曖昧トルマリン

graytourmaline

カジキマグロとレモンのタジン

 口元に付いたトマトソースを指で拭ったメルヴィッドが出現させた紙束は思ったよりも薄かったが、軽く流し読む限り中身はしっかりと纏まっているように思えた。このような状況に陥る前提で作られた資料である事を微塵も隠していない、ある種の開き直りとも受け取れるような内容だったが、あの場で最も頭の弱い私でも色々と仕組まれていると気付いているのだから、きっとこれが最良の出来なのだろう。
「随分と強気な要求が多いですねえ」
「交渉による譲歩が大前提だからな」
「またそんな事を言って、あちらが隙を見せたら全部飲ませるんでしょう?」
「当たり前だ」
 協議も取引も私の苦手分野なのでどのような方法で飲ませるのか全く判らないが、心配の必要はない。手出しも口差しもせず影でひっそりと待機するのが最良の判断だろう、何せ、1対1ですら逃げ出したくなるような面子が徒党を組んで交渉のテーブルに着くのだ。
 ダンブルドア側からコーネリウス・ファッジも離反したのでかなりの割合で要求は通るだろう、その事に関して同情を抱く相手でもないし、学校でもない。
 私を通して教育に介入される行為を口汚く罵りたいのならば、せめて魔法省が全額負担している生徒の学費を断り、自力で徴収する運営方法に転換する程度の努力は今すぐにでも見せるべきだ。
 そのような事すらせず、幾らかの小金すら持っていない貧困層に教科書や制服を買う端金をくれてやる程度で得意面をされても、補助金と呼ぶには生易しい金額を毎年のように政府から注ぎ込まれている立場の癖に何を戯言を抜かしているのだと呆れるしかない。
 否、今はどうでもいい事だ。それよりも、折角纏めて貰えた諸々の要求に目を通そう。
 紙の上では、問題を起こした教員に対しての要求はホテル内で拒否されていたが、当たり前のように再要求されていた。再拒否された場合の代替手段として学校内での私の権利を校長相当にする無茶振りと、24時間体制で身辺警護をする護衛の派遣、教員と2人きりにならないように最大限配慮出来る安全対策。それに伴う個室の用意と、介助犬としてルドルフ君が活動する許可、カウンセラー要員としてエイゼルの同行。
「おや、エイゼルは教員ではなくカウンセラーなんですね」
「君専門のね。ダンブルドアから拒否される可能性が高いけど、その辺りはブラック家が教員枠でも何でも、無理矢理ホグワーツ内に捩じ込んでくれるから心配要らないよ」
「まあ、誰にも膝を折ろうとしない自由人のお前を制御するには、の側が最良だとブラック家も思い込んでいるだろうからな」
「そうですか。教員ではなく、カウンセラーになれるといいですね」
 私個人のカウンセラーならば、以前提案した教員よりも遥かに自由な時間を得られるのでエイゼルは動きやすくなる。去年の冬にメルヴィッドが私の案を採用しなかったのはここまで読んでいたからなのだろう、相変わらず、彼の読みは鋭い。否、私が鈍いだけか。
 あの時点で既にミネルバ・マクゴナガルとセブルス・スネイプは被虐児童に対して脅迫や殺人未遂を行っていたのだから、カウンセラーが必要だという詭弁は成り立つ。しかし、ここで疑問が湧き上がる。
 これは、私がホグワーツへ行く事を前提とした作戦である。
 今日という日が訪れるまで、私はグラマー・スクールへ行く予定で、メルヴィッドは里子をホグワーツへ行かせないと周囲に明言していた。ダンブルドアがハリー・ポッターを必要としなかったら、この作戦は破綻していたのだが。
「メルヴィッド、何故ダンブルドアが強硬手段に出る事まで読めたのですか」
「主要戦力が使い物にならない以上、出来の良い予備を手元に置くのは必然だろう」
