Their Subordinates
クルミとニンジンがふんだんに入ったケーキは幼い口まで運ばれたが、直後にミルクティーが同じ手によって流し込まれ、非常に複雑な表情をしてその主は向かいの席に座る大人に声を掛けた。
「パパ」
「ジュニアの口には合わなかったか」
「……うん」
「じゃあ、こっちのスコーンと交換しようか」
「するー」
自分の前に手付かずのまま置いてあった菓子とそれを交換すると、ジュニアは目を輝かせながら一緒についてきた蜂蜜をたっぷりとかける。
出来立てのスコーンと生クリームが金色に染められ、小さな口が美味しそうに頬張るのをじっと見つめていると茶色の瞳が不思議そうに見つめ返してきた。
「美味しいか?」
「うん!」
「ジュニアは甘いの好きだからな」
「好きっ」
ケーキに夢中の顔を一度上げさせて口端のクリームを拭ってやり、指に付いたそれを舐めると、安っぽい蜂蜜と砂糖の味のするクリームの味が一杯に広がり思わず眉を顰める。
息子はこれ程甘党だっただろうかと首を傾げるが、すぐに、何となく原因がわかった様な気がした。
「……ルーピンか」
「レミィがどーしたの?」
「いや、何でもない」
甘味に関してだけ言えば壊滅的な味覚を持つ男の笑顔が脳内を過ぎり、思わず吐いてしまった溜息に茶色の瞳が心配そうに揺れる。
その小さな手の平は、握っていたフォークで甘ったるいクリームに塗れたスコーンを突き刺し、目の前の父親に差し出した。
「パパ、あーん」
「ん。ジュニアが全部食べていいんだぞ」
「でもジュニアそのケーキちょっと食べたからね、パパと交換するの」
「……そうか」
「うん、そーなの」
「じゃあ、ちょっとだけ貰おうかな」
銀色の食器に突き刺さったままのスコーンを一口で食し、にっこりと笑って見せると、ジュニアもつられたように笑い、真っ白な皿に盛られた金色のそれを美味しそうに食べ始める。
そんな息子の様子を眺めながら、先程の息子と同じようにミルクティーで口を洗い、スパイスの効いたケーキを含んだ。
「あ、美味しい……」
先程のスコーンとは違い、味のバランスが取れているそれに思わず呟くと、ジュニアの食事風景をテーブルの上で見つめていたヴィオラセウスが、嬉しそうにぽん、と手を叩く。
元々この店は、このトラのぬいぐるみに連れて来られた場所だった。
まだこのぬいぐるみに疑念を抱いている同居人たちがこの場に居たら何を言われるか判ったものではないが、その二人は家で留守番をしているのだから何も問題らしい問題はない。
「それとも、少し話した方がいいのかな」
「パパが話すの? 何を?」
「この二人の事をな、二人に話した方がいいかもしれないって」
「そう、いっちゃんと、ゆーちゃんの事なの?」
「ジュニアはどう思う?」
「んー?」
ジュニアの瞳が二体のぬいぐるみに注がれ、ふにゃ、と首を曲げるようにして口を開いた。
「ジュニアはね、ちょっとだけ話して欲しいな」
「どれくらいの『ちょっと』?」
「いっちゃんと、ゆーちゃんの名前だけ」
「本当にちょっとだな」
余程その呼び方が気に入っているのか、それともニゲルとヴィオラセウスという名が気に入らないのか、苦笑を漏らしながらケーキを半分ほど平らげる。
恐らく自分は、一生かかってもこの二体の人形の事をその名前で呼べないだろうな、と、そんな思考も織り交ぜながら。
ふと、何かに導かれるようにして薄く雲のかかった空を見上げ、人が行き交う路上から視線を感じてそちらに目を向けた。そして、すぐに逸らす。
「……最悪だ、目が合った」
「パパ、どうかしたの?」
「ちょっとだけな、面倒なことが起きそうだ」
「ちょっとなの?」
「……すまん、かなり面倒そうだ」
「ん、わかったー」
父親に似ず相手の気配に敏いのか、小首を傾げた無垢な瞳に見上げられては訂正するしかない。
その返答に納得をしたらしいジュニアは、再び金色に輝くスコーンを小さな口に運び始め、ニゲルは態々の膝の上にまで移動してきた。
