曖昧トルマリン

graytourmaline

振れぬ価値観

 傷はそんなに深くないのか、血はすぐに止まった。
 ただ腫れは引きそうになく目許の辺りまで青黒くなっている。
「しばらくは、このままだな」
 軽く傷口を消毒して水を流しっぱなしの洗面台に視線を落とすと、そこも血とインクに塗れていた。足元から音がして更に視線を下に向けると、給仕係のような姿をした小さな妖精が気遣うように丸い眼を向ける。
 大丈夫だ、と口の中の呟きが伝わったのか知らないが妖精は替えの服をベッドの上に綺麗に畳んでおずおずと口を開いた。
「坊ちゃん、お薬は如何なさいますか」
「自分でできる。心配ない、気にせずに仕事に戻っていいよ」
「ご用があればなんなりとお申し付け下さい」
 清潔なタオルで傷を押さえるようにしていると、そう言って消えてしまった妖精に苦笑して、ベッドの上に体を投げ出すように座る。
 暖炉に火が入っているのでそんなに寒くない部屋の中でぼうっと天上を見上げた。
「薬、あと包帯とガーゼか」
 頭が痛む。やはり言われた通り医務室に行った方がよかったのか、そんな事を考えながらゆっくりと起き上がろうとすると部屋の小さな扉が開いた。

「ハリーか」
「怪我、大丈夫?」
 遠慮をするように部屋の中に入ってきたハリーはベッドに座っているに歩み寄ってきた。
「リーマスの言った通りだ。、医務室に行かなかったんだね」
「怒っているか? 呆れているか?」
「両方かな」
 薬箱を手繰り寄せているはその言葉に吹き出して「以前怪我をした時に言われたルーピンと同じ言葉だ」と気を悪くしていそうなハリーに答える。
 そういう表情を浮かべるが少し意外で、ハリーは隣りに腰掛けながら薬箱から包帯やガーゼを取り出した彼に言った。
「ぼくがやるよ」
「……そうだな、頼む」
 油のようにヌルリとした白っぽい薬を指に付けて傷口を辿るが染みはしないのか、彼は穏やかな表情のまま目を瞑る。
 そのままガーゼをあて包帯を巻いていった、途中で目を開けたはハリーの手付きが気になったのかしばらく黒い瞳を向けたがそのまま何も言わずに目を伏せる。
 左目を覆うように包帯が巻かれて違和感のあるそれにしばらくキョロキョロしていたが、やがて落ち着いたのか「ありがとう」と小さく言って薬箱を片付け始めた。
「寮の合い言葉はルーピンから聞いたのか?」
「うん」
 目立った傷や痣もない白い健康的な腕がシャツを通り、ボタンを留めていく。グリフィンドールカラーのネクタイを締めながらハリーの隣に腰を下ろした。
「ねえ、なんであの時、避けなかったの?」
「別に。ただ間に合わなかっただけだ」
「嘘、だって気付いてた」
 美しい緑色の瞳にじっと覗き込まれて少々たじろいだは仕方なさそうに溜め息をついて灰色のセーターに手を伸ばしながら口を開く。
「確かにおれは避けれたが、ハリーに当たったかもしれないし、もしハリーが避けたとしてもおれたちの前には生徒がいた。避けても避けなくても白い目で見られるのは判っているからな、大した差ではない」
「……
「ハリー、あまり柄にもないことを言わせるな」
 むっとした表情でセーターを着ると、借り物のサイズなのか大きめのローブを羽織り汚れなかった時計で時間を確認する。
 すでに一時間目は始まっているようだったが、途中入室も面倒なのでしばらく時間を潰すことにした。
「そんな事ないよ」
「ハリー?」
「ぼくの知ってるも、そんな風に優しくて、とても不器用な性格してる」
「こんなおれが優しいか?」
 髪形を整えハリーに向き直ったは心底不思議そうに尋ねる。ハリーの知るは自分の優しさに鈍感だが、ハリーの知らないはそれ以上に自分の優しさを気付いていない。
 それすらも、彼に好感を持っていると魅力に感じてしまうのは既に病気に近いのかもしれないと考えて思わず笑った。
って、好きな人には優しくしてるよ?」
「嫌いな人間に優しくした覚えは全くないが、逆は知らん。そもそもおれに好きな人間がいるのかも判らん」
 鞄を拾い上げ時計を眺めながら「おれはもう行くが」と言葉を詰まらせるがなんとなく可愛らしくて、ベッドから跳ねるように立ち上がりその隣を歩いて行く。
 自分を表現する手段を見つける事ができれば、あんなに他人を惹きつける人間になるのに、ほんの小さな差が昔と今のを見せかけだけ違わせる。
「そういえば、授業ってもう始まってるんじゃないの?」
「ああ、とっくに」
「……いいの?」
「10日休もうが11日休もうが大して変わらないだろう、出席日数と試験をパスすればいいのだし」
「それはそうかもしれないけど、極論過ぎるよ」
 ハーマイオニーが聞いたらどんな事になるのだろう、とふと考えてそういえば今未来はどうなっているのだろうかと思い出す。
 しかしそれをゆっくり吟味する間もなくはリーチが短いのに足をせかせかと動かして談話室の方へと下りて行ってしまう。
「置いていくぞ、ハリー」
「あ! 待ってよ!」
 不機嫌そうに言いながら、それでも律義にハリーが追い付くまで待っていてくれるは、矢張りハリーの知る彼と変わらなかった。