曖昧トルマリン

graytourmaline

ポーク・オ・カラメル、リンゴの白ワイン煮添え

 麹のスケジュールを粗方立て終えて贈答用の白ワインと肴を持ってリビングへを赴くと、今まで熱心に勉強をしていたメルヴィッドがノートを片付けながら待ち詫びていた様子で皿を覗き込んだ。
「マッシュルームのソテーか、これは何のサラダだ」
『レンズ豆とリンゴです。後は鶏ハムのレモンジュレ、人参のガレット、デザートにクリームチーズとミニトマトの蜂蜜漬け、それとジェノベーゼ。全体的に野菜中心の軽くさっぱりとした味で纏めてみました』
 不揃いなデザートディッシュに並ぶ料理に早速手を付けるメルヴィッドの横でワインのコルクを抜き、磨いておいたグラスにゆっくりと注いでテーブルに置く。この状態では味覚も嗅覚もない上、実は言うとワインというか洋酒全般の知識が皆無なので肴は勘に任せて作ったのだが、文句が出ないのでそれなりに合う味だったようだ。
 時計はもうすぐ、10時半を指す。
 リビングの隅にある箱型テレビの画面には防音魔法をあらかじめ掛けておいた病室のベッドと、そこに寝かされた少年を高い位置から撮った映像が流れていた。光源がない為に暗視カメラを通してみたような緑味を帯びた映像なので若干ホラー風味になっている。
「そうだ、先程ニュースで面白い事件が流れていたぞ」
『メルヴィッドが面白いという事は碌でもない事件ですね。何ですか、ダーズリー夫妻の件でどこかの会社が法廷侮辱罪に引っかかって拘禁刑にでもなりましたか。各紙ドラマチックに飾り立てたセンセーショナルな内容でしたが、報道規制が厳しいだけあってその辺りは上手くやっていたように思えましたが』
「お前は相変わらず失礼で面白みもない男だな。模倣犯だ、ダドリー・ダーズリーが被害者となった毒殺未遂事件、あれの頭に連続が付いたぞ」
『おや、こちらでも遂に来ましたか』
 私が驚く演技すらしなかったからなのか、メルヴィッドは少し不満そうな顔をしてワインを飲んだ。自演やら模倣犯やらは私の世界にも居たと言ったはずなので、単に異世界でも同じ事が起きるのだという事実に反応しなかったのが、それが面白くなかったのだろう。
 しかし過剰反応をしないのも仕方がない。被害に遭ったシチュエーションやら毒物の危険性やらが連日放送されれば、こうした方が身を守れるのか、ではなく、成程こうすれば人を殺せるのか、と考える輩は必ず出現するに決っている。使用したパラコートは子供でも入手が簡単で、手口自体もジュースに混入して置き去るという安易なものだ。現代社会への鬱憤晴らしとして、1人や2人は頭の悪い模倣犯が出ても可笑しくないだろう。
 大体、私もその頭の悪い模倣犯の1人なのだし。
『犯人像は発表されていますか?』
「それどころか、こちらの模倣犯の馬鹿は防犯カメラに映っていたらしい。ダークブラウンの髪をした20代から30代の凡庸で特徴のない白人男だ。手袋も着けていた様子がないからその内に特定されるな」
『それはまた、随分と間の抜けた方ですね。前科者なら指紋から即特定されて逮捕じゃないですか……警察が無能でなければ、ですが』
「偶にだがさらっと毒を吐くな」
『特徴のない凡庸さは時に武器になるというだけですよ、前科のない者が犯人の場合はですがね。私が起こした方の冤罪まで吹っ掛けられない事を含めて、この国の警察が普通に働き者であることを祈りましょう』
「お前らしい言い分だ、優秀さを求めないところが特にな」
『愚かな働き者でなければ十分でしょう』
 指紋のような物的証拠や言い逃れが難しい防犯カメラ、それに一番気を遣う他人の目を気にせず犯罪を起こすのは余程捕まらない自信のある馬鹿か、それすら気に掛ける事の出来ない馬鹿くらいだろう。今回の模倣犯は後者だった訳だ、因みにメルヴィッドは前者である。
「肝心の凶器の処分には頭が回らない癖に、意外とお前はその辺りの隠蔽工作だけはきちんとしているからな」
『卑怯で臆病なだけですよ。その所為で了見が狭くなるんです』
「お前は狭見では無く我見なだけだ、本当に臆病な人間は殺人に手を染めない」
