amour
別にそれは今に始まったことではないというのは判っている。寧ろは、授業時間を除くとおれたちの前に居ない事の方が圧倒的に多い。大抵昼間はリーマスと一緒にどこかに居て、夜は寮に戻らずに隠し部屋で夜を明かしているのだから当然といえば当然なのだろうけれど、出来ればそろそろ、それを過去の話にしてしまいたかった。友達になったのだし、ちゃんと寮で過ごしてくれてもいいのではと心底思う。
今までの生活リズムを変えるというのは困難な事かも知れないが、考えてみればこれまでのの生活範囲の方がおかしい訳であって、普通の生徒は大体毎日、寮と教室を往復する生活を送っているはずだ。いや、寮に寄り付かなくなったのはどう考えてもおれたちのせいなんだけれど。
「でも折角の日曜に一切姿見せないとかどうなんだよ」
「仕方ないよ、にはなりの考えがあって行動してる訳で、おまけに彼は周囲を省みない程我が道を突き進んでいる訳だし。やあ、おはよう、エバンズ」
「昨日一日丸潰して何でそんなにマイペースでいられるんだ」
「時には彼にペースを合わせてみても新しい発見があって面白いかもしれないよ?」
「失踪する事がか?」
「彼自身は失踪者扱いされてるつもりはないんだろうけどね」
そう、おれは、というかおれたちは、昨日一日ホグワーツ内でたった一人の人間を探し回った。土曜日にリーマスと本当に打ち溶け合えた後、はおれたちに会いに来ると言ってそのまま今日まで一切姿を現さなかったのだ。別に急ぎの用があった訳じゃないからいいのだけれど、それでも何処か釈然としない。リーマスも心配していた。
約束を破るような奴じゃないと思うから、何かのトラブルに巻き込まれたかもしれない。おれがジェームズにそう告げると、輝かしい笑顔でぼく達以外に誰がいるのかと壮絶な厭味を返された。確かにほんの一月も前だったら、その失踪原因は間違いなくおれたちであるんだけれど。ジェームズは親友の心を抉って楽しいのだろうか、問いたくなったおれは悪くないと思うのがどうなのだろう。
「今日は月曜日、ぼくらの知らない所でまた謹慎食らってない限りどうやったっては授業に顔出すよ。あんまり焦ると君が馬鹿に見えるよ、もう馬鹿だけど」
擦れ違ったリリー・エバンズに対し熱烈に手を振り終わったジェームズが相変わらず酷い事を言うから無視する事にした。最近になってこいつは輪をかけて酷い事を言っている。
その寝癖なんとかしろよ、とだけ返してさっさと寮の談話室を抜けたけれどきっとジェームズはすぐには来ない、用意の遅いリーマスと起床の遅いピーターを待っているのだろう。
談話室を出ると今日もイギリスの天気は最悪で、湿っていて、おまけにとても寒い。雪が高く積もっている外を眺め、コートをしっかりと着込んで大広間に行くと、いつもと変わり栄えしない空の大皿が用意されている。
の作る食事に慣れてきた謹慎後、この皿から現れる朝食を取ったおれとジェームズは諸外国の事にあまり興味のないリーマスやピーターを巻き込んでキッチンのハウスエルフだけでも海を隔てた隣国から呼ぶべきではないかと熱く討論したものだ。
いつもの席について、食事を始める前に大広間を見渡すけれど小さな影は何処にも見当たらない。ジェームズ曰く姫みたいな外見の少年が何の予告も無く突如ホグワーツに現れたら大広間が騒然とするはずだから、居ない事は初めから判っているのだけれど。
「貴方達、昨日からずっと誰かを探しているのね」
暇を持て余していると、すぐ隣から聞き慣れた声が話しかけてきた。癖のない赤毛に意志の強いエメラルドグリーンの瞳、ネクタイのカラーはグリフィンドール。さっき擦れ違ったリリー・エバンズだ。
「またに悪巧み? それともセブルス?」
「……どっちでもない」
「あら、珍しい」
いつもならやセブルスの名前出すだけで不機嫌になるのに、リリーにそう言われて、この数日で本当に変わったよなとつくづく思った。
スネイプよりも名前が先に出るほど関係が悪かった人間と今友人だと言ったらリリーは一体どんな顔をするのだろうか、ほんの少しだけ好奇心が沸いたけれど黙っておく事にする。憶測だけれど、おれがジェームズにしたように、医務室に連れて行かれるような気がするからだ。
そんな事を考えながら静かにしていると、唐突なのか始めからそのつもりだったのか、寮対抗で行われているクィディッチの話題を持ってこられた。
次のハッフルパフ戦のオッズを聞かされグリフィンドールの方が高い事にコメントを求められるけれど、選手であるおれは正直真っ向から否定できない状況に言葉を濁す。一応この間のレイブンクロー戦は接戦を制したけれど、レイブンクローは今年不作と言われているだけに我がグリフィンドールのチームは残りの二試合に黒星が付いてもおかしくないのが現状だ。
キーパーは悪くない程度の実力を持っている、チェイサーには一人、ナショナルチームにスカウトされてもおかしくない天才がいた。残りの二人も悪くない。ビーターであるおれや、もう一人もそれ程悪い人材だとは思っていない。つまり最も重要なポジションの、今年レギュラーになったばかりの前年控え選手だったシーカーがよくないというか、非常に悪いのだ。
誰にも真似できない飛行能力を持ったジェームズをシーカーにしようという案が試合前に何度も出されたけれど、チェイサーを退く事を本人が了承しないから未だにグリフィンドールは決定力不足のままだった。
確かに、おれだってジェームズにシーカーをして貰いたい、けれどジェームズはチェイサーに誇りを持っているから譲らない。
あいつのクィディッチに対する頑固さは筋金入りで、しかも一度シーカーをやってしまえば代理が見つからない限りチェイサーに戻れなくなる事が判っているから絶対に折れない。シーカーをやるくらいならチームを辞めると言う位だから相当だ。
そう言えば、ジェームズに聞いた話では確かには一度シーカーの話が行っていた筈だ。あの時はピーターがやった方がまだマシだと言ったけれど、今は違う。程シーカーに適した存在は中々居ないんじゃないか。別に身長が小さいからとかではなくて、その飛行能力や体力が。
後で打診してみようか、ジェームズはきっと諸手を挙げて賛成してくれるだろうし。の首を縦に振らせるのには苦労しそうだけど。正直、隠れクィディッチ馬鹿なマクゴナガルと、一度殴られて怪我したキャプテンやチームメイトの説得よりもこっちの方が大変だろう。
「どうしたのよ、今日のシリウスちょっと変よ。そんなに減点が堪えた?」
「減点なんていつもの事だし挽回できるから気になんてしてない。今は他に色々考える事があるんだよ」
「腹が立つくらい余裕ね。それで、その考え事って、この前みたいにホグワーツの食事が不味いとか延々と討論し合う事かしら、男の子って時々馬鹿みたいな事に熱中するわよね」
「いや、それは」
「仕方がないよ、エバンズ。ぼくらはついこの間、世界を獲れるような食事にありついてしまったのだから」
「おい、ジェームズ。気配消しておれの後ろに立つのは止めろ! 絶対に座れない間に無理やり割り込むな!」
いくら抗議してみても、突如現れたジェームズの野郎はおれとリリーの間に体を捻じ込んでくる。リリーが好きだという気持ちは判るがせめておれに一言断れ。向かい側の席に座ったリーマスとピーターが仕方がないねと全てを放り投げて諦めているのも腹が立つ。結局は、脛を蹴られて悶絶したおれは其処を退く事になったんだけど、この怒りは一体何処に向ければいい?
結局誰にも八つ当たりできないまま大広間に大体の生徒が揃い、決められた時間に朝食が始まる。その間もジェームズは謹慎中にありついた食事の素晴らしさについてリリーに延々と語っていたが、当のリリーは何故謹慎中にそこまで食生活に恵まれていたかの方に興味を示しているようだった。おれたちが何処に、そして誰と謹慎を受けていたかは噂にもなっていないらしい、その方が有り難いけど。
ガラスケースの中に厳重に保管されている宝石の一つ一つを語るような口調でその食事の素晴らしさを述べるものだから、周囲で食事をしている女共の耳が普段よりも巨大化しているように見えて仕方ない。ただ、連中に料理名とその特徴を言っても無駄だと思うのはおれだけだろうか。
けれどこうしてジェームズの話を聞きながら今まで食べた料理を思い返してみると、その多国籍というか、無国籍振りに驚かされる。出される料理は国籍の統一性がない事が多くて、トルコとドイツとハワイの料理が同じ食卓に出てきたのもいい思い出だ。リーマスは二日前にロシア料理の実験台にさせられたらしく、ジェームズは酷く悔しがっていたなんて事もあった。
「そしてぼくは思うんだ、今度こそロシア料理が食べてみたいと」
「ジェームズ、まだ言ってるんだ」
「当たり前だよピーター、君はホグワーツに居ながら世界各国の料理を楽しみたいと思わないのかい?」
「ぼくは別に、今のままでも十分だけど……」
「ああ、なんという事だ。ピーター、君と分かり合えない日がこんなに早く来ようとは」
「ジェームズ、もういいからさっさと食え」
煩いから、そう無言で付け足しておくと、ジェームズは仕方なさそうに肩を竦め、結局誰が料理を作ったかは伏せて次の話題へと移っていった。リリーはしばらく一体何がおれたちの食事を作ったのか気になっていたが、ジェームズは気を惹くためか何だか知らないけれど決して話題を戻さない。
第一、が作ったと言ったら言ったで大広間は混乱するだろう。ピーターなんかは、おれたちの話を最初に聞いた時、妙な毒薬でも盛られたんじゃないかと視線で言っていたし。
リリーに夢中なジェームズは放っておいてクランペットを取ると、正面に座っていたリーマスが陰鬱な溜息を吐いていた。理由はよく判らないけれど、一昨日の、丁度寮に帰って来た時くらいから様子がおかしかった。に会えない事が不安なのだろうか。
「リーマス、調子悪そうね。医務室に行く?」
「ううん。ありがとうリリー、何でもないよ」
リリーも食欲のないリーマスを心配してそう尋ねるけれど、それで首を縦に振るような奴ではないことくらいおれたちは承知していた。ジェームズだけはリーマスの気分が沈んでいる原因を掴んでいるみたいだったけれど、やれるべき事は何もないみたいで、マッシュポテトを飲み込んだ後に何か面白い話や噂はないかとリリーに訊いていた。
「そうねえ、あなたたちは興味ない話かもしれないけど。先週末に謎の美少女か美少年かが医務室の近くで目撃されてるらしいわ、私の周りでは転校生かもって噂されてるけど」
何となく嫌な予感がしておれたち四人全員の手が止まる。ピーターまで手を止めたのだからおれたちが思い浮かべた人物はまず一人しか居ない。当然リリーは不審がったけれどジェームズが言い包めて一体それはどういう事なのか詳しく尋ね始めた。
リリーも伝言ゲームのような形で広がっていた噂を拾っただけらしいので情報は不確からしいが、曰く、東洋の国の王子が花嫁探しにやって来たとか、妖精の世界を追放された少年が居場所を求めてやって来たとか、家庭の事情で男装した美少女が転校して来たと、不老の魔法生物が生涯パートナー、しかも男性のパートナーを探しにホグワーツにやってきた、などと言う、どれも違法な薬を使って作られた妄想のような内容だった。
一致しているのはその外見で、身長は割と低くて髪はストレート、短い黒髪には天使の輪が出来ていて、真っ白な肌に大きなアーモンドアイをしていたらしい。まさかと思うが、まさかなのだろう。それ以外考えられない。それしかない。
は自分がとんでもない噂の種になっている事に気付いていない。気付いていたら噂を広めた当人達は全員医務室のベッドに横になっているか、冷たい土の下へ送られるに違いないからだ。
「医務室って事は……ねえ、エバンズ。もしかして、スネイプ入院した?」
「ええ、よく知ってるわね。もしかしてその子、セブルスと知り合いなの?」
「多分ね」
ジェームズはそれ以上語らず、スリザリンのテーブルを眺める。いつもの場所にスネイプはいない、いっそこのまま永遠に帰ってこなければいいのに。
フォークを銜えながらそんな願い事を唱えると、よりにもよって天邪鬼の神がその願いを叶えたみたいで、広間の扉からスネイプが現れる。おれの日頃の行いが悪い所為なのか?
