手長海老の老酒漬け
「当主の顔が板に付いて来たな」
「君のリップサービスは少し衰えた気がするよ。それは何杯目?」
「お前こそトニックウォーターで酔ったのか。私は友人に世辞を言わない」
「なら一度、医者に診て貰った方がいいかもしれないね。伝手があるから紹介しようか、知人の親族の先輩がとても腕が良くて優秀な医者らしいんだ」
「人はそれを他人と呼ぶんだよ。あと死体専門だろう、その医者」
「よく判ったね。そこまで交友関係を調べられているとは思わなかった」
「調べていないが判る。腕が良いだけなら兎も角、優秀と来ればな。病理医は専門医の中でも花形だ、勤勉で優秀な人間にしか務まらないんだよ。魔法界の生き物相手でも、マグル界の人間相手でも、違いはない」
内科医は何でも知っているが、何もしない。
外科医は何も知らないが、何でもやる。
病理医は何でも知っていて何でもやるが、大抵は手遅れである。
そういえばこんなジョークもあったなと記憶の片隅から引っ張り上げるが、いまいちアメリカン・ジョークというものは笑いどころが判らない。まあ、ブリティッシュ・ジョークの面白さも理解出来ないし、メルヴィッドやエイゼルやユーリアンからは私のジョークは最悪だと評されているので、根本的にこちら側の気質が合わないのだろう。
しかしアルマン・メルフワの言葉はジョークではないらしい。どれ程優秀な医者でも健康な人間を治療する事は出来ないと言い切り、レギュラス・ブラックには当主としての器量があると力強く肯定した。
「さっきも言ったが、非正規ルートに真っ当な魔法使いが居てくれるのは本当に有り難い話なんだ。どの国でも魔法省の役人は国連を獲物を横取りする害獣呼ばわりして嫌っている、かと言って魔法省内部は部署同士のしがらみも多く動きも鈍い。宗教じみた無意味な主義を排除し、互いの立場を冷静に把握した上で交渉に入り、締結次第即実行に移せる力を持ち、そして何よりも、それらを理解して運用出来る存在には感謝しかない。周囲の人間も喜んだんじゃないか、ちゃんとした当主様のご帰還だって」
「別に。そんな事はなかったな」
「おい、それこそ冗談だろう。全くか?」
「全くだよ」
世界中を飛び回っていると今現在の自分に関係していない国の情報の精度は格段に落ちるよねとレギュラス・ブラックが呟き、フライドポテトをブラバスソースとアリオリソースに絡めていた手を止め、この1年を振り返るように目を伏せる。
「ブラック家が居ないのを良い事に好き勝手して来た一族は大きな顔が出来なくなって不満そうだ。逆に、ブラック家傘下の企業は存続するノウハウをお祖父様や曽お祖父様の代で叩き込まれた経営者がそれぞれ優秀な後継者を作り出しているから。当主なんて居なくても、イギリスそのものは何十年も危なげなくやって来れただろう?」
ここ10年と言わない辺り、レギュラス・ブラックも両親の駄目当主振りを調査し、理解しているらしい。
そして、相変わらずアークタルス・ブラックとシリウス・ブラック両名の働きが尋常ではない。今でこそ珍しくないがブラック家が経営する会社は当時から業種が多岐に渡る複合企業だ、魔法界と非魔法界間の調整をしつつ戦争の影響回避に能力のほぼ全てを注ぎ、残った僅かな力で会社として生き残れる術を教え込んだと思うと、凄い凄くない以前に、膨大な事務作業が存在したであろう大戦時中に生まれていなくて良かったとしか思えなくなる。
「まあ、確かに優秀だよ。ブラック家傘下に優秀な企業経営者が揃っているのは良く知っている。だがな、彼等は一経営者で魔法省に口利きが出来ない」
「個々の力では無理だね、でも、企業全体が総力を上げれば動かせるよ。彼等は貴族じゃなくて生粋の商人だから、各社から相応の利益を要求されるけど」