「主要と言うと」
 ネビル・ロングボトムはメルヴィッドやダンブルドアに見限られるような能力しか持ち得ていないのかと尋ねようとしたが、そういえば、春先にレギュラス・ブラックも散々扱き下ろしていたなと思い出す。
 私が眼球を失う前の甘ったれた子供にすらそう判断されるような人間ならば、一応は本物であると判断を下している不出来な子供が実は偽物であった場合に備え、スペアを確保したがるのも仕方がない。
「ロングボトム家の子供って、そんなに欠陥だらけなんだ」
「この1年間、外に出ていないお前も新聞程度は読んでいただろう。その中で、ネビル・ロングボトムに関連した記事はどの程度存在した?」
「そう言われれば、式典関係以外はほとんど見かけなかったな。ロングボトム家は大した権力を持ってないから、生き残った男の子のイメージを保ちたい魔法省の圧力か」
「イメージの問題じゃなくて、単に調教師の失態を隠蔽したいだけだと思うけどなあ。10年前の記事まで遡って順に読んでみると面白いよ、昔はネビル・ロングボトムの言動が逐一取り上げられているから」
 神童である事を期待された幼い英雄を凡人以下に育て上げた調教師の顔触れが気になる所だが、別に知った所で私の人生が変わる訳でもない。
 ネビル・ロングボトムに関する魔法界の評判や彼等なりの推測を聞き流しながらルドルフ君の前脚をマッサージして、時折視線を書類の文字に移して確認を行う。
 ホグワーツの理事会にアークタルス・ブラックの席を用意する事、ホグワーツ内で横行している私に関する噂の訂正、大学受験へ向けての対策講師の受け入れ準備、リバーサイド・スクールとの多重学籍の許可に、1年時からO.W.L.の受験の承認とそれに合わせた各教育課程の大幅変更も盛り込んである。
 講師とボディーガードは口約だが既にメルヴィッドが取り付けた。多重学籍に関しては魔法省、リバーサイド・スクール、ホグワーツの全てが現段階で禁止していないので、これも恐らく通るだろう。
 そもそも資料を読む限り、リバーサイド・スクールは非魔法界で生活しながら魔法を学びたい魔法使いの為の、多重学籍を前提とした学校のようだ。良家の子息が代々入学するパブリック・スクールや、学力の高い子供が入学するグラマー・スクールの入学を決定した家族からすれば有り難い存在だろう。金銭面、学力面での負担は増えるが、制御出来ない力に悩まされる事もなく、輝かしいキャリアも潰さずに済むのだから。
 きっと卒業生達の何割かは在籍する政財界の情報を魔法界に流すなり売るなりしているのだろう。ブラック家の情報源がスクイブだけとは到底思えない。
 入学届にはメルヴィッドのサインが書き込まれ、当人の与り知らない所で物事が色々進行していたらしいが、まあ、たかが11歳の子供に逐一意見を求める大人の方が稀であるし、学業面に関してはメルヴィッドやアークタルス・ブラックに丸投げしていたので責められるべきは何も知ろうとしなかった私だろう。
 その他、紙面を覆い尽くす細かいながら過大な要求に目を通しつつルドルフ君を構っていると、唐突に濡れた鼻が顎に触れた。何事かと視線を合わせると、アーモンド形の茶色い目がエイゼルを指し示している。どうやら、役に立たないネビル・ロングボトムの話題はとうに終わり、呼ばれていたらしい。
「そこには書いていないけど、レギュラスもホグワーツの最終学年に復学するから面倒見てね。私は嫌だから」
「あの子の世話焼きは大好きなので全く問題ありませんが、今更復学ですか? 確かに去年は時期が時期だったので、判らなくもありませんが」
