アスパラガスとバジリコのグリーンパスタ
『色々と包み隠さなくなって来ましたね。特殊な設定だからといって全てがプラスに働くとは限りませんよ。相手と使い方次第、ではありますが』
威厳を誇示するように足を組んで宙に浮くメルヴィッドは、ふうん、と呟くと顎をしゃくって先を促した。肉体のマイナス要素を引っ繰り返してプラス要素として扱った事に興味があるらしい。私一人の実力で成したことではないのであまり参考にならないのだが。
『この世界に来たばかりの私や、先程までのメルヴィッドが勘違いしたように、この状態はゴーストと似ていますが明らかに違う点がありました。私のこの状態は、ある共通点を持った特定の存在にしか認識されません』
そう言って、今まで私を認識したものと、そうでないものを改めて振り分けた。
私を認識した存在は、生まれたばかりの子供が1人、死にかけた猫が1匹、分霊箱が1つ、寂しい老人達が複数。これ以外は、たとえ魔法使いだろうと魔法界の絵画だろうと、ホグワーツに棲む生徒のペットだろうと、ゴーストだろうと、不死鳥を筆頭とする魔法生物だろうと、私という存在を認識出来なかった。
目の前の赤い瞳が言葉を羅列していくにつれて考えを纏める為に伏していく。愚鈍な私ですら判った共通点だ、彼に判らないはずがない。
「は……お前は、肉体と魂の結び付きが弱い存在に認識されるのか」
『仮説の域を出ませんが、恐らく、それが正解でしょう』
乳飲み子の魂は未だ肉体に定着しておらず、猫は逆に死ぬ間際で今にも魂が肉体から乖離しそうであった。寂しい老人達も、同様だ。
メルヴィッドの本体である分霊箱も本来の肉体から魂の一部を引き剥がし別の物質に埋め込んだ存在なので、本体である器、この場合はレイブンクローの髪飾りを肉体と定義すれば別口で育まれた魂との結び付きは希薄であると言え、この条件に当て嵌まる。
魂と肉体の距離が遠い者だけが認識出来る状態、それが、今の私だ。
だから私は、老人達に直接会うだけで彼等が何時頃死ぬかどうかが判ったのだ。
メルヴィッドの隠れ蓑を探す条件として私を認識出来る事とあったが、これは別に彼等と対話をするためではなく死期が近いかどうかを確認したかったに過ぎない。魔法か科学技術があれば対話の書面くらい容易く作成出来る、私自身が認識される必要性はないのだ。
隠れる事なく一方的に罠を仕掛けられる特殊な能力、しかし、それでは余りにも面白みがない。第一、私の脆弱な精神では誰にも認識されない孤独に何年も耐えられない。
体と魂の結び付きの強い存在や、肉体を持たない魂だけでは認識出来ず、生まれたばかりや死にかけた存在が近くにあっても使いようのないマイナスの状態。これは、分霊箱という生死の境界のギリギリ生側に立つ、非常に特殊な存在が間近にあって初めてプラスになる設定なのだ。
私にこの能力を付け加えて送り出した父は、ここまで読んでいたのだろう。しかし、恐らくここまでだ。
「お前の父親に上手く転がされた気がしないでもないが、しかしここまでだな」
私と全く同じ感想を、メルヴィッドが述べる。
「の目的であるダンブルドアへの復讐という大筋は相変わらずお前の父親の掌の上だろうが、私の方はそうでもないようだ」
そう、メルヴィッドは既に自由に扱える肉体と戸籍と財産を手に入れる目処が立った。利害は変わらず一致しているのだから最早野放しで構わないのだ。
何より、これ以上共に居るのは私の背後に座する父に過干渉されかねない。多かれ少なかれ、私の思考はあの男に影響を受けているのだから。
定期連絡か、必要な時にだけ駒の私が手を貸す程度で十二分だろう。彼は、時折出てくるミスをフォロー出来る誰かが居れば有能な働き者なのだ。ただ致命的にその部下に恵まれないのが可哀想な天命ともいえるのだが。
「問題があるとすれば、お前をどうするかだな。雑務を熟し、使い方を考えてやると言った以上、考えてやらなければ」
『捨て置いて宜しいのに、律儀な方ですね』
「下手に手を詰まらせて無計画に私以外の分霊箱を復活させられても困るからな」
『成程、私の事を良くお判りのようで』
事実、あの時の私は早々に手詰まりに陥り、単に今一番近くにあって一番不幸な壊され方をした、という理由でメルヴィッドを復活させたのだ。同じような理由で手に入れるのが比較的容易な指輪辺りを復活させられたら困るのだろう。確か、指輪の彼は学生時代に作成された物でやんちゃ盛りだったはずだ、メルヴィッド程聞き分けがいいとも、大人しいとも、御し易いとも思えない。
必要なものを手に入れ、計画にある程度方向性を持たせたからには、明後日の方向へ暴走して貰っては困るのだ。主にメルヴィッドが。
「さて、使い方次第では便利な体だ。どのような仕事を与えようか」
『そちらも悩んでいらっしゃるなら、今のうちに幾つかお願いを聞いて……許可をいただいても宜しいでしょうか』
「協定時に部下にはならないと啖呵を切った私に許可まで求めるのか」
『聞くだけならいいと言われそうでしたので』