「それも良く知っているとも。他人の悪口を笑えもしないジョークで堂々と述べる事がユーモアだと信じて疑わないイギリス魔法省の役人共と交渉して頭の弱さに胃を痛めた方が遥かにマシだったからな」
彼は一体何を吹っ掛けられたのだろうと気になったが、聞いてくれるなという表情を浮かべていた。多分調べれば判る事なので口に出して質問するのは避けておこう。
私が構われている間に注文していたのか、チェイサーであろうスペイン産のラガービールを一気に飲み干したアルマン・メルフワは当時の怒りを思い出したのか、フランスの映画でよく耳にするような悪態を呟いた。あの腐った糞尿の老いぼれが、とでも訳せばいいのだろうか。日本語は罵倒語が少ないので非常に柔らかな表現になっているが、大体そのような意味の言葉だった。
当たり前だが、そのような単語を快く思わないレギュラス・ブラックが片眉を上げて不愉快だと合図すると、よく判らない子供の演技をしている私に気付いたアルマン・メルフワも軽く咳払いして失礼と美しい英語で述べる。
「兎に角だ、レギュラスが戻って来てくれて私は嬉しいよ。ブラック家の企業に個人的なコネクションは持っていなかったし、持っていたとしても仕事で使おうとすると破産する。他に生存中のブラック家の面々……ああ、勿論先代の当主様を除いてだが、彼等も魔法界に関心がない」
「本来なら、あらゆる手段を講じて魔法界を守らなければならない立場なのにね。でもきっと、彼等はずっとあのままだよ。私が変わる事が出来たのは、単に運が良かっただけだ」
「先代の娘で、お前の伯母でも駄目か」
「お祖父様と血が近ければ有能、なんて事はありえない。あのシリウスだって」
そこまで言い掛けて、レギュラス・ブラックは自身が出した名前に気付き、申し訳なさそうに眉尻を下げて私を見た。
「どうした?」
「レジーのお兄様は、以前、私の後見人を務めておりましたから。お話を続けて大丈夫ですよ、シリウス・ブラックがどのような人間であったのかは、一通り調べましたから」
「お前、坊や、だからあんなに苦労していたのか。あんな屑の被後見人だったら納得が、いや本来はしてはいけないのだろうが、納得出来る」
「メルフワ様もよくご存知の様子で」
私の趣味や経歴は洗ったらしいが、無能な方のシリウス・ブラックが後見人を務めていた事までは知らなかったのは意外である。
そこそこ使える魔法使いだと思えるアルマン・メルフワでこの程度、という事はつまり、レギュラス・ブラックの周りに集まる大多数の人間にとって私は、全力で過去を洗う対象ではないのか。
しかし、よく考えてみれば妥当な判断である。傍から見れば、私はブラック家お気に入りのペットかお稚児の類で、いざという時の人質か彼等に取り入る為の道具程度にしかならない。里親であるメルヴィッドの方がレギュラス・ブラックに近く、あらゆる能力が凡人の枠を超えているので価値があるし、危険でもある。
成程、此処は中々良い立ち位置のようだ。ルビウス・ハグリッドのように突発的な事態に巻き込まれた場合は別だが、多少なりとも計画を立てるタイプが相手の場合、彼等は私を下に見て、油断している。
私自身が老人なので四六時中忘れてしまうが、ハリーは未だ幼い少年だ。けれど、偶然大人を殺してしまったと言い訳しても、そろそろ疑われない年齡に達している。
いざという時は、逃げずに皆殺しにしても良いのだ。
「同じシリウス・ブラックでも、随分違いますね」
「まあ、ね。昔から酷いと思っていたけど、今はもう、本当に言葉も出ない」
「部外者の私が言うのもなんだが、あれは常軌を逸しているぞ。礼儀も節度もなし、TPOは弁えない、ブラック家の人間だからパーティで何度も顔を合わせたが、諸外国の有力者とコネクションを作る気もないと全身全霊で主張する奴だ」
もしもレギュラス・ブラックが戻って来ず、当主が獄中のアレになっていたら、胃に穴を開け血反吐を撒き散らしても系列企業の商人達と手を組むと本気で言わせる辺り、無能な方のシリウス・ブラックは手の施しようがない程の存在である。
