曖昧トルマリン

graytourmaline

スイカとクリームチーズのエスニックサラダ

 相変わらず返事が書き込まれない日記を閉じ万年筆をテーブルの上に置くと、私のベッドの上でエイゼルの暖房代わりになっていたルドルフ君が嬉しそうな表情をしながら仰向けになり、豊かな毛量の尻尾を激しく左右に振って構ってアピールをし始めた。
 促されるままお腹を撫でると、嬉しそうな表情が幸せそうな表情に変化する。子猫のようにちょっとつれない態度を取られたり憎まれ口を叩かれるのも楽しいが、こうして好意を全面に出されながら懐かれるのも心が温まった。
 しかも、この子は私が躊躇してしまうような高額の貢物も送って来ないので、なんの遠慮もせず存分に甘やかす事が出来るのも気持ち良い。
 ブラック家で大人同士の話し合いを続けていたメルヴィッドとエイゼルを残し帰宅した際には屋外にて運動不足解消、兼、おやつ探しという名のニフラー狩りを行っていたが、つぶらな瞳をこちらに向けて無邪気な表情を浮かべている様子から、甘える元気はまだまだ蓄積されているようだ。
 久し振りに私の手でシャンプーとブラッシングを行ってあげたからなのかは判らないが、お腹を撫でるだけで全身で喜びを露わにするルドルフ君は見ていて本当に微笑ましい。調子に乗って撫でていると腕が毛だらけになるが、長毛種でダブルコートで換毛期が重なっているので仕方がないと諦め、明日にでももっと念入りにブラッシングをして、ついでに大量の毛を確保しよう。幸いドラム式の梳綿機と糸繰り車がこの家で発見し現在はガレージで眠っている、一度この子の毛で毛糸を作ってみたい。
 古い洗羊液のボトルも放置されていたので、多分、昔の家主は毛糸かフェルト作りが趣味だったのだろう。無論、アークタルス・ブラック以前の家主が、である。もしかしたら彼に関係する誰かが使っていたかもしれないが、敢えて尋ねる必要はない。
「掃除する頻度の割に全く汚れてないなとは思っていたけど、君、本当に細かい家事系の魔法が得意だよね」
「何がですか?」
 生体暖房を奪われた事を気にする様子もなく紙媒体の書類に目を通していたエイゼルがおもむろに顔を上げて呟いたので首を傾げると、白い指がベッドの上に散らばった黒と白の抜け毛を差す。程なくするとその毛は音もなく雪のように溶けてなくなり、後には皺だらけになったシーツだけが残された。
 別に、何も感心されるような事ではない。やたらと広い実家には動物系の神様や妖怪も頻繁に出入りするので、掃除の手間を省くべく随分昔から修得していた魔法である。引っ越す前の家でも使っていたので、今更指摘されるとは思わなかった。確認した訳ではないが、生徒が連れ込んでいる猫やフクロウが跋扈するホグワーツだって同じような魔法が常時展開されている事くらい予想出来る。
「その辺りを魔法で済ませる爺って、料理以外は結構だらしないよね」
「料理だって貴方達が見ていない所では十分だらしないですよ」
 部屋の隅で本を読んでいるユーリアンからも声を掛けられたが、それは少し違うと否定する。発酵食品の管理や魚の鱗取り、肉や野菜の筋取りを始め、面倒な下準備は全部魔法で済ませる私は料理を含む家事全般に関して全くこだわりがない。缶詰もレトルトも冷凍食品も普通に使う、頻度が少ないのは私の時代の物よりも種類が少なく使い勝手が悪いからに過ぎない。どのような手段であれ、結果的に美味しい料理が出来ればそれで良いのだ。
「ただ、だらしないのは私だけです。実家の屋敷で毛が回収されるのは疫病対策なので、生家が無精という訳ではありません」
 毛羽毛現と呼ばれる疫神様が居て毛に触れない為の対策なのだと説明すると、エイゼルはメルヴィッド用に翻訳した書物にも目を通しそちらの知識も十分に蓄えているのかすぐに納得した表情を浮かべた。逆に東の果ての辺鄙な島国を調べる程の興味がないユーリアンは判るように話せと大変素直に疑問の解消を要求する。
「滅多にお目にかからない全身毛むくじゃらの神様で、床下に棲み着いてその家から病人を出す方なんです」
「何、その傍迷惑な存在」
「元々は姿を見る事すら珍しいというだけで、そのような特性は無かったんですよ。環境汚染が進んで昭和の……今から、70年程前から少しずつ性質が変わってしまったみたいで」
