秋葵の納豆和え
「申し訳ありません、お師匠様」
今日も今日とて霧と曇天が窓の外で音もなく立ち込めていた。鮮やかな夏色の花も見えない灰色がかった白い世界とガラス一枚隔てた部屋の中で、現在私は週に一度の講義を受けているのだが、今日はそれ所ではなくなるらしい。
「謝ったってどうにもならねえ事を謝んじゃねえ、てめえが望んじゃいねえ事くらい判ってんだよ! ふざけんなよカマ野豚共。ヒヨコ頭だって仕込めば芸くらい覚えるっつーのになあ!? あんなクソッタレた畜舎にブチ込まれたら豚丹毒でくたばるだろうが。馬鹿弟子、今日はもう止めだ止め、気分じゃねえ! 薬なんぞ作ってられっか!」
「では、お茶の準備を致しましょう」
去勢豚は敗血症と蕁麻疹と関節炎とリンパ節炎と心内膜炎を併発して廃棄されろ! と大声で喚き机の脚を蹴り上げるダモクレス・ベルビィを観察しながらコーヒーとミートパイ、ついでに水差しとグラスをサイドテーブルに用意して、散乱した鍋や薬草を片付ける。
そう、ダモクレス・ベルビィである。
去年の冬、ブラック家が主催したパーティで出会った彼である。
ご覧の通り、あれは他所行きの顔で、本性はこちらのようだが、まあ、それはそれで宜しい。人の目も見ないまま早口で一方的に捲し立て人の応答も聞かないまま会話を終えるような人間ではないので、ちゃんとコミュニケーションは取れている。
床に落ちたカレンダーも壁に掛け直し、今日の日付に変更していない事に気付いて、23と印刷された紙を破り捨てた。4回目の授業にしてダモクレス・ベルビィの家庭教師は終了間近となってしまったが、仕方がない、私はホグワーツへ行かなければならないのだ。
尚も怒りが収まらないのか、去勢された雄豚がどうだとか、イボだらけの病原菌がどうだとか、HogやWartに色々と引っ掛けてホグワーツに対する不満を叫んでいるが、放置しておけばその内静かになるだろう。冷静さを取り戻すという意味ではなく、体力が底をついてという意味で。
パーティの時には欠片も片鱗を見せなかったが、ご覧の通り、ダモクレス・ベルビィは大変感情的で口が悪い。G.G.との日記には、頑固で偏屈で職人気質で矜持高い声の大きな人間と書いたが、この瞬間だけ切り取って見たら唯のガラの悪い中年のチンピラである。
とはいえ、ダモクレス・ベルビィの調薬技術は段違いだ。
彼は完全な一点特化型人間らしく、生活能力から簡単な呪文に至るまで赤点を余裕で下限突破しているが、魔法薬学に関連する能力だけは他を圧倒する程抜きん出ている。あのメルヴィッドですら、既存の魔法薬作成では肩を並べ、新薬開発に必要な能力に至っては彼の方が格上だと認めているので相当だ。
因みに、先程から宙に漂う妖精さんへ訴えているように、彼は非魔法界の医学や薬学にそこそこ通じている。その割に狂牛病の件を私より先に魔法界に持ち込まなかったのは、そこそこ止まりで興味が湧かなかったからだそうだ。彼の持つ、全てが噛み合わなければ能力が全く活用されないピーキーな性質を、私は大変気に入っている。
「生徒の質なんて下の下だぞ、こちとら慈善事業で新薬開発してる訳じゃねえんだよ! 魔法薬上手に作れますって出来て当たり前だって判れよド低脳! どいつもこいつも毎度毎度同じ台詞ばっか吐きやがって型抜きされたクッキーかよ、犬に食わすぞクソッタレ共め。何を作りたいのか、どうすれば出来るのかを言えってんだ! あの汚物頭の糞教師解雇しないと数十年後には魔法薬学界内でイギリスが地に落ちるぞ、唯でさえ斜陽だってのに判ってんのかあのジジイ!」
「はいはい、お師匠様の仰る通りです」
「……おい、馬鹿弟子。水寄越せ、水」
「はいはい」
冷たい水で満たされたグラスを差し出しながら杖を振り、床に散らばった薬瓶や乳鉢を元の位置に戻していると、器用貧乏だと呟かれた。
「俺は呪文学はからっきしだ。その年でそんだけ使えるお前を見てると腹立つ」
「然様ですか」
「魔法薬学の才能なんて何処にもねえ、屑にゴミが付いただけのお前を見下してる」