でも、それを言うならジェームズは度し難い極悪だろう。もしかしてあれか、思考も行動も何もかもが極悪過ぎて天邪鬼の神程度じゃ到底叶えられないとか、そういうレベルまで行ってるのか。そしてスネイプは食事に来たのに何では居ないんだ。
「今の君、恋しくて堪らないって顔してるよ」
「はあ?」
「え、シリウス片思い中なの?」
「そんな筈あるか」
おれが恋してるとか突拍子もない台詞を吐いたジェームズと、他人の恋愛に興味があるらしく目を輝かせるリリーから少しばかり距離を置いて返事をすると、何故かリーマスに睨みつけられた。怖い、朝っぱらから心臓が凍るかと思うくらい怖い。というか、何でそこでリーマスに睨みつけられなければならないんだ、リリーも何故そこで嬉しそうな顔をするんだ。今日は絶対に厄日だ。
大体片思いって何だ。誰にだ。相手が不明な上に、おれはそんな面倒臭い恋愛はしない事くらい判らないかジェームズ。まさかと思うがリーマスの態度と話の流れ的にか? なのか?
おい、ジェームズ、お前優秀なんだろう、もう少し考えればありえない事だって判らないか。そしてリーマス、隣のピーターが怯えてるからそんなに睨んでくれるな。正直おれも正面から睨まれるのは勘弁して欲しい。
「シリウスとリーマスとの三角関係なのね、素敵!」
三角関係のどの辺りが素敵なのか非常に気になるが、知りたくはないと心底思う。それよりも今はリリーの言葉を遮るなとこちらも睨んでくるジェームズがまた恐ろしい。ちょっとというか、大分、何でおれはこの二人とつるんでいるのだろうとか思ってしまうくらいの恐怖だ。
「いや、違うよエバンズ。ぼくが知る限り最低限、四角関係もどきが既に成立してる」
「ジェームズ、おれまで巻き込ませるな」
「もどきってどういう事かしら」
「シリウスがここに加わる前まで、リーマスとその相手とあと一人は三人は互いに理解し合える泥沼無き三角関係だったんだよ。そうだよね、リーマス?」
「……実際上手く行っていたから、否定はしないよ」
「シリウスってやっぱり其処彼処にトラブルを持ち込むのね」
「ジェームズ、意図的におれの発言を無視するな。見当外れの推測で法螺吹くのもいい加減にしろ。いいか、おれは恋なんてしてない」
リリーも不名誉なレッテルを貼るのをやめろ、まるでおれが疫病神みたいじゃないか。リーマスはそろそろ睨むのをやめて欲しい、内臓のどこかに穴が開きそうだ。そしてピーター、あいつの言葉を真に受けておれと距離を取ろうとするな、おれは潔白だ。
何でこんな事になってるんだ、責任取れジェームズ。睨んでるのに笑っているな。
「法螺なんて心外だな。ぼくは第三者から見た君達の関係を素直に述べているだけだよ?」
何がおれたちの関係だ。リーマスがの事が好きだとは前に言ってたけど、それにおれを加えようとするんじゃない。おれは至ってノーマルだ、例えどんなにの顔が可愛くても、だ。おれはゲイじゃない、男は恋愛対象になりえない。あいつは友人だ。
「ジェームズ、因みに残りのあと一人は?」
「なあ、いい加減このネタ引っ張るの止めてくれないか?」
「いいじゃない、シリウス。誰が困るわけでもないでしょうし」
明らかに無関係なおれに変な噂が付き纏いそうで大変困るんだが、そこの所をリリーは判っているのだろうか。というか、多分判っていてそれでも続きを促しているようにしか見えない。リリーもジェームズと同類か、おれの不幸を見て楽しんでいるのか。それとリーマス、もう本当怖いから睨むのは勘弁してください泣きそうです。
必死な願いが通じたのか、リーマスは溜息を吐いた後でようやくおれから視線を外してくれた。皿の上には食べかけのソーセージと、これも一口食べただけのクランペットが残っている。こいつは元々少食で満月の前後だと更に食が細くなったけれど、今日はやっぱりおかしい。
流石にこれだけじゃまずいだろうと思って、何か他に食べれる物を持っていただろうかとポケットと漁っている間に、リリーが持っていたオレンジ色のキャンディーを差し出した。けれど、リーマスは笑いながら断る。
ジェームズがウエハースを、おれがチョコレートバーを、ピーターがビスケットをそれぞれ差し出すけれど結果は一緒でどれも受け取ってはくれない。腹が減ってないのだと言うが、そんなはずあるわけがない、今日ほどじゃないが昨日もそんなに食べていない事ぐらいちゃんと記憶している。
リーマスがまともな食事を最後に取ったのは、そう記憶を探るとすぐに答えに行き着いた。確か、あのフォンダンショコラだけは少しずつだけど全部食べていたはずだ。
「あれ、シリウス何処に行くの?」
「リーマスが食えそうな物を調達に」
ピーターにはそう答えたけれど、正しくは、フォンダンショコラの作者であろうにリーマスが食えるような物を作ってもらいに、だった。けれど、こんな大広間で言うと後が面倒臭いので一応伏せておく。
「いいよ、シリウス。ぼく本当にお腹が空いてないんだ」
「調達してきた物食べれなかったら信じる」
「横暴だ」
「何とでも」
推測に過ぎないけれど、恐らくリーマスはが作った食べ物ならきちんと食べる。
美味いとか不味いとか、成功したとか失敗したとかそういった事は関係無しに食べてるのだろうと簡単に予想が付いた。そしての方もリーマスの調子を見て食べる事が出来そうなものを作っているはずだ。現に、寮に放置されていたフォンダンショコラはベースも違えば四人それぞれ飾りつけが違った。
甘党と思われる人間には甘めに作ったベースと砂糖をふんだんに使ったクリームとジャムが添えてあり、そうでない人間には甘さを控えて酸味の効いたジャムが添えてあった。ジェームズの推理によると、甘い方はリーマス用で甘さ控え目がスネイプ用らしい。スネイプにまで気を使うに少し腹が立った事は秘密だが、ジェームズ辺りにはバレている様な気がしないでもない。
取り合えず鬱憤晴らしのついでにスネイプを締めて居場所を吐かせようとスリザリンのテーブルに向かおうとすると、おれの思惑に勘付いたらしいジェームズが意地の悪そうな、要訳するとおれが不幸になりそうな笑みを浮かべて呼び止めた。
「調達が済んだらぼくに連絡してよ。リーマスを連れて行くからさ」
「……お前の分までは調達しないぞ」
「その場合は君の分も調達出来ないだろうけどね。ぼくと君とはセットだから」
こんな時だけ都合良くセットにするジェームズに呪いの言葉を吐き出しながらグリフィンドールのテーブルを離れると、広間の反対まで早足で歩いていく。途中ハッフルパフやレイブンクローの、主に女子生徒に声を掛けられるけれど取り合えず無視だ、無視。あんなのよりもリーマスの方が大切だ。
いつも通り陰気臭いスリザリンのテーブルまでやってくると、陰湿が売りの連中は矢鱈と今回の減点の事で冷やかしてくる。そうやって遠いところから石を投げるくらいしか奴等は出来ない事を知っているからどうでもいい。知識も技術も体力も、あと幸いにしてこの外見も、到底敵わないからこうして低次元な野次を飛ばすのだ。
……あんまり考えなくなかったけど、もしかしたらもおれたちに同じような感想を抱いていたのか? いや、今となっては聞きたくないし、知りたくもないんだけど。
「何の用だ、ブラック」
「お前じゃなくてあいつに用があるんだよ」
あいつ、で誰なのか通じたのか、スネイプはいつもよりも一層血の巡りが悪そうな顔で口端を歪めると紅茶を一口飲んだ。いっそ残りの紅茶ごとカップを顔面に叩きつけてやろうか、そうすればもう少し人間らしい顔色になるだろうから。
「今回の事でやっと跪いて、今までして来た事を謝罪する気にでもなったか」
「そんな謝り方したら逆に怒るだろ。リーマスの事で相談があるだけだ」
はそういう謝罪の仕方は、多分好まない。態度を改めて、自分の何がいけなかったのかを理解して、言葉にして謝罪すれば今までの事を許すような、どうしようもなく甘い人間だけれど、スネイプの言ったような事をやるときっと逆鱗に触れる。
あいつはそこまで求めていないから、何故相手がそこまでするのか理解できなくてそんな謝罪はいらないと叫ぶだろう。おれが今までの事を謝ろうとした時もおれより先に色々やり過ぎたと謝られ、もうしないと判っているから別に区切りとしての言葉さえ聞ければいいと言った。
喧嘩両成敗だとか、水に流すとか、は言っていた。律儀で神経質だと思っていたけれど、根は大らかな人間なのだとあの時知った。いや、それまでも優しい奴だとはちゃんと考え改めてたけど。
「……下らんな」
「おい、スネイプ待てよ」
来たばかりなので食事もそこそこに、そして何よりおれを無視してスネイプは大広間から出て行こうとする。ここで殴って吐かせてもいいけど、後でリーマスが怖いのでやめておいた。同じような事をする時はもっと人気のない場所の方がいい。
スネイプに続いて広間を出ると、おれが掴みかかる前に奴の方からおれに向き直った。どことなくおれを見下したような目付きに腹が立ち、殴ってやろうかと拳を握ると思いもよらない言葉が返って来る。
「しばらく会ってないから墓参りに行って来るが、授業には出ると言っていた」
「……何だって?」
「貴様の耳はただの飾りか、ブラック」
「が墓参りに行って授業に出るとは聞こえたけど問題はそこじゃない」
何で素直にの居場所を吐くんだ? 罠か? 何かの罠なのか?
