曖昧トルマリン

graytourmaline

青柚子の錦玉羹

 経済や金融に疎い脳味噌に幾ら頑張って貰っても弾き出される解答など何の役にも立たないと意識を切り替え、手にしていた硬貨をポケットの中にしまいながら知りたい事とは一体何だと尋ねると、意外な言葉をユーリアンが口にした。
「この魔法反応記録って何?」
 てっきりメルヴィッドかエイゼルから口頭で説明を受けたか、データベース内を漁って自力で解答を獲得していたとばかり思っていたが、この子は出会った当初と変わらず魔法界のシステム関連に興味が湧かないままらしい。これを知らないと後々痛手となるので、逸れた話ついでに乗っておこう。
 話題に不要の紙束はひとまず元の場所に戻し、私が声に出して説明するよりも彼自身の目で追った方が正確に把握出来るからという理由で該当データや各種書類をユーリアンの前に出現させる。
 正面に位置する黒い瞳が右から左、上から下へと文章と図を追い、しばらくしてから自分の純粋さに気付いたのか、可愛い仕草で頭を抱えた。
「何で僕は、こんな簡単な事に気付かなかったんだ」
「貴方達にとっては興味の範囲外だからでしょう。メルヴィッドやエイゼルもこの事や、対非魔法界用の戸籍ロンダリングシステムを知りませんでしたから」
「自分の頭の悪さと、という馬鹿が知っていた事実が余計に腹立たしい」
「今知ったのだからそれで良しと前向きに考えませんか」
「前向きと能天気は違うんだよ、糞爺」
 無能の慰めでは意味を成さないようで、黒く透き通り輝いていた瞳が急速に淀む。
 少し考えれば判る事だったのにと悔しがるユーリアンを微笑ましい少年として眺めているとメルヴィッドもエイゼルも同じような反応をしていた記憶が思い出されるが、これは口に出さない方がいいだろう。
 目の前で浮遊する画面には、想定よりも強力な傍受システムを魔法省が所持し、そこに勤める多くの魔法使い達がそのシステムを適切に運用出来ていない事実が羅列されていた。所有ではなく使用する事が富であるとは言い得て妙であるが、この場合はそれ以前の問題なので、マタイ伝7:6システムと言い換えた方が適切かもしれない。
 魔法省に帰属しないこの子達が思い至らないのは、まあ仕方がないで済ませよう。頭が良く傲慢だが思いもよらぬ所でちょっと抜けている所も彼等の持つ魅力である、くどいようだが、年寄りは身内の可愛い子に対してならば際限なく甘くなれるのだ。
 出来る事ならばこれを切っ掛けにユーリアンの意識が変化して欲しい所なのだが、余り高望みはしない方がいいだろう。互いにない物尽しで出会った昔のメルヴィッドとは違い、今のユーリアンには様々な余裕がある。この子は、必死に変革と努力を重ねなければ立ち行かない状況に置かれていない。
 かと言って、獅子でも蛇でもなく子猫似のユーリアンを千尋の谷へ突き落とせる程、私は非道ではない。そもそも、今回は偶然私の興味が向いていたから知っていただけの情報であり、持ち得る能力を考慮した場合、普段はこちらが姥捨て山の如く彼等に置き去られなければならないのだ。
「ああ、くそ、腹が立つ。何で思い付かなかったんだ、在英魔法使いの情報を収集するシステムが存在するなんて、考えてみれば当然じゃないか。対象が成人したから検知を止める、そんな馬鹿げた国家があってたまるか! ホグワーツにだって入学勧誘用の検知システムが存在するのに魔法省が持っていないはずがないだろう!?」
 因みに、長期休暇中に未成年の魔法使いの違反を発見する例の魔法は、休暇前に配布される注意書きの紙へシステム直通の逆探系呪文を仕込んでいるとメルヴィッドとエイゼルは予想しており、ユーリアンもそれに倣いながら喚いていた。
 確かに、この手の敢えて痕跡を残す魔法は下手に時間を与えてしまうと解除される危険が増すので、それが一番適当だろう。
 ただ、ホグワーツ特急内で数時間の猶予が与えられる事を考慮すると、彼等のような知識と火力と精密性を兼ね備えた魔法使いが仕込を解除する可能性も十分あった。となると、発動するのは駅のホームに降りた際なのかもしれない。火に油を注ぐ台詞だと自覚しているので、口には出さないが。
