曖昧トルマリン

graytourmaline

カレン・スキンク

 2人分の皿に盛られた料理を綺麗に平らげさせられると、彼の構いたがり精神もようやく満足感を覚えたのか近過ぎたパーソナルスペースが適切な距離へ戻った。
 完食させられたとはいうものの、場に反しない程度の慎ましく取り分けられた量なので胃袋が悲鳴を上げる事もなければ肝臓が肥大化する傾向もない。公共の場では問題視されるレベル過剰な世話も、現在集っている面子と場所ならば精々給餌のようだと生暖かく見守って貰えていた。
 しかし、である。折角の料理がレギュラス・ブラックの口に一切入らなかった点が納得出来ない。本人が食べたくない気分だと言っているのならば意思を尊重するが、私に食べさせる為ならば何が何でも食事を与えたくなる。自分よりも幼い子に手持ちの食べ物を問答無用で受け取らせようとする年寄りの奇妙な習性は、古今と貧富の格差から目を背けた上で、洋の東西を問わない。
 ここはお気に入りの子供らしく少し拗ねてみせながら強引に食事へ誘うべきだろうか。私にとっては大変重要な問いに対する結論が導き出される前にメルヴィッドに呼ばれたので一瞬で気持ちを切り替え笑顔で隣に立つと、何の前触れも意味もないまま頭を撫でられた。
 否、訂正しよう、意味はあった。私はこの子が居ないければ駄目になってしまうのだと周囲へのアピールという意味が。
 優しく暖かであると同時に祈り焦がれるような赤い視線を真正面から受け取っていると、褐色の美女が僅かに羨望を滲ませた笑顔を浮かべ、家族愛を育むには時間も種族も関係ないなと言葉にした。当然、メルヴィッドがそれを受ける。
「少なくともにとっては、そのようです……ああ、そうだ」
 アピールをしつつも、過度にシリアスぶった雰囲気を壊す為なのか、悪戯っぽい作り笑いに切り替えたメルヴィッドが私の頭に手を乗せ、顔が好きなんだよねと数ヶ月前の話を蒸し返して来た。
「顔も、ですよ。ちゃんと訂正しましたよ。私はメルヴィッドの顔も、性格も、ご飯を沢山食べる所も、それ以外の全部が好きなんです。メルヴィッドの魂がブヤンの島に隠されていても、エイゼルの魂が泥の箱の中に眠っていたとしても、貴方達の全てが好きなんです」
「気持ちは嬉しいけど、怪物として退治されそうな例えは嬉しくないかな」
「では、ホールウォードにモデルを頼まれた美男子でどうですか」
「私は黒髪紅瞳でドリアンのように純粋じゃない。それに君はヘンリーではないし、もうハリーでもなくなってるよ」
「ハリーにもバジルにも出会わなかった貴方達が好きなので、誰かに退治されそうになった時には矢張り私が2人を守ります」
「何で強引に戻して結び付けようとするのかな、そろそろ冗談に本気の返答を混ぜて来るのは止めようね。ロシア民話の末皇子にもアムステルダム大学の名誉教授にも勇み足で立ち向かう必要はないから、誰よりも先に逃げる事を考えよう。君は私達の中で一番弱いから」
「弱者故に、強者の生存に総てを託し挺身致します」
「勿体ぶった言い回しをする君の脳は瓜に似ていて、耳はまるでミミズクの羽角ようだね。エイゼルに聞かれたら鳥籠に閉じ込められてしまうかもしれないよ」
「鳥頭には適当な籠中の貴婦人ごっこが出来ますね」
「モノクロ時代のカルト映画を不適当な引き合いに出して煙に巻こうとしない」
 これ以上の無駄話を封じる為なのかカラプルクラを問答無用で突っ込まれたので大人しく咀嚼する。ペルー風豚のじゃがいも煮の素朴な味を楽しむ頭上で異なる色をした瞳が視線を交わすのを観察し終えると、代表としてロザリンド・バングズが口を開いた。
「彼がコシチェイか、ドラキュラか、グレイかは重要ではない。問題となるのは、君が自分の立場を理解していないか、理解して尚、そのような言動に走っているかという点だ」
 護衛対象は立場を自覚し余計な行動を控えるようにと、セキュリティを構築する側から言外に呈された真っ当な苦言に笑顔を浮かべ、飲み物を口にする。
