曖昧トルマリン

graytourmaline

アーノルド・ベネット風オムレツ

 雨が上がったばかりの青い空の下を人々が行き交っている。
 穏やかな夏の日差しを楽しげに浴びる観光客の姿が目に留まり、景勝地である湖水地方とは真逆の洗練された華やかさが窓越しに伝わって来た。教会、博物館、マーケットにオペラハウスまで、多くの名高い観光名所を抱え込みながらも品の良さを保つこの土地の空気を肌で感じつつ、窓に映った自分の姿を見てそっと息を吐く。
 快活でありながら気品を失わない場所は画面や紙面越しに眺める程度の縁で、私のような田舎者の爺が実際出向くとなると不釣り合い極まりない。なのに何故、ガラスに映るサングラス姿の少年は上等に過ぎるお仕着せのスーツに身を包み、ロールス・ロイスの車内からグレーター・ロンドンのほぼ中心部を観光しているのだろう。
 同乗しているレギュラス・ブラックに、10代の少年同士のデートにしては気張り過ぎではなかろうかと柔らかく尋ねてはみたものの、返ってきたのは言葉ではなく美しい笑顔だけであった。ブラック家の当主様にとって運転手の付いた国産高級車でのロンドン観光は、勇み立っている訳でもなければ見栄を張っている訳でもないらしい。
 先日行く筈だったV&A美術館へ再挑戦するのかと思い、魔法界製の義眼を外しカジュアルな非魔法界用の装いでブラック家を訪問した途端に、クリーチャーの手で肌着から髪型、化粧や香水に至るまで念入りに整えられ着せ替え人形にされた数時間前の記憶が蘇る。正直、去年のクリスマスパーティの時でさえ、ここまで手間と時間はかけられなかった。
 サングラスにスーツの組み合わせはまかり間違うとエージェント・スミスやケビン・ブラウンのコスプレになりかねないのだが、きちんと良家の子弟に仕上げたクリーチャーの腕は流石としか言い様がない。そんな現実逃避をしながら、何の説明もない内にプライベートハイヤーとは決して気安く呼べない車に乗せられたのが30秒前。ナンバープレートから行き先はグリモールドプレイスから3kmも離れていない場所に建つ高級ホテルと予想が付いたのだが、色々な意味で不安しかない。
 隣のシートで長い足を組み、不慣れな環境に適応出来ずにいる私を眺めて可愛いなあと呟いているレギュラス・ブラックの指先が頬や髪を撫でるが、まともに反応を返せるはずもないだろう。正直、何を口にしても失言になりそうだ。
 庶民の感覚を置き去りにした現状は勿論なのだが、それ以上にリアルタイムで行われているであろう監視に対して万全の対策を施していない状況に冷たい汗が止まらない。仕方ないではないか、潜在的な服従の呪文の作成が予想以上に難解で滞っているのだから。せめてあと10日、否、1週間あれば。
「そんなに肩肘張らなくても大丈夫だよ。僕が一緒に居るから、ね?」
 寧ろ一緒だからこそ緊張しているのだとも言えず、眉尻を下げたままはっきりしない態度で頷くと、蕩けた笑顔を返された。表情筋を緩めてもだらしのない顔にならないのは流石であるが、その笑顔は是非、私ではなくグリーングラス姉妹に向けてあげて欲しい。
 レギュラス・ブラックに撫でられっ放しのまま王立裁判所の前を通り過ぎ、サマセット・ハウスが見えて来れば目的地は目と鼻の先である。イギリス国内で唯一と言われる右側通行の道路からエントランスに到着したロールス・ロイスはたった2人の乗客を降ろし、その役目を終えた。
 エントランスロードには普通にブラックキャブも停車しており、駅から徒歩でこのホテルにやって来るビジネスマンも少なくないのに、この距離でロールス・ロイスの送迎を選択する金銭感覚に目眩がして来た。ブラック家だから仕方がないと言えばそうなのだろうが、一生この感覚に慣れる事はないだろう。その疲労が、次の言動で吹き飛んだ。