 ついでに寄り道をするが、未成年探知の魔法は授業を教える学校や、学校に通わない場合は保護者側に課せられた義務であり、魔法省が一律で管理している訳ではない。魔法学校毎に入学年齢や教育課程が大きく異なるので、当然といえば当然だ。
 リバーサイド・スクールなどは未成年ならば何歳からでも入学を受け付けており、非魔法界の学校に通う生徒のスケジュールと能力に合わせて個別の授業を組むので、特に長期休暇等は存在しない。寧ろ、他学校の長期休暇期間は呪文が飛び交う強化期間に該当し、平日の授業時間帯は非魔法界で過ごす為、魔法の使用を禁止しているくらいである。
 では多重学籍となる私の立場はというと、リバーサイド・スクール側は既に通年での使用を認めており、ホグワーツ側はブラック家が魔法省に働きかけて何があっても同様の認可をさせるらしい。これはスペアとして私が欲しいダンブルドアにとっても有利な条件なので、多分通るだろう。
 思考の寄り道を終えたので意識をユーリアンに戻したのだが、少しばかり早足だったらしい。曲がりなりにも優秀だと自負している若者にとって、年老いた馬鹿からの指摘は中々に堪えるようだ。
 想像力の限界を示された自分自身が許せないのか、白い手で作られた握り拳がダイニングテーブルの上に振り下ろされ、そのまま通過する。余談になるが、同様の報告を全て終えた際、メルヴィッドは肺どころか血液中の酸素すら全て吐き出しかねないような深い溜息を吐き、エイゼルは不貞腐れたようにソファに突っ伏してしばらく動かなくなった。年若いユーリアンはどうしても身体を動かす方向に行ってしまうようだ。
 頭を抱え悪態を吐きながら床を踏み鳴らそうとする姿を視界に入れつつ、私も画面の文字を追い、魔法省が持つ便利なシステムをもう一度おさらいする。
 正式名称は知らないが、取り敢えず魔法使い検知システムとでもしておこう。このシステムはユーリアンが叫び散らしているように、イギリスとアイルランドに分散している魔法使いや魔女、ヒトたる存在の居場所を365日リアルタイムで監視し、魔法が使用された場合は系統と対象を可動インクで記録するものである。
 ここまでは、私がこちらの世界に来た時から知っており、度々魔法省に侵入してはデータの改竄を行っていたので今更と言えば今更の情報であった。
 もう少し詳細を知っておこうと思ったのは、先日のホテルの件でアークタルス・ブラックがこのシステムの存在について触れた事と、認定魔法使いとなった事で申請書等の書類関係が格段に通りやすくなり、自衛の為の情報収集を行っているという演技が必要になったからである。
 そのお陰で、色々と面白い事が判明した。
「魔法省は能天気な国家ではありませんが、お役所仕事的な無防備状態と呆れるような非合理性をきちんと持っている所が笑えますよね。折角、エシュロンのようなシステムや、プリズムのようなプログラムを所持しているのに」
「知るか勝手に笑ってろ! 僕は忙しい!」
「自責の念に駆られる事に忙しいとはユーリアンは自分に厳しいですねえ」
 魔法省の役人達もこの子くらい所属組織に厳しければもう少しスムーズに動けるのではないかと思うのだが、世の中は早々上手く回らないらしい。
 調べた限り、この検知システムは魔法生物規制管理部、魔法運輸部、魔法法執行部の3部署に所属する課が各々運用に当たっている個別システムを無理矢理統合して出来たものである。この内、前者の2部署は相応の人員を割いて連携しているが、法執行部は足並みを揃えていない。アルマン・メルフワも語っていたが、魔法省の動きが鈍いのは図体の大きさだけではなく、このような阿呆がしがらみを作る所為なのだろう。
 否、正確には、内輪揉めやしがらみなど存在していようがいまいが、どうでもいい。極論になるが、機能さえつつがなく稼動している、という前提条件さえ間違えていなければそれ以外は何でもいいのだ。逆に言えば、どれ程良好な関係を築こうと、機能が正常稼動していない場合は大問題である。
