曖昧トルマリン

graytourmaline

皮蛋と豆腐の中華サラダ

『それでお前は、次にあの男を取り込むのか?』
「いえ、その気はありません」
 公園の一角に佇む樹の幹を背に、降り注ぐ初夏の木漏れ日の下で、新聞のクロスワードを眺めている風に装いながら視界の下方で浮遊する画面に向かって呟いた。
 SOUND ONLY 01と表示されている、何処ぞのアニメーションに登場するモノリスによく似せてしまったモニターからは文字通りメルヴィッドの音声だけが私に届くよう設定されている。ダーズリー家の拷問に使用したモニターと同様の技術と魔法を駆使して作った、ハンズフリーの携帯電話みたいなものだ。
 著作権だとか、魔法で近未来科学的な要素を補うだとか、色々な方向でもう何でもありだと思われるかもしれないが心配ない、私も混沌振りに拍車が掛かっていると思っている。
 しかし別段悪い事でもないので科学も魔法も発想力次第で対等に並ぶ良い例だと思って流しておこう。著作権的な外観については、もう開き直るしかない。仕方がないだろう、格好良いと思ってしまったのだから。きっと大丈夫だろう、個人利用の範疇に収めているし、何といってもモノリスも大明神にまで上り詰めた神様なのだから器は小さくないはずだ、少しくらい自身に似たような何かが現れても許してくれるであろう。
 話が逸れたのでいい加減戻そう。先日、やっとあの一家から永遠に解放され、知らない内に舞い上がっているのかもしれない。
『だが今日もはそうして、リチャードとかいう男を待っている。今のお前には保護者が存在しない、あれに里親の話も来ているんだろう』
「来ていますよ、しつこいくらいに」
 私の内心など知る由もない冷静なメルヴィッドの言葉からも判るように、あの日の深夜、ダーズリーの夫妻はこの世から消えた。
 傲慢なバーノン・ダーズリーは妻に肉塊にされ、夫殺しの狂気に走ったペチュニア・ダーズリーは警察に射殺された。今読んでいる新聞にも無差別毒殺事件の続報のおまけとして、前日談である当時2人の仲がどれ程険悪だったかを下品な言葉で綴っている。どうせ噂好きの近隣住民が発生源だろう、どれもこれも碌でもない人間ばかりだ、私を含めて。
 そんな碌でもない人間筆頭であるダーズリー夫妻の葬儀は、ロンドン郊外の寂れた墓地でつい先日行われた。バーノン・ダーズリーは人の形を失った姿からか火葬され骨粒となり、ペチュニア・ダーズリーは服の上からでも判る程雑な解剖をされたのか、切り開かれた肉が重なり合わない形で縫い留められていた。涙を帯びた手向けの花が一輪もない、単なる義務と好奇心で集まった寄せ集めの葬儀であった。
 一連の事件が一つの区切りを迎えたその日には、当然墓所の入り口に品性の欠片もないマスコミが押し寄せ、葬儀を終えた好奇心旺盛な近所の下衆共が少しでも目立とうと我先にと挙ってコメントをカメラに向かっている姿は酷く醜いものだった。彼等は誰一人として、ハリーも私も助けてはくれなかった唯の、そして最低な傍観者達であった。
 バーノン・ダーズリーの血縁者であるマージョリー・ダーズリーもその下種の最たる存在で、自分の事は棚に上げ、あれは昔から酷い弟だったと口汚く罵った。それだけなら彼女の品性を落とすだけなので私にとってどうでもいいが、マージョリー・ダーズリーは可哀想なハリーを引き取りたいとカメラに向かって宣言した事に関しては度肝を抜かれ、次いで本気でこの女も殺してやろうかと考え巡らせたりもした。私は今でも、あの時湧き上がった殺意は悪くないと思っている。
 目撃者、そして通報者として夫妻がどうこうよりも私を守る為に参列していたリチャード曰く、私の目は知能を持たぬ羽虫でも見るような据わった目をしていたらしい。しかし、私から言わせて貰えば彼も相当感情の抜け落ちた表情をしていた。事件を担当した警察関係者も同様に。