 レギュラス・ブラックは既にブラック家の当主として方方で仕事を熟している。1年の間ホグワーツに戻るとなると、と心配になったが、そう言えばブラック家の当主が居なくても魔法界は回っていると昼間に口にしたではないか。
「最終学歴が中退の当主様だと、交渉の席で舐められますねえ」
「グリーングラス家からも、せめて卒業だけはして欲しいって頼まれたらしいよ」
「ああ、成程」
「って言うのは世間を納得させる為の言い訳だけどね」
 納得と同意をした所で梯子を外されるのは今更である。
 何度も同じような手に引っ掛かる私の間抜け振りが面白いのかエイゼルは楽しげな笑みを浮かべていた。全く、この子も可愛いらしい事この上ないではないか。
「本命は例の老害からレギュラスを守る為の措置だと予想している。あの老害が下手に動く事の出来ないダンブルドアの管理下に置き、ブラック家の護衛がホグワーツの穴を埋めている間に片を付けるつもりらしい」
「予想という事は、直に言われた訳ではないのですね」
「そうだ、詳細は一切語られなかった。大方、私達がトム・リドルと同一の存在だと掴み警戒しているのだろう」
「結局、私達はブラック家から全く信頼されていなんだよね」
「お前達2人共、有能面した馬鹿だって事か。いい気味じゃないか」
「信頼されている、イコール有能って判断基準が既に馬鹿っぽいよね。ブラック家に取り入るのは手段であって目的じゃないのに、それすら判らない残念思考なのは仕方がないけど、せめて口には出さないでくれないかな。私と同じ顔をした愚図がこの世に存在している事実が耐えられなくなる」
「取り入る事すら放棄した愚図の癖に口だけは達者だよね。第一、あの老害の捕縛方法すら予想出来ていない時点で無能である事に変わりないよ」
「想像力不足が酷いね。言わない事は考えていない事だと思ってる薄ら馬鹿ですって告白しないでくれるかな、もしかして君の思考って水素製? ちょっと脳味噌に着火してみてくれないかな、頭部爆散なんて滅多に見れない光景を目撃出来るかもしれないから」
 エイゼルとユーリアンの応酬を聞きながらメルヴィッドにマフィンとノンアルコールのミントソーダを手渡すと、阿呆の会話を眺めて楽しんでいる暇があったら寮だけでも先に決めておけと指示をされた。
 一応、要求の中にはグリフィンドールとスリザリンは寮監的な理由で不可であると当たり前のように書かれているので、選択肢は2種類しかない。セブルス・スネイプさえ辞めさせる事が出来ればスリザリンに入寮したいのだが、利用価値のあるスパイをダンブルドアが手放すはずがないと断言された。
「となると、ハッフルパフですかね。個室の許可が下りたらどの寮でも関係ありませんが」
「許可取れなかったら私の部屋においでよ。キッチン増設して扱き使って上げるから」
「じゃあ僕はお前が肛門愛好者の男色家で幼児趣味って噂を流して上げるよ」
「ねえ、こいつの本体の場所を教えてくれない? 殺すから」
 エイゼルのストレート過ぎる殺意を笑って流し、レイブンクローではないのかと少し意外そうな顔をするメルヴィッドの言葉には苦笑で返す。
「双方の寮にそれぞれ欠点はありますが、私的な基準で見た場合、より大きな欠点を持つのがレイブンクローなので。ハッフルパフもあれで結構矛盾のある寮ですが、レイブンクローより幾らかマシでしょう。寮監も経歴の割に無能のようですし」
 賢さを標榜している割に、レイブンクローには馬鹿しか居ない。
 常に最先端の技術や情報を仕入れ、追いつかれないよう進化し続ける努力を怠った者を魔法界では賢いと呼ぶのならばその限りではないが、アークタルス・ブラックの存在がそれを否定している。
