曖昧トルマリン

graytourmaline

ディル風サーモンマリネ

 時折挟まれる指摘に答えながら私の世界で起こった過去の出来事を粗方話し終えた時には、体内時計が狂い現在時刻が判らない状況になっていた。もう夜は明けているだろうが、今が朝なのか昼なのか判断がつかない。夕方、にはまだなっていないと思う。
 室内が常に一定の光量で照らされている事と、肉体が存在しない所為で疲労も空腹も感じない事、時間が計れないのはこの二つが大きな要因だろうか。
 リドルは顔を伏せて思考に沈んでいた、視覚の情報が邪魔なのか目も伏せていて、可能ならば耳も塞ぎたいと思っているかもしれない。随分無防備な格好だが思案をするにはこのくらいが丁度いいのだろう。
 私からある程度の情報を引き出した彼は、これから単独で行動を起こすに違いない。ある程度しか信用されていない私は最早邪魔以外の何者でもない、連絡だけ取れるようにして、また利用できる機会にでも利用しよう、くらいは考えているかもしれないが。
 そうしたら私は、どうしようか。
 全てを彼に任せるというのも気が引けるので、また別の手を考えなければなるまい。そしてその手は、今から行動を起こすであろう彼の障害となってはならない、のだがいい案が思い浮かばない。だからこそ、ヴォルデモートの弱点である分霊箱ホークラックスを復活させるという暴挙に及んでいるのだ。
 ここまで来たのだからいっそ全力で方向性を見失い、無意味に開き直ってハリーの様子でも見に行ってみようか。あの子は私が認識出来ないと思うので無駄足になることは判り切っているが、ロングボトム少年がああなので、どうなっているのかが多少気になる。
 本来ならばハリーよりもこの世界の自分がどうなっているのかが知りないのだが、どうにも私はこの世界に存在しないらしい。確認したわけではないが、可能性は非常に高い。
 私の世界のリドルはホグワーツ入学時にお祖母様と知り合い、それがきっかけで数十年後に私とも知り合ったのだが、目の前の彼はお祖母様を知らなかった。今の今まで日本人とも出会った事がないと言っていたので、その辺りも私の世界との誤差だろう。
 そしてもう一つ、こちらの方が重要かもしれない。
 母様は父と出逢う事なく亡くなっていた。これでは私が産まれようがない。母様が純血であった事が幸いしてリドルの脳内に存在するこちらの魔法界の家系図に引っ掛かったのは喜ばしいが、正直複雑な心境ではある。尤も目の前のリドルが私のリドルでないように、この世界の私は私ではないので無関係と言ってしまえばそれに尽きるのだが。
 取り留めのない事を考えていると目の前の薄い影が身動ぎして、あの赤い瞳が私を見下ろした。どうやらあちらは考えが纏まったらしい。
「とりあえず、だったかな……お前の情報を信用しよう」
『鵜呑みにしてしまうんですか?』
 私が貴方の立場なら信用しませんよ、と思わず素の表情で答えると、リドルは心底嫌そうな表情をした。
「認めたくはない。が、しかし、お前の話した異世界での内容は、ほとんどが私が起こし得る行動だ。特に予言の件は、自分でも相当間抜けだとは思うが、同じような行動を起こして自滅するだろう……何だ、その顔は」
『いえ、違うとは判っていたはずなのですが、本当に違うのだなあと感心していました。私の世界のリドルは、一途と言うのか強情と言うのか、昔から取り返しのつかない所まで行かないと自分の非を認めたがらない人でしたので』
「その結果がただの赤ん坊とダンブルドアに操られた10代の若造に殺された、では間抜けもいい所だろう。いや、それはこちらの世界の本体も同じか、頭の錆びた老害が」