気持ちは判る、多少の判断力のある人間は間違いなく選別で弾くだろう。
私の世界でも、あれ程の戦力差がありながら脱獄したシリウス・ブラックに対してダンブルドアは碌な仕事を振らなかった。
例え魔法省から追われる犯罪者であっても、卓越した能力や有力なコネクションさえ持ち合わせていれば屋敷内でも処理出来るような仕事が割り振られるはずなのに。待機を命じられるのは、ただ魔法がお上手なだけの無能と評価されているからだ。
身内に甘く、愛がどうこうと口にするダンブルドアですらその対応である、仲間ですらないアルマン・メルフワのような魔法使いが候補から真っ先に外すのも頷ける。
「レギュラス。くどいようだが本当にお前が居てくれて、お前が変わってくれて良かったと思うよ。お前は必ず、立派な王になる」
「きっとじゃなくて、必ずなんだ」
「必ずさ。お前は政治の話が理解出来るようになった、当然経済も、マグルの軍事もだ。今も勉強中のようだがそれでいい、お前は未だ若くて未来も時間も十分にある。馬鹿みたいな規模の戦争を経験した老練な指導者が生存しているのも、かなり大きい。いいか、お前なら絶対に出来る。対してあのシリウスはどうだ? 牢の中で毎日食事して、排泄して、眠るだけの生活だ。あれは私と同い年で、もう三十路を超えている。ブラック家なら塀の中でも出来る事など履いて捨てる程あるにも関わらず、近隣諸国以前に自国の社会情勢も全く把握出来ず指導すら不可能な中年の王族など国家の癌だろう。刑務所送りにされて、精神的な成長を止めたまま中年になった男はお荷物でしかない」
「あのさ、アルマン。所々、君の言葉が胸に刺さって吐血しそうなんだけど」
「刺さって吐血しているのは昔のお前だから幻痛として処理しろ」
「ねえ、。感心した顔をしないで、今のは駄目な会話の見本だからね? 君は大きくなってもこんな人間になったら駄目だよ?」
今正にアルマン・メルフワの言葉に深く共感したのに、これである。少し残念だなと思っていると、残念そうな顔もしないでとお願いされた。
その表情がまだまだ少年のそれで可愛らしいなと感じている目の前で、アルマン・メルフワの舌は滑らかに動き続ける。何度も顔合わせた事がある無能な中年貴族が同い年である現実が相当お気に召さないらしい。
「第一、自力でアズカバンから帰って来れないような奴を誰がブラック家の後継者として認めるんだ? 有能な奴ならまず捕まる事がありえない、弁の立つ人間とコネクションを持っていれば裁判を起こして無罪を勝ち取れる、素晴らしい人望があれば塀の外で人々が運動を起こす、利用価値が高ければ権力者達がこぞって出獄工作を始める。けれどそんな話は一度も聞かない、刑期の短縮も仮出所も打診する人間が居ない時点でシリウス・ブラックはこの魔法界で誰からも必要とされていないし、信頼もされていない」
「辛辣ですが、現状に裏打ちされた事実ですね」
「昔から魔法の扱いがお上手なだけで何も出来ない、誰からも庇護されない最低の男なんだよ、シリウスは。学生時代の悪行もフランスまで知れ渡っている、スリザリン寮の男子生徒を騙して人狼の餌にしようとして失敗したとか、公衆の面前で同級生を逆さ吊りにして服を脱がせたとかな。普通なら噂の流布に自身でケリを付けるか、一族の人間が揉み消す。しかし未だにあれは塀の中で醜態は際限なく広がっている、私は何も出来ない無能の極みですと宣伝しているようなものだ」
そんなシリウス・ブラックをアークタルス・ブラックは必要としていたが、あの話を振り返ってみると、綺麗にオブラートに包んでいるが種馬用として確保したいというのが本音だろう。正統な後継者がレギュラス・ブラックのみというは、この先の事を考えると色々と怖いし、アルマン・メルフワですら理解している事をアークタルス・ブラックが理解していないとは思えない。
