甘湯葉と百合根の卵とじ
恐らく腹の底で何を考えているのか探ろうと策を巡らせているのだろうが、こちらは言葉通りの動機で呼び出したので無駄である。が、それを言った所で信じて貰えないだろう。
腹の中、特にリドル関係の出来事を探られるのが嫌なので久々に閉心術を行なっている所為もあるり、少なくとも、私が今のリドルの立場であれば私の全てを信じない。
攻守で分けるのならばひとまず守寄りの構えを選んだリドルが私の出方を伺う。怒りの中にも余裕の表情が見えるがこれも演技だ、そんな事などせずに素直に教えて欲しいと言ってくれればとは思った。しかし、それをリドルに求めるのは酷だろうとも思う。彼は元来素直ではないし、思考も性格も結構な具合に捻くれているのだから。
未だに私を睨んでいる、ヴォルデモートが敗走したという言葉を間に受けた演技を続けているリドルに視線を絡め、一呼吸置いから口を開いた。
『先に言った通り、私はこの世界を基準にした場合、所謂未来人で異世界人となります。正確に表現すると、無数に存在する並行世界の内に在る未来軸の人間なんですが……サイエンス・フィクションは読まれますか?』
「読んだ事はないけれど、君が言っている意味くらいは理解出来るよ。どうぞ話を続けて」
『それはよかった、ではお言葉に甘えて。私がこの世界のアルバス・ダンブルドアに嫌がらせをしたいのは、ごく個人的な怨恨の延長で、貴方を復活させたのも相手方が嫌がるだろうからという単純な思い付きです。不安を煽るようで申し訳ないのですが、私の行動は基本的に行き当たりばったりで計画性が皆無なので』
思い付き、と言った時点でリドルの眉が不快な感情を表すように動いた。
言い方がいけなかったのかもしれないが、他にどう言えばよかったのだろう。妙案が浮かんだ、の方が良かったのだろうか、しかし言ってしまったものは仕方がないので続ける。
『この上で、貴方が復活を了承して下さるなら私なりに助力を致します。但し、私は貴方と主従関係を結ぶつもりは毛頭ありません。私の目的はあくまでダンブルドアへの嫌がらせですので、貴方は貴方で魔法界掌握でもマグル殲滅でもお好きな目標を設定して下さい』
「私が拒否したら?」
『無理に復活してくれとは頼みませんよ、貴方の意思を尊重します。以降私からは何も致しませんし、何も与えません。誰にも何にも告げず今現在貴方に差し上げている力も全て返していただいた上で、この場に放置するだけです。1998年の5月に貴方が破壊されるまで』
「私が破壊されるだって?」
瞳に再び激情が走る、演技ではなく食いついて来た。
あからさまな撒き餌だったが自分の身の事となると少なからず動揺するのだろう、繕い切れていない。
『いけませんね、口が滑りました。首を縦に振っていただければ、それも含めて詳細をお話致しましょう。それでは、是非をお聞かせ願います』
条件的には良くはないが最悪ではない、はずだ。
リドルにとって私はかなり扱い難い物件かもしれないが、今を逃せば為す術もなく破壊される可能性がある、と前の会話で印象付けた。
私が未来人という真偽はこの際、横に置く。ダンブルドアが校長であるという情報は渡していないが、それでも彼の時代から強い影響力を持つ教師として在籍し、半ば私物化されていたホグワーツ内では、発見後に破壊される可能性も存在し得るから迷っているのだ。そして何より、次の機会が巡ってくる確率が、著しく低い。
しかし、実を言うと私の問いは本来ならば迷う必要が全くないのだ。少なくとも私が彼と同じ状況であれば、答えは否である。
私が分霊箱だった場合、私は本体ではなく本体を死なせない為の道具であり、私が一つ破壊された所で他にも分霊箱は存在するのだから、こんな得体の知れない相手の口車になど乗らず朽ちる方を選ぶ。相手は私以外の分霊箱の事も知っているかもしれないが、アルバス・ダンブルドアに恨みを抱き協力関係を要請するような人物ならば打診することはあっても破壊して回るという事はない。本体も本体で、敗走していようとも死んではいないのだから、引き続き私は私の勤めを果たそう、と思う。
しかし目の前のリドルは違うのだ。
矜持高い彼は、本体も自身も各々がヴォルデモート卿という存在だと自負している。本体が敗走したのならば、待つだけの道具になど甘んじない。空白の椅子を、そのままになど絶対にしない。
たとえ本体だろうが敗北を喫した男にヴォルデモート卿を名乗る資格は無く、未だ破られていない自分こそが闇の帝王の椅子に座るに相応しい、と、ここまで来るとほぼ私の妄想なのだが、少なくとも目覚めた彼は大人しく待つという選択をしないだろう。
良くも悪くも彼は自己開発意欲に溢れ常に能動的であり、対して私は大体の場合に於いて流されるままの受動的な人間である。
「判った、その条件で協力しよう」
友好的、に見える笑みを浮かべたリドルが右手を差し出した。
