烏賊の沙茶醤煮
「そう言えば、さっきは何を考えていたんだ? 随分真剣な顔だったが」
「ええと、国際法とエバモンド大臣の言葉を無視して、好き勝手やらかした魔法使いに対して少々思う所がありまして」
「背伸びしたい年頃、という訳か」
「ですね」
主戦場となったフランスの人間が初対面の子供にこの手の話題を振られても不愉快なだけだろうが、スペイン料理の事を考えていただけだと通常運転で馬鹿丸出しの嘘を吐くには相手が悪い。彼はメルヴィッドやエイゼルでもなければ、アークタルス・ブラックでもレギュラス・ブラックでもない。
冷たい黒ソーセージをフォークに刺しながら目で続きを促されたが、表情は変わらず読み取れない。友人から殺害される可能性を排除する為、背伸びしたい子供に付き合うだけの大人であって欲しいが、先程までのやり取りを考えるとその可能性は皆無だ。
取り敢えずヒヨコ豆を食べて一呼吸置こう。たったそれだけで彼を唸らせるような台詞を閃く事はないと断言出来るが、自信に満ち満ちた表情で食い気味に薄っぺらい感想を述べるよりは遥かにマシだろう。
「フランスの魔法使いではなくイギリスのマグルを援助するのは魔法使いとして間違っているとか、嘴を容れた所為でパレスチナ問題も魔法界で処理されるべきと主張する派閥が出た責任は誰が取るんだとか、意識改革も問題解決もされていないその辺りを」
「子供にしてはそこそこ良い着眼だな、それで?」
「解決策は国家に承認された暴力による脅迫か、教育改革くらいしか思い浮かびません。法規制や利害を示した上での交渉は正義に酔った善人や、自分の非を認めたくない人間には通用しない事が証明されていますから」
そこまで理解しているのに法を学ぼうとするのかと問われたので無言で頷くと、その覚悟があるのなら止めやしないと苦笑される。未だ無言でブニュエロ・デ・バカラオを咀嚼中のレギュラス・ブラックに視線を向け、その辺りは彼に委ねるつもりだと話題に巻き込みながら方向を逸して行く。
「期待されてるな。まあ、今のレギュラスなら希望を持てるが」
「今のレジーなら、ですか?」
「そうか、坊やは昔のレギュラスを知らないのか」
私がレギュラス・ブラックをレジーと呼んだ瞬間、僅かに目元が反応したが、当然のようにスルーした。子供じみた呼び名について好奇心の赴くままに質問をすると折角逸した話題を蒸し返す事になりかねないと理解しているのだろう。
「魔法界については詳しかったが、マグルには欠片も興味を持っていなかったからなあ。以前、イギリス魔法省のマグル対策口実委員会が出した処理マニュアルが不発弾からガス爆発に戻された経緯を尋ねたんだが、不発弾とは何かというレベルで話が全く通じず困惑した」
「それは、申し訳ありませんが、レジー、私にもフォローのしようが」
オリオン・ブラックとヴァルブルガ・ブラックが使えない魔法使いであった事は知っているつもりだったが、正直想像以上で言葉が見付からない。無能である事は知っているつもりだったが、私の見通しは随分甘かったようだ。王と政府がこれで、よくイギリス魔法界は世紀末を迎える事が出来たなと逆の意味で感心してしまう。
予想の斜め下を突っ走っていた事態に狼狽える私に、咀嚼を終えたレギュラス・ブラックが苦笑を浮かべ、コカと呼ばれるスペイン風の冷たいピザを私の皿に盛り付けた。
「いや、フォローしなくていいよ。あの時の私は自分や両親が無知である事すら知らない、本当にどうしようもない人間だったから」
未だ多くの事は勉強中だが、マニュアルもガス爆発から不発弾に戻し、魔法界の建築物がどのように空襲から逃れようとしたのかも今は知っていると告げる。逃れたのではなく、逃れようとした、というニュアンスが非常にアレであるが、ブラック家の力も政府の助言も当事者に理解されなければ意味がないのだから仕方がない。
「お祖父様や曽お祖父様は、彼等も助けたかったんだろうけどね」
「再三警告して聞き入れなかったんだろう、なら教育不足からの自然淘汰と思うしなかい。防御呪文と追い払い呪文で高性能爆弾やバンカーバスターを回避出来ると信じ切るような成人魔法使いを生かしてどうなると考えた方が楽だぞ」
「個人の防御呪文と追い払い呪文って……姿現しする安全な場所を確保出来なかったとか、自分の手で掘った防空壕だから強度が足りなかったとか、そういう問題以前なんですか。そこまで酷かったんですか」
