曖昧トルマリン

graytourmaline

オレンジ・シナモンロール

 直前の雰囲気が沈んでいた事もあり、ウィレフェストとの交流を存分に楽しめないまま野生に返した後で帰宅した私に、体の汚れを落としてから読みなさいとメルヴィッドが一封の分厚い封筒を手渡した。封書の中身は尋ねるまでもなく、トム・リドルとメルヴィッドとエイゼルに関するブラック家からの調査報告書である。
 何処まで目を通すのかは私の判断に任せると、それ以上の接触を拒絶するような寂しそうな笑みを浮かべてカウンター奥のキッチンへ消えたメルヴィッドを追う事も出来ず、仕方なく指示通りにバスルームに向かいパステルカラーの泡で満たされた浴槽で全身をくまなく洗浄した後、カウンター越しのリビングダイニングで包丁やハンドミキサーの音を聞きながら書類を読み終えたのが10分程前。
 そして今から5分前。申し訳なさそうな表情を浮かべてやって来たメルヴィッドが、温度調節機能すらないアンティークオーブンの扱いに困り果てたのでホーロー製の扉の向こうを見て欲しいと右目の能力を所望した。ガスコンロの上には最早隠す必要がなくなったアップサイドダウンケーキが非加熱状態で放置されていた。
 ブラック家が仕掛けた窃視や盗聴魔法に対しては念入りに確認して対応策を練るのにオーブンの扉には気付かない所が可愛らしい、と考えたが、今回の場合、彼が抜けているのではなく私と話をする為のきっかけと演出に過ぎないのだろうと思い直す。
 幾らなんでも、この子がこれ程までに間抜けなはずがない。
「メルヴィッド、予熱出来ましたよ。180℃ですよね」
「うん、ありがとう」
 熱が逃げないよう扉を閉めたままケーキを内部に送り込んだ杖は止まる事なく緩く軌跡を描き、ホットミルクの入ったマグカップを私の手元に届けた。このまま少し、この場で話をしようとの合図だろう、私も以前、クリーチャー相手に使った手である。
 古いガスオーブンの前を2人と1頭と2体で陣取り、一緒に連れて来たスノーウィ君とカーミット君を腕の中に収めて両膝を抱えるように座る。同じようにキッチンの床に座り込んだメルヴィッドの足元にはルドルフ君が寝そべり、オーブンから漏れる炎の音と私達の吐息に耳を傾けていた。
「……何処まで読んだ?」
「最後まで」
「そう」
 肩を抱き、乾かしたばかりの髪に頬を埋めて来たメルヴィッドは何故か匂いを嗅いで、花と石鹸の匂いがすると呟く。そういう彼は甘い果実とシロップの香りを纏っていて、いつもと逆だと返せば吐息だけで微かに笑われた。
 余りにも彼らしくない、不必要に思えるこの行動は、心理的に弱った里親役の中で必要な演出、なのだろう。多分。
「失望した?」
「何故、誰に? まさかメルヴィッドとエイゼルに?」
 メルヴィッドの頬が髪で擦れるのもお構いなしに勢いよく振り向き、彼の作った弱音に半ば乗った形で信じられないと表情を浮かべる。
 私自身の間抜けさに対してならば心底呆れ、深い溜息を吐いた上で人目も憚らず存分に罵りたくなるような事態が判明したが、それでも標準としている低能具合の再確認作業に過ぎない内容だったので失う望みなど存在しなかった。つまりは、本心からの言葉と表情でもある。なので、芝居下手の私でも、今の反応は嘘臭くならなかったに違いない。
 上出来とは言い難いが、それでも問題ないと判断されたのだろう。メルヴィッドは戸惑いの表情を浮かべ、それから安堵の感情を視線に混ぜ込んだ。
「私は間違いなく、トム・リドルだった」
「肉体的な意味では100%そのようですね」
 3人の関係を探る為に調査対象にされたのは、血液型鑑定の中でもHLAと呼ばれる白血球の血液型と古くから愛されている指紋であり、100%同一人物であると断定出来たのは後者が理由であった。
 HLAが指紋に劣った理由は、歴史が浅く例え血の繋がらない他人でも数百から数万分の一の確率で一致するから、ではなく、単にトム・リドル自身と彼の父親の細胞を入手出来ず、比較対象が母親、母方の祖父母と伯父、父方の祖父母と血縁者を遡らなければならなかった為である。
