曖昧トルマリン

graytourmaline

ピーチクランブル

 先程、録音は何処まで進んでいただろうかと少し考え、エイゼルが天才の実力を遺憾なく発揮して呪文を多重展開している事が判明した所だったと思い出した。
 ヘビィ・スノウ1と名乗るアメリカ訛りの子供の声が呪文効果外へ私を誘導して欲しいと打診したのだ。その要望に、コバックスと名乗る女性司令は軽い溜息を吐いていた。
『再打診してみるよ……ボス、こちらコバックス。魔法障壁の破壊は不可能。障壁の有効範囲はTGT1-βから半径2フィート、TGT2を引き離す事を希望します、以上……ヘビィ・スノウ班は任務続行、TGT2がディセプションの魔法有効領域外になった場合は即時連絡、こちらから指示を出す。クロス・ウィンド9、ボスとの交信時にノイズが入った』
『盗聴やウイルス汚染の可能性はありません。この雑音は内部の魔法網……ああ、B.I.C.の正規利用が複数発生して負荷が一時的に高まったのが原因です』
『ありがとう、それなら安心出来る。さてと、フォッグ班の様子はどうかな』
『ディセプションが足引っ張ってますね。化け物級のマルチタスク持ちでも限界はあるみたいです、ボスと会話しながらTGT2を庇って、杖無しの無言呪文を多重展開ですから。この出力なら25秒後に全ゲートが強制開放しますがこちらが余裕を持って先手を取れる、いえ、レベリオ・マキシマの展開確認、ボギー出力大幅増、全ダミーゲート消失! 出力増のままフォッグ攻撃班と近接戦闘開始、10秒持ちません!』
 あれで強化呪文なしって正気なのかと悲鳴が上がり、一気に緊迫感が増した音声に耳を傾けながら指先で緑の文字列をなぞる。
 直前のエイゼルの呪文を見てみると、監視側の言葉通りレベリオにマキシマが加えられていた。罠や迷路を一々丁寧に攻略するのに飽きたのだろう、寧ろここまで全く火力に頼らなくてもこの組織と対等に渡り合えていたエイゼルの実力が本当に怖い。
 強化呪文を付与しただけで焦燥する子供の声に対して、女性の声は落ち着いて指示を出している。彼女はエイゼルが本気でない事を予想していたのだろう、あらかじめ回収班を編成し警戒領域に待機させる能力はあるようだから。
『フォッグ待機班、回収。ハリケーン班はバックアップに回って』
『フォッグ7よりコバックス。全班員回収、負傷者軽微。現在緊急離脱中。ボギー追撃して来ます、接触まで23秒』
『各班員負傷率情報を受信、フォッグ1とフォッグ4は推奨稼働率到達まで25秒。設置した魔法障壁及びデコイ、ウイルスの一部破壊を確認』
『フォッグ2とフォッグ3、デコイに。反撃するなよ、サポート寄越すから逃げろ。それ以外は安全領域まで退避。ハリケーン班は迂回ルート増設。フォッグ5からフォッグ9はデコイ役の支援に入って。よし、良い子ちゃんだ、餌にきっちり食い付いてきた。ハリケーン班、TGT1-βの進行方向に魔法障壁を多重展開。背後がガラ空きで襲いたいけど攻撃は禁止、確実にトラップが仕掛けてある。コバックスからサンダーボルト、Ara_h1の抗免疫魔法の展開確認』
『サンダーボルトからコバックス、ワクチンの使用確認出来ず』
『解析途中で纏めて強引に焼き切ったか、こっちの手を読まれたかもしれないな。コバックスからサンダーボルト、保持していたAra_h2タイプのウイルス破棄』
『サンダーボルト、了解』
『フォッグ1、復帰します。稼働率91%』
『フォッグ4も復帰です。稼働率93%』
『フォッグ1は破壊された障壁、フォッグ4はデコイの破片を回収。破壊される直前までのTGT1-βの対応ログをサンダーボルトに分析させて』
『ハリケーン1です。ボギーの足止め完了、全障壁突破まで80秒±10秒予測』
『こちらフォッグ5。フォッグ2から追加支援要請、フォッグ3も振り切る前にスタミナ切れします。フォッグ1かフォッグ4の復帰を打診します』
