曖昧トルマリン

graytourmaline

鳳梨酥

 少し、昔の話をしよう。
 何年も何ヶ月も前の事ではない、ほんの一週間程度遡るだけだ。
 私がこの世界に来たのは1986年10月31日の金曜日だった、これは新聞で確認したので間違いないだろう。そして、その日の深夜から翌早朝にかけてメルヴィッドを説得した。
 日付が変わり11月1日の土曜、説得に応じたメルヴィッドから1週間で結果を出すよう要請され、期限である1週間後の11月8日土曜日に老婦人のメアリー・ガードナーを紹介。その足でハリーに会い、この体を奪った。
 さて、問題だ。
 ハリーの体を奪った翌日。要は本日の、日付と曜日を言い当てよ。
「1986年11月9日、日曜日」
「……そういう事ですね」
「お前は本当に変な所で抜けているな」
「返す言葉もありません」
 全てを拒絶するように門を閉めた休日の学校を前に、私は何とも表現しがたい顔をしていたのだろう。何処で見られるとも判らないので相変わらず姿を現せないメルヴィッドの、呆れたような声だけが降ってくる。
「大体何故今日が平日だと思ったんだ」
「ダドリー・ダーズリーが制服を着ていたんですよ。今になってよく考えるとあの仕立ては私立の物ですから、公立とのカリキュラムの違いであちらは出校だったんでしょうね」
はあれか。状況から未来予測をして先手を打つよりも、出された手に有効な手段を模索する後手型の人間なのか」
「紛う方なく後手型でしかも対応策を思い付けず嵌められて普通に敗北するタイプの無能ですよ。今回は単に限定的な未来を知っているから先手を打てているだけで、限定条件が解除されれば御覧の有様です」
「取り敢えず、お前に雑務の内容を吟味せずに押し付けると後悔する可能性が高いことがよく判った。引き続き地味で地道で作業のような仕事を務めろ」
「こちらとしても、そう願います」
 相変わらず平衡感覚が狂っている枯れ木のような体を引き摺り踵を返す私に、メルヴィッドの声が付いて来る。あの家に戻るのかという問いに対しては、否定で答えた。
「この体であんな人間の所に居ては冗談抜きで死んでしまいます。横になれる東屋のある公園でも探して、そこで体を休ませますよ」
「それならいいが、しかしその体ではすぐに見付けられそうもないな。時間の無駄だ、ゴドリック・ホロウには私が行ってやろう」
「……メルヴィッド、貴方ハリーに会ってから考え方が少し変わりましたか? 墓碑銘を確認するだけの作業なんて私向きの完全な雑務じゃないですか」
 幾ら時間の有効活用とはいえ、そんな雑務をメルヴィッドが進んで行うのは少々腑に落ちない。かと言って、別段怪しい様子も何か裏があるという訳でもなさそうだ。
 暇ならば1週間前のように分霊箱ホークラックス本体の中で眠っていればいいのだ、なのに何故出て来たがるのか。朝のチョコレート菓子の件といい、彼の態度が私の想像とは違う方向に開花して行っているような気がしてならない。別に嫌なわけではなく寧ろ嬉しいとは思うのだが、矢張り妙だ。
 メルヴィッドはしばらく無言で居たが、やがて意味不明な呻き声を上げてからこう言った。
 を味方から外すような事をしたくない、と。
「は?」
「と言うよりも、お前に味方以外と認識される事が恐い。いや、恐怖とは少し違うか。お前の思考や精神が理解出来ない範疇にあると気付いた。薄気味悪い、が一番それらしいかもしれない、その手の感情を持ち始めている」
 約束の相手が生きて天国に居ないのならば殺して墓の下に埋めてしまえばいい。昨夜の言葉をメルヴィッドが復唱する。どうやら、それが彼には理解出来ないらしい。
「私も殺人に手を染めたが、そのように殺した事は一度としてない。自らの欲や復讐、力を得る為には殺したが、お前は違う。強い悪意も、殺意らしい殺意もないのそれは、お前の行動原理は一体何だ」
「何、と問われても……私の行動は、そんなに可怪しい事なんですか?」
「肉体を奪うために都合よく誘導して殺したハリーは兎も角、ポッター夫婦への言葉は明らかに異常だ。自覚がないのか」
「共に居る事を望む家族を同じ場所へ案内する行為が、異常な行動なんでしょうか」
 ハリーとの約束を抜きに考えても、彼等はダンブルドアが所持する騎士団の、同世代のある意味精神的な柱なのだから殺した方が有益だろう。セブルス・スネイプ然り、シリウス・ブラック然り、リーマス・ルーピンは微妙な線だが、ポッター家の人間の生死はこの辺りの内側に強く干渉出来る。
 しかし、そう自分で言った後に気付いた。
「ああ、確かに。貴方から見れば今の私の思考は若干サイコパス寄りかもしれません」
「サイコパス?」