 今回の場合は、法執行部の所為で仲が悪い上に機能もしていないが。
 面子に拘り、他部署を下に見て歩調を合わせようとしない法執行部の持つシステムの構造はごく単純なインカンタート系の既存呪文照会魔法に過ぎず、魔法不適正使用取締局くらいしか利用していない、というよりも利用価値がない。
 これは、簡単な隠蔽呪文すら解除出来ず、精密性に欠き、不具合が多く、それらが判っていながら未だ改善されていない欠陥だらけのシステムだ。
 例えば、以前住んでいたテラス・ハウスで恒常発動していた隠蔽魔法や検知不可能拡大呪文に素直に従い、隠匿系呪文が使われたとだけ残すのはマシな方で、格段に強力で複雑なブラック家の本邸やカンブリアのこの屋敷の隠蔽魔法はエラー処理されていたり何も検知出来ていない。
 例えば、設置型魔法やソワナの魔法式は、当時は魔法省に登録申請を行っていない呪文なので、検知すらされていなかった。
 例えば、私とルビウス・ハグリッドが遭遇戦を開始してから飛び交った呪文は半分以上がエラー処理されており、残りの半分はSturgifyやDiffodio等の近似の単語と混在し意味を成さない呪文として記録され、止めのエイゼルの魔法に至っては処理落ちしたらしく記載すらされていなかった。
 例えば、メルヴィッドとメアリー・ガードナーを引き合わせた日の夜、路地裏でクルーシオを放たれた際は、システム上では検知されていたにも関わらず誰も動こうとせず、結果、悠長極まりない老人の手で数日後にデータの改竄を許した事もある。
 例えば、1990年12月4日、ウィゼンガモット最高裁四号法廷の傍聴席内でクリーチャーが使用したスコージファイやモリアーレを主人であるレギュラス・ブラックが使用したと記録されていたり、隣に居た私が移動魔法を使ったと記録されていた。魔法使いに対する冤罪製造装置となり得るかなり酷い欠陥ではあるが、これに関してだけは、意図的に作られた穴である可能性が高い。
「その穴を突いて利益を得る奴が居るって事か。なんの捻りもないけど、ハウスエルフを所有する魔法使い達かな」
「その通りです」
 書籍として纏められたウィゼンガモットの判例集を広げ、純血ではないが相当裕福な魔法使いが不適切な呪文の使用で罪に問われた裁判を示す。どのような経緯で法執行部隊やウィゼンガモットが判決を導き出したのかは端折るが、魔法を使用したのは隣に居たハウスエルフだと判決が下っていた。同様の裁判は、数年に1度の頻度で起こっているようだ。
 同様の頻度で、無実の罪を着せられた被害者も存在している。冤罪によって裁かれるのは何時だって、ハウスエルフの近くに居ただけの幼い就学児童だ。
「12歳の魔法使いがダイアゴン横丁で消失呪文を使用、それに対する法執行部からの公式警告状、ね。へえ? この判断を下した奴は僕と張り合える程度には優秀な学生時代を過ごしたんだろうね、完璧に消失呪文を扱える12歳なんて世界に一握りも居ないのに」
 侮蔑の感情を声に乗せながら表情を歪めたユーリアンに苦笑し、全面的に同意した。
 少し考えれば間違いだと判る事ですら機械的に処理する法執行部は、分不相応に高い矜持と自己評価を恥ずかしげもなく衆目に晒せるような、慎み深さと責任感と思慮に欠けた人間を積極的に受け入れているのだろう。
「でも、ハウスエルフだけなんだ。魔法道具や魔法生物での誤検知は?」
「調べた限り、同様の事例は見付けられませんでした。ヒトたる存在以外の魔法は基本的に対象外のようです」
「……爺、それってさあ」
「恐らくユーリアンの想像通りですよ」
 組み上げられた魔法式は単純で欠陥だらけの割に、除外対象の選別には隙がない。おまけにハウスエルフのみに限定された穴がある。
 私のような阿呆ですら気付く作為的な不具合だろう、こんなもの。
