かぶらの煮付け
道すがら会話をするのに適当な場所や路地ならば幾らでもあったように思えるのだが、メルヴィッドはその全てを無視して夜霧を切り裂きながら未だ黙々と移動していた。
声を掛ける必要性を感じなかったので私もひたすら彼の背を追うばかりだったが、ここに来てようやく、歩き出した時と比べて若干様子がおかしい事に気が付いた。歩幅は大股から通常のものとなり、真っすぐ前を向いていた頭部がやや下を向いている。憤っているというよりは考え事をしている風の歩き方だ、今になって何か引っかかる事でもあったのだろうか。
それでもしばらく様子を見ていると、やがて彼はぴたりと立ち止まり、おもむろにここでいいかと呟いた。街灯の明かりが切れ何日も人が通っていないような酷く空気の澱んだ路地はしかし、あまり大声で言えないような内容を話すには適した場所なのだろう。
月の光もなく深夜の家々から漏れる明かりすらない闇の中で、それでもメルヴィッドの姿形がきちんと認識出来るのは偏に彼が人間ではないからなのだろうか。こういった時、霊体とは案外便利な状態のかもしれない。
澄んだ薄いベールを幾重にも通したように見える体が私の方を向き、値踏みするような視線が頭の天辺から踵までをゆっくりと這う。何か腑に落ちないような表情をしているが、私が判るのはそこまでだった。薄い唇がゆっくりと開かれ、声が紡がれる。
「お前は、一体何だ」
『……何、とは?』
予想していなかった質問に思わず間抜けな言葉を返すと、メルヴィッドの顔が物凄く不快そうに歪んだ。質問の意図が読めない。
「、私にまだ隠している事があるだろう」
『それはまあ、山程ありますが』
そんなものあって当たり前だろうと素直に述べると悪態と共に舌打ちを返された。彼の態度は日を追う毎に普通の若者のそれと変わらなくなって来ている。こんな意思疎通が困難な爺を相手にしていては苛々するのも仕方がないし可哀想だとは思うが、そう感じているのに私自身一向に改善する気が起きないのが非道といえば非道だろう。
しかし彼の言う隠し事とはどの程度のものなのだろうか。
リドルと私が擬似的な親子関係だった事は話したが、実は恋人同士で10代前半から肉体関係まであった事を筆頭に、不必要な情報というか、メルヴィッドに精神的な打撃を与えるような内容はそれとなく伏せてきたので、隠し事と大きく括られてしまうと本当に結構な数が存在するのだが。
範囲が広過ぎるのでもう少し詳しくお願いしますと頭を下げると、メルヴィッドはもう一度舌打ちをしてから視線を逸らした。後ろめたい事でもあるのだろうか、若干言い出し辛いらしい。
「あの家を離れる前にお前の生気を奪った」
『おや、然様ですか』
「然様ですかじゃない。普通ならば廃人になる程奪ったはずなのに、どうして平然としていられるんだ」
物騒な告白をした通りの、生気に満ちて輝いて見える紅の瞳が私を睨み付けた。そんな事知らない私も不思議だ、と素直に返そうものならそのまま勢い余って死の呪文が3発程炸裂しそうな雰囲気であったので、考えていた中で一番有力な仮説を挙げる事にする。
しかし、その前に気付いた。私はメルヴィッドに、重要な事を言いそびれていた。少しばかり遠回りな説明になるかもしれないが、果たして許してくれるだろうか。
『そういえば、貴方にお話したのは私の世界で起こった出来事くらいで、この体についてはほとんど説明しませんでしたね』
「どういう事だ、向こうの世界でもその体ではないのか。確か父親以外が霊体なんだろう」
『生憎と私もまだしぶとく生きていますよ、1世紀は生きていないだとか肉体に抗加齢処理をしているとか言ったでしょう。あちらにもちゃんと……未だちゃんと原型を留めているのか確信を持てませんが、肉体はあります』
「その妙に不安を煽る内容が気になるんだが」
『いえ、実父という立場の癲狂男が私の体に何かやらかしている可能性がありまして』
