鵝鳥のグリル、アラビアータ風味
無論成熟した青年であるメルヴィッドの方は私が何をする気なのか推測出来たらしく、一瞬目を見張ったが、すぐに納得して不気味な笑みを湛える。止めようとしない所を見ると、この方向性で問題ないらしい。人命軽視の外道だが、倫理と損得を天秤にかけた結果こちらの方が使い勝手がいいと判断してくれたのだろう。
『ハリー、貴方はこの家の人間が嫌いですか?』
視線を合わせるようにベッドの傍で屈んで薄暗い獣の瞳を覗き込むと、絶望が染み込んだ緑色が何もない場所に焦点を合わせていた。それでも言葉は届いていたようで、ハリーはゆるゆると首肯して何かを言おうと唇を動かす。上手く言葉にならないのか、それは中々音にならなかったが辛抱強く待った。
背後でメルヴィッドが既に飽き始め若干苛々しているが知らない振りをしてハリーからの言葉を待ち続ける。この言葉は誘導して言わせるのではなく、自発的に言ってくれた方が後々の覚悟に繋がるのだから。
「……きらい」
『うん』
「きらい、あいつらきらい。しんじゃえ」
『死んで欲しいんですか?』
「しね、みんなしね」
『判りました。では、私が殺してあげましょう』
殺意に滲むハリーの瞳の焦点が合う。負の、理性の光が灯っていた。
「ころしてくれるの?」
『ええ、殺しましょう。沢山苦しめて、全部殺してあげましょう』
「ほんと?」
『本当です。けれど、殺してあげる代わりに、私の欲しいものを下さい』
「ぼく……なにも、もってない」
『いいえ、持っています。貴方の持っているその体を、私に下さい』
「からだ?」
細い枯れ枝のような体を眺めたハリーは、こんなのでいいのかと不安そうな目で私をまっすぐ見つめた。そして気付いたようだ。
「おねえさん、ゆうれい?」
背後のメルヴィッドが激しく咳き込んだ。笑いを殺そうとして失敗したのだろう。
ハリーといいメルヴィッドといい、私はそんなに女性らしく見えるのだろうか。ほぼ同じ女顔の父は男として認識されるのに少々納得行かない。
『いいえ、違います。私は、幽霊ではありません』
「じゃあ、あくま?」
『悪魔でも、天使でも、神様でも、人間でもありません。さっき言ったように、私は、ただの化物です』
「ばけもの」
『そう。人の皮を被った、化物です』
「ひとのかわ。だから、ぼくのからだがほしいの? かわりに、ぼくはしぬの?」
『頭のいい子ですね、その通りです』
別の意味で通じてしまったが、構いはしないだろう。事実、私はハリーの魂を抜き、血肉を奪い、皮を剥ごうとしているのだから、強ち比喩という訳でもない。
微笑を浮かべた私の顔をひと通り観察したハリーはここで初めて笑顔を見せ、手を握ろうとしたのか骨ばかりの指を宙に漂わせた。
「……いいよ、おねえさんにあげる。そのかわり、あいつらころして」
『では、有り難く頂戴致します。約束は必ず守ります、絶対に』
「いたくして、いっぱい」
『ハリーの望むままに、酷く痛く深く怖く傷付けてから、殺してあげましょう』
血腥い内容とは裏腹に、子守唄を歌うように口ずさみ絶えずハリーに微笑みかける。そのハリーの視線が私の背後へと向いた、メルヴィッドが近づいてきたのだろう。
隣まで来ると無言で屈んだメルヴィッドは、私と同じように微笑の仮面を顔に貼り付け、ハリーの警戒心を解いていた。ハリーも食事を与えたメルヴィッドを悪人に分類する事はなく、かといって、根っからの善人でもないとは気付いているのか、少しだけ困ったような顔をして私を見る。
『この人は大丈夫ですよ』
「……うん」
相手が子供だからなのか、それとも同性だからなのか、メルヴィッドの美貌もハリーには通じていないようだった。メルヴィッド自身も容姿で押そうとは思っていないのか、普通に私に話しかけてくる。
「話が済んだのなら、私も手伝おう」
『ダーズリー一家を陰湿且つ精神崩壊が起こるまで徹底的に嬲り殺す作業をですか?』
「それすら作業と言い切るの精神構造に疑問を呈したいが、それは後だ。ハリーの魂を剥ぐのだろう?」
『ああ、成程。そういう事は私よりも貴方の方が手慣れていそうですね、ハリーが痛みを感じないように出来ますか?』
「私を誰だと思っている」
要らぬ質問だったらしい。しかし、メルヴィッドは特に気分を害した様子もなく答えた。矢張りハリーの事を気に入っているのだろうか。人間としてではなく、道具としてだが。それでもまだ、私よりはマシだろうが。