 ブラック家のような大物から圧力が掛かっている故の不具合なのかもしれないが、余りにも中途半端でお粗末な状態に思わず溜息が溢れる。ド素人が少し調べただけではそうと判らないよう念入りに隠すなり、圧力が加わった部分のみ表向きは従いつつ本来必要となる性能は向上させるなり、幾らでもやりようはあるだろう。
「兎も角、こちらのシステムと運用する人間はお粗末極まりないという事だけ判っていただければ、それで構いません」
「気付けなかった僕も相当間抜けだったけどさ、エラーや処理落ちすら直さない法執行部は一体何を考えているんだろうね。魔法法執行部は闇祓い本部がある部署だろ、そんな穴だらけのシステムで仕事が成り立つとは思えないけど」
「一点の曇りもなく成り立つと思っているからこその放置でしょう」
「実力もない癖にプライドだけは異常に高い馬鹿って目障りだな。自己評価が正当で手直しが利く分、お前の方が少しだけマシじゃないか」
「世の中、下には下がいるんですね。英国魔法界産馬鹿野郎大展覧会を開催したら昔は銅賞くらいは取れると考えていましたが、今では佳作に入れる自信すらありません」
 エタンメールチーズの如きシステムの放置は私のような犯罪者にとって大変美味しいが、国家としては微塵も美味しくいただけない。
 しかし、イギリスの法執行部、特に闇祓いは私の想定を大幅に下回る不良集団共なので、割れ鍋に綴じ蓋だと思っておこう。正直な所、彼等の能力は魔法不適正使用取締局職員と大差ない、違う事といえば、前者の方が矜持と自己評価がより高いので実力との乖離が一層酷いという点だけだ。
 尤も、私自身が発想力が貧困な白痴者なので、自覚という単語を除けば似たり寄ったりの存在ではあるが。
「闇祓いが如何に使えない連中なのか説明するのは後回しにして、次に生物規制管理部と運輸部が合同で運用しているシステムを大まかに説明しましょうか」
 消去法で既に判っているだろうが、こちらの合同部署が運用しているのは、魔法使いやヒトたる存在の居場所を24時間態勢で監視するシステムである。手元にある正規の書類で辿れるのは関連している部までで課は判らないが、大体の想像は付く上に、実際侵入して調べた結果はその想像通りであった。
 魔法界の戸籍管理を担当している存在課やゴーストを管理する霊魂課、ゴブリン連絡室等の生物規制管理部に所属する各部署が基礎データを提供し、運輸部がその情報を元にホムンクルスの術を主軸にシステムを組み、活動を行っている。
「ホムンクルスの術か。便利な魔法だけど、複数人に対して使用すると消耗が激しいから候補には挙げなかったな」
「デスイーター召集、兼、脱走防止の為の監視魔法ですか。私の世界では結局、彼等の左腕に変幻自在術のアレンジを仕込んでいましたよ、狩り残した敵対勢力発見にはvol de mortというフレーズを魔法省権限で強制位置発信魔法化して対処していましたね」
「左の阿呆に右の馬鹿か、左右の代わりに過去と現在でもいいけど」
「ええ本当に、リドルだけでなく当時の私にも大馬鹿者と罵ってやりたいですよ。兵站運営と情報収集こそが戦の要であると頭で理解しても、目に付きやすい法執行部に気を取られていたんですから」
 未だ少し雰囲気は暗いが、自責の時間は終わったのだろう。ユーリアンの黒い瞳には、光が戻り始めていた。
 メルヴィッドやエイゼル相手ならば、ここで息抜きにお茶と甘い物でもと挟めるのだが、この子には何も食べさせてあげられないのが残念である。この先、再び精神的な頭蓋骨を陥没させるような事を言わなければならないのに。
 そんな事を考えつつ、自分が判り易いように噛み砕いた説明を続ける。
「さて、こちらのシステムですが、職業意識の違いなのか修得技術の違いなのか、法執行部のものと比較するとかなり優れた代物です」
 主にこのシステムを利用しているのは煙突ネットワーク庁や、姿現しテストセンター辺りであるが、最も頻度が高いのはふくろう便を管理する組織、外部が閲覧可能な公的書類に載せる必要がない程小さな班単位の組織だった。
 考えてみて欲しい。
 ある人物から、宛名すら書かていない手紙や荷物を届けて戻って来いと命令された場合、どれだけの知的生命体がその役目を全う出来るだろうか。