例え強化魔法を加えたとしても盾の呪文で防ぐ事が出来るのは精々ハンドガンまでで、追い払い呪文の効果範囲は十数メートルである。焼夷弾がないだけマシだが、メルヴィッドやエイゼルのような魔法使いでもこの2種類の呪文だけでは生き残る事は無理だ。魔法的攻撃でしか破壊出来ないとされる分霊箱本体でも粉微塵になる可能性が脳裏にチラつく。
「何だ、その辺りは詳しくないんだな」
「が魔法界を知ったのは去年の夏だよ。大まかな流れは掴んでいるけど、そこまで細かく把握はしていない」
レギュラス・ブラックのフォローと、ならば仕方がないと納得したアルマン・メルフワの反応を見て自身の勉強不足さを嘆きたくなったが、次いで説明された大戦当時の魔法使いの頭の残念さに表情が死んだ。
ヘクター・フォーリー魔法大臣が、当時登場したばかりの公衆電話を魔法省の入り口に採用しなかった理由をマグルの技術を厭う純血であるからと決め付け、自分は前大臣とは違う事を見せ付けたかったという余りにも阿呆な理由で採用したレナード・スペンサー=ムーンの眉間にアイスピックを突き刺したくなった。
ブラック家が彼を説得し、エンバンクメント駅に来客用の入り口を再設置させた事実だけで既に頭痛がして来たが、キングス・クロスやレドンホールマーケットに彼の上を行く無能が居た事を知らされ思わず唸り声を上げてしまった。
否、それでも、キングス・クロスの9と3/4番線は、まだいい。
空襲を受けたのが夜間であった為、非魔法界と繋がる場所から防御呪文を貫通して来た瓦礫の撤去や、爆風の被害で壊れたホームを修復するだけで済んだ。しかし、同時刻に被害を受けたレドンホールマーケットはどう考えても駄目だろう。あそこに店を構える漏れ鍋はパブである事以外に、宿泊施設とダイアゴン横丁との通路も兼ねているのに。
「直撃は免れたけど、50m北と東、150m西と南に高性能爆弾を落とされたから、数少ない宿泊客は酷い事になったよ。店主のトムだけ仕事で地下に居て助かったけど」
「店は崩壊し、死傷者多数。ダイアゴン横丁への出入り口も破壊されたのに、店主は無事。なのに責められるのは政府か、やってられないな」
「漏れ鍋以外の出入り口からも爆風や破片が飛来して来て横丁の住人にも被害が出たから、魔法省やブラック家への突き上げは相当だったらしいよ。曽お祖父様がドイツ魔法界と色々取り決めをしていて、マグルが空襲警報を出す前にロンドンへの空爆が判っていた事もあるのかもしれないけど」
「忠告に聞く耳を持たず自分の命は自分で守ると豪語して、被害が出たら結局それか。何処の国にも居るよな、その手の馬鹿は」
グラスに半分程注がれていたシェリー酒を一息で飲み干したアルマン・メルフワが心配になりコカを勧め顔色を伺うが、顔が赤くなっているのはアルコールではなくその手の馬鹿に対する怒りが原因であったらしく、子供である私が居た事を思い出したのかすぐに眉間の皺を消し肌の色を元に戻した。器用なものである。
まるで生きたタコのようだと思いながら皿の上の加熱されたタコ足を摘み、ふと今迄の会話に出なかった場所が気になったので質問をしてみる。
「聖マンゴは無事だったんですか?」
「無事だった、と言うよりも、最近まで聖マンゴはソールズベリーにあったから空爆の心配は無かったんだ」
「ああ、それなら心配もありませんね」
空爆される価値のない土地、ではなく、ドイツ空軍がソールズベリー大聖堂の尖塔を目印に空爆を行っていたので爆弾を落とされる心配がないという意味なのだが、まあ、そのようにして生き残るのも有りだろう。
「此処で懐を痛める必要がなかったのが、マルフォイ家が没落していない遠因の1つだな」
「医療関係はマルフォイ家が影響を与えているんですか?」
「そうだ。最初はノルマン貴族への影響から始まって何百年も貴族に関わっていたが、マグル界で商人が権力を持ち貴族が衰退し始めると医療系、特に貴族階級の次男以下が多い内科医辺りと親交を深めたんだ。とは言っても、現当主のルーシャスは金だけ出してマグルの方を向いていないから、何時破綻するか判らないが」
「アルマンはルシウスの事を嫌っているけど、ブラック家からしたら資金を出さずに口だけ出す没落一族より何倍も良いよ。研究機関や大病院に多額の寄付をして、自分は専門家じゃないから魔法使いの為に好きに使えって言える人は貴重だ」
