魔法使い、四海竜王と日曜日午後を過ごす
日はすっかり落ちて今日の夕食も食べ終わってしまったので、午前中の買い物の前に用意しておいた練切を取りに行き戻ってみると、何故かリビングの空気が重く軋んでいた。
助けを求めるかのように見つめてくる三男と四男の視線、読んでいた本をテーブルに置いて責めるような長男と次男の視線、ただの勘だけれどきっと午前中に起きた例の事件を終か余がを待たずに先に話してしまったのだろう。
ほんのり桜色をした茶菓子と濃い目に入れた番茶を自分を含めた人数分置いて、さて、と膝を軽く叩いた。一応念の為、何をそんなに怒っているのかと問いかけてみると始は眉間に皺を作り、続は片眉を上げて、予想通りの言葉を放ってくる。それを適当に流していたの思考はというと、日本人には中々お目にかかれない続の仕種に器用なんだなという、かなりどうでもいい感想に占められていた。
それでも見た目だけは非常に大人しいので、年長組の説教は止まりそうもない。二人の視線から解放された年少組がちらちらと練切を眺めているので、底なしの十代の胃袋にはつくづく感嘆する。いつまでも説教していそうな若者二人の言葉を切りのいい所で遮り、お茶が冷めないうちにと食後のデザートを勧めてみるとあからさまに脱力された。
「って本当にマイペースだよね」
話をぶった切り、年長組の怒りを殺いだ男に末弟がそんな評価を下す。自分が余くらいの年齢のときは今の比ではないくらい我が道を行っていたのだが、それを言うと話が逸れてまた始と続が自然発火しそうだったので口を噤んでおいた。
さっき夕食を綺麗に平らげたばかりだというのにカリカリしていた長男次男も甘いものを取って落ち着いたのか、雰囲気に棘もなくなってくる。同居人相手ならこんな面倒くさい気遣い等一切しないが、そういう事をする程度にははこの四人と距離を取りつつも慕っていた。
「それで、怪我は無かったんですよね」
「ああ」
「何でもっと早く言ってくれないんですか」
「こういった話は消化に悪いと思って」
「……貴方って人は本当に」
会話が進むにつれて続のやる気が目に見えて失われていく。見れば、始も同じ様子だったが、それでも非難する目付きは変わっていなかった。
「それでもあちらさんの身元を確認しなかったのは」
「身元なら確認済みだ」
時間は要るけれど情報が欲しいなら個人まで特定してやろうかと尋ねると、渋い顔している始がその表情のまま固まった。練切を咥え完全にいつもの調子を取り戻していた終が相変わらず思考と行動が斜め上だよなあと呟くと、続と余が仲良く頷く。竜王の彼らに斜め上と言われては人類の終了通知が来てもおかしくはないが、はそれを黙って破り捨てて、ポケットから男の顔写真が印刷してある名刺サイズのカードを差し出した。
無傷で生かしておいた最後の一人からくすねたもので、会社と個人情報とその他身分か印刷されている。見たところ製薬会社なのは間違いないのだが、如何せんこの世界に疎いは大企業なのかどうかすら判らなかった。しかし、この四人を狙って来たという事は、それなりに権力のある会社を持つ人間なのだろう。
「いつの間に取ったんだよ」
「最後の男を脅した後に」
「脅したんですか?」
「次は殺すと」
「本当外見からは想像付かない事するよな、って」
十代の少年や女性に間違われる事が日常茶飯の外見からはかけ離れた場所に存在する思考や行動力に四人の兄弟が苦く笑った。現場を目の当たりにした年少組や、の内に潜む過激さを先に知っていた続は本物の苦笑だったが、まだ詳しくは知っていない始のそれだけは若干引き攣っていた。
取り合えず、この先何があるか判らないから用心しておこうという非常に甘い結論を立てた始に大人しく頷いておくも、内心は非常に複雑であった。てっきり過激な彼らのことだから身元を確認して礼参りの一つでもするのかとするのかと思っていたが、この家の長男は彼が想像していたよりも一般人の思考に近いらしい。この性格が引き継がれたのなら、前世に竜王の一族が滅んだのも何となく納得がいった。