 それはつまる所、去年の夏のメルヴィッドが仕掛けた対ヴォルデモート用の罠が1年も持たず半分程度身内の勢力に解除された事に他ならないが、こればかりはやむを得ない。彼が代わりとして墓に入れた人骨は性別も同一で年齢も比較的近いものだったが、ブラック家の前では無意味だったようだ。細胞や骨の判別法を知っている魔法使いは少ないが、居る所には居るという事なのだろう。
 ブラック家の仕事は調査までで他人の骨を本来あるべき墓穴に戻す作業は業務外であった事と、当時のメルヴィッドの行動記録はその日の内に魔法省に侵入して全て改竄済みという所だけは、胸を撫で下ろしたが。
 今回役に立たなかったHLAについてはこの辺にして、次は指紋に移ろう。
 指紋は出産される以前の胎児の状態から既に生じ、一生変化せず、しかもDNAとは違い世界中を探しても一致する存在がない。現代でも、指紋で解決する事件はDNAの約10倍といわれる非常に優秀な証拠である。
 さて、その優秀な証拠であるが、勿論弱点は存在した。付着した物質にもよるが、ガラスや金属に付いた指紋は雨が降ればすぐに消え、乾燥や直射日光による紫外線に晒された場合は1ヶ月も保たない。ただ、逆に非常に長い期間放置されても検出可能な物質もあり、それが紙という媒体であった。湿気や紫外線を真っ向から相手にしても1年や2年は保ち、保存状態が良ければこの時代の科学技術でも何十年も前の指紋が検出可能なのである。
 魔法界は基本的に紙の代わりに羊皮紙を利用し、羊皮紙の原料である革は指紋検出が難しいとされていたので安心していたのだが、矢張り何事にも例外は付き物なのだ。
 半世紀前にトム・リドルから送られた幾枚かのクリスマスカードを、オリオン・ブラックが後生大事に保管しているなんて、流石に予想の範囲外だろう。チョコレート菓子の包装紙をついこの間燃やされた私が言える台詞ではないが、そこは棚に上げよう。
 無関係の私ですら一体何をやってくれているんだ程度の考えは脳裏によぎったのだから、メルヴィッドとエイゼルの内心はさぞ荒れ狂った事だろう。
 それとも、この程度は当然予測出来ていたのだろうか。既に2人共が全く異なる個性を獲得しているので、肉体的には同一個体だと断定されても痛くも痒くもないのかもしれない。寧ろ、常に先を見据えている彼等の場合、こちらの可能性の方が大きいだろうか。
「君は本当に、驚いたりしないね」
「メルヴィッドとエイゼルだけならば、然程は。お風呂上がりに目にしたホクロの位置が全く同じで、カレンダーに書かれた筆跡も見分けが付かない程に似ていたので。それにほら、何時だったか名前のアナグラムの不穏さについても話し合ったじゃありませんか、だから、例のあの人と同一人物という点に関しても特に驚くような事はありません」
「所帯臭いなあ。らしい理由だけど」
 そういえば、君は私が人間ではない存在だと憶測を口にした時も平然と流したねと、半年程前の事を掘り返したメルヴィッドが話題にする。
 既に終わってしまった話であり、レギュラス・ブラック経由でブラック家に筒抜けになっているものではあるが、傷付いた人間らしく振る舞う為には蒸し返しも時には必要なのだろう。自身の正体と私との関係は、以前から弱点であるかのように演じられていたので。
「私は、私達は人間ではない。ブラック家の予測が正しいのなら、分霊箱ホークラックスから抽出された人格を軸に肉体を組成させられた、謂わば人造人間だ。私の本当の体は今はもう消失した金属の髪飾りで、肉の塊ですらない」
 単語だけを拾い上げフランケンシュタインがどうこうと揶揄したくなったが、そんなお遊びをする暇があるならきちんと反省しろと脳味噌の真面目な部分が私を叱り付ける。
 ブラック家が組織した調査団の能力は、高が知れている私の想像力を軽く超越した。彼等は、メルヴィッドがロウェナ・レイブンクローの髪飾りの分霊箱ホークラックスであった事をとっくに解明していた。
 オリオン・ブラックは前述の通りトム・リドルとクリスマスカードを交換する程の仲で、メルヴィッド自身も彼に裏切られた場合をシミュレーションする程度には懸念していた。つまり、オリオン・ブラック経由でヴォルデモートの正体は簡単に割れる。