「それも承知しております」
「いいか、よく聞けよ。それでもだ、この俺が直々に教鞭をとってやろうと思ったのは他でもねえよ、お前がリバーサイド・スクールに行くって決まってたからだ。豚小屋のイボ野郎共は糞つまんねえ魔法薬学会を腐らせるだけで使えねえ、なあおい馬鹿弟子、この俺の一番有名な功績を言ってみろ」
「トリカブト系脱狼薬の開発です」
「ああ、大変素直な答え方だ。で、だ。馬鹿弟子、お前はこれがマーリン勲章を受けるに相応しい発明だと思うか? 俺の存在はレイブンクローの誇りだと他人の名誉で自分を持ち上げるクソと承認欲求塗れの雌豚ババア大臣様と同じ事を抜かすつもりか? 正直に言え」
「いいえ」
「まあ、そうだろな。お前はその場に合わせて適当な事言っただけだ。この馬鹿弟子が、俺の名前すら知らなかったよな」
「バレていましたか」
「バレるに決まってんだろ、パーティ慣れしてないニワトリ未満のヒヨコ頭が。だから雄豚がお前のフォローしたんだろうが」
パーティ当時は話の種として褒めたが、この辺りの掌返しというか取り繕う為だけの大袈裟なリップ・サービスは彼もきちんと理解しているらしい。
当然の流れだが、何故授章に相応しくないと思うのか問われたのでミートパイを切り分けながら少し辛口の批判を述べた。
「脱狼薬とは名前だけでしょう、症状を緩和させるだけで完治させる薬品ではありません。人間としての意識を保っていられるので人狼に罹っている魔法使いにとっては素晴らしい発明と言いたくなる気持ちも判りますが、未だ発展途上の薬剤の開発にマーリン勲章というのは、諸手を挙げての賛成はしかねます」
「ああ、全く教科書通りの下らない解答だな。そんな教科書にすら目を通さないイボ野豚の連中よかマシだがな。で? ケツの穴と見分けが付かねえその顔で、お前は俺の弟子を名乗るつもりか?」
「正直に、でしたね」
ダモクレス・ベルビィにはブラックを、私のコーヒーにはミルクを入れながら言葉を作る為の時間を稼ぎ、未来で完璧な脱狼薬が存在していない理由を脳味噌に打診して、急いで記憶の掘り起こしを行う。
「トリカブト系脱狼薬には、伸び代がありません。あの薬をベースにこれ以上改良しても、根本的な人狼治療は望めないと思っています」
「へえ、悪くねえ。カラス程度の脳味噌はあるな、理由は?」
「大変優秀であらせられるお師匠様が完璧な薬を作れないからですね」
「面白くない完璧なオチだな!? お前のそういう所が馬鹿なんだよ! カチ割った頭を鍋で煮込むぞ腐ったタマゴ頭が!」
「遂に雛ですらなくなりましたね」
ちゃぶ台よろしくサイドテーブルをひっくり返そうとしたダモクレス・ベルビィの先手を取り、脚と床を接着し固定させると思い切り悪態を吐かれたが、よくよく聞いていると怒鳴りながらも何故伸び代がないのかちゃんと口頭で説明している。この辺りが、彼の彼たる所以であった。
小さなフォークでミートパイを突きつつ彼の言葉をレポート用紙に纏めていると、再度、私のそのような所が馬鹿弟子なのだと言われたが、先程に比べて怒りは少ない。言動はチンピラだが、何だかんだ言っても彼は弟子に優しいのだ。
「いいか、馬鹿弟子。トリカブト系脱狼薬は代謝機能を肉体の害にならない限界まで高めて変身機能を阻害する薬で対症療法に過ぎない、役に立つだけのこんなブツに伸び代なんてなくて当然なんだよ、判ったか? 判れよ?」
「はい、そういえばメルヴィッドが持っている中医学の本にも書いてありました。附子の薬効は幾つかありますが、機能促進、代謝及び抵抗力増強辺りの効能をトリカブト系脱狼薬は利用していたんですね」
「よし、続きだカラス頭。古い薬の説明なんぞ端折るぞ、別名が狼殺しだから薬効があると抜かす馬鹿がこの世に一定数居る事だけ覚えておけ。この俺が新発見した薬はな、マグルの天然痘のそれと一緒だ、体の中に抗体を作るんだよ。龍痘に罹った人狼から膿を取り出す、その膿を俺の手で無毒化させて種痘を健常者に植え付ける、するとどうだ、人狼にも龍痘にも罹らなくなるって寸法だ! まあ、脱狼薬を服用していない人狼化した龍痘患者から膿を取るから命を落とす危険がある上に、既に罹患した奴には効果がねえがな」
