曖昧トルマリン

graytourmaline

凍えた指先で

 今の正直な感想を一言だけ述べてもいいだろうか?
 座りたい。
「……と言う事は、今回の件は本当に貴方が原因ではないのですね?」
「今回も含む、です。おれは今まで一度も授業の妨害については認めていません」
 それにしても、マクゴナガルは何度おれに同じ事を言わせれば気が済むのだろうか。
 かれこれ三時間以上、変身術の教室での問答が続けられている。何故かマクゴナガルは椅子に座り、おれは立ったまま、ずっと。
 おれが遅刻して来た事への注意から始まり、罰則の説明をしようとした所でおれが口を挟み人の話はまず最後まで聞けとまた注意、その話が終わりようやく口を開くことを許され今回の事は無実だと話すと当たり前だが聞く耳を持ってもらえなかった。
 この一年半を振り返ると、聞く気になってもらえる方が奇跡だと思うから、期待はしていなかったが。
 それでもおれの話を聞いてくれるだけ、マクゴナガルはいい先生なのだろうと思う。一応ルーピンからは、あの先生ならきっと大丈夫だよと根拠のない励ましを貰った。
「しかし罰則は受けてきましたよね? それに、冤罪だといつも本気で言っているようには見えませんでした」
「諦めて、逃げていましたから」
「何をです?」
「人を理解するという事と、人に理解されるという事。人間そのものに対して」
 それはまるで、おれが人間ではないというような口振り、けれど本当は違った。
「それはまるで、貴方が人間ではないというような口振りですね」
 考えていた事と同じ、そして少し足りない言葉を、マクゴナガルが言う。
 以前のおれなら、きっと残った言葉を考えもせず彼女と同じ場所で言葉が止まっていたに違いない。そう思うと面白いと感じたが、表情には出なかった。
 鍛えているとは言っても、流石に三時間も同じ姿勢のまま突っ立っていれば顔を含む全身の筋肉も固まるか。座るのはともかく、そろそろ動きたいと切実に思う。
「おれは人間です」
 嫌味でもなくそう言うと、かなり怪訝そうな顔をされる。
 支離滅裂な事を言っているようにしか聞こえないのだろう。それこそ、マクゴナガルはおれを知らないのだから、それは尚更だろう。
 どうもあの髭は、おれの事は一切外部に漏らしていないようだ。おれがこの学校に入学するまではアルバス・ダンブルドアという人間に孫がいた事すら知られてはいなかった。
 母さんが養女の上におれを認知していなかったらしいが、それでも一応の孫が今まで軟禁されていたなど、言っていたらそれはそれで評判が下がるなり何なりしただろうし。
「ミスター・、貴方は……本当は一体何者なんですか?」
「おれ自身はただの人間。それだけです」
 そしておれは意識して笑った。マクゴナガルは続けて何か言おうとしたが、結局何も言えずにいた。
 おれ自身の知るという人間を知っている者は、決して多くない。ホグワーツでは、ルーピンと、スネイプだけ。あと、校長もそうかもしれない。
 その三人だけが知っている、おれの血が呪われている事を。
 血縁者から愛されない呪いを、この世界に生まれた瞬間に受けた事を。
 聞いた話だと、呪ったのは今は亡き前当主。当時この血を統べる存在だったお祖母様と再婚して、そのお祖母様を屋敷から追い出した、一応おれの義祖父にあたる男。
 金と力に目がない男だったらしい。前夫の家系、つまりおれや父に家の金が流れないように画策しようとしていたという。結局、おれを呪う代償に命を失った阿呆だが。
 けれど、おれがこの先子孫を残すことがないように、残しても相手がおれから、この血から離れるようにする呪いは成功してしまった。
 だからおれと血の繋がったお祖母様は、おれを愛せない。
 両親からお祖母様宛てに生きているという短い連絡があったのは、もう五年も前の事だ。
 そんな家族。
 おれだけが呪われた、血。
 世界に居る人間は誰も愛を教えてくれない、誰も愛してくれない。そう信じ込んでいた。けれど愛して欲しいと思った、愛というものを望んでいた。それが辛いと思わずにいられようか。
「おれを知りたいのなら、もっと気軽に話せる相手がいるはずでしょう」
 今生きている人間の中で唯一血の繋がらない、それでもおれの祖父という立場の人間。
 そんな人間から、憎悪する程、それでも愛されたいと思っていた。
 その憎しみは結局愛の変じた形で、祖父という存在を愛し得ないという事ではない。今はもう、ルーピンとスネイプで満たされているのでおれは本当に意味で祖父を愛する事も、愛する必要もなくなったのだが。
 やっと、肩の荷が下りた気がしていた。何をあそこまで必死になる必要があったのか、そう思えてくる。
 血は呪われているが、魂までは呪われていない。
「おれは自分については、貴方に何もかもを話す気なんてありません」
 変われると、信じている。
「プロフェッサー・マクゴナガル、無駄話は終わりにしましょう。それで、他に確認しておきたい事はありますか?」
「……」
 後ろ手に組んでいた腕を組みなおし、次の言葉を待ったが、中々出てくる様子がない。
 それでも黙っていると、椅子に座りなおしたマクゴナガルが、判りましたとだけ言った。おれには全く判らないのだが、なにがだ?