「あいつの事に関して嘘は言わん……しかし、お前のような奴に気安くファーストネームを呼ばせるとは、も相変わらずお人好しだな」
そういうお前は未だファミリーネーム呼びだろ、じゃなくて。
「は、お前には行く場所をいつも言うのか?」
「そんな事が気になるのか?」
「友人になったんだから知りたいと思う事は当然だろ」
「友人か」
随分含んだ言い方をしやがるスネイプの顔面にはやっぱり拳を一撃入れる必要があるに違いない。今拳を握っているおれに過失はどこにもないはずだ。
全く腹が立つ。何でどいつもこいつもおれがに惚れているなんて言い出すんだ。あいつとは友人なのに誰が言い出した元凶だ、やっぱりあいつか、ジェームズか。
「ブラック」
「何だよ」
「昨日今日で友人になれる程、は簡単な人間ではない。あいつが今、お前に対してやっているのはただの模倣だ」
恋愛云々は置いておいて、友人ですらないと言ってどこか勝ち誇った表情をしているスネイプの胸倉を掴み上げても、口元に浮かんでいる気味の悪い笑みは消えなかった。
そのまま突き飛ばしてやると薄い背中が石壁に当たった音がする、それでも、スネイプはその笑みを崩さない。一体なんだっていうんだ。何が可笑しい。訳判んない事言って自己満足してんじゃねえよ。
「ぼくとルーピンだけが本物で、本心から信頼されている。だからはぼくにだけ条件付きで自分の居場所を告げた、尋ねてきた相手が誰だろうとルーピンの為と言うなら居場所を伝えろ、と」
「リーマスは兎も角、お前のそれは友人と呼べるようなポジションじゃないけどな」
パシリか下僕みたいな扱いだと思うけど、本人が満足しているならそれでいい。明日の校内新聞号外版がまた少し賑やかになるくらいだ。本当にこいつはネタが尽きない、時折わざとやってるのかと疑問に思うくらいだ。
「そこまで自信があるのならに尋ねてみるといい。本当に自分は大切なのか、と」
「お前はに大切にされてるような口振りだな」
「少なくとも、ブラックよりは余程な」
おれより上だと余裕を持って笑うスネイプに腹が立ったから今度こそ殴ろうと拳を振り上げた所で、朝食の時間が終わり大広間の扉が開いた。一斉に流れ出してきた生徒の波に呑まれてスネイプを見失うと同時に、背後から肩を叩かれる。
もしかしてか、と期待したおれは悪くない。目の前に居たは赤い髪と緑の瞳で全開笑顔のリリーで、興味津々の態でおれに詰め寄ってきた。
あと一人はセブルスだったのね、と興奮気味に話しているのを否定する寸前、当然のようにリリーに引っ付いてきたジェームズが正解だと声高らかに宣言する。本当、いい加減にしろと言いたい。
もうこの二人には何を言っても無駄だろう、おれの言葉は脳内削除されるか都合良く変換されるに違いない。四角関係の素晴らしさについて語り合っている、頭だけは馬鹿みたいにいい二人から逃げるようにおれも生徒が作り出している波に乗った。
スネイプの話だとは授業には出ると言っていたけれど、リーマスの状態を告げるのは早いに越した事はない。墓参りというのはあの場所の事だろうから擦れ違わない為に急いで外に出ると、相変わらず皮膚が凍るくらい冷たかった。
今にもまた雪が降り出しそうな空を見上げると、白いばかりの森の向こうから雪を踏みしめる音がこっちに向かってくる。木々の間から黒くて小さな影が現れると、おれはあからさまに安堵の息を吐いた。ギリギリ擦れ違わずにいれて安心した。
もおれの姿に気付いたみたいで、歩幅が少しだけ広くなる。耳当てのついた毛糸の帽子が小動物みたいにひょこひょこ揺れていた。長かった髪を切ってしまったから、もしかしたら寒いのかもしれない。
「ルーピンの体調が優れないか」
おれの前で立ち止まると、は断定の形で言っておれを見上げた。そうだと肯定する前に視線を逸らされると今更おはようと挨拶され、おれが返事をしている間に城の隠し扉に向かって歩き出す。擦れ違い様、何か作ってやらないとなと呟いたのが聞こえた。
何も言わずにいたのにおれが言いたい事を全て把握してしまったは、扉を潜る寸前で立ち止まり、上を見上げ、右を見て、反対に視線を回し、最後に俯いた。一体なんだろうと小さな背中を見ていると、なにか納得した風に大広間の方まで歩いていく。
おれもそれに続いて歩き出すと、肩の辺りで帽子のボンボンが歩調に合わせて揺れていた。手作りのように見えるけど、もしかしなくてもきっとの手編みなんだろう。
「なあ、」
「何だ」
「さっき、何で城に入る前に立ち止まったんだ?」
「別に」
そう言うと、は沈黙して歩き続けた。
きっと意味があるはずなのに意味なんてないと適当に突き放されたようで少しばかりへこんでいると、何故かはもう一度別に、と言った。
「ただ、授業に出ずに、食事を作ったら。ルーピンに叱られると考えただけだ」
先程の言葉の続きを言われて唖然とする。リーマスに叱られるというからじゃない。驚いたのはその思考だ。
はこれまでずっと、時間をかけて考えながらこうして言葉を続けようとしていただけだった事が今になってようやく判った。最初の言葉から次の言葉までのブランクが人より長い所為で誤解され、会話が一方的に完了されてしまうのだろう。
待つという事が基本的に苦手なおれはこうやっての言葉を塞いでいた。でもリーマスは、きっと違ったのだろう。あいつのペースは見た目通りゆっくりで、待つという事をあまり苦にしない。だから、以前からずっと、と会話が出来た。
「考え事か、ブラック」
「ああ、の事について考えてた」
「おれの事なんて考えなくてもいい」
そこでまた沈黙が降る。もしかしてまた言葉が続くかもしれないと思い、ちょっと黙っていようと手を開閉させながら待っていると、予想通りは口を開いた。
「それよりも、ルーピンの心配をしてやれ」
続けられた言葉はやっぱり優しくて、帽子のボンボンを軽く叩いてやると非常に迷惑そうな気配を漂わされた。ただ、口に出してやめろとは言わないから、それ程嫌がっているわけじゃないと思う。あまり過剰にスキンシップをして睨まれるのも嫌だから、適当なところで手を止めると顔を逸らされた。拗ねさせてしまったらしい。
こうしていると、スネイプが何と言おうとおれたちは友人だろう。少なくとも、以前の関係で今みたいな事を同じ調子でやらかしたら確実に殴られるだろうから。
は会話が得意じゃないみたいで、それから後は沈黙のまま城内を歩いていく。一応ジェームズには連絡して今日一番の授業である変身術の教室で会う事を決めると、横で聞いていたはまた立ち止まり、また少しの間考え、そして来た道を戻り始めた。流石にこの行動原理は理解出来ない。
「おい、?」
の歩き出した方向には変身術の教室がない、一体何処に行くつもりだと訊いても答えない。何か気に障ったのだろうか、ただ変身術の教室で待ち合わせただけなのに。いきなり城内を徘徊し始める理由の見当が全く付かない。それでもに付いて行くしかない、ここで見失ったらリーマスに申し訳ないし、ジェームズが恐ろしいことになる。
はそんなおれに気遣う様子もなく、人どころかゴーストすらいないような薄暗い階段を下りて像の裏側にあった隠し通路を歩き、絵の裏側を抜けて明かりの少ない廊下にある小さな扉を開けた。
突然眩しくなったので目を眇めると、そこには何故か驚いた顔のジェームズがいて、しかも背景は非常に見慣れた教室だった。辺りを一通り眺めても他の生徒はまだ誰も来ていないみたいで、教室には今現れたおれたちを含めた五人しかいない。
「君の事だから扉からは来ないだろうと予測はしてたけど、まさか掃除用具入れの裏から出現するとは想像しなかったよ。あと、おはよう、」
「おはよう」
「ほら、ピーターも怯えてないで挨拶しないと。彼、別に猛獣でも何でもないから」
「お、お……おは、ようっ」
「おはよう」
ジェームズに対しても、ピーターに対しても、そしておれに対しても全く声色を変えない挨拶をしたは、リーマスにも同じ言葉で挨拶をした。ただ、おれたちとは違い、声が優しい気がする。だからといって、羨ましいわけじゃない。別におれもあんな風に通り過ぎる事無く近寄られて声を掛けられたいとは少しも思ってない。
……いや、すまない。嘘だ、正直羨ましい。
「セブルスから聞いたよ、マダムの代わりに看病してたんだってね」
「悪かった、連絡しなかったおれの落ち度だ」
「ううん」
が来たというのに相変わらずリーマスの表情は優れない。ジェームズが思案顔で二人を眺め、おれとピーターは事の成り行きをただ見ている。というか、ジェームズ。お前はこの二人を凝視して一体何を考えている、というか企んでいるのかが非常に気になるんだが。
「ルーピン、今日の授業後に時間はあるか」
「え、あ……うん。あるよ」
「なら食べるぞ」
「食べる?」
言葉を削りに削ったせいでおれたちはともかく、当のリーマスにまで疑問系で話しかけられたは、またしばらく考えてからフォンダンショコラとだけ口にした。
「フォンダンショコラ……って、一昨日作ってくれた?」
「三人で食べるんだろう。スネイプには既に了承を取った」
「覚えてくれてたの?」
「ああ」
「……ありがとう」
「構わん。ただ、おれはこういうのが不得手だ。これからも、日時の調節はルーピンの方でやってくれ」
「うん」
何と言うか、微妙に二人だけの世界を作り始めたリーマスとはおれたち三人がこの場にいる事なんて忘れてるような気がしてきた。特にリーマスの目が恋する乙女顔負けの輝きを帯びているような気がするのは何かの幻覚だろうか。そうであって欲しいとは思うけど、多分違うんだろうな。
しかし、その代わりさっきの大広間とは打って変わって血色も良くなったし、笑顔にもなったのだから結果としては上等だろう。スネイプと三人で食事するっていうのが心底気に食わないけれど。