 指紋を残さない為の手袋や靴底から特定されない為に宙に浮けと言われた時は遂に頭の螺子が全て外れたかと思ったとメルヴィッドが告げるが、彼もまた隠蔽工作をしないタイプなので2人合わせて丁度良いくらいだと返しておいた。
 当然、お前と2人組なんて願い下げだと言われるが。
『まあ、確かに丁度良いは言い過ぎですよね。私の場合は単に向こうで犯罪捜査系ドラマを見過ぎただけですから』
「刑事ドラマなど主役が無茶な理屈で推理を繰り広げるだけだろう。何故そんな頭の悪そうなものに影響される」
『今よりもう少し時代が進むと面白くなりますよ。科学系や心理学系でのチーム捜査ドラマが増えて来るんです、主にアメリカで』
「母国はどうした日本人」
『日本製は肌に合わないので見なくなりました。同じトンデモ科学や無茶なストーリーなら輸入されるアメリカ製の方が総じて面白かったので。俳優の演技力と演出と、ストーリーの目まぐるしさがね、好きなんです』
「面白い物だけを輸入するからその評価になっただけだろう」
『それもまた真理の欠片ですね。ああ、時間ですよ』
 無駄な話をしている間に設定しておいた時間になっていたようで、画面の端から宙に浮いたピーター君が長い耳を揺らしながら現れた。先程までは若干だったが、今はどう見てもホラーである。彼の右手に刃物がない事が逆に不思議に思えるような絵面だ。
 ピーター君は設定通りにダドリー・ダーズリーのベッドの枕元に辿り着くと、目の前の子供を揺すって起こしにかかった。
 死にかけた病人という事もあり、ダドリー・ダーズリーはすぐに苦しそうな声で覚醒する。病状が相当進行しているようで、この短期間で痩せた訳ではないのにげっそりと窶れて見える。
『お前……あの時の!』
『こんばんは、また会えたね。嘘吐き君』
 画面内部でダドリー・ダーズリーの耳障りな高い声と、相変わらずジュースのシミが取れていないピーター君の可愛いらしい声がユニゾンする。私はそれを頬杖を突きながら眺め、メルヴィッドはガレットを摘みながら気怠げに見ていた。
『おまえの、おまえのせいで』
『僕の言う事を聞かなかったね、だからこんな目に遭うんだ』
『おまえのせいだ! ぜんぶおまえがわるいんだ!』
 窶れて落ち窪み始めた眼窩がピーター君を睨む。そんな映像を眺めながらガレットを咀嚼していたメルヴィッドが頭の悪い餓鬼だとか言っていた。
 ピーター君はふよんと擬音が付きそうな可愛らしさで首を傾げて君はとっても悪い嘘吐き君だねえ、と意地悪そうな声で話を続ける。否、続けるも何も元々会話する事を前提に設定している訳ではないので実は会話などせずに一方的に喋っているだけなのだが。
『知っているかい、僕の言う事を聞けなかった嘘吐き君は死んじゃうんだってさ』
『そんなはずない! パパもママも、もうすぐ元気になるって言ってた!』
『何時死ぬのかな。明日かな、明後日かな。それとも、今日かな?』
『うるさい、ぼくは死なない! あっちに行け!』
『きっと凄く苦しいんだ、今よりずっともっと苦しみながら嘘吐き君は死ぬんだ。息をしてるのに息が出来なくなって死んじゃうんだ。空気の中で溺れ死んじゃうんだ。パパも、ママも、お医者さんも、誰も君を助ける事なんて出来やしないんだ。だって、君はどんどん悪くなっているんだろう。今だって苦しいんだろう、明日はもっと、明後日はもっともっと苦しくなるよ』
 僕の言う事を聞かないからこうなるんだ、とあらかじめ設定された台詞を吐き続けるピーター君にダドリー・ダーズリーの様子が次第に変化してくる。耳元で自分がどんな苦しみ方をしながら死ぬのか止めどなく喋られたら不安にもなるだろう。
「矢張りは外道だな」
『外道という単語のより正確な意味を知りたいのなら親族を紹介致しますが?』
「御免だ、精神と共に肉体まで滅ぼす気か」
『あの方々は肉体と精神を交互に削るんです、飽きる程気長に、死なないよう壊れないよう再生治療させながら。私も気は長いのですが、得意ではないんですよ、手加減が』
「冗談抜きで外道だな、許されざる呪文などお前達の前では児戯に等しいのか」
