曖昧トルマリン

graytourmaline

スズキのポワレ、オレンジバター風味

 追加した下らない言い訳の所為でアークタルス・ブラックの機嫌が下降の一途を辿っているのだが、割り当てられた席の関係から視線を逸らす訳にもいかず、若干強張った面持ちで姿勢を正す。
 彼と私以外の人間から送られる視線が見世物を眺める冷やかし達のそれと変わらないのだが、その辺りは綺麗に無視しよう。何度でも言うように、私はこの手の行為が苦手なので、目前の彼の相手だって本当はやりたくないのだ。何の意味もなく甘え、甘やかすだけの関係に戻れるのなら今すぐ戻りたいが、誰がどう判断しても実現不可能な望みなのだろう。
 棘を含んだ荒い空気の中、生暖かい視線を隠そうともしないファブスター校長と目線を合わせ、では本筋に話を戻そうと口を開いた。
「グーテリの大量死に端を発したブラック家への糾弾は、まるで事前に打ち合わせしたような足並みで行われました。グリンデルバルド台頭時から払拭されていない嫌英感情が土台にあるとしても、余りにも露骨な横並びの状態で」
「ドイツ魔法省によるメディアへの圧力、と見ていいかな?」
「いいえ、ファブスター大佐。ブラック家による圧力、所謂、マッチポンプです」
 この辺りはエイゼルから受け取った情報なので、素直に彼の名前を吐く事は出来ない。後頭部側に向けた義眼が感心した表情を浮かべるマリウス・ブラックを捉えたのでエイゼルが齎した情報が正確だった事が証明されたのだが、今は相手にするべきではないだろう。それ以前に、私の方に全く余裕がない。
 ノンアルコールワインで口の中を軽く湿らせようと思ったが、ワインと一緒に頭の中で組み立てた内容も胃に落ちてしまう気がしたので、今は止めようと指を組んだ。背後から聞こえた初々しくて微笑ましいとの老人に厳しい評価は、私の中ではなかった事にしよう。
 一呼吸置いてから、アルコールが回って来た脳を叱咤しつつ口を開いた。
「順を追って、話しましょう」
 各紙が足並みを揃えブラック家へ批判を行い、同調する国民も少なからず存在していたのは間違いない。
 しかし同時期に、海外でヒトたる存在を働かせている企業のリスク管理について疑問を呈する者も出現し、保険会社がこの件で早急な支払いに難色を示した事で保険金が支払われないのではないかと噂が広がり始め、全ての企業は人間とヒトたる存在の間にある差別を撤廃すべきだと権利向上を主張する団体がデモを開始していた。
 因みに、保険会社が支払いを即断しなかったのは、死因の詳細が不明であり調査期間を必要とする故のごく真っ当な理由からであり、事実、後にコレラによる疾病死亡に当たると判断が下され被保険者に対して全額を支払う旨をきちんと発表している。
 テロで死亡した場合と病死とでは支払い額や手続きが異なるので死因調査が必須となり、数日で判断を下した対応など逆に信用出来ない。更に追加すると、死亡したのはグーテリだけではなく同じく管理職として海を渡った社員や、現地で雇用されていた魔法使いも含まれている。それらを理解せず、冷静さを欠いた状態で暴走して引っ掻き回した挙げ句、責任を一切取ろうとしない輩は何時の時代、何処の世界にも居るという事なのだろう。
 無責任な存在達は誰かから又聞きしたレベルの何の根拠もない噂話を理由に更に被害を拡大させ、結果、ドール伯爵が所有する企業や海外展開している他企業の株価下落から公的資金注入の審議開始と、MHOのコレラ発表からの保険金支払い確定を経て、ドイツ魔法省が努力を重ねた結果、最近になってようやく収束した。
 その内、公的資金を受け取った企業に対して裏金を要求した魔法省の職員の存在が発覚するかもしれないと冗談半分に言うと、歯も生え揃っていない仔犬ちゃんはブラック家を何だと思っているんだと背後から両肩を掴まれる。
「イギリス魔法界の国益の為ならば犯罪活動も厭わない素晴らしい家だと思っています」
「とんでもなく正確に理解してるのは有り難いがな、流石にそこまではない」
「深読みのし過ぎですか」
「変な所で自信過剰だぞ、真逆だ浅慮坊主。その裏金は発覚する事が大前提だろ? 要求したアホがしょっ引かれて接触したエージェントの特徴ゲロったり書類の1枚でも押収されてみろ。魔法界の検察だってそう都合よく無能ばかりが揃ってる訳じぇねえんだ、芋蔓式にブラック家の関与がバレて国益なんざ吹っ飛ぶ」
