曖昧トルマリン

graytourmaline

キノコとチーズのタルト

「ねえ、。君の目は節穴なのかな。私は君に伝えたよね、ウィレフェストは逃さないからゆっくり帰っておいでって。湿気で膨張した脳味噌は理解出来なくなったのかな、急ぐ必要はないよって事で、馬任せに好き勝手行動しろって意味じゃないんだよ。初心者の君と白髪の老人が爆走する馬に乗って丘の向こうから現れた時の私の気持ちが判るかい? 君は知らないだろうけどね、馬を含めた草食動物は大抵臆病なんだよ。どれくらい臆病かというと、川辺に5m近い蛇が居たら方向転換して全速力で退却するくらいにね。じゃあ何で君達はこの場所までギャロップで来れたのか判るかな? 返信がなくて不安を覚えた私達がウィレフェストの痕跡を消して馬が怯えないように配慮したからだよ。そうじゃなかったら今頃君とそこの年寄りはパニックに陥った馬の背から投げ出されて病院に担ぎ込まれていただろうね。それとも大事な大事な誕生日を消毒液臭い部屋に設置された固いベッドの中で過ごして、お説教のプレゼントをされたかったのかな? 私はそんなの嫌だよ、がどうしてもそうしたいとお強請りしてもお断りだ」
 半年程前に色々と心配をかけたあの日の早朝を再現するかのように、現在の私はエイゼルの指先によって両頬を横方向に限りなく伸ばされていた。彼の言い分は尤もなので、ごめんなさい、ありがとうございます、と口に出したが、言葉は意味不明な音となり虚しく宙に消えてしまう。
 優しい保護者を演じるエイゼルの向こうでは、メルヴィッドがマリウス・ブラックにお説教を食らわせていた。内容までは聞き取れないが、半世紀年上の方が申し訳なさそうな顔をしているのであちらも道理に叶った注意をしているのだろう。
「はい、は余所事を考えていないでこっちを見る。いいかい? もうその場の空気に流されないって約束出来る?」
 指を離され、両手の平で軽く頬を叩かれたので意識を戻した。サングラスで視線は読めないはずなのだが、真剣にエイゼルの言葉を聞いていなかったのはお見通しらしい。
 某将軍ドラマを脳内BGMにした帰宅はクライズデールとマリウス・ブラックに流された訳ではないので頷く事に戸惑っていると、目の前の美しい顔が笑みを浮かべた。
「ごめんね、言い方が悪かったかな。例え君に決定権があっても、私を不安にさせる行動は謹むようにしてね」
「想像力の及ぶ限り、気を付けます」
の想像力は恐ろしく貧困か突拍子もないかの2択だから期待出来ないよ。もう少し頼りになって私を勇気付けてくれる言葉を探してくれないかな」
「では、身命を賭して」
「君のそれを流して大惨事になった記憶を私が忘却しているとでも? 次」
「貴方に服従します」
「わあすごい、驚く程軽量化したね。6ペンス硬貨くらい。もう一声」
「エイゼルも一緒に、人生棒に振ってみませんか?」
「だから、そういう所が、君は」
 がっくりと項垂れた勢いで抱き締められるが、口元は笑っていた。多分私が放った台詞の元ネタを理解したのだろう。
 溜息を吐いてから体を離し、湿気で膨らんだ私の髪を撫でたエイゼルは、当人の意識がこれでは発信機だけでは駄目だなと呟いてから、その手を首筋まで下ろし体温を吸収した鎖に触れた。
「先日いただいた、このチェーンが?」
「気付かなかったんだ」
「はい、全く」
「だろうね。発信機は嘘だから、本当は遠隔魔法阻害装置」
「そんな気配も微塵も感じませんでした。それで、真実は?」
「何の仕掛けもないし、アンティークでもない、唯のチェーンだよ」
