曖昧トルマリン

graytourmaline

厚切りベーコンのカラメルオニオンソース

 当初の予告通り、メルヴィッドがダーズリー家殺害の実行許可を出したのは5週間後の12月半ばの事であった。
 その間にあった出来事と言えば、まずはポッター一家の墓がゴドリック・ホロウに建った事だろうか。ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターのものをダンブルドアや配下の騎士団員が手配していたので、その書類の中にハリーの名前も紛れ込ませておいたのだが案外それが上手く進み、埋葬段階まで墓が三つ発注されていた事に誰も気付かず葬式当日にちょっとした混乱が起こった。私としてはそんな小規模な混乱よりも、一人息子であるハリーが葬儀に姿を現せない事を疑問に思って欲しかったが。
 案内状の返事がないという事は来ないのだろうと考える愚か者ばかりで、メルヴィッドは式を遠くから眺めながら始終不快そうな顔をしていた、矢張り幼いながらも過酷な環境で生き抜かざるを得なかったハリーを彼なりに気に入っていたらしい。今でも思い出すと腹が立つと言うから相当である。
 梟によって齎された葬儀の案内状はハリーの元に届く事なかった。ハリーと連名になっていたペチュニア・ダーズリーからバーノン・ダーズリーを経由して、手紙は細切れに裂かれてダーズリー家のゴミ箱に入れられた。連絡はその一回だけで、以降は手紙も電話も訪問者も皆無である。
 彼等は被害者遺族を何だと思っているのだろう、流石ダンブルドアに率いられた人材と言うべきか。メルヴィッドには一家全員を皆殺したお前が何を抜かすと突っ込まれたが。矢張り私は異常らしい。
 その異常者たる私が引き起こしたもう一方の葬式、これも予定通りの事象ではあるのだが、メルヴィッドの養母となったメアリー・ガードナーが病状悪化に伴い衰弱、死亡し、ひっそりと葬儀が執り行われた事も挙げておこう。
 彼女の死亡と入れ替わりにようやく確固たる戸籍と財産、そして肉体を得たメルヴィッドは喪主として慌ただしく動いていたようだが、その甲斐あってか式は恙無く進行し弱いながらもごく少数の人脈が出来たようだった。元々の美しい容姿や演じる仕草が好青年風なので年配の人間にも受けが良かった、と後日面倒臭そうに語っていた。
 因みに同じく年配に属するはずの私に対して猫を被る気は、爪の先程もないらしく、お前は老人ではなく異常者だと宣言され、別に区分けに割り振られている。
 その2つの葬儀が終わり冬も厳しさを増し始めた頃、意外にもメルヴィッドは大学に進学する為に勉強を始めていた。
 断っておくが、この世界の魔法界にも大学やそれに相当する教育機関は存在しない。なのに教育者や研究者や政治家や医者や裁判官に準ずる職業が存在するのは現代人の感覚からすると本気で謎だが今はどうでもいい。彼が進むのは、非魔法界にある普通の大学だ。
 メアリー・ガードナーの葬儀に某大学の薬学部、イギリスでは珍しく漢方薬等を扱う中薬学が専門の教授が参列しており、その老教授に成人するまで後見人になろうと言われるまで気に入られたという事もあるだろうが、詳しく話を聞くと彼に会う会わない関係なく元々医療関係の学部を受ける気だったと言う。
 マグルを殺すのならば魔法を基に、魔法使いを殺すならば科学を基に、その方が本当に露見し辛いのだな、と聖マンゴで起こった隔離患者集団不審死事件を扱った魔法界のメディアを馬鹿にしながら彼は語った。
 私がこれから起こそうとする事件や、未だ解決の糸口すら掴めていないこの事件が進学の後押しになったらしい。しかし私の起こした拙いそれで行動を起こせるメルヴィッドには本当に頭が下がる。学さえあれば私の方が上手くやれると自信に満ちた声で言い放った彼に全面同意すると、少しは反論しろと怒られたが、努力する天才に対し努力すら億劫と思う凡夫の私がどう反論しろというのだろうか。
「偶に思うのですが、メルヴィッドは私を過大評価していますよ」
 肉体を得た事で透明マントを使わなければ常に姿を現す事になってしまったメルヴィッドの、そのはっきりした輪郭を眺めながら言うと、落ちていた視線が上がり、嘲笑するように歪んだ。
「私はお前を共感性の薄い異常者で思考が変人で行動が間抜けと評価しているつもりだが、そのどの辺りが過大なのか言ってみろ」
「本当にそれだけなら私の意見を態々促したりしませんよ」