 これが自分の未来だと思うと呆れるべきなのかか怒るべきなのかも判らないと言って、ふと赤い瞳がにやりと歪んだ。だがお前は使えるようだ、と言葉が続く。すかさず私は反論した、思ってもみない展開だ。
『私は私の世界で起こった事を伝えたに過ぎません。これで使えるというのなら、ただの手紙や蓄音機、使い走りの童でも使えるという事になりますよ』
「それでも主人を裏切る下僕よりは余程使える。少なくとも、私とお前が持つ利害の方向性は一致しているのだから、そういった意味ではお前は私を裏切らない。そうだろう?」
『それは否定出来ませんが』
 私と彼、どちらかがダンブルドア側に寝返るという事は想像し難い。ダンブルドアの息がかかっている魔法省にも、潜入する事はあれど与する可能性は少ないだろう。
 リドルの言った通り、そういう意味では私たちは互いを裏切らない。相手を裏切るということは即ち、自分自身を裏切るという事に他ならないからだ。
 天地が引っ繰り返ろうと相手を裏切らないと自信を持って言える関係は、力や恐怖や金銭で獲得した人間関係よりも確かに安心出来る。利害関係は感情論よりも遥かに数値化しやすく、こういった場合には使い勝手が良いのかもしれない。
「それに、愚鈍そうではあるが一般的な魔法使いの視点、というのも欲しい」
『欲しいという事は、共に行動しろという事ですか。動いてくださる以上は助力を致しますが、愚鈍というお見立て通り私は役に立ちませんよ?』
「別に期待などしていないさ、ただ、お前がいないと力の補充が出来ず広範囲の活動に制限がかかる。それに今の私はティル・ナ・ノグへ行ったオシーンそのものだ、は世界こそ違うが、この時代を生きたのだろう。しばらく案内役になって貰おう」
 私の生命力を食料品扱いした後、ケルト版今浦島宣言をしたリドルは佇まいを崩して、愚鈍だがその程度ならば老いぼれにも務まるだろうと言った。
 あまりハードルを上げないでくれているのは彼の優しさではなく、単に馬鹿にされているだけだろう。だから何、という事はないが。
『唯でさえ枯れている爺が干涸らびてしまいますから、過食や飽食は止して下さいね』
「だったら早く対策を立てるべきだな。お前が遠慮しないように、私も遠慮しない」
『素直である事は大変な美徳ですが、栄養摂取過多は万病の元ですよ……まあ、それはそれとして、リドル君はこれからどうなさるおつもりですか?』
「そうだな。まずは、それだ」
『どれですか?』
 細く白く美しい指先と熟れた林檎のように赤い瞳が私に向けられるが、理解力の乏しい私には彼が何を言いたいのか理解出来なかった。それ、とはどの事を指しているのだろう。
「名前の呼び方が不快だ、改めろ」
『ああ、君付けは嫌でしたか』
「勿論それもだが、リドルという呼び方も不愉快だ。その名前は既に捨てた」
『ではヴォルデモート卿とお呼びしましょうか。それとも御霊様とか2世殿とか次代閣下といった、やや曖昧な表現がお好みですか』
「お前の話を聞くまではそれがいいと思ったが、早とちりで死ぬような間抜けと同じ名を名乗って括られるのもいい気がしない。だからまず、お前に命名権をやろう」
『愚鈍と馬鹿にした私に新しい名前を作れと仰るとはチャレンジ精神が旺盛過ぎです。日本人である私にヨーロッパ系の語感の良い名前なんて作れませんよ』
「余りにも酷かった場合は生気を大量に吸い取る、覚悟をしておけ」
『精々努力しろではなく覚悟をしろと仰っている時点で総没にする気満々じゃないですか。嫌ですよ、ご自身で考えて下さい』
 それと、利害関係が一致している間は殺さないで下さいねと念を押すとサドっ気のある表情で笑い返してくれたリドル、ではなく髪飾りの分霊箱ホークラックスはドス黒い眩しさを背負っているように見えた。こんな表情も出来たのか、ちょっと意外だ。