 いつも通りの下らないやり取りの後に、こんな判り易い物に魔法をかけたらどうぞ対策してくださいと言っているようなものだと肩を竦められ、それもそうだと納得する。
 無能な私は一切感知出来なかったが、ブラック家には義眼の連絡手段も既に解読されていたらしいので。
「それで、約束は出来そう?」
「胸の前で十字を切り誓う事は出来ませんが、左目に針を刺しましょう」
「左目には何もしなくていいよ、右目に釘なら許可してあげる」
「それは少し、心苦しいのですが」
「だからだよ。君は自分の身体より私が仕込んであげた義眼の方が大切だと、ふざけた考えを持っているみたいだからね」
 有痛性がなければ意味がないのは理解出来るが、近視が入り瞳孔も開きっぱなしで矯正しなければ使えない左目と、エイゼルが改良した超高性能義眼とでは後者の方が大切に決まっているではないか。そう訴えようとしたが、右目に釘だと再度告げられた挙げ句、だからこの話はここで終わりだと強制終了させられてしまった。
 切り上げ方が悪い意味で適当なのは単純に、説教する演技に飽きたのだろう。エイゼルは自身の欲求や不満に対してそこそこ忠実な気分屋さんなのだ。
 食い下がる必要もないので態とらしく溜息を吐いて同意し、真面目で大人の保護者を演じなければならないメルヴィッドから未だ滔々と叱責を受けているマリウス・ブラックを尻目に、流れているのかいないのか判らないくらいに緩やかな小川へ足を運ぶ。
 濡れた芝生を踏む音に気付いたのだろう、大蛇に似た茶褐色の動物がゆっくりと鎌首をもたげて緩く巻いていた体を波状に変化させた。次の行動に瞬時に移せる、攻撃にも逃亡にも適した態勢である。
 その真下でルドルフ君が微妙に白目を剥きピンク色の舌をちょろりと出して熟睡している様子が不釣り合いで笑えるのだが、しかし何故、あの子はウィレフェストに全く動じていないのだろうか。フィリッパさんは項垂れる飼い主の傍で尻尾を股の間に挟み怯えるという、誠に犬らしい行動を取っているのだが。
 クラップの血が為せる業なのか、あの子元来の性格なのか、コミュニケーション不全を四六時中起こしている飼い主の駄目な部分が似てしまったのか。
「どう見ても君に似たとしか思えないよねえ」
「私の肝は据っている方ですが、野生のウィレフェストの前で無防備に眠る神経は持ち合わせていません」
 心の中の疑問はしっかりと顔に出ていたらしいが、それもいつもの事である。
 紅色の虹彩につぶらな真円の瞳孔が私を見据え、明らかに照準を合わせたので足を止め、これ以上間合いを詰めて良いものかどうか一瞬だけ迷ったふりをした。私がそのような反応をする事を予想、または期待していたエイゼルが判り易く苦笑して、聞き覚えはあるが白を切らなければならない音を舌と口蓋の隙間から吐き出す。
 エイゼルからの命令を聞き入れたウィレフェストは巨大な体を出来る限り伸ばし、細かい鱗に覆われた腹を空に向けた。明らかに野生のそれが行う仕草ではないので驚きの表情を浮かべようとしたが、何故かルドルフ君も同時に寝返りを打ち背伸びしながら仰向けになったので、中途半端に笑いが混じったものになってしまう。
「ウィレフェストの行動に驚けばいいのか、ルドルフの可愛らしさに悶えればいいのか、悩みどころですね」
「そこは私がパーセルタング使いだった事に驚こうよ」
「おや、エイゼルが命令したんですか」
「そうだよ。例のあの人もパーセルマウスだった事は有名だよね、だから私達にも同じ能力があるんじゃないかってメルヴィッドと2人で試しに呼んでみたらウィレフェストが来たんだ。だから英国アカデミー賞にノミネートされるレベルの演技力で腰を抜かそうね」