 第一その評価だけならば、私の意見を聞き入れてダーズリー家内では必ず宙に浮くという一見どうしようもない約束だって守る必要はないと考えるはずだ。肉体を得て尚、体を宙に浮かせ続けるというのは結構な負担になるのだが、彼は横暴な爺のお願いを聞いて素直に行動してくれている。
「メルヴィッドは本当にいい子ですよね」
「急に何の皮肉だ」
「単なる事実ですよ、甦らせたのが貴方で良かった」
 何だかんだいって、結局肉体を得た後にも本格的な交流が続いてしまったメルヴィッドに対してそう言いながら、防衛呪文を張り巡らせたダーズリー家の狭い物置の中でうさぎのぬいぐるみを抱えながらキーボードを叩く。電球はとっくに切れていて光源も無く、板張りを外した窓から入ってくる光だけが頼りの薄暗い部屋の中で。
 腕の中のぬいぐるみはメルヴィッドの本体が入っていたピーター君。手元にあるのはコンピュータ、ではなくガードナー家の魔界部分を片付けた際に発見した新品のタイプライターである。持ち主であるメルヴィッドに欲しいと強請ったらあっさり譲渡してくれた、曰く、珍しく目が輝いていたらしい。
 新品とはいっても、大分昔から埋まっていた物のようなので型式自体はそこそこ古い。それでもタイプ音や紙に印字される感覚は心地良く、若干重さがあるものの逆にそれが良いとも思える。
「さて、ひとまずこれで終わりです。差出人は暗号化しない私の名で宜しかったんですよね」
「別にユリックでもユナでも構わないが、流石にあからさま過ぎるか」
「それはそれで内部のいがみ合いが生じて楽しそうではありますけれどね。しかし私程度の頭では燻製ニシンを用意出来る気がしませんし」
「確かに嵌まれば面白い事になるだろうが、老害とはいえあの2人に私もそこまで無謀にはなれない」
 最後の一枚をメルヴィッドに渡すと、これを持っていろと薄手の手袋に覆われた手で最初の方に印字した一枚を戻された。
 それはダンブルドアとヴォルデモートの両者に敵対する架空の第三勢力からハリーに宛てた手紙、のようなもの。内容はとても重要なものという訳でもなく、単にもう少し待っていてだとか、このぬいぐるみとタイプライターを今年のハリーへの誕生日プレゼントにとだとか、そういった当り障りのない内容だ。
 この手紙があれば二つは今から4ヶ月程度前にこの物置にあったと錯覚させる事が出来る。だから何という訳ではないが、その辺りの時期から第三勢力は既に存在していたという印象を植える過去の改竄程度だ。
 黄ばんだ安い紙に印字された文章は単なる手紙ではなく、見た目こそ小説の一文だが、書体を使い分ける事によって解読できる単純な2進法の換字式暗号文となっている。その暗号にしても特に深い意味はなく、頭を捻らせて暗号を解いた結果が単なる手紙という徒労感を味合わせたいだけだった。無論、暗号の全てが非魔法界式なので魔法も頼りにならない。
 要するに、ダンブルドアとヴォルデモートに対しての軽い嫌がらせである。
 もっと重度の物を望んだメルヴィッドは転置式暗号や同じ換字式暗号でもしきりに16進法を使いたがっていたのだが、換字表がないと私が解読出来ないと却下した。16進法の暗号を暗算するメルヴィッドの頭脳は私にとって最早異次元生物に等しい存在だ。否、事実異次元というか並行世界なのだがそういった意味合いではなく。
「"Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister on the bank, and of having nothing ..." ええと、00011の3+1だからDで始まって、次がwから5文字でeだから00100のEで…… "Dear Harry Potter" で間違いありませんね」
「声に出して指折り数えるな、みっともない」
「指も折るなとは無茶を仰いますね」
 紙に書かないだけ上等でしょうと言い訳すると、中身爺のくせに頬を膨らませるな気色悪い頭が空っぽの無能めと厳しい言葉が返ってきた。しかしそう言いながら印刷された全紙に不備がないかチェックを入れられる事に感心する。原理自体は前述したように2進法を使った単純なものだが、それでも暗号という性質上一文字でもズレが生じれば以降は全くの無意味となってしまうそれを、メルヴィッドは軽く眺めるだけで確認しているのだ。
 単純故に紙一枚に収まる換字表や相当する魔法も作れるのだが、それを奪われたり解析されて簡単に解かれては余りにも無粋だと意見が一致し、結局私が脳内処理出来るこの辺りに落ち着いた。ダンブルドアとヴォルデモートならばそれ程時間をかけずに法則性を見付けそうだが、メルヴィッド曰く老人は頭が堅いらしいので彼の言葉を信じることにしよう。別に違っていても損らしい損もない。