「そう言われれば、そうですね」
「脳外科要らずな大衆の暴走にブラック家は関与していない。予想は立てていたがそれだけだ、だから当然、裏金を要求した魔法使いも存在しない。俺達が関わっていない場所には居るかもしれないが」
 この辺りにブラック家は関わっていないと断言され、では最初は本当にドール伯爵だけを狙っていたのかと思考を修正した。確かにそれでも筋書きは成り立つ。
 そして余談として、冗談半分であるものの完全に読み間違えた裏金についてだが、某アニメーション内でも裏金を要求した幹事長は更迭、逮捕され、事件に関わった多数の人間が裁かれた事をまるっと忘れていた。ブラック家の立場は事件を追う公安側ではなく、暗躍しながら追われる政治家側であるという意識が、私には欠けている。
 サブカル知識すら真っ当に運用出来ない萎凋脳が導き出したシナリオはマリウス・ブラックから即却下を食らい、読み間違えたお仕置きなと差し出された芳香が立ち昇る透明な液体は再びファブスター校長の肝臓の世話になる事となった。彼が繰り出すスマートながらも男気が溢れる行動に惚れるより先に、ペースの速さに体が心配になって来たのでチェイサーとしてビールを勧めてみるものの断られ逆に私の為にと注文される。
 容赦なく差し出した蒸留酒を奪われた大伯父の大尉様はというと、酒が駄目ならば天然のサーモンをたらふく食らえとサワークリームソースで和えられたシーフードサラダを目の前に置き、取り分け禁止だとフォークを指さした。じゃあついでにとエイゼルがブラウンクラブのオープンサンドを、メルヴィッドがキハダマグロのセビーチェを勝手に皿へ投入し、取り皿の中が一気に華やぐ。
「確かに我が又甥は読みが精細に欠けるな、情報収集能力はあるが分析力が弱いのか。ま、年寄りが寄ってたかって鍛えてやるから何年かしたら言葉にする前に気付けるようになれるさ、まだまだ乳臭いガキなら十分に伸びるだろ」
 鍛えても伸び代が全く存在しないので既に当人は諦めているとも言えず、これもまた曖昧に頷いておくと具体的なビジョンが把握出来ていない顔が丸出しだと笑われた。
「今は別の事に頭使うか。これ食ってから続きと行こう」
 マリウス・ブラックに勧められるがまま程よく脂が乗り身が締まった最高級のサーモンを口にして頬を緩ませるながら頷くと、何故か噴き出された。視線を辿ってみると灰色の瞳はもう片方の灰色の持ち主に向いており、その目からは不機嫌である内面の様子がありありと読み取れ思わず肩が強張る。
 恐らく、アークタルス・ブラックは反省が足りないと言いたいのだろうが、右隣に座る従弟はそんな空気を破壊するかのように隠す事なく彼と私を見比べ、目に涙を溜め口元を押さえながら笑いを堪えていた。きっと彼は、反省不足の仔犬と怒れる飼い主を眺める第三者の気分なのだろう。
 どのような反応をすれば正解なのか判らず固まっていると、その2人は無視するようにと柔らかな口調ながらも豪胆な提案をファブスター校長が行い、メルヴィッドとエイゼルも苦笑しながら同意を示した。アークタルス・ブラックの眉間の皺が深くなったのは気の所為ではないのだが、私以外は誰も気にしていないらしい。メルヴィッドが無視をしても大丈夫と態度で表明しているのならば、その言葉に従っても大丈夫だろう。
「では、続きを」
 大衆の暴走と妄想逞しい裏金云々については不正解であったが、それ以外は間違っていると指摘を受けていないので大筋は外れていない。この前提で進めよう。
 ヒトたる存在の権利向上を掲げる団体が何もしなければ、精々ドール伯爵の資源開発企業1社だけがリスク管理と危機管理を怠った結果として信用を失い、単体で株価下落を招いただけで済んだのだろう。公的資金の注入を打診されても、1企業だけならば魔法省も難しい対応をせずに済む。しかし、声だけは大きな人間達がヒトたる存在を海外に派遣しているというだけで複数の企業を巻き込み、おまけにMHOの発表を信じたくない陰謀論者までもが喚き、ドイツ国内が荒れ始めた。
 さて、ここで一度、今回の件に関わったドール伯爵、ドイツ魔法省、及びブラック家の要求をごく簡潔に纏めてみよう。
 ドール伯爵は、公的資金注入実施と伯爵家の名誉回復。
 ドイツ魔法省は、最重要課題としてデモの沈静化、次点で株価の回復、最後に公的資金注入の未実施。
 そこにブラック家の、賢者の石の保護とフラメル夫妻の安全確保が加わる。
