曖昧トルマリン

graytourmaline

Handmade Cigarette

「あれリュー、でかけるのか?」
「ああ…ダイアゴン横町の方にな……」
「嫌そうな顔するね」
「誰が好き好んであんな人通りの多い所」
「ダイコンよこちょ?」
「……ジュニアも行ってみるか?」
「パパとっ?! ジュニアいく! 行くー!」
「二人だけで大丈夫? ぼくも付いて行こうか?」
「その言葉は家に残るルーピンとブラックにそのまま返品しておこう」
「はいはい、行ってらっしゃい。気をつけてね、色んな意味で」
 夏休みという事もあり、ダイアゴン横町は相変わらず活気付いていた。
 その漂い具合を全身に受け既には人酔いをし始めていたが、好奇心の塊と化している小さな体があっちへフラフラ、こっちへフラフラと漂っているので酔っている場合ではない。
 ローブをまとわず、ラフな服装で歩く。こちらでは珍しい大人の姿は、ジュニアにとって見つけやすいが……逆は至難の技だ。
 なにせジュニアは小さい上によく動く。幼い子供は、両親と買い物をする時、両親の後にピッタリとくっついて離れようとしないか、先走ってどこかで迷子になってしまうという二つのパターンに別れるが、現在進行形の経験上、は前者、ジュニアはどうも後者らしい。
「パパっ、変なものいっぱいあるよ!」
 両肩にニゲルとヴィオラセウスをぶら下げて、既に人込みに埋もれがちなジュニアを引き抜いて苦笑してやると、またその手を離してどこかへと行ってしまう。
 これと同じ表情をするジュニアを見たのは、イギリスと日本にある自分の家に初めて彼を連れて行った時の二回だけだ。
 あの時は限られた空間内だけだったが、今度はそうは行かない。突っ走ればどこまでも道は開かれてしまうような子供の好奇心をくすぐる、親には苦労が絶えないような場所なのだ。
 まったく、自分がこんな気持ちになって外を出歩く日がくるとは思いもよらず、は一人で苦笑してしまう。
「パパッ、パパーっ、きょうはなにするの?」
 一通り店を眺め満足したのか、ジュニアはの傍に戻ってきて、頬を林檎のように真っ赤にして父親に今日の予定を聞いている。
「薬の材料を買うだけのつもりだったが……そうだな、雑貨屋も少し見ていくか」
「ざっかや? ジュニアざっかや行くー」
 雑貨屋が何か絶対に理解していないジュニアの手をしっかりと握り、比較的大通りの近くにある魔法薬の店の扉を開く。
 小気味よいベルの音とは裏腹に、店内は日の光が入らないようになっていて、少々不気味なところだった。
 棚には幾つも瓶が並び、その中身は大体がホルマリン付けのようなものである。薄暗い店の奥の壁側には調合の専門書が置いてあり、天井からは干乾びたこうもりやトカゲ、そして原形が何かまったくわからない植物が無造作に吊るされていた。
「ふえー…」
「絶対に触ったら駄目だぞ、魔法薬はどれも丁寧に扱わなきゃいけないんだ」
「はーい!」
 物珍しそうにしていたジュニアは元気よく手を上げてに手を引かれながら、沢山の植物が並んでいる棚の前までやってくる。
 店の雰囲気に合わない子連れの魔法使いに、店主は怪訝そうな顔をしたが、ジュニアは言いつけ通り大人しく反対側の壁の大きなガラス瓶に入った生き物をじっと凝視して動かなかった。
 二人以外は店主しかいなかった空間の中にチリン、と店のドアが開く音が入ってくる。コツコツと杖の音を鳴らして店の中に入ってきた不恰好な影は、縮こまる店主に背を向けて一直線にへと近付いて行った。
。話がある」
「挨拶もなしか。アラスター・ムーディ」
 左手に持っていた黒い瓶を棚に戻し、隣にやってきた灰色のまだらの髪を見下ろし、不思議そうな顔をしているジュニアを手招きする。
「ジュニア、この人はアラスター・ムーディ。おれの元上司だ」
「はじめまして、ジュニアです!」
 傷らだけの顔に物怖じをしないジュニアが元気に挨拶をすると、ムーディは毒気を抜かれたようで、かなり強引に体を曲げる挨拶を返した。
 青い魔法の目はジュニアの両肩のぬいぐるみをそれぞれ見たが、すぐに背後の店主に向けられる。残った目がに向けられる。
「お前によく似ている。わしを見ても全く動じん」
「やましい事をしているわけでもなし、貴方に対して動じる要素なんて別にない。おれが知る人間の中では、お酒の入っていない貴方はまだまともな方だ。それで、用件は?」
「ここでは話せん。どこにスパイがいるのか判ったものではない」
 そう言うと、今度は魔法の目が通り側に向き、天井へと移動した。
「何のスパイだ。おれも貴方も魔法省を辞めている」
「用心に越した事はない」
「下手な店に息子は連れて行けない。ここで話せないなら諦めてもらおう」
 地下を向いていた両目が移動してをじっと見つめ、もムーディを睨むように見ている。
 店主がカウンターで冷や汗を流す中、やがて折れたのはムーディで、仕方なさそうに店の奥を顎で指した。
「聞き耳を立てたら、代償としてその両耳を貰う」
「ムーディ、店の中での脅迫行為は止めろ。役人が飛んでくる」
「以前のお前も似たようなものだろう」
「それでも貴方よりは幾分かマシだ」
 右手はジュニアの手を優しく握り、左手でムーディの襟足を掴んだは、明らかに左腕に力を入れながら店の一番奥にある扉へと足を進めていく。
 途中でムーディが喚いたので仕方なく左手を離し、腕が空いたので大人しくついてきた息子を抱き上げた。