 警察関係者の中では一番物腰の柔らかい初老の男性がそれとなくどうするかと問いかけたが、当然あんなのに養われるのは御免だと突っ跳ねた。幾ら無能な警察でも、あの女と私を書類で結ぶのは教育上宜しくないと判断したのか、可哀想な子供を引き取り養ってあげる優しい女、として扱われたかったらしいマージョリー・ダーズリーの考えは本人の思惑を他所に満場一致で却下された。
 尤も、警察の場合は私の身を案じていたというよりも寧ろ、これ以上変な人間に関わって人死が出たら首が幾つあっても足りなくなる、という事だと思うが。実際、最近のマスコミのお気に入りは保護監査官と警察への突き上げとハリーの死神振りを面白可笑しく書き立てる事だった、全く自分達の事は棚に上げてよく言うものだ。
 もうこれ以上の面倒は御免だと保護監察官側が総力を上げて何とか関係を解消させる手掛かりはないかと探した矢先、マージョリー・ダーズリーが近所の軍人に懸想して接近禁止命令を食らう寸前だったとか、ブリーダーとして飼っている犬が何匹も虐待死していたという事実を突き止めた時には心底安心したに違いない。同時に、人でなしの牌を引く確率が異常に高いハリーに対しても慄いただろうが。私がいうのも何だが、この子の血縁関係は何処も彼処も腐っている。
 それを気にしたのか哀れに思ったのか元々そういう気だったのかは判らないが、今度は私を救ってくれたリチャードが里親として名乗りを上げてくれた。気持ちは嬉しかったが、残念ながらこれも受け入れる訳には行かなかった。
 一つは、私は既に将来的にメルヴィッドに保護される予定である事。もう一つは、私と深く関わり合うとダンブルドアに目を付けられ、何をされるか予想出来ない事。特に後者はダンブルドアの部下の、ハリーへの接し方を見る限り対人スキルは最悪である。更にリチャードは魔法使いではない事を考慮すると、どこまで行っても事態が好転するとは思えない。
 彼には、たとえどんな風でも、彼のままでいて欲しいのだ。
 私の、英雄のままで。
「本人や施設、それに周囲の人間から話を振られる度に断っていますが、彼等は押せば私が首を縦に振るとでも思っているのか諦めてくれないんですよ。以前にも言いましたが、私はメルヴィッド以外の人間に長期間保護されるつもりは毛頭ありませんよ」
『……ならいい』
「とはいっても、メルヴィッドもまだ学生に満たない身分ですから随分先の話でもありますね。まあ、迎えに来てくれる日を気長に待ちますよ」
 傍らに置いてあった鉛筆を手に取り、装いだけだったクロスワードを解いてみようかと考えたが、思い直して止める事にした。どうも、そういう気分ではない。
 2分遅れで動いている公園の時計が3時半を回ったがリチャードが来る気配はまだない。彼の場合は常に待ち合わせは5分から10分程度遅れて来るので、今の所、特に心配するような事はなかった。
 これがたとえば、20分も30分も遅れるともなれば、何か事件に巻き込まれたのではないかとか、もっと言えば、ダンブルドア側の魔法使い達に何かされたのではないかと気が気でなくなるのだが。
 どうにも彼は、普段仕事で気を詰めている所為か、私生活は少々ルーズであった。
『具体的にはどうやって断るつもりなんだ』
「ひたすらに拒否ですかね。恩人である彼に手荒な事はしたくありませんから」
『近頃猟奇殺人ばかりしている化物の台詞とは思えないな。いや、この場合は類は友を呼ぶと言った方がいいか?』
「さて、何が類で何が友なのやら」
『態とらしく恍けるな。お前の事だ、気付いているんだろう』
「……ええ、多分」
 モノリスの向こうで、メルヴィッドの目付きが鋭くなったような気がした。例のモニターを駆使して盗撮したのか、直接家捜ししたのか、机上の推理なのかは不明だが、メルヴィッドがリチャードの表沙汰に出来ない隠し事に気付いたという事は、恐らくダンブルドア側も気付いているのだろう。