『却下する、戦力の逐次投入は避けたい。けど、時間も足りないか……せめて倍の時間稼げれば、くそ、見誤ったな。障壁対応中なら嫌がらせにジャブだけ打つか。コバックスからサンダーボルト、TGT1-βへ囀り女とアイスクリームボックス、ホッピングポット4.1を注入』
『サンダーボルト、了解。ウイルス注入完了まで残り5秒』
『ハリケーン班は』
『緊急入電、フォッグ4からコバックス。サンダーボルトへの転送を一時中断』
『了解、フォッグ4。報告して』
『見た目はデコイの破片と代わりありませんが、結合子がなく魔法的要素が安定状態の存在を発見しました。新型ウイルスノカノウイテイワ]\フニIヲレツ+ャ]ン』
 一瞬、録音がバレてジャミングをかけられたかと思ったが、そうではなかった。
 エイゼルの処理に頭を悩ましていても決して声を荒らげなかった女司令の息を呑む音が聞こえ、次いで張り上げた声が耳に入る。
『緊急事態! ヘビィ・スノウ班任務中断、フォッグ1、フォッグ4、サンダーボルトを独立状態後に封印凍結!』
『コバックス、こちらヘビィ・スノウ1。フォッグ1、フォッグ4、サンダーボルトの封印及び凍結完了』
『ヘビィ・スノウ1、レベルEで攻撃性魔法障壁全開。フォッグ1、フォッグ4、サンダーボルトの順でウイルスチェック開始。ハリケーン全班員とヘビィ・スノウ2以下は解析魔法出力最大、最短距離で攻撃を仕掛ける。コードB024、攻撃対象TGT2』
『ハリケーン1、ウィルコ。総員復唱、よし、こっちに続いて。ヘビィ・スノウ2、カウントダウンお願いします』
『ヘビィ・スノウ2、了解です。こっちも班員の準備整いました。5秒後に仕掛けます。タイマー表示、カウントダウン開始』
 成程、何故彼等が突然私に魔法を仕掛けたのか、データ上では判らなかったがこういう経緯があったのか。
 尋ねはしなかったものの、TGT2は私の事で確定だろう。無知と無防備を併せ持った私を守るのは、対処方法を心得ているエイゼル自身を守るよりも遥かに難しい。相手の戦力は幾分か削ったが、2人分の安全に気を配りながらの追撃は骨が折れる。
 それでもエイゼルはやり遂げられる実力を持っているが、自身以外で唯一大切にしていると吹聴する私を危険に晒す真似はしないと彼女は踏んだのだろう。例えそうならなくても、作戦内容自体は暗号化され決行前に周知されていたようなので、私を巻き込んだ状態で危ない橋を渡った場合は即アークタルス・ブラックへ通達する仕組みが出来上がっていると思っていい。エイゼルにとって私はその程度で切られる存在だと知られるのは、今はまずい。
 となれば、エイゼルが取る選択肢は決まっている。そして私は腹を十字に割いて、今日の昼間に起きた不祥事を詫びるべきだ。
 これは足手まといでは済まされないだろう。自分の顔が白くなって行くのが判る、血圧の降下具合が先程の比ではない。
「そんな死人みたいな顔しなくていいのに。が馬鹿だって事は知ってて、それでも一緒に行動してる意味を考えてみなよ」
「エイゼルもメルヴィッドも、なんでこんな爺に甘いんですか」
「辛く当たる必要が見当たらない」
「君には優しく接した方が見返りが大きいから」
 年甲斐もなく泣きそうだと漏らすと、慰めたい訳じゃない面倒だから止めろと両者からとても素直な言葉を送られたので堪える。
 行儀悪く鼻を啜りながら、それでも音声から取得した情報で思考を試みる。既に私の手には負えない迷惑をかけているが、その迷惑を彼等が許してくれるからといって思考停止するのは違うだろう。ここはちゃんと、頭を切り替えるべきだ。
 食卓で会話を続けている間にも会話は流れ、私への攻撃が始まってすぐエイゼルが追撃を放棄して強固な防御壁を築いた事が報告されていた。
『ボギーの出力89%減、完全沈黙まで20秒±5秒予測。事前予想通り、攻撃目標をTGT2へ変更してすぐに防御へ入りましたね。数秒粘った様子が見られますけれど』
