曖昧トルマリン

graytourmaline

苺のショートケーキ

 大晦日の夜は蕎麦に決っているだろう、という完全に日本人の感覚で蕎麦粉のパスタをメインとした夕食後、デザートにと林檎と洋梨のシャルロットケーキを差し出すと何故かメルヴィッドに首を傾げられた。
『シャルロットケーキ、お嫌いでしたか?』
「いや、初めて見た食べ物に好きも嫌いもない。ただ、今日の食事とデザートは妙に力が入っていないか?」
 普段よりも良質の茶葉を使ったミルクティーを注ぐ隣で、切り分けられた1ピースに躊躇いもなくフォークを突き刺すメルヴィッドは、ケーキと呼ぶよりムースのようだなと言いながらも嬉々としながらシャルロットケーキを食べ始める。
 喜んで貰えるのは嬉しいのだが彼の行動に違和感を覚え、壁のカレンダーを確認する。間違いなく今日は12月31日であった、本日付けの新聞にもちゃんとそう記されている。
 老いた脳細胞の所為で記憶障害でも出たのだろうかと綺麗にシミ抜きまでされたピーター君に尋ねてみるが、当然返答はない。背後でメルヴィッドが私の奇行を鼻で笑っていた。
 どうにも可怪しい。
『え、あれ。メルヴィッド、今日って貴方の誕生日ですよね? しかも書類上では18歳の誕生日ですよね?』
「……そういえばそうだったな。ケーキの味が落ちる、忘れろ」
『二言目には忘れろですか』
 失態だ。どうやらメルヴィッド、この世界の彼は自らの誕生日を快く思っていなかったらしい。今更誕生日を有難がる年齢でもないのは確かだが、忘れろとまで言われるとは思ってもみなかった。思い込みはいけない、完全なリサーチ不足である。
 一応誕生日プレゼントなるものを用意したのだが、この様子では受け取って貰えなさそうだ。否、換金可能な物品なので駄目元で渡してみようか、こんな物を買うくらいならそのまま現金を寄越せと言われそうでもあるが。
 ピーター君の隣で思考を右往左往させる私を見兼ねたのか、メルヴィッドが呆れたような目で左手を差し出してきた。右手でフォークを持ったままというのは些か行儀が悪いが、美青年がやると絵になる構図である。まあ、美形の行動は何だって絵になるのだが。
「お前の事だからどうせ没個性的な実用品だろう、貰ってやる」
 クリスマスプレゼントにポッター家の財産を用意できない私は代わりとして万年筆をプレゼントしたのだが、その前例が功を成したらしい。羽根ペンよりも書き易いと言う点でメルヴィッドも今のところ愛用してくれている。
 最近、彼は排他主義的な言動を頭からしなくなっていた。以前に比べると、ではあるが非魔法界の製品もそれ程違和感なく受け入れているのだ。
 それが喜ばしい事なのかは私には判断出来ないが、一度捨てた世界を別の側から再確認するのも悪くはないと思い始めている彼のその思考には好感を覚える。興味がある内に知り、嫌になったり飽きたりすれば、また捨てればいいのだ。時代が進んで変化した物に触れてみると言う経験も、後々何かの役に立つかもしれない。
 そんな余計な事を考えながら宙に浮く杖を振って箱を差し出すと、過剰とまでは行かないがプレゼント用に包装された六面体を受け取ったメルヴィッドが軽く首を傾げた。箱としては小さいが、それでも手の平よりは大きい。
「思ったよりも重いな……時計か?」
『開ける前に、しかも一発で正解当てないで下さいよ』
「没個性的な実用品を否定しなかったお前が悪い。成程そうか、時計か」
 銀のリボンを外し、ダークグリーンの包装紙を破って立派な化粧箱と対面したメルヴィッドは、更にその蓋を開けて中にすっぽり収まっている箱を取り出す。
 そして赤い瞳がロゴマークを見て一言。
