローは優れたサスペンス映画を作れないからだ。アルフレッド・ヒッチコックの言葉だね」
「そう。でもま、映画の長さは人間の膀胱の我慢強さに直接関係させるべきだ、って言葉の方が遥かに実践的で好きなんだけどね」
 もう若くはない人間と、あまりにも若過ぎる人間にとって180分を超える上映時間は終盤突入前から拷問になる、ダンス・ウィズ・ウルブズのエンドロールで一体何人の観客が早足で席を立った事かとインターミッションの大切さを嘆くジョイス・ロックハートの隣で、エイゼルがレンタルビデオ屋が繁栄する理由の一端はそこだと引き受けた後、カウサをフォークで突き崩した。
「私にとって、映画とは人生の一片ではなく、一切れのケーキだ。こっちの方が私は好きだよ。どちらの名言にしても、彼は生粋のエンターテイナーで、最高のスリラー作家だって事には変わらない。ただ辟易するのは、暗喩、メタファー、隠されたテーマとメッセージ、なんて安易な表現を使って自分を頭良く見せようとする滑稽な観客が呼ばれもしないのに出て来て、ただ映画を観る行為そのものを楽しんでいるファンを見下す事かな」
「意外だな、エイゼルは考察系だと思ってた。いや、鑑賞方法を違う相手を見下すんじゃなくて、その前半まで」
「矢鱈と思考を張り巡らせて理屈っぽくなるのはと自分の人生に対してだけで十分だよ。映画は娯楽として楽しみたい、コミックスやドラマもね。移動遊園地みたいに、少しだけ特別な非日常のイベントとして。ただ、映画館にも遊園地にも行った事がないから、本当に非日常なのか判らないけど」
「普段から慣れていなければ何だって非日常さ、ウェールズやアイルランド在住者にとって地下鉄が遠い異国の乗り物なようにね。魔法使いにとっては、遊園地より映画の方が非日常かもしれないかな。おっと、ミスター・”ブルース・バナー”のお出ましだ」
 皮肉ではなく単純な事実を言葉にするジョイス・ロックハートの視線が晴天の下に現れた3つの人影を指し、その中でも特に目立つ、何処から言及していいのか判らないような全身筋肉の巨漢の男性が軽く手を上げて挨拶を返した。
 目測で身長は2m半ば、体重は150kg以上ある。ブルース・バナーとは言い得て妙と感心するべきなのか、ハルクと彼は同一人物と見なすべきではないと否定する方が得策か、一瞬躊躇した後に出した答えは、モヒカンではなくスキンヘッドではあるものの濃褐色の立派な髭をたくわえているので、寧ろソ連出身のプロレスラーである赤きサイクロン辺りが相応しいと脳内で決定した。
 冷静に且つ魔法界的に考えれば先祖の誰かが巨人族で、彼自身はジョン・スミスのように健康的肉体美を追求しているだけの普通の魔法使いという結論辺りが妥当だろう。他に言えるのは、肌の色から近しい先祖の誰かが黒人だった事くらいだろうか。
「ガスパールだ! あの人はね、この間のハロウィンではね、キロウォグ教官やってくれて大人気だったんだよ、ね、ジョイス」
「いや、あれはどっちかと言うとハートマン軍曹寄りだったよね。会場がマスタード投擲大会からブニョール名物のラ・トマティーナになった時には、率先して女子供を守って鎮圧してくれた戦士と紳士の鏡だったけど」
「”I don't know, but I've been told”」
、ストップ。それ以降は駄目だし、何で曲の途中から歌おうとしたのかな。今この場ではロナルド・リー・アーメイの即興訓練歌なんて誰も望んでないから」
 エイゼルの放った杖なし無言呪文を避けずに正面から受け止めると舌が一瞬固まり、こちらで解除する間もなくすぐに元に戻る。卑猥な大変態ソングならば、せめて歌詞付きではなく鼻歌にしておくか、軍曹役を奪われた俳優が放った、逃げるやつはベトコンだ、逃げないやつは訓練されたベトコンだとでも言った方がよかったようだ。
「君は下品な曲を止めてアルコールで口をゆすごうか。昨日のラム酒持って来て上げるから大人しく腹を括っていようね」