となると、理解して尚、どうしようもない事態に陥った時の為に、シリウス・ブラックを欲していると想像が付く。
「それでも、もしも、シリウス・ブラックが出所した時はどうしますか?」
「出所が確定した次点でさっき言っていたマグルの病理医にパイプカットさせろ、いいな、レギュラス。一切の躊躇はするな。でないとシリウス・ブラックの子供を名乗る馬鹿が半世紀後に発生してお前の子孫が苦労する、事実でも、デマでもだ」
「そうだね。デマだったけれど、君の所は大変だったからね」
「何処の国でも目にする問題だが、特に女の隠し子は厄介だぞ。何の正当性もないのにマスコミを引き連れて騒ぐだけ騒いだ挙句、一切責任を取ろうとしないからな」
「ご愁傷様。遺体の掘り起こしや鑑定の費用を裁判所から請求されて逃げたんだよね」
「逃げた所で単なる魔女だ、居場所は知れている。ただ、文無しの中年女でね、向こうの業界に沈められるような年齡でもないし、マグル式に中を幾つか抜くにしても伝手が……と、子供に聞かせる話じゃないな」
権力とお金のある家は強欲な嘘吐きが自主的に集うから大変だと同情しつつ、矢張り何処の家にも裏の顔があるのかと納得する。
しかしこれではアークタルス・ブラックの目論見が崩れてしまうなと考え、またすぐに訂正する。彼がその手の対策を立てていない訳がないという、一片の具体性もないが確実に大丈夫という謎の自信があった。
「何にしてもだ、シリウスには厳しく当たれ。馬鹿な人間は絶対に甘やかすな、あれは人間の顔をして魔法が使える猿だと思え」
「やけに念を押すね」
「お前は情に絆されやすいからな、穏当で冷静そうな面をしているが一度火が点くと自己制御出来ない激情型だ。あれが少し愁傷な態度を見せながら、目が覚めた、もう一度仲間に入れて欲しいなんて言って来たら首を縦に振りそうだ」
「ないよ」
「そうか?」
「兄弟や一族の情は、探せば何処かに転がっているかもしれないね。でも駄目だよ、お祖父様は檻の中でぼんやりしているだけの無能で怠惰な人間を許さないだろうし、系列企業の関係者もその辺りは厳しい、彼等は君の言った通り商人だからね。誰も指導したがらない欠陥人間を好んで抱える余裕は私にはない。それに、私の中には既に激情が存在する。あの男はをこの世の地獄へ叩き込んだ、これは例え一生かけて償うと言われても絶対に許さない。この子自身が許すと言っても、私が許さない」
「いえ、あの、レジー。もう少し、私の評価も厳しくして下さい。何度も言っているような気がしますが、私が際限なく許せる相手は身内だけです、流石にシリウス・ブラックを許す度量はありません」
私に対して夢を見過ぎだと突っ込みを入れていると、身内なら許すのかとアルマン・メルフワに驚かれるが、私がどれだけ家族と友人を欲していたか本気で語ろうかと低く真面目な声を出すと両手を軽く挙げて降参のポーズを取られた。
「もうデザートが来るんだ、3時間近く語られそうな内容は遠慮願いたい」
「あ、本当ですね。ナティージャだ」
「こうやって急に子供の顔に戻るからな。レギュラスが気に入るはずだよ」
見ていて飽きないと言いつつアルマン・メルフワの手が料理を私達の側に押しやり、ガラスの器に少し大人っぽい盛り付けがされたカスタードクリームを銀色のスプーンで掬う。
デザートはあれにしようかと訊いて来るレギュラス・ブラックに笑顔で答えようとした瞬間、目の前の太い眉の間に深い皺が刻まれた。どう見ても、美味しいという表情ではない。
銀色のスプーンを皿に戻し、両手を卓上で組んで深い溜め息を吐く男を見て、一応の友人であるレギュラス・ブラックはテティージャとメンブリーリョを頼もうかとメニューを確認していた。心配という言葉は欠片も存在しないらしい。