「足元に気を付けて、濡れているから」
 各々の仕事を熟すホテルマン達へ感謝の言葉と共にさり気なくチップを渡しつつ、高級ホテル慣れしていない上に目も半分見えない私を気遣う少年の姿に息をのむ。
 裁判の時にも感じたが、レギュラス・ブラックのエスコートは繊細且つ紳士的で、受ける側の負担がほとんどない。付け焼き刃のものではなく、幼い頃からそう教育され、また彼自身が本当に相手の事を思い、考えて行動しているのだと納得させられる立ち振舞いだった。
 こうしてレギュラス・ブラックと接してみると、アークタルス・ブラックからでは判らなかったブラック家の新たな面が見えて来る。オリオン・ブラックやヴァルブルガ・ブラックは国という巨大な群れを統治出来ない無能だったようだが、極小の群れである家庭の中では良き父であり良き母であったのだろう。
 否、よく考えてみると、エスコートは兎も角チップの受け渡しに関しては両親の教育ではなくアークタルス・ブラックからで、しかも叩き込まれたのはつい最近だ。この辺りは訂正しておこう。
 国際魔法使い連盟機密保持法が施行されたのは17世紀末、非魔法界でチップという概念が生まれた時期は諸説あるものの、早くて17世紀、遅ければ18世紀になる。仮に17世紀前半に発生し流入して来た文化であっても、今現在のイギリス魔法界はチップ不要の文化圏なのだから、この子の両親がチップという概念を知っていたとは到底思えない。恐らくは紙幣すら知らずに生きて、死んでいったのだろう。
 この短期間で教育されたとは思えない一連の流れにただただ感動し、差し出された腕に導かれるままロビーへ足を踏み入れると、中で控えていた執事服の男性がレギュラス・ブラックの名を呼び丁寧な歓迎の言葉を口にした。格好や他のスタッフの態度から察するに、個人に雇われている執事ではなく、ホテルに勤務するスイートルーム付きの執事なのだろう。
 年少の私は会話に入れないので仕方なく漏れて来た言葉を脳内で組み立てると、どうやらレギュラス・ブラックはこのホテルに宿泊している人間に私を紹介したいらしい。きちんとアポイントメントも取ったのだが、先客との会談が長引いているとの事だった。
 では、その辺りで暇を潰そう。何せこのホテルが建つ場所は金融街とウエスト・エンドの中間点なのだ、ウィンドウショッピングのような洒落た事も出来るし、テムズ川沿いを軽く散歩をするだけでも十分有意義な時間を過ごせる、とならないのが高級ホテルだ。
 暇の潰し方は既に相手方から指定してあるのだろう。アフタヌーン・ティーで有名なホテル内のティールームに案内され、メニューを広げる間もなく紅茶とケーキのセットが運ばれて来た。しっかりとしたスポンジケーキにクリームとラズベリージャムを挟んだヴィクトリア・スポンジ、色鮮やかなチョコレート菓子、白い陶磁器のティーセット一式。きっと、至れり尽くせりとはこういう事を言うのだろう。
 先客との会談は然程長引かない予定なのか、それとも少なくなった頃を見計らってケーキも紅茶も追加されて行くのか、多分後者だろうなと当たりを付けつつ、恭しく頭を下げた執事に対し言葉と態度で礼をする。元々何処に行くつもりだったのかも判らないデートだったのだ、少しばかり多めの持ち合わせはあった。
 紅茶を注いでから先方の都合が付いたら呼びに来ると慇懃に言い残し、テーブルを離れる執事の背中を視線で追いながら、失礼にならないよう気を使いつつ周囲に居る他の客に怪しい点がないかざっと確認する。
 エリート系のビジネスマンから観光客、家族連れに老夫婦に若いカップル、女性だけのグループと、高級ホテルらしい上品さはあるものの、カジュアル寄りで客層が広い。
 服装によって割り振られる席に違いが出るようだが、ドレスコードも厳格ではなく、ノータイの男性も遠くの席に見受けられた。セミ・フォーマルからカジュアルまで、他人に不快な印象を与えなければ店側も入店を認めているのだろう。