『ボス、こちらコバックス。コードB024発動、TGT1-βは攻撃を中止、防御態勢に移行、以上……逃げ切れたのは嬉しいけど、こっちが形勢不利になったらTGT2を人質に取るって学習させちゃったからなあ。でかい抑止力が味方に居るから大丈夫だと思うけど』
『コバックス、TGT1-β沈黙しました。既存ディセプションの消失確認』
『ヘビィ・スノウ2です。プロテゴ系とフィニート系の新規ディセプション展開確認、監視及び集音魔法がウイルス感染したので破棄、現在再設置検討中ですがデコイがテント周辺を哨戒してます。でも駄目な意味で突貫ですね。粗が目立つから攻めます?』
『ただの勘だけど、それ罠っぽい気がするなあ。第一、魔法的に攻めたらさっきの繰り返しになる、TGT1-β相手に持久戦は選択したくない。仕方がないけど、手の内晒すよ。監視出来ませんでしたって報告出してボスが納得してくれるとは思えないし』
『お給料減らされちゃう?』
『それだけならいいけど、寝ている間に体重も4分の3オンス減っちゃうかもね。ヘビィ・スノウ2、解析出来た分だけでもデータ送って。フォッグ2とフォッグ3、待たせてごめんね、帰還を許可する。お疲れ様、推奨稼働率に回復するまで休んで。他のフォッグ班も小休止。ハリケーン班は既存ルート消去後、Eタイプで新規ルート作成、コード006』
『機械でやるのに魔法も使うんですか? さっきの繰り返しになるって言ったのに』
『こっちにもディセプションは必要だからね。貴方は怖いけど魔法を使った見張りは絶対諦めてないよってアピールしておかないと。匙加減はそっちに任せるよ』
『判りました。頑張ってみます』
『うん、宜しく。という訳で、ヘビィ・スノウ5からヘビィ・スノウ9はN4態勢B.I.C.経由でで出撃。ヘビィ・スノウ2からヘビィ・スノウ4はヘビィ・スノウ1の支援。未知のウイルスだから全員レベルEで攻撃性魔法障壁全開で行くように』
『すみません。こちらヘビィ・スノウ1、攻撃性魔法障壁は大丈夫そうです。今データ送りましたけど、デコイと障壁に仕掛けたワクチンは作成し終えました。両方共、一回性の直接攻撃型、自己増殖しないシンプルなタイプです』
『クロス・ウィンド9です、ヘビィ・スノウ1とヘビィ・スノウ2からのデータ受信確認しました。画像に出力します』
『確認した、報告ありがとう。ヘビィ・スノウ1からヘビィ・スノウ4はフォッグ1、フォッグ4、サンダーボルトの順でワクチン注入後に走査まで宜しく頼むよ。さてと、走査完了までサンダーボルトを落とさざるを得ない状況が痛いな。フォッグ5からフォッグ9はサンダーボルトの代役お願い。TGT1-βが仕掛けて来る可能性は少ないと思うけど、もしもそうなったら休憩中のフォッグ2とフォッグ3を呼び戻して』
 魔法ではなく機械で、という事は指向性のマイクロフォンでも出て来るのだろうか。テント内ではエイゼルが攻撃を始める前から盗聴や窃視魔法が乱舞していたので、据え置き型の機械が配置されている筈がない事は判る。
 新たな盗聴方法が何であれ、準備を行わずに即出撃に移った事と、移動に魔法の使用を許可していた事を併せて考えると、機材はあらかじめ現場に設置されていたと考えていい。観戦用のテントも私達が来る前に用意されていたので位置取りや調整は容易だろう。
 初手が駄目ならば次善、それが駄目ならば三善の策。コバックスと呼ばれる司令役の女性は策士としては二流だが、そもそも策を持たない三流以下の私よりも遥かに使える人間だ。
 ボスことアークタルス・ブラックに盗聴方法の変更を報告している様子を流し聞きながら20世紀に流通していたショットガンマイクロフォンの性能データを漁っていると、程なくして音声と映像が復旧したと報告が上がり、ウイルス感染した2名も復帰する。