「それ以外にも、種痘の確保に龍痘に罹患した人狼が必要だと、人権派の面倒な方々が出てきそうですね」
「もう出てるさ。特許の申請はしたが、小金を稼ぎたい人権派の狗共が人体実験だ何だとヨダレ垂らして吠えやがるから審議会から認可のハンコが貰えねえ。まあいい、俺は自分の体で治験して効果は確認済みだ。自分の子や孫が人狼に襲われて感染してもイエス様も腰を抜かす綺麗事を抜かしたいならそうすりゃいいさ。けどなあ、クソったれのビック・ドラゴンファッカー・ボスは空焚きの鍋みたく真っ赤になって爆発寸前なのは嫌だねえ」
「ビック・ボス? お師匠様のお師匠様が、いらっしゃるのですか?」
「ああ? 言ってなかったか?」
濃い目に淹れられた酸味の強いコーヒーに手を伸ばしているダモクレス・ベルビィに、彼の師匠の話は一度も耳にした事がないと告げると、そういえば話した記憶がないとどうでもいい様子で椅子に座った。
「ディロンスビィのくたばり損ないだよ、アイバー・ディロンスビィ。お前も老いぼれもモグリじゃねえんだ、名前くらい知ってるだろ」
「存じ上げております。ドラゴンの血液利用法を発見なさった方ですよね、ダンブルドアに功績を盗まれたとか」
「借用、だ。馬鹿弟子、気持ちは判るけどな、老いぼれ以上のクソジジイの腕と舌を刻んで豚の餌にしたい程判るけどな」
「はい、申し訳ありません。借用された方でしたね。ただ、それ以外の事はメディアに取り上げられなかったので知りませんでした、お師匠様のお師匠様だったなんて」
アイバー・ディロンスビィはそこそこ有名な薬師だが、まさかダモクレス・ベルビィの師とは思わなかった。
メルヴィッドはこの事を、多分、知っているだろう。あの子は私なんかよりも余程口達者で情報を引き出す技術を持っているのだから。
「けれど、何故ドラゴンの血液に詳しい方で、しかもお師匠様のお師匠様である方が新しい脱狼薬の発見にそこまで怒るのですか?」
「ドラゴンを利用しているからこそだよ。あのボケジジイが」
ダモクレス・ベルビィは大きな溜息を吐き、パイ生地と粗めに挽いた肉を味わった後で何故自分の師が怒っているのか、その理由を教えてくれた。
結論から述べてしまうと、曰く、ドラゴンの血液は顕性感染に強く働くのだという。
つまり、非魔法界ではありふれている細菌やウイルスで病気に感染し、症状が現れた状態で魔法界産のドラゴンの血液を接種すると病気が治癒するどころか悪化するのだ。簡単な例えだが、ノロやインフルエンザに感染して症状が出ている状態でドラゴンの血を含んだ魔法薬を接種すると症状が重くなり、最悪の場合は死ぬという事である。
しかし、全ての病状でそうなる訳ではないらしく、問題なく治癒する患者も居るのだ。おまけに、何故悪化するのかもよく判っていないらしい。統計的には非ヨーロッパ系のドラゴンの血液が特に危険らしいので、もしかしたら竜による呪いの類かもしれないと私などは軽率に考えてしまうが、現状は何も判らない上に素人なので口を挟めない。
中にはドラゴンの血液との関連さえ疑わしいと指摘する声や、ダンブルドアが得た名声の嫉妬からではないかと揶揄する者、そもそもウイルスなんて単語すら知らないホグワーツ産の馬鹿が大量に薬学界に居座ったりしているので、前途多難であるようだ。
兎に角、それらを解明しない限りどれだけ危険を叫んでも妄言として片付けられてしまうのだが、ダモクレス・ベルビィの師匠筋との言葉から想像出来るように、アイバー・ディロンスビィはもう相当な歳である。じっくりと時間をかけて証明するには寿命が足りないのだと、怒りと蔑みの感情を混ぜ合わせた声で彼は言った。
「結局そっちは弟子の俺が請け負った、俺の方が若くて人脈も才能もあるからな。マグル出のメルヴィッドはこの件でかなり役に立ってるから、証明出来たら連名にしてやるよ、感謝しろ。それとは別の話だがなあ、龍痘なら危険はねえって言ってんだが、あの老いぼれ、お脳が縮んだのか知らんがドラゴンに寄生したブツを使った薬すら全否定しやがる。歳を取っても、ああはなりたかねえな」