 取り敢えず、この場には明らかに浮いた格好をしている怪しげな人間はいないと結論付けてレギュラス・ブラックに視線を戻すと、警戒心の強い小動物みたいだと笑われた。
「こういう場所は落ち着かない?」
「そう、ですね。縁がなかったので。少し緊張もしていますけど、レジーが傍に居るから、不安はありません」
 旅館ならば兎も角、ホテルは格式関係なく宿泊経験が皆無であるし、ティールームでのアフタヌーン・ティーも一応知識として持ってはいるが経験はない。中身は爺だが見た目が10代の少年である事を利用し何もかもが初めてだと正直に告げ、しかし貴方が居るから大丈夫だと続ければ、嬉しそうな顔をされた。
 ブラック家の当主様として言葉の裏を読もうとしないのはどうかと思うが、純粋で素直な少年として見ると、この反応は本当に可愛いらしい。
 こちらの表情も自然と綻んでしまうが、レギュラス・ブラックのように誰にでも見せられるような笑みではない。誤魔化すようにケーキを口にすると、一瞬にして脳波が乱れるのが判った。自分自身の脳波を見る方法を持ち合わせてはいないが、今この瞬間だけは確実にそうなったと断言出来る。
 見た目と味が直結していて、素朴で甘く、何より重い。スポンジが既に甘く、クリームとラズベリージャムは当然甘い、美しく見せる演出なのか、更に上から粉砂糖がデコレーションされているので4段構えの甘さが延髄と脳に直撃する。
 決して不味い訳ではない、ただ、シンプルに甘いのだ。日本の食べ物はシンプルに塩辛いので西と東で方向性が真逆なだけだ、多分。
 紅茶で口の中の甘さを胃へ送り、今のは何かの間違いだったと脳と延髄を誤魔化していると、同じくケーキを口にした後でティーカップを手に取ったレギュラス・ブラックが穏やかな声で味の感想を述べた。
「オリジナルブレンドかな、美味しい紅茶だね」
「ええ、そうですね」
 ケーキの味には一言も触れない辺り、レギュラス・ブラックもこの甘味は許容範囲外だったらしい。彼の舌を育てたのはクリーチャーなのだから、この反応は判らないでもない。
 カップをソーサーに戻したレギュラス・ブラックが室内のピアノに目を留め、そう言えばホテルの隣に劇場があるとおもむろに口にしたが、私の顔付きがあからさまに変化したのを見て軽く吹き出した。
「後で観ようって誘おうと思ったけど、にオペラはまだ早いね。トラファルガー広場を散歩してから、ナショナル・ギャラリーにでも行こうか。それとも少し足を伸ばしてソーホーに行ってみたい?」
 この辺りだとウォレス・コレクションとセント・ジェームズ・パーク位しか行った事がないだろうと告げられ、さてどう返答しようかと逡巡する。
 アークタルス・ブラックよりも判り辛い変化球を投げられ、見逃すべきか打ち返すべきか迷い、結局投手の正面へ打ち返す事にした。見逃した所で、後になって何故スルーしたのかと問われるだけだろう。
「あの、レジー。これって貴方に試されていると思って挑んだ方がいいのでしょうか」
「何故君を試す必要が?」
 とぼけている風ではなく、心から不思議だとレギュラス・ブラックの表情は語っていた。恐らくだが、盗聴先ではリアルタイムで突っ込みの嵐が吹き荒れているであろう。
 レギュラス・ブラックはとても良い子だ。繊細で優しくて、こんな子が存在するのかと自分の居る場所が本当に現実なのかと疑ってしまうような良い子なのだが、もうちょっと情報の扱いについて慎重になった方がいい。駄目人間たる私にそう思われるのは、ブラック家当主どころか人間として大分まずい。
「私は確かに、メルヴィッドに引き取られる前にウォレス・コレクションへ社会見学へ行きましたし、セント・ジェームズ・パークで遠足もしましたが……その、レジーにお話した事は一度もありません」