「お迎えに行って来ます」
 やらかした側の悪行からは目を逸らした上で、75度の蒸留酒をストレートで飲ませるぞと脅されれば、余程の中毒患者でもない限り誰だって逃げ道を探るだろう。
 小さな体を綿毛のように浮かせたグレムリンを追い来場した巨体へ向かって突撃すると、視界の端に映ったマリウス・ブラックがテーブルから離れるなとジェスチャーしていた。当然、無視をする。
 エイゼルから逃亡という目的を差し引いても、新たに客人が訪れたのだから出迎えに向かう方が優先順位は高いに決まっている。そう立派な言い訳を内心で作り上げた私の背中に、嘆息混じりの黒い視線が突き刺さっているような気がした。気の所為でありたい。
 何時の間にかメルヴィッドの足元で寛いでいたルドルフ君も隣を歩き始め、見た目だけで判断すると非常に微笑ましいグループが出来上がった。後は主人のテーブルで当たり前のように尽くしているクリーチャーを呼べば完璧なのだが、幸せそうに料理や飲み物を運ぶ彼をこちらに呼ぶのは可哀想なので止めよう。
 説得を諦めたマリウス・ブラックが遠くからの早足で掛けて来たので挨拶を譲ると、口を開くやいなや30分遅いと文句を言い放った。食事内容がきっちり決められたディナーならまだしも、入退場自由な立食式の誕生日パーティならば30分は遅刻の内に入らないのだが、本気で言っている訳ではなく口の悪い挨拶の一部のようだった。
 それに対して、贅を尽くした大規模なレセプションパーティなら兎も角、小規模なガーデンパーティで主賓と初対面の人間が開始と同時に雪崩れ込むのは私やマリウス・ブラックの負担になるだろうと巨人が相手を気遣う正論を告げる。次いで、右隣に居る力士を小柄にしたような体格の男性も時間きっかりに40代のおじさんが会場に来たらがっかりされる、そういうのは美男美女が担うべきだと柔和な笑みを浮かべながらフォローをした。その彼の青い視線が、私に注がれ、次いで巨大な体の影に隠れている眠たげな表情をした長身の美男子を呼び寄せる。
「初めまして坊や、11歳の誕生日おめでとう、そして本日はお招きありがとう。僕はオルフォード・クラックネルという者だ、ロンドンでNGOの代表を務めている、ただのスクイブ。出来ればダニエルと呼んで欲しい、自分の名前は好きになれないんだ。それで彼は」
「君達にはトランシルバニアと呼ばれる地域に居住している、吸血鬼のサングィニという。君、貴兄の武勇、そして推し量れない程の慈愛と誠実さはマリウス君から聞き及んでいる。痛ましいその右目を厭う輩がこの世に」
「あ、これ周りが見えてない、長くなるヤツだね。坊やはウォープルの伝記は読んだ事あるかな。あの本かなり正確で、彼は嘘偽りなくこういう吸血鬼なんだ。食欲的な意味を持たず人類が好きで、誇り高い存在を愛しているんだよ。では、初対面で申し訳ないけどちょっと失礼させていただくよ、ミスター・サングィニ。まだ隣に居るリトル・ジョンの自己紹介が終わっていないんだ」
 オルフォード・クラックネルとは対象的な長く熱っぽく一方的な会話が始まる事を察し、無骨な右手がロビンフッドの相棒の背を叩く。当人は老人と訳の判らない口論をしており、グレムリンは顔馴染みに挨拶だけして満足したのか、既にこの場から消え、遠くでデザートのおかわりを貪っていた。
 未だ称賛を続けるサングィニの足元でルドルフ君だけが空気を読んでか読まずかお腹を見せているのが可愛らしい。このまま撫で回してもいいだろうか。当然、いい訳ないのだが。しかし、当人がこの状態では折角アークタルス・ブラックから貰った情報であるブラム・ストーカーについても、ライシアム劇場についても話題を振れない。
「しばらく無理かな。僕の方から一応紹介だけしておくけど、彼はガスパード・シングルトン。見た目通り多民族、多種族の融和だか混合だかを体現したような気の良い男だ。ミスターよりもムッシュ・ガスパールと呼んであげた方が喜ぶかな。イギリス国籍のフランス育ちなんだ、彼。顔はちょっと怖いけど、複数カ国語操れるし技師としても優秀で、こう見えて中々インテリなんだよ」