「シリウス、男の嫉妬は醜いぞ」
「だからジェームズ、お前は急に何なんだ」
「無自覚って怖いねえ」
「だから何が」
苛々しながら返答するとジェームズは精々悩むがいいさと言い捨てて、よりにもよって二人きりの世界を作り出してたリーマスに話しかける。お手製だというマカロンを手渡されたばかりで機嫌が良くなっていたのに、邪魔をされたリーマスは朝のおれに対しての眼光の比じゃないほどの恐ろしさでジェームズを睨みつけけれど、当人はまったく意に介していない。それどころか一つくれなんて言っていた。
ジェームズの神経は強靭なのだろうか、それとも皆無なのだろうか。隣でおれと同じく三人から距離を取りたがっているピーターにも意見を求めたいところだ。
そんなリーマスと違い、はジェームズの事を別にどうでもいいと言った感じで眺めている。それもそれで酷い気がするが、らしいといえば非常にらしいような気がする。ああ、でもリーマスにはちゃんと反応しているから、らしいという言葉は違うのかもしれない。
ならば、おれはどうなのだろうか。今近寄ったのがジェームズではなくおれだったら、はどんな反応をしたのだろう。やっぱり、ジェームズと同じように適当にあしらう様な表情と口調で迎えられるのだろうか。どうでもいい、と視線で言われるのだろうか。
ならピーターは? スネイプは? 教師は? 他の第三者は? 考えれば考えるほど嫌な気持ちになって行く。あいつは、は、リーマスとスネイプにだけ、周囲と違う反応をしてみせる。以前からの親しい付き合いがあるからだと頭では理解していても、それは非常に不愉快な気持ちだった。
スネイプはあの時、自信に満ちた表情でに大切にされていると言った。あの表情を思い出すだけで苛々が募る。これがジェームズの言った嫉妬なのか、でもこの腹の中で煮える気持ちは別にリーマスには向かないから違うはずだ。おれはリーマスには嫉妬していない。
けれどスネイプとの関係に対するこれは、まだと不仲だった頃にリーマスがあいつと仲良くしている時に芽生えた感情と同じ類のものだ。親しい友が不愉快な人間と居るあれと一緒だ。がスネイプと縁を切るか、スネイプが改心しない限りこれは収まりそうもない。
「あの、シリウス。なんだか、顔が怖いよ?」
「おれは元々こういう顔だ」
怯えるような口調でピーターが言うが、そんな怖い顔をした覚えはない。不機嫌にはなったかもしれないけれど、別にそれはこの場に居る誰かに対してではない。
「シリウス、八つ当たりなんてみっともないぞ」
「してない」
「ピーター。シリウス怖いならこっちに来るかい? 手違いでリーマスに眼力で射殺されるかもしれないけど」
「君が向こうに行けばいいじゃないか」
「マカロンくれたら」
「あげない」
「一個でいいから」
「しつこいよ?」
部屋の一角が外気よりも冷たくなりそうだ。ジェームズ、そろそろ退いてくれ、お前達三人はいいかもしれないけれど、おれとピーターが凍死する。
不毛な戦いが延々と続きそうなので、廊下にでも出て避難しようかと考え始めると、いい加減煩いとが横から口を挟み、茶色の紙袋をジェームズの顔に向かって投げ、見事それを顔面でキャッチさせた。
「これはルーピンの為に作った物だ、貴様はそれでも食っていろ」
「え、こんなにいいの?」
「いらんなら返せ」
「君がくれるって言うなら喜んで受け取るよ。はい、ピーター」
「何でぼく!?」
から受け取った袋ごと差し出すと、ピーターは袋と、そして眼鏡が歪んだらしく直しているジェームズを何度も見ながらうろたえていた。リーマスもその行動に少し驚いているみたいで、ピーターと眼鏡を直し終わったジェームズを交互に見ていた。
「君だけがぼく等の中で彼の料理を食べていないからね。料理と言ってもお菓子だけど、大丈夫、味は全員が保証するから」
「何だ、そういう事なら半分上げたのに」
「シリウス聞いてくれよ、リーマスはぼくにはお手製マカロンを一つもくれないくせにピーターになら半分も分けるって言うんだ!」
「リーマスに同意」
「うわーん、。みんながぼくのこといじめるよー」
「死ね」
「慰めでも無視でも目障りでもなく死ね!?」
かなり予想外の返しをされたジェームズは大袈裟に泣き真似をする。の口が悪いのはデフォルトらしい、リーマスも全く驚いていない。
わざとらしく泣き真似をするジェームズが不憫に思ったのか、鬱陶しいと思ったのかは判らないが、ピーターは袋の中のマカロンを幾つか渡そうとする。勿論おれとリーマスでその必要はないと止めておいた。こいつはしばらく反省した方がいい。
「と、まあ、マカロンは今度に作ってもらうからいいとして」
「もらうな」
「、作らなくていいからね」
「優しいには優しいぼくから一つアドバイスをしてあげよう」
おれたちの言葉をなかった事にして、ジェームズは右手の人差し指をに向けた。
人を指すのはやめろ。も不愉快そうだ。
「室内での帽子着用はルール違反だ」
「……ああ、忘れていた。そういえば、かぶっていたな」
外からずっとかぶっていた帽子の事をジェームズから指摘されてようやく思い出したは、素直に静電気が鳴り響くそれを外すとポケットの中から木で出来た櫛と鏡とヘアウォーターを取り出した。
これといい、菓子といい、武器といい、実はってジェームズに負けず劣らず色々なものを服の中に仕舞って持ち歩いてるよな。
ただ、の場合は頬袋一杯に餌を溜め込んだ小動物ってイメージが強いけど。そのイメージが先行している所為なのか、鏡で自分見てちょっとうんざりしたは可愛いと思った。
溜まりに溜まった静電気のせいで短くなった髪は四方八方に散ばって、何か実験に失敗した奴の頭みたいになっている。ジェームズの癖毛より酷い。これはこれで、他の生徒はだと判らないだろう。
「ぼくが直してあげようか」
「ルーピン、これくらい自分で出来るんだが」
「マカロンのお礼。はい、座って座って」
笑顔での反論を塞ぎ込み無理矢理椅子に座らせるリーマスは、実は意外と神経が強いんじゃないかと疑った一瞬だった。てっきり全力で反抗すると思ったのに、は素直だ。
隣のピーターが袋を抱えたままおれを見上げる。という人物は実は何時もこんな感じなのかと目で問いかけられたので多分そうだと頷いておくと、先程までの怯えが急に消え失せた。確かにこうしていると、は無愛想だけど大人しくて聞き分けのいい一生徒にしか見えない。
人形よろしく暴れる事無くリーマスに全てを任せている姿を見たからか、ピーターはマカロンを取り出して食べ始めた。言葉はないけれど、一つ、また一つと順調に無くなっていくので気に入ったらしい。
「感想はどうだい、ピーター。の作ったお菓子、美味しいよね」
「うん。凄く美味しい、特にこれ、このピンク色の」
「フランボワーズか、覚えておく」
「良かったねピーター。に味覚を覚えられると、次からは個人個人で好みの味付けに変えてくれるんだよ」
「ああ、駄目だ」
自分の事でもないのに得意げに話すジェームズの言葉を遮ってリーマスが呟く。一体何事かとおれたちの視線が一斉にそっちに向くと、リーマスは真剣な表情で髪を整え終わったを見て考え込んでいる。一体何が駄目なんだろうか、ピーターの好みがにインプットされる事でもないみたいだし。
「、君、自分で髪整えた?」
「当たり前だ。いつまでもあんな髪型でいれるか」
確かに謹慎中に見た髪形に比べると、今は随分落ち着いている。前も見るに耐えないほど酷くは無かったけれど、今は毛先も揃っているみたいだし逆に問題部分を見つけるほうが大変そうだ。ジェームズの言った通り、矢張りは髪を大切にしているのかもしれない。そうじゃなきゃ、墓に一緒に入れないだろうし。
思考が逸れたけれど、結局リーマスは何を言いたいんだ。そんなにまずい、人に見せられないような髪形ならおれが整えてやるけど。
「リーマス、一体何が問題なんだい? そんなに酷い髪型なのかい?」
「違うよ。逆なんだ」
リーマスはおれたちを手招きして、相変わらず大人しく座っているの前まで来た。途端に、おれとジェームズは納得、ピーターは信じられないものを見てしまった表情で固まった。特にピーターの反応は一般生徒代表の反応と見ていいだろう。
おれたちだけで会話をしているのが気に入らない、というよりも、自分をダシにして会話をされるのが気に食わないみたいで、は今までよりもはっきりと見える顔で不快感を露にした。昔だったら長い髪に隠れていたから脳内補正で猛獣のように見えたけれど、いまじゃ精々仔猫の威嚇だ。
つまり何かと言うと、髪を整えるついでに前髪も揃えてしまった所為で、最早に威厳という言葉は程遠い物になり、大変微笑ましくなっていた。醜かったアヒルの雛だってこんな白鳥にはならないだろう。
「、そんな顔しても可愛いだけだからね」
「可愛いと言うな。目が腐ったか」
「残念だけどジェームズの意見に賛成するよ」
「おれも」
「ぼくも」
「だから可愛いとはどういう意味だ」
いくら眉間に皺を寄せても可愛いものは可愛いのだから仕方ない。というか、朝の噂を含めて今後しばらくの間、ホグワーツはの話題一色に染まるだろう。この劇的改造、正確には髪を切っただけなのだが、これを目にして振り返らない奴はいないんじゃないかと思えるくらいの変貌振りだ。
これがイメチェンしたです、なんて紹介した日には詐欺で訴えられそうな可愛さだ。素顔が隠れないだけでこんなに破壊力が違うものなのか。
「髪は戻ったんだろう、道具を返せ」
「あ。うん……ところで」
「何だ」
「また髪が伸びるまで、帽子かぶる気ない?」
「ない」