「……お師匠様。もしかして、ディロンスビィ様がドラゴンの血液の利用法発見は自分の功績だと頑なに訴え続けているのは、その薬害が理由ですか」
「おうよ。発見者が自説を否定する方が素人には受け入れられやすい。それで他の奴が動くかどうかっていやあ別の話だが、俺もジジイもそこまで面倒見る気はねえよ」
「しかし学者というものは、自分の旧説が間違っていたとすれば、自説といえども厳しく批判しなければなるまい。という言葉は、ダンブルドア相手では意味を成しませんか。お師匠様の言葉を聞く限り、現状は薬害を見て見ぬふりをしているだけでしょう、顕性感染に強く働く可能性があると接種の危険性を公表し、その上で個人の選択に委ねるとか」
「ねえな、さっきも言った通り調査不足で今は可能性の範囲内だ。つーかそれ、厳しく批判とかいうのはマグルの言葉か?」
「アジア人の学者の言葉ですよ。確か、90歳間近のお爺様です」
「愁傷な言葉だ。あのお脳が腐れた白髭豚の耳に捩じ込んでやりてえよ」
そこでようやく、一通りの感情を表に出し終えたのか、ダモクレス・ベルビィはゆっくりと息を吐き出して体重を背凭れに預けた。
ミルクで少しぬるくしたカフェオレを味わいながら秒針の音に耳を傾けていると、ふいに陶器と金属が打ち付けられた音がそれを塞ぐ。犯人なんて誰か判っているが、行儀が悪いと指摘するような仲でもないのでにこやかに返事をした。
「で、馬鹿弟子。ホグワーツだって?」
「ああ、はい。話題が戻りましたね」
「寮はもう決めてんのか」
「レイブンクローかハッフルパフのどちらか、とまでは」
流石に今の時点で赤の他人にハッフルパフに行くと言う事は出来ないので判り易く苦笑してみせ、更に言葉を続ける。
「あの、お師匠様。お師匠様はレイブンクローの出身ですよね? もしご迷惑でなければ、レイブンクロー寮の欠点を教えていただけませんか?」
「長所じゃねえんだな。まあ、当然か。行きたくもねえ学校に行かされるんだ、よりどっちがマシかって選択方法にもなるわな。だがな、問題がある」
「問題ですか」
優秀な生徒ばかりで欠点がない、という予想は流石に違うだろう。ダモクレス・ベルビィはホグワーツを豚小屋呼ばわりするような人間だ。
「あの寮の欠点を言葉にしたら三日三晩は喋り続けなきゃ語り切れねえ。そのくらいクソッタレた寮だ、大人しくハッフルパフ希望しとけ」
「卒業生にそこまで言われる寮って」
私もメルヴィッド達の前でレイブンクローが如何に無能であるのかを脳筋なりに扱き下ろしたが、元寮生の視点からでも三日三晩語り明かしても足りない程に糞判定をされるのは流石にまずいのではないだろうか。
端折って説明が欲しいとお願いしても渋られたが、どうせ今日はもう薬を作る気にならないからと結局は折れてくれた。ホグワーツに入学する以上はどうしても関わり合いが出て来るので、自衛の為に協力してくれるのだそうだ。既に散々な言われようである。
「確認するが、基本的な寮の性質は理解してるんだな?」
「頭が良い生徒が居るらしい、とは」
らしい、の辺りが個人的に非常にアレなのだが、一応ダモクレス・ベルビィはレイブンクロー出身なので間違いはないであろう。と思った矢先である。
「頭が良いだと? 掃き溜めと肥溜めの寮だぞ、自称天才様が集う虚言癖患者のな。演技と自己愛がどうこうって人格障害者な事を知らせる為の寮だよ」
「演技性パーソナリティ障害と、自己愛性パーソナリティ障害ですか? 魔法界にその手の診断が出来る医者が居るとは思えませんが、まあ、どうでもいい事ですね。しかし、お師匠様。そうなると、貴方もそうなってしまうのですが」
「薄汚え事に変わりはねえよ、今でも実力以上の高い評価を受けたくなる衝動がある。糞の境界線を越えずにいられるのは、あいつらと同じ人型の糞になってたまるかって人間としてのプライドと、スラグホーン教授のお陰だ」