「スイスの時計にドイツの万年筆、高価と呼ぶ程高価ではないが、それでもは一体何処から金を出しているんだ? 強盗でも働いたのか?」
 随分と人聞きの悪い事を言われた。
『強盗や窃盗は共通認識出来る資産の殺害という点で見知らぬ他人の命よりも重いですよ。ただ、最重量級の殺害対象は記憶ですから、それと比較すると人命も資産も紙屑みたいなものですが。そのプレゼントはここ数カ月、普通に内職して貯めたお金から買ったんです』
「いい加減飽きて来たからお前の性質が根本から崩壊していると一々報告するな。それで、何故内職なんてしていたんだ、そこまで暇だったのか」
『ダドリー・ダーズリーに飲ませるジュースも必要でしたし、纏まった金銭が手元にないのは後々不自由すると思いまして、ハリーの体で学校に通っている時間が勿体無く思って杖にやらせていたんですよ。内職は基本的に簡単な仕事ですし、雇用体系も審査も甘いですから隠蔽工作が楽なので』
「そういう事か。ところで私は時折、貧民思考のお前がそちらの世界の純血一族出身である事を忘れたくなるのだが、どうすればいいと思う?」
『忘却術でも使いますか。あの呪文は大嫌いなんですが、知らない訳ではないので』
「冗談としては最悪の返し方だな」
 その呪文によって狂わされた私の半生を知っているメルヴィッドは、皮肉っぽい笑みを口元に浮かべながら箱の蓋に手を掛ける。カコン、と軽い音がして現れたのはシルバーのベルトに黒い文字盤の、ごく普通のフォーマルな腕時計。
 一応調整済みではあるが、ベルトのサイズを見るために腕に嵌めたメルヴィッドは満更でもないような顔で爺のセンスだなと口にした。実際、私は若くないので肯定する。
『しかし、メルヴィッドは何でも似合いますね』
「選ぶ側としては楽だろう」
『私の不精思考もお見通しですか……確かに貴方の好みをよく知らない以上フォーマルを選べばまず間違いない、というのは爺のような人間には楽です。その分、他人のプレゼントと内容からセンスまで丸被りしそうですが』
「好みをよく知らない、か」
 静かな音を立てて時計が外され、箱の中に戻されて行く。化粧箱の中に時計が収まった所で、微かな疑問を孕んだようなメルヴィッドの目が私を見た。
「今更だが、お前は両世界のダンブルドアは全く違う者と判っていて復讐をするのに、養父であった私に対しては同じ接し方をしないのだな」
『顔と名前以外は明らかな別人ですからね。メルヴィッド以外にも、ハリーにだってあんな接し方をしていませんでしたよ。寧ろダンブルドアに対してが異例なんです』
「異例は特別とも言い換える事が出来る」
『特別。そう、特別なのかもしれません。私は枠内で優劣をつける事が出来る優秀や平凡という言葉は好きですが、そもそも枠外の特別や異常といった類は好きではないんですよ』
「異常者の台詞、らしいと言えばらしいか」
 それからメルヴィッドは口を噤んでしまい、再びフォークを取りケーキを崩しにかかる音だけがダイニングに響いた。手持ち無沙汰な私はというと、早々にキッチンで洗い物を始める。洗い物とはいっても肉体がないので杖を一振りして終わりなのだが。
 冷蔵庫の中を確認すると、正月用にと伊達巻、栗きんとん、蒲鉾の三点がしまってある。味見をさせた所、メルヴィッドは栗きんとんをパンに付けて食べるのが好みらしい。日本版マロングラッセのようなものなので、組み合わせとしてはありだろう。
 さて、12月はかなり重いものばかり作って来たような気がするので、そろそろ胃に優しい食事にするべきだろうか。まだ醤油も味噌もないので塩ベースの鶏や蟹のちゃんこ鍋や、ブイヤベースのような鍋物がいい。流石に自家製豆腐を作って湯豆腐を出したら未知の食べ物に気味悪がられて変な物を出すなと殴られそうだ。