「今回の件について、貴方への罰則はなしとします。私も、周囲の生徒の空気に呑まれすぎていたようです。もう一度最初から調べなおしてみましょう」
「……そうですか」
 何が決め手となったかは知らないが、マクゴナガルの脳内会議でどうやらおれの嫌疑は晴れたようなので、良しとしておこうと思う。
「ミスター・
「なんですか?」
「何が貴方をそこまで変えたんですか?」
 瞳を覗き込むような形で問いかけてくるマクゴナガルに、おれは視線を合わせないよう俯き、組んでいた腕を解いた。
 まだ目を合わせて話すということが出来ない。それに気付いたか気付かなかったか、マクゴナガルは覗き込むような視線を止めて正面から見据えることにしたらしい。
 こちらの方が、幾分かは楽だ。
「何がではありません」
 誰が、そう言おうとして、ザワリと背を這うような感覚に襲われた。
 ドアの向こうに、ここにいるはずのない、知った気配がある。
「どうしました? ミスター」
「何でだ、何故お前たちがここに居る!?」
 慌ててドアに近づくと、あの時と同じ気配を感じた。まだ未成熟な細い鳴き声が、ドアの向こうからしている。それは紛れもなく。
「ティブルス! タフティー! 一体なにがあった!?」
 外開きのドアを勢いに任せて開けると、石造りの廊下で不安げな声でしきりに鳴いていた金茶色のの子猫たちがおれを目掛けて飛びついてきた。
 抱き上げた二匹の小さな体は冷え切っていて、震えている。それでも『それ』をおれに伝えたくて、必死に鳴き続けていた。
「ポーズが連れて行かれた? 人間に気絶させられた? 気付いたら部屋の扉が開いたままで、今ノリスとバルサムが探しに出ている!?」
 思わず声を上げて怒鳴ると、腕の中の二匹が身体を震わせ黙った。
 しまった、彼らを驚かせるつもりなんてなかったのに。
「恐がらせてすまない、お前たちに怒っているんじゃないんだ」
 怒っているのはおれ自身に。それでも今は怒りを抑え、腕の猫を胸にまで持ってきて頬を寄せる。二匹が鼻先を寄せ、甘く泣いていた。
「ミスター・、その猫は? 確か貴方は何も飼っていなかったはずでは……それに猫が何を話しているか理解できるなんて」
「質問に答えている時間がありません、用はこれで済みましたよね? では失礼します」
 喧しい声を、一瞥もせず部屋を出る。背後で待てというような言葉が聞こえた気がするが、誰がこの一大事にそんな事を聞くか。
 とにかく、時間が惜しい。
 不安だ、不安でどうしようもない。
 ポーズを連れて行ったのはブラックという点もだが、それよりも遥かに、外の世界を知らないノリスとバルサムが単独行動を取った結果が怖い。
 どんなにあの二匹がしっかりしていても、他の子同様生まれてからまだ一月程しか経っていない。人間で換算すれば三歳か四歳の幼児だ。
 この子たちが、ここまで無事たどり着けたことだって……そこまで考えて、振り返る。ポーズの鳴き声がした気がして、名前を呼ぶと角からルーピンが籠を抱えて早足でやってくるところだった。
! ああ、よかった……入れ違いになったらどうしようかと思った」
「ミスター・ルーピン? 何故貴方が」
「ポーズ、無事だったのか」
 ルーピンの声のした方から、ポーズの気配がした。
 近寄ると、腕の中の小さな籠の中に元気な様子のポーズがいる。よかった、この子に別段酷い扱いを受けた様子はない。
「箱の中のポーズに気付くのは流石。先生はちょっと黙っていて下さ……なんで、ここにティブルスとタフティーがいるの? まさか、ドア開いたままだった……?」
 二匹をその小さな籠にそっと放し、寒くないように魔法をかける。籠の中だけが暖かくなるのを確認してから顔を上げると、ルーピンの顔が真っ青だった。
 何を言うべきなのかは、判っている。
「お前の所為ではない」
「でもぼくがあの時、ノリスとバルサムが気付いた時に……!」
「扉が自動的に閉まるようにするか、この子たちが勝手に出ないよう結界を張るかしなかったおれのミスだ。誰が引き起こしたとしても原因はおれだ。それよりこの子たちを頼まれてくれないか、今あそこにはスノーイーが一人で待ってる。あの子は寂しがり屋だ、それに身体もあまり強いほうではない」
 任せた、と肩を叩くとルーピンは自分を落ち着かせるように深呼吸をしてから、出来る限りの笑顔で応えた。
「この子たちを部屋に戻してきたら、ぼくも君を手伝う。足手まといにはならないから、精一杯頑張るから、お願いだから……ぼくにも手伝わせて欲しい」
「……ありがとう。待っている。だが、近いのだから無理はするな」
「……うん、判ったよ。それじゃあ、後でね」
「ちょっ、待ちなさいミスター・!」
 肩にかかった手を払う、吐き捨てようとするがそれよりも早くルーピンが耳元で早く行ってと言ってくれた。
「ミスター・ルーピン!」
「減点をするの気なら残りの猫が見つかってからにして下さい。そんな事は後からでも十分に間に合う事ですから。今どうしても減点をしたいならぼくからにして下さい、ぼくもこの時間に許可なく城を徘徊していましたし、そうですよねマクゴナガル先生?」
 背中で二人の会話を聞きながら、おれは暗くて寒い廊下を走り出した。
 外を見ると、また深々と雪が降っている。
 時折吹き抜ける風が、とても冷たく、苦しい。
「無事でいてくれ」
 走れば走るほど、夜と寒さが深まっていった。