 そこまで言って、ふと思い出した。
 私が未だ幼い頃に毛羽毛現様が運んでくださった病気に、この世界では未だ罹っていない事を。この1年何をやっていたのかと思わず自分自身の呑気な頭に呆れたが、過ぎてしまった事は仕方がない。
 この手の事は私よりもメルヴィッドの方が詳しいのだが、現在彼は隣のバスルームで今日の疲れを洗い流している。昼間に起こった事件とブラック家で行われた会議との疲労を考えると、尋ねるのは後に回した方がいい。
「どうかした?」
「相変わらず私はうっかりしているな、と」
「また何かまずい事でも思い出した? 面白そうだから話してみなよ、嘘偽りなく心の底から馬鹿にしてあげるから」
 私を揶揄するのは楽しいと表情で語るユーリアンを、腹出しを止めて傍らに座り込んだルドルフ君が不審者に対峙するような目付きで見つめる。
 こんな不甲斐ない飼い主なのにきちんと躾けられていて本当に嬉しいが、ユーリアンのこれは愛情表現なのだと言い聞かせて頭を撫でて落ち着かせた。双方興味がないのなら全く構わないのだが、このままユーリアンが悪い子認定されるのは出来れば避けたい。
 多分、人間の子供だったら頬を膨らませてむくれているのだろうなと想像しつつルドルフ君を落ち着かせ、やがて諦めたように膝の上に顎を乗せて来た大きな体を優しく撫でる。愛情表現と言われて不機嫌そうなユーリアンへの言い訳は放置しよう、惚けた爺の発言だと大して気にも留めないに違いない。
「それで?」
「この世界に来てから予防接種を受けた記憶がないんですよね。どうしましょうか」
 1歳までは保護者が生存していたとはいえ、ジェームズ・ポッターもリリー・ポッターも息子に予防接種を受けさせるような知識を持っている魔法使いだとは思えない。その後に預けられたダーズリー家の人間がハリーを病院に連れて行くはずもなく、里親や施設の世話になってからもワクチンの摂取を経験した事はない。
 というか、多分、この家にいる存在の中で唯一ワクチン接種経験があるのはルドルフ君だけだと思われる。エイゼルも孤児院には予防接種を受けさせる余裕などなかったし、注射という概念が存在しない魔法界は論外だと呟いているので。
 丁度いいタイミングでメルヴィッドがバスルームから現れ、今度はどんな馬鹿話をしているのかと視線で問い掛けて来たのでワクチン接種について話すと、赤い瞳がルドルフ君とギモーヴさんを眺めた後で私に向けられ、大丈夫だろうとお墨付きを頂いた。
「確認するが、DTaPもIPVもHibもMMRも接種していないんだな」
「貴方が口にした単語の正式名称が微塵も判りませんが、BCGもありません」
 念の為、ハリーの過去を遡って確認を取ろうかと尋ねるがどうでもいいと一蹴される。確かに、どうでもいい事ではある。ワクチンを接種したからといって罹らないとは限らないのだ、ただ、抗体を持っているので症状は緩和するが。
「私も接種していないが、罹った時に対処する」
「そうですか」
 どのように対処を行うのか不明だが、メルヴィッドがそう言うのならば何らかの予防措置は既に取られているのだろう。もしかしたら私の場合は痛みが続く間は肉体から離脱していろと言われるだけかもしれないが、それはそれで十分な対処のような気がした。
 私が存在しなくても治るものは治るし、治らないものは治らない。気力や精神力で肉体の治癒が可能なら、この世の全ての怪我と病気はとうの昔に根絶している。
 先程まで私が腰掛けていた椅子に座ったメルヴィッドに促されたので本日の夜食をサイドテーブルに出現させると、エイゼルも手を止めて酒瓶とグラスとハーブを呼び寄せた。
「君が作ったお酒とミント、貰うね」
「構いませんよ。でも、私はミントシロップにして欲しいです。酔っ払いたくないので」
「我侭だね。まあいいけど」
 プランターから切り取ったばかりのフレッシュミントを氷と共にグラスの中へ。ホワイトリカーに漬け込んだお手製のミント酒を炭酸で割り、簡単なカクテルを作ったエイゼルの目の前で、メルヴィッドは塩気の強いクラッカーを手にアボカドのディップを堪能していた。