「何で、ラム酒が入っているんだ。レギュラス、手間を掛けて悪いが、カフェ・ソロとオロロソを頼まれてくれないか」
「エスプレッソは納得出来るけど、どれだけシェリーを飲む気なのかな。倒れてマグルの病院に担がれないようにだけ気をつけてね。そうだ、は何が飲みたい? シナモンのフロロンも頼もうと思うんだけど」
「では、カフェ・ボンボンを。所で、メルフワ様はラム酒が苦手なんですか?」
あれだけ酒精強化ワインを飲んでいたのに、とは思ったが、シェリーとラムは全く別の酒なので苦手でもおかしくはない。ビールは飲めても日本酒は駄目とか、ウイスキーは好きだが焼酎は嫌いなど、酒にも得手不得手は存在する。
「苦手、ではないんだが、向こうで散々飲まされたからな。もうしばらくは飲みたくない」
「向こう? 南米ですか?」
「よく知ってるな、流石料理好き。イギリスに来る前はギアナで仕事をしていたんだ、ギアナは知っているか?」
「あまり地理は詳しくはありませんが、確か、南アメリカの右上の方ですよね、フランス領の、ブラジルの隣国で。あとは流刑者全滅の呪われた土地と、そうだゴールドラッシュと宇宙センターがありました!」
ぱっとしない国なのでネガティブな単語ばかりが出て来て難儀したが、ようやくポジティブな要素を見付け出し口にした。しかし、その単語が彼の記憶を呼び戻してしまったらしい。
蒸留酒ならせめてブランデー、出来ればワインが欲しい、私はフランス人なんだ、ラムはもう嫌だあれは何本目だせめて割ってくれと低く小さな声で呟く様は非常に哀れに映る。接待なのか、現地人の輪に溶け込む為の手段なのかは不明だが、浴びるようにラム酒を飲んだ事だけは理解出来た。
ついでに、どうでもいい事だが彼は相当アルコールに強いらしい、ラムを瓶単位で消費出来るのなら、シェリー数杯とビールのちゃんぽん程度で酔うはずがない。この辺りは流石白人だと尊敬する。私の元の身体にも白人の血は入っているが、ラムを瓶単位で消費するのは痛み始めた林檎で大量のコンポートを作る時くらいだ。アルコールを飛ばさずに胃に迎え入れたら多分死ぬ。
「その様子だと、ギアナの金鉱脈に派遣した本土のゴブリンとの友情の為に、お酒を酌み交わしたのかな? 彼等強いらしいね」
「ああ、ワインは水とかそんなレベルの話じゃない。ゴブリンはラムを水みたいに飲むんだよ、しかも全く酔わない。私もペースを崩されて流石に初日は倒れた」
初日だけで済んだのが逆に凄い、彼は鋼鉄の肝臓を持っているのだろうか。
しかし、そんな事よりも今、レギュラス・ブラックが重要な事を言ったような気がする。否、気がするのではなく、言った。
「フランスは金を採掘しているんですか、イギリスはどの企業も行っていませんよね? 国内にも国際的にも法で縛られている訳でもないのに」
ホテルで思い付いた疑問を口に出しそれぞれの反応を見てみるが、彼等は互いに視線を合わせてから私を見た。口を開いたのはレギュラス・ブラック。
「ごめん、その辺りは言えないんだ」
「そうですか、判りました」
特に理由がないのなら何故なのか気になるが、理由があるのなら仕方がない。別に単なる好奇心というだけで、知らなければならない事ではないのだ。
「坊やは気にならないのか」
「気にはなりますが、知ってはいけないと判断された物を探るのは低俗な行為でしょう。秘密だと言われた物に文句を垂れるのは、美しい箱に泥を塗りたくる事と同じです」
「好奇心はあるが、それ以上の自制心か。裏も表もなく、大人と子供が混在しているな」
「君にはあげないよ?」
「判った判った。それでなんだが、ラム酒と一緒に嫌な記憶が蘇るんだ、ゴブリン達に散々飲まされた挙句、交渉にも難航したから」
「難航するんですか、国連の方でも」
「所詮私は当事者でもない余所者だからな、途上国だと上手く纏まる方が珍しい。特に鉱夫を止めて金属加工に移って欲しいなんて願いはな、まず通らない」