 魔法使いや魔女にそのような事が出来るとは思えない。他のヒトたる存在も同様である。ハウスエルフならば可能かもしれないが、残念ながら数が足りない。魔法生物達にこのような仕事が出来るとも、到底思えない。
 しかし、魔法使いが飼い慣らした梟は、当然のようにその難題を平らげる。
 彼等は私達が突発的にカンブリアへ引っ越した数時間後に定期購読している夕刊を届け、マリウス・ブラックからの手紙を自宅であるこの屋敷ではなく一時的に滞在していたダイアゴン横丁の調剤店に運ぶ行為に労していない。忠誠心が強く非常に優秀な梟に至っては、躾をするまでもなく人間の言葉を理解し、主人や主人が命じた宛先が失踪しようものならば例え何処に隠れたとしても数分で見付け出すと聞く。
「ああ、うん。お前がこの先で言いたい事は全部判った。判ったから、しばらく透明人間相手に喋り続けなよ、僕の事は放置して」
 自称馬鹿老人の私ですら自身の間抜け振りに頭を抱えたのだ。ユーリアンが私の考えを言葉よりも先に理解して部屋の隅で沈んでしまうのも仕方がない。
 この子が放置を指示するのならば、多分それが一番の安定剤なのだろう。黙れと言わないのは予想している内容と違った場合を考慮してだ。もしかして単なるBGM代わりかもしれないが、尋ねる必要はない。
「ではお言葉に甘えて」
 くどいかもしれないが、もう一度、振り返ってみよう。
 メアリー・ガードナーから相続した家や、アークタルス・ブラックから譲り受けたこの屋敷には、法執行部のような三流魔法使い集団や、その辺に生息する二流魔法使い程度では全く歯が立たない呪文が十重二十重に張り巡らされている。
 ダイアゴン横丁の調剤店にしてもメルヴィッドの手で警戒されており、グリモールド・プレイスのブラック家や、スクイブではあるがブラック家の一員であるマリウス・ブラックの自宅でも同様だろう。
 過剰ともいえるその防衛呪文の一切を解除して、梟は飛来するのだ。もう少し正確に表現するのならば、生物規制管理部と運輸部のシステムが解除して、目標の居場所を梟に指示しているのだ。
 目標物の居場所を、ブランクのない状態で、正確に特定出来るシステム。
 優秀過ぎるだろう。そんなもの。
 火力にしても、精密性にしても、利便性にしても、全てが法執行部のシステムを軽々と上回っている。この組み立てに関わった職員は、卓越した魔法使いだと言って憚らない闇祓いの対人探索能力など鳥類にすら及ばないと嘲笑しても構わない程の強力なシステムだ。
 面白い例として、私の世界で起こった、とても短い話をしよう。
 シリウス・ブラックの無実を知ったハリーは、親愛なる白梟のヘドウィグやホグワーツ所属の梟を使い、幾度かコンタクトを取っていた。
 この一文だけで、闇祓いや吸魂鬼よりも梟が優れている事が判る。
 闇祓いの中には騎士団員が何人か紛れ込んでいるが、シリウス・ブラックが無実であるとダンブルドアから知らされたのは1994年だ。海綿状の脳味噌を揃いも揃って頭蓋にしまい込んで、半年以上も一体何をしていたのだとビール瓶で頭をかち割っても誰も困らない無能集団である。
「能力が劣るだけならまだしも、対人探索に梟の利用すら発案に至らない脳味噌にはグラム数十円の肉塊としての価値すら見出だせませんよ。私も含めたほとんどの魔法使いに言いたい事ですが、一度頭蓋骨を開いてお湯と酸素系漂白剤で洗い流してみましょう。きっと大量のカビが浮き出てきますから」
 特に、闇祓いは念入りに洗浄を行い現在在籍している内の10割をうっかり始末した方が今後の魔法省の為になるだろう。食用にも研究用にもならない人間の形をしただけの豚を血税という名の上等な餌で養う必要はない。人員を総入れ替えした方が魔法界の為になる。
 あの時、私はホテルの一室で闇祓いは秘密情報部的な立ち位置と考えていたが、余りにも現実からかけ離れた過大評価だったと深く反省せざるを得ない。直接言う訳にもいかない上に言う機会もないだろうが、引き合いに出してしまったSISには大変申し訳ない気持ちで一杯である。