 本当に賢い人間ならば、そもそもヴォルデモートのようなテロリストを台頭させない。したとしても、一般人に被害が出た初期の時点で多くの解決策を提示し実行に移す力がなければ説得力の欠片もなくなる。
 ネビル・ロングボトムがヴォルデモートを運良く始末した後も、特に魔法省が何か素晴らしい事を行ったという話は聞かない。レギュラス・ブラックに対してエイゼルが吐き捨てたように、対テロ組織くらい何時でも立ち上げる事が出来るのに、より高度な専門家を育成する事もなく、闇祓いという死喰い人デス・イーターの下っ端を刈り取るしか能力のなかった部署を存続させるだけで満足している。内乱で被害に遭った魔法使いに対して何らかの援助を行ったという話も、勿論聞かない。
 第二次台頭期に関しても、ダンブルドアがヴォルデモートの復活と脅威を説いたのが95年の半ば、幾ら当時のコーネリウス・ファッジが頑なに否定したからといっても裏で対策を練らないなど無能に過ぎる。所詮魔法省は役人の集団だからと片付けたくなるが、魔法界全体がそのような雰囲気で、結果呆気無く乗っ取られてしまっていた。
 これの一体どこが賢いのか。どの角度から見てもただの馬鹿である。
「思ったよりも辛口だね」
「おや、エイゼル。ユーリアンとのじゃれ合いには飽きたんですか」
「君の話を聞いていた方が面白いから、後に回す事にした。取り敢えず卒業生は軒並み無能だって事は判ったけど、在校生も駄目なんだ?」
「あんなもの、それ以下のゴミですよ」
「最終戦で大半が逃げたから?」
「いえ、別に逃げるのは構いませんよ、ユーリアン。私だって状況に応じて撤退戦を選択する事がありますし。ただ、逃げ方というものがある、という話です」
「君の理想の撤退戦ってあれだろう。シマヅノノキグチ」
「猛勢の中に相掛けよ、出来たら最高ですよね。単騎でも捨て奸しますから必要な時は言って下さいね。槍は所持していませんが、マスケット銃なら持っているので頑張れます」
「うん、は無類の馬鹿だからハッフルパフに行った方がいいね。そんな状況に嵌まらないようにするのが曲がりなりにも賢いって事だって自分で言ったよね」
「貴方の仰る通りですね。ハッフルパフは勤勉とは言っていますが、有能とも賢明とも言っていませんし」
 まあ、自称有能で賢明な寮の中身は非常にアレなので、違う寮というだけで根本は同じ学校の人間が唱える勤勉というのもどこまで信じていいのか怪しいものだが。風評被害だとは理解しているつもりなのだが、兎に角レイブンクローはあらゆる点で駄目なのだ。
 そもそも在校生達や寮監はダンブルドアから直々にヴォルデモートに関しての言葉を聞いた筈である。年単位の準備期間があり、しかも魔法省と違い上は対策を認めていたのだ。
 敵に回るであろう人間を選び出しあらかじめ懐柔、金持ち共を言い包めて戦費を出させる、戦術と戦略を徹底的に教育させる、敵の懐に入って内部崩壊を誘う、籠城戦になる事を考慮しホグワーツ内の魔法を強化する、それ以外にも数多の準備が出来た筈だ。
 最終戦を傍観していた当時の私は思ったものだ。城の中に残った人間は囮で、外に出た生徒が大量の友軍を連れて支援にあたる戦国時代の定石をこの目にする事が出来るのかと。結果は肩透かしも甚だしく、魔法使い相手とはいえ何の為の山城だと頭を抱えたが。
 友軍を連れて来ないにしても、他に案は幾らでもあっただろう。敵が城内に全て入った所でゼリー状に固めたガソリンを散布後に悪霊の火で焼き捨てるとか、基礎部分に手を加えておいて城ごと圧し潰すとか、神の杖のような宇宙兵器を打ち上げておいてスコットランドにバリンジャー・クレーターを出現させるとか。