 鍋やスープ以外なら朝食に粥か。七草粥や茶粥は嫌厭されそうだが中華風の玉子粥や薬膳粥なら食べてくれるかもしれない。
「碌でもない事を考えている顔だな」
『おや、貴方の食事の事ですよ』
 ケーキを食べ切るには早過ぎると思いテーブルの上を確認すると、案の定シャルロットケーキが半分程残ったままだった。もしかして中のババロアがくどかったのだろうか、それとも体が冷えてもう要らなくなってしまったのだろうか。
 冷蔵庫を閉めながら若いからと言って彼の胃を過信したと後悔しようとして、どうにもそうではないような事を彼の醸す雰囲気で理解した。メルヴィッドは食事中に席を立つ事こそない訳ではないが、洗い物をしている私の元に来るなんて事は一度もなかった。
 しかも、こんな思い悩んだ顔をして。
 鈍い鈍いと言われる私だが、所謂このような子供っぽい感情というのは人並み程度には察する事が出来る。中身が爺だからなのか、逆に子供の時分から全く成長していないからなのか、そこまでは流石に解らないしあまり解りたくない。
 後ろ手に時計の箱を持ったメルヴィッドが何とも居辛そうに私の隣に立つ。どう言葉を切り出そうか持ち前の頭脳を駆使して考えているのだろうか、彼の頭脳はこの手の事に対してあまり効力を発揮しないのだが緊張で思考が麻痺しているらしい。
 食事以外では余り見せてくれない可愛らしさに口元を軽く綻ばせる。このままでは話し掛け辛いだろうと冷蔵庫に貼られたメモに視線を移し不必要なものを回収しながら、出来るだけ何でもない風を装って言葉をかけてやる。
『それで、どうかしましたか?』
「別に、何でもない」
 折角あからさまに打てるような緩い球を投げたというのに、ここで何でもないと言うのは全く、否、彼らしいと言えば非常に彼らしいのだが。
 書類上ではまだ18歳だが、実年齢はもう少し上だ。そうして変に歳を取っている分、意地が張っているのだろう。さて、どうするべきか。
『メルヴィッド』
「何だ」
『誕生日、おめでとうございます』
「……ああ」
 ああ、じゃないだろ!? といった内心の叫びが隣から聞こえたような気がした。横目で確認するとメルヴィッドの腕に力が篭り過ぎているのか時計の入った箱が震えている。
 非常に可愛いが、同時にとても可哀想でもあるので仕方がない、もう一度。
『来年も、祝わせて下さいね』
「食事とプレゼントがあるのなら考えてやってもいいが、それ以外はサプライズも祝いの言葉も必要ない……今年の時計は、悪くなかった。感謝してやる」
 よし、言えた。
 私とメルヴィッドの心情が重なり、互いに安堵の笑みを浮かべる。これで一安心だと不要なメモを最終確認している横で、しかしまだ続きがあったのか言葉が溢れていた。その言葉に思わず思考が停止する。
「他人から時計を貰うのは、初めてだ」
『そ、うなんですか』
 声が掠れる、動揺を繕い切れなかった。
 成人した魔法使いに時計を贈るという行為は、大きな意味を持つ。
 意味とはいっても所謂古くからの慣習に過ぎないのだが、それでも魔法界という一つの世界に固執していたメルヴィッドにとっては今でもそれは見過ごせないものだったのだろう。
 この世界で彼が歩んで来た人生の一端を垣間見てしまいどんな顔をすればいいのか判らないまま顔を上げると、メルヴィッドも困ったような顔をして、それでも笑っていた。
 初めて見る彼の優しい微笑みでこの子を抱き締めたい衝動に駆られるが、肉体を持たない事を思い出し、はたと手を止める。
 恐らくこの世界に来て初めて、私は誰にも触れられないこの状態を激しく悔いた。