 更に、SISの庭はCIAと同じく海外なので、国内を庭とする情報機関のMI5こと保安局にも知識の浅さを深く謝罪したい。逮捕権を持つスコットランド・ヤードはどうするべきかと考えてしまったが、それでも闇祓いと比較すると遥かにまともで、しかも私は一度ならず彼等に世話になった身である。リチャードの呪いを解く気はないが、この件に関しては不勉強な私に非があるので謝るべきだろう。
 それにしても全く、一体闇祓い達の何が実利主義なのだ。アラスター・ムーディのような知能と実務能力足らずの廃棄物しか存在しないではないか。
 このような生ゴミ共の明喩など、日本の公安で十分だろう。
 勿論、エスパーよりも貴重な人員やその道のプロを抱えたフィクションの中のそれではなく、今の時代、現実に存在する方の公安だ。
 紙媒体に記された職員の情報がその辺に転がり、地方の庁舎内では他機関に用がある得体の知れない外国人が出入りしているにも関わらず防犯カメラすら設置せず、駐日外国公館で起きた過激派団体のデモ抗議を知る為には、領事館、大使館、本庁を経ないと現場の組織に情報が渡らず出動すらしない存在が、現実の公安である。
 闇祓いの本部には人目を避けて深夜にしか侵入しなかったとはいえ、入り口は他部署の職員の目に触れる場所にあり、パーティションで区切られただけの部屋にポスターや家族写真が貼られ、職員名簿が放置され、部外者による情報収集が容易く、自由に出入り可能な油断と隙のフルコース警備を敷いている時点で嘲笑の対象と振り分けるべきだった。
 目にはしていないものの、容易く想像出来る。
 きっと昼間は機密情報が雑談と共に飛び交い、関与している仕事の内容について、誰かが意味もなく、昼食のついでに教えてくれるような開放的な職場なのだろう。さっさと廃業して、ウィンドウズのゲームでも作ってるほうが国家のために有意義で、税金の無駄だ、と漫画の中では続いていただろうか。闇祓いはスパイ機関ではないが、彼女達の価値観に、諸手を挙げて賛成しよう。
 これだけ頭が足りていないのだ。恐らく、セキュリティ規定やソーシャル・エンジニアリングという単語を知らず、定期的な侵入テストを行うような基本的な防御思考も持てず、他部署の職員や魔法省に所属してすらいない部外者を部屋の中に引き入れ仕事の内容を洗い浚い漏らした挙げ句、周囲の同僚達は誰も不審に思わなければ注意もせず上司や保安部に報告すら上げないような、粗雑さと脆弱性を極めた組織なのだろう。
 マスコミも、敵対勢力も、海外の諜報員も情報を漁り放題の場所が治安維持部隊の本部など笑わせてくれる。
 現職の闇祓い達はエリート階級に所属している選ばれた魔法使いだと蝶が舞うお花畑の脳味噌で自己陶酔しているだけで、現実は常に悪手を選択する税金喰らいの蝿と蛆が集る糞尿生産装置に過ぎない。
 これで素面というのだから全く空恐ろしい。アルコールとドラッグを常食する萎縮脳共によって運営されていると酒臭い息と焦点が合わない目で告白された方が、遥かに現実に近い自己認識をしている分、救いがある。
「それで、お前は僕達も闇祓いと同じ脳味噌が常春の人間だと言いたい訳だ」
「私も含めてですかね。けれど、貴方達は数多の腐れ肉袋や老狂人と違い情報管理や多層防壁構築に関しては問題ありません。爺に駄目出しされても逆ギレや責任転嫁を行わず、自省と自責の嵐を巻き起こした後に自己修正するではありませんか。今回のように」
「間抜けだと思っている事は否定しないんだ」
「実力相応の傲慢さ故に、敵へ付け入る隙を与えていると思います」
 そんな所も可愛らしくて好感が持てる、と続けて吐露しようものならダイニングを中心に屋敷が爆発後に大炎上しそうだったので舌を止め、真面目な表情を繕った。その流れで、包み隠さず話の方向を逸らしてみよう。