 エイゼルもグラス片手にチキンとチーズとバーベキューソースでピザ風にしたイングリッシュマフィンへ手を伸ばし、私はミントシロップのソーダ割りに口を付ける。真夏とはいえ夜は冷えるのでルドルフ君を抱き締めて魔法で部屋の温度を上げていると、唯一食欲を持たないユーリアンが馬鹿な大人達を見る子供の目をしていた。そんな冷えきった子供の目を無視出来るのが大人なのだと駄目な人間を代表するような言い訳を心の中で呟いておこう。
「それにしても、流石に今日は肝が冷えました」
「演技下手なお前には丁度良かっただろう」
「年寄りなのでサプライズの類は苦手なんですがねえ」
 草野球ならぬ草クリケット観戦の時から既に仕組まれていたのかと尋ねれば、仕組むも何も実行段階だと呆れた声で肯定された。エイゼルも自分達の会話をただ盗聴する為だけにメルヴィッドが本邸に呼ばれる筈がないと、誘いの手紙が来た時点で裏がある事を悟っていたと告白する。
「この手の後出しって格好悪い上に頭も悪く見えるよね。結局エイゼルは何も出来ていない馬鹿じゃないか。アークタルス・ブラックにカマをかける事すら出来なかった無能の癖に」
「頭の悪い馬鹿で無能で格好も付けられないのは君だろう。出来なかったんじゃなくて、する必要がなかったんだよ」
 あの程度の攻防戦が底だと思うなとエイゼルの白い杖が軽く振られると今まで読んでいた紙媒体から輝く文字が浮き上がり、驚くべき文章を形成した。
 部屋全体に広がった情報はドール伯爵家の現状を始め、カナダに居る愛人の様子やHBVという病気に罹っている隠し子の病態、実の息子がレギュラス・ブラックへ行った犯罪行為など、私が今夜から地道に調べようとしていた数々である。
「ブラック家がドール伯爵の実子を唆してマッチポンプ、ですか」
 溢れ出した文字列を流し読んだだけだが、既にこの部屋には私が欲しがっていた情報が全て揃っているように思える。
 事の発端は3月上旬、チリで銅の採掘にあたっていたグーテリの大量死からのようだ。昼間にアルマン・メルフワも口にしていた、コレラを原因とした災害である。
 死亡したグーテリ達はドール伯爵が所有する資源開発企業で働いており、当時役員を務めていた伯爵の実の息子が競合企業を所有するブラック家の呪いだと名指しで非難した事に始まっていた。この時点でMHOは動いてはいたものの原因の確定には至っておらず、非魔法界で流行していたコレラを知らないドイツの魔法使い達が伯爵の息子に同調、元々ゲラート・グリンデルバルド台頭時から燻っていた嫌英感情をブラック家にガリオン金貨を握らされたコラムニストがドイツ紙面で煽り、バッシングを開始していた。
 しかしそれから2週間も経過しない3月半ばに、MHOがグーテリの全滅は非魔法界から持ち込まれたペルー発のコレラであると正式に発表。ドイツ魔法省もこの発表を支持するが、イギリスの陰謀だと信じたい一部の魔法使いが反発、当然、ドール伯爵の息子もその中に含まれていた。
「声が大きいだけの素人の妄想が発端とはいえ、イギリスでこの手の報道がされなかったのはメディアに良識があった、訳ではありませんね」
「居るには居たみたいだよ、ブラック家が関わっていたから報道しない自由を選択した会社の方が多かっただろうけどね。大手の出版社の幾つかはブラック家がスポンサーになっているし、スラグホーン経由でも圧力掛けているから。でも、面白いのはこの先かな」
 ドイツ国内でブラック家が所有する企業や支援を受けている機関に対し犯罪行為に及ぶ過激派の魔法使いも出始めた頃、再びブラック家が動く。とは言っても、炙り出したドイツ国内の過激派を粛清する訳ではなかった。私兵を使い、過激派組織とドール伯爵の息子を接触させただけのようだ。
 元々父親である伯爵からも体が丈夫である事だけが取り柄と言われていただけあり、実の息子は過激派組織にどっぷりと浸かったのだろう。この辺り、闇の陣営に傾倒したレギュラス・ブラックを彷彿させるが、まあ、今は関係ない話だ。情報を纏めよう。
 そのまましばらく時は過ぎ、6月半ば。伯爵の息子がイギリス国内でレギュラス・ブラックを襲撃との情報を目にして、表に出ている情報だけでは生き残っていけない筈だと溜息を漏らす。こちらの報道を規制したのはドール伯爵でブラック家に対しても金銭で解決を図ったようだが拒否されていた。以降、ドイツ魔法省とイギリス魔法省が落とし所を見付ける為に水面下で交渉を開始しているが、双方共に正直勘弁して欲しいと思った事だろう。ブラック家の盛大なマッチポンプに巻き込まれた両政府の職員達には心底同情する。