去年見せたルシウス・マルフォイのアポなし訪問にうんざりしていた顔と適度に距離を置きたいと口に出した言葉がきっと本心なのだろうが、アルマン・メルフワはそれを打ち明けるべき相手ではないのだろう。
ルシウスをルーシャスと呼ぶ声に乗せられた感情が先程のダンブルドアに対してのものと同じで、家名を英語読みしている癖にラテン語名に擦り寄っているようで気に入らない、イギリス人は英語名でイギリス人らしくしていろと言っているようでならない。
「それに、ルシウスは去年の裁判でも、私の事を率先して助けてくれたから」
「そうか? 午前中に本人に会ったが愚痴を聞かされたよ。世間では進んでレギュラスを助けたように思われているが、今迄マルフォイ家へ売った恩を返す機会を与えてやると言われて嫌々弁護しただけだと」
「……あの人は、本当に」
「庇い甲斐がないんだよなあ」
食卓に肘をついて頭を抱えてしまったレギュラス・ブラックを誰が責められるだろうか。
ジョン・スミスにお馬鹿さんと評されたマルフォイ家当主様の無能具合は想像以上のようだ、そういえば預けていた分霊箱を勝手に持ち出して破壊していたし、金銭関係以外で特にリドルの役に立つ事もなかったし、最後の土壇場で陣営も裏切るような男であった。流石に私も擁護出来ない。
ルシウス・マルフォイは頭が悪い訳ではないのだが、何というか、私と同じように馬鹿なのだ。それがそこそこ微笑ましいと思うのがジョン・スミスで、何やってくれているんだと思うのがレギュラス・ブラックなだけで。
この程度でブラック家からお叱りを受ける事はないだろうが、このまま評価が下がり続けると向こうの世界の二の舞になりかねない。だからといって、マルフォイ家は断絶さえしなければどうでもいいと思っている私が何かする事はないのだが。
溜息を吐きながら顔を上げたレギュラス・ブラックと目が合ったので意味もなく微笑んでみると、何の脈絡もなくブニュエロ・デ・バカラオを食べさせられた。多分、餌付けをして心を癒やしたいのだろう。
干鱈のすり身とジャガイモで作られた、ふわっとしたさつま揚げのような料理を楽しんでいるとレギュラス・ブラックも次第に笑顔になった。私もルドルフ君の食事風景を見て笑顔になるので、理解も納得も出来る。
そこそこ大きな一口だったので時間を掛けて咀嚼している間に機嫌を直したのか、話題はマルフォイ家の駄目な子から空襲へと戻っていた。
「ブラック家は出入り口だけ地上に残して、居住部分は地下に埋める魔法省形式だったな」
「元々地下に作っていたセーフハウスに本邸の機能を移しただけだよ。当主とその家族がロンドンから離れるのは何事かって言われたらしくて。そんな事がなければウィンチェスター辺りに傍系が使っていた古い家を残してあるから、仮の本邸を構えたのに」
「イギリス人が口に出す古い家って何十世紀前の建築物だ」
「何十世紀って、ウェセックス王国の後期に建てられたから1000年と少し前のものだよ。ペストの時に避難したオックスフォードの屋敷と同じ位の年代かな」
「お前の家のスケールって偶にとんでもないよ」
100年、200年前の物を平然と新しいと言うイギリス人らしい言い草だな、と日本人の感覚で感心し、ブラック家が既に七王国時代から各王国の首都や軍事拠点で魔法界の為に暗躍していた事実は考えない事にした。
ブラック家の存在を日本で例えるのなら藤原氏が近いのかもしれないが、どの道私とは縁遠い存在である。1000年単位で生きた神様や妖怪なら実家に大量に存在するが、1000年以上名家であった人間の知り合いは居ない。
「スケールやイギリス人は関係ないよ、ちゃんと理由もある」
「ペストの流行時は国の行政機関や王族がオックスフォードに避難したから付いて行ったと判るが、戦時中のハンプシャーはロンドンから近いとか?」
「うん。それに、ウィンチェスターはポーツマスとオルダーショットとファーンボローからも適度に距離があった。空爆には巻き込まれないけど、情報は手に入る距離だ。司令部はロンドンだから、何にも代えがたい位に重要じゃないけど」
「今の時代でも主要基地として数えられる陸海空軍が揃い踏みか。だが屋敷が古い」
「古いけど遺跡じゃないよ、時代に合わせて何度も改築してる。第一、メルフワ家だってその頃から王族や有力者に取り入っていたのに」
「多少の記録はあるが、流石に当時の屋敷は跡形もないぞ」
