曖昧トルマリン

graytourmaline

一人と、一人と、一人

「あ」
 校長室の前まで来て気付いた事。
「……合言葉って、なんだろう」
 頭の方に血が上って一気に急降下が起きた所為でそれどころじゃなかったけれど、よくよく考えてみると、ハリーは校長室の合言葉を知らない。
 こんな事ならシリウスやジェームズに付き合ってもらうのだったと後悔しても遅く、見渡しても周囲には先生どころか人影らしきものも見当たらず、困り果てたようにガックリと頭垂れて深い溜め息をする。
「何を困っている」
 ふわりと心地いい香りがした。
 大分聞き慣れてきた、少し高い声とぶっきらぼうで柔らかい口調。
 いつもなら側にいるだけで安心できるのに、今は会いたくなかった。
「……
「元気がないな」
 自分が今どんな顔をしているのか不安だった。
 好きじゃないのはこの時代ので、いま目の前にいるは大好きなのに。どうしても視線が泳いでしまう自分が嫌だった。
 もっと平静を装わなければと考える程、動きがぎこちなくなっていく。
「あの、その」
 何を言っていいのかわからず、視線はどんどん下にさがっていった。
 目を合わせられない。
「その……」
「この時代のおれと何かあっただろう」
「え?」
「この頃のおれは……記憶が正しければ、関わり合いづらい人間だったからな」
 思わず顔を上げると、そこには普段よりも渋い顔をしたが腕を組んで立っていて、次の言葉をどう切り出そうか模索しているようにも見える。
「ハリーを傷付けただろう」
「……あの、ね。この時代のが、シリウスたちと仲が悪くて、ううん……それはもういいんだ。でも、ダンブルドアが死ねばいいって。それでぼく」
「喧嘩別れした訳か」
 自己防衛が過剰に働いたんだろうなと言う言葉はハリーの耳には届かず、次の言葉が振って来た。
「ハリーは、理由を知って、納得したいのか?」
「……うん」
「知って、どうするんだ? 知って、本当に納得できるか?」
 滑らかになっていくの口調に少し戸惑いながらも、ハリーは自分の気持ちを素直に伝えようとした。
「納得できるかどうか自信はないよ……けど、きっとぼく、このまま未来にかえっても、をきちんと見て暮らしていけないと思う。に聞かないと、もう、聞けない気がするから、だから知りたい」
「……わかった。待っているから行ってこい。きっとハリーの知っている場所にいる」
「え? が話してくれるんじゃないの?」
 きょとんとした顔をする少年に彼は何を言っているんだと言いたげな表情を浮かべて、ハリーの肩をトンと叩いた。
 そこには普段通りの穏やかながいて、彼はそれを久し振りに見た気がする。
「ハリーが知って納得したいのは今のおれの心なのか? それともこの時代のおれの心なのか? 物事は見誤ると、見えるものも見えなくなる」
「……わかった、探してみる」
「ああ。そうだ、ハリー」
 駆け出そうとしたハリーを引き止めてあの朝ののように微笑ったは、少しだけ複雑な表情をして言葉をこぼした。
「おれは、ハリーの納得する言葉を語らないかもしれない。こんな事を言うのは変なのかもしれないが、見ての通り難儀な性格だからな」
「うん、大丈夫……大丈夫だよ」
 その言葉に含まれた意味や感情には軽く頷き、駆けていく少年の背中を優しく見送った。
 そしてその漆黒の瞳を一度閉じ、狩人のような視線を反対側の影に向ける。
「盗み聞きとは感心しないな、ジェームズ・ポッター」
 普段向けるきつい言葉ではなく、ちょっとした事を叱咤するような声にやがて小さな影がもたれかかっていた柱の方へと歩いてくる。
 悪戯っぽく笑っているその影に、彼は苦笑を口許に浮かべてほんの少しだけ声を優しくして話しかけた。