 正体さえ判明すれば、後は地道に足取りを追えばいいだけだ。ブラック家が組織した調査団は、当然のように能力も資金も人脈も潤っている。
 対して、トム・リドルはノクターン横丁を始めとした裏社会に所属していたが、権力を持つ者の下で暗躍し、力を得てからも恐怖で支配し美味しい所のみを利用しただけであり恩も義理も売っていない。
 姿を隠して敗走中の今現在、百年単位で横の繋がりを保持し恩赦も金貨も気前良くバラ撒けるブラック家が明らかに有利な状況だ。
 此処でまず、1つ詰みに向かう。
 次に、レギュラス・ブラックはヴォルデモートの分霊箱ホークラックス作成を把握しており、その情報は共有されていた。ブラック家は分霊箱ホークラックス作成方法や性質が記された書籍である深い闇の秘術を蔵書しており、対応策は簡単に得られる。
 また、アークタルス・ブラックはホラス・スラグホーンと旧知の仲であり、そのホラス・スラグホーンは教授時代に自寮の生徒であったトム・リドルを大層気に入っていた。ヴォルデモート復活の可能性を示唆し、彼の身体の保護を含めた何らかの見返りを用意出来れば、学生時代の情報や彼の持つ思想や思考を引き出し、分析出来る。
 私の世界のリドルは、分霊箱ホークラックス作成の際に彼の知識を利用したと語っていた。ならば、こちらの世界のトム・リドルが分霊箱ホークラックスを複数個作成した可能性も、当然吐かされたと思った方がいい。恐らく、7という具体的な数字まで把握されているだろう。
 此処で更に、1つ詰みに近づいた。
 そして、先程の調査団の能力で一体何が分霊箱ホークラックスとなったのか分析されるのだが、真っ先に疑われたのがレギュラス・ブラックが所持しメルヴィッドが破壊した、と思い込ませているサラザール・スリザリンのロケットである。余談であるが、此処で躊躇なくロケットを破壊した事で、メルヴィッドがヴォルデモート側に与している可能性が少ないと判断されていた。この点に関しては、メルヴィッドが勝者であると言えよう。
 話を戻して、既に消失した分霊箱ホークラックスを更に調査したブラック家は、興味深い過去を掘り当てた。即ち、サラザール・スリザリンのロケットはヘプジバ・スミスという老魔女から盗まれた物であり、同時に、ヘルガ・ハッフルパフのカップも行方不明になっているという事実に、である。そして、ヘプジバ・スミスが死亡する2日前にトム・リドルが骨董品店の店員として彼女の元を訪れており、死亡した直後から行方不明となっている。まるで疑ってくれと叫び散らすかのようなタイミングだった。
 この情報提供者は言うまでもないが、ジョン・スミスである。
 スミス家はヘルガ・ハッフルパフの末裔であり、当主の座からは程遠い立ち位置ではあるが、ジョン・スミスもまたカップの行方をこの50年間探し続けている。その詳細を全て、彼はブラック家に提出した。
 グリンゴッツのゴブリンがベット・ヴィオラへの賭け金の代わりとして、レストレンジ家の金庫にヘルガ・ハッフルパフのカップが収容されているとの内部情報をジョン・スミスに売却したという情報まで、である。
 告白しよう。
 此処で一度安堵した底抜けの大馬鹿野郎が、私であると。
 ジョン・スミスの情報を得てからブラック家が動いた所で、金庫内のカップは既に私が移動させていた。残念ながら私の方が行動が早かったなどと、本気で考えていたのだ。
 私が行動を起こしたのは、レストレンジ家に対して裁判を起こさないかと誘われた翌日の未明であるが、何故彼がそのような言動をしたのか推理したのは彼が提案を示した直後である。そして、クリーチャーを通じて同様の内容をブラック家は把握していた。
 何が言いたいのか判るだろう。
 行動に移すまで、12時間近くの猶予が存在したのだ。私ですら勘付いたジョン・スミスの思惑にブラック家が辿り着かない訳がないし、放置する理由が微塵もない。
 つまり、何を言いたいかというと、私が盗んだ金庫内のカップは突貫で仕上げたにしては上出来の偽物で、発信魔法が念入りに仕掛けられていた。本物は既に分霊箱ホークラックスとしての機能を失っており、ジョン・スミスの手に渡っているそうだ。私はそれに気付かず、まんまと引っ掛かった大間抜けという訳である。