「レイブンクローと全く関係なく、最後の言葉が凄く気になります。教授というと、スラグホーン様は以前ホグワーツで教鞭を取られていたのですか」
ホラス・スラグホーンがホグワーツで教鞭をとっていた事は当然情報として知っているのだが、生憎・という少年はその事を耳にしていないので少し大袈裟に驚くしかない。
私という子供が知っているホラス・スラグホーンは、アークタルス・ブラックの古い友人で、脂肪が詰まった立派なお腹を持つ、お調子者の愉快な老人でしかないので。
「知らねえのかよ、あの人スリザリンの寮監だったぞ。で、魔法薬学の教授だった。俺の恩人だよ、O.W.L.終わった後からは寮なんぞ放り出して地下室生活だったが、魔法薬学しか能のねえ俺の才能伸ばして、パーティに出て人脈作っとけって方方に連れ出してくれたよ。おまけに師匠の紹介と就職先の世話までしてくれたからな」
「羨まし過ぎる状況ですね、スラグホーン様の頃のスリザリンに行きたかったです」
この辺りは完全に本音である。セブルス・スネイプさえ居なければ、是非ともスリザリンに入寮したかったのだが、言っても仕方がない事くらい判っている。
「ああ、いえ、でも……そんなスラグホーン様の長所さえ掻き消えてホグワーツに悪態吐く程、レイブンクローは酷いのですか」
「酷い事しかねえよ、どこから話すかな。ああ、取り敢えず場所だ、寮の場所。馬鹿高い塔の最上階で階段しか使えねえって時点でお前無理だろ、その目じゃ」
「ルドルフも一緒ですから、確かに負担にはなりますね」
「で、こっから笑い話だ。んな場所の癖に近くに教室も図書室もねえ、学習室もなけりゃ各教科の予習復習に対応した場所もねえ。夜中は風音がうるせえ不合理な所だ。あんなもん隔離施設だよ、自分達って頭良いなんて腐った寝言垂れやがるアホって病名付いた患者のな。大体何が高みより全てを学ぶだ、他人を見下ろす箱物作って喜ぶ猿の間違いだろうがよ。ここ100年で出て来た天才の出身寮を言ってみろよ。100年前がグリフィンドール、50年前がスリザリンだぞ? だから次はレイブンクローって何がだからだ馬鹿か馬鹿だな、天才の出身寮は持ち回りじゃねえよ頭に水でも詰まってんのか!? ああ? ほら笑えよ?」
「笑顔が消えるような事を言われて笑える程、私は器用ではありませんよ?」
ああ、うん、馬鹿なんだなあ、としか感想が出て来ない。箱物を作って喜ぶ猿とは言い得て妙だが、同時に、ダモクレス・ベルビィが出身寮に馴染めなかったのも理解出来た。
彼は最初からスリザリンに行った方が幸せだったのだろうな、と思いつつミートパイを貪る。話を掻き乱すだけの私の合いの手は必要なさそうだ。
中々上手に焼けたパイを頬張って、尚も出身寮に対する文句を並べているダモクレス・ベルビィを黙って観察する。ハッフルパフへ行く口実に、レイブンクロー出身者をもう2、3人捕まえておこうかと考えていたが、彼の言葉を聞くに必要ないと判断出来た。この悪態だけで既にお腹一杯である。
「おい、馬鹿弟子、聞いてんのか」
「はい。お師匠様」
「じゃあ答えろって言ってんだよ」
Wit beyond measure is man's greatest treasure. とは具体的に何かと続けられ、瞬時に心拍数が上がる。何故、彼がこの文言を知っている。
震えそうになる手を隠し、フォークをゆっくりと置いていつも通りの曖昧な笑顔を浮かべた。口端が引き攣りそうになるが、ここで動揺を悟られる訳にはいかない。
「あの、その前に、この言葉って何ですか?」
「レイブンクローのモットーみてえな何か。談話室にレイブンクローの大理石像があって、その髪飾りに刻まれてた言葉だ。何でもロウェナ・レイブンクローの言葉だってよ」
「はあ、然様ですか」
緊急事態発生と心の中でメルヴィッドの召喚を大声で叫ぶが、当然心と心で通じ合うような仲ではないので誰も部屋を訪ねては来ない。義眼も未だ戻って来ていないし、存在していたとしても送り先はエイゼルなので駄目だ。