いざとなれば背後から襲えばいいと思っているのかもしれないが、今の私に物理攻撃は効かない事を伝えた方がいいような気がする。殺す気満々で闇討ちしたはいいが全攻撃が無効でした、では可哀想だ。
なんて事を私が考えているとは思いもしないようで、互いに触れ合う事が出来ないので本当に形だけの握手をした後、早速リドルが主導権を握ろうと口を開いた。私もこの世界に関して聞きたい事があるのだが本当に行動が早く能動的だ、自重しろとは思わないが。
「まずは君の事を訊こうかな」
『おや、意外ですね。初めの質問はてっきりヴォルデモート卿の事かと』
「君の事を知らないと、君が知っている私の事も知りようがないからね」
美しいと言い切れる自らの容姿を最大限に活用した笑みを向けられ、思わず感心してしまう。私はこういった使い方が出来ないのでよく父に勿体ないと嘆かれた、使う機会が滅多にないので別にいいと思うのだが、どうだろうか。
そこで気付いた、リドルが少し不服そうだ。またリアクションを間違えたらしい。他人と接するのが久しいからと言い訳をしたいが、よく考えてみると私は昔からこんな感じだったような気がしないでもない。兎角、他人の感情に疎いのだが、それを理解しつつ正そうとは毛頭思わない人間が私である。
「それに、協力関係を築くのなら、君の事を知りたいと思うのが普通だろう?」
女性ならば即刻落ちるような甘い声でリドルが囁いた。女性? ああ、そうか。
『私の事、というのは非常に大雑把な問い方なので答え辛いですね。一応今までの会話内に生じたであろう誤解だけ解いておくと、まず、私は男性です』
「は?」
ああ、矢張りそうか。これは演技ではない。彼は、リドルは、私をお嬢ちゃんと勘違いしたまま今まで話しを進めていたのだ。確かに外見はこうで、一人称が私で、口調がこうなのだから勘違いもするだろう。
『それと、見た目はこれですが中身は随分な爺なので騙されないで下さいね』
「アジア系は若く見えると聞いた事があるけれど」
『いいえ。外観が女顔なのは認めますが、この姿は元の肉体に抗加齢の処理を行なっているので完全な自前ではありませんよ?』
「……君は一体幾つだい?」
『さて、幾つでしたか。米寿は2年以上前に超えましたので、90歳は過ぎていますね。白寿はまだ迎えていないので一世紀は行っていません。外見にそぐわないでしょう、これで棺桶から片足だけがしぶとく出ているような年齢なんですよ』
「君の言うベージュやらハクジュやらは判らないけれど、私より年上なのはよく判ったよ」
靡かないし食えないはずだ、とリドルの表情が言った。心なしか先程よりも精彩に欠いているような気がする。私の所為だろうか。
「ではお爺さんにも判るように、質問を具体的にしよう。君は何故そこまでアルバス・ダンブルドアを恨んでいるんだ、くらいは理解出来るかな」
『それならば流石に理解できますよ』
少し間を開けて、今まで思ってはいたけれど口には出せなかった感情を纏める。口を利けぬ死者に鞭打つのはならないと自制していた怨恨だ。
『家族を傷付けられ、人質に取られ、人生を狂わされた挙句に直接ではないにしろ養父と恋人を殺されましたから。恨むには、まあ十二分でしょう』
「へえ、ダンブルドアにそこまでやられるとはね。君も闇の魔法使いだったのかな」
『貴方の言う闇の魔法使いの定義が判らないのでお答えしかねますが、あの男は私の祖母も両親も、養父がトム・マールヴォロ・リドル、私の世界の貴方であった事も、言うなれば私を存在させた全てが気に食わなかったようです』
「……成程。だからお前は分霊箱の存在も知っていたのか、そっちの世界の私には信頼されていたようだね」
『種明かしさせていただきますと、つまりはそういう事です。信頼されていたのかは、彼が亡くなった今となっては判りませんが、私が幼少の頃よりとても良くしていただきました。それと、表面を取り繕うならちゃんとして下さいね、口調が崩れていますよ』
気が付いたので指摘したのだが、リドルはそんな必要もないだろうと笑って一切の繕いを止めてしまった。こうしてみると彼も普通の成年で、年齢差からなのか甥や孫のように思えてしまう。しかしこれを言ったら憤慨されそうだ。
「死んだという事は、お前の世界の私は負けたのか」
『ええ』
「何故負けた」
『長くなりますよ。それに、こんな理由でと怒るかもしれません』
「構わない」
『……判りました。不明な点があれば、その都度指摘して下さい。語り下手ですが、知り得る限りをお話ししましょう』
リドルは佇まいを但し、今までのどれとも違った視線で私を正面から射抜いた。小馬鹿にした風でも、見下した風でもない、同じ轍は踏まないと決めた人間の表情だった。
この表情を見せてくれる程度には、彼は私の言葉を信用してくれているらしい。或いは、私の見破れない演技なのかもしれないが、それならばそれでいい。
たとえこの世界の多くの魔法使い達が不幸になろうとも、あの人の目指したものの一片を彼が継いでくれるのならば。