 第一、寮監のフィリウス・フリットウィックの頭の悪さが既に擁護出来ない。元職業代闘士ならば、戦略は無理だとしても有効な戦術の1つや2つは教え子に授けるべきだろう、誰も彼もが碌な戦術も立てず闇雲に正面から魔法の打ち合いに乗じた上に疑問にも思わないなど開いた口が塞がらない。それとも彼の持つチャンピオンとは代闘士の事ではなく、糞みたいな選手権大会に出場して優勝しただけの単なる称号の事だったのか。
 あれは運良くハリーがヴォルデモートに勝てたから不問にされたものの、これからもこの方針でいいとは到底思えないような戦闘内容だった。
 幾ら馬鹿な私でも、これが賢いとは口が裂けても言えない。未来の情報を駆使して掻き集めている不発弾を降らせた方がまだ頭が良いと言える気がする。
「味方諸共か、相変わらず容赦がないな」
「志願兵数十人の命と引き換えにテロリストを一掃出来るんですよ? 非道だと言われるから何ですか、敵も味方も魔法生物も文化財も纏めて灰燼に帰した罪をたった1人の人間が背負えばいいんです。戦後処理も含めて見ても、とても楽な方法じゃないですか」
「ああ、爺、それ無理だよ。自己保身を人型に固めたレイブンクローにそんな自己犠牲精神のある奴、存在しないから」
「だったら居なくなってもいい人間を見繕って罪を擦り付けるとか」
「そんな度胸のある奴も居ない」
「……取り敢えず、レイブンクローには合理性の欠片もない事が判りました。有難くありませんが、ありがとうございます」
 正直な話、ダンブルドアが自身の名誉を全て汚す事を良しとしなかったので、その辺りの中途半端な姑息さはグリフィンドールの特性だと思っていたのだが、違うらしい。別に性悪な犯罪者にお前だけが犠牲になれば皆は助けると言われ従った後で、あれは嘘だと仲間が全員皆殺される訳でもないのだから、思い切って鏖殺してしまえばいいのに。
 レイブンクローは馬鹿で、しかも不合理なのか。
 要らない情報が増えた。
「あれが最大の好機だったんです。死喰い人デス・イーターが集まり、ヒトたる賛同者が参戦し、残った全ての分霊箱ホークラックスが揃い、リドルが存在するという正に絶好の機会だった。敵対組織の全戦力が投入され、一箇所に集中し、一網打尽に出来、しかも姿くらましが不可能で逃げ場がない。こんな恵まれた状況は二度と訪れない、これをありえない程の幸運と呼ばずしてなんと呼べばいいのですか」
「そうだね。君の言葉通り、君の基準で判断したらレイブンクローは馬鹿だ」
 年単位の時間を意味もなく浪費し、戦闘の準備もせず、しかも大半は鉄火場の土壇場で臆病風に吹かれて一も二もなく逃げ、家族の元でみっともなく震えていただけにも関わらず、全てが終わった後にしたり顔で知性派面をする阿呆の寮になど名を連ねたくない。逃げた足で裏切り、闇の陣営に寝返った方がまだ人間らしく賢いと思える。
 勉強が出来てテストの点が良くても戦闘に使える頭脳が皆無の時点で無能なのかとエイゼルに判り易く纏められ、その通りだと力強く頷くと、メルヴィッドとユーリアンに呆れられた。何故だろう。
「だって何度も言っているように、私は脳筋爺なんですよ。この手の事に脳味噌を使わずして、一体何が脳筋ですか」
「なんか、僕の思ってた脳筋と違うんだけど」
「戦術も練らず武器を持って一直線に戦うのが脳筋じゃないのか」
「それは戦馬鹿でもなければ脳筋ですらない、ただの馬鹿かド素人です。筋力を必要とする行為に脳味噌の能力を全振りで使うから脳筋です」
「それって料理も?」
「ユーリアンは今度、中華鍋で炒飯を作ってみましょうか、その可憐な細腕と薄い腹筋で格好良く鍋を振ってみましょう。もしくは、レギュラス・ブラックからプレゼントされた寸胴圧力鍋を持ち上げて頂いても宜しいですよ? 死んでも問題なさそうな人間は適当に攫って来て上げますから」