 天才と呼ばれる類の人間であれば権謀術数を駆使してドール伯爵とドイツ魔法省という明らかに対立しているこの2点を両立させる妙案を即実行出来るのだろうが、基本的にブラック家は天才を輩出する家系ではない。彼等の側に与しているメルヴィッドにしても、交渉事に関しては秀才止まりで天才的とは言い難い。
 しかし、それでいいのだろう。ブラック家のような目的を持つ集団にとって圧倒的な一人勝ちが常の天才は害悪となる可能性が高い、天才ではない人間達が動かす世の中には、適度な落とし所というものが必要なのだ。
 では、今回の落とし所は何処なのか。
 両立させる事が出来ないのであれば、最低でもどちらか片方を折るしか方法がなくなる。普通ならば、ドール伯爵が所有する全ては、ドイツ魔法省に所属する全てと比較すると重要ではないとなるのだが、全てが収束しつつある今ならば、悩まずともブラック家の手順は自ずと見えている。
「成程、だから君はドイツ魔法省の外交部門にブラック家の内通者が存在している、と考えたんだね。鏡の向こうの彼等に気付かなかったのなら、話の筋書きとしては頷ける。では最後に、ブラック家が両者と行った取引を尋ねよう」
「それでは、先にドール卿から」
 公的資金注入の口利きは然程時間は掛からないが、名誉の回復には根回しに多少の時間を必要とするので、継続的な支援が不自然に映らないよう目眩ましとしてブラック家の当主達が寵愛している男児を1人、伯爵の娘の婚約者として受け入れて欲しいとすればいい。そして、その保護者達も亡命者として。
 見返りは手に入れるつもりがないので何でもいいのだが、ドール伯爵とその父親が設立した応用呪文学研究機構から開発中の呪文か研究員を所望する、辺りで十分だろう。公的資金注入が目的ならばドール伯爵は会社を手放すつもりはないという事なので、企業そのものの買収や銅鉱山の採掘権譲渡は見返りの要求として不適切だ。
 次に、ドール卿との取引は破棄前提なのだが、その破棄方法が問題になる。契約履行のやり方に上手い下手が存在するように、契約不履行のやり方にも、当然それは存在する。
 どのように壊すか、というのは大変気を使わなければならない事項だ。
 気が変わったから一方的な契約破棄を宣言する、そもそも最初から約束を守るつもりがなかった、等と口や文字や表情に出して宣言するのは今後の立場や他勢力との交渉事を欠片も考えない馬鹿の極みである。
 であるから、ここで更に別勢力であるダンブルドアを介入させ、利用する事となる。
「その操作を大臣室で、と考えていたのですが、否定されてしまいましたね。ハイドアウトするには心許ないと気付くべきでした」
 イギリス魔法省の一部署、一個人よりもドイツ魔法省全体の方が隠れ蓑として優秀なのは一目瞭然である。能力の面もあるが、後者の方がよりブラック家の匂いを消す事が出来る。事実、嗅覚が並以下の私は全く気付く事が出来なかった。
「現状、イギリス魔法界はダンブルドア友好派が多数を締めていると知り、例え情報開示前の段階であろうとドイツ魔法省も1人でも噛んでいるのならば、そちらからもアプローチ出来る可能性を考えなければならないので、この読みの甘さも私の落ち度です」
「だが、それは挽回可能だ。君のように、何を、何故間違えたのか理解しているのなら、次はどうすればいいのかを学ばせれば問題は解消する。理解出来なくとも、間違えた事に気付ける場合も同様に、大きな問題にはならない」
 ファブスター校長はここで言葉を切ったが、続きは、問題になるのは間違いの存在を拒む者の場合だ、辺りだろう。
 そのような人間は、自分が間違っている事を理解しながら正誤など糞食らえと突き進む私とも異なる思考を持っている。例え根拠を提示されても自分が盲信している主義こそが正しいと聞く耳を持たない問題児は、どうやら海兵隊や役所勤めの時にも居たようだ。
 酔いを感じさせない青い目が若干遠い過去を眺めているのは、気の所為ではない。
「ファブスター大佐、ええと、スコティッシュエール飲みますか、それともミネラルウォーターを頼みますか」
「いいや、アクアヴィットをボトルで頼んで貰えないかな。そんな顔をしなくても倒れる事はないから大丈夫だ。話をドイツ魔法省に移して貰って構わない」