「非魔法界の心理学用語ですよ。詳しい事は知りませんが、確かメルヴィッドの指摘した通り性格異常者に類似する意味合いのはずです。要は殺人にまで到る必要のない動機とそれに関する罪悪感の欠如が不気味なんでしょう」
「そう、だな」
 少し考えてから頷いたメルヴィッドに、さてどうしようかと考える。私も他人の感情に対して相当鈍いが、メルヴィッドも自分の感情に大概鈍いようだ。そして、彼はつくづく、どの時代や世界に於いても優秀な部下や協力者に恵まれないと哀れに思う。
「貴方は既に、解答に辿り着いた後なんですよ」
「一体何時辿り着いた」
 苦い顔をしているだろうメルヴィッドに、私は困ったような表情で微笑みかける。それすら不気味なのだろうか、彼の表情が引き攣った幻覚が見えた気がした。
「お前にとっても、この状況はゲームの一局なのだな。メルヴィッド、昨夜貴方が私に言った言葉をそのままお伝えしましたが、如何です?」
「……ああ。そうか、そういう事なのか」
 納得したくないものを納得してしまった言葉が漏れて出る。一瞬の沈黙で記憶を引き出したのだろう、大きな溜息を吐く音が真横で聞き取れた。
 ゲームをプレイする場合、大半の人間は基本的に善悪の基準が曖昧になるはずだ。無抵抗主義者でもクリア可能な仕様でもない限りRPGやSTGで敵を殺す事に躊躇するプレイヤーは居ない。ACTで相手を気遣い攻撃をしないプレイヤーも居ない。私の場合はどう考えてもクライムアクションゲームだろうが、これはもう殺人や詐取という犯罪行為そのものが目的のゲームなので何も言うまい。
 空想と現実の区別がつかない世代が云々という馬鹿馬鹿しい文句が世に出て久しいが、今回の私を取り巻く状況に限って言えば、どれだけリアルでも現実との区別がついてしまったから、なのであろう。
 無論、正常な人間はこの状況に巡り合ったとしても凶行には及ばないだろうから、元々私自身の罪悪感や他人に対する共感が薄いというのも非常に大きい。
 というよりも、そういった精神構造をしている私にこの状況を当て嵌めた故の行動なのだろう。念の為、そこも補足しておこうか。
「後は先程から貴方が再三仰っているように、私が異常だとしか」
「しかし、自覚はないのだろう?」
「そうですね。指摘されて、よく考えてみればそうなのかな、という程度です」
 この世界のアルバス・ダンブルドアが、その名前と姿形を取っている他人だと理解して、それでも全力で嫌がらせをしようとしているのは、考えてみると異常だ。異常と判っても、別に止める義理もないので嫌がらせの準備は続けるが、その考えも矢張り異常だ。
「そこで臆面なく肯定するから、お前は不気味なんだ」
「内心を綺麗に隠して否定するよりは幾分かマシでしょう。その方が良いというのならば閉心術を駆使して上辺を整えますよ、嘘は苦手ですが頑張ります」
「止めろ。決して頑張るな。不気味さが増す」
「増しますかね」
「お前の性質を知った私から見れば増すに決まっているだろう……何故1週間前の私はこの化物の正体を見破れなかったんだ、そして今の私は何故見破ってしまったんだ。殺そうにも死なない異常者は厄介に過ぎる」
「化物呼ばわりは否定しませんが、本人を前にして殺害予告はしないで下さいね」
 私だって暴言には傷付くんですよ、と軽く言えば、勝手に傷付いていろ化物と返された。私を化物呼ばわりして不気味がっている割には結構威勢がいい。これなら別に今まで通り接しても問題ないような気がするのだが、どうだろうか。
 心の内で訊いた所で誰も応えはしないし、応えが来たとしても参考にしないので、この問いかけも大変無意味なのだが、それでも止めるつもりはない。自分への確認というのも、私にとっては結構必要のある事なのだ。
「まあ、判ってしまえばどうでもいい事ですよね。私は先程言った通り公園で東屋を探しますので、メルヴィッドはどうぞお好きなように行動なさって下さい」
「この問題をどうでもいいの一言で締め括り片付けるお前の精神に、今再び恐怖した」
「だって、どうでもいいじゃありませんか。メルヴィッドと衝突する可能性がないのなら、貴方に手を上げる事は有り得ませんよ」
「……本心からそれを願う」
 協力関係を結んでいる相手が異常且つ化物で追加要素にほぼ不死設定では気が滅入るのも無理はない。安全ピンが抜かれてしまった状態の手榴弾を持ったまま何処に投げていいかも判らず途方に暮れた人間のような声を出したメルヴィッドは、結局現状を受け止めるのが精一杯で他に気が回らなくなったのか私の後を付いて来る事にしたようだった。
 くだらない会話をしている間に、朝霧はいつの間にか晴れていた。