 矢張り、これ以上リチャードとは親しくならない方がよさそうだ。彼と出会ってまだ1ヶ月も経っていないが、彼の身と私の精神の安定の為にそろそろ手を引くタイミングを測らなければならないだろう。
「それでも、彼は私の英雄ですから」
『ならば勝手にしろ』
「メルヴィッド」
『何だ』
「忠告、感謝します」
『……愚か者め』
 どのようなつもりの警告だったのかは判らないが、恐らく私の事を心配してくれているのだろう、と好意的に解釈してみる。メルヴィッドは取り返しが付かなくなる前に早く縁を切れと告げると、声と共にモノリスも消えた。同時に、遠くにリチャードの姿が見える。
 彼の目が良いのか、新聞を読んでいるハリーの格好が目立つのかは判らないが、リチャードはすぐにこちらに気付いて駆けて来た。彼の纏う雰囲気がどうにも労働犬的なので、ただ走ってくるだけのそれが微笑ましく思えてしまう。屈んだ彼の頭を抱き締めて、髪の毛をぐちゃぐちゃにしながら甘やかしたい。
「ごめんね、ハリー。待ったかな」
「私が時間より早く来ただけですから」
 新聞を畳んで立ち上がると、ブラウンの瞳がまさか読んでいたのかと問いかけてくる。
「クロスワードを解こうと思っていたんですけれど、全然判らなくて」
「ああ、成程。そうだったんだ、でも」
 ショルダーバッグに入れようとした新聞は笑顔で取り上げられ、雑巾を絞るように握り潰された。一応あれは施設から持ち出した物なのだがしかし、よく考えてみると昨日の朝刊なので別に構わないかと結論に達する。どうせ持って帰ってもゴミになるだけである。
「こんな下品な物は、見ない方がいい」
 どうやらリチャードは読んでいた新聞がゴシップと下世話な内容で有名な大衆紙であった事が気に食わなかったらしい。そういえば、1度だけ足を踏み入れた彼の家に置いてある新聞は、高級紙ではないが中道右派の比較的真面目な新聞であった。彼にとって私が手にしていた新聞は、フィッシュ&チップスを包む袋紙以上の価値はない。
 だから、何の躊躇いもなく笑顔でそれを捨てた。
 彼は、時折このような行動をする。他者の気持ちや場の空気が読めない、読もうとしない人間だが、私とは少々違ったタイプで、自分の主義を貫き過ぎる人間、と呼ぶべきであろうか。けれど、それだけ強い信念と正義感、そして行動力を持っていたからこそ公的機関に虐待を報告し、狂人から私を救う英雄的行為を可能にした。
「リック。私は自分で歩けますよ」
 笑顔で私を抱え上げる姿は他人から見れば歳の離れた従兄弟同士か、叔父と甥の関係のように見えるのだろう。兄弟として見られるには、ハリーとリチャードの外見は大分懸け離れていた。血の繋がらない兄弟ならば、或いは、そう見られるかもしれないが。
「いいじゃないか、君はもっと大人に甘えるべきだ」
 子供を甘やかす事が出来て上機嫌なのか、調子が少し外れた鼻歌を歌いながらリチャードは公園の外に向かって歩いて行く。仕事柄なのか、趣味がガーデニングとランニングだからなのか、彼は見た目よりも筋肉質で、外の空気に晒された硬い皮膚をしていた。
 ハリーの体も、順調に鍛えればこのくらいにはなるだろう。扱う武器が武器なので理想としてはもう少し下半身に筋肉を付けたい所ではあるが、こればかりは実際にメイスが出来上がって来ないと調整が効かない。幸い、メイスは記念メダルやトロフィーを作っている適当な業者を見つけ既に発注済みで、後は完成を待つばかりであった。
「……リック?」
「なんだい」
「道が違いますよ」
 思考を逸らしている間に予定していた方向とは違う道をリチャードが歩み始めた事に気付き声を掛けるが、リチャードは柔らかい笑顔を浮かべたまま別の道を歩き続け、目に付いたらしい店の中に入り手に持っていた新聞を捨て、更に店の奥に歩いて行った。
