澄んだ空気の中で
「は早起きなんだよ、今ごろ校内のどこかで散歩でもしているんじゃない?」
小さく欠伸を漏らしながらリーマスがハリーにそう言って、着替えを始める。
それがいつもの事なのか、彼は一度部屋に戻って教科書を入れ直すと言って部屋を出て行ってしまった。一緒に塔まで行くかと誘われたが、なんだかシリウスたちに会いたくない気分だったので遠慮をするとリーマスは苦笑して「大広間で会おう」と言う。
「結局、二人の仲が悪い原因が判らないままだ」
判っているのはシリウスが一方的に嫌がっている事だけ。でも、確かに今のでは余程大きなきっかけでもない限り到底好きになれそうもない。
ハリーが親しくできるのは、未来のを知っているからだった。そうでなければ、近づきたくないと思った。
目を隠すほど長い、漆黒の髪。俯き加減で、眼光は鋭い。いつも殺気立っていて、威嚇をしてくる。正直、を知っていなければただ怖いだけの子供。
「なのに、なんで今はあんなに仲がいいんだろ?」
誰もいない廊下でポツリと呟く。
何故今の状態からあそこまでなれるのか、いや、シリウスの考えが大きく変わったのか、ハリーには判らなかった。
元の時代に戻ったら二人に聞いてみようと軽く考えていると、廊下にある大きな窓から中庭の方をぼうっと眺めて微動だにしないを見つけ駆け寄る。
「おはよ、」
「……ああ、おはよう」
挨拶をしてきたハリーに彼はしばらく間をあけてから困ったように返事をした。
寝惚けているわけではないようなので、多分滅多に挨拶をされないのだろう。
「なんでこんな所にいるんだ?」
「が見えたからだけど、もしかして迷惑だった?」
「いや、お前も変わっているな」
窓から視線を離し石造りの壁に背を凭れかけさせると、の視界を遮っていた長い黒髪が風に流れ宙を舞った。
そこから覗かせた表情にハリーは不意に胸が高鳴るのを感じる。黒い瞳は穏やかで、口許には微笑が浮かんでいた。窓から降る朝日に塵が反射して彼の姿が眩しい。
「どうした?」
「もそんなふうに笑えるなら、笑ったほうがいいのに」
「時と場合と相手による」
自分が笑っているのを自覚しているのか、風に乱れた髪を手櫛で梳いて更に笑いながら言った。
「ハリーは不思議な人間だな、会った事もないのに……どこか懐かしくさせて、気分も穏やかになる」
その言葉にハリーはドキリとさせられる。
それはヴォルデモートの力の一部がハリーの中に存在しているからかもしれない。勿論確証なんて何処にもないし、そうじゃない可能性の方が大きい。
でも、もしも今のもその理由でハリーを好いているのだとしたら。
「……ブラックやポッターたちには会いに行かないのか?」
「え?」
「おれの側にいても、詰まらないだろう」
自分自身を嘲るにハリーは首を横に振る。
「今はの側にいる。シリウスたちと話すのはそれから後でも遅くないと思うし」
「そんな悠長でいると期を逃す事になるぞ」
少し呆れたような口調で忠告したは光の中で目をすがめてまた笑った。ハリーは目の前の少年の作り出したその一枚の絵画のような世界に、一瞬思考を奪われる。
どうしてシリウスはこんなに綺麗なに気付かないのか、どうしてはこんなに綺麗な自身の姿を見せようとしないのか、何か理由があるのか。
「触れ合いや馴れ合いは苦手だ」
ハリーの考えを見透かすような答えをが口にした。
「体にも心にも、無遠慮に触れて欲しくない」
「……怖いの?」
「嫌悪感が先立つけれど、それも、勿論ある。おれは他人との距離を測りたいんだ、出来るだけ明確な。相手が拒絶すればそれ以上踏み込みたくない、許された範囲以外に触れるのは相手を傷つける。おれなら、傷つく」
「だから。は触れられたくないから、触れないんだね」
光の中で辛そうに微笑したはゆっくりと大きな窓を肩越しに見上げて、高い声で鳴く小さな白い鳥を一羽、指先で翼を休めさせる。
小鳥は怯える様子もなく少年の肩へと飛び移ってハリーをしばらく眺めた。
「戯言だ。こんな事を言っている癖に、おれはルーピンの領域に了承無く踏み込んだ……スネイプも、同様に」
「でもきっと二人とも、もう気にしてないよ。だってを見る時、優しい目をしてたから」
「そう、願いたいな」
騒がしくなってきた廊下の音を聞き、彼は壁から背を離す。
「そう……願いたい」
白みを帯びてきた朝日を振り返り、風に跳ねる髪の輪郭を踊らせながらは本当に心からそう願うように微笑んだ。
「……行こうか」
「うん」
朝の喧騒が近くなる中彼の周囲を舞うキラキラとしたものはやがて弾けて消え、白い小鳥は騒々しくはばたいて空の低くまで帰って行った。