魔法使い、四海竜王の餌付けに挑戦する
食卓を埋め尽くす勢いで次々と並んでいく夕飯のおかずを眺めながら、終と余は思わず歓声を上げて拍手をした。
「そこまで喜ばれると逆にこの家の生活環境が心配になってくるんだが……いや、もう十分に心配なんだが、それ以上に」
和風のおかずを並べ終わると茶碗に御飯をよそい、は澱んだ空気を纏いながら年少組の反応に本気でそう呟く。それを聞いて、茶碗を受け取った始は苦笑するしかなかった。
一般的な住宅よりはるかに広い事を窓から近所の家を見て初めて気付いた竜堂家内部を案内された時、はそれはそれはこの四兄弟に関心したものだ。
綺麗に掃除され、整頓された家の中。何度も使われているのが伺える清潔な食器類、アイロンを掛けられ畳まれた衣服と制服。
両親も祖父母も他界し男兄弟が四人だけという環境ながら、竜堂家はとても過ごしやすい家だった。思わず賞賛してしまう程、快適に日常を送る事ができる家だと関心したのだ。
人間一人分の大きさの穴が開いた天井を杖の一振りで修復しながら、魔法見たさにくっついてきた年少組にそう賛辞を述べると、返ってきたのは非常に現実的といえば現実的な答えであった。
曰く、鳥羽茉理という彼等の従姉妹が週に何回かこの家に来ては家事の一切を片付けていくとか。ついでに昨日今日はその従姉妹は来ない日で、夕食はカレーかシチューでも作ろうかと思っていた、と。一応、昨日の夕飯は作り置きがあったらしい。
そこまでは仕方ないのかもしれない、と苦笑で済ませていた。まだ大学生の女の子が学業と両立しながら大したものだ、とまた別の方面で褒める。
しかし、次の言葉での苦笑いは、ものの見事に固まった。
「今日はジャガイモの皮剥いたあと立方体にならないといいね」
「それよりも続兄貴がカレールーの中に勝手にスパイス入れて味見しないってのが問題だと思うけどな、おれ」
「でも味見してもどうせ後で野菜とお肉入れるんだから意味ないよ」
「だから、その後もう一度味見しろっていうんだよ。毎回毎回一番最初に毒味させられるのはおれなんだからな」
「大丈夫だよ、今日はがいるんだし」
「いや、どうかな。あの続兄貴だし……って、ゴメンゴメン、。そんな青くならなくても大丈夫だって、続兄貴だって鬼じゃ……ないこともないかもしれないけど、うん、多分大丈夫!」
「……」
違う。そうじゃない、全然違う。全く以て違うんだよ。は心の中で涙し、全体的な雰囲気を青くしながら壁に寄り掛かった。
別にあの不機嫌不愉快丸出しの秀麗な次男坊に毒を盛られたって文句は言わない、三男坊と末っ子にと呼び捨てにされたのは自身が彼等を「くん」付けしないで呼ぶ代わりに出した条件で落ち込む要因ではない。
問題は、そう、彼にとっての最大の問題は。
食事に関する一般常識を逸脱した爆弾発言。
一人暮らしが長く、なんだかんだ言って家事や他人の世話が好きなは、思わず目眩という名の精神的貧血で倒れそうになった。その驚愕度は自分が竜王の自宅の屋根をブチ破って異世界へとやってきた時よりも遥かに大きい。
肝が座っているんだか、器が小さいんだか、よくわからない男である。
しかしそれにツッコミを入れられるような人物はこの場におらず、は一人、頭の中でひたすらしょうもない事をグルグルを考えては思考の深みに嵌っていた。
ジャガイモが立方体になる事に始まり、カレーとは食物のカレーの事を言っているのかと深く深く深く考え込む。
カレーという物質は家庭科(調理)の話をしていた訳であって数学(図形)でも技術(木工)の話をしている訳ではない。
なのに何故立方体なんて単語がサラッと疑問もなく笑顔で出てくるのかが判らない。判りたくもないが、判りたくもないと考え過ぎて母国語に支障が出始める。
しかし、直方体や角錐だったらもっとアレだが、それでも問題があるだろう。もしかしてアレかもしれない。皮剥く時、実はまな板の上で切っているのかもしれない。正六面体になるように豪快に勿体なく切っているかもしれない。剥くんじゃなくて切っているんだと自己暗示が終了。
しかし、カレールーがまた酷い。いや、スパイスは構わない。所謂家庭の味で、も普通に、スパイス以外にも果物とかジャムとか牛乳とかソースとか色々入れるので。
ただし、ルーを作った後に野菜と肉をブチ込むのはさすがに素人はどうかと思う。
話の流れからしても、現在の時刻からしても、3~4時間煮込む気は絶対ないだろう。ルーに野菜を投入する場合は水からの感覚で普通に煮立ててもカレーにはならない。カレーに似た焦げた何かにしかならない。
