削除痕からの逃走
「……」
「中、入ろう?」
屋上の端に座ったままのを見つけた少年が窓からひょっこりと顔を出して手招きをする。
泣き腫らした瞼を擦ってかた縁に手をかけて塔の中に戻ると、鳶色の髪の少年が穏やかに笑い包帯がほどけかけている顔と肩を抱きしめた。
「……ル」
「大丈夫。今は何も言わなくていいから、ね」
腕の中に納まってしまう小さな体を、日の当たらない部屋の端に座らせて置きっぱなしの鞄を差し出す。それを抱えるように黙ってしまったを隣りに、リーマスはずっとここにいたのと黒い髪を梳きながら尋ねた。
膝と鞄を抱えて頷いたのを見て、腕の時計に視線を落とす。
「お腹空いてる?」
今度は横に振られる頭に頬を寄せてそっかと短く言って引き寄せた。
目許を拭おうとした手を止めると持っていたハンカチでゆっくりと瞼を押さえる。
「赤くなってる……擦れて痛いでしょ?」
「……」
また横に振られる首に仕方なさそうに微笑して解けかけた包帯を取り払ってしまう。傷はもう塞がっていて、腫れてもいなかった。
は何かを伝えたそうにリーマスを見上げて口を開いたが、言葉が咽喉の奥で詰まって上手く形にならない。
「急がなくていいよ。君がそうしてくれたように、ぼくも、ここにいるから」
「……っ、ハリーと」
「うん」
「まだ、大丈夫だと、思ったのに……痛くて」
「うん」
「すぐ、止まると……思ったのに、なのに」
「まだ、痛いの?」
ハンカチで何度か目許を押さえてやりながらリーマスが顔を覗かせながら言うと、縦に振られる。
「は、なんでハリーと一緒にいたくなくなったの?」
「一緒に……」
それ以上しゃべる事が出来ないのか、は呼吸を落ち着かせて思い出したように溢れてくる涙をこらえながら体を固くして肩を震わせた。
リーマスがそんなを抱き寄せてゆっくりと背中を擦ると、耳元の荒くて不規則な呼吸が少しだけ落ち着いてくる。
「うん、そうだよね。楽しい記憶を消されるのが、嫌だったんだよね」
いっそ消されるのなら、辛い記憶の方がどんなに楽か。そう考えている胸元に埋まるように頷いた少年に彼は何も言わずに頭を撫でた。
「ぼくはじゃないから、だから君にとって何が一番いいのかは、わからない。自分自身が一番傷つかなくてすむ方法を知っているのは、自分だから、なにも言わないよ」
「……ありがとう、ルーピン」
「お互い様だからね。大丈夫だよ、。だから無理しないで」
力の抜けていく体を支えて、泣き疲れたのか寝息を立てているの眠りを妨げないように頭を膝において横たわらせ、着ていたローブを上からかけてやる。
起きているときとはまったく違う、無防備で少女のような寝顔にリーマスは苦笑して腫れてしまった目許を軽く指でなぞった。
「ねえ、。君が心から愛する事ができて、傷つかずに済む人が見つかるまでは、ぼくが側にいてもいいよね?」
冷たい石の壁に背を凭れ、窓から覗く青空に目を閉じる。
「本当、器用じゃないよね……お互いに」
静かに空気を震わせた、そんなリーマスの言葉を聞くものは誰一人としていなかった。