 今日はこれからダドリー・ダーズリーの墓参りの予定で、リチャードもそれを承知しているはずだったのだが。
「待たせたお詫び。飲み物でも奢るよ」
「いえ、でも私が早く来ただけですし。以前も奢っていただいたので」
「子供は遠慮をしない。さあ、今日はどれにしようか」
 ペットボトル飲料の自動販売機前で硬貨を持っていたリチャードの動きが一瞬静止し、すぐに思い直したように隣のパックジュースを販売している方へと移動する。実は以前にも、全く同じ行動を彼は私の前で起こした。
 普通ならば従兄を毒殺された子供に対しての配慮と取れるのだが、今までの行動や前述の通り、彼は他人の境遇や気持ちを理解しないか、したとしても無視する傾向が強い人間だった。その彼がペットボトル飲料だけは頑なに避ける理由に、1つだけ心当たりがある。
 私が聖マンゴの隔離病棟患者を皆殺した日、ペチュニア・ダーズリーから受け取った飲料を捨てたものと同じ心理、と言えばいいだろうか。もしくは、ダドリー・ダーズリーを殺した日にメルヴィッドが画面越しに見たという、あの男性。
 今日メルヴィッドに忠告されるまでは、単に最近の事件の所為でペットボトル飲料を避けているだけ、という可能性の方が遥かに大きかったのだが。
「ハリーは何にする?」
「……では、リンゴを」
 パイナップルが印刷された紙パックを持ったリチャードがボタンを押し、陳列されていた内の1つが受け取り口まで落ちてくる。後で施設の誰かにでも渡そうと考えながら屈んで目的の飲料を受け取って礼を言うと大きな手が力強く頭を撫でた。もう片方の手は、少し強いのではないかと思うくらいに紙パックを握っている。
 そういえば、先程の新聞で読んだ何人目かの毒殺事件被害者の飲んだペットボトル飲料は蓋は開いておらず注射器のような物で毒を混入されていたらしい。穴は粘着力の低い、透明なボンドで塞がれていたそうだ。ただ、あれはリチャードの言う通り下品なゴシップを主とした新聞なので話の真偽までは定かではないが。
「ハリーは、何故だと思う?」
「何がですか」
「毒殺される被害者がいなくならない訳を。勿論、犯人が止めない事が一番の原因だろうけど、それ以外の理由もあると、私は思うんだ」
 唐突のようで、実はそうでもない話題。ブラウンの瞳が私の持っている果汁飲料を眺め、次いで私の瞳を見つめて意見を促した。6才児に対するものではなく、対等に会話出来る知能を持つ者に対しての瞳だった。
「……私が言っていいものか判りませんが、最近の被害者は、同情の余地がない愚か者だとは思います。モラルや常識、それに報道内容を理解出来ている方は被害に遭う事なく警察に届け出ているようですし。これだけ沢山の方向から危険だと言われているのに、身に覚えのない飲み物を『私だけは大丈夫』という感覚で飲む人達にも問題があると」
「私も同感だよ」
 即座に返答をしたリチャードは変わらず上機嫌で、また私を抱き上げて頬擦りをする。剃り残しの髭が、少しだけ痛かった。
「それじゃあ、行こうか。そうだ、ハリー。来週の7月31日、君の誕生日だって聞いたよ。プレゼントをしたいんだ、何か欲しいものはあるかな」
「何も……私は、何も要りません」
「だから、子供は遠慮しないで」
 しかし犯人の手口は、報道が繰り返される度に悪質になって行くという。
 メディアが犯人に有益な情報や専門家の意見を全国的にバラ撒いているだけなのだが、彼等がそれに気付いて自粛する様子は一向に見受けられない。視聴率さえ取れればそれでいいのは、何処の国でも変わらない。被害者もまた全く学習をしない、否、今言った通り学習をしないからこそ被害者になるのだが。
 だからこうして無差別テロとも呼べるような事件を引き起こす犯人は、今日ものんびり月命日の墓参りになど行くというのに。