 ウォレス・コレクションにしても、セント・ジェームズ・パークにしても隠している訳ではない、私の経歴を洗えばすぐに出てくる情報だ。その辺りは別に良いのだが、貴方の過去を探りましたと無意識に口にしてしまうのは色々と駄目である。
 あ、と言ったきり、レギュラス・ブラックは血の気の引いた顔色をして口を閉じた。先日のアークタルス・ブラックとは真逆の、心に全く余裕がない少年の態度が可哀想になったのでちゃんとフォローしてあげよう。
「ソーホー、という事は、先日のB.I.C.の会話も?」
「ごめん、本当に。君の望まない事をして」
「いえ、いいんですよ。だったらきっと、テントでの会話も知っていますよね」
 謝罪を続けようとするレギュラス・ブラックの言葉に無理矢理被せ、私に対して謝ってはいけないと釘を刺した。
「レジーも一緒ですよ。私は、貴方を信頼しています」
「……本当にすまない、でも、君を守りたい。僕は、君を守りたいんだ」
「ええ、そうですね。私にとって、レジーの取る手段の正誤や善悪は一切の意味を持ちません。だから、お願いですからそんな酷い顔をして自己弁護をしないで下さい。私はレジーを責めていません、そんな事をしなくてもいいんです」
 あの粘着質で冷たい笑みを浮かべながら、迷子になった幼子のような痛々しい姿を見せられると存分に甘やかしたくなってしまうが、当主としての振る舞いをかなぐり捨てられても困る。この場がもっと砕けた行為が許される場、或いはプライベートな場であれば抱き締めて誤魔化す事も出来たのだが、高級ホテルのティールームはそのような場所ではない。
 これ以上私がフォローしようとしても悪い方向へ流れる事しか想像出来ない。となると、有効な手は限られてくる。
「ねえ、レジー。ソーホーは少し距離がありますし、もっと時間の取れる時にしませんか。アップルマーケットとジュビリーマーケットなら正面の通りを挟んですぐですから、私はそちらに行きたいです。観光客が沢山居るかもしれませんが、今日は月曜日だからアンティークの市が立っているんですよ」
は、話を逸らすのがとても下手だね」
「下手ですよ。けれど、レジーの自傷行為を止める為ならば、知性も恥じらいも格好良さも全部纏めてそこのテムズ川に捨ててやります」
「それは困るな。僕は君の知的な所も、恥じらう所も、格好良い所も全部好きなんだ」
 胸の重さを取り払う為なのか、レギュラス・ブラックはチョコレートを1粒摘み、味を確かめてから僅かに眉を寄せて、表情と私達の間に流れていた空気を変える。
「判った、君の希望を叶えるよ。あの辺りは飲食店も多いから、どうせならランチも一緒に取ってしまおう。スタンダードなものならフランス料理かイタリア料理、隣のローストビーフの専門店。それともチャレンジして珍しい国の料理にする?」
「珍しい国の料理が食べたいです」
ならそう言うと思った」
 ジャマイカ、ペルー、メキシコ、ベトナム、日本、挙げられる料理の中でも特に最後の国に懐かしさを覚えるが、続いた言葉に湧き上がった郷愁を蹴り飛ばした。
「後は、そうだな。タパスの専門店もあったよ」
「タパスにしましょう。私、タパスが食べたいです」
 イギリスのタパスは伝統的なそれとは随分かけ離れているらしいが、レギュラス・ブラックの舌は信用出来る。これだけ重くて甘い物を口にしたからなのかは判らないが、今日は手軽に色々なものが摘めるスペイン料理の気分だ。
 ちょっと格好が固いが、まあ、大丈夫だろう。このような場所にある専門店ならば逆の意味のドレスコード違反にはならないだろう。
「そうやって嬉しそうにして貰えると、勉強した甲斐があったと思えるかな」
「勉強したんですか?」