「尤も、貴方達が完璧な超人ではないように、あちら側にも隙はあります。このシステムは魔法生物規制管理部で登録されたデータに基づいて作られていますから、メアリー・スペンサー宛ての手紙をエイゼルが受け取ったように、住所が記されていてもペンネームで送った場合は精度が落ちます」
 エイゼルはブラック家の梟が宛先を間違える筈ないとつい最近言っていたが、人間である以上は誰にでも勘違いや思い込みはあるのだ。私も納得していたし、メルヴィッドも訂正しなかったのでここは連帯責任として、ユーリアンには黙っていよう。
「それだけ?」
「もう2つ。1つは私が幾度となく改竄を行いながらも無傷で居るように、省庁が管理する個人情報が含まれた重要なシステムにも関わらず、誤り検出訂正が一切されていません。最後に、貴方は検知の対象外です」
 エメリーン・バンスを殺害した際に魔法的偽装を行ったので諸々の改竄を行う為に魔法省へ赴いたが、そこにエイゼルとユーリアンの名前は記載されていなかった。また、エイゼルが肉体を得た際は、該当地区に突如エイゼルの存在が現れていた。
 原因として考えられる可能性は2つ。私が偽造した戸籍は存在課に登録したもので、霊魂課ではないから。或いは、肉体を得ない彼等は霊魂ですらない記憶だから。
 しかし、結果としてこの優秀且つ厄介なシステムに検知されていないのならば、どちらが原因でも構いはしないだろう。
「肉体を得るまでは、検知を気にしなくていいのか。それは確かに重要な情報で、9月から外で活動する僕にとっては朗報だ」
「ただ、メルヴィッドのクルーシオが捕捉されたように、魔法を使用した場合は法執行部のシステムに引っ掛かるので、その点だけは留意して隠蔽して下さい。もしもの場合は私が魔法省に赴きますので、連絡だけはお願いします」
 何かやらかしてしまった場合に変に意地を張り隠し立てすると連鎖的に私達全員が死に直面する事を理解しているのか、ユーリアンは素直に頷いてくれた。それよりも他に気になる点があるのか、関係ない事だけどと前置きしてから質問を投げる。
「もしも完全な形でホムンクルスの術を使っているなら、ポリジュース薬もアニメーガスも検知されるよね」
「されますね。私がリックに化けた際は検知されていましたし、聖マンゴ5階は患者の名前で溢れていました。それに、変身時のミネルバ・マクゴナガルも」
 87年6月20日にミネルバ・マクゴナガルが起こした気道閉塞による殺人未遂、同年7月26日にこの魔女が児童養護施設を監視していた過去の記録を提出してみせると、形の良い眉が軽く上がった。
「なら、ピーター・ペティグリューが野放しになっている理由が分からないな」
「人為的過誤の積み重ねですよ」
 アップデートを重ねシステムやプログラムの欠陥をどれだけ繕っても、使用する人間の能力が低ければ本来発揮されるはずだった効果は減少する。
 私は自分の立場と、アークタルス・ブラックにこの件を調べていると告げた事から、81年11月1日にロンドンで起きた事件を調べない訳には行かなかったが、法執行部が如何に役に立たない人間を採用するスペシャリストという事が判っただけだ。
 魔法使い検知システムは呪文発動後に現場から逃走するピーター・ペティグリューの一連の逃走経路を把握しており、しかも、現在も居場所を常時捉え続けている。
 闇祓いなり警備部隊なりが証拠を固めるべく閲覧申請をすれば事件の扱いが全く変わるのだが、過去から現在にかけてその痕跡は一切ない。法執行部に属する連中にとって、首から上が不要の存在であるのは既に証明済みだ。バーテミウス・クラウチ・シニアにより現行犯逮捕から即投獄という異例、但し当時としては大変ありきたりな経緯を辿った所為で、シリウス・ブラックの無実は日の目を見る事はなかった。
「そうじゃない。ブラック家だよ、爺。使い物にならない馬鹿共はどうでもいい」
「ああ、そちらでしたか」
 ユーリアンが指摘するように、アークタルス・ブラックはシリウス・ブラックが犯人ではなく、ピーター・ペティグリューこそが犯人であると気付いている。しかし、証拠がなく、裁判の申し立てを行った以上の行動に移していないと言っていた。