 これは誰にも望まれていない私だけの我侭なので、ロザリンド・バングズがその我侭を諸手を挙げて許容する道理がない。後者であると意志表示した途端に茶色の目に苛立ちの色が浮かび上がると予想していたのだが、その辺りの思考や価値観は既に情報収集済みらしく心底呆れた視線を返された。安全確保の優先順位を決して変更しようとしない理不尽で頑固な我侭も含めての契約が、既に成立しているらしい。
「理解しているのならば、それでいい」
「いいんですか?」
「警護専門の同業者は嫌がるが、うちは紛争に積極的介入を行い荒事で稼ぐ方が専門の傭兵だ。自由が欲しいからと突然護衛を出し抜き撒くような事はせず、愛犬の散歩やランチの調達を頼まず、護衛の家族が誕生日だからと勝手に仕事から上がっていいと偽善的な指図も行わない。君はそのような人間だろう?」
「そのような行為はしないと誓います。レジーとエイゼルさえ無事ならば、ローザの会社の方に確認を取り指示に従います」
「十分過ぎる宣誓だ」
 身辺護衛が専門のボディーガードを監視者や召使いや直属の部下扱いする依頼人など、王室に輿入れした護衛慣れしていない一般人か、金に物を言わせるタイプのセレブくらいだと思っていたのだが、彼女の口ぶりからすると相当数存在するようだ。
 純粋な戦闘行為のみで生活して行くには辛い時代とはいえ、スリルの為に傭兵の道へ進んだアドレナリンジャンキー達が自分をすり潰して小間使いにとして平穏な日常に埋没するのは相当なストレスなのだろう。
 幸い、ハリーが入学以降に経験したあれこれを考えると、年に低頻度ではあるものの彼等が求めるような危機がやって来るので、一応の期待には添えるに違いない。
 尤も、それらは全て、私ではなくネビル・ロングボトム側に行く可能性が高いが。
「ロザリンド。一応忠告しますが、は咄嗟の判断力と度胸が並外れて優れているだけで基本的には暴力を避ける子ですからね」
「この子を出しに暴れ回ったりはしないさ、そこまで落ちぶれてはいない」
「レジー、私は暴力容認派ですよ?」
「そう言えるのは、君が本当の暴力を知らないからだよ」
 そう言えるのはレギュラス・ブラックが私の本性を知らないからだとも返せないので困った顔をすると、こんな可愛い顔をする子が率先して暴力を振るえるはずがないじゃないかと抱き締められた。
 暴力性と顔立ちとは関連がないような気がするのだが、こうなったレギュラス・ブラックには何を言っても無駄なので食事から会話まで全てを諦め、大人しく聞き分けのいい弟になり思い切り甘やかされよう。ついでに、離れた場所からゆっくりとした歩調でやって来たこの子の祖父と目が合ったので、こちらには子供らしく笑いかけておいた。
「若い子達で、随分盛り上がっているようだね」
「ロシア民話とアイルランド文学、主にブラム・ストーカーとオスカー・ワイルドについての比較文学を議論していませんでした」
「いなかったのかい」
「はい。いません」
 自分でも酷いと思う一切笑いどころのない戯言を吐いてもアークタルス・ブラックは律儀に笑顔を浮かべてくれる。レギュラス・ブラックに抱かれたまま頭を撫でられている光景を見たロザリンド・バングズが犬が居ると呟くと、隣のメルヴィッドが甘え上手で構われたがりの愛玩犬だと応えて頷いた。
 私自身が犬と呼ばれるよりは、ブラック家の2名が犬で私はお気に入りの玩具のような気もするが、それを口に出したからといって特に何が変わる訳でもないので黙る事を選ぶ。
「君らしい冗談は何であれ、ブラム・ストーカーに興味があるのなら後で来るサングィニという吸血鬼に尋ねてみるといい。彼はストーカーのファンで存命中にライシアム劇場へ足を運んでいたから、私以上に興味深い話も聞けるだろう」
 吸血鬼が来るのに当人の種族に関して尋ねないのか、と考える所だが、そもそも分類学の発達が遅れている魔法界は非魔法界と同様に吸血鬼という定義からして曖昧なのだ。
 私が持っている正確な知識は、一部の吸血鬼は人間の血液以外にも動物由来の食品ならば摂取出来て、植物由来の食品は人間がセルロースを分解出来ないように食べる事は可能でも栄養素を取り込めないという、何の役にも立たないものに過ぎない。
