曖昧トルマリン

graytourmaline

魔法使い、四海竜王に添い寝する

 散々な一日だった。否、拉致云々ではなく、その後の説教が。
 もういっそ、一人に一発ずつ殴られて反省しろと怒鳴られた方が楽だったかもしれない。は延々と続くかと思われた文句からようやく解放され、割り当てられた自室で風呂上りの体を休める。
 一体何処から出てくるか判らないほどの沢山の不満が飛び出してはネチネチと引き伸ばされ、しばらくしたらまた思い出したように同じ話題で責められた。確かには彼等に比べれば一般人に近い立ち位置であるのだから、心配をかけたのは申し訳ないと思うが過保護ではないかとも思った。
 それでも一切反抗しなかったのは四人分の燃え盛る炎に燃料を投下しない為か、一々反論するのも面倒だと感じた為か、学生時代からの説教履歴を考えると多分後者なのだろうなと自己分析をしてみる。
 常に不機嫌そうで、妙な所で生真面目で、近寄り難い外見をしている割には非難されるような事を毎日のようにしでかし、結果説教を喰らっていた経験が一時期存在した。所謂反抗期とは少々違うが、それに近い思い出に浸りながら苦笑を零す。
 数時間に渡る説教で固まってしまった肩を適当にほぐし、積み上げられたレポート用紙の山を覗くと完成してはいるものの精度に不安の残る文字と数字の羅列が書き綴られていた。眠るにしては早過ぎる時間でもないのだが、こういったものは煮詰めて精度を上げるに越した事はないのだ。
 しかし、あと数日でこの世界から永遠に去るのかと思うと少し不思議な気分になる。今までは自分の世界に異世界の存在がやって来る事はあってもその逆はなかった。あったとしても、元来の臆病が手伝ってここまで親密な仲になるという事もない。
 寂しいとも悲しいとも思わないが、もしかしたらそれは自分だけなのかもしれない。しかしそう言った事を考え出してしまうと、非常に心苦しい。
 きっと始も続も終も余も、そして茉理さえもの事を気に掛け、心配したからこそあそこまで強く文句を言ったのだろう。どうもその辺りの感情に疎いは年上の癖に気の利かない自分を情けなく思いながら、けれどもそれを正そうとはしない。正確には経験値が不足していて出来ないと言っていい。
 酷い大人だと思いながらも出てくるのは苦笑だけで、今更自分を内側から変えていく精神力は既になかった。今後自分の生き方に変化が訪れるのであれば、それはきっとありったけの絶望を突きつけられた時くらいしか想像が付かない。希望で生き様を変えれるほど強い人間ではないのだ。
 疲労の所為で四方八方に飛散する思考を掻き集め目の前のレポート用紙に集中しようとして、背後の廊下をゆるりと渡る気配に首を傾げる。霊力の波長は余のものだが、霞がかっていてどうにもはっきりしない。寝惚けているのだろうかと様子を見に襖を開けると、丁度目の前に余の顔があった。
 寝惚けてここに来たのか口を開こうとしてある違和感に気付き、視線を足元の方にやる。
 成人の済んだ男性としてはあまり背の高い方ではないだったが、それでも余と視線を合わせて話すには僅かに腰を屈めないといけない程度の身長差があった。しかし、今の余の顔はの視線よりも少し高い位置にある、一体どういう事か。
「……浮いてるな」
 ふわりふわりと空を流れる雲のような緩やかさで、余は宙を漂いながら眠っていた。
 一般人が見れば我が目を疑って騒ぐか、もしくは現実逃避くらいは余裕で起こしそうな光景だったが、竜堂兄弟がに対して驚くという行為を諦めたように、も最初からこの兄弟を人間と括ってはいなかった。竜になろうが宙に浮こうがブラックホールのような底なしの胃袋を持っていようが軽い笑みで済ませてしまう。
 しかしこのまま放置して宙に浮かせておくのは宜しくないので、重さを全く感じさせない細い少年の体を抱えて肩を二三度叩き、それを合図にして宙に浮く事を止めた体が腕の中に納まった。くったりと眠っている余を抱えなおそうと揺すると、とろんとした黒い瞳が向けられる。
、どうしたの?」
「余が寝惚けてここまで来たんだ。部屋まで運ぶから寝ていろ」
「そうだったの」
 夢遊病癖の自覚が一応はあるらしい少年は特に騒ぐような事はせずに大人しく、しかし首を横に振ってしがみ付く。余の行動に疑問を感じ、どうかしたのかと尋ねようとした口を噤んだ。
 別にこの少年が悲しそうな顔をしていたり、甘えたいような雰囲気を醸していたわけではない。けれどは今この腕から解放されるのを嫌がっているように感じ、仕方ないといった様子で畳の上に敷かれた布団に寝かせる。途端に融ける少年の笑顔に正解を引き当てた大人は仕方ないといった様子で笑った。
「ねえ、一緒に寝ようよ」
「もう少し後でな」
「やだ。ぼくもう眠い」
 シャツにしがみ付いて離れようとしない手が寝惚けた少年とは思えない力で大の大人を布団の中に引きずり込む。一人用の布団は小柄な大人と中学生が揃って眠るには大変窮屈であったが、夢の世界と現実を蝶のように飛んでいる余は全く気にしている様子がない。
 ぺったりと密着され、逃げれないようになのか無意識にの体の自由を奪った余は半分眠った表情で笑いながら欠伸をする。傍から見ると変な顔だった。
「あのね、
「なんだ」
 決して起こすまいと絡み付いてくる細い手足を剥がそうとしながら寝坊助の会話に参加してやると、甘ったれた少年が幼い顔に見合わない力で強く抱きついてくる。
「終兄さんがね、ってお母さんみたいだって言ってた」
「そうか」
 それはお前だけじゃなく本人にもばっちり言われているからとも伝えられず、幾分ぶっきらぼうな口調で返答した。
 終に言われたときも返したが、別に嫌なわけではないのだ。若く見られるのも女に間違われるのも心底嫌だったが、何故か母親みたいだと表現される事だけは嫌悪が沸かなかった。言われた事はないが、多分父親みたいだと言われても嫌な感情を持たないだろう。
 余が言わんとしている事を感じ取って黙っていると、少年の顔が胸元に埋められた。雁字搦めにされていた腕や脚をそっと引き抜いて発展途上の肢体を抱き締めれば窒息しても知らないぞと言いたいくらい顔が押し付けられる。