 これがフィクションの中の話ならば、実は分霊箱ホークラックスは破壊されておらず研究の為に存在していて情報はフェイク、となるのだが、ブラック家がそのようなリスクを犯す可能性は限りなく低い、皆無であると断言してもいい。
 彼等はノウハウ自体は既に知っているのだ。分霊箱ホークラックスの研究を本気で考えているのならば、金銭を提示し秘密裏に被験者を募ればいいだけの話で、生かしておくと危険なヴォルデモートのそれでなくても別にいい。
 その程度の危機管理能力は当然のように所持しているブラック家ならば、ジョン・スミスが情報を漏らした後、否、私とジョン・スミスが別れる前にでもレストレンジ家の金庫に侵入なり、書類一式を揃えて合法的に乗り込むなりして、現物を確認後に私程度では太刀打ち出来ない高難易度の位置発信魔法を仕込むくらい容易い。私はそう考えて、もっと慎重に行動すべきだったのだ。
 あの時、私はグリンゴッツの警備体制諸々を嘲笑したが、されるべきは無能な自分自身であったとようやく痛感した。ひと目見て把握出来る簡単な呪文も、うっすらと積もった埃も罠であると、ブラック家が動かないはずがないと考えるべきだったのに、そんな危険を一切考慮していなかった。
 メルヴィッドとエイゼルは、ブラック家の行動を予測していたのだろう。それでも沈黙を保っていたのは、多分、楽しげに犯罪計画を口にする馬鹿の見世物を娯楽扱いし、ヘルガ・ハッフルパフのカップの移動ルートが経由地を設けず直接ホグワーツへ向かう事から疑惑の目を向けられないだろうと結論に達したからだったとしか思えない。
 或いは、馬鹿な爺が何時この罠に気付くか賭けていたとか。2人共罠に気付いていたのならば、こちらの方が有り得そうだ。
 しかし、何にせよ辛うじて回避出来たのは本当に良かった。
 移動のタイミング的に、私自身がかなり怪しまれたようだが、この件で動いたのは肉体から抜け出た私とユーリアンの2名だった事だけは不幸中の幸いだと言える。先日報告したように、私達は魔法省のシステムに捕捉されない特異な性質の持ち主なので、物的証拠の点から見るとメルヴィッドとエイゼル、そして私の3名は無実を通す事が出来た。
 着地点に関しては、これもまた幸いな事に、私自身に疑いの目は向けられず、件のシステムには完璧に捕らえられており、聖マンゴの特別室を最後に現在行方不明となっているリータ・スキーターが何らかの勢力を関わっている可能性有りと結論付けられていた。
 まさか此処で私のうっかりミスからギモーヴさんに捕食後消化されたリータ・スキーターがデコイとして役に立つとは全く考えなかったが、利用出来る状況ならば乗るに越した事はない。ブラック家がリータ・スキーターに関して本気でそう思っているのかは兎も角、少なくとも書類上ではそのように書かれているので、是非ともその方向で調査を続けて欲しいと心の底から祈っておこう。
 さて、これでヴォルデモートの優勢が崩れているのは理解出来ただろう。こちらも勢力もブラック家から1手打たれたが、多分、まだ、逃げ切れる、はずだ。
 では最後に、ロウェナ・レイブンクローの髪飾りに話題を移そう。
 サラザール・スリザリンのロケットとヘルガ・ハッフルパフのカップとくればもう、創設者関係の遺品を怪しむなという方が無理な話である。
 スリザリンに属するトム・リドルの性質上、ゴドリック・グリフィンドールの剣の可能性は低く、また今現在、剣そのものの行方が知れていない。伝説によれば真のグリフィンドール生のみが組分け帽子から取り出す事が出来るらしいが、トム・リドルは条件に合致しないので今は可能性の範囲に留まっている。
 それではロウェナ・レイブンクローの髪飾りはどうかというと、これが結構面白い経緯を辿り、先程メルヴィッドが口にした妙な結論に落ち着いていた。
 ブラック家の歴史はホグワーツよりも長く、知識や歴史は文字や口承等で語り継がれている。当然ながら、ロウェナ・レイブンクローとヘレナ・レイブンクローについても、普通の魔法使いよりも多くの情報を所持していた。