 一通り構われ倒される前にアークタルス・ブラックに椅子を勧めていると、遠くに居たブラック家最後の1人から眼力が飛んで来た。
 声には出されていないものの仕草が騒がしいので要約は出来た、曰く、ジョイス・ロックハートとエイゼルを2人きりにするな、らしい。無視しよう。
「アークタルス様、キャップを大佐に任せてしまっても大丈夫でしょうか」
 私が彼等の中に突入した所でファブスター校長の心労が増えるだけだと言われればそれまでだが、どうしても大きな男の子のイメージが払拭出来ないマリウス・ブラックが誰かと一緒に居るとその相手が気懸かりだった。
 そのような懸念を正しく汲み取ったアークタルス・ブラックはしかし、苦笑しながら2人きりにさせてあげなさいと言い、更に殺傷能力を含んだ爆竹を投下した。
「部隊は違えど同じ戦争を経験した戦友だ、積もる話もあるだろう」
 同じ戦争を経験。
 40年程前に起こった朝鮮戦争、ではない。否、朝鮮戦争だとしてもあれだが、マリウス・ブラックは大戦の終戦後に任意除隊したと昨日言っていたではないか、最後の戦争がそれだとして士官学校を卒業したとしか考えられないファブスター校長の年齢を逆算すると。
「あの、ローザ」
「何かな」
「ファブスター大佐は、お幾つですか。てっきり50代の半ばか、後半くらいだと思っていたのですが」
「それは私の年齢だな。彼の歳は、君の頭の中で計算した年齢で合っている」
「……あの若さで1920年代生まれなんて嘘でしょう、それにローザは40代じゃないんですか。ついさっき、メルヴィッドとエイゼルを足した年齢だと言っていたじゃないですか」
「足しても届かない、と言ったんだ」
 あの外見で70代、この美貌で50代。人体は神秘に満ちている。
 昨夜マリウス・ブラックがファブスター校長に対して色々言っていたが、年齢よりも若い顔だと手を変え品を変え全力で揶揄していたと今更思い至った。しかしこれは、童顔という言葉で済ませられる域を超えている。
 当然、見た目と実年齢が異常にかけ離れている私自身に関しては全力で触れない方向で行く。メルヴィッドが微笑ましいものを眺める笑顔の奥で何か思い切り言及したそうな雰囲気を放っているような気がしないでもないが、鈍感な爺の気の所為だとしておこう。
 童顔2名の実年齢に衝撃を受けている間に、レギュラス・ブラックが料理が乗った新しい皿を持って来てくれたので半ば放心状態で受け取ると、何故か空いた手を差し出された。理由も判らないまま当然のように手を置くと、そのままゆっくりと腕を引かれグループを離れるようエスコートされる。
「マリウス大叔父様の指示じゃないけど、はそろそろ移動しようか」
「はい、判りました。また後で、気軽なお話をしましょうね」
「……うん。ありがとう、
 私を抜いて残った面子から考えると、どう考えても仕事の話しか考えられない。
 気付きはしたが、はっきりとした言葉にはせず、聞き分けよくエイゼルとジョイス・ロックハートの方へ向かおうとする私の手の甲を何度か撫でた後で、レギュラス・ブラックは名残惜しげにゆっくりと離れる。仲が良過ぎる兄弟というよりも、後ろ髪を引かれながら仕事へ向かう父と、完全に割り切って対応する子のような構図だ。
 皿を宙に浮かせて最後にもう一度抱き合ってから離れると、スイッチが切り替わったのかその横顔は10代の男の子から当主の表情をした男性へと変化していた。
 余り眺めていても話がし辛いだろうからとこちらも気持ちを切り替え、新たな花を発見した蝶のようにエイゼルのグループへと入り込む。まあ、そんな可愛らしい昆虫として表現出来るような爺ではない事くらいは百も承知だが。
「お、来たね」
「丁度よかった。、ちょっと聞きたいんだけど、トレッキー達の前でフォースと共にあらんことをと唱える度胸試しってどう思う?」
「いつかファーストレディになれる日が来たら真剣に考えます」
「ね、ジョイ。言った通りだろう?」
「一語一句違わなかったね。本当に君達は変わってるよ」
「独特の思考回路をしているのはであって私じゃないんだけど」