 手違いで死んだらいいのにな、と顔面に大きく書いてあったのだが、彼に生気を吸われ過ぎた場合、私は死ぬのだろうか。物理攻撃が効かないだけに、殺されるという事よりもそういった攻撃で死ぬかどうかの方が気になる。気になるだけで、自らの身体を使ってまで検証したくはないが。
 一つ溜息を吐いて気を緩めた後、私は話を次の段階へ持っていった。
『しかし固有名詞を必要としているという事は、その後は当然肉体と、ある程度自由に出来る財産、戸籍は最低限入用になりますね。貴方の場合は、足が付かない事も条件でしょうから……いえ、助力を申し出た以上、雑務は私の方で処理します』
 名前よりも重要なこの辺りは非常に難題だが、彼の妥協と私の今の体質を利用すれば手がない訳ではない。単独ローラー作戦になるが、エディンバラかロンドン辺りにまで出れば糸口が見つからない事もないだろう。
 未来のようにネット環境が発達していればもっと早く目当ての物が見つけられるのだが、86年現在ではまともなパソコンが存在していない上に、ネットワーク構築すらされていない状態だ。一般人が手に入れられる電子機器の性能がワープロと表計算で精々ならば、後はひたすら足を使うしかない。
『それと杖、はひとまずこの部屋にあった物を暫定で使用して下さい。2列奥の、入口側に4つ行った棚の下から4段目と、更に1列奥の壁側に6つ行った棚の上から2段目で壊れていない物を見かけました。途中に珍しい宝石があっても盗ってはいけませんよ、宝石は捌く事が出来てもすぐに足が……どうかされましたか?』
「いや、お前の事は愚鈍だと思っていたが、案外そうでもないと考えを改めた」
『然様ですか?』
「肉体と杖と財産。戸籍までは流石に思い浮かばなかったが、足が付かないことも含めて私が望んでいたものは大方判っているようだからな」
 何故だ、と尋ねられたので思考を一旦置いておき答えを頭の中で組み立てる。説明が面倒臭いのでなんとなく、と言おうものならば怒られそうな雰囲気だった。
『前者3点は、私が居なければ身動きの取れない今の貴方が明らかに欲している物ですから想像に難くありません。戸籍は身分証明や口座開設、海外渡航等で必要になりますから、魔法界以外ではこれも常識の範囲内です。足が付かないよう配慮するのは、貴方が魔法界の表側から正攻法で仕掛けようと踏んで、ですかね』
「面白い、何故私が正攻法で仕掛けると判った」
 言葉通り、面白そうに彼が笑う。
 断片化していた思考を繋ぎ合わせて言葉にすると意外に長くなったが仕方ない。言葉を選んで待たせるよりはいいだろう。
『利害から何もかもが一致するのも問題だと感じたので。旧来のやり方で裏側から仕掛けた場合、最終的に支配者の椅子を巡ってヴォルデモートとかち合う可能性が高いでしょう。今までの貴方の言動からして協力体制を持ちかけるとも思えませんし、あちらもあちらで貴方を延命道具としか考えていないでしょうから。それに、裏側はダンブルドアの部下が常時見張っていて新顔が怪しい行動をすれば目を付けられる、ならばいっそ表から正々堂々と一切の法律を犯さず仕掛ける方がリスクが少ない、と思っただけです。裏の裏は表、と纏めればいいんでしょうか。否、ちょっと違うかな』
 それでも相手はそれなりの権力者ですから冤罪からの投獄や、投獄からの暗殺という可能性がまだ残っていますが、と不穏な言葉で結ぶ。しかし私が考える程度の事は彼も予想済みで、そうならないよう上手く立ち振る舞うくらいの能力はあるよ、と返された。確かに、知らぬ内に家族を人質に取られた私よりは、彼の方が二枚も三枚も上手だろう。
「その先に私が何を考えているのかも大体理解しているのだろうが、答え合わせは必要なものを手に入れてからにしよう。どのくらいで出来る?」
『検討も付けられませんが、ひとまず半月程時間をいただきたいです』