「いや、要らない。爺の言いたい事は理解出来た」
 私の中にある脳筋の意味をメルヴィッドとユーリアンは理解してくれたらしい、喜ばしい事である。その横で、更にアルコールを強化したカクテルを作って口を付けていたエイゼルが可愛らしい表情を浮かべて首を傾げた。
にとってはさ、元の世界のあの老害は大切な存在だよね?」
「ええ、そうですね」
「最終決戦時には捨てられていたけど、一時は傘下に入っていたよね。死喰い人デス・イーター相手に戦術指導とかしなかったんだ?」
「身内として居るだけなのに、あの人のお仕事に口出し出来る筈ないじゃないですか。私は脳味噌お花畑ではなく、脳筋なんです」
「ごめん、もう少し私が理解出来る言葉で言い直して欲しいな」
 急に何を言い出すのかと思ったが、レイブンクローの駄目な点を並び立てるのにも疲れたので丁度良いと思っておこう。
 薄く切った茄子とズッキーニの味と食感を楽しみながら脳内で言葉を纏めるが、上手く説明出来ている気がしない。エイゼルに頑張って解読して貰おうと他人任せの考えのまま口を開き、言葉を捻り出した。
「ジョン・レノンとオノ・ヨーコとザ・ビートルズの関係が闇の陣営内で再現されます」
「よく判ったよ。何もしなかった君は正しい」
 何時も通り非魔法界について詳しくないユーリアンと、本日はそれに加えてルドルフ君がよく判らない顔をしていたが、質問者のエイゼルが心底納得した表情に変化したのでこれ以上説明する必要はないだろう。
 そう思っていたのだが、今度はメルヴィッドから質問が飛んで来た。心なしか、嬉しそうな表情で。
「もしもエイゼルがお前の懐柔に成功していたら、あの老害と同じように接したか?」
「ありえない仮定なんですが、その場合は間違いなくリドルと同じような形で接するでしょうね。メルヴィッドは協力者なので引き続き口出しすると思いますが」
「うわ、失敗した。ならこの馬鹿の色仕掛けを全力で応援するんだった。爺、そういうのは早く言ってよ、そっちの方が絶対面白い事になってたのに」
「残念だったねユーリアン、今からでもキューピッド役をやりたいなら止めはしないよ。手始めに物理法則を捻じ曲げて自分の脳天を射抜く事から始めて貰えると凄く嬉しいな」
「手元が狂ってお前の心臓をぶち抜いていいなら弓も矢も爺に頼んで用意してやるよ」
 先程の口喧嘩を再開したエイゼルとユーリアンの光景を肴に、そう言えば昼に出会ったブルズアイの亡霊をなんとなくメルヴィッドに報告したが、そんなゴーストは聞いた事もないと返された。
「気になるのなら花でも手向けに行けばいいだろう。会えるかどうかは判らないがな」
「そうですね。では、8月23日にお願いしても宜しいですか」
「仕方がないな、お前を1人でロンドンにやった事をブラック家に知られるのは面倒だ」
「ありがとうございます。そうだ、ロンドン橋からも近いですし、ついでにタパスのお店に行きませんか。あのお店のトルティーリャ・デ・パタタスは、本当に美味しかったんです」
「そこまで足を伸ばすなら、久々にアイスクリームも食べに行くか。エイゼルにはルドルフの世話を頼んで」
「私抜きで勝手な予定を立てないでくれるかな、全部聞こえてるんだけど!」
 ユーリアンはエイゼルと遊び、エイゼルは自分抜きで美味しい物を食べに行こうとする私達に腹を立て、メルヴィッドは2人を肴に自分のグラスに蒸留酒を注ぐ。
 皆が皆、自分勝手に振る舞うこの空気も久し振りだなと感慨に耽りつつルドルフ君の体を撫でていると、また濡れた鼻で顎にキスをされた。あどけない表情を見るに、今度のキスは深い意味はないらしい。
 幸せな時間だと、そう思った。