連れ立ちの拒絶
「なんだ?」
「なんで、シリウスたちと仲が悪くなったの?」
髪をいじっていたの手が止まり、しばらく動かない。
数秒経ってから、ようやく彼は口を開いた。
「思い当たる節はある」
「どんな?」
「眠くて挨拶を無視したら、いきなり髪を触られた。それで突き飛ばしたからだと思う」
「……ごめん、それが本当に原因ならもの凄く、くだらなくない?」
脱力したように肩を落とすハリーには仕方なさそうに溜め息を吐く。
「互いを嫌う理由なんて最初は皆、その程度のものだ。それに、体の中でも髪に触れられるのは特に嫌なんだ」
真っすぐで綺麗で、手入れの行き届いている女性のような髪を梳いてしばらく黙ると、ようやく言葉を見つけたように黒い瞳が見つめた。
その瞳はどこか少し悲しそうに見えたけれど、もしかしたらハリーがそう思っただけかもしれない。
「髪には力が宿るといわれている……ただの迷信かもしれないが、それでも」
「それでも?」
「……ホグワーツに来る以前に、誰かに髪が長い方が似合うと言われた気がするから」
ゆっくりと視線を逸らしたは自嘲して、見えていない方の目で空を探した。
「そんな事は、ありえないんだけどな……ここに来る前は、親しみを込めて呼べる名を持った人間とは、誰とも会っていないから」
「そう、なの?」
以前、ダンブルドアから聞いての身の上は色々複雑という事を知ったけれど、まさか誰とも親しくならずに今まで過ごしてきたなんて。
もっとも、それは自分が言える言葉ではない事くらいハリーにだってわかっている。そんな事で同情されたって嬉しくもなんともない事ぐらい自分だってわかっている。
けれど彼は、本当はそうじゃない。けれど、それを伝えられないし、伝えたくないと思っているハリーがいた。
「髪を伸ばしていたのも、きっと誰かを一緒にいたいというただの願望だったんだろう」
「」
「悪いな、女々しい話ばかりして」
「ううん」
目を閉じて深く呼吸をしているにハリーはそう言って首を横に振る。
久し振りに会話をして満足したような表情を浮かべていた少年の影を、ほんの一瞬、ひゅっと大きな影が横切った。
目をすがめて太陽の影に消えたそれをなんとかハリーが見ようとしていると隣の少年は苦笑して白鳥ほどの大きさの鳥の名を呼んだ。
「空の散歩でもしているんですか、フォークス?」
「フォークス?」
丁寧な口調でに呼ばれ、光の中から現れた鳥は確かにハリーも知る不死鳥のフォークスで、深い赤色をした翼を彼の腕にずっしりと休ませる。
その金色の尾羽に爪、嘴に真っ黒な瞳は間違いなく過去、今から考えると未来だが、ハリーの窮地を救ってくれた彼だった。
「どうしてフォークスがここに?」
「翔べる翼は空を駆ける為にあるから、理由はそれで十分だと思わないか」
美しい声で鳴く不死鳥には穏やかな微笑を漏らしながらもう一度空に放すと、フォークスは塔の周りを何回か飛び回ると今度はハリーの隣で翼を休める。
「無理やり縛り付けようとするのは人間だけだ」
甘えるようにハリーに寄ってきたフォークスを愛しげに眺め、皮肉が込められたの言葉は彼の耳にも届き、空気に溶けるように消えた。
不死鳥はまた歌うように一声だけ鳴いて、今度はそれっきり黙ってしまう。
「でもフォークスは好きでダンブルドアのところにいる、そうじゃないの?」
「きっとそうだろう。フォークスには人間に逆らえる力があるのに使わない、それが何よりの証拠だ」
まるでの言葉の意味がわかっているかのようにじっと動かない不死鳥は、しばらくして少年たちを交互に見つめて話を促すような仕草をした。
「は、ダンブルドアも嫌いなの? あ、その、言いたくないならいいんだ」
「……別に嫌いというわけじゃない」
「じゃあ」
「ただ、どうしようもなく憎いのは確かだ」
最初出会った時の、あの刃物のような笑みを浮かべた少年にハリーは寒気に似たものが背中をするりと落ちていくのがわかった。
フォークスが気遣うようにその体に身を寄せると、たったそれだけで少しだけ気分は楽になり、やがてすまないという言葉とともに嫌な感じのするそれはまったく感じなくなる。
改めて、これがという存在なのだと痛感した。
「怨んでいるんだ」
気分が悪そうに俯くと小さな手の平がローブを握り締める。
しばらくの間を置いて、やがてハリーが口を開いた。
「それでも……やっぱり、家族って大切なんじゃないかな」
「家族? あんな男が?」
「はダンブルドアの事が嫌いかもしれないけど、でも、ダンブルドアは君を愛しているように見える……そんな家族が、この世にいるなら」
物憂げな表情をしたハリーにはふいと視線を逸らして目を伏せる。
フォークスが不思議そうに黒い瞳を覗かせると碧眼の少年は微笑い、そしてどこか悲しそうで真摯な瞳を黒髪の少年に向けた。
「会いたいって思った時には、家族がいなくなってるって事もあるんだ。今はどんなに仲が悪くても、本当に、どうしようもなく会いたくなった時。後悔するよ?」
「それは、ハリーが希望を持っているからじゃないか」
「……?」
風の間に消えてしまった言葉にハリーはもう一度それを確かめようと軽く身を乗り出す。覗き込んだの表情は昏い影を落としているように見えた。
憎悪か殺意か、それよりも深い感情の籠った言葉が紡がれる。
「あの男に希望など持てるものか。今まで何度、あの男の死を願ったか」
最後の言葉の直後に鈍く乾いた音が頬に鳴った。
死角になっている目の側の頬が赤くなり、口の中が切れて血の味が舌先に広がる。
無感情な表情のまま、はその顔を涙を双眸に溜めている目の前の少年にそれ以上なにも言おうとはしなかった。
「がそんな事、軽々しく言う人だと思わなかった!」
「……」
買いかぶり過ぎだとばかりにハリーの言葉に顔を逸らして溜め息をついた少年に、彼は次の言葉が見当たらず憤慨して塔の中へと消えてしまう。
「……そんな目で見ないでください」
一人分開いてしまったスペースを詰めながら見つめてくる黒い瞳には最初から諦めていたかように肩を竦めた。
小さな、フォークスの黒い瞳にも涙が溜っているのにも気付くと慌てたように無理な笑いを浮かべて、貴方の力を使い必要はありませんよとまた丁寧な言葉を使って笑う。
それを理解したのか、フォークスは一声だけ歌をうたいどこかに飛び去ってしまった。それを見送って、少年が小さく呟く。
「これでいい」
どうしようもなく熱くなってしまった目尻を押さえ、不規則に細くなる息を継ぎながらどうにかしてそれを押さえようとした。
「これでいい、はずなんだ」
震える体を抱き締め、笑おうとしたのに涙が溢れてくる。
グズグズになって感情が脆く溶けていった。安堵や、喪失感や、痛みなどがすべて一緒になってしまって何の感情に動かされて自分が泣いているのかよくわからない。
嫌われたくないと思っていた。それでも、忘れるからといって、これ以上彼を知ってしまえばハリーをすべて忘れても埋まっていたはずの感情がぽっかりと開いてしまうような気がして、それがなぜか怖かった。
埋まっていた、大切な暖かい感情が抜けてしまうと覚えていないのに足りなくて、虚無に近い喪失感に怯えてしまう。それは嫌だった。
「……そのはずなんだ」
目の前に映し出された空の色が、幼い頃いつか見た薄灰色の虚空に見えた。