「遅いな、1週間だ」
『ええと、大変申し訳ありませんが日本人だからといって私がイエスマンとは限らないんですよ。スコットランドからロンドンまで700km以上あるんです。移動に5日かかるのに、残り2日でどうしろと言うんですか』
「何故5日もかかるんだ? 姿くらましをすれば一瞬だろう」
『……ああ!』
 そういえば私も魔法使いだった。
 普通に閉心術をしていたと言うのにうっかりしている。
 ここ半世紀以上は科学技術方面で過ごしていたのでほぼ忘れかけていた事実だ。他所は知らないが家の場合は幽霊が60インチ薄型テレビに繋いだ家庭用ゲーム機で遊んだり、妖怪や神様がネットで連絡を取り合う時代だ。生活の中心を自然科学に置いて、残りを魔法で補助しながら生きていては忘れたって仕方ないではないか。
 しかし魔法が使えるのならば姿が見えなくてもコミニュケーションも可能になり、本の閲覧も可能だ。こんな簡単で単純な事を忘れているとは、いやはや歳は取りたくない。
「何だ、その不吉な反応は」
『50年以上その系統の魔法を使っていなかったので、私自身が魔法使いだという事を失念していました。仰る通りです、科学技術が追い付いていなければ魔法を使えばよかっただけですよね』
「……再訂正する、矢張りお前は愚鈍で馬鹿で間抜けだよ」
 レイブンクローかと思ったけれどハッフルパフ出身か、と尋ねられたのでグリフィンドールだと言うと、それは2番目にないだろうと返された。一番ないのはスリザリンらしいが、脳筋の私は狡猾という言葉と縁が薄いため、否定するつもりはない。
「そんなお前が私にどのような名を付けるのか、その先の事を考えると今から楽しみだ」
『だからそれはご自身で考えて下さいって言っているでしょう』
 変な名前を付けられて喜ぶマゾなのか、私を虐める口実を作りたいサドなのか、恐らく両方なのだろうが、目の前の彼が一人SMに私を巻き込もうとしているのはちょっと嫌だ。私は物事に対して流されがちで受動的だが、決してマゾではない。
「それじゃあ、1週間後に起こすように。生気を吸い過ぎて倒れては元も子もないから、それまでは眠っていてあげよう」
『それは大変お優しい事で』
 ひらり、と手を振ると彼は、出てきた時のようにとても綺麗に笑った後に姿を消した。
 しんと静まり返った部屋の中で黒ずんだ髪飾りを宙に浮かせ、私の後に付いてくるように魔法で指示をする。今は時間がないが、彼に必要なものを手に入れて落ち着いたら綺麗に磨いてやろう、折角いいものなのだから良い状態を保たせてあげたい。
『杖と、確かまだ使えそうな破れた透明マントもあったはずだからそれも持って行きましょうか。後は針と糸と、髪飾りそのものを隠せる何か……』
 そこまで考えて、ふと奥の方で見かけたものを思い出した。カモフラージュにはなるだろうが、あれに突っ込んだら彼に怒られるだろうか。まあ、間違いなく怒られるだろう。
『でも、その時はその時という事で』
 久々にアクシオ、と唱えれば望んでいたものが通路を駆け巡り、棚の間を飛び越えて私の手元にやってくる。
 オレンジの体毛を持った、つぶらな瞳と丸っこい顔。世界的にも有名なイギリス出身のネザーランド・ドワーフ、の姿をした埃塗れのぬいぐるみ。
 可哀想に、背中から綿が出たまま放置されていた彼に髪飾りを隠し入れる。後は透明マントを繕うついでに彼の背中も縫ってやればいい。
『トムという名が嫌ならば、きっとピーターも嫌でしょうねえ』
 そもそもピーターだと裏切り者の部下の名前とも被りますよね、とその名前を持つ愛らしいぬいぐるみに話しかけたが当然返答はない。
 無機質な硝子の目玉に見つめられながら、私は本日何度目かの溜息を吐いた。彼のセンスと無茶振りに応えられる自信が、全くない。