「ヨーロッパナメラでも、ヨーロッパクサリヘビでも、ヨーロッパヤマカガシでもない個体がやって来る辺りが、メルヴィッドとエイゼルですよね」
「今更な事実だけど、は私以上に自分勝手でマイペースな人間だよね。心の底から納得した声を出さないで、せめてイギリスでは絶滅したホーンド・サーペントが出現した事に驚嘆してくれないかな?」
「ウィレフェストはホーンド・サーペントではありませんよ?」
 何を言っているのだと表情だけで問いかければ、エイゼルもまた、何を言っているのだと視線だけで返事をした。更に無言で、ルドルフ君をクラップとの混血だと看取したのに何故判らないのかが判らないと伝えると、私の知識が不均衡なのだと黙ったまま告げられる。
「偏ってなんかいません、教科書通りの知識です」
 ついに声に出してウィレフェストはルドルフ君と違い型に嵌まっているから判り易いと目と腹部を指すが、魔法界と非魔法界の生き物に料理や薬の材料以上の興味が持てないらしいエイゼルはそれがどうかしたのかと首を傾げるだけだった。
「目と、お腹が、明確に違うんです」
 ホーンド・サーペントの腹部は蛇と同じ腹板と呼ばれる横に長い大型の鱗に覆われておりトカゲのような瞼が付いているが、ウィレフェストは逆にトカゲと同様に細かい鱗に覆われていて蛇のように瞼がない。
 因みにシー・サーペントには腹板があるが非魔法界のウミヘビ並に形状が多種多様であり瞼と犬歯がなく、ドラゴンは腹板がなく瞼と犬歯があるというか犬歯しかない。スナリーガスターは腹板があるがそれ以外はほぼ鳥類で、オカミーは首と胴体こそ長いが光沢のある羽毛が鱗に見えるだけで椎骨の数が異様に多い鳥である。同じく椎骨が多く綺麗にとぐろを巻くのはホーンド・サーペント、シー・サーペントで、ウィレフェストはアシナシトカゲと同様に美しいとぐろを巻く事が出来ない。
 バジリスクは流石に見た事がないが、腐ったハーポが飼育していたらしいので舌は蛇と同じ二又だろうと推測は出来る。同じ舌を持つのはホーンド・サーペント、ウィレフェスト、シー・サーペントで、ドラゴンとスナリーガスターとオカミーは蛇の舌ではないのでエイゼルの指示には従わないだろうと纏めると、呆れたような視線を貰った。
「魔法生物学はの興味を唆る分野って事だけは理解したよ。あとドラゴンの外見的特徴はどうやって、ああ、そうか。メルヴィッドの守護霊か」
「はい、正解です。あとはエイゼルの守護霊がバジリスクなら完璧ですね」
「何が完璧なのかが一切理解出来ないけど、生憎全く別の生き物だよ」
 いつの間にかエイゼルも有体守護霊を召喚出来るようになっていたので目を瞠ると、こういう所には驚くんだねと落胆の声を上げられた。
「まあ、その話は今度にしよう。いつまでも仰向けだと可哀想だ」
 もう一度似たような音を出したエイゼルの声に従いウィレフェストがうつ伏せになると、何故かルドルフ君も濡れた芝生の上を転がる。
 欠伸は伝染するらしいが寝返りも実はそうなのだろうか、それとも彼等の間には何か通ずるものがあるのだろうかと間抜け極まりない疑問を口に出すと、言葉の通じるウィレフェストは兎も角、眠っている犬の気持ちは理解出来ないと返された。道理である。
 近寄って触れても大丈夫だとエイゼルからお墨付きを貰ったので躊躇なく行動に移し、感情が全く読めない澄んだ瞳をしげしげと眺めた後で冷たい肌にゆっくり触れてみる。鱗の隆起は強く、手触りはざらりとしていて、日本のヤマカガシに似ていた。魔法界と非魔法界の違いこそあるが、共に水辺が生息場所なので、このような方向に進化したのだろう。