「シングルトン……もしかして、自動撹拌鍋を発明した」
「よく知っているね、そうか、保護者の方がそっちの人だったから」
 繊細で精密な動きを一定で行う道具は重宝するので家にも数個あると答えると、開発者当人ではないオルフォード・クラックネルが目を細める。サングィニとは違い、彼とガスパード・シングルトンは旧知の仲なのだろう。マリウス・ブラックの言っていたガスピーとは間違いなく彼の事なので、もしかしたら3人が仲良くそうなのかもしれない。
 微笑ましい空気を醸したかったが、私と彼以外の会話に耳を傾けると、そうも行かない事を自覚させられる。時間通りに来なかった彼等の判断は、きっと正しかったのだろうと思わせるような光景だった。
「幼いながら巨悪と理不尽に立ち向かうその姿勢と覚悟、君の勇気には我が一族の族長も深く感銘を受けている。是非一度相見をと打診したのだがイギリス魔法省に身柄を拘束されている以上、簡単には行かなくなってしまった事が悔やまれ」
「だってお前、考えてみろよ。ワインもビールも水と同じだぜ、スコットランドじゃあアルコール度数40度未満のドリンクは酒じゃないって法律があるんだぞ」
「嘘だろう、そんな法律も条例もない」
「馬鹿言うんじゃねえよ、この俺の澄んだ目を見てみろ。嘘だけど」
「ブラック家に囲われている君の身の安全は既に保証されているが、人間同様、吸血鬼も一枚岩ではないのだ。万が一、道理の判らぬ吸血鬼に言い掛かりをつけられた場合には我が名と、そして我が一族の名を出して貰いたい」
「面白くもない冗談だ。もういい歳なんだから相応の落ち着きを持ってくれ、お爺さん」
「言ってくれるな。もういい歳なんだから自由に振る舞ってもいいじゃねえか、若造」
「混沌としている中、本日はわたくしの誕生日パーティにお集まりいただき、誠にありがとうございます。それでは皆様、お食事とご歓談をお楽しみください」
 自由に振る舞う人々に対する有効打は自分のペースを乱さない事という今この場で決めた信念の元、ホスト失格な振る舞いを毅然と行うと、噂通りの豪胆さだと無骨で硬い手の平に頭を撫でられる。
 体格だけならば趣味で肉体美を追求する男性で済むのだが、明らかに一般人のそれではない手にオルフォード・クラックネルの正体を探れと義眼と脳が高速回転を始める。しかし、その手を退けられた直後、差し出すよう言われた腕の中にタッパーウェアに入った黒い卵が投下され意識がそちらに切り替わった。
「アヒルの皮蛋ですね! 嬉しい、ありがとうございます!」
「おかしいな。誰もが嫌がるネタ食材として態々チャイナタウンにまで足を伸ばして持って来たんだから、そこで喜ぶのは違うと思うんだけど」
「私は皮蛋好きですよ、鶏卵で自家製を作って失敗するくらいには」
「失敗するんだ」
「最初はしょっちゅうでした。今はちゃんと作れます」
 材料が既に食べ物系ではない事と、卵白ならぬ卵黒に卵黄ならぬ卵緑というビジュアルとアルカリ性食品が放つ独特の匂いが印象的なのでメルヴィッドやエイゼルからは毒物認定をくらい絶対に口にされないが、私自身はさして抵抗がない。寧ろ、以前食べざるを得なかったウナギゼリーの方が味や食感的に余程辛かった。
 杖を一振りして切り分けた皮蛋を皿の上に美しく並べ、テーブルの上に配置するも周囲の人間の反応は芳しくない。よく観察してみると、喜んでいるのは私だけのようだ。持参した当人でさえ、面白くはあるけれど食指は動かないという表情をしていた。
 この場に皮蛋持参とか信じられないと表情で語る3人の男性に対して軽く肩を竦めたオルフォード・クラックネルは、最も背が高く横幅も広い男性に向かって、いいから君は自分仕様のグリルで肉を焼いて来なよと追い払う仕草を見せる。