決して口には出せない事をいつもの無表情で考えていると、窓の外にまだ欠けている部分が目立つ月を見つけることが出来る。月の明かりに関係なく星が見えないのは何処の都会でも同じらしい。
「……もうすぐともお別れかあ」
「おれが居なくても茉理ちゃんがいるだろう」
「食事の話じゃないよ、終兄さんじゃあるまいし」
「余、お前最近おれに冷たいよな」
この間の餌付け発言もお前だったし、そんなボヤキが放たれれば常に食欲優先の終が悪いと三方向からの同時口撃を受ける羽目になってしまった。合わせようとしたわけでもないのに綺麗に声が揃うところは流石兄弟と感心していると、その視線をどう受け取ったのか終が立ち上がっての腹部目掛けて突っ込んでくる。
虐げられた三男坊を慰めくれとか喚かれたので無言で髪を撫でれば、には理解し難い悪寒がリビングの中を支配した。そんな涼しさを感じていないのか、余も寂しくなるから今の内に撫でて欲しいと甘えてくる。当然そんな可愛らしいお願いを断れるはずも無く年少組を構い始めたが、そうなれば当然消去法で部屋の温度を下げたのは始か続、もしくは両方という事に気付いて顔を上げてみた。
見た目よりもずっと精神的に幼い続は勿論、始まで不機嫌だと理解したまではいい。しかし何故そうなっているのかまで想像力が追いついていないの思考は袋小路に追い詰められ、出口がわからないまま結局、後で同じくらい構えば許してくれるだろうから大した事ではないという位置づけをされて放置されてしまった。
子犬のようにへばり付いて懐いてくる少年の片割れに、結局魔法らしい魔法は見れなかったと呟かれ、そうだったかなと記憶を辿ってみる。そもそも使う機会が全くないし、普段の生活にしても魔法を使っているわけでもないので、こうして改めて記憶を確認し直さないと自分でも判らなかった。
「屋根の修理と、プリンを動かしたくらいだな。あとチェスの修理か」
「プリン?」
「続と余に挟まれて眠られた時、冷蔵庫にプリンを入れた」
屋根は兎も角何故プリンなのかという気配を悟ったのか、が腐ったら勿体ないじゃないかとはっきり告げる。環境はさて置いて金銭的にはかなり裕福な家庭に生まれ育ったのでひもじい経験をした事はほとんどないが、元の世界に居た者たちから食べる事の出来ない辛さを語られたのが原因なのか、彼はもったいないおばけを真剣な表情で語るような人間だった。
「もしかして、魔法を使うのはあまり好きじゃないんですか?」
「洗濯機と一緒だ。あったほうが楽だが、無くても困らない」
「いや、三種の神器はないと困る」
「始兄さん……それ、50年代の言葉だよね?」
「白黒テレビはないよなあ」
先程まで緊張していた場の空気が再び崩壊して、年少組から容赦のないつっこみが入る。冷蔵庫とオーブンレンジは確かにあったほうがいいな、と一人ボケ倒している男を放置して続が別に話題へと強制的に方向転換させた。自分で振った話だが、弟の彼でもフォローの仕様がないくらい始の形勢が不利らしい。
「色々な考え方をする魔法使いが居るんですね」
「居るには居るが、おれみたいなのはイギリスだと極少数派だし欧州圏全体でも邪道扱いだな。大体の魔法使いは白兵戦どころか科学技術や医療技術も下に見ている」
「杖がないと魔法も扱えないのに?」
「杖は持ち主の意志や言葉を認識して魔力の志向性を操作する道具だから、正確に言うと無くても魔法は扱えるんだが……集中力が必要になるな」
実際にやってみる気になったのか、は特に今の動作を変える事無く盆の上に湯呑みや練切の乗っていた皿を片付け始めた。しかし互いがぶつかり合ってガチャガチャと喧しく慌てて片付けたような乗せられ方に見えて、これだったら手を使って片付けたほうが幾分かマシのように思える。その状態で杖を振れば、何の音も立てること無く、綺麗に、そして一瞬で皿と湯飲みが整頓された。柄の方向も全て揃えられている。