服装には気を使うくせに自分の容姿に無頓着なはそうはっきり言い切った。そうだよね、とリーマスは呟きながらおれたちを見るが、残念ながらまともな知恵は出て来ない。薬で髪を伸ばそうにも、もうすぐ授業が始まるし、一体どうすれば。
「あら、貴方達。そんな所に固まってどうしたの?」
「リ、リリー」
「また悪巧みでも、って……」
この状況を打破する為の知恵を唯一持っているだろうという期待を込めて全力でジェームズに視線を注ぐおれたち。無理、と首を左右に振って打つ手なしと白旗を揚げるジェームズ。一人判っていない顔の。
そして、リリーの歓声が次々と教室に入ってくるグリフィンドールとレイブンクローの両生徒の耳に届いた、届いてしまった、届かなければ良かったのに。
「何この子凄く可愛い! もしかして噂の子? グリフィンドールなのね、私も同じ寮なの! 名前はリリーよ、リリー・エバンズ!」
よろしくね、と興奮しながら挨拶され、今にも両手を握りそうなリリーを避ける為には椅子に座ったまま仰け反る。純粋な好意と好奇心から詰め寄られた所為でいつものように払い除ける事も出来ずに怒りながらも戸惑っているのが可愛い、が実はそんな事を考えている場合じゃない。リリーの声によってとはまだバレていないの存在が教室中に認識されてしまった。もうこれは逃げ場がない。
他人と積極的に係わり合いを持ちたいと微塵も思っていないにはこれから数日間、耐え難い試練が待っているだろう。まずこのの最初の授業を受け持つ変身術の教師、マクゴナガルの反応はどうなるのだろう、面白いを通り越して既に恐ろしい。出来れば唐突に発生した流行り病にでもかかって職員室の教授陣が今日一日、いや、半日でいいから全滅して欲しい。その間に何とかしてみせる。
「四人ともずるいわ。こんな可愛い子独り占めにして!」
「ええと、リリー。四人で独り占めっていうのは正しくない言葉の使い方だと思うよ?」
「じゃあ四人占めね」
を背に庇おうとしたリーマスに詰め寄りながらリリーは言う。別に隠し立てするような事じゃないんだけれど、正体というか、名前と外見を一致させたときの周囲の反応が怖過ぎる。やっぱり今日は厄日だ、そうに違いない。
詰め寄られたリーマスとその先のをどうにかして助けないと、リリーの声を皮切りに包囲網が狭まって来ている。下手な悪戯よりもスリルがあるけれどこんなスリルは残念ながら望んじゃいない。
「シリウス、ぼくが彼の腕引っ張ったらリーマスをその隣に押し込めて、君とピーターは隠すように後ろに座って」
「ジェームズ?」
「一番前の端の席がまだ空いてる」
こっそりと囁かれたジェームズの意図をすぐに把握して、ピーターについて来いとだけ言う。目の前の状況に放心していたピーターも我に返って頷くと、すぐにおれたちは行動に移した。
リリーに謝罪の言葉を述べながら、言葉通りジェームズがの腕を引きながら生徒の壁を掻き分けて壁際の最前列に連れ込む。ピーターはそのすぐ後ろの座席に座り、おれはリーマスをの隣に引っ張って行きながらピーターの隣に収まった。同時にマクゴナガルが教室に入ってきたのは最早神のタイミングだ。流石ジェームズとしか言いようがない。
おれたち以外の生徒が大変不満そうな顔で席に着くが、よく考えてみるとこれからが恐怖の始まりのような気がしないでもない。何故なら教卓まで来たマクゴナガルが見慣れない生徒、実際はなのだが、その顔を凝視している。
不審人物認定された場合が拳を振るわないように両脇のリーマスとジェームズ、そして背後のおれとピーターの四人がかりでローブを握っておいた。傍から見ると奇妙な光景だったかもしれないけれど背に腹は代えられない、これ以上に謹慎を食らわせて堪るか。
普段ならすぐに授業を開始するはずのマクゴナガルが沈黙して一点を見ていることに他の生徒もそろそろ気付いただろう。出来れば誰かが質問する前にマクゴナガルがに一体誰だと問いかけて欲しい。
前の席でジェームズとリーマスが何かアイコンタクトをして、リーマスが代表で口を開いた。何と言うか、ここまでおれたちの心が一致団結して行動を起こすのはこれが始めてのような気がする。
「先生、彼が判りませんか?」
「ミスター・ルーピン。彼女は貴方の知り合いですか?」
「はいちょっとストップ! 君は生まれながらのれっきとした男だから例え相手が教授だろうが女の子に間違われて不名誉なのは判るけどいい機会だから度重なってる暴力はそろそろお終いにしないとね!?」
おれたち四人の制止を簡単に振り払っては殺気塗れで立ち上がり、ジェームズが一拍遅れで立ち上がると両肩に手を当てて全力の説得に走る。これに関しては殴りたい気持ちも判らないでもないけれど、上半身しか制服が見えない状態で顔で判断したマクゴナガルも悪くない。仕方ない、何度も言うようだけどはその辺の女子よりも可愛いのだ。
ジェームズの全力の説得と、困惑顔のリーマスに袖を引かれたのが良かったのか、殺気を放ち続けているがそれでも着席してくれたに感謝する。いつもだったらこの段階でマクゴナガルは血達磨だ。
「ミスター・ポッター。貴方とも知り合いなんですか?」
「それどころかこの教室に居る全員と知り合いですよ、プロフェッサー・マクゴナガル。ああ、全員が友人という意味ではないのでその辺りはお間違いないよう」
感情を抑える為に両隣に座っているそれぞれがの肩に腕を置くという羨ましい状況のまま、言葉は続けられる。
「彼が誰なのか判らないのなら、本人に尋ねる前に是非名簿に目を通してください。教室には人数が揃っているのにこの授業に出なくてはならない人物が一人欠けていませんか? その一人が彼です」
ジェームズがそう言い終わると、マクゴナガルは渋い顔をして、それでも持っていた名簿に目を通し始めるた。周囲の生徒も一体誰が欠けているのか相談し始めるが、矢張りリストを持っている方が有利だったのか、マクゴナガルが一番最初に顔を上げる。
貼り付けられた表情はピーターと同じ驚愕、どうやら突き止めたみたいだった。生徒の中でも何人かはに気付いたらしい。リリーを含む数人の戸惑った声が背後から聞こえた。
「ミスター……?」
「何か?」
疑問系で呼ばれてもちゃんと返事をしたの、その言葉を掻き消すくらい大きな驚愕の声が教室中に響いた。響いたというよりは、もう爆発したといってもいい。耳が痛い。
の素顔が信じられないのか、マクゴナガルは未だ凝視し続けていたが、リーマスが嫌がっていると告げるとようやく教師の顔に戻り、教室内を静かにさせる。
「ミスター・……話があります、隣の教室に来て下さい。他の生徒は私が戻るまで予習をしておくように、今日はブローチを蝶に変えてもらいます」
未だざわつく中でマクゴナガルはを連れて隣の教室まで行ってしまうが、当然のように予習なんかする生徒はいない。扉が閉まると同時にあの爆発的な喧騒が帰って来て、何人かは席を立ち、おれたちに詰め寄る。
こんな時ばかりはネクタイのカラーなんて関係ない。グリフィンドールはお祭り好きという名の騒音製造機、レイブンクローは知的好奇心旺盛という名のお節介が多いからだ。
まだ消極的で地味なハッフルパフと合同だったほうがマシだった。おれは初めてこの授業でそんな考えをした。スリザリンよりは、多分レイブンクローの方がマシだろうけど。
「残念だけど君達の質問に答えたら折角歩み寄ってくれたがまた逃げるから、ぼく等は全てに対してノーコメントを貫くよ」
先手を打ったジェームズに周囲からブーイング。今のこの状況、が帰って来た時が非常に恐ろしい気がする。早く帰って来て欲しいような、もうしばらく、せめて落ち着くまで帰って来て欲しくないような。いっそこの授業が潰れればいいような。
「何ですかこの騒ぎは! 予習をしていなさいと言ったでしょう! グリフィンドール、レイブンクロー、それぞれ10点減点!」
しかしそんな奇跡は起こらない。もう帰って来てしまったマクゴナガルに二つの寮は容赦なく減点を食らう。おれたち四人は一切悪くない気がするんだが、何故か巻き添えでグリフィンドール寮に所属する生徒として処罰されてしまった。
そもそも10点程度の減点では痛くも痒くもないから、どの道おれとジェームズはけろりとしたものだけど。リーマスとピーターにはおれたち二人がちゃんとあいつ等の所為だからお前は関係ないって正論言っておいたし。
「やあ、おかえり。」
「ただいま」
席に戻ってきたにジェームズが話しかけると、ちゃんと返事をしてくる。律儀だねえ、とからかい半分に言われれば、そうでもないという反論。優しくて、大らかで、真面目で、律儀で、真っすぐで、時々斜め上。少しずつ、けれど日に日に、の印象は良い方向に上書きされていく。
そんなおれたちの目の前で、相当お冠だったらしいマクゴナガルが生徒を一人ずつ壇上へ上がらせてテストをし始めると言った。途端に青くなるのは変身術、というよりどの教科も全体的に苦手なピーターだった。仕方なくおれとジェームズが懇切丁寧な説明をしていると、変身術は得意でも苦手でもないリーマスがマクゴナガルと何をしてきたのかと尋ねていた。
「あ、それぼくも気になる」
「おい、ジェームズ。おれも気になるが、先にピーターをどうにかしろ」
「だから、変身術のコツは勘だよ、勘。ぼんやりと研ぎ澄ませた感覚を対象物に混ぜ合わせて溶かして固める感じなんだって。で、はマクゴナガルと何してたの?」
「その説明で万人が判ったら授業なんていらねえよ」
仕方ないのでおれがジェームズが言いたい事を訳すと、ピーターは更に訳の判らない顔をしてパニックに陥った。何でだ、少なくともおれの説明はジェームズよりは判りやすいはずなのに。判らない事が判らないのが教える側にとって一番辛い、これ順番来る前に間に合うのか?