 メルヴィッド側のグループとの話題の落差が余りにも酷い。アメコミ最強議論からどのような経緯を辿って宇宙の旅行と戦争に関する話題へと移るのだろうか。私を変人と呼ぶのならば、彼等も相当である。
 色々と考えが浮かんだが、どれも口にする程ではないので柔らかく煮た小蕪の器で作った中華風の茶碗蒸しをフォークで切り崩し、大人しく聞き役に徹しようと決めた。
「それでさ、どっちをミスター・グレイソンにして、どっちをミスター・ニグマと呼ぶべきかな。2人共さ、恋人いない歴ゼロ年ですって顔してるからグレイソンなんだけど。いっそディックとリチャードって呼び分ける?」
「呼び分けなくていいよ。君の事はちゃんとロールシャッハって呼ぶから、公共の場で」
「自爆型の嫌がらせかな?」
「エイゼルはそういう所がありますよね。ところで、肉襦袢着るんですか?」
「着ないよ? 魔法使いで満足しているから体を鍛える気もないし、生足で鱗模様の下着も履かないし、全身タイツも着ないからね?」
「サタデー・ナイト・フィーバー」
は少し黙ろうか」
「凄いな。私ですらそのコスチュームにだけは触れようとしなかったのに、この子には勇者の素質がある」
 その決意はものの数秒で崩壊する。右尻と左尻の名前を出さなかっただけ英断だと思ったのだが、そう判断したのは私だけのようでエイゼルの黒い瞳は真冬のアスファルトのように冷え、ジョイス・ロックハートの目は本心を告げていた。
 綺麗な片手で両頬を押し潰されたまま顔を固定されていると、遠くの方から良くやった空気の読めなさを遺憾なく発揮したなとマリウス・ブラックの称賛が飛んで来た。二度目の無視をしよう。
「と言うか、は普通にしていても変わっているからそこまで変人に徹しなくてもいいんだよ、何で私の筋肉不足から肉襦袢に食い付いて行くんだい。普通、今の流れだと彼女がロールシャッハと呼ばれる方に疑問を持つのに」
 困った子だな、と続ける言葉の裏で、前情報を持っていない設定なんだからロールシャッハに触れないとかありえない本当にいい加減にしておきなよ、と思い切り叱られたので心の中で猛省しつつ、表面上は頭の足りない犬のような純真さで首を傾げた。
 頬からエイゼルの手が離れ、不細工な顔から開放されてから、琥珀色の瞳を見上げて無言の問いかけを行うと、噂通り変だけど素直な子だと大笑される。
「で、何だっけ。ロールシャッハ? あれ、私が纏めてるフリーカーグループ名なんだ。女性で犯罪者でヒーロー気取りでよく妥協するから彼とは真反対の人間だけどね」
「ジョイ、その職業を口外してしまって大丈夫なんですか」
 フリーカーは電話回線に侵入するハッカーなので、平たく言えば犯罪者である。全力でプライバシーを侵害している監視役の隠れ蓑にするには、適切ではない気がする。
 カミングアウトするにはかなりアウトローな職業なのに随分勇気のある女性だ、と評価しかけて訂正した。
 そもそも私は彼等からの監視や盗聴について、ブラック家ならばその程度はするだろうと肯定している。躊躇する必要など始めからないのだ。
「フリーじゃなくてブラック家傘下の企業に雇われているから」
「ああ、なら大丈夫ですね」
 実際は電話回線だけではなく魔法の世界にまで食い込んで犯罪を働いているが、それは些細な嘘だろう。被害ばかり受けている不幸な子供ですという顔をして、何年も多くの人を騙し殺して回っている爺よりも余程まともだ。
 普段はどのような仕事をしているのか、と正直に尋ねる程に馬鹿ではないので、以前感じたどうでもいい疑問を話題として出してみよう。
「では、もしかしてアークタルス様に本を貸していたのもジョイなんですか」
「数冊ね。確か、80年代情報通信業概略と基本情報倫理学なら貸したよ」
「タイトルまでは覚えていませんが、2冊以上ありました」
「感じ取ってはいるだろうけど、ブラック家は私以外にもハッカーやクラッカーを集団で抱え込んでいるから。未熟な私なんて末端の、更に末端だよ」
「ジョイみたいな人が未熟と自己評価する集団で、しかも複数グループ存在するなんて考えただけでも恐ろしいな」