 そう、2名だ。
 何となくおかしいと思っていたがが、矢張りサンダーボルトと呼ばれた存在は生物ではないらしい。唯一番号付きで呼ばれず、応答にも柔軟性が見当たらなかったのでエージェント機能かそれに類似した何かなのだろう。メルヴィッドの能力を活かす為、雑務に専念する私のようなものだ。尤も、あちらの方が何倍も使い勝手がいいようだが。
 今日何度目かの自身の駄目人間振りを再確認しながら、昼間の天候や風向き、テントの入り口面積やクリケットの競技エリア、選手の位置を考慮しつつ、ショットガンマイクロフォンを使用した場合の状況をシュミレートしてみると、音質は相当劣化するが会話そのものは問題なく聞こえる場所を幾つか絞り込む事が出来た。しかし、絞り込んだ所で後の祭りにも程がある。
 ハーブティーを飲み、アヒージョを摘んでいるとモノリスの向こうから何かが弾けるような音が聞こえた。姿現しと似ているなと感じたが、どうやらそのものだったらしい。
『コバックス、あの、お手紙が来たんですけど』
『え、私宛に? 誰から?』
『ウィルソン・マローンというか、ウィルソン・マローン経由で、TGT1-αから提案が』
『提案ってどんな……はあ!?』
 ああ、此処か。
 ゆっくりと画面から視線を逸してメルヴィッドを見てみると、隠すつもりもないのか開き直った表情をしていた。次いでエイゼルに視線を移すが、こちらは呆れている。
「言い訳する気はないみたいだね」
「なんだ、申し開きでもして欲しかったのか?」
「いいや。でも念の為に確認しておきたい事はあるかな。さっき話題に上げた、君がブラック家から受け取った手紙の内容なんだけど」
「お前が想像している通り、本日開催された盗聴会の招待状だ。但し、聞いていた場所はブラック家の書斎だから、この司令室の場所は知らない」
「逆探は?」
「出来ると思うか?」
 これまでの会話から、TGT2は私、TGT1-βはエイゼルである事に疑いの余地はない。その中で、新たに出て来たTGT1-αが誰なのか予想が付かない阿呆はいない。
 αとβで割り振られているのは、この2人が同一人物だとアークタルス・ブラックは確信しているのだろうか。否、相手が相手である。何かしらの証拠を既に掴んでいて、確信しているのだろう。トム・リドルについて調べているのならば、そのような結論になってもおかしくはない。予想の範囲内である、確信に至っている事を外部の私達に未だ語っていない事を除けば。
 共に出て来たウィルソン・マローンにも大体の当たりは付いた。こちらはクリーチャーのコールネームなのだろう。ただの連想ゲームに過ぎないが、ウィリアム・マローンという名前の監督が、何年か前にクリーチャーという映画を撮っていた。ウィリアムの息子ウィルソン、ウィリアムによって作り出された存在。尤も、タイトルの綴りはKREACHERではなく、ごく一般的なCREATUREであったが。
 という事は、この司令は非魔法界文化に詳しいのだろうか。否、名付けたのが彼女とは限らないので早とちりはまずい。この辺りは保留にしておこう。
『怖いなこれ、魔法界で育たなかった魔法使いってこうなるんだ。そりゃあカンブリアの屋敷も落とせないよ。でも本当に容赦ないな、TGT1-αってTGT1-βの事嫌いなの? 確かに報告書には病室で喧嘩したとか、そんなに仲良くないとは書いてあったけど。ああでもこれなら音質改善するし今後も役に立つなあ』
『どうしましょう、乗りますか?』
『あっちは王子様も同席中だったよね』
『同席中ですけど、TGT1-α相手じゃなくてもあの人は信頼出来ません。そりゃあ、血統は完璧ですけど、監視役としては無能です』
 クリーチャーが居るのなら、当然レギュラス・ブラックも居るだろう。それは予想の範疇なので別にいいのだが、あの子は身内からも色々駄目な子扱いをされているらしい。