『そうでもありませんよ、ちゃんと各々に重量級判定はされているので。特に服従の呪文は中々の外道呪文だと思います。逆にアバダ・ケダブラは魔力さえあれば間違いなく一瞬で命を奪えるという点で寧ろあの中で最も相手に優しい呪文だと言うのが我が家の見解ですね』
「お前は嫌がっていたが、怯えてはいなかった磔の呪文は?」
『相手を痛め付けるのにあんな軟弱な呪文に頼るなど笑止、との事です。まあ、拷問というのはバリエーションが豊富な方が相手方の絶望も大きいですし、何より視覚や聴覚の効果は大事ですからね。メルヴィッドは百刻みって御存知ですか?』
「酒を飲んでいる人間に問う言葉じゃないな」
『そう言いながらワイン飲んで鶏ハム美味しそうに食べている貴方も相当ですよ』
「ワインにもハムにも罪はない」
『ご尤も』
 酒が入っている所為なのか深夜に差し掛かりつつある時間帯のテンションなのか、2人して下らない会話をしている内に何時の間にかピーター君の言葉責めは終わりを迎えていた。ダドリー・ダーズリーは泣いているが飼育に失敗し肥え過ぎた豚の鳴き声に似ていた。
 近日中は豚肉は食べたくないなとメルヴィッドの呟きが聞こえたので、彼も同じような事を考えていたらしい。今度軽食で中華まんでも作ろうかと思っていたのだが、豚肉の代わりに鶏肉のミンチにでも変更しようか。しかし今のメルヴィッドに肉の種類を特定出来るような舌があるとは思えない、好き嫌いといっても軽度のものだろう、だが本人が望まない食材を敢えて使うという行為は私が好まない。
 矢張り豚肉は使うべきではない、鶏肉を使うべきだろう。多少水分が少なくなり、食感に影響を与えるかもしれないが、どうにかしてみせよう。
『ねえ、嘘吐き君。今すぐ死にたい? 後で死にたい? それとも死にたくない?』
『死にたくない、死にたくないよ!』
『でも僕は今すぐ死ぬなんて面白くないと思うんだ、とってもね。死にたいのなら、あと何十時間か我慢してよ。少しずつ少しずつ息が出来なくなって、喉を掻き毟りながら誰にも助けられず死んで行った方が面白いよね、とてもとても面白いと思うんだ』
『いやだ! ぼくは死にたくない!』
『僕としては、嘘吐き君のような子はそうやって面白く死んで欲しいんだけど』
『死にたくない、ぼくは死にたくない!』
『でも、嘘吐き君が死にたくないのなら、僕のこの手を取って。そうすれば君の魂は死なない、死にはしない。君は君のまま、パパとママの家にも帰る事が出来る。でもそれで最期になっちゃう。でもこれが最後のチャンスだ』
 物は言いようだな、とメルヴィッドが私を見上げる。
「とんだヴォーパルバニーだ」
『一応言っておきますが、ピーター君が邪悪な訳ではありませんよ』
「そうだな、邪悪なのはあんな物を作り出したお前の性根だ」
 それだけ言うと私から目を逸らし、パスタをフォークに巻き付ける。確かに物は言いようだが、別に私が設定しピーター君が喋った台詞は単なる事実で内容に虚偽はないのだから、そんな目で見ないで欲しかった。
 画面の中のダドリー・ダーズリーは勿論そこまで頭は回らない。と言うよりも、人並み程度に回っていたらナースコールくらい押しているだろう。コールされた所でピーター君が病室内に居る間は来れないよう細工はしてあるので無意味だが。
 ピーター君の短い腕に震えながら手を伸ばすダドリーを確認したメルヴィッドが、まあ想像力のない餓鬼はそう行動するだろうなと言いながらパスタを食べていた。集中力が四散しているが大目に見て欲しい、どうにも彼の食べ方というのは私の興味を唆るのだ。来週のクリスマス辺りに、ロールケーキの1本食いして欲しいと頼んだら食べてくれるだろうか。
「何か妙な事を考えている目だな、何故画面も見ずに私ばかり観察している」
『来週のクリスマスに作るケーキはブッシュ・ド・ノエルにしてみようと考えていたんですよ。メルヴィッドなら1本、行けますよね?』
「非常識な大きさでなければな」
 今のお前の頭の中は料理で一杯だな、とフォークを掲げたメルヴィッドが肩を竦める。美味しそうに食べる貴方がいけないんです、と反論すると鼻で笑われた。本心からの言葉なのだが、当然信用などされない。
 苦笑を返してから再び画面を見直すと、ダドリー・ダーズリーがピーター君の手を取る寸前という丁度いいタイミングだった。
