貝柱と青梗菜の中華風ミルク煮
11月上旬の冷たい風に吹かれながら住宅街の屋根の上に座り、頭上に広がる闇夜をカンバスにしてMelvid Rood Latromと光る文字を掲げると、彼は指先を振って単語をバラバラにした後にTom Marvolo Riddleと組み立て直してから消し去った。ヴォルデモートも元々アナグラムであってので、由来はすぐに理解出来たらしい。
「無理矢理アナグラムにした所為でミドルネームが苦し過ぎる、それに綴りが綴りだ、旧姓だと勘違いされるぞ。全体的に珍しい名前だが伝統を感じさせないし、センスもない……アメリカ人のような印象を受ける名前だな」
『私としては貴方が何処の国の人間と捉えようが構いませんが、伝統的匿名のジョン・スミスやリチャード・ロウと名乗るよりはマシでしょう。これでも頑張った方なんですよ』
「頑張った所でそれを評価されなければ意味がない。この1週間、が何をしていたかによって及第点を与えるかどうかが決まるな、首尾はどうなった」
矢張り名前云々は私をからかう為だけの提案で、重要なのは肉体と財産と戸籍のようだ。当たり前と言えば当たり前であるが、さて彼はこれで満足してくれるかどうか。
『一応は貴方を養子に迎えて下さる方とお話は済んで、後は貴方が首をどう振るか如何の状態です。余命幾許もない方なので多少気の早い所はありますが、優しいご婦人で、動産、不動産含む財産もある程度ありますし、快く全額を貴方に譲ると仰っています』
「お前、期待はしていなかったが、本当にやってのけたのか。服従の呪文……ではないな、それでは足が付く、第一に違法だ。魔法界のものではなく、合法的なマグルの方法か。言語センスは死んでいるが、それを除けば部下でないことが惜しいくらいだ」
『名前の方はもうどうにでもして下さい、たとえ戸籍を作った後でもイギリスは改名が簡単ですから何とでもなるでしょう。それ以外を褒め言葉として有り難く頂戴したい所……なのですが、情けない事に私の行動は向こうの世界で見たアニメーションのシナリオから行動を模倣したに過ぎません。それにこの時代のイギリスは移民が非常に楽ですから書類が通り易いんです、結局は時の運に恵まれただけですよ』
「ではどうやって時の運を引き寄せた、まさか道端で座っていただけでもないだろう。重要なのは過程よりも結果の方だが、時として過程も重宝される事があり、今がそれだ。お前が1週間で一体何をしたかに興味が出た、話してみろ」
少年の様に目を輝かせた彼は普段よりも少し早口で私に近付いて言ってきた。彼のような美しい人間がこういった可愛らしい行動を取ると破壊力がある。思わず頭を撫でてやりたい行動に駆られるが、もの凄い勢いで怒られそうなので自重した。
明瞭簡潔に纏める行為が苦手なので少々面倒臭いが、彼の頼みなので1週間前の事を思い出しながら彼に経緯の説明を始める。とは言っても、華のない話なので早い段階で飽きられるような気がした。しかし聞かせろと言っているのは彼なので、今後の参考の為に話していておいて損はないだろう、やり方さえ理解すれば彼ならもっと上手くやるだろうから。
『では、お話させていただきますね』
1週間前、ホグワーツから必要な物品を失敬した私はすぐにロンドン中心部へ赴き、単独ローラー作戦を開始した。
作戦とはいっても大したものではなく、要は独居老人宅を定期的に訪問するNPOの事務所を片っ端から当たり、無断閲覧した資料に記載されている高齢者宅へ出向いては養子縁組させる理想的な相手をひたすら探すという、本当にどうしようもなく地道な作業だ。
条件は多く、易しくない。まずは私を認識出来る事。次に自らの生に対しての執着が希薄である事。ある程度纏まった財産を所持している事。リドルと反発しない性格である事。そして、社会的にも法律上でも孤独である事。
特に最後の条件は重要だった。
満たされた人間よりも寂しい人間の方が付け入り易い。何よりも、親族や親しい知人が居なければ遺産相続や財産分与の件で問題が起こり辛く、突如出現した養子が何者であるか調べられる危険もない。また、生気を奪っても周囲にあまり怪しまれない。
こうした条件のもとで行った地味過ぎる作業が功を成したのか、それに見合う老人はそれなりの数が確認出来た。私も姿形は兎も角中身は老人であるので、これに関して思った事は正直言うと伏せておきたい。尤も、実際に会って私を認識出来るか確認した後できちんと話を聞いてみると、国内外問わず遠方に親類が居る者が大半であった。否、見方によってはそちらの方がより悲惨なのかもしれないが。