 まあしかし、まだ10代半ばの少年で、周囲にはアークタルス・ブラックやメルヴィッドが居るからそう悲観する事はないだろう。
『TPOを考えずに真実を口にすると血反吐を撒き散らす事になるかもしれないから注意しておこうね。今は音量落としてるからボスには聞こえないけど、私達を監視している誰かが居るかもしれないよ』
『……秘蔵のチューインガム出したら許して貰えるかな』
『貰えないだろうねえ。賄賂や買収が監査部にバレた日には冗談抜きで消されるよ、素直に謝罪した方がいい。いざとなったら私もフォローするからさ。さてと、ウィルソン・マローン経由なら罠って事はまず考えられないし、ちょっと露骨な点数稼ぎかな。通信傍受系の魔法も見当たらないし、有難く使わせて貰おう。ハリケーン1とハリケーン2、新しいお仕事だよ。残りの班員は2人のバックアップ態勢に移行』
 一体何を提案したのか疑問に感じるのは当然だろう。メルヴィッドが彼等に渡した魔法の詳細が記された画面を受け取って、眺め、長い溜息を吐いた。
「唯でさえ碌でもない会話だったのに、ノイズ混じりの音声など聞いていられるか。大体、科学技術が追いついていなければ魔法を使えばいいと言ったのはお前だろう」
「確かに覚えはありますけれど」
 この屋敷内に設置された赤外線センサーも大分アレであったが、こちらも相当酷い。
「レーザーマイクロフォンを作り出すとか、ルーモスの応用の幅って広過ぎませんか」
 杖先から不可視のレーザー光を照射し、反射してきた振動を自動演算して音声に変える。言葉にすればそれだけだ。
 ルーモスは光を作り出す魔法なので、強化呪文と魔法使いのセンス次第で光学現象を起こしたり、光学機器の代わりになるという理屈は理解出来る。ただ、発想が完全に魔法使いのそれではない。否、その理由付けの為にメルヴィッドは非魔法界の大学に進んだので一応の説明は多分出来るだろう。例え、薬学部卒でも。
 その内ノリで大出力のレーザー兵器を作り出しそうだが、その時はその時だ。別にやりたいなら作ってみればいい。メルヴィッドやエイゼルが作らなくても、きっといつか、誰かが作るだけだろう。
「本当、余計な事をしてくれたよね。従来の防御呪文は光を透過するから、これからブラック家と会う時はノックスの併用が必然になった訳だ」
「嫌なら重力を操作して空間そのものを曲げてもいいぞ」
「そっちの方が疲れるじゃないか。まだ鏡の壁を作り出した方がマシだよ」
 ワイン片手に重力操作魔法を疲れるの一言で片付ける天才の会話は無視する事にしよう。ルーモス怖い、誰か光科学の専門家を連れて来るか編入して来いと悲鳴を上げているモノリスの方がまだ私の考えに近い。
『もうジョイスが大学再受験すればいいじゃん、理工学部卒だから大丈夫だよね』
『うん、全く大丈夫な要素がないかなあ。私の専攻は情報工学だからね? あと作戦行動中はコバックスって呼ぼうね』
 ジョイス、そしてコバックス。もしかして、マリウス・ブラックの言っていたアメコミ好きのジョイとは彼女の事だろうか。自警活動を行うダークヒーローっぽさもなければ、極右思想も見当たらない。犬も同性も嫌っている様子もなく、指もへし折らず、豆の缶詰と角砂糖で生きている感じもないが。
 きっとウォッチメンというか、ロールシャッハのファンなのだろう。確かに彼にはある種の魅力が溢れている、諸々の理由で絶対に知り合いにはなりたくないが。
 彼女もスクイブなのだろうか、アークタルス・ブラックが去年の冬に読んでいた本の持ち主かもしれないと、割とどうでもいい事を考えながら今迄の会話を思い出しつつ、使用された魔法に再度目を通す。
「何かあった?」
「いえ、防御一辺倒で何もないのが不思議だなと。この後も仕掛け直した様子がありませんし。エイゼル、貴方これ、本気出してませんよね」
「矢っ張り判るものなんだね」