「何だ、スプラッタにされて豚の餌にでもなっているという類ではないのか。お前の話を聞いた限り、躁病気味の変人だが息子を殺すような男ではないから青い顔をする必要はないだろう。これ幸いと肉体改造されて女か幼児に変態させているかもしれないが」
『豚の餌も嫌ですがそういう方面の洒落にならない事言うのも止して下さいね!? 自分で言っておいて何ですが本当に有り得そうな気がしてきたじゃないですか!』
触手との融合や四肢の機械化などという余りにも日常生活に支障を来たす改造はしないだろうが、女体化、幼児化、獣耳くらいならば平気でしそうな父、というより家族全員、否一族郎党に目眩がしてきた。恐らく、屋敷内で最も穏健派であるお祖父様も幼少期の溺愛振りを思い出すに特に幼児化辺りは止めてはくれないだろう。最悪の場合、本人不在のままその案が満場一致で可決されていそうだ。
痛まないはずの胃がギリギリと唸っている幻痛がして思わず抑えると、頭上でメルヴィッドが成程お前もこういう反応も出来るのかと楽しそうな声で呟いていた。数分前とは違い随分御機嫌なようだが、同時に嫌な予感が増す。
「いや、話に聞くお前の父親の性格を考えると、女か幼児かではなく女で幼児の可能性の方が高いか」
『明確な事実に裏打ちされた否定しづらいカオスな妄想を口に出さないで下さい』
「いいじゃないか。どうせ元から女顔なのだから、後は肉体の成長速度を逆転させ胸に脂肪を詰めて生殖器を変えるだけだ。ああ、生殖器だけが何故かそのままというのも更に混沌としていて傍から見ると面白いな、寧ろ増やして両性具有になってしまえ」
『当人は全く面白くありません。人為的アンドロギュノスのロリ巨乳で中身爺の過剰設定とか勘弁して下さい、それと、あまりしつこいと私だって怒りますよ?』
「獣の要素も付けようか、耳と尻尾と首輪と鎖、それと全裸か。仰向けになって腹を出して媚びてみろ」
『嫌です拒否します断固として反対します。大体、そこまで行くと精神的ブラクラ型妄想とか、アブノーマルなプレイみたいになって来ているじゃないですか』
それとも貴方実はそういう嗜好がお有りなんですか、と反撃としてやや距離を置きながら直球で尋ねると、不名誉だったのか眉根が寄った、当たり前だが違うらしい。並外れた美形を持つ彼ならば何をしても似合うと思うし、別にそういった嗜好でも私がターゲットにならなければ全く問題ないと思うのだが、言ったら逆に引かれそうなので止めておいた。
余りにも不毛なやり取りに両者共ちょっと精神的に疲れたので、それぞれ溜息を吐いてから話を戻そうかとどちらともなく言う。
『ええと、どこまで話しましたっけ……ああ、あちらに私の肉体が放置されている所まででしたか』
「もう妙な予想を混ぜるな、気になって話が逸れる」
『お互いの為にそうした方が無難ですね。それで話を戻しますが、今の私は意識だけの状態で、体そのものは元の世界に置いて来ているんです』
「そんな事が可能なのか」
『まあ、その辺はあの父が色々と、ねえ』
「ああ……頭の良い馬鹿が身近に居るというのも、存外大変だな」
多分初めて、メルヴィッドが私に同情のような感情を向けた。彼は私と違い察しがいいので本当に助かる。
思わず愚痴を零したくなり、かなり強引な手段というか、有無を言わさずでしたが、と付け加えようとして、そこからまたどうでもいい話に発展する予感がしてなんとか堪える。最近薄らいで来ていたのだが、ここに来て久々に父を殴りたいと思った。
「その父親の事だから、素直に霊体になったという訳ではないようだな。いや、そもそもそこからおかしい事に私も気付くべきだったな、ゴーストから生気を奪えるはずもないと」
『お察しの通り、私はゴーストではありません。ここからは最近考え付いた仮定の話なのですが、多分私は霊体と表現するよりはアバターや、私の形をした端末装置、特に入出力装置と比喩した方がいいと思いまして』