「そう言えば、魔法省の予言。あれは本当に壊さなくて良かったんですか?」
 四つ折りにした紙を見つかりやすい床板の下に隠しながら、こちらも偽の手紙の内容を確認し終えたメルヴィッドに尋ねると鼻で笑われる。
は本当に壊す殺す潰す類が好きだな」
「好きとかではなく、それしか考えつかないんですよ。基本脳筋ですから力押ししか思い浮かばないんです」
「だから脳筋ではなく異常者だと再三言ってやっているだろう。お前のような異常者が脳筋と自称してそこら中に居て堪るか」
「私にはこの先一生判らないと断言されたのにそう連呼されましても」
「別にお前に自覚を促している訳ではない、私が言いたいだけだ。で、予言の事だが」
 紙束を鞄の中にしまったメルヴィッドは赤い瞳を細めて笑う。幼い子供が、酷く楽しそうな事を夢想するような笑い方だった。
「あれを1996年まで放置しておけば、魔法界二大老害に率いられた頭の緩い馬鹿共が馬鹿な理由で殺し合うのだろう? 楽しい見世物が起こるのに壊すなど勿体ない」
「私の世界では、ですけどね」
「予言の内容は同一なのだろう。では起こる確率の方が高いのではないか」
「どうなんでしょうか、私やメルヴィッドが不必要に介入しなければそうなる可能性もありますが。私がハリー・ポッターと成った以上はそれが起こると確約出来ませんよ」
「起こるさ。少なくとも馬鹿な事で死にかけた馬鹿は必ずそれを欲しがる、馬鹿馬鹿しい程の犠牲を払ってまで、の世界と同一の余りにも無価値な予言をな。そうすれば暴走する馬鹿を止める為に老いた馬鹿も動かざるを得ない」
「楽しいのは判りましたが、先程から馬鹿と言い過ぎですよ。まあ、確かに彼等の行動は今振り返ると馬鹿ですし、貴方の綺麗な口唇からスラングが発せられるよりはマシですが」
「褒め方がなっていない。容姿を褒めるならばまずは女に鍛えて貰え」
「生憎と色々と枯れておりまして、見ず知らずの女性を褒める気にはなれません」
「は、馬鹿が」
 余りにも馬鹿という単語を聞き過ぎた所為なのか、それともその馬鹿の言葉を冠した一家がクリスマスの為の買い物に行く声を聞いたからなのか、あちらこちらに散っては好き勝手に飛んでいた私の思考がゆるりと集まってくる。
 そもそも私が打ち込んでいた偽の手紙は序でで、本命はこちらだったはずだ。
 今日は12月14日の日曜日、空は暗く淀み風は冷たく湿気っている。こんな陰鬱な日こそ、ダーズリー一家を崩壊させるには丁度良い日だと思ったが、逆に太陽が燦々と照った夏日でも矢張り同じ事を思ったのだろう。
「では、私よりも更に馬鹿を嬲り殺して、更に壊して潰しましょうか」
「嬲って殺して壊して潰すか。物騒だがしかし、地獄に落とすとは言わないのだな」
「地獄など生温い」
 手の中に出現させた小瓶を握り、笑みを形作った口唇から漏らした言葉に、メルヴィッドが目を見開いてこちらを見た。
 何故かあまりにも長い間私を見るので、頬に手を当てて首を傾げて誤魔化す事にする。
「いけませんね。私とした事が感情を剥き出すなんて、はしたない」
……お前、一体何処の悪鬼を降臨させた、いや何処から引き摺り出した。というか、今何故笑ったんだ、気味が悪いを通り越して別の境地を私に見させるつもりなら迷惑だから必要ないんだが。もう許容量を超えそうだから設定も本性のフェイクも増やすな」
「悪鬼だなどとそんな。悪鬼の顔に菩薩の生皮剥いで被せる私の両親祖父母に比べればこの程度は悪鬼とも呼べない可愛いものですよ?」
「許容量を超えた。お前がソシオパスになった経緯がよく理解出来たからもう少し離れろ」
「そしおぱす?」
「お前が以前自己申告したサイコパスは先天的なもの、対してソシオパスは環境による後天的な精神病者の事だ。理解したなら近寄るな、純粋培養の異常性が空気感染する」
 魔法使いにしても随分非科学的な事を言いながら手の甲を上にしてふらふらと振る。冗談ではあろうがメルヴィッドの言葉に一応従い、小瓶を握りながらうさぎのぬいぐるみを抱えたまま距離を置いた。
 赤い瞳が、その小瓶に注がれる。自力でマグルの知識を得た今ならば、彼もまた私が何をしようとしているのか検討が付いているのだろう。
「しかし確かに、地獄では生温い死に方になりそうだな」
 赤と緑の視線に晒された15mlの液体は、小瓶の中で二つの瞳を混ぜた色のまま静かに揺らめくだけだった。