「お、確かにそうだな。お前達は何の肉持って来やがったんだ、俺は今朝取れたばっかりの新鮮なロッキー・マウンテン・オイスターだ」
「ワニとザリガニ、ニューオリンズ産」
「私は天馬とクラップとニーズルの肉を手に入れて来た」
「あー……ガスピー、先に始めといてくれ。サングはちょっと待て」
 自らも牛の睾丸という破天荒な食材を持って来た自信満々のマリウス・ブラックであったが、馬肉と犬肉と猫肉はイギリス人的にいただけないのか、先に訊くべきだと首を横に振り肩を組んで吸血鬼を私から遠ざけようと動いた。
「む、何故だ。彼は珍しい食材も喜んで受け入れるだろうと言ったのは貴殿ではないか」
「ちょっと珍し過ぎるんじゃないかなってアレだ、この坊やにも苦手な食材があるんじゃねえかって話だ」
「よく判らないが、君。貴兄はベジタリアンなのかね」
 ネタではなく完全な善意で3種の肉を用意してくれたサングィニに、日本の食文化で育った私が言える言葉など決まっているだろう。
「いえ、お肉は大好きです。体に害のある物以外なら何でも美味しくいただきますよ」
「だそうだ。何も問題ないではないか、マリウス君」
「少し待て、今俺の脳味噌フル回転で理解しようとしてる。、お前そういう肉は食べられるのか」
「毒さえなければ何でも食べますよ。ありませんよね?」
「無論。人体にも、我々吸血鬼にも悪い影響を与えるような物ではない」
「あー、そうか。いや、食べられるならいいんだよ」
「宜しいのですか、てっきり頭から否定されるものかと」
「価値観の違いを飲み込むのに時間が掛かっただけだ、オウムやインコ飼ってる奴がチキンソテーやローストターキー食わねえかって言うとそうじゃねえって話だろ。俺は馬も犬も猫も食わねえ文化の中で育ったけど、お前等は違う、それだけだ」
 一般的なイギリス人は馬肉を嫌厭すると聞く、犬肉や猫肉は日本人でも食文化の否定こそしないが自分は食べないという人間が多数に違いない。マリウス・ブラックの反応は、ごく単純にこれであるだけの話だ。寧ろ、感情的にその動物を食べるなんて可哀想だありえないと過激でお節介な論が飛び出さないないだけ非常に平和である。
 僕もバーベキュー系は遠慮したいなと手を上げた隣の保守的な食文化人に、では問題なく食べられる食事が用意してあるテーブルへ案内しようと手を挙げた。
「サングィニ様も後で是非いらしてくださいね、卵やお肉を使って野菜を出来る限り排除したメニューも用意致しましたから」
「それは有り難い、恩に着る」
「お礼ならばマリウス様に。動物性食品しか食べられない吸血鬼が来るから、植物性の食材を排除した料理も作ってくれと事前に頼まれていたので」
「そうだったのか。ありがとう、マリウス君。貴殿はいつもそうなのだな、誰もが快適に過ごせるよう根回しを怠らず、素知らぬ顔で過ごすような」
「煩え黙っておけよヴィジュアル系コウモリ野郎にスーツに着られる仔犬ちゃんよ! いいから来い、クソ程食う野郎が居る中で地獄の焼き肉作業を思う存分手伝わせてやる!」
 ストレートなサングィニの善意を怒鳴り声で遮り、真っ赤な顔でガスパード・シングルトンの元へ引っ張っていく光景を、青い瞳を持つオルフォード・クラックネルと眺め、やがてどちらともなく視線を合わせる。
「あ、そうだ。タイミング逃したけど、これプレゼント」
「ありがとうございます。皆様から頂戴した分と一緒に、後で開けさせていただきます。では、こちらへどうぞ」
「美味しそうだね。先にデザート食べていいかな、甘い物が好きなんだ」
「はい。どうぞお好きな物を、お飲み物は何になさいますか」
 冷えたスパークリングワインを注ぐ傍らでメレンゲや蜂蜜が乗った甘いペルー料理を皿に乗せたオルフォード・クラックネルは、息子が居たらこんな感じなのかなあと、くるくると跳ねる薄茶色の巻き毛を揺らしながら、落ち着いた声で穏やかな呟きをデザートの上に振り掛けていた。