抜き打ちのテストに前に出ては失敗していく生徒を見て更に不安がるピーターを落ち着かせていると、それまで不機嫌そうな面で黙っていたが急に口を開いた。
「ペティグリュー。蝶を見た事はあるのか?」
「え?」
「なんだ、ないのか」
「あ、あるよ。蝶くらい」
プレッシャーと、に話しかけられた事に怯えたピーターだったけれど、流石に蝶は見たことあると反論するとは一人納得した後でどんな蝶だったと尋ねた。覚えていないと言えば、標本でもないのかと呆れたような声で言う。
「あ、あるよ。標本でも、小さい頃だけど」
「ならば何処の国の蝶だ」
「国までは覚えてないけど、多分南の方の蝶だよ。箱からはみ出るくらい大きかったし、凄く綺麗だったから」
二人のやり取りを見ていて、ジェームズとおれは納得した。つまり、やり方を教える前に先にイメージを固定させる方がいいのだろうとは判断したんだ。そう言えば、は変身術でジェームズを引き離して首位に立った人間だった。あのジェームズに圧勝するのだから、よく考えれば相当の使い手だ。
マクゴナガルに呼ばれて適当にテストを済ませた後、リーマスを入れ違いで席に戻ると相変わらず二人の会話は続いていた。
「その蝶はどの位大きかった」
「多分、ぼくの顔より。両手よりは絶対大きかった、でも名前まで覚えてないよ」
「丸い模様が沢山ある蝶か」
「……ちがうよ。なんか黒いのが筋みたいになってて、中が赤とか青とかだった」
「で、ペティグリューの見た蝶は、どんな蝶なんだ」
「だから、この位の大きさで、黒い縁に赤や青の色が筋みたいになってる蝶……あ」
身振り手振りを使ってに説明したピーターも目的に気付いたみたいで、自分の中で固まったイメージに驚いていた。止めにが、ならその蝶でも作っていろと言うとマクゴナガルがピーターを呼ぶ。リーマスがテストを終えるタイミングまで計っていたらしい。
「いい先生じゃないか」
「誰が」
「がだろ」
「知るか」
「相変わらず君は照れ屋だよね」
「違う」
ジェームズとおれ、リーマスの三方向から言われては膨れた面をする。そんな顔をしても可愛いだけだろ、とおれが思ったことをジェームズが言うと、反論される前に壇上に逃げて行きやがった。入れ違いに珍しく実技を一発で成功させたピーターがマクゴナガルに5点を貰って帰って来る。
そのピーターに礼を言われると、は今までにないくらい不機嫌そうな顔付きでそれだけ出来るなら普段からそうしてろ、と遠回しな褒め方をした。何故の機嫌が悪いのか判らないピーターは怯えていたけれど、リーマスがあの眼鏡の所為だよ、と壇上でありったけブローチを蝶に変えてマクゴナガルに叱られているジェームズを指した。
白や黄色の小さな蝶が教室中に放たれて、蝶とは思えないような素早さ好き勝手に燐粉を撒き散らしている。ジェームズの性格を体現した性質の悪いティンカーベルのようだ。
目に煩い蝶をどうにかしようとクラスの何人かが杖を構えて魔法を放つが、その閃光は掠りもしない。こんな所までジェームズに似るなんて、この蝶は不幸だと思った。そんなジェームズ似の蝶がマクゴナガルの呪文も難なく避けたところで、ふわりと空中に解けた、と思う間もなく、それは色取り取りの大きな蝶に変化していた。
「ポッター、いい加減目障りだ」
飛んできた黒と緑の蝶を杖先で迎えながらが言うと、蝶達は大きな羽を舞わせながら壇上の箱の縁に止まる。これもまた、を体現したような静かな蝶だ。
「凄いね」
「ポッターも出来るだろ」
「ぼくは術をかけた張本人だからねえ」
最後の一匹が杖の先から飛び立ち、他の群れと交じり合う寸前、が指を鳴らすと蝶はブローチに戻っていた。敵わないはずだ、とジェームズが肩を竦めながら戻って来る。
「今度ぼく等に変身術レクチャーしてよ、代わりに魔法史教えるからさ」
「時間が出来たらな」
「やった。約束だよ」
ジェームズが片目を瞑って指先を弾くと、マクゴナガルが盛大に溜息を吐きグリフィンドールへ加点した。君がフォローしてくれなければ減点だったよ、と嘘くさい演技をするジェームズを、今度は全員無視する。
そのジェームズがやらかした魔法と、がフォローした魔法の板書きを写していると、その必要がない飛び抜けて頭の良い二人、つまり当人達はおれたちに聞こえる範囲で言葉のやり取りをしている。ジェームズのポジションが自分じゃない事に少しむっとしたが、残念ながら今のおれの能力ではこの二人には敵わないので大人しくしておく。
「でさ、結局マクゴナガルに呼ばれて何してたの?」
「……本人確認?」
「何で疑問系」
「アニメーガスに変身しろと言われたから、多分そうだと思う」
ここで、当然ながらジェームズ、聞き耳を立てていたおれ、同じく盗み聞きしていたリーマスの手が止まった。必死でノートを取っているピーターが恨めしい。
叫んで聞き質したいのを堪えていると、手を止めざるを得なかったリーマスがを凝視して口を開いた。
「君、それ、難しい魔法だって前言ったよね?」
「言った、苦労した」
「苦労したって。それだけ?」
「大変だった」
「うん、それ同じ意味だからね? あと、とっても頑張ったとかも言わなくていいからね?」
「……では何と言えばいい」
飛び抜けている所か実際は突き抜けていたに、乾いた笑いしかでなくなったのは仕方ない事だと思って欲しい。本人確認って事は、間違いなくは正式登録されたアニメーガスだ。今更ながら何者だという考えが巡ったおれは悪くない。
「ジェームズ、お前がに敵わないはずだ」
「そうだね……流石にへこんだ。というかもうね、アレだよ、アレ」
アレってなんだよ、あと声抑えろ、マクゴナガルが睨んできた。別にどうでもいいけど。
「今世紀中に登録されたアニメーガスの中に彼の名前、ちゃんとあるんだ。その中で最新登録されたアニメーガスが彼なんだ」
「だから何だよ」
「馬鹿。シリウスの馬鹿。シリウスは馬鹿。だからお前は馬鹿なんだ。もっとよく考えてから発言権は使うべきなんだ馬鹿」
「おい、馬鹿って連呼するな」
「普通同姓同名の別人って考えるよ。登録されたのが五年も前なんだから」
……五年?
いや、冗談だろ。だって逆算すると七歳で登録って事になる。ありえない、有り得て欲しくない。、お前本当は何者だ。別に何者でもいいけど、もしかしなくても天才か。
見られても沈黙を貫くの傍らで呆然としているおれたちを他所に時間は無常にも過ぎ、やがて授業は終わりを迎える。今日の事についてレポートまとめるように言ったマクゴナガルが解散の合図をして、ようやくおれたちは我に返った、というか、返らざるをえなかった。
十人以上の同級生に囲まれて、を出せと喚かれれば誰だって……出せ?
「あ、逃げた!」
「ってか、リーマスもいねえし!」
壁際に居たというのにいつの間にか消えた二人におれたちも叫ぶ。まさかリーマスだけ連れて行くなんて友達甲斐がない! 流石におれも傷付くぞ!
……いや、というか、冗談抜きに傷付いた。なんか、こう、胸が痛い。出来れば一声かけるか、もしくは一緒に行きたかった。
「ああ、ほら、シリウス落ち込まない。君落ち込むと周囲が湿気るんだよ」
うるさいジェームズ。おれは今、傷付いているんだ。放っておいてくれ。
「他の連中に先回りされて更に面倒ごとになるのとどっちがいい?」
不気味に笑っておれを脅してくるジェームズに負け、仕方なく次の薬草学に向かうけれど、の姿はない。リーマスも居ない。居るのはを探す為に血眼になったグリフィンドールの生徒だけだ。ハッフルパフの連中は訳が判らず怯えてるけどどうでもいい。
まさかこのまま二人揃って授業放棄したのかと考えていると、教授が姿を現す直前に、黒い人だかりの後ろの、更に目立たない所に気配を消して姿を現した。リーマスは元々そういったのが薄く、も意図的に消しているようで誰も気にも留めない所か、目に入っても全く気にしない。その辺の植物と同じような存在として認識されている。
だからリーマスだけ一緒に連れて行ったのだろうか、できればそういった理由であって欲しい。おれやジェームズが煩くて目立つから止めたという理由があるほうがまだ立ち直れる。これで理由もなしに本能的にリーマスだけ選んでいたらおれは更に傷付く。
今日は室内で育てたベニテングタケの採取で、始まると同時にとリーマスは薄暗い端の方へまた消えてしまったが、出席を取らずに頭数をまず確認して問題なければ授業を始めてしまう教授に感謝をした。開始早々、グリフィンドール生主催のキノコ狩りならぬ山狩り、というよりも狩りが室内で始まってしまったから。今日のグリフィンドール生ははりきっていると喜んでいる教授は平和だ、無知って時にはいい事なのかもしれない。同じく状況が掴めていないハッフルパフ生は鬼気迫るグリフィンドール生に始終怯えてたけど。
「……予想してたけど、またあの二人、消えたね」
数十分後、授業終了の合図と共に再び消えた二人を確認して、手袋を脱ぎながら呟くジェームズにおれとピーターは無言で首を縦に振った。予想できないはずがない。
相変わらず怯えているハッフルパフ生と一緒になって、猪の如く次の教室に向かうグリフィンドール生を眺めていると、ふと思い当たって問いかけてみる。
「次の魔法史、出ないんじゃないか?」
「ぼくも出ないと思う」
「そうだろうねえ。ちょっと早めの昼食にしてるかな」
魔法史なんて生徒が好き勝手し放題の授業にとリーマスが出てくるはずがない。リーマスが食べれる物を何か作らなければとか言ってたし、またあの部屋で食事の準備でもしているのだろう。
「よし、行こう」
「行くって……の所? 勝手に行って怒られない?」
「リーマスは怒るかもね、二人が行かないならぼく一人で行くけど」
「行くに決まってるだろ」
「ぼ、ぼくも行くよ!」
「じゃあ決まり」
城内に入ると、おれたち三人は人気のない場所を選んでジェームズの透明マントを羽織る。授業間の時間だと運悪く生徒とぶつかってしまうかもしれないから、授業が始める合図を聞いてから移動し始める。目的地は、厨房とあの絵のかかった部屋だ。厨房はともかく、あの部屋の前では今度は叫べないので出来ればが第六感を働かせて気付き、招き入れて欲しい。第六感で知った挙句居留守されそうな気もするけれど。
授業が始まった城内はとても静かだ。おれたちの忍んだ足音と、絵画やゴースト達の会話くらいしか廊下に反響するものはない。
厨房を経由して程なくすると、山間の森が描かれた静止画の前に辿り付いた。中からは声もしなければ匂いもしないけれど、前回来た時もあの強烈なチョコレートの香りは入るまで微塵も感じなかったから今の段階では居るのかどうかもわからない。
ジェームズが鞄の中から地図を取り出して咳払いをすると、絵の裏側から鍵の開く音がした。前は散々梃子摺ったのに、今回はやけに簡単に扉が開かれた所為もあって警戒しているとリンゴの端を銜えたリーマスが歓迎したくなさそうな顔を出して、その背後から行儀が悪いと叱り飛ばす声が聞こえた。
「一応訊くけど、何しに来たの?」
「君とが心配で」
「……」
「ああ、待って閉めないで! これは本当だって、別に昼食たかりに来た訳じゃないから!」
厨房で盗んできた朝の残りのクランペットを見せて、だから入れてくれと訴えるジェームズに、リーマスは渋々といった様子で招き入れた。相変わらず簡素な部屋で特に真新しい物は何もない、サモワールとかいう紅茶を淹れる道具も無くなっていて、リーマスはあの角型のテーブルで一人紅茶を飲んでいたようだ。
窓から響いてくる魔法生物学の生徒の談笑を背後に椅子を勧められるとあの時と同じ順番で席に着く。リンゴを食べ終わったリーマスがむっとした表情でおれたちを見ている。何か気に触るような事したか?