 白焼き用の塩檸檬を直接口にして燻製のしつこさを打ち消していたエイゼルが笑った。
「諦めた訳でも、相手の居場所に見当が付いた訳でもないよ。ただ、これ以上は誰の利益にもならないからね。面白くも、楽しくもなくなるし」
 面倒臭くて詰まらない事態は嫌だと言いつつ、摘んでいたグラスをゆっくりと一回転させて揺れる赤い水面に黒い視線が注がれる。
「全力を出して監視先の場所を発見してしまったら、宣戦布告した以上全面戦争に突入しなければならない。そうなれば私は真っ先にブラック家が君を人質に取った事を暴露する、したくなくても、立場上しなければならないんだ。となると、保護者である以上メルヴィッドも私の側に付かざるを得なくなる。こちらに付かなければメルヴィッドは里子を愛していると都合の良い言葉だけを吐く裏切り者だ。更に下手をしたら、ブラック家の中で前当主と現当主の内戦が始まって折角固めた地盤が空中分解するよ」
 その状況になって誰が高笑いするのか、考えなくても判るだろうと言われ無言で頷く。
 本音と建前を使い分けつつ腹を探り合い、空気と話の行き着く先を読み合い、落とし所を各々模索する。よくもまあ、これ程面倒な事をやれるものだ。
「現状上手く回ってるから、監視を無視しても良かったんだけどね。そうなると、ブラック家の反吐が出そうなやり方を認めた事になる。彼等を利用したい君とメルヴィッドはそれでいいかもしれないけど、私は嫌だ。と言うより、私が嫌だ」
 自由気ままに振る舞いたいけれど、その為に全てを台無しにするのは我慢ならない。自分の利益と全体の利益を秤にかけて上手くバランスを取るのは大変だと愚痴るエイゼルは、しかし少し楽しそうに見えた。
 ワインを飲み干し、残り少なくなったグラスにビールを継ぎ足している途中で、ふと何かに気付いたのか綺麗な形の人差し指が天井に向けられる。
「ああ、そうだ。此処だよ、のファインプレー」
「どこですか?」
 上へ向けられていた指が軽く曲がり、モノリスを指す。その先では、エイゼルが大人しくなったので別の仕事に取り掛かっていた監視者達が頭を抱えているようだった。
『記憶の採取が出来なかった?』
『はい、階段下の物置にゴーストは存在しませんでした』
『ちょっと待とうか。ダドリー・ダーズリーのゴーストが、存在しない?』
『しません』
『クロス・ウインド9、これ使って魔法省の動向を検索。期間は過去6ヶ月』
『これ大臣専用のアクセスコードじゃないですか。あ、前大臣のですね。凄い、生体情報から魔法コードまで全部ある、どこから盗んで来たんですか』
『ボスがくれたから詳細は知らないし、探らない方がいいよ。で、現大臣のものじゃないけど、ちゃんと入れた?』
『日付の認識領域にちょっと強めの錯乱呪文かけたら行けました。この6ヶ月の霊魂課の動きを洗いましたがサリー州の家は重要案件と見做されていないので放置されています。当時は例の飲酒死亡事故騒動で一時的に呪われた子供の住んでいた幽霊屋敷として盛り上がったようですが、現在は沈静化しているのでほぼ手付かずだったようです』
『サンダーボルトが紙面の検索結果出しました。ええと、1月10日の予言者新聞の夕刊にダドリー・ダーズリーのゴーストに関連した記事が書かれています。この時点では存在していたかと思いますけど』
『……オーケイ、皆喜べ。お仕事増えたよ』
『まだ増えるの!? また増えたの!? もうヤダ!』
『メイスの出処もまだ確定してないのに!』
『何時ものお仕事したい、キャビネットとかIRAとか盗聴してたい!』
『不満大爆発の混乱中ですけど、ウィルソン・マローンから連絡です。TGT1-αがレジリメンスを教えたのは8月初旬で間違いないそうです。当時の記録漁れますか?』
『前の住居もかなり強力な阻害魔法がかかってて確認は無理って報告上がってたよ』