 そしてヘレナ・レイブンクローは今もゴーストとしてホグワーツに存在している、となれば、後は口を割らせればいいだけの話だ。
 私がホグワーツに通う条件として、アークタルス・ブラックは同校の理事となり、また、セキュリティ強化の為とでも告げれば息のかかった魔法使いを城内に送り込んで調査が出来る。裁判にも出なければ反省の色も見せない寮監2名と森番1名の態度により、場合によっては、尋問じみた行為まで許可をされているらしい。
 正直、私がホグワーツで働く側の人間だったら、こんな面倒な生徒など絶対に関わり合いになりたくないから今からでも別の学校に移すべきだと思うのだが、今は関係ない話なので戻そう。
 ヘレナ・レイブンクローに口を割らせて、記憶を採取している間に、別の調査員はレイブンクロー寮の例の大理石像を調べ、そこでメルヴィッドが仕掛けた罠にかかった。私のような間抜けが仕掛けた物ならば兎も角、誰からも天才であると認められた彼の罠は見破られる事なく、調査団はその後、アルバニアへと直行した。
 メルヴィッドは寮の石像から直線、恐らく大圏航路で示したはずなのだが、調査員達がオランダ、ドイツ、オーストリア以南、91年現在、大混乱中のバルカン半島諸国家を経由しなかったのには訳がある。
 メルヴィッドやエイゼルですら把握していなかった事であろうが、レギュラス・ブラック曰く、ヴォルデモートは幾人かのデスイーターに対して自分の身に万が一何かあった場合はアルバニアのドゥラス近郊にある湖畔周辺の森に来るよう命令していたらしい。そして、その場所が寮の石像からのそれと完全に一致したそうだ。
 親子揃って余計な証言ばかりして、と頭を抱えたくなったが、その後の結果として見ると上々である。
 レギュラス・ブラックとヘレナ・レイブンクローの証言、石像の案内により辿り着いた場所には既に髪飾りは存在せず、ヴォルデモートも居なかった。これにより、ブラック家はある可能性に辿り付く。即ち、髪飾りは達に破壊されたのではないだろうか、と。
 レギュラス・ブラックが接触したの言動を分析、推理した場合、彼等は既に1つ以上の分霊箱ホークラックスを見付け出し、更に破壊している可能性が高い。そして延命装置としての機能を失った魂の欠片から記憶を消し、血肉を与え、好意を植え付けた上で、選ばれた者と予言された私と接触させたのではないかと。
 事実、メルヴィッドの外見はトム・リドルがイギリスから消えた時よりも少し成長した姿で時を止めている。そして、イギリス国内で発動している例の魔法使い捕捉システムは、半世紀前にトム・リドル青年が南西方向へ姿を消したとデータを残している。
 この分析が正しい場合、エイゼルはサラザール・スリザリンのロケットの魂を何らかの方法で捉え、加工して作られた人造人間である可能性が浮上したと、当時のトム・リドルを写した写真を添えて報告書は纏められている。
 それでもヴォルデモートと全く同一のテロリストと考えられていない理由は、私がルビウス・ハグリッドに襲撃された時の2人の行動によるものらしい。詳しくは書かれていなかったが、恐らくバイタルサインや脳波が心底私を心配するものだったのだろう。
 何度でも言うが、メルヴィッドやエイゼルは冷徹でも冷血でもない。激情家で、我儘で、癇癪持ちで、天才で秀才だが、ちょっと抜けている所が大変可愛らしい自分の欲求に正直な子供達だ。本人達に告げたら殺されそうだが、彼等は判り易いテロを行った場合のリスクを正確に理解したから別方向のアプローチを開始したテロリストであり、ブラック家が考えるような国家運営を行う王の器ではない。
 全く、人の想像力とは愉快なものだ。だから間違える。その中でも所々が正解で、辻褄が合っているのだから大変面白い。
 是非このままボタンを掛け違えていて欲しいが、その辺りは私が阿呆な情報漏洩を起こさないかに掛かっていた。下手に情報を与えたら最後、彼等はきっと即座に再分析にかかり、以前の結論が間違っていた事を素直に認め、改善した対策案を提出するだろう。