「しぬの、いたい?」
『ハリーのは痛くありませんよ。この人が、痛くなくしてくれます』
「……ありがとう」
「殺す相手に感謝されるのは初めてだな」
どういたしまして、とも言えず、メルヴィッドが戸惑ったように私を見た。
苦しみから解放してくれる相手が目の前に居るなら感謝くらいしますよ、と返すと酷く複雑な表情をされる。先程私が出来なかったように、メルヴィッドもまた、私とハリーの考えに共感出来なかったのだろう。
『でも、その前に一つだけ。ハリー、貴方が安らかに眠れるように、約束させて下さい』
「やくそく?」
『ハリー・ポッター。本名をハリー・ジェームズ・ポッター。死んだ貴方の魂が迷子にならないように、どうか、お墓を作らせて下さい』
「おはか?」
『はい。貴方の魂が、お父様やお母様に無事天国で出会えるよう、お二人のお墓の間にお墓を建てさせて下さい』
「パパとママ? ぼくの、パパとママにあえるの?」
『ええ、勿論。逢えますよ。お父様のジェームズ・ポッターは貴方によく似た顔で、お母様のリリー・ポッターは赤い髪にその綺麗な緑色の瞳をしていますから。二人共すぐに息子のハリーだって気付いてくれるでしょう。ただ、天国には人が沢山居るので、少しだけ、時間がかかるかもしれませんけれど』
横でメルヴィッドが私も女に対してアレだが貴様も子供に対して大概だなと呟いているが無視をする。大体今更になって大概と言うのは少しおかしい、私は口調こそ慇懃無礼だが根は元からこんな人間である。
『それでは、貴方に訪れるこれからが安らかなまま続きますように』
私が立ち上がり、次いで隣のメルヴィッドが半ば実体化しながら立ち上がる。右手には杖を握り、真っすぐにハリーを指していた。では、と一拍置いて、祈りのような、歌うような呪文の後に目が眩むような静かな白い閃光。
閃光が収まった後には、安らかにベッドの上で眠るハリーがいた。魂だけを乖離させたので体の機能はまだ生きている。所謂、植物状態だ。
横たわるハリーへ手を伸ばすと、あの時の猫のように視界が一回転する。目の前には薄暗い天井らしきものと、思っていたより普通に入るから面白くないと感想を漏らしているメルヴィッド、と思わしき幽霊のような人物の声。
「……」
「どうしたんだ、。不具合でもあったか」
「色の判別は出来ますが、目が、ほとんど見えません」
部屋の寒さに体が震え、掠れ出た声に喉を押さえた。枯れ枝のような指で閉じた瞼をなぞり、再び部屋を眺めようとするが、何の輪郭も定まらない。
色の判別は問題ないが、視力が著しく落ちている。心なしか耳も遠く、メルヴィッドの声が上手く拾えない。顔を上げようとするが平衡感覚もどこか変だ、三半規管を痛めているかもしれない。舌の根も若干痺れている。
痛む体を無視して側頭部に触れると酷く痛んだ。そこに出来ていたコブを撫でると手に乾いた赤黒い物が付着する、血だ。原因はこれかもしれない。
「治すか。ホグワーツに忍び込めば、ある程度は出来るだろう」
「いえ、この先必要な傷なので、今はまだこのままで」
「この先? 、一体この家の奴らに何をするつもりだ……いや、それよりも先に」
言葉を切って、メルヴィッドがハリーの体に触れた。部屋は寒かったが傷を癒すには適しておらず、こうしてコブに触れられた手の平の感覚はないはずなのにどこかむず痒い。
「未練を残してゴーストにならないよう偽った言葉。ハリーの両親の件は、どうする気だ」
向こうで会えなければ戻って来るかもしれないぞ、と告げるメルヴィッドの思考が、私にはよく判らなかった。
「だって、ハリーの両親は、今、ここに居ないじゃありませんか」
「居ないだけで死んでいるとも限らない。精神が崩壊しているだけかもしれないと言ったのは、、お前だぞ」
「同じ事ですよ。それならば居場所は知れます、聖マンゴの隔離病棟でしょう」
横になり体力を温存しながら、私は緑の目でメルヴィッドを見ようと視線を上げた。
「場所さえ判れば後はどうとでも。生きて天国に居ないのならば、殺して墓の下に埋めてしまえばいいんですよ」
それがハリーとの約束だと結ぶと、長い沈黙の後に大きな溜め息を一つ吐いたメルヴィッドが納得したような声で言った。
曰く、成程、申告通りの化物だったかと。