曖昧トルマリン

graytourmaline

鴛鴦のロースト、ブラックベリー添え

 門の閉ざされた学校からそれなりの距離を歩いて発見した公園の朽ちかけた東屋で体を十分に休ませ、抜け殻となった体の周囲に探査阻害や防衛や防寒の呪文をありったけ唱えた後で、私とメルヴィッドはその場を離れた。
 若干不安は残るが、体を抜ける前に鞄の中に入っていたサンドイッチ用の薄いパン一枚と袋の中で割れて粉になったクッキーを食べたので飢えて死にはしないだろう。因みに一緒に入っていた葡萄色をした果汁飲料のような水分は、既に蓋が開いていた形跡がある事に不安を覚え中身ごと捨てた。
 あれは既にダーズリー家の誰かが口を付けたのか、ペチュニア・ダーズリー辺りが異物か毒物でも混入したのかくらいしか考えつかない。後者は考え過ぎだろうとメルヴィッドに言われたのだが、実は私の内心をなぞるとそうとも言い切れない。
「不景気そうな面を晒すな。存在しない墓探しに手間取って想定よりも時間を食ったんだ、さっさとポッター夫婦の場所まで案内しろ」
『不気味がっている相手に強気な態度を取れる貴方の勝ち気な性格、割と好きですよ』
 ゴドリック・ホロウを経由して、現在位置は聖マンゴ魔法疾患障害病院1階ロビー。
 通院患者や入院患者、それに見舞い客で混雑した様子を天井付近から見下ろしながら、私はメルヴィッドが居るであろう方向を向いて苦笑する。
 声量を潜めていないが、まだこの場では普通に会話しても問題ないだろう。聞かれたとしてもここは特殊な病院だ、大半は患者の幻聴で片付けられる。
「今の状態で殺せないのなら、をハリーの体から出られないようにする魔法を開発して発狂するまで追い詰めればいい事に気付いただけだ。私の頭脳を以てすれば造作もない事だ、名案だろう」
『メルヴィッドにとっては名案でしょうが、仮にも協力者相手に裏切りと拷問を仄めかすような計画を口に出さないで下さいね』
「ただの牽制だ」
『私が打者兼審判だったら牽制球ではなく意図的な死球と判断しますよ』
「アメリカのベースボールの事か? だったら安心しろ、審判ごと打者も殺してやろう」
『折角牽制と言ったのに舌の根が乾く間もなく殺すと本音が出ていますが。しかし貴方なら挑発で乱闘を起こして相手チームを観客毎滅殺くらいはやりそうですよね』
「そんな末端で満足すると思うか。私を見縊るな、運営母体ごと消滅させてやる」
『……まあ、男の子ですからね、目標を大きく持つ事は素敵だと思いますよ』
「何だその目は」
『いえ別に』
 互いに軽口だと思いたいものを叩き合いながら、案内板を上から順に確認して行く。5階に隔離病棟と表示があったが、その前を通った人影に目を奪われた。
『メルヴィッド、行きましょう』
「どうしたんだ、急に」
『セブルス・スネイプです』
「あの裏切り者のか? どれだ」
『花束を持った全身黒い男、今階段を登った』
「あれか」
 巫山戯ていた口調が元に戻り場の雰囲気が変わる。滑るように黒い背中に追い付き、セブルス・スネイプ本人に間違いがないか念の為確認した。
 鉤鼻と土気色の肌、肩まである脂ぎった黒い髪。年齢は20代半ばのはずなので私が知っている彼よりは随分若い気がする程度の印象を受けたが、全体的な雰囲気は変わっていないようにも思える。
 几帳面そうな性格も変わっていないらしく、腕の中の花束は百合にしては小ぶりな花が多く、色も淡いピンクや黄色で纏められて雌しべ雄しべは切り取られていた。香りは今の私には判らないが、きっとかなり弱いものだろうと予想出来る。
 軽い観察を終えると再び宙に舞い、彼の旋毛を眺めながら階段天井近くを緩く漂った。耳元でメルヴィッドが囁く。
「思ったよりも普通の男だな」
『印象には残りますが、そうですね、普通の方ですよ』
 彼が普通の男だったからヴォルデモートは裏切られたんです、そう言うとメルヴィッドはマグル出身の女に現を抜かすなどと吐き捨てた。
 若い時分の私もリドルに相当入れ込んでいたので愛など恋などと言われると肩身が狭く感じるが、メルヴィッドにその事は告げていないので同意とも否定とも付かない苦笑するに留める。このような時、笑顔に属する種類の表情は楽だ。