料理中だったのか、無言でやってきたはおれたち三人の前に紅茶を置き、ジェームズの手土産を奪った後、また小さな扉の向こうに消えてしまった。ちなみに紅茶はリーマスとは違う種類みたいで、向こうの紅茶はかなり薄そうで、一言で言えば不味そうだ。この間約束したし、今度紅茶の淹れ方を教えようと思う。おれたちのはそれ程不味くないのに、リーマスが不憫だ。
「いやいやシリウス。これもの愛情だって」
「愛情、ってか、勝手に人の心を読むな!」
「紅茶には消化を助ける効能があるらしいからね。でも濃い紅茶は急激に胃を刺激するだろうから、わざと薄く淹れたんだと思うよ」
「提示されたのがお湯との二択だったからね」
が淹れてくれたとしても流石にお湯はね、とテーブルに肘を付いたリーマスにキッチンの方からサユはいいんだぞと叫ばれる。会話聞いてたのか、。あとサユって何だ。
「水を一度沸騰させて、ぬるくなるまで冷ましたものだよ。に訊いた」
とてもじゃないけど飲む気になれなかったというその気持ちは判らないでもない。幾ら昨日今日とあまり食べてないからって、それはちょっと嫌だ。まだ薄い紅茶の方がマシだ。横を見てみるとジェームズもピーターもおれと同じような顔をしていた。
水分補給にはいいんだぞ、と一人真反対の意見を有するは背後に浮遊するクランペットの山や大きな白いボール、鍋、サラダ、その他色々を従えてこちらにやってきた。かなり短時間で作ったと思うんだけど、おれの気のせいだろうか。
「五人分も作っていられなかったから有り合わせで我慢しておけ」
「いや、これで我慢するとか贅沢だよ」
おれたちが持ってきたクランペットはちゃんと温めなおされていて、付け合せにバターと数種類のジャムやチーズ、それと野菜の入ったトマトとクリームの二種類のソースが置かれている。それだけでも十分だったのに、大きなオムレツと色んな野菜のピクルスが更に追加されていた。余談だけれど、相変わらず肉類は少ない。
リーマスはどんな食事だろうと覗いてみると、ソースのかかっていないハンバーグと、米と卵のスープにフルーツのヨーグルト和え、あと最早デフォルトとなりつつある野菜を使ったポタージュだった。ハンバーグって消化にいいのか?
「豆のハンバーグだ、肉は使ってない」
「にも心読まれた……」
「それだけ凝視していれば嫌でもわかる」
「あの、。これ何のジャム?」
「濃い赤がフランボワーズ、薄い黄色がバラ、薄い緑がライムのマーマレード」
「フランボワーズがあって良かったね、ピーター」
さっきマカロンでフランボワーズの味が気に入ったというピーターの為に態々出してきたんだろう。因みにバラは色が綺麗だからという理由でジェームズのお気に入り、おれはあまり甘くないマーマレードが好みだった。そういう気遣いは相当嬉しいが、一つ気になるのははどのくらいジャムをストックしているのか。
聞いた話だと、保存食は暇があると作っているらしい。そう言えば今回もピクルスが食卓に上っていたりする。話してくれたリーマスはこれが好きではないと言うが、何かある度にこっそりだったり、堂々とだったり、兎に角メニューに入り込んでいるらしい。無理に食べろとは言われないから困った事はないけれどとも言っていた。
そんな一部からは評判の悪いタマネギのピクルスを食べていると、窓の向こうで箒に乗った影が横切っていく。飛行術の訓練をしているらしい。
「あ、そうだ。、クィディッチに興味あるか?」
今の影で思い出し、朝食の席で考えていた事を口にすると、予想通りは眉を顰めた、が、何故か考え込んでおれに続きを促した。あれ、意外に手応え有りか?
「いや、今年のチームが先行き不安で」
「先行きが不安なのはチームじゃなくてシーカーだけどね。本当、この間の試合は酷かったよ、キャプテンなんて血管切れそうだったからね」
前回の試合を思い出してジェームズの言葉に棘が宿った。そう、ジェームズが腹を立てるほど今のシーカーは酷い。なんというかもう、シーカーとしての素質がまずないのだ。
「そうか、シリウスいい考えだ。、実際君には一度シーカーの話が行っただろ? すぐ試合に出せる能力があるって一部から認められているんだよ。うん、シリウスだけじゃなくぼくからも強く推薦する、っていうか、さえ同意してくれれば正式なメンバーに捻じ込む。そんな事しなくても実力で取れるだろうけど次の試合には必ず出させる!」
「……ジェームズ、おれの言いたい事全部取るなよ」
「が居れば今年度の試合は全勝出来る可能性が出てきたんだ! 興奮しないわけないだろ! やるからには試合にも勝負にも勝たないと気が済まない、特にクィディッチは!」
「このクィディッチ馬鹿」
「最上級の褒め言葉をありがとう!」
賛成してくれるとは思ったけど、まさかここまでとは思わなかった。ジェームズ、そんなにあのシーカーが頼りないか。確かに頼りないけど。
「ええと、それで……どうかな、」
いつものように即座に否定の言葉が出ない所を見ると脈ありだと思うのだけど、どうなのだろう。の視線がおれを見て、ジェームズを見て、そして何故かリーマスを見た。何でリーマスなんだ? まさか幾らなんでも決定権をリーマスに任せるなんて事はないよな?
に見られた事に気付いたリーマスは、どちらかというと参加には否定的に見えた。確かにがクィディッチをやるって事は、今まで一緒に居た時間も削られるって事だから嫌かもしれないけど。
「こんな事を言うのは、厚かましいかも知れないが」
「やっぱり、駄目か?」
「そんな! 、考え直してくれないか!?」
「……違う、そうじゃない。ただ」
「ただ?」
「一つ、どうしても通したい我侭がある」
「君がチームに入ってくれるなら我侭の十や二十叶えるよ!」
「一つでいい」
興奮が延長戦に入っているジェームズに、はあくまで冷静に答える。冷静と言うか、少し後ろめたそうだ。そんなに難しい我侭なのか? にこんな表情をさせる条件が想像付かない。
「付き添いでもマネージャーでも構わないから、ルーピンを一緒に入れて欲しい」
「え、ぼく!?」
まさかここで飛び火するとは思ってなかったリーマスは驚き、ジェームズはいきなり醒めてこれは惚気なのだろうか、ぼくもエバンズをマネージャーにしたいとおれに語りかけてきた。知るかこの野郎。それよりも何か今一瞬胸が痛かったけれどこれは急性の病気か何かか?
「結局、今回の事でルーピンには散々迷惑をかけた。直接は関係ないのに、減点どころか謹慎もされて、酷く消耗させた。だから……」
「そんな、ぼくは別に」
「ルーピンがそう考えていないのは理解している。ただ、おれがそうしたいだけだ」
だから我侭だとは言った。寧ろ、そういった我侭なら個人的には大歓迎だ。リーマスもがそうしたいなら、と反対はしない。ジェームズは言わずもがな、だ。
蚊帳の外になっているピーターもジェームズに絶賛されているがシーカーになるのならと楽しみにしている。そういえばクィディッチ好きだったよな、前の試合も見に来てくれたし。
「クィディッチの得点は、そのまま寮の得点になるのだろう。なら、おれは残りの三試合、ルーピンの為にスニッチを捕まえ、勝利を捧げる。それが、おれのやりたい事だ」
……何だこれは、あれか、ジェームズの言った通り最大級の惚気か。でもあいつのリリーに対する口上より胸を抉るのは気のせいか。いや、確かに痛い、痛過ぎる。上手く呼吸できないくらい辛い。
「ぼくが思っていた以上に熱烈で男前だね……リーマス、油断してたら引っ繰り返されるよ?」
「ありがとうジェームズ、気をつけるよ」
「引っ繰り返すとは何だ?」
「……知りたい?」
「なっ、だ、駄目だ!」
椅子を蹴倒す程勢いをつけて立ち上がり、叫んだおれだったが、何故駄目なのか自分でも判らない。別にとリーマスが付き合っても祝福すればいいだけなのに、何でおれは今反対したんだ。
自分が口走った言葉が信じられない。何でおれは聞き流せなかった。
「何故ブラックが制止をかける」
「そうだよ、君はの友人だろ。ぼくの彼に対する気持ちは友人としてじゃない」
「いや、判ってる……悪い。今日のおれ、どこか変みたいだ」
「いつも変だけどね」
「ジェームズ、失礼だよ。それにシリウスだって君にだけは言われたくないと思う」
おれが思っていることをリーマスが口にしてくれた。やっぱり持つべきものは友だ、ジェームズみたいなのではなく、彼みたいな。
でも、なんでおれはこんななんだ。いつもと違う。何か揺れている。
……もしかして、あれからか。スネイプの奴が変なことを口走るから!
