The Shooting Star into The Bottle
最近読んだ本の内容を嬉々として語りながら歩くジュニアに、ヴィオラセウスがそうなんだとでも言うように頷き、ニゲルは体調が優れなさそうなの肩でその様子を見守っている。
結局あの後、何件か魔法薬を取り扱う店や、原材料を卸している人間にあたってはみたものの、必要としている材料は完全には確保できずにいた。
疲れたと口には出さずにいたが、流石にジュニアの事を気遣ってか、気晴らしも兼ねて先に雑貨屋に来てみたものの、予想をしていたよりも多くの客が店内にいて、後は想像に難くなく、普段の人混みに居る時の有様と言うわけだ。
幸い店の隅にはベンチが設けられていて、妻の買い物に付き合わされてしまった旦那や、姉の長い長い品定めに待たされる弟など、様々な境遇の男たちが数人、そこに身を寄せ合うようにしている。
を知る人間の見解としては、この男はそんな所に混ざる事も嫌がりそうだが、息子を一人で店の中に置いておくなど出来るはずもなく、こうして目の届く範囲で小さな子供とぬいぐるみの買い物風景をぼんやりと眺めているのだった。
「それにしても……成長が早いな」
自分の息子が一体何を読んだのかを把握したは、ついこの間までは読み書きも出来なかったはずの子供の後姿を見て、ぽつりともらした。
子の成長というのは親としてみればとても嬉しく、また幸せな事だ。しかし、同時にそれは親離れの第一歩であり、頼ってもらえないというのは非常に寂しいことだ。と相変らず偶に何処かぶっ飛んだ思考をするの脳味噌はそんな事を高速回転で考え出してはエネルギーを消費している。
尤も、今でも彼は息子の寝る前などには本を読んでやっているのだが。まあ、それはそれで最近になって問題が発生しだしたのも事実であった。
家に来たばかりはよかった。
まだ右も左も判らない頃はの持ってくる御伽噺、例えば『泣いた赤鬼』だとか、『ぶんぶく茶釜』だとか、そんな話を嬉々として聞いてはすぐに夢の世界へと旅立っていた。
中々寝付けない夜は、少し長い話をしたり、腹黒だが子供受けのいい某人狼や、短絡思考のくせに創作話を作るのが上手い某脱獄犯なども相手をしていた。(因みに某教授だけはそういった事に無縁だった。)
しかし、最近はどうだろう。
人並みに字も読めるようになり、体を動かすのは好きなようだが自発的に外に出て行こうとしないジュニアは、専ら書庫に閉じこもる父親と共に本を読み、聞かせる話、聞かせる話、返って来る返事は「もう読んだ」というものばかり。
この間は「これ読んで」と差し出した本のタイトルに、三十年前、まだ無知だった自分も祖母に薦められて読んでいた『男女別拷問大百科・ニューハーフ初級編(改訂版)』を笑顔で差し出され、大人になってから繊細になった心臓を色んな角度から抉られた気分になった。
からかっているのか割と本気なのか、ヴィオラセウスに『とりかへばや物語』を差し出された時には流石に固まった。後にニゲルがジュニアがまだ手をつけていない有名な童話作家の本を持ってきてくれた時に、年甲斐もなく下らない事で泣いたのは記憶に新しい。
「……はあ」
陰鬱な記憶を掘り返し、店の片隅で暗い溜息を吐き出す。
子育ては大変だと聞いた事はある、けれど、自分が経験している事は他の家庭ではあまりありえない経験ではないのかと、最近になって考えるようになった。
悩む方向性が一般人とどこか違うのは矢張りと言うべきなのか、その背中は育児疲れとは別の原因で小さく丸まっている。
「パパー!」
「ん、ああ。ゴメンな、どうしたんだ」
「あのね、あのね! これ欲しい!」
小さな手に乗っかっていたのは、硝子の小瓶。
その中には淡い水色と白の大きめの、何の変哲もないビーズがキラキラと輝いていた。
小瓶の口には小さな羊皮紙が括られていて、そこには誰でも出来そうなクロスの作り方が手書きで書かれている。色違いのビーズが詰められた瓶にも、それぞれ花や、ボールなどといった簡単なものがおまけのようにくっついていた。
和裁や刺繍、ぬいぐるみ作成などは昔からよくしていたが、ビーズアクセサリーとなると全く経験のないはしばらく沈黙して、やがて棚の上を見つめて言う。
「多分、テグスが必要だと思うんだが……でも、釣り用のやつなら幾つか家にあったな」
「てぐす?」
「釣り糸なんかに使う絹糸で」
雑貨屋らしいといえば、非常に雑貨屋らしい並びの中に隠れるようにして置いてあった色の付いたテグスを手に取り、ジュニアに見せてみた。
「こういうのだ」
「色が付いてるとお魚さん逃げないのかな?」
「……色つきを使って魚に逃げられたことはないな」
「じゃあきっと、お魚さんのおめめが悪いか。海がとっても暗いんだねー」
はい、と緑色の糸をに返したジュニアは、ふと、違う棚で光っていた虹色の水晶の前で瞳を輝かせ、小瓶を手に父親を呼ぶ。
そこには空の瓶と、水晶球のようなケースの中で絶えず動き回っている色とりどりの小さなビーズが置いてあった。滅多に利用されないのか、色分けされているビーズに比べ、値段は相当安い。
確かに、これは実用的ではない。
後の色分けを自力でやらなければならない労力と、欲しい色が手に入るのが動体視力と反射神経で決まるという点であまり流行りはしないだろうなとは思ったが、恐らくはゲーム感覚でやっていく人間がごくたいまにいるのだろう。自分達みたいな物好きとかが。
「ジュニアはこれがいいのか?」
「うん! コレがいいの!」
「じゃあ、小瓶のそれは戻さないとな」
「うん! 戻す!」
小走りで手に持っていた瓶を元あった場所まできちんと戻してくると、は一番大きな空の瓶をジュニアに手渡す。
「この瓶を、このシャボン玉みたいなのの中に入れると、中で動いているビーズが拾えるみたいだな」
「よくわかんないけど、やってみるー」
父親に手の届く範囲まで持ち上げられ、両手に持っていた瓶を水晶球の中に入れる。それはまるで、濡れた手がシャボン玉に入れていくような、何の抵抗もない感覚だった。
狭い瓶の口に次々と流れ込んでくるビーズを、きゃあきゃあと嬌声を上げながら見ていると、あっという間に一杯になる。
全体的に白っぽくなった瓶の中身にもジュニアはご満悦で、丁寧に栓をしてから、自分がやったんだよと胸を張ってそれを父親に見せた。
「お星様みたい!」
「そうだな。お星様みたいだな」
「キレーだねー。キラキラしてるねー」
まるで本物の星を眺めて言っているような口振りのジュニアに、も優しい表情で頷く。
小さな手に掴まえられたお星様は、ただ無言を貫き、低い天井から吊るされた光源だけを頼りにして、瓶の中で時折輝きを見せていた。