 茶系で統一された色合いは地味だが、整然と並んだ鱗と濃淡の区別が曖昧な霞がかった模様が渋くて好みだ、シマヘビよりも更に赤味の強い虹彩もよく映えている。例えばこれが、赤黄黒の派手な鱗だったら此処まで艷やかには見えないだろう。
 言語は違うので通じないが、それでもルドルフ君を相手する時と同じく挨拶もそこそこに人語で容姿の素晴らしさを褒め称えていると、何故か悪くないとでもいうような表情をされた。そこで、私の思考は停止する。
 蛇はこれ程までに表情豊かな生き物だっただろうか。私の記憶では、蛇は無表情動物の代表格なのだが。ウィレフェストは蛇ではないから表情筋があるのだろうか、しかし、義眼で骨格と筋肉を透視して調べてみたが蛇のそれと変わらない。
 私にもウィレフェストにも言葉の通じるエイゼルならば何か判るだろうかと振り返るが、何故か彼は先程の私以上に目を瞠り、滅多に見る事が出来ない驚愕の表情を浮かべていた。これは演技ではない。
、ごめんちょっと待って。メルヴィッド!」
 私の視線に気付いたエイゼルは何を思ったのかメルヴィッドを大声で呼び、説教など切り上げろと叫ぶ。エイゼルらしからぬ狼狽えぶりに困惑してみせるが、今はそれどころではないと構っていられない宣言をされた。
 普段と明らかに様子が異なるエイゼルを見てメルヴィッドも何かを悟ったのか説教を切り上げてこちらにやって来る。やや遅れてマリウス・ブラックとフィリッパさんもエイゼルの元に集合し、騒がしさにルドルフ君も眠りの国から帰還していた。
「メルヴィッド、もしかして君は、がパーセルマウスだと黙ってた?」
 何があったのかと怪訝そうに眉根を寄せた一同が瞠目し、次いで赤や灰色の視線が私に注がれる。ルドルフ君とフィリッパさんの2頭は怪訝そうな表情を継続中だったが、構っていられない状況に陥った。
「素直な反応に感謝するよ、その様子だと私は騙されていた訳じゃないみたいだね。は自分で気付けた、はずがないか。蛇なんてその辺に居るような生き物じゃないから、それに、その様子だと話す事は出来ても声は聞こえていないよね?」
 エイゼルの言う通り、イギリスに生息する蛇は私が先程挙げた3種の在来種と、大陸からの外来種であるクスシヘビ1種だけだ。この数と環境内でパーセルマウスだと発覚する遭遇をしろというのは無理な話である。
 元の世界の実家ならば、ヤマカガシやネズミを狙ってシマヘビやアオダイショウが屋敷内に侵入し、玄関から廊下、浴室、寝室、トイレに至るまで、あらゆる場所で遭遇する環境なので気付けただろうが、残念な事にこの国で爬虫類と出会うには動物園のように敢えて飼育している環境下に足を向けない限り、ほぼ不可能である。
「守護霊を出した時はどうだったんだ、確か蛇なんだろ?」
「キャップの仰る通り私の守護霊は蛇ですが、パーセルタングを使った事は多分一度もありません。仮説に過ぎませんが、最初にメルヴィッドのドラゴンを見せられた事で、あくまで蛇の姿を借りた魔法としか認識していなかった辺りが理由ではないかと」
 自分が作り出した魔法相手になら人語での会話が成り立つと思っていたと適当に言い訳を口にしたが、不自然な点はないのでマリウス・ブラックもそれならばとすぐに納得してくれた。メルヴィッドのドラゴン云々は真実でも事実でもないが、後半の考えは元の世界に居た時からずっと思っていた事なので全てが嘘ではない。
 煙に巻く為に、メルヴィッド、レギュラス・ブラック、そして去年のクリスマスパーティの時にも大勢の前で守護霊に話しかけたが人語のはずだと告げると、確かに人語だったとメルヴィッドが同意してくれる。この流れで畳み掛けよう。