心底複雑な心境になりながらも探し続けた甲斐あって、私は一人の老婦人と出会う事が出来た。ロンドン近郊に住む、メアリー・ガードナーという名前の通り庭弄りが趣味だった、線が細い優しげな印象を受ける女性だ。
彼女はもう長くないと医師から診断され、処方された薬で痛みを誤魔化しながら生きている人間だった。線が細いのもそれが原因なのだろう。ベッドの上に痩せた体を横たわらせながら儚げに笑う姿が、肺病で亡くなったお祖父様と被った。
先の大戦で夫と一人息子を喪い、他に身寄りもなく看取ってくれる親戚もいない孤独な彼女は、私の持ちかけた養子縁組の話を非常に喜んだ。それこそ、こちらが戸惑ってしまう程の喜びようだった。
戻れない死の淵に立った孤独な老人を付け狙った名ばかりの養子縁組、実際には戸籍ロンダリングと呼べるような行為でおまけに生気を奪われ死期が早まると正直に話したが、それでもいいと彼女は安堵の表情で首を縦に振った。
元々手の施しようのない病気を患い風前の灯火の命だ。自分の子孫が、名前が、たとえ墓碑や書類の上でも残る事が嬉しいと言っていた。使い果たせなかった財産が国に没収され、小難しい屁理屈ばかり並べたどうでもいいような事に使われるのは嫌だと言っていた。
子孫を作らず精神だけが老いた私には、彼女は曇った鏡のような存在でもあった。自らの存在意義をどうにかして見出そうと足掻く姿勢が多少似ている、程度の共感なのだが。
彼女と出会ってからも他の候補を探す事は止めなかったが、それでも毎日、時間を決めて夜の数時間を彼女と過ごした。大体は彼女の趣味である園芸の話で盛り上がり、私の知らない草花の手入れ方法等も教えて貰えた。
「、話が逸れて来ている」
『確かにそうですね、どうにも私の話は脱線しがちで。さて、そろそろ彼女の部屋にお邪魔する時間なんですが、貴方は如何しますか?』
「書類上だろうとマグルの女の息子になるのは癪だが、それ以外の条件は悪くないな。行くだけ行こう。嫌ならば断っていいのだろう」
『ええ、最終的な判断はあくまで貴方に委ねていると、彼女にも伝えてありますので』
「……これで致命的に間抜けな所さえなければ使える部類なのにな」
何故ここまで出来るのに妙な所で抜けているんだと非難されるが、私は元々こういった事務作業員よりも、武器片手に先陣を切って血路を開く暴力男に近いと弁明する。
結果、それはないだろうと物凄く胡散臭い物を見る目で見下ろされた。大体見た目からして想像出来ない、自己申告した脳筋というのも嘘だろうと妙な力強さで断言をするというおまけもついた。
だから見た目に騙されてはいけませんよ、と言ったが彼の変な所で頑固なようで聞く耳を持ってくれない。それが嫌だという訳ではないのだが、頭脳派と分類されてその手の力添えばかり期待されるのは荷が勝って少々困る。
「まあいい、案内しろ……所で先程からずっと気になっていたんだが」
『はい』
「お前の膝の上に居る、その人形は何だ」
『貴方の時代にもあったはずなんですが、ご存知ありませんか? ピーター君という名前のネザーランド・ドワーフのぬいぐるみです。貴方の居たあの部屋で破れて埃塗れのまま放置されていたので、綺麗に洗濯してから磨いたレイブンクローの髪飾りを隠し入れて、こうして繕ってみたんです』
「待て、今、聞き捨てならない言葉を耳にした。髪飾りを入れただと?」
『隠すのには丁度いいかなと思いまして。ほら、見て下さいよ。貴方と連動するように魔法をかけたんです、こうして見ると愛らしさも一入でしょう』
「貴様は本当に馬鹿な男だな!?」
彼の杖とピーター君の短い腕が完全に同期して私を指した。怒られるのは予想していたので落ち着いて座ったまま、ついに二人称がお前から貴様になったなと感心していると、赤い瞳がいつの間にか殺気を帯びていた。
「貴様共々分解してやるからそこを動くな」
『単なる好奇心でやってみただけですから、分解なんて物騒な事をしなくても事が終われば取り出してお返ししますよ。それに貴方が彼女を気に入った場合は肉体を得る為に生気を頂戴するのでしょう、手癖の悪いNPOの人間も居るようですから質流れする可能性だってあるんです、彼女の傍に置いておくのに髪飾りのままというのは問題ですよ』
「確かに言われればそうだが……まさか、それも予想していたのか?」
『いいえ。たった今それらしい言い訳を考えついたので口に出してみただけです』
「馬鹿なのか正直なのか使えるのか大馬鹿なのかはっきりしろ老害が!」
『嘘が苦手な馬鹿正直で大間抜けの爺ですよ。ああ、丁度いい刻限ですね』
雲に覆われた冷たい夜空を見上げて立ち上がり、ふわりとその場に浮かび上がる。肩で息をしながら眉間に深い深い皺を作った彼も私の後に続き、私達二人は視線で意思の疎通を済ませると冬の暗闇を渡り始めた。