 窓に映ったサングラスを掛けた少年は悲壮な表情を浮かべていたが、そうもなるだろうと自分に同意する。エイゼルですらグラブラックスは食べてみたいが蒸留酒はもう要らないと言っているのに、ファブスター校長の鯨飲は留まる所を知らない。
 魔法で届けられたアクアヴィットを顔色一つ変えずタンブラーで飲み始めるファブスター校長を眺めながら、皿の上に放置されていた料理を摘み、胃を満たしてから彼の要望通りドイツ魔法省へ話題を移す。
 いい歳をした大人が大丈夫だと自分で言っているのだ。物凄く心配だが、それ以上は本人の意思次第なので強く言っても無駄だろう。
「基本的に、ドイツ魔法省はデモさえ封じれば連鎖的に全てが回復すると思われます」
 株価の下落も、複数企業からの公的資金注入の催促も、発端は単なる噂やフェイクニュースに踊らされ偽の情報に酔っ払った馬鹿が徒党を組んで大騒ぎした所為だ。
 普段は差別など気にも留めていないのに、このような時だけ可哀想な非人間達を救う素晴らしい正義の魔法使いという優越感に囚われ、誤った情報を撒き散らす勘違い連中さえ早急に沈静化出来れば、残りは自力で解決出来る規模の問題だろう。
 そこで必要になるのはデモ隊を取り仕切る上層部、ではなく、当事者達の声を正しく表明させる有力なメディアと、ヒトたる存在の中でも名の知れた存在とのパイプであった。
 当たり前だが、ブラック家はそれらを持っている。
 特にヒトたる存在や魔法生物に対しては、異国人であるアルマン・メルフワでも知っている程、ブラック家は彼等に理解があった。B.I.C.に勤めるゴブリンや、今この場では言えないがグレムリン等、ヒト科に属さない存在も積極的に、使い捨てではなく一社員として大量雇用している。否、寧ろ、余計な偏見がない分、諸外国出身の人間の方がブラック家の一面を好意的に捉えている節があった。
 事実、現在ドイツでは正しい情報が行き渡り、戯言を鵜呑みにし企業を脅迫するような阿呆を該当施設に合法的に放り込んだ結果、ヒトたる存在の権利について祭りのように騒ぎ立てる魔法使いは少数となっている。
 残っているのは、実際に行われている差別に対して元から声を上げていた真っ当な人間達と、そもそも保険料支払いに関しての差別などなかったのにそれでも差別は存在すると主張を譲らない者と、陰謀論者だけだった。
 となると、何故デモ沈静化が成功したにも関わらず、ドイツ魔法省はダンブルドア側に会談場所を漏らしたのか、という疑問が出て来る。それの答えが、これであった。
「ドイツ魔法省はブラック家と契約を締結した後で、私という人間が厄災の種だと知ったと考えています」
「具体的には?」
の父方の祖母はブラック家の人間だったという事実と、私自身がブラック家の思想に強い共感を示しているという状態です」
 ただの、ブラック家当主様達のお気に入り、だけならば亡命されようと大した問題ではなかったのだ。しかし、血が繋がっているとなれば話は大きく変わって来る。
 イギリス魔法界の利益を第一と考える血筋の人間が、ドイツ魔法省を経由して貴族の家系へ入り込むのは歓迎すべき事象ではない。婿養子であっても目障りなのに、子供が生まれてしまえば最後、ドール伯爵家の次期当主はブラック家の人間でもあるのだからと手も口も出される未来が見えている。要職にでも就こうものなら、内政干渉も考えられる。
 凶事の種ならば他にもあった。
 ドイツ魔法省でも、有能な人間や、ダンブルドアと個人的に付き合いのある魔法使いならば、ヴォルデモートの現状について大なり小なり把握しているだろう。彼が復活し、能天気極まりないイギリス魔法省が内乱を抑え込めなかった場合、私というブラック家に染まった火種を国内に抱えていると、政府の意思に関係なく否応なしに参戦せざるを得ない状況に陥る可能性が非常に高いのだ。
 異国の貴族同士が婚姻する場合、周辺への影響力や各々の家の立場を常に考えて成されるものなのだが、ハリーの場合は少々特殊なので調べるにも時間を要したのだろう、というのが平和的で楽天的な考え。調査に時間が掛るよう、ブラック家側が何か仕掛けたと考える方が通常だろう。
 アルマン・メルフワも私について全てを知らなかったので、当初こそ、その程度かと考えてしまったが、ブラック家側が情報統制をしていたのならば申し訳ない評価を下してしまった。彼等に隠された情報を探り当てるのは容易ではない。