藤原氏2号と心の中で呟き、空になった口の中にもう1つ、ブニュエロ・デ・バカラオを放り込む。これは私が口を挟める話題ではない。
「しかし、ロンドンには実務者だけじゃなく家族も居たのか。女子供は逃してやれば良いのに、ああ、だからあの空間か。お前のご先祖様方、ザ・ブリッツの時はサウス・アクトンに居ただろう」
「その頃の資料は隠してるけど、調べると判るんだね」
「あれはちょっとな、判りやすい。ロンドン郊外だから被害はまばらなんだが、あそこだけ1500m四方に全く爆弾が落ちていない事に気付いて笑った覚えがある」
「魔法使いは当たり前だけど、マグルにも死傷者を出さないように、ブラック家が総力を上げて調節したみたいだからね。代わりにガナーズベリー・パークが被害を受けたけど」
「酷い前例を作ってやったな。他の魔法使い達も、ブラック家と同じように出来ると思ったんだろう。人間の生死が関わっている事を自覚して情報を固めて訓練したプロの集団と、マグルの事をぼんやりとしか知らない個人なのに」
空から振ってくる爆弾に太刀打ち出来る筈もない、と苦笑したアルマン・メルフワは深い溜息を吐いて、同情じみた視線をレギュラス・ブラックに投げ掛けた。
「今も、魔法界はそんな輩ばかりだ。何処の国でもだが、特にイギリスは酷い。10年前の祭り気分が未だに抜けていないんだ。KKKみたいな格好のままマグル界にやって来て、相手の都合も考えず問題を起こして魔法界に逃げる連中が大多数だよ。この店に来る魔法使いみたいに、TPOを考えられる人間は少数だ」
「仕事の話、なのかな」
「まあな」
空になったままだったグラスに何杯目かのシェリー酒を注ぎ、二度目の乾杯を行う。
「連盟は、さっき言ったように大国の傀儡だ。極一部の大国の、更に上層部の利益の為にしか動かない。私は下っ端で何も出来ない。皺寄せは、お前のような立場の人間に来る」
「心配してくれるんだ、ありがとう。でも、この国の誰かがそうしなければならなくて、私はそういう家に生まれて、それを受け入れたんだ。貴族よりも貴族らしく振る舞いながら、精々仕事に取り組むよ」
今日のレギュラス・ブラックは、一体何度私を見惚れさせれば気が済むのだろうか。
去年、メルヴィッドと私の元に訪れた彼からは想像出来ないような立派な言葉に思わず吐息を溢してしまうが、しかし、それ以外の台詞が気になり、すぐに納得する。
貴族よりも貴族らしくと言った通り、ブラック家は貴族や王族のようなものであり、法的には一般人に過ぎない。そもそも、イギリスの魔法界に真の意味で貴族は存在しない、長く純血を保つ聖28一族も単にそれだけであり、別に爵位を持っている訳ではないのだ。
中世ならば宮廷で重用されるなどして非魔法界で叙爵される魔法使いも居ただろうが、その爵位は魔法界では役に立たない。特に、今の時代はそれが顕著だ。
何故そうなったのかは想像に難くない。大陸の爵位は兄弟全員が継承出来るが、イギリスは常に1人だけで、しかも継承順は決められていて終身と全く融通が利かない。非魔法界のイギリスの法ではブラック家のように馬鹿な兄と優秀な弟が居ても、では一族を繁栄させる事が出来る弟に家を継がせようとは行かないのだ。
ホグワーツには男爵を名乗るゴーストが居たが、どうせあれは正真正銘の貴族などではなく唯の呼び名だろう。魔法界独自の法を作るのではなく各々の家の状況に合わせられるよう法を廃した偉大な先人に感謝したい。
恐らく、アルマン・メルフワの名前に領地名がない事からフランスにも既に貴族は居ないか、イギリス同様貴族のようなものになっているのだろう。そして、ドイツは非魔法界同様に連邦共和国を名乗りながら、貴族が存在している。
全く奇妙な世界だと感じたが、表情に出すのは止めておこう。そのような空気ではない。
「……なんだか、逞しくなったな」
「褒めてもこの場で奢る位しか出来ないからね」
「止めろよ。私に奢らせろ、10代の若造に奢られる30代は人間として虚し過ぎる」
空になりつつある皿を見下ろし、更に料理と飲み物を注文しながらアルマン・メルフワがやんわりと微笑む。その視線は、思ったよりも温かい。
どうやら私が知らないだけで、レギュラス・ブラックには良い友人が数多く居るようだ。
彼がハウスエルフと2人きりで身を寄せ合っていた時には見向きもせず、こうして再び光の中に戻ってから優しい仮面を被り親密な間柄であったと相手や周囲に訴えかける演技を平然と行える、とても素晴らしい友人が。