メルヴィッドはこれを知っているのだろうか、可能性は、ある。あの子はこんな爺に心配される程、頭は悪くない。寧ろ、私よりも優秀な頭脳を持っているからこそ、協力関係を持ち掛けたのだ。だから大丈夫だ、大丈夫だと思いたい。これがメルヴィッドからホグワーツ内に居る誰かに向けたメッセージなら大丈夫だ、そういえば髪飾りを盗んで死んだ創設者の娘のゴーストから情報を得たと言っていたような気がした。それに向けてのメッセージだと思う事にしよう、言っている意味は全く理解出来ないが。
「後半部分の、人類の至宝である、の辺りは直訳で捉えても問題なさそうですね」
「中には、我らが最大の宝なりって解釈する底抜けの間抜けも居るぞ」
「我ら、って誰ですか」
「そりゃあレイブンクロー生だろ」
「……お師匠様、レイブンクロー生は、母国語が理解出来ない程、頭が悪いのですか?」
「お前さ、俺の話真面目に聞いてたか?」
聞いていたが、予想を遥かに下回る頭の悪さに相応しい言葉が見付からない。
文脈からして「人類の」としか訳せない「man's」が「我らが」とぶっ飛んだ捉え方をされた挙句に「レイブンクロー生の」に着地する経緯が全く理解出来ないが、レイブンクローの中でも救い難い文盲に脳味噌を合わせると、ただでさえ馬鹿な脳味噌が輪をかけて馬鹿になると出身寮嫌いの元レイブンクロー生が言い捨ててくれたのでお言葉に甘えよう。
碌な知識もない底なしの馬鹿に絶望的な低能を重ねて練り上げるこの流れ、メルヴィッドは鼻で笑うだろうか、それとも予想の斜め下を行く状況に男泣きするだろうか。エイゼルは他人事なので間違いなく爆笑して、ユーリアンは凄く残念な生き物を見る目を私に向けるだろうが。否、確かに私は馬鹿で低能で使えない爺であるので何も間違っていない。
「前半の計測以遠の機知、知恵が重要なんですよね」
「そうだよ。で、抽象的過ぎるから具体的には何だよって話だ」
「想像力、未知なる物、不可視存在、予言。世界に対する期待と好奇心。或いはこれら以前の、意識と言葉と両者の関係性、でしょうか」
脳内で寄せ集めた小説や漫画やアニメーションの知識を急拵えで質問に見合う形に変えて言葉として吐き出す。元ネタを知らないダモクレス・ベルビィ相手ならば辛うじて誤魔化せたと思う、そう、思いたい。
それでも、我侭を言っていいのなら、出来れば今すぐメルヴィッドの援護が欲しい。
「気障ったらしい言葉で纏めるんじゃねえよ耳が痒く……なに、予言?」
「アインシュタインの重力波の予言などは、ど真ん中かと」
「誰だそれ、またマグルの有名人か? まあ、いい。すっごくアタマがよくてぇ、とってもサイノーがあるテンサイのこと! とか脳味噌の代わりに蛆虫が詰まってる戯言を抜かしやがったら窓から投げ捨ててやろうと思ったが」
本当に薬学以外には興味を持たないダモクレス・ベルビィに微笑みを返しつつ、再び感情のエンジンがかかった姿を黙って眺める。
シラフのまま此処まで気分を乱高下させるのはある種の才能だと思うが、ある日突然脳の血管が切れて亡くなりそうで、それだけが少し心配ではある。
「モットーは、所詮モットーだ。それはいい」
「はい」
「モットーの意味を履き違えてテストのお勉強を頑張って良い点取るのが目標になったアホの子ちゃんも、無害なら興味ねえ。これもいいな?」
「はい」
「だがなあ、残りの鳥頭が足引っ張るっつーのはどういう了見だ? 私物は隠されるわ薬は盗まれるわ寮監は揉み消そうとするわ、あんな寮さっさと崩壊すりゃいいんだよ。ついでに生きる価値のないクソ兄貴もくたばれ、俺が温めてたアイディア言い換えただけの薄っぺらい劣化パクリを世間に公表しやがって恥とプライドってもんがねえのかよ! お脳の程度が知れる半端な自説で改悪しやがった所為でガキでも気付く矛盾まで拵えやがって泥と糞を頭から被るなら1人でやっとけ北海に沈めて魚の餌するぞ!」
「ご同情に堪えません。法的に問題がない事を盾に想像力にも創造力にも欠く良識を疑うような行為をなさる方が身内だという事実に」