「も私の事を多少は判ってきたじゃないか。で、何だ」
『お願いは2つありまして、1つは私に向かって軽度の呪文を唱えていただきたいのです。追い払い呪文とか、軽い呪文ですよ、死の呪文は誰がどう見ても最重量ですからね?』
「チッ……念の為、理由を聞こうか」
清々しい程邪悪な舌打ちの後で普通に会話を繋げるメルヴィッドを見ていると、徐々にだが確実に人格が崩壊している気がしてならない。昔の彼はこうだったのだろうか、それとも打てども響かない私の所為なのだろうか。後者だとしたら私が変化するつもりがない以上、崩壊速度が加速度的に増して今後が想像出来ず若干不安になる。
『先程お話した通り、私は大抵の存在に認識されないのですが、貴方が居た必要の部屋の入口は開ける事が出来たんです。呼び寄せ呪文や姿現しも出来たので魔法への干渉が可能なのは確実なんですが、では逆はどうかと疑問に思いまして』
当初ゴーストと勘違いした事からも判るように、私は物理的な干渉は一切受けない。が、魔法という事象に対してはどうなのか実はまだ判明していない。これは彼が傍にいる内に頼んで解決しておくべきだろう、別の分霊箱を勝手に復活させないようにと釘を刺されたので、次がいつになるのか想像がつかない。
「ああ、そうか。それは確かに万が一の可能性を考えると死の呪文だと困るが、しかしお前は私に生気を奪われても平気なのだからそれ程心配する必要はないだろう。何より、これから起こる激動の時代の修羅場を過去にくぐり抜けてきた猛者ならば磔の呪文程度は軽く耐えられるはずだ」
『流石上げて奈落へ落とすのが上手いですね、もしもの可能性が捨て切れない以上重量級の呪文も許可しかねます。私は事象に対して受動的な人間ですが被虐嗜好者ではありません。追い払い呪文がいいって言っているじゃ……ああ、もう無駄だと判りました。死の呪文以外ならばお好きにどうぞ』
全てを諦めた表情を浮かべた私を、メルヴィッドはそれは楽しそうに見下ろしていた。どう考えても磔の呪文が飛んでくる事は判り切っていた。
杖先が私に向き、低い声でクルーシオと唱えられる。放たれた閃光の向こうで、非常に楽しそうなメルヴィッドの表情が見えたがもう気にしない。そうこう考えているうちに、しかし光の塊は私の体を通り過ぎ背後のレンガ塀で散った。
どうやら私は大方の予想通り魔法に対して一方的に干渉出来る存在らしい。目の前で不服そうな顔をしてつまらんと言っているメルヴィッドの姿を見なかった事に、声を聞かなかった事にする。
「で、もう1つの願いは何だ」
あからさまにテンションが下った様子のメルヴィッドが、やさぐれたランプの魔神のような台詞で問いかけてくる。そんなに残念だったのだろうか、残念だったのだろう。
『今後の為にハリー・ポッターの様子を見に行きたいな、と思いまして』
「ああ、お前の世界で私の本体を殺した子供か。そう言えばこちらの世界ではロングボトム家の子供に成り代わっていたんだったな」
確かにそちらの動向は多少気になるなと言い、赤い瞳が暗闇に向かい僅かな時間、思考を巡らせる。見に行くべきか否か、その天秤はすぐに傾き決定された。
「顔は知っておきたい、私も行こう。どうせあの女の用意する書類が揃うまで時間はある。ポッターの立ち位置が使えるのならば、今の内に適当な手を打ってもいいだろう」
住所は判るか、と問われたので少し考え込む。否、無論知ってはいるのだが、もしもそうだった場合、非常に不安な予測が脳裏を掠めた。
『私の世界ではサリー州のリトル・ウィンジング、プリベット通り4番地でしたが、これはハリーの両親の死後預けられた伯母の住所です。もしも彼の両親が顕在ならば西部地方のゴドリック・ホロウですが……ああ、しかしロングボトム少年の両親は共に精神崩壊していましたし、成り代わっているのならば矢張り前者でしょう』
「どちらでもいい、可能性としてはその2つが大きいのならばそれ程手間はない。それとも他にも可能性があるのか」
『後見人の居るブラック家でしょうか、こちらはメルヴィッドもご存知かもしれませんが、ロンドンのグリモールド・プレイス12番地です。ただこの世界のポッター家とブラック家の関係や、シリウス・ブラックがどうなっているのか判らないので何とも言えませんが……この3点でなく、しかも両親が死亡していた場合は児童養護施設、も新しい言葉ですかね。孤児院をローラー作戦します』
「本当に地味で淡々とした作業のような作戦が好きな男だな。しかしこれがの次の仕事が決定する分水嶺だ。孤児院となると教会も含まれる事は知っているか? 今回は範囲が洒落にならないくらい広くなる、精々見つかるよう祈っておけ」
優しげな言葉とは裏腹に、隠しもせずせせら笑ったメルヴィッドは、一足先に行くと言ってその場から消えてしまう。
澱んだ裏路地の空気の中に取り残された私はというと、彼の言葉通り広範囲過ぎるローラー作戦が開始されないよう祈り、それよりも、もっと悪い予測が的中しない事を願いながら冷たい空気の中に溶けて消えた。