無論ルーを先に作る調理法も存在する。しかし、そのような手段を敢えて取るのはプロか玄人はだしの趣味人のどちらかで、一般家庭のカレーの大多数はルーを整えてから具材は煮ない。ルーは最後、ちゃんと火を止めて、あと市販のルーを使っているなら箱の裏側を見ろと言いたくなった。
人参と玉葱は生でも食べる事が出来るが、ジャガイモと肉が不安要素となる。芽とか、煮立ってなくて固いとか。否、芽は大丈夫かもしれない。立方体だから。
「否、大丈夫なはずがあるか。全然、絶対、完全に大丈夫ではない。大丈夫という要素が見当たらない。おれは認めない。食べる事が出来る出来ないを置いておいて、おれはそれを正式な食物とは認めたくない。カレー風水炊き風肉と野菜の煮物風か、闇鍋の間違いだ。という事だから、夕飯はおれが作る」
「え?」
「料理出来るの?」
「少なくとも、お前たちよりはまともなものを作れる」
青白い顔のままふらっと立ち上がったかと思うと、は幽霊のような足取りでキッチンの方まで歩いて行ったのだった。
その時は、非常に阿呆らしい理由で溢れてきた涙で視界が滲み、修復した天井が完全に直っているのかまったく確認できず、食事を作り終わり心が落ち着いたら再度見に来ようと弱々しく決心した程だ。
「それにしてもの手際よかったよな」
「うん、本当。茉理ちゃんとはまた違ったよね」
「でも男の料理って感じでもなかったよな」
「ちょっと鬼気迫ってたしね」
そうだね、君たちも色々凄くて違ってたな、それとも例のカレーもどきがこの世界の常識的なカレーなのか、とは訊けず、は目が完全に異次元を向いている苦笑を漏らし、全員分の茶碗にごはんをよそった。
いただきます、と五人が手を合わせると途端にそれぞれの箸が個性的に動き始め、同時に口も動き始める。
「あ、これ美味い!」
「本当だ! これもおいしい」
見かけに反してこの四人はよく食べる、とただ一人のろのろと箸を動かしていたは品数を多めに作ったにも関わらず減りの速さを目の当たりにして、食卓に上がった料理で果たして足りるのだろうかという不安を抱えていた。
しかし、文句も言わずきちんと料理を食べてくれる兄弟、特に先ほどまで若干キレ気味だった次男を見ていると、また作ればいいかという気にもなってしまう。意外に、彼は自分に対し威嚇をしまくる次男坊を気に入っているようだった。
続にしてみれば、の料理に文句の一つでもつけてやろうと食べているに他ならないのだが、生憎その文句が出てこない。
「ねえ、。ぼく明日の朝ごはんもに作って欲しいな!」
「構わないが、洋食と和食どちらにするべきだ?」
「洋食も作れるのか?」
「レシピと材料さえあれば大抵何でも作れる。味付けはおれの好みになるが」
つまり、今この場に作られた料理もすべてが好んでつけた味付けなのだ。
当たり前と言えば当たり前であるが、彼は四兄弟と付き合いの長い茉理とは違い、まだ出会って数時間の仲である。それで四人の好みの味付けが出来るはずはない。
それなのに、だ。この味付けは四人が好きなおばあちゃんの味に非常に近かった。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんっ子の始など、無言でかなり懐かしそうに食事をしている程に。
続は一人、花形に切られた人参を摘んだまま、溜息をついた。
そしてふと、視線を向けられていることに気付く。
「……一体なんですか?」
視線の正体は、彼とは一番遠い位置に座っている。
端から端への睨み合いで先程まで楽しかった食卓が、次男坊の機嫌で一気に変化する。
が、そんな事を気に留めるようなではなかった。
「人参」
「は?」
「人参、嫌いなのか。そんな顰めっ面して」
数秒後、押し殺した笑いが洩れ始める竜堂家食卓。
感慨深げだった始ですら、の一言に顔を逸らし奇妙に震えており、終に至っては遠慮なく笑い始めた。それを笑っちゃダメだよと注意する余も、笑っていた。
ただ一人、何故周囲が笑っているのか理解できないだけが淡々と言葉を続ける。
「嫌なら残せばいい。嫌いなものを嫌いな形のままで無理矢理食べさせるのは、体はともかく精神的に良くない」
人参なんてジュースにもケーキにも出来るんだし、と明日の朝は人参ホットケーキでも作ろうか的発言は続の拳が怒りに震えさせ、他の兄弟の笑いを誘う。
「続、そう怒るな。彼に悪気はないんだ」
「悪気があったら叩き潰しています」
物騒な物言いの続の脅迫も、相性によっては環境適応能力が非常に高くなるには通じなかったようで彼は素で全てを受け流していた。
「そうか、別に人参が嫌いなわけじゃないのか」
じゃあ明日の朝は人参のホットケーキにしようと笑顔で末っ子に提案する姿を見て、続はこんなのを相手にする方が間違っていたとばかりに人参を口の中に放り込んだ。
舌の上の人参は、やはり続好みの味付けだった。