「マグルとの競合ですか」
「そういう事だ。本当に、身勝手なお願いだよ」
非魔法界の採掘技術は最早魔法界のそれを上回っている。想像以上の速度で、想像以上の範囲を彼等は掘り進めるのだ。それこそ、魔法界が採掘出来る場所が無くなる程に。
恐らく、ゴブリンの採掘現場近くまで非魔法界の手が迫っていたのだろう。国際法に縛られた魔法界は隠れなければならない以上、その採掘場は捨てるしかなくなる。建物や人員は動かせるが、鉱脈は動かせないのだ。
それは、難航するに決まっている。懸命に掘り当てた金の鉱脈を後から来た連中に無条件で譲渡しろと言われているのだ、普通は拒否するだろう。
「それ以外にも、あの近辺には最近レシフォールドが出現するって噂もあるからな」
「赤道直下のオセアニア付近に生息する魔法生物が、南米まで移動する時代なんですか」
「マグルの交通機関に魔法生物が紛れ込むのは珍しくない。特に多いのは船舶だが、飛行機や鉄道、トラックのような大型車や一般人向けの小型車でも彼等は移動してしまう。勿論、意図せずにだが。そんなだから、今回も色々な意味で危険なんだ」
「過去形、ではないんですね」
「今日明日中に止めろとは言えない。期限ギリギリまで採掘させて、その後は条件付きで金属加工業に移って貰う事をなんとか取り付けた。期日が迫ったらまたギアナだよ。フランス魔法省に多額の出費をさせる事になるが、まあ、当然パイプもあるし自分の出身国だと思えば多少は気持ちが楽かな。これが他所の国だと収集が付かない程こじれる事がある、特に元フランスの植民地とか」
「あの、つかぬ事を伺いますが、職員の中にイギリス人は」
「居るよ、人手が足りない時は元植民地だろうがマグルの戦争相手国だろうが仕事だから派遣される。この時ばかりは相手がマグル音痴である事を願うよ」
「命懸けですね……!」
敵地のど真ん中で交渉しなければならない状況を想像して、思わず胃の上を押さえる。アルマン・メルフワは脳筋ではないが、間違いなくタフな男だ。
「命懸けさ。今年の頭にチリに派遣された同僚はMHO、魔法界保健機関と連携しながら病気を相手に仕事をしているしな。銅鉱山に出稼ぎに出たグーテリ達が全滅したんだ」
「今年の始めで南米ならコレラ、ですよね。マグル界のチリには然程、被害は拡大しませんでしたが、魔法界には経口補水療法等の対処法が広まっていないのですか」
「笑える事にな。現地の人間や祖国の遺族達は未だに呪いだ何だと口にしている、現代の先進国で生きる成人にとってはコレラはそれ程危険じゃないが、発生地域に存在する無知の魔法使いやヒトたる存在は危険なんだ。感情の捌け口を欲しているからな。派遣される職員から競合企業まで、安全を確保しながら仕事をしなければならない。ブラック家の会社にも飛び火したんじゃなかったか? お前も銅を採掘していたよな」
「私の会社の活動地域は主に北米だから、南米の鉱山を拠点にしている他の企業よりは見当外れの脅迫被害は少ないよ。コレラの被害も今の所はマグル止まりで、医療や衛生に通じたスクイブを派遣して対処もしている。もしも危険が迫ったらノッカー達を一時的に引き上げさせて様子見するつもりだから、君の仕事が増える事もない」
「有り難いね、ブラック家はヒトたる存在や魔法生物に理解があって涙が出るよ。あのプライドの高いゴブリン達から一目置かれるのも判る」
ラム酒の利いたナティージャを食べ終え、テーブルの上に置かれたシェリーグラスとデミタスカップの中身を一息で飲み干したアルマン・メルフワは腕の時計で時間を確認し、そろそろ店を出てもいい時間だと席を立つ。
