Lonely Firefly
一体何があったのかと目で問いかける二人に、は軽く目を伏せるだけで何も答えはしなかった。
ただ、その表情は切羽詰ったものではなく、腕の中の息子を庇護するようなものが見て取れたので、二人も深くは追求せずに夜も早いうちに自室へ消えた親子を見送った。
「パパ。これ」
「見つけたのか?」
「うん、まだあったよ」
部屋に入った直後、そうして差し出されたのはが最近吸っている手製の紙煙草。
「ゆーちゃんとね、二人でね、見つけたの」
「……ありがとう。後で吸うよ」
「だめ、今」
「でも前のものと違って、今のは煙が出るぞ?」
「いーのっ」
ヴィオラセウスを抱いたまま、真っ白なシーツが敷かれたベッドに飛び込む息子にそう言われ、は困った顔をしてみせる。
自作の特殊な煙草なので、副流煙がどうのという問題はない。しかし、極端な事を言えば火の点いた草と紙の棒を銜えているのだ。
寝煙草は避けたい、目だけでそう語るとニゲルが小さな体で椅子を押してきて、ベッドの脇へと移動させている。つまり、そこで吸えという事なのだろう。
綺麗なままの煙草を手に棚から一冊の本を取り出し椅子に腰掛けると、ジュニアは二体のぬいぐるみを枕元に置いて寝る体勢に入った。
部屋の明かりが落とされると、枕元にふわりとした丸い光源が現れてが開いた本のページだけを照らすようにしてくれる。
昔から、がこの家に始めて来た時からあった魔法だ。
眠る自分を起こさないように、彼がよく使っていた魔法の名残。
「……パパ」
「ん、どうした?」
息子に呼ばれ小さな手を片方だけ、包み込むようにして握り返せば、ジュニアは幸せそうな顔をして頬を寄せてくる。
微かにかかる吐息がくすぐったく感じて、思わず笑ってしまった。
「パパはね、特別じゃないんだよ」
「特別?」
「うん、特別。赤い髪のお兄ちゃんたちがね、そう言ってたの」
ジュニアの言っている存在がビルとチャーリーの事だと判ると、は親指で柔らかい指先をなぞって少しだけ首を傾げてみせる。
「パパはね……パパも、ハリィもね、特別な存在じゃないから、普通の人だから。絶対にやらなきゃいけない事なんて、一個もないんだよ」
「……ん」
「期待に応えなくたって、いいんだよ」
「ああ……」
残されていたてのひらが、の手の上に乗せられて慰めるように擦られた。
触れ合った部分は何処も彼処も暖かくて、シミ一つない幼い肌にそうされる事がこんなに胸を締め付けられるなんて思わなかったと、霞む視界で自嘲する。
「他の人のために、頑張らなくて、いいんだよ?」
「うん」
「自分のためだけに、頑張ればいいんだよ」
「そうか」
「そうなの」
瞬きをすると堪え切れなくなっていた何かが頬を伝った。
それに気付いたのか、ジュニアは上半身を起こして、また父を呼ぶ。
「おやすみのキスしたい」
ぱっちりとした茶水晶の瞳がの黒い瞳を真っすぐ見据え、手の上に乗せられていたジュニアのそれがこいこいと手招きをした。
キスをして欲しい、ではなく、したい、と言うあたりがジュニアらしいと思いながら顔を近づけると、細い腕伸ばされる。
最初は額、次に両瞼の上、鼻頭、唇、と好きなようにキスをさせていると、頬に触れたキスがまた唇へと戻ってきた。
「しょっぱい?」
「しょっぱいな」
「泣いてたの?」
「……泣いてた」
素直にそれを認めると、ジュニアはもう一度額からのキスを繰り返してから、の胸元にもキスをしてベッドに横になる。
「初めてだ」
「パパ?」
「こんなに沢山、キスをして貰ったのも」
横になっていたジュニアにも同じようにキスをして、最後に額と額を合わせた。
そんな互いの呼吸すら聞こえる距離で、先に口を開いたのはだった。
「こんなに沢山、キスをしたのも」
それだけ言うと触れ合わせていた額を上げて、最後にと、一度だけ額にキスを落とす。
これ以上ない位に幸せそうな顔をしている父親は、息子の髪を撫でて優しい声で「おやすみ」と囁いた。息子もふにゃりと表情を緩めて「おやすみなさい」と返す。
「パパ……明日も沢山、キスしたい」
「寝る前に?」
「寝る前に」
「パパがジュニアに沢山キスしていいなら、して欲しいな」
あくまで受身でいる父親がおかしかったのか、くすくすと笑いながら「明日からね」と言ったジュニアだったが、それも数分もしないうちに静かになった。
暗闇の中規則正しく上下する胸を確認すると、はおもむろにページを捲り銜えた煙草に火を点ける。
吐き出された紫煙は緩やかな線を描きながら、闇の中に溶けて消えた。