 分霊箱ホークラックス消滅後、ヘルガ・ハッフルパフのカップに対応する人造人間は今のところ出て来ないが、レギュラス・ブラックに対して私達には時間が余り残されていないと告げておいたので、誤魔化されて欲しいなと願望を胸に秘めておく。
 となると、ユーリアンの存在が大分まずいのだが、その辺はどうにかしよう。いざとなれば、実はロケットよりも以前に破壊されていたのだと持ち得る力を全て使い捏造に走る程度の覚悟は持っていた。
 しかし、はっきり言って、今現在もブラック家に尻尾を掴まれず、こうして私達が逃げ切れているのは奇蹟に近い。
 四六時中監視されている事から、疑われてはいるであろうが、肉体を生かしたまま精神分離を実行し行動可能という魔法界でもありえないとされるファンタジーな特殊能力のお陰で助かっている。あの馬鹿親父には色々言いたい事があるが、これに関しては感謝したい。
 さてついでに、無事でいる分霊箱ホークラックスに関しても少し纏めよう。
 母方血縁者の墓が暴かれている以上、指輪の存在が露見するのは時間の問題。ネビル・ロングボトムもヴォルデモートが活動を始めれば捕捉されるだろう。安全と言えるのは日記だけだが、マルフォイ家が無事に守り通せない未来が待ち受けている。
 加えて、実はヴォルデモート側が既に9割方詰んでいる理由も挙げられるのだが、今は関係ないので後に回そう。この話題は今夜の会食向きだ。
 そろそろ、沈黙を破ろう。
「以前も申し上げましたが、メルヴィッドがメルヴィッドである限り、無生物であるか否かは些事です。それに、彼等……達が託した書籍の中には、東アジアではその手の魔法生物が普通に存在すると書かれていましたし、実際にそのようです」
「態とらしいアフターケアだ」
 吐き捨てるように言った後で、相手が私だった事を思い出したように狼狽え謝罪する。彼等の思惑通りになるのが嫌なだけで私に対して怒りを感じている訳ではないと弁明するメルヴィッドが可愛らしかったので本心から笑い、頬を寄せると、途端に言葉が止まった。まるで不安に苛まれて鳴く子猫のそれであるが、当然演技の一環だろう。
 捉え方によって溜息のようにも吐息のようにも聞こえるものを吐き出したメルヴィッドの赤い瞳が、恐る恐るといった様子で私を見据えた。
「あの中身は全部、読んだと言ったよね」
「はい」
「私は、レイプで生まれた人間が、人を殺して出来た存在だ」
「レイプだろうが殺人だろうが、加害者だろうが被害者だろうが、その辺りは一切気にしません。例え記憶を取り戻してトム・リドルと成っても、貴方が貴方でありたいと願い、望む限りは、私はメルヴィッドとして愛します。いえ、トム・リドルと成っても、それはそれで勝手に愛しますが」
「貴方が犯した罪ではない、って言わない辺りがらしいね」
「幾ら私でも、そんな安っぽい台詞は吐きませんよ」
 尤も、メローピー・ゴーントのレイプ・ドラッグに関しては吐き気と尊敬が入り混じった複雑な感情を抱いているが。
 愛の妙薬による感情操作には、死ねとストレートに唾棄したい。
 女性と薬という組み合わせが特に理由もなく儚いイメージを連れて来るが、あんなものは弱い性を盾にしているだけであり擁護する価値などない。
 性別を逆転させ、メローピー・ゴーントが男性で、トム・リドル・シニアが女性であった場合を想像すれば、私以上に鈍い感性を持つ者でもメローピー・ゴーントがどれだけ気持ち悪い行為に及んだのか理解出来るだろう。
 不細工で陰気な男が若く美しい女性をヤク漬けにして孕ませるストーリーは特定の性的嗜好を持つ層を対象にしたフィクションだけでも十分グロテスクで、現実に持ち込んでも虫酸が走るだけだ。しかも、望まれず生まれた子供がレイプされた女性に似たともなれば、より気持ち悪い方向に想像力が働く。
 これは、ユーリアンに対して尻の穴で蛇の子供を孕むかと脅した私の精神を高潔極まりないと評するような馬鹿げた価値観を持つような人間でなければ受け入れられない類のものだろう。幾ら私でも、それくらいの判断力は備わっている。
 反面、彼女の持つ一貫した態度は非常に好ましいと、心底思うのだ。
 メローピー・ゴーントは最初から最後まで、母でも妻でもなく、己の欲に従順な1人の女で、敬仰すべきケダモノだった。