「身内っつーか寮全体の性質だって言ってるだろうが馬鹿弟子が! 頭の悪さは教育者次第でどうにか出来るが手癖の悪さと虚言癖は一生治らねえ、いいか、よく覚えとけ!」
いつも以上に大声で喚き怒髪天を衝いているが、仕方のない事だろう。実の兄に当たる男にアイディアを盗まれ、オリジナルよりも劣る形で自分が開発した薬だと世間に発表されたらしいのだから。
しかし、未だに懲りず同じような事を続ける男を魚の餌にするのは可哀想だ。姑息で卑劣な人生を終了した暁には、人間形態時に比べ遥かに徳を積める魚礁に転生させる方が当人を含むあらゆる生物の為になるだろう。
そしてどうでもいい事ではあるのだが、彼が去年のパーティの時に甥を庇わなかった理由も今更判明した。
普通、あのような場で身内を出すのならば相手と共に双方を持ち上げるものなのだが、ダモクレス・ベルビィは甥が如何に魔法薬学に通じていないのかを口にした。多分、その甥の父親が、彼の兄なのだろう。甥には全く罪がないので大変可哀想ではあるが、被害者からすれば親子関係というだけで憎悪の対象なのだ。
セブルス・スネイプだってジェームズ・ポッターと血が繋がっているだけのハリーに対して、教師という立場を利用して暴行罪が成立しそうな事をやらかしているので、この辺りは寮の性質とは関係なさそうである。
それにしても、私物は隠され薬は盗まれる。何とも剣呑な事だ。この当時の寮監も例の頭の悪いフィリウス・フリットウィックなのだろうか。問題解決能力の低さから見ると彼の可能性が高い。
ついこの間、ジョン・スミスに手紙を送ったが、再度送ってみよう。ホグワーツの内情ならば、ブラック家よりも彼の方が通じている。否、今度デートをする時に、それとなく話題に出した方が自然だろうか。けれど、余り悠長に構えている風に受け取られるのはまずい。矢張り、手紙が必要だ。
「っつー訳だ、聞いてるか馬鹿弟子。お前が聞いたんだろうが」
「はい、聞いています。レイブンクローは自称天才の人格障害者が多数を占めていて、狭量で、事なかれ主義で、自己顕示欲と承認欲求が強くて、価値観の合わない生徒に陰湿な暴行を加えて、他人の物やアイディアや功績を盗む悪質な品性の持ち主が入る寮なんですね」
「判りゃいいんだよ。今は寮が違っても庇ってくれるスラグホーン教授のような人もいねえからな。寮には入らない、寮生と寮監には関わらないに越した事はねえよ。ああ、そうだ、窃盗犯対策も用意しておけよ」
「対策ですか?」
「寮では対策しといたが、図書室で席を外してる時にタマが腐ったマザー・ファッカーにやられた経験がある。だから豚小屋の中をうろつく時は必ずそれっぽく作ったフェイクを持ってろ、ハッフルパフ生は一番狙われやすい、次点がレイブンクロー生同士ってのも救えねえがな。証拠掴んで糾弾しても自分は悪くねえって平然と言う奴等だ。開き直りや起源を主張した挙句、被害者は自分だと十人前に叫び散らかす意地汚えコソ泥共だって事、よく覚えて心に刻み込め」
「本当に碌でもない方々なのですね」
ダモクレス・ベルビィもレイブンクロー生なのだが、どのような国の人間でも全てが犯罪者であるはずがなく、善人は必ず居るという事だ。彼の場合は善人以前に非常に頑固で矜持高いので、自分のプライドを傷付けたり曲げたりする行為は絶対にやれないだけだとは思うが、それはそれでとても良い事である。
悪い面として寮生の特徴だと彼も言っていた自己顕示欲があるが、それも魔法薬学に関してのみ発揮され実力に見合っているので滑稽だとは思わない。偶に我慢しているらしいが、表に出していないのならば腹の底で何を考えていようと他人には判らないのだから善人との違いは誰にも判らない。
メルヴィッド達やブラック家の人間が腹黒さを隠して自分の功績を凄いだろうと自慢しても畏敬の念を抱いたり微笑ましく思うだけで、全く鼻に付かないのと一緒である。