自分を護ってくれる騎士みたいだ、とは口に出さず、ぬいぐるみの頭を撫で付けていると、店の扉から一直線にこちらへと向かってくる影を視界の端で捕らえる。
「?」
「……他に誰がいるというんですか」
先程ジュニアと話し込んでいた時とは打って変わって、冷たい口調と態度を隠しもせず、不快そうな表情をして応対するその先には、一ヶ月ほど前にも顔を合わせた覚えのある、マルフォイ家の当主だった。
「随分探したぞ、あの後お前の事を調べようとしても手がかりすら見つからなかった」
「前の職業柄、隠密行動は慣れていますので」
「ああ、そうだったな。確か闇祓いを辞めたと伝え聞いた」
「一体誰でしょうね、そんな下らない話をバラ撒いている愚か者は」
その父親の変貌振りを気にすることなく、暢気にヴィオラに話しかけている。
どうも、父親が他人に対して敬語を使っている事について話し合っているようだった。
「何も注文する気がないのなら帰ったら如何ですか、邪魔ですよ。おれにも、店にも」
「では注文を取ろうか?」
「席は他所にして下さい。相席をしなければいけないほど混んでいないでしょう」
ひやりとした口調で淡々と続ける一魔法使いでしかないと、珍しく食い下がっているマルフォイ家の当主に、周囲の客は店を出るべきか観察をすべきかと、そわそわし始める。
その気配を感じ取ると、の表情が更に険しくなりいっそ自分が店を出たほうが早いかとも考えるが、その考えを遮るように、鮮やかな二つの赤が黒い瞳に映った。
「あ、居た居た。ごめん、ちょっと時間に遅れたかな。あ、この二人と同じものを一つずつ」
「やあ、君がジュニアくん? 初めまして、ぼくはチャーリー・ウィーズリーで、こっちは兄のビル」
「よろしく、ジュニアくん」
「はじめましてっ、ジュニアです。よろしくお願いします」
突如現れた見知らぬ赤毛の二人の青年に、きちんとフォークを置いて深々と頭を下げるジュニア。
何が起こったのか理解できないでいるルシウスはを見たが、当のはと言うとミルクティーを二つ、追加で注文して二人の兄弟に空いた席に座るよう促していた。
彼も学生の時は悪戯仕掛人たちと不本意ながらつるんでいた仲である。そう言った場合にどう対処するべきなのかは、ある程度は心得ていた。
「ミスター・マルフォイ。失礼ですが待ち人も来ましたのでお引取り願えますか」
「……ああ、そうしようか。こちらにも迎えが来たようだから」
その瞳の中には凄まじい葛藤が見て取れたが、四人はその事に一切触れず、早足で店を出て行く男の背中を黙って見つめている。
「えーっと、それで、お兄さんたちはダレ……えっと、どなたですか?」
ややあって口を開いたのは、恐らく現場の状況が一番飲み込めていないジュニアだった。
二人の赤毛の青年、ビルとチャーリーは顔を見合わせて笑い、紅茶に大量のミルクを投下する。
「ジュニアくんのパパの後輩だよ。あ、すいません、挨拶が遅れて」
「いや、構わない。それよりもありがとう、助かった」
「驚きましたよ。チャーリーと一緒にこっちに来て、ついでにケーキでも買って帰ろうと思って店に入ったらルシウス・マルフォイに言い寄られているんですから」
「ああ、とんだ災難だ……しかし、よくおれの事を覚えていたな。一度しか会っていないのに」
金色のスコーンと白いキャロットケーキが一つずつ運ばれてきて、それを受け取りながら、ビルとチャーリーはそれぞれ複雑そうな顔をして「こそ」と声を合わせた。
「まあ、一応記憶力はそれなりにいい方だからな」
くす、と笑って新しい紅茶に口を付ける父親と、それを何かの感情を含んでじっと見つめている赤毛の青年たちに、ジュニアは三人の関係を何となく理解したのか、何時の間にか自分の隣に戻っていたニゲルとヴィオラセウスを抱えて表情を崩す。
「ねえねえ、パパって、昔から鈍かったんだね?」
二体のぬいぐるみに向かって囁かれたその言葉は、幸いなことに三人の耳に入ることはなかった。