 物事を先読みした訳ではなく、物凄くどうでもいい理由からダドリー・ダーズリーのゴーストを移動させていたファインプレーよりももっと突っ込みたい台詞が満載だったが、よく考えてみると王族たるブラック家がイギリスの行政機関やテロ組織の動向を知らない筈がないので深く考えるのは止めておいた。
 ここまで来れば、後は大した事を言っていないのだろう。エイゼルはモノリスを停止させてから指先を唇の前で合わせ、いつものポーズを取りながらとても綺麗な笑顔を浮かべた。
「で、メルヴィッドはどうするのかな」
「今後の事もある。が不必要と判断しようが、お前は必要だ」
「もう少し明確に」
「……ブラック家がお前を消す為に動いたら、情報だけは流してやる。逃亡を手伝う事は出来ないが、事前準備の助言程度なら出来るだろう」
「敗走は許してくれるけど、攻勢に出たら殺すって事か。まあ、そうだろうね。私が君の立場でもそうするよ」
「お前の相手は骨が折れる。敵対しない事を祈りたいものだ」
「大した抑止力だよね、君も、私も」
 仲良しごっこをもうしばらく続けると確認しあった4つの瞳が私に向けられ、さて、と話を区切られる。彼等の表情は、純粋に楽しげだった。
「そろそろ甘いものが食べたいな」
「今日のデザートは何だ」
「ブラックベリーのゼリーと、レモンとミントのシャーベットです」
 鰻尽くしで口の中が脂っこくなると予想していたので、本日は甘酸っぱくさっぱりとしたデザートを用意したと言うと、これだけは間違えないから安心だと双方から褒められる。
 杖を振ってテーブルの上の料理を入れ替えながら、そういえば今日のあれこれをユーリアンに伝えなくてよかったのだろうかと考えると、顔に出たそれを正確に読み取ったエイゼルが彼は宿題中だと言った。
「暇そうだったから、盗聴してた奴らの居場所を探って欲しいなってお願いしたんだ」
「顔を見せない理由は理解しましたが、そんな柔らかい言い方をしたんですか?」
「当たり前じゃないか、可愛い弟なんだから」
 完璧に整えた笑みには胡散臭さが全く見当たらないにも関わらず、これ以上ない位に怪しげに見えてしまった。恐らく煽られた上に乗せられたであろうユーリアンに同情し、後で手伝ってあげようかと口にすると、私が何の役に立つのかとメルヴィッドに指摘された。
「グレムリンを大量雇用しているブラック家系列の企業の調査程度なら。運が良ければそこから辿れるでしょうから」
「待て、自己完結させるな。お前が何を言っているのか理解出来ない」
「グレムリンって、あの映画の?」
 光に当てるな、濡らすな、真夜中に食事を与えるな。そんなルールを科した映画をこの間見たなと思い出しつつ、そちらは映画用に作られた設定だと笑う。
「20世紀初頭に発見された、悪戯好きの可愛らしい魔法生物ですよ」
 ヨーロッパの魔法生物にしては珍しく、機械関係、特に航空機に強く、見た目はジャックウサギに似た二足歩行の魔法生物。好物はチューインガムだがキャンディ等の甘い菓子も大好きなのだと説明するも、そうじゃないと遮られた。
「何処からその単語が出て来たんだ」
「何処も何も、普通に今の会話からですよ」
 文章化した先程の録音の中から幾つか単語を拾い上げ、画面の中で強調させるがそれでも2人は理解出来ないといった表情を浮かべる。彼等は成績優秀だが、魔法生物に関してはそれ程強い興味を持っていないらしい。
「ボギーって、そういう魔法生物の総称じゃないんだ?」
「ああ、シェイプシフター系の。私も最初はニックネームかと思ったんですが、コバックスとサンダーボルトは、貴方の事をボギーって呼ばなかったんですよ」
 エイゼルをボギーと呼称したのはアメリカ訛りの子供の声だけだった。しかし、魔法生物のボギーはイギリスに多く生息している。訛りのない英語を話し、中々砕けた態度を取っているコバックスがそう呼ばないのは少しばかり妙だ。
