手を取られた冬の朝
全身の至る所を包帯で覆われた少年は緩く騒ぐ獣の血を抑え込み、ゆっくりと階段を上っていく。途中、こんな朝早くからピーブズが悪戯をしているような音を聞いた。
フィルチの声はしない、誰の声もしない。
先程別れた教授の息遣いが未だに聞こえるくらいで、あとは彼自身の足音くらいしか人並外れた聴覚を揺さぶる物はなかった。
感覚が異様に鋭くなっている。自分の体から血の香りが辺りに流れているのが気に入らないらしく、小さく舌打ちをして、再び階段を上り始めた。
「……」
早く、出来るだけ早く。ベッドに入って眠りたかった。
友人や知人が起きているはずもないだろうけれど、それでもリーマスは不安だった。
こんな姿、誰にも見られたくない。
ふと、先程よりもピーブズの声が近くなった気がした。いや、近くなってきている。廊下をまたぎ、壁をすり抜け、序々にだけれど確実にそのポルターガイストは彼の近くにやってきている。
「……行かなきゃ」
それこそ、ピーブズという厄介なものに自分の秘密を知られるわけにはいかなかった。
抑えていた人狼の血が微かにざわめいて、走り出す。体は軽く、脚力は常人を逸脱していたが体の節々が痛んだ。
「行かなきゃ、早く」
けれど、限界だった。
息は切れていない、疲れてもいない、ただ痛みが耐えられる限界を越える。
「……」
それでも気付くと、談話室のすぐ側まで来ていた。
あと少し、それでまた平穏な生活に戻れる。はずだった。
「リーマス・J・ルーピン、だったか」
声も出ない。ただ、息を飲んだだけ。
背後の声は、大人の物ではない。まだ中性的な、少年の声……聞き覚えは、ある。
「……・。こんな所で何をしてるんだ?」
必死で吐き出した声が震えた。
「この時間に起きないと感覚が鈍る、それは今日に限った事でもない」
リーマスは、この少年が苦手だった。
普段から気配が読めないのだ、それに人狼の血がおさまりきっていない嗅覚が人間独特の匂いを捉える事が出来なかった、今の今まで音も出さない。まるで幽霊のような、むしろ、いつのまにか自分の後ろに憑いていそうな、不気味な魔法生物のようだった。
いや、それだけではない。
「帰らないのか。お前は、部屋に」
この言動が、嫌だった。
真っすぐ過ぎる言葉、決して傷つけるわけでもないのに、の言葉はリーマスを不安にさせる。
「言われなくてもっ!」
ひくん、と聴覚が疼いた。
上から声が…聞こえてくる。
先程まで別の場所にいたピーブズが、いつの間にか階上に上がり、そして下りてくる。
「……!」
血の気が引いた。
一刻も早く、逃げなければ。そう思っても、足が動かない。握り締めた手から色が消えて、それでも足を動かす事が出来ない。
迷いもある。に、この少年に見られたくないという迷い、体中の包帯に朝早くの帰還だけでもという人間は自分が人狼だろうという事を知ってしまうかもしれない恐怖。けれどそれ以上の何かが、彼を金縛りにしていた。
声が近付く、早く動けば、まだ間に合う。
けれど、それでも動かない。
「……っ」
「煩わしい」
微かな舌打ち、そして、引力。
「ピーブズか」
リーマスの耳元に残った柔らかく低い声、瞬間、誰かに背中を押された気がした。
目の前を見ると、背の低い少年が、が彼の手を引いて走っていた。