「シリウス、百面相してないでちょっと自分の気持ち口にしてみなよ。真実が見えるかもしれないから」
「ぼくはその必要はないと思うけど」
「残念ながらぼくは君もシリウスもピーターもも、平等に大切なんだ。簡単に言うと、君の手助けもしたいし、シリウスの手助けもしたい。勿論ピーターが困っていたら助言したいし、が悩んでいたら助けたい。で、シリウスどう?」
「別に、ただスネイプが……」
「あいつは助けないよ?」
「それはない。服従の呪文をかけられても助けろ何て言わないから安心しろ」
「OK,君がスネイプを助けるよう言ったらそいつは偽者という基準でいいんだね」
椅子を立てて座り直したおれに、ジェームズは真面目くさった顔でおれに何があったのかを尋ねてくる。一応、言葉通り心配してくれていたみたいだ。
「今朝、スネイプに言われたんだよ。がおれにしてる事は模倣で、本当に大切かどうか訊いてみろって。それから苛々しておかしくなった」
「……そこかよ」
「そこかよって、何だよジェームズ」
「いいや、何も。じゃあはどう?」
即席で司会進行役を務め始めたジェームズに対しては誰も不満はないようで、リーマスとピーターは大人しくを眺めた。にしても、その質問は不快じゃなかったみたいで、表情はいつも通りだ。
この顔で大切じゃないなんて言われたら流石に立ち直れそうにないけど。
「その模倣とやらが今まで友人として過ごして来たスネイプやルーピンと接してきた経験、という意味であれば合ってはいるが。おれはブラックの事も大切だぞ?」
「よかった。だよな、」
「うんよかったね、シリウス。でも、君の言葉って疑問系なんだね」
おい、ジェームズ。人が折角安心出来たのに揚げ足を取るかの如くそういう事言うな。治りかけてた箇所がまた傷付くだろ。
「じゃあ、大切だぞ」
「ゴメン、ぼくが全面的に悪いんだけど、そこまで素直になられると逆にシリウスが不憫になってきた。不自然過ぎる位唐突に話を変えようか」
じゃあ、とか言われて落ち込んだおれが鬱陶しいのか、ジェームズは違う話題をに振る。隣に座っているピーターの、不憫な人間を見る目が非常に痛い。
せめて、じゃあという前置きの言葉は付けないで欲しかった。
「よし、こんなのはどうかな。君は泳ぐ事が出来ないマグルで、三人では沈んでしまう二人乗りのボートに乗っている。目の前には溺れかけた二人の人間がいるけれど、一人しか助ける事ができない。その人間がぼくとシリウスだったら、どっちを助けてくれる?」
「貴様等が揃って溺れるような玉か」
「どっちも助けてくれないって事?」
「信頼している、という事だ」
「どうしようシリウス。見殺されてるっていうのに嬉しいんだけど」
「一々報告するな」
おれも嬉しいから黙ってろ。この質問をしてくれた事に関しては高く評価しておくから。
ジェームズは質問を続け、は更に答えていく。
ジェームズとリーマスなら、リーマス。おれとリーマスでもリーマスと即答。この辺りは予想していたし、リーマスを選ばなかったらおれたちが怒ったに違いない。続いてリーマスのポジションをピーターにしても一緒、腹が立つ事にスネイプにしても一緒だった。最後の質問の場合、もしそんな状況になったらがボートでたどり着く前に奴を殺してやる。
「質問には答えた、これで満足か」
「あ。待って、最後に一つだけ。リーマスとスネイプだったら、君はどちらを助ける?」
「なんだ、そんな事か」
この為の布石か、とジェームズを凝視したけれど、次に出されたの台詞に全員が驚いた。てっきり頭を抱えて悩むと思っていたからだ。リーマスですら、何でもないように言ったの言葉は想像しなかったみたいで凝視している。
「おれが水の中に飛び込むから、二人でボートに乗ればいい」
微かに笑みすら含まれたその回答に、誰かがひゅっと息を飲んだ。
泳げないというのに、それでも水の中に飛び込むというのは即ち自分の命を捨てて死ぬという事だ。それをこんなに簡単に、躊躇いもなく言うなんて、いや、そもそもおれには、こんな回答があったなんて考え付かなかった。
確かにボートには二人が乗れる。二人が助かる。けれど、実際は一人しか助からない。何故なら、まず自分を助けるからだ。
「ふざけないで……」
「ルーピン?」
「ふざけないで! ねえ、、ぼくは君が大切なんだ。君の事が好きなんだ。何度も君に好きって言って、一度だってその気持ちが嘘だった事はない! なのになんで君は簡単にそんな事を言うんだ、何で君は、何で……お願いだから、お願いだからもっと自分を大切にしてよ!」
リーマスの慟哭が終わらないうちに、おれは部屋を出た。崩れ落ちる体を支えると、驚いた顔のピーター、それと、何故か冷静な顔のジェームズの姿が最後に見えた。
訳も判らない感情が中で暴れていた。黒い感情だ、信じられないくらいドス黒い感情が思考を占め始める。
知らない、この感情は一体なんだ。今までこんなものを経験した事はない。似たような感情はあるけれど、そのどれでもない。この感情の名前は一体なんだ。
一つだけ判るのは、これがに向かっているという事だけだった。けれど単体ではここまで酷くない。リーマス、そう、の隣にリーマスが居ると、それを想像すると、胸が締め付けられたように痛くなる。ではこれは一体なんだ。
仲が悪かった時に向けたものとは違う。
あれは怒りだ、自分の思い通りにならない相手への怒りと、ほんの少しの面白さ。感情に色を付けるなら黒よりも赤、そしてなにより苛立ちはしたけれど苦しくはなかった。今は苛立ちはない、寧ろ悲しい。だからあの感情とは全く違う。真逆と言っていい。
を捜しに雪の中に出た時。
これも違う、あれは焦燥と後悔、それと懺悔に、少しの怒り。今みたいに体は熱くならない。体中から血の気が引いた。何も考えれなくなった。色は今と正反対の白。これでもない。
その後に許された時。
違う、あの時感じたのは安堵と懺悔、それと切望だった。限界を超えていたに有りもしない母親を求めて、そして許された。今の感情と少しだけ似ている、けれど色はこんなにどす黒くはなかった。
雪の中でを待ち、そしてあの事を一人忘れる事が出来なくなってしまった時。
あれも違う、自分の無力さを痛感して、助ける事も出来ずに唇を噛んで、プライドが邪魔をしたけれど本当は泣きたかった。あの細い腕の中で、さっきみたいなリーマスのように。バルサムを亡くした時ののように。違う、それでも違う。似ているようだけれどこの感情とあれは全然別のものだ。
塔の中の感情も、その後でを待っていた時の感情も、今まで生きてきた中で知ったどの感情とも違うこれは一体なんだ。
判らない事が怖い。理解出来ない事が恐い。おれがおれでなくなるみたいで嫌だ。何よりも、この感情は息が詰まるくらい苦しい、なのに、手放したくない。黒くて痛いのに酷く心地よくて甘い。
感情に飲まれそうで何かに向かって叫びたい、心臓が焦げ付きそうなくらい熱く、脈が速くなっている。口の中が干上がる。咽喉が渇いた。
冷や汗に濡れた手を伸ばすと水差しと、メモが置いてあった。ジェームズの字だ、誤魔化しておくからゆっくり考えろと書いてあった。少しだけ気分が軽くなる。
辺りを見回すと、景色はグリフィンドールの寮のおれのベッド。何も考えていなかった、無意識にここに逃げてきたらしい。
逃げた? おれは一体何から逃げてきたんだ?
水を飲んで呼吸をすると、さっきより落ち着いた。あの痛みは波のように繰り返すけれど、さっきみたいに耐えられずに走り出す程じゃない。そう、落ち着けシリウス・ブラック。落ち着いて考えろ。
この痛みの原因は何だ。何を見て、聞いて、痛くなった。
「が、リーマスとスネイプの時にだけ、自分を犠牲にしたから」
そうだ、それを聞いて痛くなった。思い返すと、今も痛い。
「では、もしもおれの時も犠牲にしたら、どう思った」
リーマスと一緒だ。そんな事を言われれば、おれはどうしようもなく怒るだろう。そして同じように、架空の話でも死ぬなと懇願もするだろう。
懇願、そう懇願だ。憤怒を延長させず、母親を慕う幼子みたいに願う。母親、前も同じように思った。あの時は救って欲しいと、許して欲しいという願いからだったけれど……今は違う、さっきも否定した通りこの感情は母親を求めた時とは明らかに違う。
一つ、気付いた。懇願ばかりじゃない、その中に小さな小さな、砂よりも小さな歓喜を見つけてしまった。何故喜ぶ、が死ぬというのに、死ぬかもしれないのに。おれの所為で死んだら、おれは喜ぶのか。おれの為に死んだら。
「おれの……為?」
待て、例えを変えよう。がおれの為に何かをしてくれたらと考えろ。
がおれの為に笑ってくれたら。
がおれの為に怒ってくれたら。
がおれの為に食事を作ってくれたら。
がおれの為に休日を潰して看病してくれたら。
がおれの為にスニッチを取ると言ってくれたら。
ああ、どうしよう。これは歓喜か、それ以上の感情だ。リーマスに向けられた時には胸を抉った感情も、おれがそうされる立場ならどうしようもなく嬉しい。苦しいのに苦しくない、痛いけれど痛くない、そして何よりも甘くて、自分が世界で一番幸せな人間に思えてくる。そうだ、この感情はきっと。
「『恋しくて堪らない』」
今朝ジェームズに言われた言葉を今頃になって復唱すると、それはすとん、とおれの中に落ちて名前のなかった感情に収まった。
そうか、これが恋か。ならばあの黒い感情は独占欲か。胸が痛くなったのは嫉妬か。これが、この感情が恋というものなのか。
リーマスは、ジェームズは、おれに告白してきた女子生徒は、こんな感情を持っていたのか。こんなものを抱えて冷静になれるはずがない、全ての感情が恋で埋まってしまう。辛いけれど、同時に幸せだ。
「そうか、これが恋なのか」
自覚した想いを口にするだけで胸が詰まる。好きだと叫ばないと内側から破裂してしまいそうだ。ここで叫ぶか、いや、そんなのは無意味だ。だって、ここで叫んでもには伝わらないじゃないか。
「なら簡単だ、に伝えればいい」
時計を見ると今日の授業はもう終わりそうだった。なんて勿体ない事をしたんだ、授業に出ればその分の近くに居れるし、好きだと言い続ける事が出来るのに。こんな簡単な事だったのに、こんな時間まで悩んだ自分が馬鹿みたいだ。
急いでいるけれど、それでも一応寮に居るのだから、身形を整えてから季節を無視した急ごしらえの白い花束を用意した。バラにチューリップ、カーネーションにマーガレット、アネモネとトルコ桔梗とカスミソウ。結構な量になってしまったけれど花束で埋まるというのも可愛いからこのまま渡そう。花なんてなくてもは可愛いけど。
談話室を出ると何人かのグリフィンドール生と擦れ違った。もう授業は終わったらしい。今日最後の授業は魔法薬学だから大広間の前で待とうか、今なら例え生徒を避けているでも見つけることが出来る。
階段を下りていって、大広間の前まで出ると丁度を見つけた、散々悪態を吐いたけれど、実は今日が一年の中で最高の日かもしれないと密かに考え改めた。きっと今日の全てがこれから起こる瞬間の為に用意されたのだろう。
は少し先で夕日に照らされない影の壁際をゆっくりと歩いている。血眼になって探している奴等は盲目なのだから日の照らす場所を歩けばいいのに。そんな場所を歩くのはスネイプで充分だ。
おれが近付くともおれの存在を判ってくれたみたいで、態々立ち止まってくれた。周囲には沢山の生徒と、多分教授も少数居るだろう。ここで告白しなければ男じゃない。
「、愛してる! おれと結婚してくれ!」
花束を突き出してありったけの想いを乗せて叫ぶと、の黒い瞳と目が合った。驚きのあまり口が利けなくなったみたいで、俯いたまま肩が震えている。しまった、恥ずかしいのだろうか、もっと人気のない静かなところで告白した方がよかったのか。
ちょっとズレている所があると思っていたけれど、ちゃんとロマンチックなんだな。よし、今度もう一度静かな星空の下でも告白をしよう。花束はピンクのミニバラがよさそうだ。
「……ブラック」
「どうした、」
「貴様が、何を言ったのかが、おれには理解出来ない」
「ああ、一足飛び過ぎて判らなかったのか! 、好きなんだ、付き合おう。そして行く行くは結婚して幸せな家庭を築こう!」
花束を受け取ってくれない所為で手も握れない。それでも未だ溢れ出るおれの想いだけでも伝えたいから肺活量の限りを尽くして宣言すると、ようやく顔を上げてくれた。うん、やっぱり可愛い。今まで恋に気付かなかったのが申し訳ないくらい可愛い。
「ペティグリュー花に罪はないから受け取るがありがとうルーピン代わりに受け取ってくれるのか丁度こいつに触れるのも嫌だと思ったところだスネイプ燃やすなよそれよりもべアゾール石を持っていないかこいつの胃袋にブチ込みたいシリウス・ブラックおれには貴様の言葉が矢張り理解できなかったから理由を述べずに舌を噛みこの場で死ねポッターこいつに何を言って脳を腐敗させたのか詳細を吐け今すぐだ」
「、動揺してくれるのは嬉しいけど、他の男を見ないでおれだけを見てくれないか?」
「貴様には死ねと言ったからちゃんと死んでいろ」
「死んだらを抱き締める事もキスする事もセッ……」
「死ね!」
皆まで言わせないなんては照れ屋だ。
あの入学式の日と同じように殴られて吹っ飛び、大広間のドアをブチ破りながらも、おれはへの恋を自覚できた今日という日を薄れゆく意識の中で感謝した。