 また、今見せられた情報には含まれていないものの、アークタルス・ブラックはダンブルドア側にも干渉しているに違いない。彼はと名乗る存在が対ヴォルデモートの駒として私を利用している事を知っている、前回のデートの時は私を前線に出す気はないと口にはしていたが、イギリス魔法界を守護する者として危機が訪れれば子供の1人程度ならば平気で犠牲にするだろう。
 既に対策を立てているとはいっても、相手はあのヴォルデモートだ。彼は、いずれ使う日が来るかもしれない生贄を他国にくれてやるような男ではない。予防する手段は多いに越した事はないのだ。
 つまり、何もかもがその場を繕う為の嘘である。そして、その嘘が露見した所で私が離反しない事も織り込み済みだろう。事実、そうでなければブラック家とは言えないと私は口に出している。恐らく、メルヴィッドも私と似たような立場だろう。
 本来ならばホテルで養子縁組の話が出た瞬間に弾き出さなければならない結論は、レギュラス・ブラックに語ったように全てが終わった後でようやく辿り着いた。爺とはいえ、本当にどうしようもないくらいに私の思考は鈍く、周回遅れにも程がある。
「それで、交渉の末に私達の亡命が強行出来たんですか」
「みたいだね。因みにドイツと交渉に当たったのはレギュラスだよ、日付は7月6日」
「ああ、あの子が美術館に来られなかった理由がこれですか。爺がぼんやりしている間に、若い子は成長しているんですね」
 アークタルス・ブラックと暇潰しをしている間に、勤勉な若者は様々な仕事を片付けていたようだ。ついでに言うと、レギュラス・ブラックと暇潰しをしている間に、エイゼルも情報収集をしていたので、もうこれは私という存在は必要ないのではないだろうか。
「調査や資料集めって点ではそうだろうね。他の特技で頑張って」
「声に出していましたか?」
「顔を見れば判るよ。本当にポーカーフェイスが苦手だよね、この情報も事前に渡さなくて正解だったかな」
「そうですね。大切な物は貴方達だけで共有して下さい」
 事後報告をして貰えるだけでも有り難いと口に出すとエイゼルは微笑んでくれたが、メルヴィッドは少し怒ったように眉を顰め、トマトソースが添えられた茄子とズッキーニのグリルに手を伸ばしながら驚くような事を口にした。
「エイゼル、この情報は何処から手に入れた」
「嫌だなあ。君にこれ以上手の内を見せると思う? 手に入れた情報を無償で提供してあげただけでも感謝して欲しい位なんだけど」
「メルヴィッドにも秘密の情報経路だったんですか」
 このような情報を惜しみなく共有するエイゼルは度量が大きいと感心するが、そう思っているのはどうやら私だけのようである。
 ユーリアンは忌々しげに舌打ちをして、メルヴィッドは手にしていたグラスを一気に空にした後、魔法省データベースへのアクセス権と呟いた。
「私のそれを使わせてやる」
「取引成立って事にしよう」
 同じようにグラスの中を空にしたエイゼルは、先程のレシピにドライ・ジンを追加したカクテルを2人分作りながら話が早くて助かると言う。
「アークタルス・ブラックには啖呵切ったけど実は欲しかったんだ、後で教えるよ。勿論、とユーリアンの居ない場所で」
「なんで露骨に物惜しみするんだよ。普段から情報共有がどうこう言うなら僕達にも教えてくれたっていいじゃないか、爺もそう思うよね?」
「いえ、全く」
 一省庁が管理するデータベースへのアクセス権である。相応の取引材料も持たないのに教えて貰えると思う方が異常なのだと意味を込めてすかさず返すと、誰からも共感を得られず不貞腐れたのか、頬杖を付いて明後日の方を向いてしまった。
 久し振りに子猫のような仕草を目の当たりにして思わず頬を緩めると黒い瞳が鋭い眼光を飛ばして来たが、一度小動物に見えてしまうと可愛らしいだけである。否、小動物じみた行動をしなくてもユーリアンは十分に可愛らしい子なのだが。