 会話を掻き消してくれる雑音が少なくなってきた所為もあり、それ以上の会話は出来そうにないと判断して互いに黙り、ただセブルス・スネイプの後ろを漂いながら付いて行く。
 5階に辿り着くとセブルス・スネイプは上下移動から平行移動にうつり、迷う事なく廊下の奥まで真っすぐ歩いて行く。長期療養病棟のドアを呪文で開け、私とメルヴィッドは遅れてそれに続いた。会話が可能な程度まで雑音や人の声が大きくなる。
「重度の呪文性疾患患者用の隔離病棟か。患者も歩き回っている、普通病棟より私物が多い以外はあまり変わらないな」
『まさか拘束具に猿轡という扱いを期待していたんですか? 幾ら魔法界でも流石に意識の改善はありますよ。現代では恒常的に暴力を振るう病院は稀で、そのよう措置を受ける患者は自傷他傷問わず傷付けようとする方に限ってですよ。大方の場合、彼等が危険だから隔離する訳ではなく、外の世界が、今の彼等には危険なんです』
「実際に見てみると、そのようだな」
 ベッドの上で体育座りのまま独り言をぶつぶつと言っていたり、壁に向かって身振り手振り陽気に話していたり、老人が女性モデル気取りで廊下の端から端まで延々と歩いているだけで基本的に害はない。時折誰かが大声で喚いているようだが魔法を使われたのかすぐに静になる、気に留めるようなことでもないだろう。
 彼の生きた大戦中と今現在の20世紀末、更に私が来た21世紀とでは様々な分野が急成長した所為か物のあり方が大分違う。メルヴィッドは自分の今見ている現状を把握し、素直に同意して自分の知識を訂正した。
 視線を戻すと、セブルス・スネイプがある病室の前で病院関係者と話している。表情からすると深刻な話に見えるが、どちらかと言うとセブルス・スネイプよりも病院関係者の方が困っているようにも見えた。
 物音を立てる事が出来ないのは判っているが、それでも何となくそっと近づくと両者の会話の内容が拾える。
「それで彼女の容態は」
「申し訳ありませんが、未だ男性と会わせる訳には。旦那様ならば、立ち会いの元で面会可能な状態まで回復して……」
「そんな事はここ数年、毎週のように聞いている。私は、リリーに会いたいんだ」
「ですから落ち着いた状態の時に、女性ならば」
 ああ、何だかどうしようもなく面倒臭い話をしている事は判った。こんな見舞い客という名のクレーマーに捕まってしまった女性を哀れに思いながら、背後の個室を振り返る。擦り硝子の窓はしかし、表面はつるりとしている。魔法で部屋の中を見れないようにしているのかもしれない。
 硝子のせいでよく見えはしないが、恐らく部屋の中では患者であるリリー・ポッターと、担当の癒師が何か問答をしている。ベッドの上で暴れているようにも見えるので、もしかしたら先程の叫び声は彼女のものかもしれない。
 やがてセブルス・スネイプは苛々した声でもういいと一言告げると、百合の花束を押し付けて踵を返してしまった。階段を登っていったので帰ったのではなく上階の喫茶室にでも向かったのだろうか。病院側としても、こんな見舞い客は迷惑だろうという典型だ。
 しかも本人曰くあれが週一だとすると、自分の事でもないのに胃が痛くなってきた。花束を持ったまま憮然としている女性と距離を取り、壁側で天井を仰ぎ見る。
「どうした、顔色が悪いぞ」
『医療関係者は本当に大変な職種だと尊敬していたんですよ。メルヴィッドはセブルス・スネイプのアレを見て平気なんですか?』
「腹は立つが胃は平気だ。こそ妙な所で平凡な繊細さを発揮するんだな」
『アレが何年も週一で見舞いに来ては文句言って帰るんですよ? ああ、殺せばいいという台詞は認めませんからね』
「この世から退場させてしまえばいい」
『それほぼ同じ意味ですよね、表現を変えればいいというものではありませんよ』
 溜息に一拍遅れて病室のドアが開いた。魔法が解除された硝子の向こう見えたのは、ベッドの上の拘束具に、薬を摂取させられたのか妙に大人しい患者。
「先生、容態は……」