「アバターとは何だ。入出力装置は文字通りだろうが、端末とはどういう意味だ」
『ああ、そうか。コンピュータ系の比喩で伝えるのは難しいですね、パソコンの普及すらあと10年は必要ですし、他にどう表現すればいいのか……ちょっと考えさせて下さい』
思わぬ所でジェネレーションギャップ、しかも若い方が時代が古いという現象が生じて頭を捻る。生きた時間の割に語彙が足りない自分が恨めしい。
『かなり簡潔になりますが、メタに近い存在というのが今の私の状態だと思っています』
「近い、というと完全なメタではないのか」
『ええ、そのものではありません……そうですね、例えるなら、この世界がボードゲームの舞台だとして、メルヴィッドも私も盤上の駒に過ぎないとします。ただ、たった一つだけ決定的に違う事があって、その駒が指手の分身であるか否か、という点です』
ゲーム中のPCかNPCか、この辺りはRPG辺りで比喩をするのが楽なのだが、如何せんメルヴィッドが生きていた世界的激動の時代にその手のゲームがあったかどうか定かではない。あったとしても、彼が遊んでいる姿が想像出来ないのだが。
『駒同士が競り合って破壊された場合、指手と同一である通常の駒は舞台から強制退場させられ、以後ゲームへの干渉は不可能です。所謂、死ですね』
「成程、指手が駒そのものではないお前の場合は、という名の駒が破壊されたとしても、ゲームの外に存在する本来のは一切傷付かない訳か」
『そういう事になります。尤も下位の存在である駒の私は、上位の存在である指手の私の状況を確認出来ませんので、恐らくとしか言いようがありませんが』
「指手のお前にとっては私も下位の存在という事か。ならば元の世界のお前が私に生気を吸われ干からびていた、という可能性は低いな」
『でしょうね、指手は駒の世界に干渉出来ますが逆は難しいですから。まさか駒同士のやり取りでも圧倒的に有利に運ぶような過剰設定をされているとは思いませんでしたが』
「設定か。お前の父親、いや、お前にとっても、この状況はゲームの一局に過ぎないのだな」
『こちらに来た当初はともかく、今はこの世界が現実そのものだという意識が薄らいでいますので強く否定は致しません。酷い男だとお思いでしょう』
「確かに酷いとは思うが、調子に乗って妙に張り切られるくらいなら酷い方がマシだ。前にも同じような事を言ったと思うが、それでもお前は無能な働き者共よりは使える」
『無能な働き者って、それ処刑後に大地の肥料にするしか利用方法のない最底辺の事ですよね。しかも共って事は複数存在するんですか』
「現時点でしているだろう。セブルス・スネイプ、マルフォイ家、イゴール・カルカロフ、ピーター・ペティグリュー……ブラック家のレギュラスは既に死んでいるか」
『ああ、成程。でもそれは無能な働き者というよりも裏切り者、逃亡者リストですよ』
私が伝えた死喰い人達の情報をしっかり覚えているメルヴィッドは、いっそ全員滅びろと不穏な事を呟いて、いや逆に残しておけば老害が自滅するかと物騒な訂正をし、老害が死んだ後で殺そうと非生産的な計画を立てていた。因みに老害こと私の世界のヴォルデモートが死亡した時分にリスト内で生きていたのはマルフォイ家の3名だけだ。
リスト外ならば、私の名が真っ先に浮かぶのだが。
「お前を含めないから、無能な働き者のリストなんだ」
『閉心術は常にしているんですが、顔に出ていましたかね』
「お前の目は口程に物を言う」
私を鼻で笑ったメルヴィッドには否定も同意もせず、ただ首を傾げ少し困ったように笑い返すだけにしておいた。私の口は真実を語らないのだから、目がどの程度語ろうが大した内容ではないはずなのに。
触れて欲しくない事や本当に隠しておきたい事をこうやって誤魔化す私は、矢張りどうしようもなく酷い男なのだ。