 ユーリアンの代わりに人間同士の話は全く判らないと顔面で語っているルドルフ君をカーミット君と一緒に抱き締めて、大型犬の温もりを堪能しながら宙を浮遊していた文字が消えて行くのを黙って眺める。その全てが消え去る前に、エイゼルは手にしていた紙束をベッドの上に放り投げた。
「自分の立場を弁えてるご褒美。尤も、これだけでアークタルス・ブラックから及第点を貰えるとは思えないけど。情報入手経路は誤魔化してね」
「判りました、ありがとうございます」
 及第点を貰えるか微妙、という事は更に裏があると受け取るべきなのだろうが、余り深く探りを入れるのは止めよう。エイゼルが言わないのなら、言わないだけの理由がある。どうしても知りたい事が出てきた時は彼を当てにせず、自分で調べればいい。
 同じように、メルヴィッドが魔法省の管理するデータベースへのアクセス権限を持っている理由も訊かないでおこう。一応、こちらは簡単に予想が付くが、態々話題にするような事でもない。エイゼルがより楽しむ為にアークタルス・ブラックの誘いを拒んだように、メルヴィッドはより楽をする為にレギュラス・ブラックの誘いに乗った、それだけだろう。
 となると、エイゼルは全て知った上で、あのホテルのプライベートルームで悪い大人達に囲まれた孤立無援の未熟な青年を演じ切ったのか。
「……エイゼルはこんなに立派な子なんですよと世界中に言って回りたい」
「新聞広告でも出したら? 爺の名前で投書しても面白いけど」
「そうですね。でも、メルヴィッドもユーリアンも頼りになる良い子ですからね、訂正します。偽名でもいいから貴方達3人の事を吹聴したい」
「止めろ。お前の下らない自己満足に私を巻き込むな」
 アルコールが高まったカクテルを平然と飲み干しながらメルヴィッドが言い、トウモロコシの唐揚げを咀嚼し終えたエイゼルにはもっと違う事で喜ばせろと呆れた声で却下された。
「そんな罰ゲームみたいな事しなくていいから今度テールシチュー作って欲しいな」
「お願いが謙虚過ぎませんか。もっと我侭言って下さい」
「謙虚かな、手間がかかって面倒なのに」
「時間のかかる煮込み料理なので手間と言えば手間ですが、技術的な難しさは然程ありません。難易度で言えばステーキの方が数段上です」
 ステーキはレア、ミディアム、ウェルダンの3段階ないしミディアムレアを加えた4段階が一般的だが、厳密には10段階に分けられる焼き加減を調節する能力が必要な職人級の料理であり、それに合わせた肉の目利きも重要となる。握り寿司と同じように、料理法を言葉にすると至って単純で作るだけならば素人でも可能だが、より美味しくする為には高度な技術と経験が必要なのだ。
 ステーキの方が難しいと告げられたエイゼルは意外そうな顔をしたが、プロが手掛けたオムレツやアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノも再現が困難だと付け加えるとすぐに納得する。料理を始めたばかりの頃にオムレツに手を出し、スクランブルエッグを通り越して炒り卵を作ってしまった経験は誰しもあるのだ。
「オムレツか。食べたいな、コンソメが入ったやつ」
「明日の朝食にしましょうか。この話が終わった後で作ってもいいですけれど」
「じゃあ朝食で。トーストとベーコン、焼きトマトとマッシュルームのソテーも一緒に」
「良いですね、では久し振りにフル・ブレックファストにしましょう。メルヴィッドは目玉焼きとオムレツとゆで卵のどれが好みですか」
「ポーチドエッグ、ジャムはマルベリーにしろ。ユーリアン、勝手に消えようとするな」
「だったらいい加減始めてくれないかな。こっちはお前達の明日の朝食がどうなろうが関係ないんだよ」
 食欲を持たない少年が告げる全くの正論に苦笑しつつルドルフ君の背中をゆっくりと撫でて、さてと思考を切り替える。
 レギュラス・ブラックと共に遭遇した小さな出来事は夕食時に話し終えた。今から始まるのは、私がアンティーク市を巡り、美術鑑賞を終え、タパスに舌鼓を打っている裏で、頼りになる大人達が纏め上げてくれたものの報告である。
 とは言え、肩肘張る事はない。優秀で実力も備わった人々が作り上げた報告だ、私はただ首を縦に振り、復讐という自身の欲望をどの程度溶け込ませる事が可能なのか、それだけを考えればいい。