 太く丸い指先が無機物で出来た円筒状の腕に触れた直後、ピーター君は病室から消え、ダドリー・ダーズリーの腕はベッドの上に落ちた。ピーター君が室内に居る間と発動条件を付けていた防音魔法も同時に消失し、不吉な電子音だけが後に残る。
 数秒、画面内が砂嵐で満たされ、次の場面へと切り替わった。
 昼も夜も外の光がほとんど入らず、とうの昔に電球も明かりを灯せなくなった埃っぽくて小さな、私が見慣れた部屋。サリー州リトル・ウィンジング、プリベット通り4番地、階段下の物置。ハリーが虐待されていた忌まわしい場所。
 病室内の映像と同じようなアングルで撮られた画面のほぼ中央に直立するダドリー・ダーズリーとピーター君を見て、メルヴィッドは口端を吊り上げた。劇は終盤も終盤、あとはネタばらしをして終わるのみだと理解しての表情だった。
『ここは、サリー州リトル・ウィンジング、プリベット通り4番地、階段下の物置部屋』
『……ぼくの家だ』
『ハリー・ジェームズ・ポッターが虐待されていた檻の中』
『ぼくの家だ! それに全然苦しくない! わるい病気も治ったんだ! パパ、ママ! ねえ、ぼく帰ってきたよ!』
『そして今日からは、ダドリー・ダーズリー。君の永遠の居場所だ』
 ピーター君の言葉など全く聞いていないダドリー・ダーズリーが扉に向かって走り出しドアノブを掴む、ような仕草をした。
『え、なんで?』
 ノブを掴もうとした手はダドリー・ダーズリーの予想とは裏腹に、掠る事もなく、すり抜ける。壁や床や窓には触れる事が出来るのにドアノブは不可能。何度、十何度同じ行動をしても、扉は本人の希望に反して決して動かない。
『なんで、なんで!?』
 犬でも猿でも、同じ行動をすれば意味を理解する。更に何十度か同じ行動をしていたダドリー・ダーズリーも、やっと自分の置かれている状況を薄っすらと理解したらしい。横でパスタをすっかり食べ終えてワインを飲んでいたメルヴィッドが遅過ぎると愚痴っていたが、あの年齢の子供の知能ではこんなものだろう。
 音を立てる事なく震える自分の両手を眺めたダドリー・ダーズリーが理解してしまった故の絶望が滲む小さな声で、透けてると呟いた。
 透けていて当然である。
 ダドリー・ダーズリーという人間の肉体はピーター君の手を取ったつい先程、魂を抜かれて死んだのだから。今頃は抜け殻である死体に病院関係者が右往左往している事だろう。否、どの道近い内に死ぬ予定だったのでそれ程慌ててはいないかもしれない。
 蒼白い姿をしたダドリー・ダーズリーが意味不明な言語を喚きながらピーター君を横合いから殴ろうとするが、幸運な事にピーター君は物理的に存在するので触れられる事はなかった。彼が触れる事が出来るものは唯一、この物置を囲う壁と床、そして天井だけだった。
 奇声を上げてピーター君を掴もうとする姿が畜生そのものだなと考えていると、メルヴィッドが全く同じ感想を漏らす。意外と彼と私の感性は近い場所にあるのかもしれない。
「飽きるな。畜生でも、もう少し頭が回るだろうに」
 完全に据わった目をしたメルヴィッドがリモコンを手に取って電源を落とそうとしたその瞬間、それまで大人しかったピーター君の体が小刻みに揺れ始めた。そして何の前触れもなく、ピーター君の頭だけが勢い良くダドリー・ダーズリーに向く。
 月明かりさえ届かない夜の暗がりに佇む奇妙に捻れた人形に、ダドリー・ダーズリーは顔を引き攣らせ腕を止めた。
『ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ』
 続いて画面から流れる狂気じみた哄笑に、ダドリー・ダーズリーだけではなくメルヴィッドまで固まっていた。このような妖怪も居ない訳でもないので私は耐性があるのだが、彼はあまりないらしい。ジャンプスケアなどホラーの定番中の定番なのに、少し意外だ。
 不気味なポーズを保ち続けるピーター君の可愛らしい口から、ひび割れた呪詛が吐き出された。呪詛というか、どちらかと言うと狂気と正気の狭間から漏れている言葉なのかもしれないが、受け手に異常と感じられればどちらでもいいだろう。