 どの口が、と言いたくなるような台詞がエイゼルから飛び出すが、ジョイス・ロックハートは飄々とした態度で非魔法界の情報ばかり漁っているギークだから魔法界の技術が混ざった情報戦は不得手だと返す。目も表情もきちんと笑えている辺りが流石だ。
 コミックスの中の全身タイツもエイゼルに怒られるが、こちらの話題を深追いするのも推奨出来ない感じである。では、どうするべきか。
 彼女の手の平にある不自然なタコを指摘してみようかと適当に考えている背後で、何かが落ちる音がした。見てみると、プレゼントの山の一角が崩れて芝生の上に転がっている。
 その不自然さに、今更気付いた。
「どうかしたの、
「いえ。少し失礼します」
 目の前の女性から受け取ったプレゼントに違和感を覚えたので義眼で諸々の反応を確かめると、矢張り、何故か不思議な反応を読み取る事が出来た。
 呼び寄せ呪文でプレゼントを手に取りラッピングを丁寧に剥がしていくと、そこには大変可愛らしいパフィンの実物大ぬいぐるみが座っていた。そしてこの、ちょっと困ったような顔をしたペンギンに似た鳥のぬいぐるみが放つ微かな感覚に、魔法に鋭敏なエイゼルが反応しない訳がない。
「ジョイ。このぬいぐるみは、魔法界で買った物かな」
「いや、普通にこっちの店でだけど。何かある、から2人共警戒してるんだよね」
「警戒というか、不思議に思って。このぬいぐるみ、体温があるんです」
「体温?」
 そんなものがある訳がないと表情で語るジョイス・ロックハートに、魔法を解いてみれば判るだろうとエイゼルがぬいぐるみを持ち、レベリオを無言で唱える。
「……何、この巨大エリマキトカゲもどき」
「おやまあ、グレムリンじゃないですか。可愛らしいですね」
は後で義眼の調整をしようね、念入りに」
「目ではなく感性の問題ですから、納得出来ないのならユニークと言い換えましょう。毛皮を剥いで皮膚を硬質化させたジャックウサギによく似ていますね」
「それウサギって言えるのかな」
 エイゼルの力に抗えずパフィンの姿が歪み、徐々に姿を表したのはジャックウサギに似たと記述されている例の生き物、グレムリンである。見た目は今は亡きピーター君の表面を爬虫類の鱗で覆ったような子で、毛皮がない事もありモグワイというよりも、かなりグレムリン寄りな感じである。
 皮膚の構成要素以外は十分ウサギなのだが、もっと別の、例えば不思議の国のアリスに出て来るウサギに近しい生物を想像していたらしいエイゼルは若干衝撃を受けているようだった。私としては、その骨格で人間と同じ言語を操れる技術の方に衝撃を受けたので、人の視点とは千差万別であるいい例だろう。
「うわ、ごめん。こいつ私の部下だ、ちょっとお前、何でこんな所に居るの」
「えっと、その、実は昨日の夕方にですね。ジョイスが用意していたプレゼントに、コーラを零してしまいまして。それを綺麗にしようと思ったら汚れが広がって、乾かしたら布が焦げて、綿が」
「ああ、もう、何が起こったのは大体判ったよ」
「ジョイ、ジョイ。この子、帰したりしませんよね」
 こんな好都合で可愛い生き物が招かれたというのに謝罪をして帰れなどと言われては堪ったものではない。何処かに連れて行かれないよう遠慮がちに袖を捕まえつつも、先手を打ってサプライズに喜ぶ子供を演じつつ本心でも喜んでいると、アンバーの瞳が隣の保護者に向けられた。よく見ると周囲の視線もエイゼルに向けられている。
「因みにこいつ、こう見えて30代独身男性」
「でも。でも僕達、人間よりも長生きするから30歳は子供で独身は普通だよ」
「お前は黙ってなさい図々しいから」
「ああ、もう、が完全にお客様として受け入れる態度だからね。駄目だとは言えないよ。私もメルヴィッドも人間じゃない、そこに居るクリーチャーはハウスエルフ、だから、グレムリンという種族だけで断る理由にはならないし」
「後で吸血鬼の方もいらっしゃるそうですよ」
もグレムリンの彼と並んだまま黙っていようか。ジョイ、君の部下って事は一通りのマナーは知っているんだよね」
「その辺りは大丈夫、ブラック家のグレムリンは人間社会での生活が長いから法律に従うしルールやマナーを尊重出来る。偏食でデザートばっかり好んで食べる事さえ除けば」