 絶対的な証拠となる、この検知システムを知っているにも関わらず、である。
「この日のデータ閲覧申請履歴にはアークタルス・ブラックの名前が記載されていたので、間違いなく証拠として収集されています。それを表に出さない理由は、色々とタイミングが悪いだけしょう。現在の最優先事項がレギュラス・ブラックの教育ですから、もう片方の低能後継者であるシリウス・ブラックに今出て来られても邪魔です」
「見て見ぬ振りをしているって事か。じゃあ、お前は嘘を吐かれたんだ?」
「そうなりますね。けれど、アークタルス・ブラックは大変正直な方ですよ」
 あの時、彼は確かこう言った、頭の回転が速い者は、大抵嘘吐きだ、と。
 そして私はこう返した、騙される事に怯えなければならないような方には、始めから信頼を寄せません、と。
 アークタルス・ブラックはあらゆる会話の中で自分が沢山の嘘を吐くと告白し、私はそれで構わないと同意をしただけだ。たった1つの点を除けば、なにも可笑しくない。
「そうだね。お前の頭が可怪しいという点を除けば」
「除く点はそこではなく、アークタルス・ブラックが自分が利益の為に嘘を吐くという紛れもない真実を述べている点ですよ?」
「じゃあ、合わせて2つだ」
 別にこの件に関して私の感性は普通だと思うのだが、ユーリアンに譲る気はないようなのでそれはそれとしておこう。可怪しい点が1つでも2つでも、アークタルス・ブラックが嘘を吐き、私がそれを許容している事実に変わりはない。恐らく、時間経過による嘘の程度についての会話をあらかじめ肖像画達から聞き及んでいたからこその告白だったのだろう。
 なんだかんだ言っても、アークタルス・ブラックには嘘を吐き通せない、人としての情があるのだ。そして大概の場合、その情は弱点となって後に現れる。
「それと、関係はあるけど重要ではない疑問がある。ホグワーツも魔法省も、イギリスとアイルランド全土を恒常でカバーする魔法をどうやって維持しているんだ」
「それは私も気になっていたので調べましたが、判りませんでした。魔法省は過去のデータを見る限りWW2開戦後に火力も精度も大幅に低減しているので、反純血主義者から人気を得る為だけにゲシュタポ辺りを持ち出してレナード・スペンサー=ムーンの阿呆がまたやらかしたと考えるのが妥当、と思っていたのですが」
「その魔法大臣が以前何をしたかは知らないけど、違うんだ?」
「システムそのものが表沙汰になっていませんし、メルヴィッドとエイゼルにも否定されました。あの大臣は正真正銘の阿呆だからそんなシステムまで気が回らない、少しは頭を使えと思考回路が残念な生き物を見る目をされたので、必要な情報は全て揃っているのに解き明かせていない状態だと思うんですが」
「……お前に訊くのは止めだ、意地でも突き止める」
「ああ、はい。頑張ってください」
「いいか、答えを知っても僕には喋るな、絶対に自力で解いてやる」
 メルヴィッドとエイゼルの2人が答えに辿り着いて、自分だけが私に解答を教えて貰う立場に回るのが大変癪に障るのか、ユーリアンは復讐に燃える殺人鬼のような目付きで宙を睨んだ。しかし、外見は相変わらず美しい少年の姿なので、どうしても威嚇する子猫のように見えてしまう。
 自分で宿題を作るユーリアンを見習おうかと考えたが、現状で手一杯の私が処理能力以上の作業を受け持っても潰れてメルヴィッドの迷惑になるだけなのは判り切っているので、無理は止めておく事にした。
 外を眺めたが霧はしばらく晴れる様子もない、バスカヴィル君とルドルフ君はしばらく放置しても大丈夫だろう。
 9月に入ったら、この2頭は離れ離れになるのだ。今生の別れではないし、厳密に言うとバスカヴィル君は犬の形をした警戒魔法でありルドルフ君と同種ではないのだが、それでもあれだけ仲が良いのなら、出来る限り一緒に居させてやりたい。
 早速宿題に取り掛かったユーリアンは姿を消し、メルヴィッドとエイゼルが店から帰って来るまで時間はまだ沢山ある。
 ならば、私は私が出来る範囲で頑張るとしよう。