実際、彼等は本当に素晴らしい才能を開花させた人物なのだ。ただ、彼等のこのような面を知る度に、魔法界内での頭脳格差に戦慄する事が多くなったような気がする。別に私より実力もなく頭も残念な人間が居てもおかしい事ではないのだが、その人間が自分は天才達と同じか、それ以上に頭が良い超天才だと本気で思っているのが薄ら寒い。
「一応言っとくが、どの寮生も被害には合うぞ。ただ、レイブンクローは自己保身に走る小悪党の卑怯者だからな、結束力が強い寮にはあんまり手は出さねえ。グリフィンドールとスリザリンは身内をやられると寮全体で攻撃して来る事もザラだからな、特にスリザリンはそうだ。その辺は俺が言う必要はないか、ブラック家を見りゃ判る」
「ああ、それは凄く納得出来ます」
ブラック家は身内に甘いし、何か起きた時には率先して庇ってくれる。更に、自分達の思惑を絡めてとんでもない事をしでかしている辺りが非常に素晴らしい。狡猾さを隠す為に他人を利用して、結果的にwin-winの関係に持って行く技量は称賛に値する。
ミートパイを平らげつつ頷き、では、と話題を続けた。
「お師匠様から見たハッフルパフの欠点も、教えていただきたいのですが」
「ぱっとしねえ、勉強出来ねえ馬鹿、存在感が皆無」
「……それだけですか?」
「だけだな。言ってるだろうが、存在感がねえって、あ、待てよ?」
ぬるくなったコーヒーを持ったまま、ダモクレス・ベルビィの視線が動く。そして、嫌悪の表情が顔一杯に浮かんだ。
「頭のネジがぶっ飛んだ奴が居るって噂で聞いたな、教授陣にだ」
「その方のお名前と、担当教科は?」
「名前は忘れた、魔法生物飼育学の教授だ。魔法生物を相手にしてた所為で隻腕で、両足が義足……いや、片足は半分残ってたか? 俺は履修してないから詳細は知らんが、そんな教授だ。ハイになる非合法なヤク漬けの連中だってアレに比べれば頭がしゃんとしてやがるって噂だよ。俺が知ってる限り、在職中に50回以上の謹慎食らっても教鞭取ってるマジモンのキチガイだ。よく判らねえが、ハッフルパフには偶にその手の狂人が現れる」
「そんな危険人物が、何故免職にならないのですか」
「んなもん決まってるじゃねえか、ホグワーツだからだよ。あそこは文字通り病気持ちの去勢豚が教師面してやがるから生徒も卒業する時にはお脳の方が家畜豚になる。真っ当な人間なんて一握りだ、人間のナリをした肉袋になりたくなきゃ精々努力しやがれよ。汚物塗れの豚小屋と小綺麗な河畔は違うって頭に叩き込んどけって事で締めるぞ」
カップと皿を空にしたダモクレス・ベルビィはもう一度椅子に深く座り直し、薬の材料や鍋が広がる机の上を眺めてから、ふと何気ない言葉を口にした。
「そういや、来週はどっか出掛けるのか? メルヴィッドから、講義を休みにしてくれって前から言われてたけどよ」
「ええ、皆でスコットランドへ旅行に。私の誕生日なので」
「……はあ!? 言えよ、そういう事はよ! 前もって! おめでとう!」
「あ、ありがとうございます?」
「今日の講義はこれで勘弁してやろう! いいか、馬鹿弟子、再来週に地獄を見せてやるからな! 精々首洗って待ってやがれ!」
「何で別れの言葉が子供向け番組の悪役染みているんですか、今日の分のお料理は忘れずに持って帰ってくださいね。さようならお気を付けて」
力強く扉を開き、そのまま駆け足で部屋を去ってしまったダモクレス・ベルビィと入れ違いに、扉の近くで待機していたらしいルドルフ君がその場でぐるぐると回った後で一声吠えた。この部屋には入っていけないとの言い聞かせを守っている、とても良い子である。
食器を回収し後ろ手にドアを閉めながらルドルフ君に笑い掛ければ、バターになるのではないかと心配になる速度でその場を回り始めた。尻尾が千切れんばかりに振られているのが大変可愛らしい。
今から晩御飯の準備をしたら時間が余る、本当はその間に資料集めをしたいのだが、今夜の事を考えるとこの子に癒やされておかないと精神的が削れて明日以降の行動に支障が出るかもしれない。
そんな言い訳を考えつつ、行き先を先導してくれる白と黒の毛玉の名前を意味もなく呼べば、判り易過ぎる表情を浮かべたルドルフ君が、力強くもう一度鳴いた。