「このパーティの中では、大した問題じゃないね」
 大袈裟に肩を竦めてみせたエイゼルが私とグレムリンに向き合い、今度はゆっくりと深く頷いた。それを見て申し訳無さそうな表情をする辺りで、グレムリンという種族は機械や魔法に関連しない問題解決能力が少々お馬鹿だが素直でいい子だと判る。
「ようこそ、私の誕生日パーティへ。飛び入り参加も歓迎します。何を食べますか、冷たいススピロ・ア・ラ・リメーニャに、焼きピカロネス、フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのアイスクリームもありますよ」
「フォーテスキューのアイスクリーム!」
 項垂れていたのが一転、花が開いたような笑みを浮かべたグレムリンに、こちらも思わず笑顔が溢れる。
 頭に対して大きな目を輝かせたグレムリンは私とエイゼルに丁寧な挨拶をした後、その小人のような体を風船のように宙へ浮かせ料理用のテーブルまで漂って行った。何ともファンシーな移動方法と光景ではないか。
「本当に申し訳ない。後日、正式な謝罪をさせてくれないか」
「謝罪なんて必要ありませんよ。これくらいのサプライズなら大好きですし、あんなに可愛いお客様が来てくれるなんて嬉しくてたまりません」
「ジョイ、君の所為じゃないし、この子が嬉しがっているのなら誰も気にしないよ。ただ、パフィンなら兎も角、グレムリンを可愛いと断言する感性には同意出来ないけど」
「パフィンも信じられないくらい可愛い生き物だと思いますよ。あの子が本当にぬいぐるみだったら、ベルランゴか、スフォリアテッラと名前を付けていました」
 グレムリンもパフィンも可愛らしいが、エイゼルの口からパフィンという単語が出て来る方がそれ以上に可愛らしい。しかし、帰宅した後に熱した油で口を濯げと命令されそうなので黙っていよう。その程度には、私も賢明だ。
「スフォリアテッラの方が響きが好きだな。襞を何枚も重ねたって意味のイタリアのお菓子だよね、パイ生地の中にクリームが入った」
「そうです、そのナポリ地方の焼き菓子です。今度作りますね」
「楽しみにしているよ」
 これに関してはよくあるお世辞ではなく間違いなく本心で言ってくれたエイゼルに微笑んでいると、ほったした表情を隠せなかったジョイス・ロックハートが平常心を取り戻す為なのか、何故スフォリアテッラという名前にしようと思ったのかと尋ねて来た。
「嘴がちょっと似てるんです」
「可愛い理由だね」
「はい、可愛いしとても興味深いんですよ。パフィンやエトピリカのようなウミスズメ科の鳥は、繁殖期になると嘴角質の一部が肥大化して、非繁殖期になるとぼろっと剥がれ落ちるんです。それに形が似ているから」
、その辺りで生き物大好きアピールは止めよう。何で二言目は黙ってくれなかったのかな。可愛げが欠片もなくなったよ?」
「ではエイゼル。ベルランゴにしますか、ストライプ模様の入った三角形の飴で」
「どっちも嘴じゃないか、可愛くないよ」
 力を込めて頭を撫でられたので仔犬のように笑っていると、グレムリンがクレープカップに盛られたアイスクリームを3個だけ盛って帰って来た。つぶらな瞳が幸せそうな感情を顕にしているので、滅多に食べられない大好物なのだろう。
 そういえば、彼の店で見るのは大抵が人間で、この子のような甘味が大好きでも人と異なる姿をした生物は見た覚えがない。これは、新規顧客開拓の商機になるだろうか。
「折角こうしてお会い出来たのも何かの縁です、ゆっくり楽しんでくださいね」
「ありがとう、
「どういたしまして、可愛らしいお客様」
 ジョイス・ロックハートの部下である彼には、是非この場で時間をかけて寛いで欲しい。これは、嘘偽りない本心だ。
 何故なら、その時間が長ければ長い程、好機が訪れる可能性が増える。
 メルヴィッドかエイゼルのどちらかが予定外の訪問をした彼に追跡系魔法をかけて、監視と盗聴を行うブラック家傘下の組織の場所を特定出来るという、私が成し得なかった好機の可能性が。