 彼女は見目の良い男に薬を盛り、攫い、レイプし、孕み、捨てられ、産み、死んだ。
 理性があれば外見が全く釣り合わない異性に惚れた時点で諦める。薬を盛ろうとしても道徳心が存在すれば止める。自制心があったのならば遠い土地に攫わない。貞淑さを持っていれば強姦などしない。薬を盛り続け夫婦の真似事など羞恥心が僅かにでもあれば出来ない。猿よりも小利口であったか、微々たる想像力を持っていたならば、男が死ぬ間際まで薬を飲ませ続けただろう。
 そして、母としての性が爪の先でも育まれていれば、生きる事を諦めず、公的機関に駆け込み、補助を受け、魔法を駆使し、何としてでも腹の中の我が子を守り、産み、育てたに違いない。
 しかし彼女は全てを捨て、女として生きて、死んだ。
 不幸な生い立ち、やがて幸せを掴み、幸福の絶頂を迎え、最後は悲劇に酔う哀れなヒロイン。監督も脚本も演出も主演女優も全てが彼女自身の素晴らしい舞台。
 メローピー・ゴーントは始終、恋に生きた女であった。彼女の生き方には一本の筋が通っていて、それが誠に清々しい。
 もしも彼女が生き延びたとしても、それは完全に蛇足である。美しく生まれたトム・リドルはきっと父親の代わりとして育てられただろうし、そうでなかったとしても、いずれ母親が父親をレイプして自分が生まれたという事実を知ってしまう。レイプ・ドラッグの被害者ならば母を支える献身的な息子として大団円を迎える可能性も模索出来るが、加害者側である以上、そうはならない。
 私の残念な頭で考えてみたのだが、この場合も、トム・リドルからヴォルデモートが生まれるのではないのだろうか。魔法使いは非魔法界に災いを齎す殲滅すべき穢れた害獣であると掲げるタイプの。
 蛇足と言ったばかりだが、それはそれで、見てみたい。
「どうしたの、。考え事?」
 メルヴィッドに耳元で囁かれ意識を現実に戻すと、いつの間にかオーブンからは甘い香りが漂い始めていた。口を付けていない手の中のミルクは既に冷めている。
「何を考えていたのかは、言わなくていい。ただ、今は私だけを見て、私の事だけを考えて欲しい」
「貴方はまた、そんな事を」
 相変わらずの破壊力であるが、今回はそれに加えて吐息が触れ合う程に距離が近い。余程の不感症でもない限り老若男女を問わず落とされる、そんな声と仕草をされた。
 本当に、この子の隣に座るのがこんな爺で申し訳ない。普段ならば無視される思考を、今日のメルヴィッドは何故か丁寧に拾い上げた。
「お願いだ、。今だけでいいから」
「メルヴィッド」
 いつの間にかなくなっているメルヴィッドのマグカップ。細く長い腕が背中に回る、先程と変わらない甘い果実とシロップ香り。懇願するような声は、傷付いた青年の演技。
「私は歳を取らないから、君は、何時か私を置いて逝ってしまう。あの日からずっと判っていたけれど、考えないようにしていた。未だ、逃げていたかった」
 けれど時間は切れた。私は自分が何者なのか教えられ、知ってしまったと痛ましい声色が続けた。
「エイゼルの素直な欲求が羨ましくて、妬ましいよ。が死んだら後を追うと、私は言えない。勿論、自分を殺して君の心の消えない傷にしろとも。私は彼より欲深い、と共に生きていたい。出来る事なら、永遠に」
 私に向かって死なないでと、そして監視しているブラック家に向かって殺さないでと現状に耐えられず静かに叫ぶメルヴィッドの肩口に寄りかかり、表情を隠しながらようやく掴んだ彼の意図に同情する。
 最近、一段と激しくなって来たエイゼルの暴走に、ブラック家が抑止としてメルヴィッドを必要以上に囲い始めたのだろう。自分だって本当は凄く面倒な欲を持っていてエイゼル以上に我儘に生きたい人間なんだと訴えなければまずい程に。
 全く、手駒との距離を測り適度な調和を保たなければならない役割は大変だと目を細め、マグカップを床に置いて彼の背を何度か軽く叩く。見様によってはメルヴィッドの提案に同意したようにも捉えられるかもしれないが、別に構いはしないだろう。
 この子と共にならば、気が遠くなるような時間を過ごすのも悪くない。
 少なくとも、この行動は本心であり、真実である。