 となると、ボギーは魔法生物的な意味ではなく、アメリカ空軍で敵機を指す隠語と捉えた方が理屈は通る。更に、ハリケーン1とコールサインを割り振られた者はラジャーではなくウィルコと返答した。こちらは無線用語で受信した指示を実行するという意味になる、普通の魔法使いや魔法生物はまず知らない単語だ。
「あとコールサインが不吉なんですよね。濃霧に台風、大雪、横風、落雷ですよ。航空機に迷惑かける気満々じゃないですか」
「物的な証拠はないんだ、欺瞞の可能性は?」
「勿論あります。なので、運良く当たればそれで良し、程度ですね」
「ふうん」
 何か思う所があるのか、手を止めて沈黙したエイゼルの代わりに、メルヴィッドが呆れと感心を混ぜた表情で、私はこれだからと溜息を吐く。
「気に留めた事はなかったが、魔法生物学にも強いのか。そういえば、あの蛙の正体も早々に見破ったな」
「教科書通りの型に嵌まった純血種ならば、そこそこは。逆に他種族の血が混ざると駄目ですね、ルドルフの事は全く判りませんでしたから」
「例えそうだとしても、お前はこういう所があるから捨て置けないんだ」
「貴方達は優秀ですから、興味を持てばすぐにこんな爺の知識を追い越しますよ」
「一生に一度、役に立つかも判らない学問を必要以上に勉強する気はない」
「然様ですか」
 無理に魔法生物の知識を増やせとは言うまい。彼等に興味がなくても、私が興味を持っているのならいいのだ。その為の、協力関係でもあるのだから。
 メルヴィッドの考えは聞いたので、ではエイゼルはどうなのだろうと視線を向けると、何やら難しい顔で考え込んでいた。持っていたスプーンを置き、更に数秒の沈黙の後、エイゼルは無邪気な笑みを浮かべてユーリアンを手伝う必要はないと断言する。
「そっちの方向で調べてみてよ。君のやり方を見てみたい」
「構いませんが、ブラック家相手なので高確率で失敗するし、時間も掛かりますよ。あと、私の作業は基本的に凄く地味です」
「華やかさを求めてる訳じゃないよ、君の思考や方法を通しで見てみたいだけだから。上手く行かなくてもそこそこ結果を出したらご褒美を上げようか」
「判りました、余り期待せずに待っていて下さいね」
 言い終わった後に大きな欠伸を溢してしまい、今日はもう眠った方がいいと双方から優しい言葉をかけられた。何時も甘えているが、今日も甘える事にしよう。元々、本日は色々と駄目な日だったので後悔をするだけしたら、無駄な事をせずに就寝する予定だったのだ。
 後片付けは明日の朝に回すので、適当にシンクに突っ込んでおいて欲しいとだけ告げてダイニングを出ると、テラスで毛繕いをされていた筈なのに何故か泥だらけのルドルフ君が居た。前足が特に汚れているので心ゆくまで穴を掘っていたのだろう。私には勿体ない程頭も性格も良い子なので、庭の心配はしていない。
「楽しかったですか?」
 魔法で綺麗に泥を払い、土とローリエの匂いがする体を抱き締めると一声だけ吠えて勢いよく尻尾を振られた。
「折角の休みなのに、余り構ってあげられなくてごめんなさい。お詫びになるかは判りませんが、一緒に寝ましょうか」
 私の言葉をちゃんと理解しているのか、もう一度吠えたルドルフ君を連れて階段を登り、必要な支度をした後で自室のベッドへ潜り込む。子供1人と大型犬1匹が横になっても十分に余る主寝室のベッドに更にもう1体、お客様が追加された。
「ルドルフはカーミット君が大好きですねえ」
 繕い直して少しは綺麗になった蛙のぬいぐるみをいつものように私に押し付け、甘えた仕草で擦り寄って来る姿は完全に子犬のそれである。
 少し離れた場所ではギモーヴさんが目を閉じたままいつもの態勢で鎮座していて、隣には継ぎ接ぎだらけのスノーウィ君がつぶらな瞳を輝かせている。奥で眠る物言わぬリチャードの白い骨壷をしばらく眺め、私も脳を休ませる為に目を閉じた。
 全く、今日は本当に長い一日であった。