曖昧トルマリン

graytourmaline

凍えた指先で

 降り積もった雪に夕日が反射して眩しかった。
 微かに目を細めると、橙色に近い黄金色が踏み荒らされていない雪の上で星のように光っている。野ウサギだろうか、肉球のない、足跡の形をした小さな窪みがポツポツと模様を描いていて森の方へ消えていた。
、寮には帰らないのか?」
「……何の用だ、スネイプ」
 背後から現れた男。セブルス・スネイプ。
 厄介者どころか異端者扱いされているこの学校の中で、珍しく交流のある人間の一人。寮も性格も思想も違う……ただ偶然、入学の時に同じコンパートメントで過ごし、その後一纏めに胸糞悪い人間どもの悪戯の標的となっただけだ。
 それでも、スネイプは普通の人間に比べると気性は合う方だった。
 おれが周囲に噂されている通り変人ならば、好き好んでそれに話しかけるスネイプやもう一人もかなり気合いの入った変人だが。
「窓から見えた。そんな格好では寒いだろう」
 室内からわざわざ外に出てきたのか、マフラーと手袋を付けたスネイプ。それに対して、おれは防寒具と言われるものを一切着用していない。というよりも、持っていない。
 薬草学の教授にも「この教科は触れるものが危険だから学校指定の手袋を持って来い」とつい先程説教を食らったばかりだ。しかし、ないものはないのだから仕方ない。
「別に、もう慣れた」
「慣れる慣れないの問題ではないだろう!」
「祖国で暮らしていた頃は真冬でも裸足だから問題はない」
「そういう問題でもない! どうしてお前はいつも見当外れな答えを返してくるんだ!?」
「人間と会話をするという経験が著しく少ないからだろう」
「……すまなかった」
 視線を逸らし、荒げていた声を押さえて、スネイプはそう謝った。
「謝る必要が何処にある。これは事実だ」
 スネイプはおれの境遇を、ほんの一部知っている。というより、おれが教えた。
 両親が育児放棄した事、祖母がほぼ他人である事、妖怪に育てられ霊と暮らしてきた事、彼等に人間は世界で最も残酷で恐ろしい存在だと刷り込まれた事。
 変えられない事実だが、自身が人間である事に今でも吐き気がする。
 それでも、おれはこの姿で生きて行くしかない。
「それで、スネイプ。結局おれに一体何の用なんだ」
「だから、寒いだろうと」
 そう言ってスネイプはおれに茶色のマフラーと灰色の手袋を差し出した。
「スネイプが編んだのか? よく出来ている」
「僕が編んだ訳でも褒めて欲しい訳でもない!」
「じゃあ何なんだ」
 まさかこの男が女から貰ったプレゼントを見せびらかしにくるとは思えない。
、本当に理解できないのか?」
「生憎おれは他人の心を覗き見る趣味はない。人間ならば人間専用の言語を使え」
 要領よく、手っ取り早く。尚且つ相手に伝わるように簡潔に。
 スネイプはその部類に入ると思っていたのだが、今回はやけに遠回しな言い方をする。というか、していたようだ。
 極論すると理解してやろうとしていないおれに問題はあるのだが。
「……だから、が寒いだろうと思ってこれを渡しに来た」
「必要ない」
「寒いのだろう。慣れたと強がるな、これから寒さも厳しくなる」
「あっても無駄だな。大体おれはその首回りや手の甲が痛む物体が嫌いだ」
 あんな集中力の切れるような断続的で欝陶しい痛みを感じるくらいなら寒い方が幾分もマシだ。痛い思いをしてまで暖を取りたいとは思わない。
 それに、本当にそれらは存在していても無駄なんだ。
「……まさかと思うが、。ブラックたちに隠されたんじゃ」
「いや、燃やされた」
 そう言った途端、スネイプはまた表情を変えて口を開く。
「な、んでそう言う事を黙っているんだ!? マクゴナガルにでも言えばいいだろう!」
「それを言ってどうなる?」
「あいつらに罰を受けさせる」
「その後は?」
「……は?」
 今度は呆れた表情。
 スネイプは無感動で表情が少ないと噂で聞いたが、それを広めた奴等は視覚の機能が正常に働いていないと確信出来る。
 先程から表情が変化し続けるスネイプの何処が無表情なのか。
「だから、その後どうなる? またそれを繰り返すだけだろう?」
「……」
「おれに渡しても布地や毛糸の無駄だ」
「……わかった」
 そう言うと、スネイプはマフラーと手袋を雪の上に投げ捨てた。
 パサリと雪が跳ねる。
「ならこれをどうしようと僕の勝手だな」
「……卑怯者」
「狡猾と言って貰おう」
 目の前でこうも簡単に好意を捨てられては、拾うしかなくなる。
 素直にスネイプの好意を受け取れないおれが馬鹿なんだが、こればかりはどうしようもない。気質というか、気性のようなもので。
「……?」
「どうした、
「聞こえる」
 聞き取れるか取れないか程の高く小さな声が、複数。
 死んだ者ではない。まだ生きているものの声だ。
「……何も聞こえないぞ?」
「いや、そこに居る」
 冷たい石の壁際、雪に埋もれた中に。
「あ。おい、
 白銀と金色の中を進んでいくと、城の壁に陽光が遮られた中に籐編の箱、バスケットを見つけた。複数の声は、そこからしている。
 すぐに何なのかは見当が付いた。やはり人間は残酷な生き物だ。
「……それは?」
「ねこ」
 バスケットの蓋を開けると、布張りの中に産まれて一週間くらいの、ようやく目が開いた子猫が身を寄せ合って丸くなっていた。
 一匹がおれの視線に気付いたようで、しきりに鳴いては首を持ち上げ体を動かす。
 おれの居る方向だけを向いて前足をバスケットの縁にかけ何度も何度も鳴いた。それに気付いた兄弟たちも全員が体を持ち上げておれに向って鳴き始める。
「よかった……生きている」
 その中に手を入れると各々が身を擦り寄せたり、甘噛みしてきたり、嘗めたりしてきた。
 体を撫でると安心したのか彼等は鳴くのを止める。
 ふわふわとした毛と、少し高い体温が手の中に納まった。
「どうするんだ、それ」
「このまま見殺しに出来ると思うか?」
「……出来るはずないな、特にお前は」
「スネイプも、だろう?」
 スネイプは親切だ。優しいのではなく、親切だ。
 以前、巣から落ちた雛を元の場所に戻した、何てベタな行為をした事もある。
 ついでに、その後それをからかっていたブラックたちに無性に腹が立って、おれがその場で半殺しにしたのも記憶している。
、ぼくは別に保護するとは言っていないが」
「ではこのままこの子たちを凍死させるか?」
「……卑怯者」
「狡猾と言って貰おう」
 さっきと丁度逆のやり取りに、スネイプは一瞬変な顔をして……笑った。
 おれも、表情に上手く出たかは判らないが、少なくとも心の中では心地好く微笑う。
 手の中の小さな体温たちも、生きているという事が久し振りに心地好く思えた。