 二枚の扉と分厚いカーテンをくぐり辿りついた部屋は赤い光に満ちていて、換気のために空けられた穴から空気が出入りする音だけが低く唸っている。
 人の出入りがあったことは確認できるものの、何世紀前に使われていたのかも判らないような物体がそこかしこに転がっていて、あまり清潔とは言えない場所だった。
「先代までが使っていた調合室だ。この間死んだが、今の店主は使っていないようだな」
 二重のドアのどちらにも鍵をかけ、近くに誰かいないか確認して、ようやくに向き直る。
 はというと、その間に持っていた鞄からバンダナを取り出してジュニアに手渡していた。
「ジュニア、一応これで鼻と口押さえてろ。息はしてていいからな?」
「……、お前は変わったな」
 バンダナをして息をする息子を腕に、は後悔はしていないと言う。
「魔法省を辞めた理由はその子供か」
「いや、この子は関係ない。ただ、仕事よりも先にやらなければいけないことが出来た」
「それは噂に聞いた下らん副業の事か」
「誰が噂をしているかは知らないが、それも廃業した」
「……では何だ」
 少しイライラした声でムーディが訊ねるが、は首を横に振ってそれ以上は何も言わなかった。
 ムーディもそれ以上の追求を諦めたのか、ぼさぼさの長い髪を左右に振って悲哀の色を浮かべる。
「惜しい男だ。あの当時も、ダンブルドアの横槍無く前線に配属されれば……」
「推薦人の貴方が省に猛反対したのは覚えている。尤も、おれの為ではないが」
「わしはお前が何も言わなかったのをはっきりと覚えている」
「あの男に脅迫されていたからな」
 何気なく言った言葉に、ムーディの僅かに残った眉が跳ね上がった。
「魔法省の奴等はともかく、ダンブルドアがそんな卑怯な真似をするものか」
「無能でよく動くだけの新参者の集団。日本の魔法省が旧家である宗家の屑と手を組み、おれに自由を与える代わりに家を抑えたのは事実だ。仲介をしたのはイギリスの魔法省で、実際にはあの男の名はないが」
「……賢人だが、時と場合と相手によってただの人間になる。そう言えばそういう男だったな」
 思うところがあるのか、そう吐き出された言葉には反応したが、特に何かをいう事はなく、不安そうに自分を見上げていた息子に微笑んでやる。
「話はこれで終わりか?」
「終わってはいない、が、今はない。後日改めて訊きたいことが出来た」
「……日時と場所はそちらで指定して構わない。可能な限り合わせるようにするが、酒を飲んで出迎えたらドアを閉めて帰るからそのつもりでいろ」
「いやに素直だな」
「断った挙句突然家に来られる方が余程迷惑だ」
 慌しく四方八方を見渡している目がのポケットで一瞬だけ止まり、ジュニアへと移った後で杖を振った。
 扉の外で鍵が開く音がして、微かに吹き込んでくる風に部屋のカーテンが揺れる。
「梟便で送る」
「返信は同じ梟に持たせる。余計な魔法はかけてくれるな」
「それは必要なものはかけていいという事だな」
「度さえ守ってくれればな」
 ジュニアを抱えたまま踵を返した背中に、煙草を吸うようになったのか、と呟く声が聞こえ、はあからさまな溜息を吐いて三枚の扉を無言で潜った。
 日が差す明かるい通りに戻って来たジュニアは地面に下ろされ、首を傾げながら父親の顔を見上げる。
「パパ、通りにもどっちゃったよ?」
「いいんだ。あの店には探していた薬がないみたいだから」
 無愛想な店主の頭を硝子越しに見つめバンダナを受け取ると、それをポケットにしまおうとした。
「……?」
「どーしたの?」
「迂闊だった。ムーディに煙草を掏られた」
 最近になって吸うようになった自作のハーブシガレットは、青いシガレットケースから綺麗に姿を消している。
 あれが最後の一ケースだったのに、と呟くに、今まで黙り込んでいたニゲルがジュニアの肩から飛び移ってきて頭をさすった。
 その慰めに軽く笑いを漏らし、違うポケットの中からメモ用紙を取り出す。そこには、の字で必要な薬品のリストと数量が書き綴られていた。
 そしてその一番下には、それらとは明らかに違う、震えた手で書いたような字で店の名前と住所が付け加えられている。
「ムーディ……この場所はノクターン横丁のすぐ隣だぞ……」
 人の話を聞いていたのか、と愚痴る父親に息子が首を傾げてその横丁の名前を復唱した。
「のくたーん?」
「危ない人が一杯居る所だ」
「じゃあ、じゃあ、ジュニアがぼーっとしてたら食べられちゃうような所なの?」
 ムーディは怖がらなかったのに、妙にノクターン横丁については食って掛かるジュニアに、悪戯心が刺激されたのかはできるだけ意地の悪い笑顔を浮かべて再びジュニアを抱え上げる。
「ジュニアは柔らかくておいしそうだから油断してると食べられちゃうかもな」
「やーっ!」
 その言葉を本気にしたのか、思い切り抱きついてくる息子に、ついに堪えきれなくなってが吹き出す。
 両肩のニゲルとヴィオラセウスも表情は変化しないもののその反応がおかしかったようで、ジュニアが何で笑うのかと怯えながらむくれた。
「ひとまず他の店を当たろう。そこに置いてあるかもしれないからな」
「んー」
 そう言って歩き出すと、ジュニアは先程とは違い、の脚にがっしりとしがみ付いて離れない。
 流石に歩き辛いので、からかって悪かったとでも言うように、何度か息子の頭を撫で、体から離れさせる。
 そして、その小さな手をしっかりと握り締めると、一つの大きな影と、三つの小さな影は人混みの中に消えていった。