「ん?」
「頭、撫でて」
「ん」
 終に聞いたのだろうか。きっと、そうなのだろう。
 抱き締められるのも、頭を撫でられるのも久し振りと言っていた。最後に彼の髪を優しく撫でたのが誰なのかは判らなかったが、終にしろ余にしろ、こうしたちゃんとした大人に甘やかされるのは久し振りに違いない。寝付きが非常に良いと聞く余がむずかっているのだから相当だ。
 素直に眠らせてやるべきか、睡魔に負けるなと応援してやるべきなのか、そんな事を考えながら背中を優しく叩いてやると眉間に寄った皺が伸びていく。安心し切った表情は眠りの世界に脚を踏み入れた少年のそれで、は今夜何度目かの笑みを浮かべた。
「さっきまでおれに説教垂れていた子と同一人物に見えないな」
 天使の表情で眠る少年を起こさないようにそっと身動ぎして袖から杖を取り出すと、天井で煌々と照っていた灯りを消して自分の眠りやすい体勢を整える。
 相変わらず胸元に顔を埋めている余の頬に触れるが全く反応がない。苦しくなったら余から離れていくかと納得して、その後しようとした行動に一瞬躊躇い、けれどすぐに自分だってこの位の年の頃は望んでいたのだからと少年の額に口付けをした。
「おやすみ」
 眠る余にはもう届かないとは判っていても、つい出てしまった言葉には今日最後の笑みを零して目を閉じる。
 暗い眠りに落ちる前、彼の瞼の裏では今日殺した人間や、出会った少女達が炎に炙られて絶叫していた。