 因みに、アルマン・メルフワの存在に関しても色々と考えている事があるのだが、それは後に回すとして、今は纏めに向かって突き進もう。
「ここで、ブラック家とドイツ魔法省との思惑が一致します」
 ドイツ魔法省は、亡命の契約締結後に会談場所をダンブルドアに漏らして強制介入させ、ドール伯爵個人の判断で破棄させる事により自身への被害を逸らす事と、アークタルス・ブラックが言っていたおイタの責任取りが可能となる。
 ブラック家は、その行動を放置する事で私達3人を手元に取り戻し、私を通じてホグワーツへの干渉を確固たるものにし、魔法大臣をダンブルドアから離反させ、ドール伯爵側の契約不履行により被害者となる事が出来る。何よりも、最優先目的であるダンブルドアの注意をこちら側に向ける事が出来た。
 3者の間だけで判断した場合、最大の勝ちを掴んだのはドイツ魔法省なのだが、他所の人間の目で利益率から見るとブラック家の方が高いのだろうか。取り敢えず、間違いなく言えるのは、ドール伯爵が両者から見限られ一人負けしたという事だけだ。
「以上が、私の知っていた事と、知らなかった事になります」
「……ありがとう、よく判った。君は鍛え甲斐がありそうで、楽しみだ」
「ファブスター大佐にそう言っていただけるのは光栄です。私も楽しみにしていますので、どうぞよろしくお願いします」
 上昇志向皆無の老爺に成長の余地がない事は自分が一番判っているのだが、ここで否定の言葉を吐ける訳がないので素直に頷く。同時に、右頬に刺さるような視線を感じて恐る恐る振り向くと、そこには灰色の目の奥に剣呑な光を帯びたアークタルス・ブラックが黙って私を見つめていた。
 蛇に睨まれた蛙の如くしばらく固まっていると、薄く枯れた唇から厳しい声が漏れる。
「伯爵の息子が陰謀論者の過激派と接触した事実と、彼がレギュラスを襲撃した事件までは掴めなかったようだね」
「そんな、レジーが!?」
「些細な事だ、今更声を荒げて驚く必要はない」
「そ、れは。その、申し訳ありません」
「いや、君の人脈ではこれが限界だろう。ブラック家を頼らなかった場合は、だが」
 これは、非常にまずい。
 レギュラス・ブラックに関しての情報が正規ルートでは手に入らず、触れない事にしたのだが、判断を誤った。アークタルス・ブラックから目溢し出来ないくらいの無能だと判断されてしまい、どのように汚名を雪ぐべきか脳に打診するが、答えなど返って来なかった。誕生日前に最悪の関係に陥り、パーティ終了後にはメルヴィッドへどのような詫びを入れるべきか考えるが、こちらも案が浮かばない。
 私の異変を感じ取ったルドルフ君が慌てた様子で駆け寄り、膝の上に顎を乗せ、上目遣いで心配してくれているが、とても大丈夫だと強がれる心理状態ではない。その、俯いていた私の頭を、ファブスター校長が力を込めて撫でた。
「アークタルス、当てにして欲しかったのならば、拗ねていないで頼りにして欲しかったと素直に仰っては如何ですか。可哀想に、貴方に嫌われたと傷付いていますよ」
 善意からなのか酔っているからなのか判らないが、ストレートに告げられ言葉に一瞬の虚が生まれ顔を上げると、代わりにアークタルス・ブラックは不機嫌そうな表情で俯き、マリウス・ブラックはテーブルを叩いて、声も出ない程に大笑いしていた。
 混沌と化した食卓の空気にメルヴィッドが肩を竦め、エイゼルは素知らぬ顔でセビーチェに手を伸ばしている。知らぬは当人ばかりなり、という事だったのだろう。
「やる事が終わったならも食べたら? この店のシーフード、本当に美味しいから」
「その前に、顔色が悪いから何か温かい物を飲んだ方がいい。紅茶か、ホットジンジャーなら食事にも合うと思うけど」
「え……あの、では、ホットジンジャーを」
 メルヴィッドの注文後、ほとんど間を置かずに現れたホットジンジャーを両手に、半ば呆然としながらアークタルス・ブラックを見据える。ファブスター校長の言葉を否定しないので、彼の言葉は正解なのだろう。
 つまり、アークタルス・ブラックが不機嫌だったのは、不出来で無能な私に愛想を尽かした訳ではなく、もっと自分を頼って欲しかったとの意思表示だったのか。
 私以外の全員が気付いていたようだが、他人の気持ちを読み違えるこんな爺に気付けとは無茶振りが過ぎる。
 突然の暴露に未だ頭が体に付いて来ていないのか、僅かに飲み込んだホットジンジャーはただ熱いだけで、何の味も感じ取る事は出来なかった。