「パーセルタングを喋れるのなら、それはそれで構わないでしょう。会話可能な言語が1つ増えた所で、私自身の何が変わるという訳でもありませんから」
「君は変わらなくても周囲がね……隠すと後が面倒だから、この事は魔法省にも伝えた方がいいかな。これは予言だけど、ホグワーツでは変な噂にはなると思うよ、魔法界ではパーセルマウスは歓迎されていないから」
「ドイツ語を話す人間はナチスの犯罪行為礼賛者だとレッテル張りするレベルの、脳神経の実在を疑いたくなるような無茶極まりないあの差別ですか?」
「冗談と笑って済ませたい所だけど、魔法界にはその手の馬鹿が大量発生しているから。馬鹿な生徒や教師に差別されたら1人で仕返ししようとせずに必ず私に言うんだよ、此処に居る以外にも全員を巻き込んで潰すから」
「判りました、必ず報告します」
 1人で抱え込まずに、と誰も訂正しない辺り、全員が私の性格と気質を理解しているのだろう。あれだけリチャードについて口に出して態度を一貫させているのだから、当然といえば当然であるのだが。
 今まで黙って口元を手で覆っていたメルヴィッドが、少し血の気を引かせた顔を私に向けた。赤い瞳には不安の色が見える。
「ただ、パーセルタングを話せるのに聞こえない事が気掛かりだ。器質的要因か、心因的要因かも判らない。何より、他の魔法にも同じような影響が出て、突然の身に何かが起こる可能性が一番怖い……でも、どちらにも心当たりが多過ぎる」
「調べるにしても、どうしようもないな。私達はそちらの専門家じゃないし、そもそも専門書自体がほとんど存在しない」
「そんな顔をしないでください。メルヴィッドもエイゼルも、何も悪くないのですから」
 私がハリーの肉体を得る前から、つい最近の対半巨人戦まで、肉体的な損傷はここ10年の間に数え切れない程あった。精神的なストレスも、同様である。
 去年、ヒキガエルと有精卵から作り出したバジリスクを怒鳴りつけたメルヴィッドの声を聞き取れなかったのでルビウス・ハグリッドからの暴力は関係ない事が明白なのだが、言う事は出来ないし、必要もない。
は、そうやって落ち着いたふりをしているけど、諦めているだけだよね」
「自分自身の事ですから、とても簡単なんです。もしもこの立場が貴方やエイゼルならば、みっともなく狼狽えて使い物にならなくなっていますが」
「もっと自分の生にも執着してくらないと、私が狂って使い物にならなくなるよ?」
「ついでに私が後追い心中するからね?」
「私の所為でメルヴィッドが狂い、エイゼルが死ぬのは嫌です。判りました、具体策は何もありませんが足掻きます」
「本当に君は、判り易く私達の事が好きだよね」
「ええ、大好きですよ」
 さて、対ブラック家への言い訳じみた会話はそろそろ終わらせていいのだが、しかし、今回の問題はそこではない。
 私の世界でハリーがパーセルタングを操る事が出来たのは意図せずリドルの分霊箱ホークラックスとなり、魂の欠片が体の中に侵入したからだと思い込んでいたのだが、どうやらそのような事がなくとも、この体はパーセルマウスを発現していたらしい。
 リドルが殺された後はパーセルタングを理解する力が消滅したとか、リドルの隠し子発覚で一時的に再発したとか風の噂程度には聞いたが、エイゼルが口にしたようにイギリスで蛇と出会い話す確率というのはかなり低いので、単にリドルを殺したから消えたと思い込んでいただけなのだろう。
 そして発現原因なのだが、こちらは流石に私では判らない。
 メルヴィッドやエイゼルのそれは生殖行為による連鎖だろうか。けれど、以前述べたように、魔法は物質に然程依存しないものだと私は考えている。実はパーセルタングの魔法そのものはその辺の空気中に漂っていて、スリザリンの血筋はそれを捉え自身の内に定着させやすい肉体なのかもしれないと一切の根拠がない妄想を浮かべてみた。