昼間襲撃を受けた時に刀や懐紙を取り出したのも杖を使わない魔法の一種だと聞いて、終と余は今更ながらあの不思議な現象に納得した。言われて見れば、彼が竜堂家に突入してきた時も何処に隠し持っていたのか判らないくらい大量の不思議なものがあった気がする。
「おれが魔法使いだったら、みたいに魔法も科学も両方使えるなら使いたいけどな。だってその方が絶対便利だろ」
「例えばどんな事に便利なんですか?」
「インスタントラーメン作った後に巨大化させてから食うとか! おれが小さくなって、それで食べてもいいけど!」
「お前はいつもそうだからさっきも余にあんな事言われるんだ」
「イギリスや欧州って事は、日本は違うの?」
始へのつっこみよりこちらの意見を述べる気になったのか、頭を撫でられたまま終と余が顔を上げる。妄想を現実のものにしたいだけなのか、魔法の話題に興味があるのかは判らないが、続はひとまず胸を撫で下ろした。後はまたちょっとした瞬間に長兄がからかう様な状況になった時に考えればいい。
ちなみには終の言葉を放置の方向で決め込んだらしい。撫でていた余の髪を指先で弄り始め視線を宙にやる。
「日本は元々拝み屋や祈祷師が職業として一般人に認識されているだろう。そういった人たちも携帯やパソコンを使ったり、大衆向けの雑誌を読むしテレビも見る。イギリスの魔法使いは一般人からの変異型でもない限りダイヤル型の電話の使い方すら知らない、ハーフなのに電化製品が使えない輩も何故か沢山居る」
「それ、魔法使いが一般人に紛れて生活するの、ほぼ不可能なんじゃ」
「魔法使いだけの村とか、そういうのが当然あるんだろ?」
「一般人に紛れるのは不可能ではないが、現状では隣近所からは高確率で変人扱いされている。魔法使いしか存在しない村はイギリスでは一箇所しかない」
「じゃあ、その村は相当大きいんでしょう?」
「いや、北の方にある小さな村だ。半日あれば村中回れる」
一般人のカモフラージュを覚えるための専用の授業があるにも関わらず、大半がその知識を失う事に首を傾げたに、現役教師の始が日本の英語教育のようなものだろうと指摘された。しかし日本の学校に通っていなかった、今だから言えるが義務教育すら受けていなかったにとっては理解し難いもので、頭の痛くなりそうな議論が繰り広げられる可能性を悟った終が早々に話に切りをつけようと動く。
からも離れたところを見ると、頭を撫でられる事にも満足したらしい。
「じゃあ。お国柄、ってやつかな」
「かもしれないな」
「終君、逃げましたね」
「な、なんのことかなあ?」
白々しく視線を逸らした弟に、まあいいでしょうと言って続はそれ以上の追求を止めた。話が一段落したところで洗い物をするために腰を浮かせるが頭を撫でてもらったお礼だとかで年少組に食器を奪われてしまう。
そういうつもりで甘やかしていたわけではないのだが、始も続もやりたいというならやらせればいいとを留め、中断させていた話でも再開させようかと口を開きかけた。
しかし、その前に、気になっていた事を訊いて置こうと思い手持ち無沙汰になってしまった男の名前を呼んで振り向かせる。弟を構っていたときは実年齢よりは若いものの十代には決して見えなかったが、こうして振り向き様に首を傾げる仕種をされると、どう見ても成人男子に見えないのも何かの魔法なのだろうか。
「どうした?」
「魔法には……例えば、記憶を消去する術なんかもあるのか?」
その問いかけに、は体を静止させ、目付きが鋭くした。
今まで見たこともないような、鬱いでるくせに妙な怒りを帯びて泳いだ視線に二人は何か言葉をかけようとして、上手いそれが見つからず口を噤ぐ。
「……存在する。存在するが、お前達には絶対に施さないし、させない」
想像以上にデリケートな部分に触れてしまったと気付いた時には、は既に笑っていた。少し、無理をしているような笑い方だった。
「おれは居なくなるが、記憶や思い出は必ず残る」
だから安心しろ、そう言いながら二人の頭を撫でた男の笑顔は例えようのない憤怒と絶望を孕んでいて、混沌とした表情はそれによって何か大切なものを失ってしまった人間の浮かべるものに違いなかった。