『何で君に裏切られた僕の言葉を丸呑みしちゃうかな、この嘘吐きお馬鹿さん。君みたいな薄汚い蛆にも劣る排泄物を助けるはずないだろ、救うはずないだろ、生かすはずないだろ、許すはずないだろ。永遠にゴーストとして生きろ! 永遠に死に続けていろ!』
『な、なに、なにが』
『ひひひひひひひひひ。脳味噌のない君に解りやすく言うとね、君はね、幽霊として、ずーっとここで、誰にも見られる事なく、独りで、生きていくんだよ』
『ずっと、なに、ずっと。この、まま?』
『そう、ずっと、ずっトズ1ッtョgkMメ愠タルケ喙鈩ユr靍ェァ3y焉ヷヌk54BNWX#9v!!=!』
『ひっ!』
 あ、バグった。
「お、い……
 矢張りただのぬいぐるみであるピーター君に移動魔法やら防音魔法やら余り沢山の設定を課すと負荷に耐え切れずバグるのだろう。否、上手く機能しないのは私の腕が悪いだけか。しかし良い所でバグってくれたものだ。
「おい、! 聞いているのか!」
『はい、何ですか』
「あれは何だ」
『ピーター君ですよ?』
「そういう意味じゃない!」
 やや血の気の引いた顔色をしたメルヴィッドは勢い良くテレビ画面を指し示す。先には、完全に恐慌状態に陥ったダドリー・ダーズリーと、未だバグり続けているピーター君。
 これだけ見るとB級ホラー映画のワンシーンのようで、割と笑える映像だ。
「あれはお前がやったのか!?」
『いいえ、記憶に御座いません。何故ああなってしまったんでしょうね』
「ならば、アレは勝手に」
『あ、すみません怯えないで下さいごめんなさい嘘吐きました。今は過負荷でバグっているだけで、あの意味不明な言葉以外は1から10まで完全に私の仕込みです』
「こ……の性根の腐れた爺が! そこに直れ殺してやる!」
 杖ではなく薬学の分厚い辞書を手にし、私を撲殺する気に満ち満ちたメルヴィッドが腹の底から怒鳴る。私におちょくられたと思ったのだろう、事実おちょくったのだし。偶にはこのくらいの悪戯をしてもいいではないか。
 両手を上げて害意はない事を主張するが、怒髪天を衝いているメルヴィッドにそんなポーズが通用するはずもなく、辞書に続きナイフとフォーク、半分程残っているワイン瓶、一人掛けのソファの順で私の体のほぼ中央を通過する。しかしここまで来てもまだ、テーブルやその上に乗るまだ食べ物が残っている皿を投げないのがいじらしく可愛らしい。
 騒音で近所の人間が駆けつけたり警察を呼ばれたりしても困るので、飛ばされた物は私の背後でゆらゆら揺れて宙を漂っている。
 肩で息をしているメルヴィッドから視線を外し、バグったピーター君の声が止んだ画面を確認する。ピーター君の声が止まる条件はあの家の家主が物置に現れる事だと設定しておいたのだが、あの状態でも尚、それが生きているらしい。
 ダドリー・ダーズリー以上に窶れた顔をしている夫妻は部屋の中央に倒れているピーター君を発見すると、見てはいけない物を見てしまった顔をして先を争うように物置から出て行ってしまった。ピーター君の持ち主がハリーだという事を思い出したのだろう。
 錠が下ろされる重い音と、ゴーストとなり両親に認識されなくなった一人息子の狂ったような哀願が耳障りだ。
 ぴくりとも動かなくなったピーター君には自力でハリーの元に帰れるよう魔法を設定したのだが、こちらは何故か上手く発動出来ていない。メルヴィッドが落ち着いたら迎えに行ってやらないといけないだろう。どうせダドリー・ダーズリーは私を認識出来ない。
「本当にお前は性質の根本から全てが最悪だな! 無自覚なのが拍車をかけている!」
『爺だって偶には羽を伸ばしてみたいんですよ』
「伸ばす方向を考えろ! 私を巻き込むなと言っているんだ!」
 メルヴィッドの怒号にゴーストとなったダドリー・ダーズリーの叫び声、更に画面の中で鳴った電話の着信音と、夫婦の金切り声と言う秩序のない背景音楽に、居心地が悪くなりながらも耳を傾ける。
 結局、私が怒れるメルヴィッドを宥め賺して混沌の場と化したラトロム=ガードナー宅のリビングが落ち着いたのは、ここから更に数時間後、日付が変わって半時間程経ってからだった事を追記しておこう。