「ひとまず安定はしたけれど、ハロウィン直後の、この時期はどうしてもね。あらその花束、また例の?」
「ええ」
「あの人も、しつこいなあ」
 2人の会話を背後に聞きながら私と、恐らくメルヴィッドが曇りの晴れた硝子張りの病室に入る。四方に可愛らしい花の壁紙が貼られていたが、外からは窓に該当する部分もこちらからは壁のように見えた。代わりに、外の景色を描いた額縁が飾られている。
 病室自体はそこそこ広いが、私物はほとんどない。額縁側に寄せられたベッドと、萎れた百合の花が飾られた陶器の花瓶。その程度だ。
 清潔なシーツの上に広がる白髪交じりの赤い髪と、人形のような蒼白い顔に一回りは老いて見える容姿。虐待を受けていたハリーほどではないが、心が壊れてしまっているリリー・ポッターもまた、痩せた大地に咲いてしまった花のように細かった。
 近寄って首を傾げてみせると、拘束具を着せられたままぼんやりと虚空を眺めていた緑の目が私を見て、にこりと鈍く笑う。彼女の場合は死に掛けている訳ではなく、精神崩壊により魂が体から乖離しかけてしるのだろう。
「男性との面会が禁止されているにも関わらず問題が表面化しないという事は、が女として認識されたという事だな」
『敢えて意識しなかった事を何故堂々と告げますかね』
「意識しなかった事それ自体が意識しているという事に他ならないだろう。いや、意識しなかった訳ではなく、真実から目を逸らしながら利用しているだけか。いい加減自分が女顔だと認めろ、童顔」
『最後の一言は明らかに余計ですよね。こんな爺を虐めて楽しいですか?』
「非常に愉快だ」
 本当に愉しそうに告げるメルヴィッドの相手をしたくなくなり、気を取り直してリリー・ポッターに向き合う。声にならない音で何かを言っているが、何を言っているのかまでは判らない。何か意味はあると思うのだが、しかし、私にとっては意味など必要ない。
 手を伸ばしてリリー・ポッターの頬に触れ、そのまま透明な腕を進め頭と首の継ぎ目を確認する。何をしているのか理解していない彼女は首を傾げ、メルヴィッドは声に出して尋ねてきた。
「首でも折るつもりか?」
『大体正解ですが、流石にそこまで露骨だと問題になりますので外傷は付けません』
「ではどうする」
『気絶させてから、内部の延髄だけを壊します』
「損傷すると首から下が動かなくなるあれか?」
『それは頚髄です。メルヴィッドが詳しく判らないのなら他の魔法使いも同程度でしょうから、その点では安心出来ましたが。延髄の場所と損傷した場合の機能障害は……少し待って下さい、適当な表現を探しています』
 ある程度の教育を受けた現代人ならば延髄を破壊する危険性など説明の必要などないのだが、魔法使いに何がどう危険なのか説明しろと言われると非常に困る。語彙が足りないのではなく、解剖学の知識を持っていないのだ。家畜や魚の解体だけならまだしも、人間の、しかも神経系の説明をしようにも言葉がさらりと出てこない。
『ざっくりとしか説明出来ませんが、要はこの辺り、後頭部と首の繋ぎ目にある中枢神経の束です。破壊されると死にます』
「理解は出来たが、本当にざっくりだな」
『医療は患者側でしか関わらない一般人の私にはお手上げです。以降、詳しく知りたいのならば非魔法界製の辞書を引いて下さい』
 この時代の辞書や百科事典ならばその程度は当たり前のように載っているだろう。もう少し時代が進めばネット環境が整備され、デマを含むより多くの、表面を撫でただけの知識が手に入るのだが、今はないもの強請りだ。
 私達の会話が理解できないリリー・ポッターは相変わらず首を傾げていて、剥製のような目で笑っている。だがしばらくもしなうちに、先程摂取した薬が効いてきたのか徐々に瞼が下がってきて、やがて完全に眠ってしまった。
 手間が省けたなとメルヴィッドが静かに言い、それに首肯する。手を伸ばして再度位置を確認して、時間をかけ意識を集中させる。外からはここを観察出来る為、杖は使えない。
 メルヴィッドが息を吸ったような音が聞こえたが、それは声にならなかった。部屋のドアが開き、新たな花瓶に花を生けた女性が入ってきたからだった。