 ホグワーツのポルターガイストを捕獲、解剖、分析出来れば魔法とは何かのきっかけ程度は掴めそうなのだが、否、校長権限が認められれば許可されるだろうか。尤も、私は研究者ではないので、かなり初期の段階から解剖と拷問の区別が付かなくなりそうだが。
 拷問よりも楽な解体ならば、おおよそ日本の山に生息する動物を手掛けた経験があるので丘の生き物ならば自信はある。
 そして余談になるが、海の生き物は、正直自信がない。エイは捌き方自体は難しくなく臓器の配置が面白いし、タコの臓物も中々興味深く美味しいので、気が向けば出来ない事もないのだろうが。
 大切な事を考えているのに、何故私の思考はこうも食欲に直結するのだろうか。逸れた話を戻そうと思ったが、戻しても妄言と無知で溢れた空間なので、この地に放り投げて大地の糧となって貰おう。
 そんな阿呆極まりない考えをしているのは私くらいなもので、誰もが口を噤んだまま辺りに重い空気を漂わせている。
「よしガキ共、ここは俺に任せてみろ。上手くいくかは判らんがな」
 それを払うかのようにマリウス・ブラックが指を鳴らし、埒を明けてさせてみようと一言告げてコテージに背を向けてファームハウスへと向かって行ってしまった。スクイブである彼や、家の所有者である女主人にどうこう出来る問題ではないので、多分アークタルス・ブラック辺りに相談しに行ったのだろう。
 主人の背中を追い駆けるフィリッパさんを見送り、さてどうしようかとメルヴィッドとエイゼルを見上げると、戸惑いを含有した笑顔を向けられた。
「老馬之智という言葉もあるから、デイヴに任せてみよう」
「韓非子だよね、それ。2000年以上前の言葉を引用して縋るのは構わないけれど、確実にブラック家の権力経由なのが不安だな」
「他にいい手があるのなら言って欲しいな、エイゼル」
「ないよ、だから彼を止めなかった。ホテルの時だってそうだ。不満を言って啖呵を切っただけで、私はいつも無意味に生かされて気付いたら何も出来ずに遅れている」
 悔しさから後半の言葉はまるで囁くような小ささだったが、それでも確実に私の耳に届くものであった。
 自身の無力を痛感させられる若者の顔を作るエイゼルのそれは胸が締め付けられる程に苦しく、とても演技とは思えないが、これも当然演技である。もういっそ、この子は俳優にでも転身した方が人生を謳歌出来るのではないかと思ったが、シリアスな空気が崩壊するので口にも顔にも出さないようにした。
 エイゼルと辛うじて名前を呼んで、さて次はどう繋げようと考えていると、黒い瞳に込められた力が緩み、白く綺麗な手で頭を撫でられる。
「先に帰ってバスタブにお湯を張ってくるよ、会食前に軽く汚れを落とした方がいいから。はもう少し、メルヴィッドと此処に居ればいい」
「エイゼル、お前」
「少し、1人になりたいんだ。ウィレフェストの事、よろしく」
 しんみりした空気を醸しているが、秘められた続きの台詞は恐らくこうである。
 エイゼル、お前……がこの場に残れ、私を先に帰らせろ。
 ウィレフェストの事、よろしく……後腐れないよう野生に返す作業は任せたから。
 切ない雰囲気を残らず破壊する台無しの会話であるが、それでも私は間違っていないと断言出来る。
 先に主導権を握り、言い逃げしたエイゼルの背に向かって、メルヴィッドは大きな溜息を吐く。自虐する弟を憂慮する兄にしか見えないが、彼の背中には大きく、後で覚えていろこの馬鹿がと、可愛らしい悪態の幻影が浮かんでいた。