「本邸はこの近くだけど、少し前まで僕は向こうのルールに雁字搦めで、こっちに詳しくなかったから。色々な角度で物事を見る事が出来なければ家を継げないってお祖父様が叩き込んで下さったんだ」
「私、レジーとアークタルス様のそういう所、大好きです」
 ホテルのスタッフに悟られないようぼかしながら語られた内容に、ああ、矢張りアークタルス・ブラックかと納得しつつ、それでも反発せず吸収したレギュラス・ブラックは偉いものだと素直に称賛する。年若いメルヴィッドだけでは先導出来ない部分も多いが、その辺りは全て前当主が補っていた。
 年寄りの役割とは、本来こういうものなのだろうなと考えつつも、私には不可能なので諦める以前に考えない事にする。不得手なものに手を出しても事故が起こるだけだ。
 まだ危うい所は多いが、それでも従来の考えを改めて新しい道を歩み始めたブラック家の当主様に心の中で乾杯をしていると、先程の執事が畏まった表情で私達のテーブルに近付いて来た。どうやら、先客の相手が終わったらしい。
 一口だけ齧られて残されたケーキは勿体ないが、未練もない。テーブルを離れた私達を先導する燕尾服の背中を眺めながら、さて誰に会うのだろうかと不安が蘇る胸の内を自覚しつつ黙って足を進めた。
 これだけ猶予があったにも関わらず、レギュラス・ブラックが相手の事を口にしないのならば、訊ねない方がいいだろう。態々蛇が出る事を知っていて藪をつつく必要はない。どの道、もうしばらくすれば蛇の素性は判るのだ。
 上下の移動はなく、ティールームから少し離れた場所にプライベートルームを集めた一角があった。見取り図を詳しく見ていないので判らないが、配置からすると最も小さな部屋だと予測出来るドアの前で執事が案内を終える。ソーサラー、日本語に訳せば魔法使いと名付けられた部屋だった。
 現在の部屋の主と執事がドア越しに会話を行い、入室許可が下りる。やや硬いドイツ語訛りの英語で、音楽的な印象を与える声質、どうやら相手はドイツ語圏の成人男性らしい。
 レギュラス・ブラックに促され先に部屋に入ると、ワインレッドで整えられた部屋の中央に鎮座する円卓が目に入り、次いでそこに座る5人の男性に目を大きく見開く。5人の内、半数以上が知った顔だった。
「何で、メルヴィッドとエイゼルが、アークタルス様まで」
君、初めまして。私はリヒャルト・グラーフ・フォン・ドールという者だ。ドイツ連邦共和国魔法省所属、現在は外交使節としてイギリスに駐在している」
「あの、はい。リヒャルト・ドール伯爵、ご拝謁賜り誠に……」
「そのように固くならずとも良い、こちらに来て楽にしてくれ給え」
 グラーフという爵位持ちの貴族に対してどう対応すべきか、英語で話しかけられたのだからドイツ語ではなく英語でいいのか、そもそも何故この場にメルヴィッド達が居るのか、誰に何を問えば私でも理解出来る答えが返ってくるのか。現状を把握しきれず唯でさえ混乱している頭の中を、ドール伯爵が更に掻き乱した。
「結論から話そう。君を我がドイツに、私個人の養子として迎え入れたい」
「……なんで」
 馬鹿な上に低能さが丸出しの台詞だ。けれど、そんな台詞しか出て来ない。
 心音が速い。急激に血圧が下がり、顔が青白くなって行くのが判る。この場から逃げるべきかと考えるが、逃げてそれでどうなるのだろう。杖は鞄の中ですぐには取り出せない。メルヴィッドとエイゼルは此処に居る、そして、片方は真面目な表情で、もう片方は不満そうな顔をしている。私が呑気に紅茶を飲んでいる間、この場で何が行われていたのだ。
 受け入れられない現実から距離を取る為にこの場から一歩下がろうとして、背後を塞がれている事を思い出す。両肩にレギュラス・ブラックの手が置かれ、柔らかく優しげに聞こえる声が先程聞いた言葉と同じような台詞を耳から脳に吹き込んだ。
「お願いだ、。どうか頷いて。僕達は、君を守ろうとしているんだ」