「リリー? 眠ったのね」
 花瓶を置き換えた女性の手がリリー・ポッターの額に触れる。同時に、私が発した切り裂き呪文が彼女の延髄だけを傷付けた。
 生死の確認は後でいい。次に移ろうとする私の耳元で、正面の部屋、とメルヴィッドの囁くような声が告げる。私が集中している間に見付けてくれたらしい。
 リリー・ポッターの病室と同じような物寂しい部屋に入り、妻と同じような容姿となっているジェームズ・ポッターを目にする。
 ただ、リリー・ポッターと決定的に違うのは目に生気があった事だ。ここだけは寧ろ、殺意に塗れた時のハリーに近い。榛色の瞳は私を認識する状態で尚、目の前の全てを恨み、世界そのものを憎む目をしていた。
 一点の曇もない純粋な憎悪に染まったジェームズ・ポッターの前まで進み、リリー・ポッターの時と同じように手を翳して延髄の位置を確認する。ベッドの上で身を捩って抵抗しようとするが、その全身は拘束具で固められていて動けない。
 病室の外が俄に騒がしくなる。その音に乗じてジェームズ・ポッターを眠らせ、殺し、今度は死に逝く姿を最後まで眺める。
 相変わらず、死は呆気ないものだ。
「早いな」
『一回やればコツは掴めますが、まだ遅い方ですよ。もう後二三回もやれば、位置把握だけすれば殺せるようになります』
 すぐに呼吸を止めて死んでしまったジェームズ・ポッターを見下ろしながらメルヴィッドに応えると、矢張りお前は恐い男だと返された。
『くどいくらいに言いますね。そんなに恐いですか?』
「それが判らないからこそ、判らない事を素直に口にするからこそ、お前は恐いんだ」
 お前にはこの先、一生判らないだろうな、と静かに嗤うメルヴィッドの声を掻き消すように、悲しみに狂った男の獣のような叫び声が廊下から伝わり、病室内の空気を震わせた。魂を引き裂くような慟哭だったが、何の感慨も浮かばない。私は今、忙しいのだ。
『途中で理解して後悔するよりは一生判らない方が楽ですから、今のままで十二分ですよ。さて、お喋りはこの辺にして、次に参りましょうか』
「次? 夫婦はもう死んだだろう、他に誰を殺す気だ?」
『この2人だけでは闇の陣営の生き残りの仕業と判断される可能性がありますので、適当な類似性を持った誰かを数人。同時多発を錯覚させる撹乱目的で殺します』
「その仕業と思わせておけばいいではないか。老害に仕えている以上、あれも敵だ」
『ダーズリー家でも忠告しましたが、騎士団員であるポッター夫妻の死から数日もしない内に肉体を得たメルヴィッドが現れた、という事実が後々ダンブルドアの目に止まった場合、少しでも撹乱をしておかないと貴方がどんなに努力し取り繕い言い訳をした所で問答無用で闇の陣営に振り分けされるの可能性が高いのですが。冤罪からの逮捕を受け中世レベルから進化しない魔女裁判を経てアズカバンにぶち込まれたいんですか』
「よし、殺せ」
『心変わりありがとうございます。それにしても、貴方はどちらかというと革命家や確信犯の気質なので個人に対しての計画殺人はかなり大雑把ですよね。現代医学のように解剖なんてされなくても、死体やその周囲は雄弁に語るんですよ?』
 但し現代の非魔法界とは違い、魔法界は自白や状況証拠に重きを置く傾向がある。ならば髪の色でも、瞳の色でも、年齢でも、誕生日でも、イニシャルでも、何でもいい。出来の悪いミステリー小説のように適当な共通項の動機をでっち上げ、ポッター夫妻だけを狙ったと思われなければ今はそれで十分だ。
 個室の患者を殲滅という選択肢が撹乱としては最も楽だろうか、いっそ病棟全体の方が混乱するかもしれない。純血、混血、マグル出身の魔法使い、一定のルールに従いつつも平等且つ無差別に殺した方が捜査された場合に現場は迷走する。
 未知のウイルスによる集団院内感染による死亡事故、と片付けられるのが理想なのだろうが、魔法界の人間も流石にそこまで無能ではないだろう。
『さて、殺しましょうか』
 私のやる気ない決意を他所に、2人目の被害者でありジェームズ・ポッターであった物言わぬ冷たい死骸は、私の目の前で寝転がっているだけだった。