まさかと思うが、彼はこの後また仕事をするのだろうか。昼にグラスでワインを嗜んで仕事に戻る程度ならメルヴィッドやエイゼルも日常的に行っているが、シェリー酒を何杯も空け、チェイサーにビールを飲み、ラム酒の利いたデザートを平らげた後、再びシェリー酒を迎え入れて仕事をするという芸当は流石にしない。
「坊や、そんな目で見なくても大丈夫だ。仕事に使う資料がそろそろ家に届くはずだから、帰って目を通そうと思っただけだ」
「アルコール漬けの脳味噌で大丈夫? イギリスで雑な仕事をしたら怒るからね?」
「しないさ。たとえ何処の国だろうとね」
この程度で鈍るものか、自分は仕事に対して高い矜持を持っていると宣言し、テーブルの片隅に置かれていた伝票を手に取ったアルマン・メルフワは、思い出したように鞄の中を探り小さなカードを手渡して来た。
名前と住所、電話番号、そしてデフォルメされたホークランプが印刷されているただの名刺だが、文字に魔法がかけられているのが判る。彼は仕事柄世界中を飛び回っているので、現在地が自動更新される名刺なのだろう。
「ホークランプについて話したい事や困った事があったら是非手紙を送ってくれ、文通も大歓迎だ。喜んで筆を執ろう」
「そんなピンポイントで困る事なんてないし、君とは文通して欲しくない」
「それじゃあな、縁があればまた何処かで会おう。出来る事ならばホークランプ関係で」
「もう帰りなよ」
薄い紙が挟まれた伝票を手に去っていくアルマン・メルフワに別れの挨拶を告げると、振り返る事なく軽く手を挙げられた。スーツに包まれた広い背中が、彼が気の利くタフガイであると無言で告げているように思える。
全く危なげない足取りでアルマン・メルフワが店を出た事を確認すると、レギュラス・ブラックが大きな溜息を吐いて残っていた料理に手を伸ばした。苛立っているようにも疲れているようにも見えない、多分、拗ねているのだろう。
「アルマンに心を開かないでね。彼とは友人だけど、とは違う意味の友人だから」
「違うんですか?」
「全く違うよ、だって彼は純血のフランス人だ。フランスの利益の為に動く。僕と友人のままでいるのも、フランスの利益になるからと彼か彼の一族が判断したからだ。僕も、イギリスの利益の為に彼と付き合ってるから、お互い様だけど」
残り少ない生ハムを平らげ、大分炭酸が抜けたトニックウォーターを咽喉に流し込む姿はまるで自棄酒をしているようにも見えたが、私に向けられた表情は寧ろ清々しかった。
「心を開き過ぎなければ、アルマンは良い友人になるよ。判り易い立場に居るしホークランプ好きは本物だからね、頭も良いしプライドもある。そうだな、去年のクリスマスパーティに招待したスラグホーンさんは覚えてる? 彼とお祖父様との関係に近い部分があるかな」
「ああ、言われてみれば」
互いに互いを利用しているが、双方の目的が明確なので仲は良い。危機の時に駆けつける存在ではないが、軽い打診さえあれば自身の得意分野で相手に有利なフォローをする。
情はあるので仕事上の友人と処理するには深い関係だが、親友と呼ぶにはあまりに浅い、そんな仲なのか。
所属する国が違うので、アークタルス・ブラックとホラス・スラグホーンの仲と比較するとよりドライな関係だが、互いにそれで良しと納得しているのだろう。
「色々な形の友情があるんですね」
「そうだよ。でも、とは今の関係を続けたいな。君は、とても大切な友人なんだ」
「私も、レジーと同じ想いです」
とても優しく、時に情熱的で、逞しくなりつつある、メルヴィッドの駒。
そんな子に甘い言葉で毒を盛り、貴方の事を想っていると嘘を吐く。彼が苦しむであろう事を理解してこの世界に放置し、傷付いている所に現れて癒やしを与えるマッチポンプ。
全く、可哀想に。こんな性悪な老人に目を付けられてしまって。
この子を生き返らせると決めた時から理解していたではないか。私はレギュラス・ブラックの友人として、アルマン・メルフワよりも余程素晴らしい存在になる事など。